※この短編集は、前話や次話との繋がりはなく、違う世界線でのお話を纏めたものとなっております。あらかじめご了承ください。
五月下旬。中間テストも終わったこの時期は、稀に急激な温度変化があったりはするけれど、比較的過ごしやすく、外出するにはベストな環境と言える。
そんな初夏の休日。窓から流れ込む心地よい風を受けながら、私は家にこもってなにをしているのかというと——
《「……ずっと一人だった俺に、誰かを選ぶ資格なんてないだろ」「じゃあな、雪ノ下」そう言って歩き始めた彼の背中に、私は声を掛けることも出来なかった。それから、比企谷くんとは会っていない。BAD END.》
——あぁぁぁぁぁぁぁあああああああっっっっ!! もうっ、こ、のっ、なにっ!? なんなのこのクソゲーッ!?
チャラララと腹の立つバッドエンド用BGMを垂れ流すパソコンを本気で殴りたい。……ダメよ、雪乃。その中には今まで集めたパンさんや猫、奉仕部での写真や比企谷くんの隠し撮……こほん。
スタート画面を表示する液晶を、しばらくじっと見つめる。……もう、やめてしまおうかしら。いえ、ここで諦めたら、比企谷くんに負けたみたいじゃない。そんなのは絶対嫌、受け入れるわけにはいかない。……でも、もうやだなぁ。
そう、私が休日を潰してまでしているのは、このPCゲーム。タイトルは『どうあがいても、私の青春ラブコメはまちがっている。』。なんか語呂悪くないかしら……まあ、比企谷くんもよく似たようなタイトルの本を読んでいるから、そこまで珍しいというわけでもないんでしょうけれど。
姉さんから突然送られてきたそれにはこんな手紙がついていた。
『ひゃっはろ〜、雪乃ちゃん! 元気してるぅ〜? 大学生活が余りにも暇だから、ゲーム作っちゃいました☆ よかったらテストプレイしてみてね!』
ゲーム作っちゃいました☆ じゃないわよ……とは思いつつも、たった一人の姉がわざわざ私を頼ってきたのだしとプレイしてみれば、この様。高笑いしている姉さんが眼に浮かぶわ。
だいたいどうしてゲームに私や由比ヶ浜さん、比企谷くんが出てくるのよ。名前とか、雪ノ下雪乃で固定だし。こういったシュミレーションゲームって、それが普通なのかしら。それにしたって、私にやらせるために作ったのが丸分かりじゃない。もうちょっと隠す努力を……はぁ、いくら愚痴ったところでもう今更よね。
「ふぁ……」
あくびが漏れて、自分が何時間ゲームをしているのか数えてみる。ええと、プレイし始めたのが昨日の昼頃だから、1、2……19、20、21。21時間。食事や入浴の時間を考えればもう少し減るけれど、どちらにせよなんだか目がしょぼしょぼするのも納得のプレイ時間ね、我ながら呆れる。
一度、寝ようかしら。いえ、でももう少しでクリア出来るような気がするのよね。私がもともとゲームをやらない人間だったから、途中でバッドエンドになってしまったりしたけれど、今回で一応卒業までの流れは理解出来たし、次こそはなんとかなるはず……多分。
だったら、次が最後の一回になる。これを終わらせて、すっきりした気持ちで惰眠を貪りましょう。生活習慣がどうとか、そんなものは知ったことではないわ。達成感の中で私は眠るのよ! NEW GAME!!
舞台は千葉市立総武高校。空き教室にて私が本を読んでいるところから物語は始まる。ぺらとページを捲ると、からりと扉が開かれ、平塚先生が連れてきた男子生徒が口を開いて、
《「二年F組比企谷八幡です」》
親 の 顔 よ り 見 た 名 前。
……というかここ、スキップ出来ないの? つっかえないわね。だいたいなんで毎回毎回最初からなのよ。途中からやらせなさいよ。
そうして、ぶつぶつと文句を垂れながらではあるものの、私の比企谷八幡攻略がまた幕を開けたのだった。
× × × ×
それから、おおよそ三時間が経った。ソファに身を投げ出した私の視界には無機質な天井が映っていて、はぁと吐いたため息は虚空へ溶けていく。
時刻はもうとっくに正午を迎え、今しがた昼食を摂ったばかり。ちらとテーブルに目を向けると、画面の暗くなったパソコンがいまだにそこに鎮座していた。
……クリア、出来なかった。
クリア出来なかったぁぁぁぁあああああっっ! あーっ、もうっ! なんなのよ! なんなのこのクソゲー! だいたい一回プレイするのになんで二時間以上掛かるのよ! 頭おかしいんじゃないのっ!?
「はぁ……」
どうすればクリア出来るのかしら……。いっそ、比企谷くんに訊いてみる? あのときどう答えればよかったのかって。いえ、流石にそれは……でも、他に方法もないのよね。
スマホを取って、比企谷くんの番号を表示する。パソコンを起動して、ゲームを始めてから電話を掛けた。
『……もしもし』
「も、もしもし、比企谷くん?」
比企谷くんには何度か電話をしたことがあったけれど、こうしてどうでもいいような内容で掛けるのは今回が初めてかしら。……本当にどうでもいいわね。迷惑ではないかしら。
「その、訊きたいことがあるのだけれど……時間は空いているかしら」
『あー、まあ、別に空いてるが。部活のことか?』
「い、いえ……そういうわけではなくて」
部活のことだなんてとてもそんな高尚な理由ではない。ゲームがクリア出来なくて困ってるだけです。本当にごめんなさい。でも、これをそのまま言うわけにもいかないのよね……あなたを攻略するゲームをしてるのだけれどとか、私が言われたら気持ち悪くて通報するわ。
「……あ、あなたと、私のこと、なのだけれど……」
『へぇー……は?』
間抜けな声が耳に届いた。不思議に思って自分の言葉を心の中で反芻してみると、なんだか違う意味に取れそうというか、むしろそっちの意味にしか取れなさそうなことに気づく。
「あっ、いえっ、その、そういう意味ではなくて! 今までのあなたと私のこととか、これからのことを、一度っ……そう、一度! 考えてみるのもいいと! 思った、のだけれど……」
なんだか話がもっとややこしくなった気がする。……もしかして私、喋らない方がいいのでは? 固唾を飲んで比企谷くんの言葉を待っていると、比企谷くんはどこかぎこちない声で、
『よく分かんねーけど……なんか、大事なことなんだな?』
「そ、そうよ……」
全っ然、違いますっ! ごめんなさいっ! 本当にごめんなさい、嘘です、大事なことなんかじゃないです、ただのゲームの話です……。この罪悪感はなに? というか私、冷静に考えたら、比企谷くんに比企谷くんを攻略させようとしてるのよね……それ、なんかもう字面から頭がおかしくないかしら?
頭がおかしいのは私よね。分かってるわ。ちゃんと理解していますとも、ええ、十全に。でも、だって、こんな中途半端な状態で退けないじゃない! 仕方ないじゃない! おかしいのは私でも、悪いのは私じゃないわよ!
「で、では……その、これからいくつか質問をさせてもらうから、それに答えてもらえるかしら」
『……分かった』
震える手でマウスを動かして、会話イベントを開始する。
「……あなたが始めて部室に足を踏み入れたあの日、私はあなたのことを『ぬぼーっとした人』と形容したけれど、あのとき、比企谷くんはどう思った?」
画面には、『そのぬぼーっとした人は?』、『あ、あなたはあのときの……』、『あら、二年F組の比企谷くんじゃない』が選択肢として表示されている。これが比企谷くんとの物語であることを考慮すれば、なにかが始まりそうな『あ、あなたはあのときの……』を選ぶのが正解な気がする。けれど、一度それを選んだときは、その後の選択肢を間違えたのか、なぜか由比ヶ浜さんに告白されたのよね……。
『どう思ったって言われてもな……』
比企谷くんはあの日のことを思い出しているのか、少し間を空けて質問に答える。
『初対面の学内有名人にぬぼーっとか言われてちょっと傷ついた』
「そ、そう……ごめんなさい」
『いや、今更謝られても困るっつーか……』
私は知らず知らずのうちに比企谷くんを傷つけていたのね……いえ、知らず知らず、ではないわよね。あの頃の私ははっきり言って周囲にいる人間がすべて敵に見えていた。攻撃される前に攻撃するしか自身を守る術がなくて……でも、そんなのは誰かを傷つけてもいい言い訳にはならない。
いつの間にか、比企谷くんとの過去をすべてよい思い出として美化していた。それは、自身の罪を忘却しているだけで、私は本当はきっと、誰かを傷つけたことを自覚しながら生きていかなければならないのだわ。それが、自己満足でしかないのだとしても。
「……もし、あのときに私が『あなたのことを知っている』ような口ぶりであなたに話し掛けていたら、今頃どうなっていたかしら」
『はぁ? なんだよそれ』
「だから、その……もっと違う道があったのではないかということよ」
『別にいいだろ、ぬぼーっとした人で。あのときのお前がそういうやつだったことはもう変えられないのに、違った未来なんて考えることに意味があるか?』
「そう、かしら……」
『そうだろ』
比企谷くんがそう言うのならと、『ぬぼーっとした人』を選択する。
それからも会話イベントが発生するたび比企谷くんはあのときのままでいいと言って。
《「ごめんなさい。それは無理」》
《「私、暴言も失言も吐くけれど、虚言だけは吐いたことがないの」》
《「今日は楽しかったわ。それじゃ」》
《「それでも、……今日は来られてよかったわ。無理だと思っていたから」》
《「たとえ禁じ手でも下策でも、お膳立てをしたのは比企谷君よ。だから、誰からも褒められなくても、一つくらい、いいことがあっても許されると思うわ」》
《歩き出した比企谷くんに、私は喉まで出かかった言葉を飲み込んで、それから、ただその背を見つめていた》
……あれで、よかったのか。今でもそう思うことがある。あの日、夏休みが明けて、比企谷くんと顔を合わせたとき、私は自身の虚言を自分の口から彼に伝えるべきだったのではないかと、たまにそんなことを思うのだ。
けれど、私の想いに、比企谷くんは、
『あのとき、お前の言葉を遮ったのは俺だろ。お前がそこでもう一歩踏み出すことが出来なかったんじゃない、俺がその橋を壊したんだ。誰だって嘘を吐く……なのに、お前が、雪ノ下雪乃が嘘を吐くことが俺には許せなくて』
「……誰だって誰かに期待する。あなたに非があるわけじゃないでしょう。原因は私だもの」
『……勝手に期待して勝手に失望するのは、自分勝手だろ。ただ……あのとき、俺はそんな自分を嫌いだと思った。でも、今はそんな自分さえ好きだ。だから、変える必要もない』
変わらなくてもいい、変えなくてもいい。いつもあなたはそんなことばっかり言っている。私も少なからずそれに影響されていて……。
《「今は、あなたを知っている」》
《「あなたのやり方、嫌いだわ」》
《「私には分からない……」》
あのときのことを思い出すと、きゅっと胸が締まって、心が悲鳴をあげる。もっといい選択肢があるのよ。今の私なら、きっとちゃんと受け入れてあげられる。それこそがあなたらしいのよと。嫌いだけれど、それがあなただものねと。なのに、そんな選択肢なんて全て無視して、同じ道を辿れと比企谷くんは言うのだ。
辛い過去も苦しい気持ちもそのままに、過去を自在に変えることなんて出来ないから、その過去があってこその今だからと。
「……これで、いいのかしら」
『いいだろ、別に』
辿り着いたのは今の私たち。けれど、ストーリーはまだ続く。他のルートが卒業まであるのだから、これも卒業まであるのだろうと、先へ進めると、私と比企谷くんが二人で下校するシーンへと切り替わって。
……こういう未来もあるのかしら。それにしても、なんだかここだけ妙に凝ってるわね。ぼんやりとテキストを読んでいると、ゲーム内の私がおずおずと口を開く。
《「……あなたは、私のこと、どう思っているのかしら……」》
「えっ?」
『どうした?』
「い、いえ……」
なにこの急展開!? 今までのことをなぞっただけよ? これからなにかが起きたりするんじゃないの? 違うルートにあったアレコレはどうなるのっ?
私が戸惑っていると、姉さんが本気で描いたのではと思うほど画力の高い比企谷くんの一枚絵が表示されて、パソコンから比企谷くんの声が流れる。
《「……俺は、雪ノ下のことが、好きだ」》
〜〜〜〜〜っ!? なんっ、えっ!? なにこれ! 聞いていないのだけれど! 今の完全に比企谷くんの声……待って、どういうこと? どうしてこれに比企谷くんの声が入っているの? というか、今好きって言った? ひ、比企谷くんが、私のことを……?
『……今の』
「あっ、いえ、そのっ、違うの! ね、姉さんからいきなり送られてきて、仕方なくやっているだけというか! 24時間近くプレイしたりとかしていないし、攻略出来なくて比企谷くんに電話したとかそういうわけではなくて!」
『……あぁ、なるほど』
「あっ……」
完全に暴露してしまった……なんもかんもこのゲームが悪いのよ。私は悪くないわよ。私のせいじゃない、姉さんが悪いのよ。
「……そういえば、どうしてこれに比企谷くんの声が」
『あー……いや、陽乃さんに、頼まれたっつーか、脅されたっつーか』
なにをやってるのよ、あの人……。こんなもの……こんな、このシーンだけ観れたりするのかしら。一日をこれに奪われたのだから、そのくらいの報酬はあって然るべきよね。
「でも、そうなると、これって……本当に比企谷くんが」
『そ、そういうわけじゃなくて、いや、そういうわけじゃないわけでもないんだが……まあ、その、なんでこんな……』
どうやら比企谷くんも混乱しているらしい。用途は説明されていなかったのかしら。するわけないわよね、姉さんだもの。でも、思ってもいないことを言わされたというわけではなさそう、よね……。
「『……あなたは、私のこと、どう思っているのかしら……』」
心臓が破裂しそうだった。こんなに、恥ずかしいのね。よく出来たわね、ゲーム内の私。そりゃあ、テキスト打ち込むだけなのだから出来て当たり前だけれど、それにしたってこんなことを聞くって、自分は好意を持ってますって叫ぶのと同じじゃない。
どくどくと脈打つ鼓動の音を感じながら、比企谷くんの返事を待った。しばらくじっと待っていると、唾を飲むような音が聴こえて、それから比企谷くんの声が耳に届く。
「『……俺は、雪ノ下が、好きだ……』」
嬉し過ぎてどうにかなってしまいそうだった。こんな、ゲームに後押しされてとか、ゲームの台詞をなぞらなきゃ言えないとか、そんなことどうだっていい。想いを伝える手段が特殊でも、伝わる想いに違いはなくて。
「っ……そ、それでは、その、今から、私とあなたは、こ、恋人ということで、いいのかしら」
『……いい、と思う』
「そう……」
一秒でも早くこの気持ちを身体で表現したい。いろんなことがいっぺんにやってきて、眠気なんてどっかに行ってしまった。
「そ、それじゃあ、今日は付き合ってくれてありがとう。そろそろ、切るわね」
『……おう』
電話を耳から離して、ふと、そのこと気づく。よく考えれば、それは不誠実で、この関係を曖昧なものにしかねない。だから、私はそっとマイクに口を近づけて——
「——私も、好きよ。比企谷くん」
そのまま電話を切った。
言ってやったわ……。満足感に包まれてソファに倒れると、はぁーと長いため息が漏れた。
——雪ノ下のことが好きだ。
今しがた聞いたばかりの台詞が鼓膜を揺さぶって、ついバタバタと身体を動かしてしまう。パンさんのクッションで顔を抑えながら存分に溜まったものを発散した。
「〜〜〜〜っ!」
やったわ、パンさん。私、比企谷くんと付き合えたのよ! ゲームをやっていたら比企谷くんと付き合えてしまったわ! 二回よ! 二回も告白されてしまったのよ! あー……、嬉しいー……。
明日からどんな顔で会えばいいのかしら。来週のお休みには一緒にお出かけとか出来るかしら。平日は二人で下校したり出来るのかしら! わぁぁ、楽しみね!
「ふふっ、ふふふふふふふ……」
翌日、緊張して比企谷くんとは一言も喋れなかったのだけれど、その話はまた今度。