爆砲球団バルカンズ   作:李座空

2 / 4
第1話 紅白戦とおもい球

この俺、伊坂環司(いさかかんじ)は超能力なんぞ信じねぇ。

 

世の中じゃあ、不思議な力だとか超常現象だとか呼ばれている類(たぐい)だ。

人間の潜在能力とか言って、目にも留まらぬ早さで運動したり、空を飛んだり、エネルギー?を打ち出したりする。そんなものはいわゆる手品師やら、ヘンテコな超能力者やらの本分だろう。それもちゃんとした『タネ』があるか、『インチキ』のどちらかで説明がつく。

所詮はフィクション。マンガや映画の中だけの世界。俺はそういうものは、好きになれなかった。

 

昔見た漫画に、変化球も、ろくな真っ直ぐも投げられないが、『球威はなくとも魂の篭った球で、いかなる強打者も必ず打たせて取る』なんて高校球児キャラクターがいた。

そいつは最終的には、それだけを武器に甲子園決勝まで上り詰めた。どんな打者も、そいつの球をまともに打てなかった。なぜならそいつの投じる球に篭められた“魂”。それを上回る“魂”を篭めたバットを振れる打者でなくては、まともな打球は飛ばせないからだと。

 

……馬鹿馬鹿しい話だ。

なにが魂だ。魂だけで打たれないなら苦労はねぇんだよ。

当時から本格的に投手として野球に打ち込んでいた俺は、それを見て鼻で笑った。野球人なら誰だってそうしたはずだ。

 

そんなもんが、いまや俺の天職となった“野球”に関わられちゃあ困るんだよ。

そう、困るんだ。だが……

あれはなんだ?

 

バットを握る俺の手に遺る、確かな感触。ジャストミートした。真芯で捉えた。俺は投手だが打撃は並の投手よりは自信がある。ましてやあんな甘く入ってきた球だ。野球人なら打ち砕くのはワケがない棒球だった。

しかし……ボールにバットをたたき付けた瞬間の、あの手応え。俺の腕はまだ痺れに似た震えが止まらない。

あの球はまるで……。

 

それは、春キャンプの第一回紅白戦での出来事だった。

 

 

 ● ● ● ● ●

 

 

爆砲球団バルカンズ

 

第1話

 紅白戦とおもい球

 

 

春の到来を告げる乾燥した晴天の下、ここ津々家バルカンズ春季キャンプ練習球場は、いままさに緊張がはりつめ沸騰状態にあった。2月の肌寒さなど、取るに足らないほどに。

 

グラウンドのダイヤモンドの中心に、黄土が盛り上がったマウンド。そこに立つ投手は汗をぐっと拭い、赤と白の二色に彩られた野球帽を被り直し本塁に向き直った。

 

(……焦ってやがるな)

三塁側ベンチにもたれ掛かりながらも、俺は直感的に悟った。同じ投手として、投手の事はよく分かる。

九回表。敵・紅チームの抵抗ともいえる連打。二アウトは取ったが勝利寸前まできて、気持ちが不安定になってるらしい。

 

(……降板させるか?)

一瞬迷う。俺が属している白チームの監督権は、俺に与えられている。代打・代走に投手・守備の交代も全て俺の意思通りに出来た。

だが、だからこそ少し確かめたいこともある。リードだって4点あるんだ。降板は見送ることにする。

そして、俺は張り詰めたグラウンドのバッターボックスに立つ打者に目を遣った。

 

(どう抵抗するか見せてもらうぜ……紅組の新人どもよ)

 

 

{津々家バルカンズ紅白戦}

紅チーム…0

白チーム…4

九回表紅チーム攻撃

二死二・三塁

 

 

この日、津々家バルカンズキャンプ場ではチーム内紅白戦が行なわれていた。

主にバルカンズの主戦力で構成された俺たち白チームは序盤から優位に試合を進め、六回までに四点を奪い、守備でも紅チームを無失点に抑えていた。

しかし、それが試合後半の七回に入ってから、状況は変わってきた。俺の指揮する白チームの優位が揺るぎだす。

 

流れが変わったきっかけは、俺に言わせりゃ『青臭い若手』ばかりが集まった紅チームを監督する、丸岡さんの采配がきっかけだった。

七回表に行われた紅チームの大々的な捕手・外野の守備変更。『あいつら』がお出ましになったわけだ。

この紅白戦が始まる前から聞いていた。今年のドラフトで入団が決まった『あいつら』のことは。そしてそいつらを丸岡さんはこう評していた。『バルカンズの最後の砦になる』と。

あの人にそれほどの言葉を言わしめるとは。ウチのチームの現行監督を務める丸岡さん、あの人の野球眼は確かだ。それなりに期待してもいいって事か。

 

(……みせてもらうぜ、その期待の新人とやらの実力をよ。このチャンスの場面を……活かせるか?)

 

俺はバッターボックスに立つ打者に目を遣る。それは俺だけじゃない。三塁側・一塁側の互いのベンチにいる皆がその打席に注目していた。

それもそのはず。なぜなら今のこのターニングポイントと言えるチャンスの打席に着くのは…“女”だからだ。

その名を“六道聖”と言ったか。日本プロ野球史上数人目の女性選手として、いま世間での注目も高い。今季ドラフト2位でウチに入った、“期待の新人組”の一人だ。ポジションは捕手。

 

はじめは女なんぞに、野手の中でも最も過酷で体力・知力を共に要する捕手が務まるかと思ったが、アイツが7回から捕手の守備についてからだ。以降、白チームの打線がピシャリと抑えられたのは。

なるほど、ベンチから見ているだけでは分からないが、さすがにプロに来るだけのキャッチャー・リードは出来るらしい。

だがバッティングはどうだ?男に比べ明らかにパワー不足の女に、プロの球を打てるんだろうな?それを今からの打席で見せてもらおうじゃないか。

そう思っていると、マウンドの投手がセットポジションから白球を投じた。

 

「ストライィーク!!!」

 

捕手のミットを揺らす撥音が響き、審判が甲高い声で判定する。

打者の六道はバットを構えたまま微動だにせず見送っていた。

投げる奴の動揺が球に伝わったのか、高めの甘いコースへのうわずった球だ。だが、球速は140はゆうに越えている。そのプロの球威を前に打ち返せるのか?

投手は2球目を投じた。また真っ直ぐだ。

 

「ストライクツー!!!」

 

低めを突く球だった。これも145キロは出ているストレートだろう。

これもまた六道は見送っていた。

 

二球連続の直球。ストライクの先行。少々先走り過ぎている。

が、相手は非力な女だ、プロの直球を打ち返すだけのパンチ力は恐らくねぇ。直球で押すのは間違いじゃねぇ。バットに当てられても内野ゴロだ。

恐らく3球目もストレートで仕留めるだろう。案の定、投手は続いての3球目。セットポジションから腕を思い切り振り抜いた。

直球。それも150近い全力だった。

 

(これで決まっ……)

 

――カァキアァンッ!!!!

真芯の快音。女のスイングは投球を捉え、球は前に打ち返されていた。ベンチの全員が思わず打球を目で追った。

打球は一遊間の頭上を飛び抜け、ライト前に落ちて転々とした。華麗なクリーンヒットだった。

その間に三塁ランナーは本塁に落とし込み、二塁ランナーは三塁を蹴る。

 

「ライトォ!バックホームだ!!」

 

俺はベンチから叫び指示を飛ばす。

ベンチの目の前の三塁ベースを、眼鏡を掛けた二塁ランナーが蹴って本塁へスパートしていく。速い、そのスパートが。

コイツも確か、今年入団の“期待の新人”のひとり、矢部。脚力が武器だったとか。畜生なるほど。足の速さなら一軍級だ。ホームへ爆走する眼鏡男を見て、俺はそう感じた。

やがて本塁で眼鏡男と捕手が交錯した。小さく砂煙が舞う。

 

「セーフ!!セーーーーーフ!!」

 

審判の甲高い声を聞いた俺は、心の中で小さく舌打ちをついた。

女の一打はライト前の2点タイムリーとなり、これで点数は4-2。俺達白チームにとっては点差を縮められたことになる。

見くびっていた。投手の球種の中では最も重く前に打ち返しにくいストレートを非力な女にクリーンヒットで返されるとは。

 

一塁ベースを踏み締めながら、六道は塁間走で振り乱した髪をくくり直す。その仕草に一瞬目が奪われる。

ぱっと見、とても強靭な体力を要するプロ野球選手には見えない。周りの男らより一回り小さな身体はタイトなユニフォームにより女特有の曲線めいたラインがくっきりしている。見目形の綺麗に整った天然の顔立ちだってかなりレベルは高いだろう。それは世間のスポーツニュースが騒ぐわけだ。

「撫子捕手」。最近見たスポーツ誌での六道を形容する言葉だ。なるほどあいつをよく表している……って。

 

(俺とあろう者がなに鼻の下伸ばしてやがるんだ)

 

「おい、お前ともあろう者が、なに鼻の下を伸ばしてるんだ?」

 

背後から声が飛んでくる。心中での図星に思わずうろたえながら俺は後ろに振り返る。このチームの長である男、丸岡さんだった。

 

「けど彼女にはいくら伊坂、お前でもなかなか手が出せないと思うな」

 

からからと笑みを浮かべながら、丸岡さんは俺の隣に座り込んだ。

 

「何ふざけたこと言ってんです」

 

「六道聖。彼女に打たれのを驚いたみたいだな」

 

確かにあれは打たれないと思った。しかしあの非力な腕で、現に打球は前に飛んだ。

 

「いかなる球も芯で捉えられれば打ち返される。彼女にはその、球をバットの真芯で捉えるという絶対の自信があったんだ」

 

「絶対の自信だって?」

 

「そう。さっき二塁から一気に本塁生還を決めた矢部が“脚力”ならば……彼女の武器は、“集中力”だ。力技では決してできない、華麗な巧打・巧守を決める力」

 

華麗。女にはちょうどいい言葉ってか。

丸岡さんがここまで“新人組”の奴らを推すゆえんが…わかってきたぜ。

隣のベンチ席にすっかり居座った丸岡さんは一つあくびを漏らしながら緊張の続くグラウンドを眺めていた。その表情には俺達白チームに対する余裕すらうかがえる。

 

そういやなんでアンタはここにいるんだ?

俺が白チームの指揮官ならば、この丸岡さんは紅チームの指揮官だ。そのアンタが、なんで紅チームベンチを離れてこっちのベンチに来ているんだ。俺はそう尋ねる。

 

「なあに、あいつらも子供じゃないんだ。自分らで自分のチームくらいまとめるだろう」

 

「けっ。本当に自由放任というか、適当な監督だよアンタは」

 

俺はため息まじりに呆れながら返答する。この人は昔とほんとに変わった。

現役時代のこの人は野球に対するストイックな性格で、順調な活躍を重ねていったものだった。そして若手だった俺はそのもとでプロ投手としてのなんたるかを仕込まれた。

その後、丸岡さんは引退。昨年のバルカンズ監督就任時にひさかたぶりに再会したかと思えば、この飄々とした性格の変貌ぶりに調子を狂わされたものだ。

 

「きっと上手くやるさね。それに伊坂お前、相手の心配してる余裕があるのか?」

 

「……どういうことです?」

 

余裕みせてるのはよっぽどアンタの方だろ。そう心の中で付け加える。

 

「見てみろ、次のウチのバッターも……打つぞ」

 

丸岡さんはそう言うとベンチに腰掛けたままグラウンドに向き直る。

今の場面は二死一塁。相変わらず俺の白組にとっちゃあとワンアウトの勝利目前の場面だ。もし相手に一発が放たれれば同点もありうるが。

 

「もう半分以上、俺のチームの勝ちだ。結局、あとワンアウトには変わりないじゃないですか」

 

「伊坂お前、誰がこの状況を見ろって言った?俺は今のバッターを見ろと言ったんだ」

 

丸岡さんはこちらを振り返らずグラウンドを見つめたまま言った。心なしか俺に戒めるかのような口調で。

俺もそれに応じ、慌てて打席に目を向ける。すると突然。

 

『うぉお打ってやる、逆境は俺のお得意なんだ、打ってやるぜうおおーーーー!!!!!!』

 

その打席に立つ男が、吠えていた。バットで素振りを何度もしながら声を荒げ叫びだす。自己暗示の言葉を、並べたてた。

 

「な、なんだぁアイツは?」

 

まるでスポ根漫画の中からやってきたかのような奴。

そしていかにも空回りしていそうな感じだ。どうやら紅チーム最後の打者は、あいつで決まりか。

 

「あいつがあの見た目通りだと思っているなら…痛い目見るぞ」

 

そんな事を考えていた俺に、この丸岡さんからの痛い一言。

そうか、確かあの打者も新人組の一人だったか…!名前は確か、猛田(たけだ)と言ったな。

だが…コイツは確か…少し打撃が出来るだけで、他はごくふつうな能力だったハズ…。その打撃も、この危機的状況を打破できるほどのインパクトはないハズだ!

こう言った俺に構うこともなく……丸岡さんは不敵に笑っていた。

 

「だが、猛田のその打撃力が爆発的に上昇する場面がある。お前は知らなかったか」

 

「な、なにい…あっまさか…まさか、それが…!!」

 

「それがちょうど、今のような逆境的場面だ」

 

ビハインドありの9回最後の攻撃、ツーアウトランナー有り……絶好のシチュエーションじゃないか。

俺が気付いた時にはもう手遅れだった。マウンドの投手はすでに第一球を投じていた。

 

『甘ぇえええぇえーーーーーっっっ!!!!!!!!!』

 

猛田は叫ぶとバットを思い切り一閃した。

勝利寸前の失点で、すっかり平常心をなくした投手の浮いた球に、そのバットはいとも簡単に叩き合わされた。

 

カァキャアアァァァン!!!

 

グラウンドの皆が固まった。いや、動けなかった。動くべき外野…左翼手も、なすすべなくその場で見送った。

レフト方向への打球は遥か空高く舞い上がり、勢いは全く弱まる事なくレフトスタンドをも飛び越え、球場外へと消えていった。

飛距離…150メートルオーバーの特大同点2ランだった。

球場に瞬く間にどよめきが起こる。

歓喜の色めく紅チームベンチ。ランナーの六道は何かを納得したように頷きながらベースを一周し、猛田は勝利の雄叫びを散らしながらベースをズカズカと踏破していった。

ホームインした二人を紅ベンチが歓喜で迎え、テンションは高く、全員が有頂天、そんな感じだった。

 

一方の俺の白チームは、茫然自失とし、グラウンドの守備陣も、ベンチ陣も、表情に影を落としている、そんな……感じだった。

その一部始終を俺は口をポカンと開けながら見ていた。見ていることしか出来なかった。

あっという間に、同点……。

矢部の足が、六道の巧打が、猛田の豪打が、一気に俺達白チームを危機に追い込んできた。

この試合をひっくり返さんとする、明確な危機感が迫っているのを、ここで俺は初めて気付いた。

紅チームは9回最後の崖っぷちで、這い上がってきやがったのだ。

 

「はっはっは油断したなぁ伊坂、あいつは空回りすべくして、振り回してるんじゃない。打ち砕くべくして、振り回してるんだ。その点では奴もまた天才なのさ」

 

唖然としている俺を横目にしながら、丸岡さんは愉快そうに言う。

 

「さあてと、これで振り出しだ」

 

誰へともなく呟く。しかしさっきまでの愉快そうな語勢ではない。

 

「この勢いで……ウチの紅チームが何をするか……見物だな」

 

強気な言葉に俺はハッとした。

そうだ、4点ビハインドからの一挙同点、間違いなくあちらさんに“流れ”は出来上がっちまってる。

 

野球の試合って奴は、“生きて”いる。

投手の乱調や、打者の起死回生の一打、ノーヒットノーラン・完全試合、満塁弾・サヨナラ弾・サイクルヒット、エラー・フィルダースチョイス、それらたった一つのプレーによる試合展開の激動……。

その気まぐれな意志ひとつで、普通なら有り得ないこともいとも簡単に引き起こすんだ。

 

ランナーが尽き、依然ツーアウトの今でも、まだ何をされるか分かったもんじゃねぇ!

まさにいま俺達白チームは、野球の神様とやらにそっぽを向かれてやがるんだ!

抗うしかねぇ。野球の神とやらに、今はな……!余計な小細工は一切無駄!何といっても、気まぐれなんだからな……!

 

「ピッチャー交代ッ、俺が出る!!」

 

俺はベンチから交代を叫び、グラブを手にした。これぞ白チームの監督権限。

とにかく第一に、あの4失点投手をそのまま投げさせるわけにはいかなかった。球はもう完全に浮ついていたからだ。

 

「おいおい、いくらお前といえど、肩も作ってないまま出るのか?」

 

「いらねぇですよ、もうとっくに熱くなってる!」

 

「熱く? いや、きっと焦ってるだけだ……それがお前の欠点だ伊坂」

 

「何だとッ」

 

敬語も忘れ、俺はその一言に対し睨み返していた。白ベンチにざわめきが起こる。

丸岡さんは息をふぅと吐き出すと、真剣な眼差しで口を開く。

 

「お前は昔から、自分に自信を持ちすぎだ。自信過剰。プロ気質ともいえるがな、それが物事の本質を見抜くことを時として阻む。さっきの新人達の力をお前が見抜けていれば、もうこの試合はお前達白チームの勝ちで終わっていただろう」

 

「ちっ」

 

言葉が終わると、俺は無言でグラブを手にはめ、ベンチを出た。

物事の本質。簡単に言ってくれるぜ。あんたが監督に就いてから何度聞かされたか。あんたのように簡単にできりゃ無理はないんだよ…。

 

「あぁ、そうだ。次の9回裏、俺の紅チームは最後の新人を使う」

 

俺がマウンドに歩き出そうとした時、丸岡さんがポツリと呟いた。

新人……新人組のことか。まだ隠していやがったのか。

 

「その新人は投手だ。伊坂、お前がこの9回表をしのいだら、裏のお前達の攻撃…その投手を、打ってみろ。サヨナラにしてみろ。それがお前にとっての名誉挽回のチャンスだ」

 

投手…新人組・切り札のリリーフってことか?それに名誉挽回…か。

 

……ちっ、丸岡さん。アンタは確かに野球人としてはかなりの人だ。俺自身、尊敬はしてる。

だが、アンタ俺をなめすぎだぜ、俺に火を付けちまった…。

 

「丸岡さんアンタ、調子に乗りすぎてるよ。たかが新人投手ごとき。めった打ちにのしてやるぜ」

 

俺は静かに言い返すと、マウンドへと登った。

交代の投手から球を受け取る。それを早く、捕手のグラブの中に叩き込みたくなった。俺の武器である、とびきりの豪速球を…。

 

そしてその9回表の守備が終わるまで俺はベンチを振り向きもせずただ投げ込んだ。あの人と目が合うと、調子が狂うような気がしたからだ。

肩の出来上がりが不十分で1本の被安打を浴びたが、その次を締め、いよいよ9回表を終えた。

 

この紅白戦、ルール上で延長は無しになっている。つまり紅チームの勝ちは奪ったわけだが、青臭い新人ばかりが集まる紅と、バルカンズ一軍メンツが集められた白とでは、戦力差的に考えて、紅は引き分けでも万々歳だろう。

しかし、引き分けなんぞさせねぇ……宣言通りにやらせてもらう。最後の新人とやらとな。

どんな奴がマウンドに登ってこようがしょせんは新人。プロとの力の差を見せてやる……。

 

そして9回裏が始まる。

 

 

{津々家バルカンズ紅白戦}

紅チーム…4

白チーム…4

9回裏 白チーム攻撃

無死ランナー無し

 

 

『紅チーム、選手の交代をお知らせします。ピッチャー……』

 

丸岡さんの宣言通り9回裏の初っ端で相手投手が変わった。最後の新人とやらが来るか。誰がだろうが関係はねぇ。

この回白チームの先頭は4番からの好打陣。下手な球を放れば一発でサヨナラもある。覚悟しろよ、新人クンよぉ。

そう思っていたその時だ、グラウンドに突如大声が響いた。紅組も白組の連中も、声がしたそちらに振り向く。

ライトファールスタンドにある球場の資材搬入口のところに、揺らめく一人の人影が見えた。俺達と同じバルカンズのユニフォームを着ている。

 

「遅れてすいませーーーん!!!紅白戦してるのは、ここですか!!??」

 

もう一度大声がする。叫んでいるのは、そいつだ。

いきなり何だあの野郎は?この大事なチーム紅白戦に遅れてくるとはいい度胸……というかあんなやつ、ウチのチームにいたか?

 

「おーーーい珮斗!!!こっちだこっち!!!」

 

「おい丸岡さんよ、何だアイツは?見たこともねぇ」

 

今度は丸岡さんの声がグラウンドに響く。俺はベンチを飛び出し、丸岡さんに問いただした。

 

「あいつの名は珮斗(はいと)。入団してから今まで一身上の都合があったから、今日からキャンプに合流する……最後の新人。そして今からあいつに投げてもらうわけさ」

 

丸岡さんは珮斗とやらをグラウンドに呼び寄せると皆に聞こえるように紹介しだした。

チームメイトらの間にざわめきが立つ。今日から合流するこいつの事など…誰も聞いちゃいなかったからだ。むろん俺も。

 

「えと、珮斗一發(はいといっぱ)です。ポジションはピッチャーです!今日からバルカンズの一員として頑張ります、よろしく!」

 

そして珮斗が重ね重ね挨拶をする。グラウンドによく響く朗らかな声。新人だけあって幼さが残る表情。

コイツがマウンドに立つってのか。俺達白組の前に立ちはだかるだと。

くっくっ、気に入らねえ。何も知らねぇこのガキんちょには悪いが、気に入らねえ。

 

「ノンキに自己紹介なんかしてんなよ。状況が分かってるか新人クンよぉ?」

 

新人の胸倉を掴み、吊り上げる。周囲が一気にザワつきだす。

隣の丸岡さんは黙ったままこちらを見ていた。

 

「マウンドに立ちな、監督から御指名だぜ。見せてもらおうじゃねえか、キャンプをすっぽかすだけある新人の実力とやらをよ!」

 

新人は目をしばたたかせ、驚きを隠せない様子だった。

さすがにビビってやがるんだろう。だがこれが洗礼ってもんだよ新人クンよ。恨むならハードル上げた丸岡さんを恨むんだな。

 

「……投げていいんですか?」

 

が、そいつの反応は、意外なものだった。俺は思わず、は、と聞き返した。

 

「キャンプに来たばかりで、投げさせてくれるんですか?よろしくお願いします!」

 

俺は気付かぬうちに胸倉を掴んだ手を離し、珮斗は澱みのない声でまた俺に礼をした。

その途端皆のざわめきが収まり、どっと吹き出す。丸岡さんも今にも吹き出しそうだった。

 

(この野郎ッ)

 

頭にカッと血が昇るのを感じた。今のは計算で言ったのか、天然なのか、どのみちコイツ…大馬鹿なんじゃねえか。

珮斗はガキみたいに目を輝かせながら、そう言ったのだ。その輝きがまた気に入らない、そう思い嫌悪した。

俺が口を挟もうとするのを止めるように、丸岡さんが話を一気に進める。

 

「ふふっ威勢がいいな、珮斗。決まりだな、マウンドに上がれ。捕手とのサイン合わせもしておけよ」

 

珮斗はまた「はい」と威勢のよい返事をすると、マウンドへ小走りで駆けていく。

周りにいた連中も各々の場に戻っていく。

プレーが間もなく再開する。

 

俺は大きく舌打ちすると、ベンチに舞い戻った。

今日のこのマウンド…トラウマにしてやるぜ、珮斗よ。期待の新人だか丸岡さんのお墨付きだか知らないが、プロの洗礼ってやつを受けてもらうぜ…!

 

ベンチからグラウンドを睨み据える。登板した珮斗と、捕手の六道が、マウンド上でちょうどサイン合わせを始めていた。

 

 

***

 

 

あぁ、いてて。

掴まれたユニフォームの胸元を正しながら、俺はグラブ片手にマウンドへと歩み寄っていった。

 

(厳しいとこなんだなプロって)

 

プロ入りが決まった時から、覚悟はしていた。どんなことがあろうと。だけどまさかいきなりこんな事になるとは。

だけど、これはむしろチャンスととらえるべきかな。新人の俺に投げさせてくれるんだから。こんなとびきりの場面で。

 

「おい、珮斗といったな」

 

物思いにひとりふけってると意識の外から声がする。透き通るような高く凛々しい声。女性の声だ。

振り向くと、捕手のプロテクターを着込んだ女性が立っていた。

あぁ、そうか。噂には聞いてたけど、この人も同期でバルカンズに入団した、六道…聖。

 

「時間がないから、サイン合わせを済ますぞ。お前、持ち球は……」

 

振り向きざま、視線がぶつかる。刹那、六道さんの表情が固まったような気がした。一瞬の不自然な沈黙が流れる。

 

「……えーと。持ち球は、ストレートと、フォークだ」

 

沈黙を破り、言葉を返す。

今の沈黙は何だったのかな?もしや、俺に一目惚れとか……まさかね。

 

「……!あ、ああ。ストレートとフォークか。って……お前、変化球は1つしかないのか?」

 

さも驚いた表情で六道さんは声を上げる。

 

「あぁ……フォークだけだけど」

 

「そ、そうか。余程フォークに自身があるんだな。わかった」

 

六道さんはそう言うと、ストレートはこれ、フォークはこれ、と指でサインを作り俺に示した。

それから軽く状況の説明を聞いた。

この試合のこと、紅チームと白チームのこと、ゲーム前半の失点のこと、ゲーム後半の俺が来る直前の9回表の攻撃のこと。

そして今の俺が登板した意義のこと。

それらを語る彼女はすっかり冷静になり、理知的であり、何よりたのもしく思えた。

 

「……というわけだ。たった3人、締めるだけでいい。結果としては引き分けに終わるが、それで私達紅チームの勝利と言える。とにかく今は、私のサインどおりに投げてくれ。だいたい向こうのナインへの有効な配球は組み立てている」

 

「あぁ、わかったよ!」

 

段々と実感が沸いて来た。久々に登るであろう、実戦のマウンドという舞台。それも初めてのプロ野球の世界…!

体内を熱いものが一瞬巡り、身震いがした。きっと武者震いだろう。こうなったら、やるしかないな。

 

「よーし、やるぞ!!」

 

「元気がいいな。まぁそれを空回りさせないように頼むぞ…珮斗」

 

そういって六道さんはキャッチャーポジションへと戻っていった。

 

(珮斗といったな。似ているな……アイツに。だがアイツはもう……いや、何を考えてるんだ。今は野球に集中しよう)

 

六道聖、彼女が去り際に小さく呟いた声を、珮斗が聞くことはなかった。

 

 

***

 

 

数球の練習投球の後、白チームの先頭打者がバッターボックスに入りプレイが再開する。

同点で迎えた9回裏、白チームの攻撃。バッターはクリーンナップの真ん中の4番から。

一発は絶対に与えられない場面。

 

(この打者は、この試合で2打点当てている。…調子はいい方だろう。ならば下手にストライクは取りにいけないな…)

 

六道は初球、高めに外すストレートをサインする。釣り球だ。

バッターもこの場面、とにかく塁に出てサヨナラのランナーになりたいところだ。下手に手を出し、打ち損じてくれるかもしれない。

 

マウンドの珮斗も、白球を左手の中で転がしながら大きく首を動かし頷く。

珮斗は左利きだった。

そして意を決したように大きく振りかぶると、右足を上げ、一気に左手を振り抜いた。

 

皆が珮斗の一投に目を注いだ。

 

(なんだ、これは…!?)

 

その一投に、捕手として球を受ける六道がいち早く反応し、そして…危機を察知していた。

高めボールに要求したはずの球は、馬鹿正直にストライク高めに飛び込んできて、球威も大してなくて、まさにバッターにはおあつらえ向きな球で…

 

(これは…打たれ――)

 

すぐ横で、鈍く空を切る音がした。フルスイングを、受けた――。

反射的に六道は立ち上がり、ボールを目で追っていた。

 

カキァアァァン!!

 

快音を残し、弾丸ライナーとなった打球が、センターの遥か彼方まで矢のように飛んでいく。

外野守備についていた新人の矢部が得意の足で落下点を追うが、それをも打球が飛び越える。

六道の脳裏に最悪の幕切れが過ぎった。

 

(は…入るなっ!)

 

打球は乾いた音を立てて外野最奥フェンスに直撃し…グラウンドへ跳ね返る。フェンスダイレクトヒット。

それとほぼ同時に、打者は到達した一塁を蹴る。

 

「あぁ、まずいでやんすよ!先頭打者にこれは失点の兆しでやんすよ!」

 

センターの矢部がぼやきを散らしながらボールを拾い上げると、ワンステップ踏んで中継のセカンド目掛け投げ返した。

セカンドのグラブに収まる頃には、すでにバッターランナーは二塁ベースを踏み締めてツーベースを確定させていた。

 

次第に、伊坂の白チームベンチがざわめきだした。ノーアウトで、サヨナラのランナーが二塁。白チームにとっては絶好のチャンスが出来上がり、紅チームは珮斗のたった1球で崖っぷちに立たされたことになるのだ。

 

「くそぉ、打たれたっ…!」

 

マウンド上の珮斗は二塁ランナーを見詰めながら、唇を噛み締めた。

 

「気にするな、まだ大丈夫だ」

 

後ろから声がする。六道がまたマウンドまで駆け寄ってきた。二度目のタイムだ。

 

「……次の5番を凌げば、あとは下位打線だ。送りバントに気をつけ、ランナーを進められなければ大丈夫。相手を恐れるな、落ち着いて投げろ」

 

「そうだね……わかった、踏ん張ってみるよ!」

 

珮斗は開き直ったように力強く返事をする。ピンチではあるが、どうやら心はまだ揺さ振られてはいないだろう。

が、それとは別に内心……非常に気掛かりな事がある。

 

(さっきの打たれた球。要求したコースを大きく外れた球……あれは失投だったのか?)

 

失投。投手がリリースの際に何らかのミスで、狙ったコースと思い切り外れたコースに球が放られてしまうことをいう。

……私のキャッチャーとしての経験上、失投は投手のフォームの乱れから生み出される。

その乱れは投手のスタミナ切れや精神状態のぐらつきから発生する。

 

……だが、珮斗がリリースする瞬間、フォームに崩れはなかったのだ。綺麗に投げていた。

そもそもアイツはまだマウンドに上がったばかり、精神面もまだ丈夫だと見える。……それが何故、あそこまで外れる球になったんだ?

キャッチャーポジションに小走りで戻りながら、六道は頭を捻り考えた。

が、その疑問の答えは、すぐさま六道に突き付けられることとなる。

 

直後の、5番打者との相対。

ここは、手堅く二塁ランナーを送ってくるだろうか。だとしたら、ボール球を出しながら様子を見るしかない。

珮斗にサインを送る。コースはアウトコースのボール球。これで相手打者の動きを見よう。

 

珮斗がセットポジションから振りかぶり、左腕を振るう。その瞬間、六道はまたも反射的に稲妻のような危険を察知した。

 

(――くっ、またか!)

 

身体を横に飛び出し、自分の要求よりも遥かに大きくすっぽ抜けた球を、辛うじてミットの中に収めた。

刹那の焦りを顕す、冷や汗が頬を伝う。

 

――危なかった……。

もし今のを後逸すれば、ランナーに三塁まで進まれていた。そうなれば、ノーアウトでサヨナラのランナー三塁……本当に最悪の場面になっているところだったのだ。

 

それに今の一球でハッキリした。またアイツ――珮斗は、特に違和感もない投球フォームで、あんなすっぽ抜ける球をよこしてきた。2球も連続でだ。

失投じゃないのなら、これはもう明らかだ。コイツはただ純粋に、制球力が無さすぎるだけなんじゃないか?それも、プロの投手として有り得ないくらいに……!

 

なら、この場面をコイツでどう乗り切る?変化球を使わせてみるか?確かフォークだけだったか。

次の投球に、フォークの指示を出す。珮斗ははっきりと頷き返し、それに答え球を投じた。……またも要求コースとは違ったが。

 

そしてそのフォークを…ミットに収める。微弱な手応え。

何なんだ一体……これは。

またも私は、動揺を隠せずにいた。

そのフォークはまるでフォークとは言えないような、たいしたキレも落差もない代物だった。唯一の変化球が……こんなものなのか。

 

駄目だ、これでは。捕手の立場で言わせてもらえば、こんな投手で抑え切るのは至難のワザだ……!

球速もなく、変化球もなく、制球力もない。こんな投手で――この場をどう乗り切れというんだ……?

言っては悪いが、あの珮斗というヤツは……プロの舞台には場違いな実力しか持ち合わせていない。一体どうしてこの場に紛れ込んできたんだ。

……それなのに……

 

ミットに受けたボールを見詰めながら、六道は神妙な面持ちだった。

 

 

***

 

 

一方、三塁ベンチに座り込んで9回裏のこれまでを見守っていた伊坂は複雑な思いだった。

 

丸岡さんが満を持して送り込んできた、あの“珮斗”とかいう青いヤツ。

どれくらい青いヤツなのかと思えば……ありゃ『真っ青』じゃねえか。

何なんだアイツの投球は?球威も制球もプロ最低レベル。いや、プロというのも馬鹿らしい。いくら弱小と言われてるウチでもあそこまでのヤツはいない。

同じ投手として分かる。アイツは……ヘボだ。

 

そんなヤツを、何で丸岡さんがバルカンズに連れて来たんだ?

去年のドラフトでウチが獲得した六道・猛田・矢部らの新人組は、あの人が自ら動いて引き入れさせたらしい。つまりあの珮斗も丸岡さんが選び出したことになる。

……どうしてあんなヤツを引き入れた?一体何を考えてやがる?珮斗はただのヘボなのか?

……それとも、アンタはヤツにまだ何かを隠してやがるのか?

今なお自分の隣のベンチに腰深く座り込む丸岡を見ながら、伊坂は思慮する。

丸岡はそんな伊坂には構わず、また一つ昼下がりのあくびを漏らした。

 

その時快音が鳴る。グラウンドにざわめきが立つ。

伊坂はとっさにグラウンドに向き直り、見た。自軍の5番打者の打球が、見事に三遊間を破りレフト前に転がる。そして二塁ランナーは三塁を蹴った。

 

なんだ、これでサヨナラじゃねえか。拍子抜けだ。

……と、伊坂が一瞬そう思うも、レフトからのバックホームを悟り、本塁突入を諦め二塁ランナーは三塁に戻る。その隙に二塁まで走るバッターランナー。

 

決着こそならなかったが、場面はノーアウト二・三塁となった。いよいよ白チーム最大の好機が出来上がる。そして紅チームは恐れていた最悪のシチュエーションが出来上がる。

 

もう勝ちも同然だ。変に詮索する必要なんざねぇ。あの投手は雑魚だ、これだけは確か……!こんな場面を作っちまうとは。実力にも運にも見放されてやがる……!

伊坂の中に、確信に近い自信が満ちてきた。そして、隣の丸岡に向け得意げに語り掛ける。

 

「アンタが推すぐらいだからどれほどの投手かと思えば。……笑わせてくれるぜ、こっから見てても分かりますよ。球威も制球もいいとこ無しだ、あの珮斗とか言うヤツは」

 

丸岡はグラウンドを向き、黙ったまま伊坂の声を聞いていた。

その様子に伊坂はより強気に出る。

 

「なんであんなのをアンタが連れて来たかはわかんねぇが、俺にもプライドがあるんだ。サヨナラにしてあっさり名誉挽回させてもらいますよ。それとも、あのヘボ投手にまだ奥の手でもあるってんなら話は別ですがね」

 

伊坂は言い放った。少し勝ち誇った気持ちだった。こんな形で丸岡の足をすくえるとは快心だ、と。

――さぁ、アンタはこういうときどういう返事をするんだ?

――苦し紛れの言葉でも吐くのか、はたまた開き直るのか。興味がある。

――さぁ、返事してくださいよ。

 

「……ほぉ、よく分かったな伊坂。もう本質が読めるようになったか?」

 

「……は?」

しかしまたしても、丸岡は伊坂の予想を裏切る。それは考えもしなかった返事だった。

 

「よく見抜いたなぁ。珮斗の“奥の手”のこと。誰にも話してないのに」

 

「なん…だと…?」

 

嘘だ、ハッタリだ。それこそ開き直りじゃねえか。青臭い新人が、サヨナラの危機になってなお、隠し手を持ってるだと?

ありえねえっ。そんな漫画みたいな話が現実にあるかよっ。ありえねえっ!!!

 

「へっ、そ、そんなもんがあるんなら見てやりますよ」

 

そう返すので伊坂は精一杯だった。苦し紛れな言葉を吐かされたのは彼の方だった。

 

 

***

 

 

グラウンド上・本塁のキャッチャーポジションにて。マスクを外し汗を拭う私、六道はいよいよ気が気でなかった。

ノーアウトでサヨナラのランナーに三塁まで進まれた。恐れていた最悪の展開なのだ。

 

(どうする。とにかくここはセオリー通り満塁策をとるしかないな。内野守備は前進にし、とにかく本塁フォースアウトが絶対だ。だが……)

 

マスクを被り直し、ちらとマウンドを見遣る。珮斗のいるマウンド。

珮斗もまた、額の汗を腕で拭い、目をしかめ歯を食いしばった。

 

あぁ、分かるさ。投手なら誰しも、こんな場面を作り出してしまったのを悔やむだろう。今の珮斗はその典型的な姿だ。

それと同時に……あいつ、動揺しているんじゃないか。

こんな実戦的な初舞台では当然と言えば当然かもしれない。だが私達はプロなんだ。そんな泣き事は、決して口にはしてはいけない。生き残るための力を常に誇示していかなくてはならないんだ。

そしてその舞台には、お前は恐らく出るのが早過ぎた。少なくともこの後の場面をお前の力量で乗り切るのは……至難だ。

次の六番打者を歩かせたら……丸岡監督に投手交代を頼むしかない。

はっきり言って……珮斗、お前がこのまま投げていては、間違いなく私達の紅チームは負ける。

 

珮斗を、次の打者を歩かせたら降板させる――。むろん本気だった。厳しいようでも、プロならそれがしかるべき選択なのだ。皆それも分かっている――。

 

プレイが再開し、ミットの影に右手の指でサインを作り、マウンドの珮斗に示す。『敬遠』のサイン。

マウンドの珮斗は、目をしばたたかせた。そしてそのサインに反意の目を向けてくる。

 

(何を驚いているんだ)

 

――この場面なら敬遠による満塁策が普通だ。そもそもこの六番打者を歩かせれば、後は七番以降の下位打線に回せるんだ。

――それとも勝負したいとでも言うのか……馬鹿な。言う通りに投げろ。

もう一度六道はサインを送る。指をはっきり見せ、強く敬遠を要求するように。

 

しばらくの間を置き珮斗は今度こそサインに頷いた。しかしその表情は険しかった。

顔には冷や汗が浮かんでいる。登板してまだものの10球と投げていないのに、かくような汗ではない。やはりこの危機的状況に動転している。

 

(ともかく勝負は満塁にしてからだ。内野を越させない配球、そして確実にコーナーに制球出来る投手に変えなくては)

 

……その時、既に私は珮斗が降板してからのことを考えだしていた。

何故なら『敬遠をしくじる投手などいない』そう思っていたから。当たり前のことだ。ただすっぽ抜けるボール球を投げればいいだけなのだから。

だが……あいつにそんな考えが通用すると思ったのがいけなかった。そして、とんでもない事が起きたのだ。

それは珮斗の、六番打者への最初のその一球であった。

あいつが腕を振り抜き、放たれた白球の軌道を追う。要求したのは敬遠――遥か外角高めに外す軌道だった。

異変に気付いたのは、そのほんの一刹那後だった。

 

(軌道が……違う)

 

こちらへ飛んでくる白球の向こうに、マウンド上、投球フォロースルーに入る珮斗の表情が映る。目を点にし『しまった』と言わんばかりのその表情。自身も気付いたのだ。やらかしてしまったことに。

コースを外角に外し損なっていた。ここへ来てまたも珮斗の制球乱れ。悪いことにボール球になればいいものが、ストライクゾーンに入ろうかと言う球に。

 

次の瞬間、バットが空を切りかかる音を聞いた。失投と睨むや否や打者は手を出してきたのだ。

 

駄目だ――。

たとえ打ち損じてくれても、この場面では――!

敗北の二文字が脳裏を掠めた。ノーアウトで三塁まで進まれていて、守備はまだ前進寄りにしていない!打者に深い当たりを出されれば……三塁ランナーは本塁まで到達し、その瞬間にサヨナラ……!

……負けるっ……!

いっそ敬遠させる前に、あいつを降板させていれば……!

六道は後悔した。自分の読みと判断の誤りを。そしてマウンドに立つ男の無力を心でひそかに呪ったのだ。

が、もう遅い。

――カキャンンンン!!!

打撃音がこだました。私の網膜にその光景が焼き付いた。

弾き返された球は一閃を描き、投球主である珮斗の横を凄まじい勢いで摺り抜ける。

痛烈なピッチャー返しだった。

 

二遊間を抜かれる。センター前の被安打だ、そしてその間に三塁ランナーが本塁に……

……負ける……

……負けた……

 

私は敗北を覚悟した。瞬時に、心の中に後悔の苦い味が染み渡っていった。

目の前がいっきに暗くなっていった。

 

…………

 

(まだ……)

(まだ、早いっ……!!!)

 

その時声が聞こえた。どこからともなく、心に直接話しかけてくるような声。

 

(この声、覚えがある――)

どこかで聞いたような懐かしい声だった。

電流がよぎるような心の衝撃を感じ、私は顔を上げる。

 

目の前のマウンドで、横を摺り抜けようとせん痛烈な打球に目掛けダイブする珮斗の姿が、目に飛び込んできた。

なんて打球反応だ――あの打球に反応するなんて。アイツ、ヤマを張っていたのか――。

その珮斗が伸ばした右手のグラブに、間一髪で打球が弾かれた。

 

(ダメだ、抜ける――)

 

その次の瞬間、珮斗は今度は身体を伸ばし、打球を胴に受けていた。

 

「させるか…ぐふ……っ!」

 

凄まじい速度の打球を胸にまともに受け、珮斗は息が詰まる痛みに襲われる。思わず喉から咳がほとばしった。そのままマウンド横に崩れ落ちる。

 

勢いを止められたボールは……横たわる珮斗のすぐ傍らに転がった。

その光景を見た三塁ランナーが、一瞬足を迷わせた。ホーム突入時、もし珮斗がすぐにでも起き上がり六道にボールを渡せば、突入失敗になる――三塁ランナーにはその場に止まるしかなかった。

その間に打ったバッターは一塁へ駆ける。が、珮斗はうずくまったままで、バッターはそのまま悠々と一塁ベースを踏むのだった。

 

一瞬の出来事だった。終わったかと思われた試合は、珮斗の打球反応により、同点で9回裏・無死満塁となってなおも続く。

 

「おい、しっかりしろ!大丈夫か?」

 

フィールドプレイが固まり、六道はすぐさまマウンドに走り寄り、胸を押さえている珮斗を気遣う。

 

「いてて……大丈夫……だよ」

 

「よくあの当たりを捕ってくれた……。ナイスファイトだ。だが……」

 

……ピンチの場面には変わりない。無死満塁。結局は四球を与えるのと変わりない状況になったのだが。

(この際だ……言いたくはないが、はっきり言うしかない)

 

「珮斗、お前にはここでマウンドを降りてもらうしかない。お前では、ここから抑えることは厳しい……悪いが私はそう判断した。打球を受けて痛めた身なら、尚更……」

 

ここまで口にして、私は珮斗が話を聞いていないことに気が付いた。さっきから胸を抑えたまま、口を小刻みに動かしこちらに聞こえない声で何かをつぶやいている。

 

「……ま……く…い」

「……負けたくない……」

 

その声がだんだん大きく、強くなる。

 

「俺、せっかくプロになったんだ……ここまで、苦しい思いをして、やっと、辿り着いたんだ」

 

「珮斗……」

 

やっと辿り着いた、か。それは私も同じ……。女というだけで野球の世界では様々な偏見・差別を受けてきた。これは私にしか分からない苦しみだがな。

理由はともあれ、こいつも……。

 

「だからここで、チャンスは棒に振れないんだ……六道さん、頼むよ。もう少し、投げさせてほしいんだ!」

 

珮斗は立ち上がり、熱い言葉を発する。目は強く光っているように見えた。

それは紛れも無い野球への想いがそうさせたのだろう。

それを否定するような事をこれ以上……さしもの私も言うことにはためらった。

 

――私は知っている、その野球への想いを否定されることの悲しさを。

『女性野球選手』という特殊な境遇が故に、私がプロの世界へ上り詰めるうえで通らなくてはならなかった関門――。

恐らくこれから先にもずっと忘れることはないであろう、昔の記憶。

 

『私は一生懸命頑張ったんだ。相手が男でも絶対に負けなかった。なのに、どうしてダメなんだ!?』

 

『野球が好きな気持ちは誰にも負けない!負けないんだ!私はただ野球がしたいんだ!』

 

『女……だからなのか?私が男なら、皆ともっと野球を続けていられたのか?』

 

『……ならどうして……私は女に生まれてきたんだ……どうして…………』

 

かつての言葉とともに、忌まわしい記憶が頭に蘇る。私の野球への想いを粉々に砕かれ、そして私自身を、奈落の底に突き落とした、かつての出来事。

思わず首を振り、ヘドロのような苦々しい思い出を拭い、我に返った。

 

「珮斗てめぇ、このぐらいで凹んでんなよ!」

「そうでやんすよ、まだ負けたわけじゃないでやんす!」

 

気が付くと外野から同じ新人の猛田、矢部が近寄ってきて、珮斗を激励する。

 

「やってくれたなぁ珮斗、だけどこのままアウト1つも取れずにやられるなよ!」

「そうだぜ、一泡吹かせてやんないと」

 

その二人だけじゃない、紅チームの守備陣がマウンドに集まり、叱咤激励を施す。

 

「あぁ、ありがとうみんな」

 

「よせやい、そういうのはこの場面を切り抜けて言いな」

「ここからでやんすよ!打たせて取るでやんす!」

「外野に来た球は、全部ホームで刺してやるぜ!」

 

いつしか自分たち紅チームの中心に、珮斗がいる。私はそんなふうに見えていた。

なんなんだ、コイツは……皆をひきつける能力を持ってるのか。

 

ふと、ベンチに目を向ける。紅チームを統率する丸岡監督に動きは見られない。ただこの光景をじっと見守っているのみだった。つまり続投しろと言うことか。

……不思議な監督だ。そしてその不思議な人が連れてきたというこの珮斗も……不思議なヤツ。

今日から突如紅白戦に参戦し、いきなりどうしようもない事態を引き起こしてるのに……なぜか皆を引き寄せている。

 

(そして珮斗は……いろんな意味でアイツによくにている。私の前から姿を消してしまった、“あの人”に……)

 

私はひとり頷き、心で決断した。

 

「わかった、何とかやってみよう……珮斗。守備の皆も、前進シフトで何としてもホームに球を送ってくれ。」

 

紅組ナインの男達は六道の一声に口々に賛同し、おう、と応えた。珮斗もまた、静かに大きく頷いた。

その時、その珮斗の目の奥に熱く燃えたぎる焔(ほむら)が宿ったのに気付いた者はいなかった。

 

 

***

 

 

{津々家バルカンズ紅白戦}

紅チーム…4

白チーム…4

9回裏 白チーム攻撃

無死ランナー満塁

 

 

紅チーム守備陣が散り、プレイが再開する。

身体にじりじりと伝わってくる緊迫感を、六道は感じ取っていた。それは恐らく、この試合に関わる他の者全ても同様に感じているはず。

この紅白戦の最大のターニングポイントを迎えているのだから、皆がそうなって当然だ。

 

六道はマスクを被り直すと打者と珮斗を見遣りながら思索を張り巡らせた。

何がなんでも、内野を越える当たりを打たれるわけにはいかない。かといって珮斗に奪三振を取らせるのも望めない……。

……低めのコースの球を詰まらせ、打たせて取るしかない。珮斗の制球力では、恐らくそれもままならないだろう、だが。

……今は、やるしかないんだ。無理であっても!

意を決して、珮斗へサインを送る。もう悩むことはない、そうするしかないのだ。インローへ直球のサイン。

 

珮斗は首を小さく上下し頷いた。

打席の打者が構え、投球を迎撃態勢に入る。

直後に珮斗がゆっくりとしたセットポジションから、両腕を振りかぶる。それを合図に内野守備シフトが一斉に前進する。

 

(なるようになれ。さぁ、来いっ……!)

六道はキャッチャーミットを突き出し、万端で構えの態勢に入った。

その時だった。

 

今まさにボールをリリースしようかという珮斗の目線が、六道の目線とぶつかった。

その彼方に見えたのだ。

珮斗の眼光の中に揺らめく熱い焔。強い力。

その一瞬で、六道は理解した。

珮斗という男の、野球というものへの情熱、熱意、思い……。それら全てが凝縮されたような眼差し。

 

そうか……あいつも同じなんだ。実力なんて、関係ない。あいつも野球が大好きなんだ。

ほんの一瞬であったが、そう感じ取ったのだ。

 

「おおおおおぉぉぉーーーーっっ!!!!!」

 

珮斗が叫び、腕を思いきり振りぬいた。その風切り音が轟き、鼓膜を確かに揺らした。そのリリースの瞬間、マウンドの空気が揺らめいた。

長年の捕手としての経験が培った六道の『第六感』が、はっきりと捉えた。今まで感じた事のない摩訶不思議な感覚を。

 

放たれたボールは真っ直ぐにこちらへ向かってくる。

だが……

コースが……甘い……!

普段以上の集中力でボールを追った六道は、すぐに球筋を察知した。

確かに今までより球威は一番出てはいる。だが、コースが真ん中寄り過ぎる!これでは……打たれる……!

そう思った時には、案の定、真横に立つ打者は足を踏み出し、スイングを始めていた。

バットの軌道はボールの球筋をはっきりと捉えていた。

 

(く、これまで、か――)

 

快音が轟いた、

かと思ったその瞬間……!

 

メコッ、バギッという擬音。

目と鼻の先でバットとボールが交錯する瞬間に、見たのだ。

珮斗から放られた白球が、木製のバットへと食い込み、そして…。

 

バキイイィィィン!!!!!!!!!!

 

ビスケットを割るように、バットを真っ二つに粉砕するのを。

驚愕、言葉が出ない。あの球に、こんな球威が?

 

「キャッチャー、上だぁ!!」

 

誰かが叫び、六道は我に返る。打球は弱々しく浮き上がり、私のほぼ真上のキャッチャーフライだった。

すぐさまマスクを取り、オーライの態勢を取り、落ちてくる打球をミットに収めた。

 

ずしり――。という感触。

フライした球をキャッチした瞬間、六道はそれに気付いた。ボールが、重い……。先程の不思議な感じが、また蘇る。

受けた左腕がじん、と痺れる。だが、どこか心地よいこの感触。

 

「アウトォーーーー!!」

 

大ピンチから、ようやく1アウトを取った。バッターは折れたバットを拾うと、首をかしげ引き下がる。

 

「いいぞ、珮斗ぉ!」

「あと2人でやんす!」

 

グラウンドでは、矢部、猛田を中心に紅の守備陣から歓声が巻き起こっていた。

 

残り、ツーアウト……。

しかしそれよりも、六道はもう一度、珮斗の球を、見てみたいという好奇心が渦巻いていた。

今の一球は、何だったんだ?珮斗のリリース時の不思議な感覚。バットをへし折った球……。もう一度、あれを見てみたい。

 

次の8番打者が、打席に入る。

六道はマスクを被り直し、珮斗にすぐ次のサインを送る。コースはアウトロー。

珮斗はコクリと頷いた。セットポジションから、腕を上げ、振り抜く。

 

ドクン。

(まただ、この感じ。例えるならまるで『一球入魂』)

 

その球に対し、打者がバットを振り出した。またも初球打ち。だがタイミングが早い。アウトの球に対する引っ張り打ちで、強引な強打を狙うつもりか。

 

メコッ、バギッ…!

その刹那、さっきと同じような音がしたかと思うと、ピタリとバットとボールが静止した。

いや、正確にはバットは振り抜かれなかったのだ、ボールにインパクトした瞬間、スイングの運動エネルギーを上回る、もっと強力なエネルギーに押し返されるように。

超集中下の意識でのほんの一瞬ではあったが、六道には確かにそう見えたのだ。

 

(何なんだ、これは……)

 

鈍い打ち損じる音がし、打球は一塁方向にふらっと力なく舞った。それは、本来打者が引っ張り打ちするはずの三塁方向とは全く反対だった。それは明らかに、バッターがボールに力負けした証だった。

 

(あいつの投球が、まるでバットを押し返したかのよう……まるで重い球だ……!球にノビもキレもないのに、気迫だけで……打者を打ち取ったとでもいうのか?

アイツがリリースの時に垣間見せた、眼光に宿る野球への強い『思い』。それがそのまま、あいつの投じる球に宿った……。

さっきのキャッチャーフライを受けた時に感じた、どこか心地よい感触の正体は、これだったんだ。

こんな事が有り得るのか……

ただの重い球じゃない、

これはまさに……

おも(思)い球だ……!)

 

「……ア、アウトォ!ツーアウト!!!」

 

8番打者はファーストフライに打ち取られ、マウンドの珮斗はグッと握りこぶしでガッツポーズをした。

 

「よおしっ……!」

 

これでツーアウト。無死満塁という絶体絶命のピンチから……いよいよ、あとワンアウトなのである。

 

 

***

 

 

「ちっくしょう、何をやってやがんだ!7、8番二人揃って打ち上げやがって……!地面に転がせば勝ちなんだ、浮かせてどうする!」

 

2アウトの宣告を聞いた伊坂は、三塁ベンチにて思わず声を荒くし怒鳴り込んでいた。

その真横に座っていた丸岡が、わざとらしくニヤニヤ顔をしながら伊坂をたしなめる。

 

「そう焦るな伊坂……それにな、7番も、8番打者もボールはちゃんと芯で捉えられてたんだぞ」

 

「だから何だってんですか……!」

 

スタンドからバットとハンドスプレーを取り出し、伊坂はまた声をあらげた。

次の9番打者は、彼なのだ。

 

「あの珮斗は……気迫が凄いんだ。球威はなくとも魂の篭った球で、どんな打者も打たせて取る!それが、俺があいつをウチに招き入れた理由さ」

 

――球威はなくとも魂の篭った球で、どんな打者も打たせて取る……だと?どこかで聞いたぜ……そ、それは……。

昔に見たくだらねぇ野球漫画と……同じじゃねえか。

ふ、ふ、ふざけんじゃねえ……。

 

「意味わからねえこと言ってんじゃねえ監督!アイツらにパワーがないだけだ!畜生、次で俺が決めてやる……!」

 

不機嫌をあらわにし、伊坂はズカズカとベンチから出ていった。

後にはやはりまずいムードのベンチが残される。

白チームメンバーは声をひそめ口々に話しているのだった。

 

「……ふ、すぐには直らない、か。まあ、あいつにも体感させるのが一番早い……」

 

そのベンチを尻目に、丸岡はぽつりとそうつぶやいた。

 

 

***

 

 

どいつもこいつも、俺をコケにしやがって……!あんな青臭ぇ新人なんぞに、負けるか!勝つのは俺達白チームだ……!

投手でありながら毎年2割6分を切らない俺のバッティングを味わうがいい!

なにが気迫だ、魂だ、野球はそんなに単純じゃねえ!俺がこの手で、引導を、渡してやるぜ、珮斗……!!

 

「きやがれぇ新人がぁ!」

 

バッターボックスに立った伊坂はマウンドに佇む珮斗にも怒鳴り声を飛ばした。

が、聞こえなかったかのように、珮斗は応じることなく佇んだまま。

9回裏二死満塁、一打サヨナラという紅白戦最大のこの場面、一番緊張するはずの投手・珮斗が立つマウンドは、静かなる空気を漂わせていた。

 

「聞こえてんのか……テメェ!!!」

 

激昂した伊坂は再び怒声を上げる。

 

「……聞こえてますよ……伊坂さん」

 

静かなる声がした。最初の挨拶の時のような明朗さは影を潜めた、落ち着き払った声だった。

 

「なに……!?」

 

「全力で……いきます!!!」

 

次の瞬間には珮斗も声を高らかにし、いよいよ腕を振りかぶった。そして渾身の勢いで、左腕を振り抜いた。

その時、伊坂にも見えた。リリースの瞬間、こちらを鋭く見つめる珮斗の眼光、その中に広がる、彼の全てを投影したかのような光景を。

 

(ちぃ、なめんな!俺を惑わせようたって、いくかよぉ……!コースも甘え、ただのヒョロ球じゃねえか!終わりだ、野郎がぁ!!!)

 

吸い込まれるようにど真ん中にやってくる白球に、伊坂は勢いたっぷりにバットを叩き合わせた。

 

(どうだ、新人。これが、プロの洗礼……)

 

  メコッ

 

(せ、洗れ…ぃ……)

 

  バギッ

   メコッ

 

(な、なんだ……このボールは……!?!?!?!)

 

  メコッ

   メコッ

  メコッ

   バギャ!

  ズギャ!!

   ボギィ!!!

 

(お、……重てぇぇぇーーーーッッッ!?!?!?!)

 

バキイイィィィン!!!!……………………

 

破砕音がグラウンドにこだまし、伊坂はその勢い余りバッターボックスの隣に横転した。

 

キャッチャーの六道はすぐさま立ち上がり、打球を目で追う。

が、見当たらない。バットとボールの激しい接触の瞬間、ボールはふっと消えた。

紅チームの守備陣も、白チームのランナーらも、同様に、ボールを見失い、その場に固まったかのように、動けずにいた。

グラウンドは、一気に静寂に包まれる。

 

「ここだよ……ボールは……ここだ!!」

 

その静寂を破る一声。

声の主は……マウンドに佇む珮斗だった。

その彼が頭上に高らかに伸ばした右手の、グラブの中に、白球が、スッポリと収まっていた。

最後の打者、伊坂の打ち返した球は、ピッチャーライナーとなり、珮斗の手元にウイニングボールとして舞い戻ったのだった。

 

「アウトー!!!ゲームセット!!!」

 

アンパイアがひと呼吸遅れて、最後の審判を下した。

 

「あいつ、やりやがった……無死満塁から抑えやがった……」

「やったでやんす、一軍揃いの白チームに……ひ、引き分けたでやんすよーー!!」

 

その瞬間、引き分けではあるが、紅チームメンバーに歓喜が沸き上がった。彼らはマウンドに駆け寄り、崖っぷちのヒーローにスキンシップを喰らわせるのだった。

 

「やったな、この野郎!見直したぜ」

と珮斗の背中をバシバシ叩くのは猛田。矢部や、他のメンバーも、それに習うのだった。

 

「痛い、痛い!あ、ありがとうみんな……あー、だから痛いってば!!」

 

皆につままれながらも珮斗は満足げな様子だった。先程までとは打って変わり表情はまるで少年のころのようにあどけなかった。

しばらくスキンシップから解放されることはないだろう。

 

(珮斗、そしておもい球……か。あれは一体何だったんだろう。なんにせよ不思議なヤツだ……)

 

六道はそんな珮斗の様子を、遠巻きから見つめていた。その目はどこか虚ろで遠くを見つめているようでもあった。

 

(――やっぱり、似てるな。『アイツ』に。……一体どこで何をしているんだろうか。お前はどこにいってしまったんだ?まだ……どこかで野球を続けているのか?)

 

「ふふっ、さっきから釘付けだなぁ。そんなに気になったかい。あの珮斗の事が」

 

不意をつく一言に、六道はびっくりして振り返った。自分達紅チームの指揮を採っていたバルカンズ監督・丸岡がそこに立っていた。

 

「そ、そんなんじゃない。ただ、不思議なヤツだ……と思った」

 

「不思議、か。君は気付いたみたいだな」

 

「あいつのあの球は……一体何なんだ。監督は、知っているのか?」

 

「ふふ、知らないさ俺も。それを知るのは、キャッチャーの君の役割だ、六道君」

 

意味深に微笑みを浮かべた丸岡だが、それだけいうと踵を返しベンチへと歩いていってしまった。去り際の彼の表情はどこか満足げであった。

 

「キャッチャーの役割……か」

 

高校球児のように、まだマウンド上ではしゃぐ珮斗達を見ながら、六道は誰へともなくつぶやくのだった。

陽が西に傾く空はこがね色に染められ、グラウンドにいるバルカンズ選手達を柔らかな憂愁で包んでいた。

 

(……こうして、この俺、珮斗のバルカンズでの初めての戦いは、幕を降ろした。

だけどそれは同時に、これから始まる、過酷な戦いの幕開けでもあったんだ)

 

 

***

 

 

200X年。

既存のプロ野球リーグ、『セ・リーグ』と『パ・リーグ』に加え、第三のプロ野球リーグが発足。

その名も『レボリューション・リーグ』。略して『レ・リーグ』。

そのレ・リーグのお荷物と言われた弱小球団、津々家バルカンズから、全てが始まろうとしていた。

 

そしていま、プロ野球界は暗黒時代を迎える。かつて球界を震撼させた、『二つの事件』……その影を引きずり、球界にはいつしか深い闇が付き纏うようになった。

 

珮斗、六道らの新人達は、まだ知らなかった。自分達のこれからの戦いは、その闇との対峙であることを。

そして彼らはその先に何を見るのか。

それは読者の貴方がページをめくり、読み解くことで、いずれ解るかもしれない……。

 

この物語は、珮斗たちバルカンズの、球界の闇の中を駆け抜ける物語である。

誰も知らない物語、その真実を、ここに著していこう。

 

 

 ● ● ● ● ●

 

 

爆砲球団バルカンズ

 

 第1話 おわり

  第2話につづく…

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。