※この短編集は、前話や次話との繋がりはなく、違う世界線でのお話を纏めたものとなっております。あらかじめご了承ください。
超能力。分厚い壁の向こうにあるものを動かずに知覚するだとか、手を触れずに物体を移動させるだとか。科学では説明できない能力のことを総じてそう呼ぶ。
異常な能力でありながら、その存在はテレビのバラエティ番組や小説、アニメを通じて広く知れ渡っており、超能力とはなにかと問われれば、誰もが先と似たような解答をするだろう。まあ、バラエティ番組の超能力に関してはヤラセだろうというのが、俺の認識だが。
それはともかく、そもそもどうして俺がこんなことを考えているのかについてだ。超能力なんてバカげた空想について思索に耽っていたのには、もちろん理由がある。
ちらと視線を動かせば、ハーフアップにした黒髪を微かに揺らして読書をする女生徒が瞳に映った。
容姿端麗、文武両道、才色兼備、ありとあらゆる褒め言葉を並べてまだ足りない。総武高校一の美少女にして謎の部活の部長——雪ノ下雪乃。
……なんだこのラノベ感は。それに加えて毒舌だってんだから、まるで戦場ヶ原みたいなやつだ。これで筆記用具を凶器として隠し持っていたりしたら、親しみを込めてガハラさんと呼ぼうか迷うまである。そんな呼び方をした暁には並みのぼっちなら死んでしまう口撃を受けること必至なので、絶対に言わないが。
で。
そんなガハラさん、もとい雪ノ下なわけだが、ここ最近こいつと会話をすると妙な現象が起きるようになった。……いや、現象というか、幻聴というか。
そんなことを考えながらぼうっと雪ノ下を見ていると、椅子の端と端とはいえ流石に気づいたのか、雪ノ下はぱたんと本を閉じる。
「……さっきから、不躾な視線を感じるのだけれど、なにか用かしら?」
(わーい、今日は比企谷くんに自分から話しかけられた! ふふっ、髪型を変えたおかげで話し掛けるきっかけを作れたのがよかったわね! 昨日の私を褒めてあげなくちゃ!)
「……ああ、いや、悪い。その髪、珍しいと思ってな……」
というわけである。というわけもなにも、自分でも整理しきれていないから、どういうわけなんだってばよって感じなんだが。……いやほんとにこれなに?
「ああ、そうね。そういえば、今日は髪型を変えてきたのだったわね。あなたに言われるまで忘れていたわ。……あなたが見惚れてしまうのも無理はないけれど、つい通報しそうになるから抑えてもらってもいいかしら?」
(あー、もう、ダメよダメ! 比企谷くんが私を見てくれるのはとーっても嬉しいけれど、そんなに見られたら嬉しくて死んでしまいそうになるからダメ!)
冷たい声に反して、ワンテンポ遅れて頭に響いたそれは喜色満点で、必至に堪えないと頬が緩む。
いや、分かってはいる。分かってはいるんだ。普通に考えたらこんなのは幻聴で、あの雪ノ下がこんなことを考えているだなんてありえない。いつも毒舌を吐かれて俺の心が疲弊し生み出した産物である、というのがこれを初めて聴いたときの俺の見解である。
おかしな点があるとすれば、別に俺はこいつの毒舌に疲れてもいなければ嫌気も差していないということと、こんな風になればいいと想像したことすらないのにいきなり脳みそがそんなお節介を焼くのかということくらい。
我ながら穴だらけの見解で笑ってしまう。……とにかく、こんな声が聴こえたからといって「俺に唐突に読心術が宿って、雪ノ下の心の声が聴こえるようになったんだ」なんてところまで勢い余って考えたりはしなかった。
しかし、数日の検証によって導き出された答えはまさにそれそのもので、俺はどうすればいいのだろうと悩んでいるのが今の状況というわけだ。こうして脳内でいもしない誰かに語りかけてる時点で、俺の焦りも窺える。
……まじでどうしよう。
「比企谷くん、聴いているの?」
「あ、あぁ、聴いてる聴いてる。死なれるのは困るし、なるべく抑えるようにするわ……」
「えっ?」
「え……?」
……あれ? これもしかしなくてもやっちまったんじゃねーの?
「あ……あー、ほら、俺の腐った目で見てたらお前まで腐っちまうみたいな、そういう意味な」
「え、あ、そ、そういう意味ね……そうね、自覚があるのはなによりだわ」
(びっくりしたー! 口に出してしまったのかと思ったわ……あー、びっくりした。それより比企谷くんの自虐癖には困りものね。あなたの瞳も、私はすごく好きなのに……)
うぐっ。……なんだこれ、地獄か? すごく好きなのに、じゃねーよ。恥ずかしいから本当にやめてもらっていいですか。マイエンジェルゆきのんが今日もしんどい……天使は二人いたのだ。
雪ノ下と初めて話したときは、なんなんだこの冷酷無比毒舌高飛車女は……と憤慨した記憶があるが、それも今ではガラッと変わってしまっている。
というのもこいつ、実際にはそんなに悪いやつでもないのだ。近寄り難いのは言わずともだが、部活に入ることで話すようになり、依頼をこなしていくうちに雪ノ下雪乃という女のことを俺は多少理解できたつもりでいる。……この惨状を見るに、本当に多少だったようだが。
ともあれ、そうやって時間をかけて形作られた俺の中の雪ノ下は、冷酷でも冷徹でもなくて、それなりに自信がなくて、猫とパンさんが好きで、毒舌を除けばはっきり言ってただ頭のいいだけの女の子になった。
美辞麗句が雁首揃えて土下座するような圧倒的美少女だって、女の子なのだ。そんなの当たり前のことで、うわべだけを撫でるような言葉なんかじゃ人間性は分かりやしない。
言葉の放つ煌びやかさと華やかさが雪ノ下雪乃を隠してしまうから、俺はこいつのことなんてなにも知らなかった——でも。でも、顔を合わせたから、言葉を交わしたから、同じ空間で過ごしたから、今なら、こう言える。
——今は、雪ノ下雪乃を知っている。
「比企谷くん、なんだか今日はぼうっとしているわね」
(私の話、つまらないのかしら……さっきから全然こっち向いてくれないし。私が言い出したことだけれど、なにもそこまで頑なに逸らしておくことないじゃない。……はーあ。もっと、お話ししたいなぁ)
文字通り、心の中まで。
× × × ×
という感じで締めて、パッとこの現象が止まればよかったのだが、どうやら止まってくれないご様子。由比ヶ浜が三浦たちと遊びに行ってしまったせいで二人きりなため、ぶっちゃけ居心地が最悪である。八幡もうお家帰りたい。
「ちょっと、悩みがあってな……」
「あら、あなた悩むことが出来たの? まるで人間のようね。やるじゃない」
(……悩み? 比企谷くん、大丈夫かしら……体調を崩して学校を休まれたりしたら困るのだけれど)
「あり……俺が人間じゃない前提で話を進めるのはやめろ」
心の声が俺に優し過ぎてついそっちに反応したくなる。鞭で叩かれながら飴を舐めさせられている気分。同時にやんな、分けろ。
「大丈夫、今からでも人間になれるわ。丁度、ここは奉仕部。悩みを話してごらんなさい」
(今なにか言葉に詰まらなかった? もしかして結構深刻な悩みなのかしら……不安だわ。この人、黙って抱え込む癖があるし、大事になる前に聞き出しておかないと)
なんでこんなに優しいのゆきのん。ゆきのんが優しいのってガハマさんといろはすにだけじゃなかったの? いや、さっき思った通り、俺だってこいつがただの冷徹女だなんて思っちゃいなかったよ?
こちらを労わろうという気持ちを感じたことはあったし、俺の身を案じるような言葉を掛けられたことだってある。だから、雪ノ下が実はとても優しい女の子で、あの毒舌や態度は自己防衛のためであったと言われれば、納得できないこともない。
しかしだ。しかし、これはいくらなんでも、その、なんだ……デレ過ぎじゃないですかね。うわぁぁぁあああああ! 死にたい死にたい死にたい死にたい。同級生の女子に優しくされて、「こいつ俺にデレ過ぎだろ」なんて反応していいの中学生までだから! 俺の中学時代の話はやめろ! 俺が死ぬ!
何気ない黒歴史が、八幡を傷つけた。
「いや、大丈夫だ……たいしたことじゃないから」
本当に。たいしたことじゃないんで。ていうか、お前の心の声が聴こえてきて平静を保つのが難しいとか、そんなこと言えるわけねーだろ、いい加減にしろ!
……はぁ。まあ、とはいえ、個人的には都合のいい話ではある。こうして雪ノ下の気持ちが聴こえるようになったおかげで、俺の中でストップをかけていた感情が表に出しやすくなった。
後ろめたさや、罪悪感みたいなものはないとはいえない。だって、それじゃまるで、相手が自分に好意を持っていることが分かったから告白したみたいだから。
……まるでもなにも、その通りだな。そもそも俺は、誰かに好意を抱いたところで、告白なんて出来る人間じゃない。何度も勘違いして、何度も痛い目にあってきた。もう二度とあんな間違いは繰り返さないと誓った。
だから、どれだけ優しさを向けられてもそれはそいつ自身が優しいだけで俺に優しくしてるわけじゃないんだと思えたし、勘違いも避けてこられた。
故に、それが勘違いではなくても、たとえ俺自身の純粋な好意であっても、言葉にするのは躊躇してしまうし、雪ノ下の態度から好意なんて感情がないか閉まっておこうと諦めるのは難しくなかった。
それが、蓋を開けてみればこれだ。
雪ノ下は、俺のことが好きだった。
俺の好きな人は、俺のことが好きだった。
こんなのズルじゃねーかと思う。人の心を覗き見するなんて、卑怯だと思う。安全なのが分かったから想いを伝えるなんて、最低だと思う。
でも、俺にはそんなやり方しか出来なくて、もうそんな自分にも慣れてしまっているから、これでいい。
「……本当にたいしたことではないの? そうは、見えないけれど……」
(……なんだか調子が悪そうだわ。話してくれないのは仕方ないにしても、今日はもう終わりにしようかしら。……比企谷くんとお話する時間が減るのは、少し、辛いけれど)
雪ノ下雪乃は、容赦ない毒舌を吐く苛烈な女だ。けれど、中身は人を思いやる気持ち持ち、好意を向ける相手の行動に一喜一憂する可憐な少女だ。
「あの、比企谷くん……? あなた、顔色が悪いわよ……なんだか赤くなっているというか。悪いことは言わないから早く帰って寝たほうがいいわ」
どちらの雪ノ下も雪ノ下で……あれ? ……今の、心の声が聴こえなかったような。
「……送っていったほうがいいかしら。大丈夫? 吐き気とかはない? 悩みがなにかは知らないけれど、あまり一人で悩み過ぎないようにね。……あなたを心配する人だって、いるのよ」
……誰だ。雪ノ下雪乃は容赦ない毒舌を吐く苛烈な女とか言ったやつ。まるっきり嘘じゃねーか。つーか、なんだこれ。どうなってんだ、なんでこんな優しいっていうか、急にどうしてなにも聴こえなくなった?
……あれが言葉に隠された本当の気持ちなのだとすれば、これは素直な言葉だと考えればいいのか? 雪ノ下が本心から俺を心配して、あたふたしていると? そんなバカな話があるか?
「黙っていては分からないわよ、比企谷くん。……もしかして、声を出せないくらいに調子が悪いの? ど、どうしよう……救急車とか、呼んだほうがいいのかしら。ひ、比企谷くん……? ねぇってば……」
どうやら、そんなバカな話らしい。っていうか、いい加減返事をしなきゃまずい。取り乱す雪ノ下に驚いてる場合じゃなかった。
「だ、大丈夫だから……落ち着け」
「本当に……? なんだか今日のあなた、変よ……?」
変なのはお前だ……。いや、でも実際どうなんだろうか。雪ノ下雪乃は普段、こんな言動をしないやつだっただろうか。
改めて考えてみると、見覚えがないではない。というか、最近になって増えてきたようにも思う。……なんでそのときの俺は平気だったんだ?
……なんか高度な皮肉を吐いてるのだろうと思って、適当に応答していた気がする。なんのことはない。雪ノ下のイメージが初期から変化し過ぎて、俺がついていけてないだけの話だった。
「本当に大丈夫だから……そんなことより、話がある」
「……話? 比企谷くんが、私に?」
(なにかしら……なんだかとても真剣な顔をしているけれど。もしかして: 告白。きゃ、きゃー! 告白なの? 告白なのねっ、比企谷くん!? いいわ、その挑戦、この雪ノ下雪乃が受けて立ってあげる。あなたが初めて勝つ相手よ! 光栄に思いなさい!)
勝ち確じゃねーか! ……ああ、なんだか気が抜ける。っていうか、本当に早く終わらせたい。もちろんちょっと惜しいなって気持ちもあるんだが、それを上回る勢いでやっぱり罪悪感が強い。
こういうものは得てしてなにかをイベントをこなせばなくなるものだ。ゴールは告白成功と見て恐らく間違いない。……そういうわけで、覚悟を決めようと思う。
「雪ノ下……」
「え、ええ……」
何度も言うが、この気持ちは嘘じゃない。雪ノ下が好きだと言ったから、俺は雪ノ下を好きになったわけじゃないんだ。結果として気持ちを知ってから伝えることになってしまったものの、この気持ちを抱いたのは、それよりも随分と前のこと。
雪ノ下雪乃は、優しくてかわいい女の子だ。俺は少し前の雪ノ下も悪くないと思うが、それはさておき、時間をかけて繋いできた関係を、とても大切に思う。
「……雪ノ下雪乃が、好きだ。俺と、付き合って欲しい」
想像より遥かにスムーズに口が回って、自分でも驚いてしまった。ああ、そうか。俺は本当に雪ノ下が好きなんだな。当たり前に感じていたことなはずなのに、どこかはっきりしていなかったのだろう。言葉にすると、しっかり輪郭が浮かび上がる。
雪ノ下が好きだという気持ちが、心の中で一つの形となっていく。それを感じながら、雪ノ下に改めて目を向けると、彼女は自分でしっかり予想まで立てていた癖に驚きに目を見開いて、涙まで流しながら、そっと答える。
「はい……」
なにも聴こえなかった。すべて終わったのだ。わけのわからない現象に、終わった今、礼を言おう。神様がいるのなら、神様に。
ありがとう。
× × × ×
「雪ノ下……」
それからしばらくして、ようやく落ち着いてきた雪ノ下に声を掛ける。すると、雪ノ下は目を泳がせながらもこちらにしっかり顔を向けて、
「な、なにかしら……?」
(わーい! わーい! 今日から比企谷くんの彼女だー! え、これ夢じゃないわよねっ? 私、好きって言われたのよねっ? 嬉しぃぃぃいいいいい! きょ、今日とか、一緒に帰ったりしてもいいのかしら! いいのかしら!)
あっれー? 終わってねーのかよ!
—おわり—