執務室
福永との密談を終え、執務室に戻った浜野を待っていたのは機嫌が悪い長門と那智、そして見慣れぬ少女だった。
「そちらは?」
どうして長門と那智が不機嫌なのか。そんなことはわかりきっている。浜野はそこには触れず見慣れぬ少女を見た。少女は長門の手を握り怯えていた。長門が「大丈夫だ」と言うと、少女の背中を叩いた。
「電です。どうか、よろしくお願いいたします」
電と名乗った少女は頭を下げると、恐る恐るといった様子で浜野を見た。長門に目をやると、机の上に置かれた書類を目で示した。浜野はその書類を手に取り、内容を改める。それは電の着任に関する書類だった。
「浜野だ。こちらこそよろしく頼む」
浜野が電に握手を求めると、電は泣きそうな表情で浜野の手を取った。何をそんなに怯えているのだろうか。浜野が首を傾げていると、那智が口を開いた。
「お前がそんなものをかけているからだ。電。そんなに怯えなくていい。見た目はこんなんだが、中身は子供だ」
浜野は納得したが、サングラスを外そうとはしなかった。
「すまない。目が悪くてね。これがないとよく見えないんだ」
「ほぅ……それには度が入っていたのか。なら今度私が透明なサングラスを買ってやろう」
長門は浜野の嘘を見抜いたうえで嫌味を言った。
「カッコいいと思っているからかけているのだろう?」
那智がため息を漏らしながら言う。浜野は頭を描くと黙って頷いた。そういうことにしておこう。
「俺も悪かったけど、お前らがピリピリしているから電も怖がっているんじゃないか? そんなんじゃ今度の健康診断、血圧で引っかかるんじゃないか」
「「んなッ!……誰のせいでッ!」」
浜野はやり返したつもりだったが、長門と那智は過敏に反応した。思わず身構える。長門の文句の速射砲が火を吹こうとした瞬間、電の笑い声が漏れた。
「司令官さんは面白い人なのです」
無邪気に笑う電に毒気を抜かれた長門と那智は目尻を下げた。浜野もホッと胸をなでおろすと、長門を見た。
「……なんだ」
「いや……別に」
電は笑い終えると、不思議そうに長門と浜野を見比べた。
「お二人は仲がいいのです」
「なッ!……何を言っている!」
長門が思わず顔を赤くする。浜野はため息をついて電を見た。その明らかにがっかりしている態度に長門が噛み付いた。
「なんだ? 私に好かれては迷惑なのか?」
「別に」
浜野の素っ気ない態度にイラっとした様子の長門は何も言わずに部屋を出ていく。那智はその後ろ姿を見送ると浜野を睨んだ。
「貴様……少しは長門に優しく接してやったらどうだ」
「それは向こうにも同じことが言えるね」
那智は深いため息をつくと踵を返した。
「長門のことは私に任せておけ。貴様は電のことを頼む」
那智はすごくめんどくさそうに執務室を出ていった。
「……電。お茶でも飲むか?」
「じゃあ入れてくるのです」
「いいよ。俺が行くから、そこの応接用のソファに座って待っていてくれ」
浜野は立ち上がると執務室を出ようとした。
「なんだかんだいって心配なのですね」
電が何か言った気がしたが、浜野はあえて気にはしなかった。
給湯室
コーヒーカップを二つだし、浜野が愛飲しているインスタントコーヒーとココアを入れる。ぼんやりと長門になんて謝ろうか考えていると、後ろに人の気配を感じて振り返った。
「赤城か……脅かさないでくれ」
「ちゃんと声はかけましたよ。でも返事がなかったので入らせてもらいました……提督、それ入れすぎじゃないですか?」
赤城は電用にカップに入れたココアの粉を見ると眉間にシワをよせた。浜野もしまったと思う。ぼんやりしていて、浜野のインスタントコーヒーと同量のココアを入れてしまった。これは確実に濃い。
「……そうだ。赤城。執務室に行って今日来た電の相手をしてやってくれないか?」
浜野はさり気なくもう一つのカップを取り出し、入れすぎたココアの粉を半分そちらにいれた。赤城はため息をつくと、睨むように浜野を見た。
「私は提督に文句を言いにきたのですけど……」
「なら後で聞くよ」
「嘘……絶対にまた適当な用事を言いつける」
赤城の言葉に浜野は苦笑いを漏らす。
「牛乳を温めないといけないんだ。長いこと一人で待たすわけにもいかんだろ」
「わかりましたよ」
赤城は文句を言うことを諦め、給湯室から出ていった。
執務室
三つのカップを乗せた盆を持ち、執務室に戻ると赤城と電は楽しそうに会話をしていた。
「提督は本当に人使いが荒くて……」
「でも優しそうな人なのです」
「優しかったら私達に執務を押し付けたりしないわ」
「悪かったね。人使いが荒くて」
浜野が入り電はすぐに会話を切り上げようとしたが、赤城はやめなかった。文句を言ったつもりなのだろう。
浜野が机に盆を置くと赤城がカップをそれぞれの場所に置いた。浜野はその間に応接用の灰皿を引きよせる。赤城が睨んだような気がしたが気にしない。
「電。扉を開けて廊下の窓を開けて来てくれ」
「了解なのです!」
電は元気よく廊下に飛び出して行った。そんな電を見送り、浜野は執務室の窓を開けた。
「少しは自分で動くことを覚えたらいかがですか? 那智さんから聞きましたよ?」
「歳取ると動くのが億劫でね……」
浜野はソファーに戻り、煙草に火をつけた。煙がゆっくりと窓の外へと流れていく。電が廊下の窓を開けたおかげで風が通っているのだろう。
「任務完了したのです!」
「ご苦労。座ってゆっくりしてくれ」
電はもといた場所に座ると、浜野のことをジッと見ていた。
「なんだい?」
「いえ、長門さんとはよく喧嘩をするのですか?」
電の質問に浜野は何煙を二人にかからない様に吐き出すと天井を眺めた。だが、浜野の視界には天井ではなく、長門と会った日のことが映し出されていた。
「最初に喧嘩をしたのは……そうだな、君たちに聞いてみよう。なんだと思う?」
浜野が二人を見やると、赤城は不思議そうに、電はかしこまった表情で浜野を見ていた。
「それですか?」
まず赤城が口を開いた。赤城は浜野が手に持つ煙草を指差していた。だが、浜野は首を横に降る。電がそれに続いた。
「では……戦闘に関わることですか?」
電の答えにも、浜野は首を横に振った。
「どちらかと言えば、赤城の答えが近いかな。答えはこの鎮守府の運営状況についてだったよ」
浜野は楽しそうに笑うと、話を続けた。浜野が着任した当初、この呉鎮守府は貧乏だった。というのも、横須賀、舞鶴にはそれなりの資金が流れてはいたものの、この呉に支援と呼ばれるものはなかった。それでも十分賄える。浜野の前任はそう判断していたし、実際そうだった。それが浜野に代わり、浜野も前任と同じように鎮守府を運営していた。だが、前任と浜野には大きな違いがあった。当時の浜野はお酒が大好きだった。そして今と同じように煙草も吸う。これが常人と同じであれば何の問題もない。だが、浜野は毎晩飲み歩いていた。というのも浜野曰く、無理もない話で、士官候補生時代は東京で安いご飯しか食べた事がない。それが広島に帰ってくるや否や、そのご飯の美味しさに感動したそうだ。ご飯を食べれば、酒もすすむ。これは鎮守府の運営予算から捻出されたわけでもない。浜野の給金から出たお金だ。
「そんな時に怒られたのよ。お前は私達が質素な暮らしをして鎮守府を運営しているのにいいご身分だな、ってさ」
「確かに、提督は町の飲み屋さんで知らない人がいないほどの有名人ですものね」
赤城が納得したように頷くが、別の事に気がついた。
「でしたら、どうして長門さんは秘書艦を? あの人の性格なら提督のことを毛嫌いしそうですけど」
「だったら、お前が管理すればいい。俺は貰った分は全て使うから、お前が俺に給金を支払え。って言って財布を渡した」
浜野はその時にとった行動を答えた。だが、それは酔っていたせいもある。浜野はこの事を深く後悔している。飲みにいけなくなった。煙草も一月ニカートンまでと制限された。当時の浜野はこれにすごく苦しんだ。那智と仲良くなったのも、この時の浜野が「就業時間中の飲酒を見逃してやるかわりに俺にも寄こせ」という無茶苦茶な脅しをかけたからだ。だが、当然長くは続かなかった。というより、那智が長門に毒された。
「いやぁ……本当に、落ち着くまで大変だった」
浜野が粗方話し終え、赤城と電を見ると、何故か二人とも顔を赤くさせ俯いていた。
「どうした?」
「提督は……その……長門さんの事が……」
「馬鹿を言わないでくれ。誰があんな小姑みたいな……」
「ほぅ……金を渡せばすぐ飲みに行く。目を離せばすぐに煙草を吸いに行く。知らないうちに後輩にたかる。そんな上司を持った可哀想な私を小姑というのか」
浜野の背後からドスの効いた低い女性の声が聞こえた。浜野は対面に座る二人を睨む。
「どうして何も言わなかった?」
「いえ……その……彼女が何も言うなと……」
「なのです」
「そうか……いつからいたんだ?」
「提督が告白した話のあたりから……」
「だから、それは違うと……」
その時、浜野の脳天に鈍痛が走った。
「心配して来てやれば、私の悪口か。随分偉くなったものだな」
長門の言葉は浜野には届いていなかった。浜野は殴られた頭を抑え、必死に痛みと戦っている。
「尻にひかれているのです」
電が何かを言ったが、浜野には聞こえていなかった。
資料室
電を赤城に任せ、浜野は資料室にきていた。ここには数多くの資料が保存されいる。それは、非公式に浜野が集めたものも含まれる。長門は自分の悪口を言われたからと、浜野から離れる気はないらしく、ついてきていた。
「長門よ。例えば何だが……お前に大和の砲は積めるか?」
目的のファイルを見つけた浜野は長門にそう聞いた。
「撃てないことはない。だが、当てられる自信はない」
長門は端的に答えた。どうやらまだ機嫌が悪いらしい。だが彼女の機嫌を気にしている場合でもない。浜野は手にとった封筒を長門に手渡した。
「何だこれは?」
「俺が後輩に無理いって寄越させた横須賀との演習の報告書」
浜野はそう言うと、指で表紙に極秘の文字を示した。長門はそれを受け取り中をあらためると呆れたように浜野を見る。
「貴様……また福永指令に無理を……」
「問題はそこじゃない。佐世保には大和型戦艦二番艦、武蔵がいる。その武蔵が一撃で轟沈判定をくらっている。それも重巡洋艦の砲撃でだ」
長門の横に立つと、書類をめくり、浜野が言った項目を示す。
「……武蔵が? 重巡の砲撃に沈んだ? あり得ない」
長門は首を横に振った。それもそのはずである。長門は演習で何度も武蔵と砲火を交えている。長門の主砲を直撃させても、佐世保の武蔵は中破判定だった。
「福永はこの時にこう言っていた。聞いたことない砲音だったとな」
浜野はそう言うと、サングラスを指で持ち上げた。
「俺は昔から疑問に思っていたことがある。お前も那智も、体格はそう変わらないのに持てる艤装に差があるのかと」
「それは艦種が違うからだ。那智は重巡、私は戦艦だ」
「お前らには手足があるだろう? 手足で撃てる砲があったらどうだ?」
「お前の言いたことはわかった……少し時間をくれないか? 第一艦隊で話し合ってみたいのだが」
「よろしく頼む。それは持って行って構わない」
長門はその言葉を受け、悪戯な笑みを浜野に向けた。
「やはりお前は是が非でも横須賀に勝ちたいんじゃないか……お前が作戦会議に顔を出せば、いい案が出るんじゃないか?」
「わかったわかった……執務室に第一艦隊を集めてくれ」
浜野はそう言うと深いため息をついた。