※この短編集は、前話や次話との繋がりはなく、違う世界線でのお話を纏めたものとなっております。あらかじめご了承ください。
「雪ノ下雪乃のかわいいところを十個挙げなさいっ!」
なにか頭のおかしな台詞が聴こえた気がした。恐らく気のせいだろう。黙って皿に箸を伸ばすと、ひょこっと覗き込むように邪悪な顔が視界に映り込んで来た。
「雪ノ下雪乃のかわいいところを十個挙げなさい!」
「……姉さん、なにを言っているの? とうとう頭のネジが飛んだのかしら」
というか、どうして私の顔を覗き込んだの? 覗き込むべきは比企谷くんの顔でしょう。それはそれで腹が立つけれど。
「お前と意見が合う日がくるなんてな……ちっとばかし癪だが全面的に同意」
二人で白けた視線を送っても、当の本人は全く気にした素振りを見せず、なんなら爆笑する始末。我が姉ながらどうしようもないわね……。
「雪乃ちゃんも比企谷くんもひっどーい。ほら、比企谷くん、はやくはやく〜」
「姉さん、いい加減にしなさい……いくらお酒が入っていると言っても限度があるわよ」
だいたい、これと飲みにくるといつもそうよ。いつもいつも私の困ることばかり……今日だって誕生日を祝うというから来たのに、着いたら比企谷くんが座っているし。
「そんなの負けた比企谷くんが悪いじゃーん。わたしと雪乃ちゃんが勝って、比企谷くんは負けた。だったら従わないとねぇー? 最下位は一つずつ言うこと聞くって約束だもんね〜?」
「ぐっ……」
「ごめんなさい……私のせいで」
私が最下位になっていれば、今より状況はマシだったはず。というか、私が姉さんの安い挑発に乗っていなければこんなことにはなっていないのよね……。
「別に、お前のせいじゃねぇだろ……この人がこうなのは、いつものことだ」
「否定できないのを喜べばいいのか恥じればいいのかわからないわね……姉が迷惑をかけるわ」
比企谷くんはうんざりした瞳で姉さんを見て、はぁとため息を溢す。……なんで誕生日にこんな目に遭わなければならないのよ。
「あーっ! 二人で内緒話してるぅ〜! ひゅーひゅー! ラブラブで羨ましいなぁ〜」
「なっ……! だ、誰と誰がラッ、ラブ……」
一気に顔が熱を持ち、店内の暖房と相まってなんだか暑苦しくなってくる。
な、なにを動揺しているのよ。動揺する必要なんてないじゃない。ただの戯言よ、戯言。私と比企谷くんはそういう関係ではないし、そうなる予定も、そうなりたいという気持ちもないのだから。ほ、本当よ……?
ちらと横目で比企谷くんを盗み見ると、彼の頬も赤らんでいてより暑さが増した。
「ねぇ、まーだぁー? 待ってるんだけど〜?」
「……いや、それは」
比企谷くんが目を逸らしながら拒否しようとすると、姉さんは相変わらずにたにたと寒気のする笑顔を浮かべて追い討ちをかける。
「ふぅん。そっかー、そうなんだー」
「姉さん? なにを……」
「言えないってことは……雪乃ちゃんにいいところなんてないってことだよねー?」
「えっ……」
そんな言葉、ただ比企谷くんをその気にさせるための挑発でしかないってわかっているのに、なぜか心は痛んで。恐る恐る目を向けた先の彼に淡い期待を抱いてしまったけれど、彼がそんなのに乗せられるはずもなく。
「……いや、なんでそうなるんすか」
それはまるで姉さんの言葉に同意しているようで、つい俯いてしまった。目敏く見つけた姉さんが、私をネタに騒ぎ始める。
「あー、比企谷くんが雪乃ちゃん泣かせたー! いいところなんてないとか言うからー」
「な、泣いてないわよっ」
「ていうか、それ言ったのあんただろ……」
比企谷くんの必死の抵抗も虚しく……というかそもそも抵抗したくらいでどうにかなるのなら困っていないのよね。
「でも言えないじゃない? 言えないってことはぁー、雪乃ちゃんなんてかわいくないって言ってるのとおんなじだよー?」
……何回も何回もいいところがないとかかわいくないとか、よく考えなくてもこれすごく失礼なことを言われてるんじゃないの?
「そんなこと言ってないでしょ……」
「でもそういうことじゃん」
「いやだからなんでそう……」
「あーあ、雪乃ちゃんかわいそうだなー!」
かわいそうじゃないわよ! 誰のせいでこんなことになってると思ってるのよ、この女!
「言えないの?」
「……うっ」
「こんなのの口車に乗らなくてもいいわよ」
「言えないんだ?」
「……っ」
「ふぅーん、じゃ、やっぱり比企谷くんは雪乃ちゃんなんてかわいくないって——」
「あー、もう、しつけぇな! 言えばいいんだろ、言えば!」
「えっ!?」
嘘でしょ、え? 言うの? なんで? なんで姉さんの思う壺にハマろうとするの?
「さっすが比企谷くーん! じゃ、はい、いーちっ!」
「え、ちょっ、姉さんっ!?」
「……パンさんのことになると人が変わるところ」
待っ……え? バレ……いえ、ちょっと待ちなさい、落ち着くのよ、ほら、落ち着いて素数を数えるの。素数は一と自分の数でしか割ることの出来ない孤独な数字……私に勇気を与えて、くれるわけないじゃない! 素数なんて数えたって現実逃避になるだけよ!
「いつから……い、いつから知っていたの」
気をつけているつもりだったのに! バレていないと思っていたのに! ……本当にいつバレたの?
「いや……まあ、最初から」
「……嘘よね?」
私の問いに比企谷くんは気まずそうに視線を逸らす。
無言は肯定なんて言うけれど、それにしたって彼の態度はあまりにも分かりやすい。そして、それは同時に私の分かりやすさの肯定にもなる。否定できないほど……ということ、よね。
「はいっ、にーっ!」
「あー、えっと……猫が好きでにゃーとか言って話しかけちゃうところ、とか?」
「待って」
いえ、特別おかしくはないのよ? ほら、一度見られてしまったこともあったし……一度だけだったかしら? 回数なんてどうでもいいのよ!
なんでそんなことをいちいち覚えているの? 意味が分からないのだけれど、というか忘れて欲しいのだけれど! だいたいそんなののどこがかわいいのよ、頭おかしいだけじゃない! 私の頭はおかしくないわよ!
……なに? これがあと八回続くの? なにそれ、地獄かなにか……?
「ね、ねぇ……もう、やめましょう? ほら、その、十個もあるとは思えないし」
私の提案に流石にかわいそうだと思ったのか、姉さんは思案顔になる。……これなら、なんとかなりそうね。
ふぅと息を吐くと同時、姉さんはにたりと口もとを歪めて、
「だーめ♡」
こ、この女……っ! 覚えていなさい、この恨み、いつか絶対に晴らすわよ……。
「それじゃ、三つ目いってみよっかー!」
「……クールを装っている割に、なんだかんだで断りきれないところ」
「べ、べ、別に装ってないわよ!」
「そうだよねー、雪乃ちゃんは人との接し方が分からないコミュ障なだけだもんね」
「誰がコミュ障ですって!?」
言わせておけば……人のことをコミュ障呼ばわりなんて、いい度胸してるじゃない。
「……自分だってまともに人間関係築けないくせに」
「んん〜? 今なんか聞こえた気がしたけど……」
「あら、耳まで悪くなったの? 会話が成立しないのも頷けるわね」
ふんっと鼻で笑ってみせると、姉さんはまたも底意地の悪そうな笑みを浮かべる。……嫌な予感しかしないのだけれど。
「ふぅん、そういうこと言うんだー。よし、比企谷くん、よーんっ!」
「この空気で続けんのこれ? ……たまに見せる、柔らかい笑顔が、その、かわいい」
んんんんんんんんんんっっっ!?!????!?!?
「……ひ、ひき、がや、くん」
「顔抑えてどうしたんだお前……」
こんな顔見せられるわけがないでしょう!
「き、聴こえなかったから、も、もう一回……」
「は? ……たまに見せる笑顔が、か、かわいい?」
「……っ!」
あぁぁぁぁああああああっ! なんなの! なんなのっ!? 私を殺すつもりなのっ!?
「あ、あなた、いつもそんなことを思っていたの……?」
「いや、いつもっつーか、まあ、その……おぅ」
「んふ」
「んふ……?」
「なんでもないわよ!」
意図せず変な笑いが漏れてしまったけれど、そうね、そう……そういうこと。悪くないじゃない。地獄は地獄のままだし現在進行形で死にそうになっているけれど、アリよ、アリ。
「で? 雪乃ちゃん? やめたいんだっけー?」
「続けることを許可するわ」
「いやなんで?」
いいからさっさと五つ目に移りなさい。迅速に、よ。……というか、本当にあと六つもあるの? あるとしたらそれってつまりそういうことなんじゃないの? 比企谷くんってもしかして私のこと……んふふ、ふふふ。
「だ、大丈夫か、雪ノ下?」
「大丈夫よ、早く次」
「じゃあ、五つ目どうぞ!」
「……その、一つ前と似てるっつーか、あと自意識過剰かもしれないんだが……俺と言い合ってるときの意地の悪そうな笑顔が、まあ、なに、好き、みたいな……」
「好き!?」
え、なにそれ、告白? 今の、告白よね? 誰がどう見たって告白でしかないわよね!? 待って……待って、私もまだ心の準備が出来てないというか、本当に待って。
「いや笑顔がな、あくまで笑顔がだから……」
……そんな強調しなくてもいいじゃない。なによ、笑顔が好きって、それ以外嫌いってこと? 私だって比企谷くんのことなんてき……ま、まあ、嫌いではないわね。ええ。
「笑顔がなんなのよ」
「だから、好きだって言ってんだろ!」
「……私も」
「は?」
「な、なんでもないわ」
あ、危なかった……。勢いにつられて告白するところだったわ。いえ、別にそういう対象でないこともないわけでもなくはないから、告白なんてしようがないのだけれど。
本当に。嘘じゃなくて。
「あぁ、くそ死にてぇ……」
顔を覆ってぼやいている比企谷くんには申し訳ないけれど、中止は不可よ。残念だったわね、あなたは私の好きなところを上げ続けるしかな、い……かわいいところだったわね、つい願望が、いえ望んでなんていないけれど。
「はいはい、どんどんいくよ〜。ろーくっ!」
「……これも似たようなもんだが、由比ヶ浜とかの頼みを聞くときの仕方なさそうな笑顔が……」
中途半端なところで留めた比企谷くんに恨めしげな視線を送ってしまう。……なんで最後まで言わないのよ、笑顔がなんなのよ、ちゃんと言いなさいよ。
じーっと見つめていると、比企谷くんは諦めたように息を吐いた。
「……かわいい」
「……好き?」
反射的に訊ねると、比企谷くんは恥ずかしそうに手で顔を覆って頷く。
好き……好き……ふふふ、そう、そうよね。比企谷くんは私のことが大好きなのよね。そういうことなら仕方ないから、私ももう少し素直になってあげてもいいわ。だって、これでは不公平だものね。
「比企谷くんは私の笑顔が好きってことでいいのよね」
「……別に笑顔だけってわけじゃなくてだな、拗ねたりするところもかわいいと思うし——あぁ、いや、今のは、今のが七個目ってことで、いいよな……?」
「し、仕方ないわねっ、いいでしょう。で、では、八つ目を……」
不意打ちの攻撃にたじろぎながら促すと、比企谷くんは私の顔を一瞥して口を開く。
「……そうやって、顔赤くしてるところ、とか」
ばっと慌てて顔を覆ってももう遅い。ちらと指の隙間から覗いた彼は苦笑していて、しぶしぶ手を膝に置いた。
「ちょっとちょっと、お姉さん置いて——」
完全に存在を忘れていた姉さんが声を出すと、同時に誰かのケータイが鳴り響く。
「あ、わたしのだ。うわ、静ちゃん……」
「……平塚先生?」
私が疑問に思っているうちに姉さんは電話に出る。
「もしもーし。え? 今から? いや、今はちょっと……えぇー、また今度じゃだめなの? あー、また合コン……でも今日は。え? あぁ、うん。あー、もうわかった! 行くから! はいはい、待っててね!」
通話は終わったのか、スマホを耳から離してため息を吐くと、姉さんは立ち上がる。
「ごめーん。ちょっと呼ばれちゃったから、後は二人で楽しんで。お金、ここに置いとくから余ったら好きに使ってね。じゃ、ばいばーい。比企谷くん、またねっ」
「……はぁ、また」
慌ただしく去って行く姉さんを見送って、テーブルには沈黙が訪れる。一旦間を空けてしまったせいで、今更になって恥ずかしさがこみ上げてきて、さっきから顔を逸らしたままになってしまっている。
……どうするの、この空気。いっそ残りの二つも聞いてみる? いえ、でももう姉さんはいないのだから、やらなくてもいいと言われてしまえばそれまでよね。
「……雪ノ下」
「ひゃ——は、はいっ」
急いで顔を向けると、比企谷くんもこちらを見ていて、ばっちりと視線が合ってしまう。……な、なんか逸らしづらいわね。
「どうする……?」
「そ、そうね……えっと、お腹は」
「結構食ったし、もう腹いっぱいだな。お前は?」
「ええ、私も」
そうなってしまうと、選択肢は帰宅くらいしかない。
せっかく誕生日に比企谷くんと二人きりなのに、このまま帰って後悔しないかしら……そんなことを考えている時点で答えは分かっているようなものよね。
「あ、あのっ」
「……なんだ?」
「わ、私の家に行くというのは、ど、どうかしら……?」
「どうって……もう夜だし」
ああ、もう、察しなさいよ! 私が恥ずかしさを堪えて誘っているのに、この鈍感! 無意識に睨んでいたのか、比企谷くんは少し悩んだのちに何度か咳払いをする。
「ま、まあ、お前がいいなら……」
× × × ×
「あ、上がって……」
「おう……」
二人でリビングに入って、上着を脱いだり酔い覚ましに温かい紅茶を淹れたりしてから一息つく。
「ふぅ……なんだか、疲れたわね」
「そうだな」
顔を見合わせて苦笑してしまう。やっぱりまだ恥ずかしいけれど、落ち着くとそれもどこか心地いい。
「そういえば」
言って、比企谷くんは紙袋をテーブルに乗せる。
「誕生日プレゼント。まだ渡してなかったろ」
「え、あ……ありがとう。開けても、いいかしら?」
「ああ」
紙袋を受け取って中から箱を取り出す。
「……これ、ディスティニーランドの?」
首を傾げながら箱を開けると、そこにはパンさんをモチーフにしたネックレスが納められていた。
「え……っと、あの、これを、私に?」
嬉しいは嬉しい。一生大切にするし、着けるのが怖いくらい。けれど、比企谷くんにしては大胆というか……。
「いや、その、ネックレスがいいって、その、陽乃さんが。デ、デザインは俺が選んだんだが……気に入らないなら——」
「ううん、嬉しい……本当に」
姉さんが、という部分にちょっと不満がないこともないけれど、比企谷くんがあの姉さんに聞くくらい悩んでくれたのだと思えば、それはそれで嬉しいし。
「そ、そうか……誕生日、おめでとう」
「ええ、ありがとう。ねぇ、よかったらつけてくれないしら?」
「……わかった」
立ち上がって比企谷くんにネックレスを渡すと、比企谷くんは私の後ろに立って首にネックレスをかける。問題なく着け終えて、彼と向かい合った。
「ね、どう?」
「……似合ってる、と思う」
とても比企谷くんらしい言葉に自然と笑みが溢れる。
「ふふ、ありがとう」
このタイミングだと思った。ここしかないと思った。
「ねぇ、比企谷くん。あなたは今日、ゲームで私と姉さんに負けたわけだけど、私の分はまだ残ってるわよね」
「……まあ、そうなるな」
「なら、一つだけ答えて」
視線が交じり合う。お互いにここだと、今このときだと感じている。そういう確信が私にはあって、だから私は、彼が好きだと言ってくれた意地の悪い笑みを浮かべて、
「——雪ノ下雪乃のことをどう思っているのか、答えなさい」
彼は面食らったみたいな顔をして、しばらく固まったのち、答える。
「——雪ノ下雪乃が好きだ。付き合って欲しい」
言われた瞬間、その唇を塞いだ。私の唇で彼の心に封じ込めた今の言葉、これから先絶対に忘れたとは言わせない。それはまるで、誓いの口づけのようで。
「今のが答え……私も好きよ、比企谷くん」
「……十個で足りるわけ、ねぇんだよな」
言われた言葉の意味が分からず、首を傾げてしまった。
そんなある年の誕生日。
了