天の音の詩 ~マギアレコード~   作:XXPLUS

1 / 2
前編・天音月夜

 彼女が手桶を傾けると、寒水が石畳を叩く音が激しく響いた。

 遅れて、彼女の髪と肌と薄絹を伝って、ぽとぽとと水滴が落ちる音が続く。

 まだミドルティーンに属する彼女の身体は、寒水を頭から浴びても火照るように熱い。

 周りの寒気と彼女の体温との差が、吐く息を白くした。

 

 ―-毎日のこととはいえ、寒いものは寒いのでございます。

 

 次の井戸水を手桶に汲みながら、西を向き、拝をする。

 最愛の妹、月咲を心に思い浮かべて、感謝。

 心の動きが身体に出てしまう彼女らしく、頭がぺこりと下がった。

 本来ならばその所作で腰を叩くほど、彼女の黒髪は長い。しかし今は水垢離の寒水に濡れ、純白の絹とともに身体に張り付いていた。

 

 ばっしゃん

 

 彼女は、手桶を高く掲げると、再び寒水を頭から浴びせかける。

 南を向き、拝。

 心に思い浮かべるのはアリナ・グレイ。今度は、彼女の頭は下がらなかった。

 

 東西南北、そして天地。六方拝を繰り返しながら、井戸から汲み上げた寒水で垢離を行う。

 彼女の日課であるが、今日は特に念が入った様子だった。

 その理由は、

 

 ――今日は、献奏の儀でございますから、ね。

 

 献奏の儀、それはマギウス本部の最深に鎮座する神御子へ、彼女と妹のふたりで篠笛を奏で、囃子を捧げることを指す。

 魔法少女の救済を掲げるマギウス。そのご神体とも開祖ともいえる神御子。

 神御子の眠りを安らかなものにするために、彼女たち天音姉妹の曲を捧げるのだと、天音月夜は聞かされていた。

 

 ――献奏の儀がある日くらいは、月咲ちゃんにも一緒に水行を行って欲しいものでございますが。

 

 どんぐりのように丸い彼女の瞳が細められ、口の端が小さく持ち上がる。

 優しく、慈しむような微笑みがこぼれた。

 月夜には、それはムリなことだと分かっている。

 彼女の妹、月咲は父の構える工房の家事を一身に背負っている、いや、背負わされている。

 早朝の今も、惰眠を貪っているわけではなく、朝の支度に大わらわのはずだ。

 

 ――本当に、戦場のようでございました。

 

 一度だけ、月夜と月咲は変装してお互いに入れ替わったことがあった。

 月夜は工房区の竹工房に入り、家事一切を取り仕切る。

 月咲は水名区の邸宅に入り、定められたお稽古事をこなしていく。

 そういうちょっとしたお遊びだった。

 入れ替わる前は、月夜は「月咲ちゃんは、ちゃんとお稽古できるのでございましょうか」と妹のことばかり心配し、自分の心配など考えもしなかった。

 水名区の女性の基礎教養として、炊事も洗濯も掃除も、お婆様にイヤというほど仕込まれていたからだ。

 

 だが、それはまったく通用しなかった。

 

 彼女が身に着けていたのは、家族の分の食事をつくる料理でしかなかった。

 工房で二十人を越える男連中の胃袋を満たすものを作るような労働に比べれば、それはおままごとに過ぎない。セスナの免許でジャンボジェットを操縦することはできないように、月夜の炊事能力は工房では通用しなかった。

 

 結果として、彼女の登校時刻を越えても朝食は完成せず、しかも誰一人として手伝おうともしないばかりか、まだかまだかと矢の催促だった。

 本来なら娘を擁護するべき立場の父親も、弟子達と一緒になって「それでも工房区の女か」と呆れたように吐き捨てる。

 

 ――お互いに、半日も経たずに、入れ替わりをやめよう、と提案したのでございます。

 

 だから、炊事に洗濯に買い出しに掃除に、ありとあらゆる工房の世話で大忙しの月咲に水行までしろ、などと言う気は月夜にはない。

 月咲ができないぶん、自分が念入りに水行を行って身を清めれば良い話だと、納得している。

 

 ――ファイトでございますよ、月咲ちゃん。

 

 後で聞いた話だと、月咲は登校の前に、食器の後片付けまで完璧に終わらせてしまうという。

 月夜からすると、手品か魔法のような早業だ。

 一生かかっても自分には無理そうなことを軽々と――そう月夜は思っている――やってのける月咲に、月夜は心からの敬意を抱いた。

 そして、今もその早業を披露しているであろう妹に向けて、そっとエールを送る。

 

 

 水垢離を繰り返す間にも、月夜の唇には幾度となく笑みが浮かんだ。

 そしてそれは例外なく、月咲を想っての笑みだった。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 マギウス本部最深部に創られた結界は、そこに祀られる神御子のためにアリナ・グレイが生み出したものだと、月夜は聞いていた。

 洋風の建物然としたマギウス本部のなかで、その周辺だけが和の様式で彩られ、明らかに特別な空間であることを主張している。

 月夜は、その特別な空間で着座していた。周囲と調和する、和装の魔法少女装束で。

 目の前には、神御子の結界がある。

 隣には、月咲が座っている。

 献奏の儀を前にした、わずかな待ち時間だ。

 月咲の手がほんのわずかに震えていることを見とがめた月夜は、そっと手を重ねた。

 

「今日も頑張るでございますよ、月咲ちゃん」

「うん、神御子さまにウチらの曲をお聞かせしないとね」

「ええ、魔法少女の救済のためにその身を削ってくださっている神御子さまのお心を、安らげるでございますよ」

 

 重ねた手のひらから月咲の体温と月夜の体温が溶け合う頃には、月咲の手からはわずかな震えもなくなっていた。

 それでもなにかを感じたのか、月夜は小首を傾げて問う。

 

「なにか心配事でもございますか?」

「ううん、そんな大げさなことじゃないよ。ただ、ここしばらく献奏の儀が多いなって」

「――月咲ちゃんは、神御子さまのなさっていることはご存知でございますよね?」

「んー、八割がた……」

「あら、分からない二割はどこでございますか?」

「そんなの説明できるくらいなら、ぜんぶ分かってるよぅ」

 

 困ったような笑顔。それは月咲の普段顔と言って良かった。

 つらい時も、悲しい時も、困った時も、彼女は笑顔を創る。同じような笑顔だ。余人には、それらの笑みがいかなる感情によるものか、読み取ることはできない。

 けれど月夜には、それらの顔から月咲の感情を正確に読み取ることができた。

 

「では、最初からおさらいするでございます」

「ありがとう、月夜ちゃん」

 

 そして、今度の笑顔は、月夜でなくとも感情を読み取ることができるたぐいのものだった。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

「とはいえ、私も事のすべてを知っているわけではないのでございます」

「うん。みふゆさんでも知らないことはあるって言ってたもんね」

「ですので、月咲ちゃんの知りたいことが分からなくても、許して欲しいでございます」

「だめ、許さなーい」

「許してくれないのでございますかっ!」

 

 どんぐりのような瞳が、大きく見開かれる。

 明らかな冗談を真に受けてしまう、そんな世間とズレた部分が、彼女にはあった。

 超の付く箱入りで育てられたが故のものだが、月咲は月夜のそういった部分も好きで、事あるごとにからかうような言葉を投げかけては反応を楽しんでいた。

 

「じょうだーん」

「冗談でございますか。私、冗談は不得手でございます……」

「ごめんごめん、でも冗談に反応してる月夜ちゃんって可愛いから、つい、ね」

「かわっ……? だから、冗談はやめて欲しいでございます!」

 

 月夜の頬が熟れた林檎のように紅潮する。

 それでも重ねた手を外したり、顔を逸らしたりはしない。

 

「今のは冗談じゃないのに」

「もうっ、話が進まないのでございます」

 

 唇を尖らせて、拗ねたような、甘えたような声。

 それを聞いて月咲は鈴を転がすように笑った。重ねたままの手を少しうごめかせ、指と指を絡める。

 

「ごめんね。ちゃんと聞くから、進めて?」

「約束でございますよ」

 

 馬鹿馬鹿しい冗談だ、と月夜は思う。

 双子で、まったく同じ顔をしている。そんな相手に、可愛いだなんて。

 でも、逆の場合を考えてみれば、

 

 ――私も、少しそう思うかも、でございますね。

 ――特に、ご飯を召し上がっているときの月咲ちゃんは、心底幸せそうで、可愛いでございます。

 ――あと、スーパーでお買い物をしているときの真剣な眼差し。凛々しくて可愛いでございます。

 ――それと、ときどきお互いのお稽古や家事を抜け出して、神社の木陰でお昼寝するときの顔などは……

 

「つーづーけーてー」

 

 絡んだ指が激しく動き、月夜の意識を引き戻した。

 ほんの一瞬だけ、月夜は教師に居眠りをとがめられた生徒のような顔を見せたが、すぐに咳払いひとつで姉の威厳を取り戻す。

 

「で、では、続けるでございます」

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

「そもそもの始まりは、灯花さまと、そのご親友おふたりでございます」

 

 相槌のかわりに、月咲は絡めた指を少し動かす。

 

「灯花さまとご親友のおひとりは、魔法少女として活動していたのでございます」

「名前は?」

「存じ上げないでございます……。それで、ご親友が、おいたわしいことに魔女となってしまったのでございます。魔女となってしまったご親友を討ち果たした灯花さまも、それで絶望し、もはやこれまで……となったときでございます」

 

 聞いてるでございますか? の意味で月夜が指をうごめかせ、聞いてるよ、の意味で月咲が指を揺らした。月咲の指のすべすべな感触が心地良くて、月夜は目を細める。

 

「まだ魔法少女となっていなかったご親友が、すべての魔法少女の解放を願い、魔法少女となりました。それが、神御子さまでございます」

「灯花さまは救われたんだよね?」

「だから今、マギウスの幹部をなさってらっしゃいます。……神御子さまですが、すべての穢れを吸い取る魔法少女となった、と伺ってございます」

 

 いつの間にか月夜のてのひらは上を向き、月咲のてのひらと合歓の葉のように重なり合っていた。お互いがお互いのてのひらを心地良く感じ、どちらからともなく、じゃれあうように蠢動させた。

 

「月咲ちゃんもご存じの通り、本来ならば魔法少女は、いずれ耐えきれないほどの穢れに蝕まれて魔女になるのでございます。その膨大な穢れを、ドッペルを介して神御子さまが吸い取ってくださっているおかげで、私たちはこうしていられるのでございます」

「うん、すごいよね」

「神御子さまは素質が素晴らしかったのでしょう、限りない穢れを吸ってなお、魔法少女としての姿を保ってらっしゃいました。ですが、どんなに広大無辺に見える器も、やはり無限ではございません。吸い取った穢れは神御子さまを蝕み、今は動くこともできず、ただ眠りについていらっしゃるのでございます」

「……」

「そのため、私たちはウワサを生み出し、ウワサを聞き知ったすべての人々に少しずつ穢れを肩代わりしてもらって、神御子さまのご負担を軽くしているのでございます。つまり、魔法少女が負うべき定めを、皆で少しずつ肩代わりしていただこう――そういう理念でございますね」

「うん、そこはもちろん知ってるよ。だからウチらはマギウスの翼になったんだもんね」

「えぇ。そしてある日、私たちの奏でる旋律が、神御子さまのお心を安らげる、と灯花さまが仰ってくださいました。それから、月咲ちゃんと一緒に、献奏の儀を行っているのでございます」

「最近、頻度がすごいよね?」

「最初は、月に一度。やがて二週に一度、週に一度、今では数日に一度、でございますね……」

「それだけ、神御子さまが弱ってるってことだよね?」

「――それもありましょうが、ウワサを消して周る者どもの存在が、大きいと思うのでございます」

「あいつら――」

 

 月咲は思うさま悪態をついた。

 魔法少女の末路に対する代替案もないくせに、ただマギウスを否定して実力行使する無思慮な奴ら。それでいて自分たちもドッペルの救済を頼り、神御子さまに負担を押し付けている。

 憤懣やるかたないといったていの月咲を、慈しむように月夜は見つめた。

 

 ――ただ、彼女たちの気持ちも分からないわけではございません。最初にお話を伺ったときは、ウワサを知った方々に、ほんの少しの――ささやかな不幸が訪れる程度の穢れを分担してもらう、とございましたが、実際は……。

 

 その思いを振り払うように、月夜は頭をぶんぶんと振った。

 

 ――いいえ。たとえ誰を犠牲にしたとしても、月咲ちゃんにだけはそんな運命があっていいはずがございません。

 

「不穏分子のことはまた別に考えるとして、今日は献奏の儀でございますよ」

「うんっ」

 

 応える月咲の笑顔を見ると、月夜のその想いはいや増した。

 たとえ世界のすべてを犠牲にしても、月咲ちゃんだけは、と――

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

「はい、お話は終わりましたか?」

 

 不意の言葉に、ふたりは驚いた猫の尻尾のように背中を伸ばした。首を巡らせると、彼女たちのマギウスにおける上官、みふゆが柔和な笑みを浮かべて立っている。

 

「なんだかふたりで熱心にお話していたから。あっ、聞かないように少し遠くにいましたから、安心して?」

 

 ふたりは慌てて立ち上がると、気を付けよろしく姿勢を正した。

 

「き、聞かれて困るような話はしていないでございます!」

「月夜ちゃん、その言い方だとしてたみたいだよ……。みふゆさん、私が月夜ちゃんに、神御子さまのことを教えてもらってたんです」

「そう……」

 

 わすかに彼女の顔が愁いを帯びる――が、哀愁漂う表情はみふゆの常なので、月夜も月咲も気にすることはなかった。

 ――いや、実際のところ、月夜と月咲にとっては、お互い以外の表情など、どうでも良かった。

 月夜と、月咲と、それ以外。そういった区分で世界を切り分ける。

 その傾向は、マギウスの翼となり、ドッペルを使用するごとに強くなっていった。

 そのことをふたりが訝しむことはない。何故なら、それこそが、ふたりにとって居心地の良い世界であったから。

 

「準備の方は、大丈夫かしら?」

「それはもう。早めに準備をして、待ち時間の間に月咲ちゃんとお話していたのでございます」

「さすがですね、あなたのそういうしっかりしたところ、ワタシは好きですよ」

「時間に余裕をもって行動するのは、最低限のたしなみにございます」

「ねー」

 

 月咲ちゃんはときどき遅刻するでございますよね?

 と指摘したい気持ちもあったが、みふゆの前ということもあって月夜は控えた。

 じゃれるように妹をからかうのは好きだが、人前で恥ずかしい思いをさせるようなことはしたくない。

 

「それじゃ、今日もよろしくお願いしますね」

「うん、ウチらに任せて!」

「神御子さまのお心を、しっかりお慰めしてくるでございますよ」

 

 アリナの好みがよく現れた、幾何学模様の結界入り口が目の前に浮かんでいる。

 そこに手を触れると、ふたりの体は結界へ吸い込まれていった。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 灯篭が並ぶ石畳の参道を通り、鳥居をみっつくぐると、小さな社があった。

 社の戸は開け放たれている。

 暗くはないが、御簾がいくつも下ろされ、中は見えない。

 社の中には入らないように、と言い含められているふたりは、戸の前で跪く。

 二礼すると、教えられた祝詞を唱える。月夜は流れるように、そして月咲は途切れ途切れに。

 

「かけまくも かしこき かみみこさまのおおまえを おろがみまつりて かしこみかしこみももうさく……」

 

 ときには、月夜は言葉を止めて月咲を待つ。

 ときには、月夜は月咲に教えるようにゆっくりと言葉を連ねる。

 

 ――月咲ちゃんが詰まるところは、先刻承知でございますからね。

 

 くすり、と小さく笑うが、月咲はそんな月夜に気付く余裕もない。

 もっとも気付いても、祝詞を唱えることに必死で、頬を膨らませることさえできないだろうが。

 

 ――妹をフォローするのは、お姉ちゃんの務めでございますよ。

 

「……つくさしめたまへと かしこみかしこみももうす」

 

 最後まで唱えると、月咲が大きく息を吐く。

 まるで長時間の潜水を終えた競技者のような、大きな息。

 息でも止めていたのかしら、と月夜がくすりと笑う。祝詞が終わって余裕ができたのか、月咲はそれを見とがめて小首を傾げた。

 

「ウチ、どうかした?」

「いいえ、いつも通りの月咲ちゃんでございますよ」

「いつも通りのウチって、いい意味? 悪い意味?」

「もちろん、いつも通りの月咲ちゃんは、いつもいつも、私の自慢の妹でございます」

 

 自分が言われたら照れるようなことも、月咲に言う分には大丈夫。

 だが、自分が言われればどうなるか―― 

 

「月夜ちゃんも、ウチの自慢のお姉ちゃんだよっ」

「そっ、そういうことは心の裡で思っていただければ、充分でございます!」

「えー、だって月夜ちゃんの反応可愛いんだもん」

「わざとだったでございますかっ?」

 

 立ち上がらんばかりの勢いの月夜に、月咲はゆったりとした袖口で口元を隠して笑いを押し殺す。

 

「ございますよー。月夜ちゃん、神前なんだから騒いじゃダメだよ?」

「……月咲ちゃんは時々いじわるでございます」

「でも、いつもは自慢の妹なんでしょ?」

「はい……」

 

 ――月咲ちゃんのその明るさのおかげで、私も元気をいただけているのでございますよ。

 

 口にだすとどんな言葉が返ってくるか、想像するだに赤面してしまいそうなので、そっと心の中で呟く。

 しかし感謝の意志は、言葉にせずとも態度や表情に出ていたのだろうか。

 月咲は少しだけ頬を紅に染め、そっぽを向いた。

 

「そろそろ、しよ。月夜ちゃん」

「はい、いたしましょう、月咲ちゃん」

 

 それぞれが、手に篠笛を持つ。

 幼くして生き別れた姉妹が、再び出会う切っ掛けとなった一対の篠笛。

 彼女たちにとって篠笛は絆を意味する物であり、第三者には触らせることさえ滅多にない大切な宝物。

 

 歌口にそっと唇を添える。

 指孔に指を軽く乗せる。

 ロックバンドなら、演奏を始めるにあたってリズムを刻むところだろうが、彼女たちに合図は必要ない。

 

 音が生まれる――

 

 寸分の違いもないひとつになった音、ではない。

 お互いの音を尊重し、包むこむような音。

 互いに欠けたものを補いまっとうさせる音は、比翼の鳥が空を舞う姿を連想させる。

 それは、ただ調子を合わせひとつになった音よりも、遥かにふくよかなものに聞こえた。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 三曲目を終える頃に、変化があった。

 社の中から、激しい風が吹き始める。

 御簾が波打ち、戸が揺らいで軋みをあげる。

 

「ど、どうしたの?」

 

 初めての事態に月咲が演奏を止めて呟くと、風はさらに勢いを増した。

 御簾のひとつが外れ、風に運ばれて石畳を叩く。それを目で追う月咲の表情は、呆けているように見えた。

 

「お鎮まりいただけますよう、お願いするでございます、神御子さま」

 

 月夜までが歌口から唇を離す。明らかにそのタイミングで風は荒れ狂い、灯篭のいくつかが横倒しにされていく。

 おそらくは相応の倒壊音があったはずだが、吹きすさぶ風はその音すらかき消した。

 とたん、月夜は額のあたりに違和感をおぼえた。

 痛みというほど峻烈なものではない。生温かいものを頭の中に押し込まれるような、鈍い不快感。それは酩酊に近い感覚を彼女に与え、現実感を希薄なものにしていく。

 

 がたん。

 社の戸が外れた。烈風は一枚の大板と化した社戸を軽々と運び、虚ろな表情をした月夜を打ち据えようとする――

 

「月夜ちゃんっ!」

 

 叫びが、月夜を現実に引き戻した。

 次いで、硬いものが木板を砕く、鈍い音。

 月夜の前に立った月咲が、手にした篠笛で迫りくる社戸を打ち砕いたのだ。

 

「だいじょうぶ? 月夜ちゃん」

 

 ――もう、また篠笛を乱暴に扱っているでございます。

 

 かばってくれたことへの感謝もなしに、そう毒づく。

 その直後、月夜は目をぱちくりとさせた。

 

 ――おかしいのでございます。

 

 考えは続かない。酩酊により思考が定まらないこともあるが、何より妹の声が彼女のリソースを思索から現実的なものに振り分けさせた。

 

「何があったんだろう? 社に入ってみる? 月夜ちゃん」

「――いえ、献奏をしていないと、状況は悪化すると思うのでございます」

「確かに、吹くのやめたら風が強まった気はするね」

「はい。私が演奏を続けるでございます。月咲ちゃんは、まふゆさんに連絡を」

「ううん、ウチが奏でるよ。月夜ちゃんが呼びに行って?」

「譲り合ってる場合じゃないでございますよ、月咲ちゃん。ここはお姉さんの言うことを聞くでございます」

 

 月夜の言葉に、月咲は一瞬顔をしかめた。次いで、小さく頭を左右に振る。

 

「わかった、ウチが行ってくる。月夜ちゃん、少しの間辛抱して」

「お任せください、我慢は慣れているでございますよ」

 

 自らを鼓舞するためと、妹を安堵させるための笑顔。

 姉を置いていくことが心苦しいのか、一方の月咲は泣き笑いの表情で応えた――

 

 

 

<<前編 おわり>>

 

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。