雪ノ下さん家の雪乃さん(短編集)   作:夢兎*

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ギャグギャグのギャグ。
※この短編集は、前話や次話との繋がりはなく、違う世界線でのお話を纏めたものとなっております。あらかじめご了承ください。


比企谷、分裂する。

 

 比企谷くんが分裂した。

 

 なにを言っているのか分からないと思うけれど、私にもなにが起きたのか分からない。ただ、経緯だけを説明させてもらうとするなら、『部室にやって来た比企谷くんといつも通りに挨拶を交わしたら、唐突に比企谷くんが二人になった』ということになるのかしら。改めて整理しても、わけわかんないわね。

 

「「なんか用か?」」

 

 私がじっと見ていたせいか、比企谷くんは訝しげな表情を浮かべて首を傾げる。……気づいていないのかしら。それともそれがいつも通りなのか。つまり、いつも私の目に映っていた日常こそが偽物で、本当は比企谷くんはいつも分裂して——そんなわけないじゃない!

 

「い、いえ……その、あなた、なにか特殊能力のようなものがあったの……?」

 

 私が問うと、比企谷くんは「なにを言ってるんだこいつは」みたいな顔になる。どうでもいいけれど、その顔、すっごく腹が立つわね。顔だけで人を苛立たせるとか、立派な特殊能力よ。

 

「「なんだよそれ……疲れてんのか?」」

 

 これが本当のステレオボイス……いえ、そんなことを言っている場合ではなくて。

 

「「つーか、さっきから自分の声が……うぉっ!? 俺!?」」

 

 ようやく自分が二人になっていることに気づいたらしい。慌てる比企谷くんを見ていると、少しだけ冷静になれた。まあ、私が冷静になったところで意味はないのだけれど……それにしても珍現象としか言いようがないわね。なにが起きたら人間が唐突に二人になるのかしら。

 

 なにか変なものを食べたとか……そんなことで二人になったら今頃大騒ぎになっているわよね。だったらなに? 特に理由もなくいきなり二人になったの? それとも俺の中の隠された力が目覚めてしまったの?

 

 ……理由なんてなんでもいいわ。重要なのは比企谷くんが二人いる、ということよ。

 

「と、ところで、比企谷くん……」

「「なんだ?」」

 

 分かっている。分かっているのよ、こんな緊急事態にそんなことを、なんて。けれど、仕方がないじゃない。だって、比企谷くんが二人いるのよ?

 

 ほ、ほら、こんなのが二人もいたら、小町さんの心労も絶えないでしょうし、そういう意味で、あくまでもそういう意味で、ね。小町さんにはいつも部員のメンテナンスを任せてしまっているのだから、ここで部長である私が一肌脱ぐのは当然といえば当然なわけだし? だから、そう、これはなにもおかしなことではないのよ。本当に。

 

「二人もいるのだから……一人くらい私が貰っても、いいわよね……?」

 

 ああ、間違いない。私は今、頭の悪いことを言っている。

 

        × × × ×

 

 そんなこんなで比企谷くんを一人私の家で預かることになった。比企谷くんにはとても反対されたけれど、二人いるのでその勢いも二倍だったけれど、なんとか言いくる……説得して、勝利を収めることに成功した。ゆきのん大勝利! ……こほん。

 

「ほら、上がって」

「お、おう……」

 

 戸惑いながらも私の部屋へと上がる。さて、どうしようかしら。比企谷くんはもう一人いるのだし、情報漏洩にさえ気をつければ、私がこの比企谷くんになにをしようと問題ないのよね。

 

「……とりあえず、お風呂にでも入りましょうか」

 

 やることをやって、さっさとゆっくりしたい。貯めたほうがいいかしら。

 

 そんなことを考えながら玄関から歩き出すと、比企谷くんが着いて来ていないことに気づいた。不思議に思って振り向けば、そこには顔を真っ赤に染めた比企谷くんがいて。

 

「——あ、ええと、そのっ、そ、そういう意味ではなくて! 流石にそれはまだ早いというか、違っ……あ、の、お風呂、入って来たらどう……?」

「……おう」

「た、貯めたほうが、いいかしら」

「いや……シャワーでいい、です」

「そう……」

 

 浴室に消えていく比企谷くんを見送って、ソファに置いてあったパンさんクッションに顔を埋めた。

 

 あぁぁぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁああっっっ!!! 恥ずかしいっ! 恥ずかし過ぎて死ねるわ……。だいたい比企谷くんも比企谷くんよ。そんなこと、いちいち訂正しなくても分かるのに……もしかして、一緒に入りたかったりするのかしら。

 

 いや、いやいやいや、それはいくら比企谷くんでもまだ早いというか、私にも心の準備とか段階を踏んでとか、そういう気持ちがあるわけで。もちろん男子高校生がそういうことに興味があるのは知識として知ってはいるけれど、というか、私も興味はあるけれど! 興味があるのと、実際にするのとでは全然違うのよ!

 

 ……え、行ったほうがいいのかしら。い、行かなくていいわよね? 私は私で夕食の支度をしなければならないし、だいたいまだ付き合ってもいないのにそんなこと……まあ、もう比企谷くんは私のものみたいなところはあるから、付き合う付き合わないなんて些事なのかもしれないけれど。それはともかくとして、初めて私の部屋で二人きりになったら、途端にそんな関係になりましただなんて、いくらなんでも不健全すぎると思うのよ。だから、ここは黙って夕食を作るのが正解よね。はい、正解!

 

 すくっと無心で立ち上がって冷蔵庫を開けた。今日はもともとオムライスを作る予定だったけれど、食材は足りるかしら。

 

「……問題なさそうね」

 

 ただ、これから二人で暮らしていくことを考えると、残りが怪しい。これは明日にでも比企谷くんを連れて買い物に行けばいいでしょう。台所に食材を並べて、調理を開始する。オムライスを作り終えて間もなく比企谷くんはお風呂から出てきて、お皿をダイニングテーブルへと運んだ。

 

「どうぞ」

「……おう」

 

 おうしか言ってないわよ、あなた。緊張する気持ちも分からないでもないけど、もう少しリラックスして欲しいわね。なにか、リラックス出来るものあったかしら。

 

「……猫動画でも見る?」

「は? なんで……?」

「緊張、しているようだったから……」

「ああ……いや、猫動画は大丈夫だ。悪い」

 

 猫動画を断るなんて……どういう精神をしているのかしら。それとも猫を飼っていると、猫動画なんてという感覚になってしまうの? ずるい。

 

「そう。では、食べましょうか」

「いただきます……」

 

 二人揃ってスプーンで掬ったオムライスを口へ運んだ。まずまずの出来ね。この味なら比企谷くんの胃袋を掴むのも難しくないと思うのだけれど、判定は如何に……。ちらと比企谷くんを一瞥すれば、比企谷くんは頬を綻ばせていて、内心ガッツポーズ。

 

 やったわ雪乃! 私の謎の才能はこのときのために用意されたものだったのね!

 

「うまいな……」

「お口にあったようでよかったわ。明日からも、私が手料理を振る舞うから、楽しみにしててね?」

「……お、おう」

 

 本日何度目かのおう。日本に留学する予定の外国人には「おう」を覚えておけば、だいたいなんとかなると教えておきたいわね。貧弱なボキャブラリーもここまで来るとかわいく思えてくる。

 

「お弁当とか、作ったほうがいいわよね」

「いや、そこまでしてもらうのはな……」

「遠慮しなくていいのよ。あなたを預かると言ったのは私なのだから」

「そうか……?」

 

 控えめな問いに頷きを返した。私が作りたいのよ。私が比企谷くんのお弁当を作って、比企谷くんに食べてもらいたいの。だから、いいのよ。

 

 なんて、そんなことが言えたらよかったのだけれど、生憎とこの口はそこまで素直には出来ていない。

 

「ええ。だから、嫌いなものを教えておいてもらえるかしら」

 

 比企谷くんはしばらく考えるように首を捻って、それから口を開く。

 

「トマト……くらいだな。まあそんなたいしたものを食って生きてきたわけじゃないからアレだが、一般的に食べられてるものなら基本的に問題ないと思う」

「そう。ありがとう」

「いや……こちらこそ」

 

 そうして、またオムライスを食べ始める。ずっと一人で食べていた夕食は、いつもの数倍美味しく感じられて、特に会話があったわけでもないのに言葉に出来ない気持ちが胸を満たす。こんな日々が、これからずっと。それ、結婚してるのとなにが違うのかしら。

 

 いいえ、きっとそこに違いなんてないのよ。籍を入れていても離れている夫婦がいるように、籍を入れずとも時間を共有する男女もいる。書類そのものにたいした意味なんてなくて、だから私は今日から比企谷雪乃。Q.E.D. 証明終了。

 

        × × × ×

 

 夕食を食べ終え、シャワーを浴びてからソファに腰掛ける。隣には比企谷くんがいて、そっと頭を肩に乗せた。びくりと動いた比企谷くんがかわいくて、ついつい笑みが漏れてしまう。

 

「……ゆ、雪ノ下さん?」

「なぁに?」

「ち、近過ぎじゃ、ないですかね」

「そうかしら。前からこんなものだったと思うけれど」

 

 言って、所在なさげにしていた手を掴んだ。抵抗とも呼べないような力で逃れようとする手に指を絡めると、次第に大人しくなる。素直でよろしい。

「これからあなたと暮らしていくのだから、親睦を深めないとね」

 

「……これは、親睦とは違うんじゃ」

「なら、親愛にしましょうか」

「っ……ほんと、勘弁してもらっていいですか」

「ふふっ」

 

 たじたじな比企谷くんも悪くはないけれど、これ以上は少しかわいそうかしら。なんて思いつつも、離れるのは惜しくて、そのままじっと静寂の中お互いの鼓動だけを感じる。

 

 まさか、比企谷くんとこんなことになるなんて、昨日の私に言っても信じてもらえないわね。もう、妄想の中だけじゃないのよ。これからは比企谷くんになんだって出来るのよ。あー……幸せ。

 

「そろそろ、寝る?」

「そうだな……」

 

 疲れきった表情の比企谷くんには悪いけれど、ここからもまだ疲れてしまいそうな案件があるのよね。でもそれは私のせいではないというか、比企谷くんがいきなり二人になるから悪いのよ。

 

「布団が足りないから、狭いけれど私のベッドで一緒に寝ましょう」

「はぁっ!? いやいや、無理……無理だから。まじで無理」

「……そんなに、嫌、かしら」

 

 そこまで勢いよく拒否されると、結構傷つくのだけれど。ちょっと視線を下げていると、比企谷くんは二回ほど咳払いをして、それから改めてお断りをしてくる。

 

「いや、ほら、狭いと悪いし……な? 俺はソファとかでいいから、本当に。嫌とかじゃなくて」

「私は構わないわよ。責任を持ってあなたを預かった以上、ソファで寝させるわけにはいかないわ。あなたがどうしてもというのなら、私がソファで」

 

 しばらくの沈黙。言葉が浮かばないのか、なにか言いたそうな表情のまま固まった比企谷くんは、長いため息を吐いて渋々ながら了承の意を示す。

 

「……分かった」

 

 分かってもらえてなにより。二人で寝室へ向かい、私の隣に比企谷くんが横になる。……背を向けたら顔が見れないじゃない。残念だけれど、そこまで強制して出て行かれては困る。大きな背中を見ているのも悪くはないし、今日はこれで我慢してあげましょう。けれど、ゆくゆくは……。

 

 比企谷くんの温もりを感じているうち、まぶたが重くなってくる。明日の朝食はなににしようかしら。日用品はコンビニで買ったけれど、他にも必要なものとからあるのかしら。そんなことを考えていたら、いつのまにか意識は落ちていた。

 

        × × × ×

 

 朝、まぶたを持ち上げると妙な違和感を覚える。はっとなって隣を見れば、比企谷くんの姿がなかった。寝室から飛び出て探し回っても、比企谷くんはどこにもいない。まさか、夢……? あの異常性を考えたら、夢だったとしてもおかしくはないけれど。それにしてはあまりにリアル過ぎた。

 

 どこかへ行ってしまったのか、あるいは……。その日は一日中そんなことばかりを考えていて、いつのまにか放課後がやってくる。部室でそわそわしながら紅茶を飲んでいたら、からりと開いた扉の先に、比企谷くんはいた。

 

「よう……」

 

 どこかぎこちない挨拶。やっぱり、夢ではなかった……? でも、だとしたらもう一人の比企谷くんはどこへ行ったの? 薄々気づきつつある答えから目を逸らしながら、とりあえず挨拶を返しておく。

 

「こ、こんにちは」

 

 いつも通り椅子へと座った比企谷くんは、ちらちらと私へ視線を送って、それから意を決した様子で口を開く。

 

「ゆ、雪ノ下……その、もう一人の俺の件なんだが」

「……なにかしら」

「朝、いなくなってたり、しなかったか……?」

 

 その質問に、ああやっぱりと口の中で嘆息してしまう。予想は完璧に的中していると思っていい。そうよね。むしろ、なんでその可能性に気づけなかったのか。

 

「多分……戻った、と思うんだが」

 

 突然二人になったんだから、突然一人になってもおかしくない。そして、二つのものが一つになったということは、もちろんそういう可能性もあるわけで……。

 

「……記憶、も」

 

 顔が見れない。バカなの? バカなの昨日の私! なに調子に乗ってるのよ! いろんなリスクを考慮した上で行動を起こすなんて、そんな当たり前のことも出来ないなんて! どれだけ浮かれてたのよ……。

 

 ああ、もう、どうするのよこれ。どうするのよ! 死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい忘れて忘れて忘れて忘れて。なにか、こう、人の記憶を消せる薬物とか、ないのかしら……。

 

「ゆ、雪ノ下……?」

「……忘れて」

 

 

        ×おわり×


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