爆砲球団バルカンズ   作:李座空

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第2話 珮斗の風

紅白戦から数週間。

春季キャンプは早くも終盤にさしかかり、珮斗ら新人はプロの過酷な練習に揉まれていた。

何より、珮斗は紅白戦での『おもい球』の噂が早くもチーム内で広がり、注目の的にされていたのだった。

だがその影で、珮斗に嫉妬の目を向ける者が一人、いた――。

 

人は誰しも己の名誉、地位、プライドを選好するのが本能的だ。だが目先の目的と目標とを区別できぬ者は、滅びゆくのである。

プロの世界は、未熟な珮斗に次なる試練を刻み込むか。

 

 

 ● ● ● ● ●

 

 

爆砲球団バルカンズ

 

第2話

 珮斗の風

 

 

カキィーーン!

もう何球目になるのであろうか。打ち砕く快音が、ここバルカンズ春季キャンプ練習グラウンドへと響き渡る。

 

「おいおい、これでもう被本塁打2本目じゃねえか……」

 

「点数にするともう0点切ってるでやんす……」

 

グラウンドの傍らで、タオルを肩に掛けドリンクボトルをくわえながら、打球の行方を猛田と矢部は見つめていた。宙を舞う打球は日光を浴び眩しく輝きながら、外野フェンスを越え、場外へと落ち込んでいく。

グラウンドの、マウンドに立ち尽くす投手――調整テストに臨む同期の珮斗は、汗をたらりと流した。

 

「く。くそ……!うりゃあああ!」

 

うろたえながらも、珮斗は左腕を振り抜く。ボールは浮いていた。

――カキィーーン!!

 

「あぁ、また打たれたでやんすね……」

 

今こうして珮斗が挑んでいる『調整テスト』は、春季キャンプ期間中定期的に、選手らの実力計測を目的に行われていた。珮斗ら投手のテストとは、持ち点10点から実際に打者を置いて10球投げ、いかに少ない被安打でくぐり抜けるかというものだった。

 

「珮斗、そこまでだ!お前の点は……マイナス7点!」

 

点数係の選手が叫び、珮斗の試験終了を告げた。

 

「……はぁ、ぜぇ、くそぉ、またマイナスかぁ」

 

息をつきながら、珮斗はテストのマウンドから降りる。そこにチームメイトらが駆け寄る。

 

「お疲れ、前のマイナス11よりましだな!」

「“思い球”はどしたんだぁ」

「もっと捕りやすいとこに打たせろよ」

 

チームメイトらはほとんどからかいに近い励ましを珮斗へと送る。

この調整テスト、珮斗の点数はチーム投手陣の中でも、ここまでずっとぶっちぎりで下位を独走していた。

 

「あぁ、もう!みんなしてからかってるだろ」

 

「ははっ、まぁ点数は良くなってんだからいいじゃん」

「それより“思い球”だよ」

「前の紅白戦から見てねーぜ、あれさえ使えば点数も上がるだろ?」

 

「そ、それは……」

 

取り囲むチームメイトらに言われ、珮斗は口篭もった。

 

 

***

 

 

……正直なところ、俺はまだよく分かってないんだ。自分の投げたっていう、『思い球』のこと。

前の紅白戦が終わったあと、捕手を務めてくれた六道さんが俺に言ってたっけ。

「その球をいつでも投げられるようになれ」って。

今になって思うと、あの時はかなり夢中だった。プロに入っていきなりの実戦、危機的な状況……。頭の中、真っ白になったな。

これまで野球をずっとしてきたけど、あんな球を俺が投げていたなんて初めて知った。だから、よく分からないんだよなぁ……。

俺は、あの紅白戦以来その『思い球』を投げていない。自分では分からないけど周りがそう言っている。

そのせいか、テストの点数は厳しいものだった。ただでさえ制球力がないぶん、ね。

チームリーダーの伊坂さんにも、その点数のことでかなりどやされる。紅白戦以来、何だかあの人には目の敵にされてるしなぁ……。

 

うん、やっぱもっと練習を濃くしなきゃだめだ……皆に追い付くために。

 

 

***

 

 

「……おーい、珮斗、ハイトォ!」

 

休憩しながら考え込んでいると、名前を呼ばれている。珮斗はふっと我に返った。

休憩所のベンチに座っていたところの眼前に、猛田の顔があった。

わっ、と驚きその場に後ろのめりになる。

 

「なに眉間に皺寄せて悩んでんだ、らしくねぇ」

 

そう言いつつバシバシと珮斗の肩を叩く。猛田は新人組の中ではムードメーカーだった。いつでもこの妙に高いテンションで誰にでも接している。そのノリには合わせやすくていいと珮斗は好意的に受け取っていた。

 

「なんでもないよ。それより何の用さ」

 

「片付け終わったら、先輩達が晩飯おごってくれるみたいでやんす。今日の調整テストがよかったみたいで、大盤振る舞いしてくれそうでやんすよ!」

 

猛田の代わりに口を挟んできたのは、同じく新人の矢部。

常にビン底眼鏡をかけ、どこか茶目っ気のある人柄の彼も、入団以降何だかんだでいつも行動を共にしているのだった。

 

「本当?じゃあ、早く片付けちゃおうか」

 

そういうや否や、珮斗の腹がぐぅと音を立てた。もうそんな時間である。

それを聞いた猛田と矢部がははっ、と笑った。

 

「おう、それじゃいっちょ早く片付けようぜ!」

 

猛田が威勢よく促し、珮斗は整備に取り掛かりグラウンドに出た。

――ひとまずは、食事にありつこう。腹が減っては戦は出来ぬ。珮斗はあっさりと頭を切り替え、整備用のトンボを掴むと、西日に黄色く染まったグラウンドを駆け出した。

 

……………

 

その珮斗の姿を、練習場のベンチから睨みつけるように眺めている男が一人いた。

あの紅白戦で、珮斗にラストバッターにされたバルカンズの現チームリーダー・伊坂である。

 

「あの野郎。またテストは最下位、か」

 

手元に持ったチーム全員の調整テスト結果表を目にしつつ、伊坂はぶっきらぼうに言う。

 

「わからん野郎め……前の紅白戦でのあの球は何だったんだ?でなきゃ、ここまで点数下がるか?」

 

(俺はまだはっきりと身に覚えている。あの『思い球』とやらを打った時の感触。例えるならナマリ球を叩いたような……重たい感触だ。確実にミートしたのにその圧力でバットは押し戻され、ピッチャーライナーに打ち取られた。あれは、マグレか何かの間違いだったのか……それとも……)

 

「……ホントに、分からないヤツだぜ」

 

伊坂は、誰へともなくそうぼやきを漏らした。

 

「えぇ、僕にもホントに分かりませんね」

 

が、それに思いも寄らぬ返事を返す声。

まさか――丸岡さんか?

伊坂は振り返ったが、そこにいたのは監督の丸岡ではなかった。自分よりも若い、バルカンズのユニフォームを着た男が仁王立ちしていた。

野球選手に申し分ない、整った体格。どこかプロ気質を感じさせる、精悍な顔立ち。

 

伊坂は思った。

「……誰だ?コイツ」と。そしてそれがそのまま口から出た。

 

「……誰だ?お前」

 

ズザー、と目の前の男がベンチの床を豪快に滑り転んだ。瞬く間に起き上がると、男はビックリしたように目を見開き迫ってきた。

 

「あ、あなたもですかっ……僕の名前は三澤!今年ドラフト1位でこのチームに入ったみ・さ・わです!以後っ、お見知りおきを!」

 

「お、おぉぅ……」

 

三澤の異様な剣幕に、思わず圧倒される伊坂。

(三澤……そういやそんなヤツいたっけ。ん、ドラフト1位だと?ということは、こいつも今年の『新人組』のひとりなのか……)

 

「僕にもわからないんですよ。どうして、ドラフト5位の珮斗君が、ドラフト1位の僕よりも目立ち、皆にちやほやされ……ゴホンッ、とにかく僕の見たところ彼にはまともな実力があるとは思えませんねそれになんといっても彼はやはりやっぱり思ったとおり――」

 

……は?

な、なんだコイツは……。

伊坂は思わず汗を垂らした。

いきなり目の前に現れた三澤とやらは、マシンガンの如く一方的にトークを繰り広げてきた。

しかも内容が珮斗への批評に始まり、唯我独尊、自画自賛。

いわゆるエリート、自分がかわいいってヤツか……。これまた変なヤツ……色んな意味で。コイツも丸岡さんが選んできたってのか……冗談だろ。

 

「……――というわけで、僕は珮斗君の紅白戦の活躍は99,9%マグレだと主張します。まぁ、そのマグレに打ち取られた、あなたもあなたですがね!チームリーダーの伊坂先輩」

 

「なにィ……」

 

コイツ、べらべらと好きに喋らせておけば。こんな事も言いやがるのか。

 

「おや失言でした、失礼!しかし、自分より格下の者に足を掬われるようではいけませんよ。プロは実力が全てです、僕の上司としてそれくらいは肝に命じて下さい、先輩」

 

三澤はそう言うと、ベンチから片付けの始まったグラウンドに出ていってしまった。後に残された伊坂は怒る気にもならず、ただただ呆気にとられる。

 

「ちっ、おっかしなヤツだな、珮斗といい……えと……アイツの名前何だった……ミハラだっけ」

 

……………

 

(見ていろよ、珮斗君。プロの世界じゃあ、実力がモノを言うんだ。君には直々に教えてやる、本当の実力者はマグレなんかには頼らないと。このドラフト1位の三澤がね……!僕が名実ともに新人組の中で一番だとしらしめてやろう)

 

夕暮れのグラウンドで後片付けに奔走しながら、自称エリート・三澤はある決心をしたのだった。

私欲にまみれた拳を、握り締めながら――。

 

 

***

 

 

陽も地平線に沈み、グラウンドはすっかり暗闇に包まれた頃。

後片付けは終わりかけていた。

昼間に選手らが汗を流したダイヤモンドはトンボの整地で整えられ、清められた。

 

「おい珮斗、これも片しといてくれよ」

 

「あぁ、そこに置いといて下さい。片付けておきますから」

 

球場の隅にあるホコリっぽい用具庫で、珮斗は最後の整理整頓をしながら、他のチームメイトらから道具を預かりそれも整理する。

新入りに課せられる、一種の雑用だった。

 

「おい、珮斗コレも」

「コレ頼む」

「アレもしといてくれ」

 

先輩にあたる選手らから指示や用具を押し付けられ、用具庫の中で珮斗はてんてこ舞い状態だった。

明滅を繰り返し、寿命が切れる寸前の電灯の灯った用具庫の外は、もう夜闇に満ちていた。

 

「ふぅ」

 

ようやく片付けが一段落したしたところで、珮斗はほっと息を吐いた。まだ2月だけあって、息が白い。どうりで肌寒いわけである。

外のグラウンドからは、すっかり人気は感じられない。珮斗だけが一番最後まで残っているようだ。

猛田達、もうメシに行ってしまったかな……と彼は少なからず落胆していた。

 

「はぁ」と再び息を吐く。今度は、ため息混じりだ。珮斗は用具類を一旦置くと、もの鬱げに俯く。

最近よく、周囲からはいいように扱われているように珮斗は感じていた。彼はドラフト順も低く、まだまだ実力も周囲にからかわれる程度しか無く、それはしようがない。プロの上下関係として当然のことでもあるからだ。

 

(……これから差を埋めていくしかない、か)

 

ふと、珮斗の脳裏に六道の言葉が思い返される。

『おもい球を、いつでも投げられるようになれ』と。

――『おもい球』か。もう一度、投げてみたい。それが、俺の武器になるのなら……。

――矢部君には走力、猛田には打撃力、六道さんには守備力という武器がある。やはり俺にも、何かが要るわけだ……。

 

手をこすり合わせ寒さを紛らわせながら、最後の点検に入る。一通り片付けは済み、問題はもうない、後はもう用具庫の鍵を締めれば終わりだ。

と思ったがその時。ざわっ、という気配を背後から感じる。無意識に肩がぶるっとした。

珮斗は振り返った。自分の背後にあるのは用具庫の入口、それをくぐった向こうには夜闇が横たわっている。

 

「気のせい……か?」

 

人の気配がしたような……気がした。が、振り返ったそこには誰もいない。気を取り直し、鍵を手に取り戸締まりをしようとした。

 

『クックック、こき使われてるなぁ。お前、それでいいのかな』

 

今度ははっきりと声がしたのだ。それは狭い用具庫の中を乱反射し、軽くエコーのように響き渡る声。

 

「だ、誰だ!?」

 

驚いた珮斗は、用具庫の中を見回す。どこから声が聞こえたのかはわからない。

――まだ、チームメイトが残っていたのか?それでもって、また俺をからかうつもりで言ってるのかっ?

 

ふと、先程見た用具庫の入口に目を向ける。その外の闇の中に、うっすら暗闇に紛れてうごめくシルエットが揺れ動いた。

人がいる。今の犯人は、アイツか!?

珮斗は弾かれたように、用具庫から飛び出した。

 

「おいっ待てっ!」

 

珮斗から逃げるように、シルエットは闇の中を駆けていく。全力で追い駆け、真っ暗な練習グラウンドを横切った。距離はそこそこ離れていて、しかも暗闇の中ではよく見えはしないが、シルエットは非常に縦に長く、非常に長身な人物を思わせた。

逃走者は方向を変え、球場のベンチに向け駆けていく。

それにしても速い。このままでは離されていく。珮斗は思った。

 

――バリイィン!!!

前方から突如音がした。ガラスが砕ける音だ。珮斗は驚き、音がしたところまで近寄った。

ベンチ横の報道室の窓が破られ、大きく刺々しい口を空けていた。

 

(窓を突き破って中に逃げ込んだっていうのか。なんでそこまでして……!)

珮斗もまた割れた窓をくぐり、報道室に入る。マイクや放送端末にガラス破片が散乱する暗い部屋には、人の気配はない。

――部屋の外かっ?

報道室の戸口を勢いよく開く。灰色のコンクリートが一面に張られた球場スタッフ専用区画の廊下に出た。左方の曲がり角へ目を向けると、ふっと消える黒い影。

 

「こっちかっ!」

 

珮斗も後を追い左の廊下を走り、曲がり角を曲がる。が、その角の先の廊下に、影はもう見えない。

 

「どこにいったんだ……隠れたのか?」

 

用心深く、球場廊下を進んでいく。廊下には扉がいくつかあるが、ほとんどは鍵がかかっていて身を隠せるわけがない。

 

(一体、どこに……)

そう思った次の瞬間、珮斗は思わず足を止めた。前方の廊下に見える扉から、光が漏れている。

誰かが、いる。

恐る恐るその扉の横に張り付く。扉には屋内投球練習場と記されている。

中からかすかに音……否、声がする。

 

『……ハズが……ないんだ。……あの珮斗……に……』

 

「!?」

 

はっきりと聞こえた。中にいる者が……珮斗の名を呼ぶのを。

――こそこそと、俺に何が言いたいんだよ!くそっ。

珮斗は意を決してそこの扉を開けた。

 

「おい、お前!」

 

「のわあぁあああぁぉっ!?」

 

ドアが開くと同時に、珮斗が中の練習場につっ立っていた男に怒鳴り込む。自身と同じ、バルカンズユニフォームを身につけた男は驚いたのか、飛び上がりながら珮斗を凝視した。

 

「お、お前……いや君は、珮斗君!」

 

相当驚いた様子のその男を見て、珮斗はやはりこいつか、と確信した。そして言葉を続ける。

 

「お前だろっ、さっきのは……何を考えてるんだよ、言いたい事があればはっきりと俺に言えよ!」

 

「……言いたいこと?ああ、そうとも!この僕は君に言いたい事があるんだ!」

 

目の前の男は、珮斗を威嚇するように口調を強める。

だが珮斗に突然疑問が降って湧いた。それは半ばお約束のようなものである。

 

(……ん?そういえば……こんなやつ、ウチのチームに居たっけ?もうチームに入って数週間だけど。なんか今初めて見たような)

 

「あー、その前に……あんた、誰だっけ?」

 

男はその場で豪快に滑り転がる。妙な奴だ。そして凄い勢いでまた立ち上がった。

 

「き、君に言われるとは心外だな……僕の名は三澤!君と同じで今季入団した三澤だ!なぜ同期の君が知らないっ!」

 

(同期……?猛田と矢部君、六道さんだけだと思ってたんだけど……)

珮斗は首を捻って考える。

 

「ぬぬ、いかにも存在自体知らないという顔だな!いい気になるなよ、少し皆にもてはやされているからといって……!」

 

「な、何が言いたいんだよ」

 

「はっきり言ってやろうとも!!ドラフト下位で実力もない君が、たった一度のマグレで皆にもてはやされてるのを見てると、僕は許せないのさ!!」

 

「な……マグレだとっ!」

 

珮斗は反抗するも、マグレという言葉にどきりとせざるを得なかった。間違いなく、以前の紅白戦のこと――『おもい球』のことを言っているのだ。

珮斗自身、自覚はしていた。あれは確かに偶然が生み出したものかもしれない。

 

(――だけど六道さんが言ってたように、あれは俺のれっきとした『武器』なんだ!)

 

「お前なっ……言っていいことと、悪い事があるんだぞっ!」

 

「マグレをマグレと言って何が悪いのだい!それともマグレではないと言いたいのかな!?」

 

「そっ、そうさ!当たり前だっ」

 

「ならば証明してもらおうじゃないか!……勝負だ」

 

「なに?」

 

「実際に僕が打者、君が投手と見立てての勝負だ!キャンプ中に何度もやった『テスト』を覚えているかな、あれをやろうというのさ」

 

突然の展開。

――勝負だって?

――コイツ、俺をここまで挑発しておいてのこの提案……最初から俺と勝負するつもりだったんだ。言動を見る限りでも、それだけ自信があるんだろう。

――不利な要素が強い……だけど、逃げられない。あそこまで言われて、マグレだなんて言われて、逃げられるかよ!

 

「……わかった、勝負してやるよ、ミハラ!」

 

「ぐぬっ、ミハラじゃない、三澤だ!」

 

腹を決めて、ミハラに対し珮斗は言い放った。

ミハラはムキな顔になり訂正してきたが、少しすると不敵な微笑を浮かべだした。 確かな自信と、私欲の浮かぶ表情を――。

 

「だけど、待てよ。キャッチャーがいないのに、どうやってテストをやるんだよ」

だが勝負の前に、珮斗は当然の疑問を投げ掛ける。捕手がいないのに、投手はどう投げろというのか。

 

「捕手なんていらないさ」

三澤は不敵な笑みを崩さないまま返答した。軽く腕を組み、自信を以て、今度は……こういったのだ。

 

「君の球は、一球たりとも逃さない。ボール球以外全て打ってやるよ……!だから、君には捕手など不要なのさ」

 

***

 

投球練習場のバッターボックスに三澤が立ち、マウンドを模して少し盛り上がった土の上に珮斗が立つ。

三澤は肌色のバットを構え、深く息を吸い込んだ。そしてバットをぐるぐると回し構えた。

 

「さあ、始めようか」

 

にっと白い歯を覗かせ、妙に自信満々の三澤。

――ほんとになんなんだよ、コイツはっ。ここまで人をばかにしやがって。俺にだって野球やっててプライドがあるんだ、やってやる!

――何より、今の一言。全球打ってやるだって?そんな事があってなるか!

珮斗は苛立ちを滲ませながら、手にした白球をぐっと握り締めた。

 

「なら、いくぞぉ!」

 

テスト内容は、10球投げていかに相手打者に打たれないか。逆に三澤にとっては、10球中にどれだけ打って安打を重ねられるか。

珮斗は手にしたグラブと白球を振りかぶり、思い切り左腕を走らせた。目標は、捕手不在の三澤のストライクゾーンに向けて。

 

「打たせるかっ」

その一念を乗せて、ストレートを放った。ボールは一文字を描いて三澤に迫った。

 

(ふん。こんな球!)

こんな球、今まで何度も……

(ありきたりな、球だッ……!)

三澤を、この僕をなめるなよ……!

 

(くそ、打たれた……のか?)

――打球の角度、勢いといい、あれならば長打コース。もしかしたらホームランもあったかもしれない。

――初球の真っ直ぐを、あんなにいとも簡単に打ち砕かれるなんて。

 

「これくらいで驚いているのなら、それはまだはやいよ、珮斗君」

呆気にとられる珮斗を見ながら三澤がいう。

 

「大学野球で火を噴いた僕の打撃は、まだまだこんなものじゃあない。この勝負のあと残り9球で、それを君にご覧いただこう……!」

 

三澤はほくそ笑んだ。再びバットを構えて仁王立ちする。

 

(コースが悪かったんだ。だから打たれた!制球を定めなくちゃ、打たれてしまう。捕手のリードがない今、自分で配球を練らなくては!先程は真ん中寄りの球になっていた。ならば今度はアウトコースに出す球を……!)

珮斗は策を練ると、強くねらいを定め、2球目を投じた。唯一の変化球である、フォークボール。

 

――カキャアッ!!

またも快音が響く。打球は珮斗の真横をあざ笑うかのように通過する。

間違いなく、実戦ならばヒット性のあたりだった。

 

「甘いね、ただ単にコースを突けば打ち取れると思っているのか。それにそんなレベルの変化球、僕は何年も前から見てきたよ!」

三澤が軽い嘲笑を浮かべながら言う。

 

「う、まだ勝負は始まったばかりだ!2球打たれただけ、どうなるかは分からな……」

 

「分かるさ。僕が君の球をすべて打って、完全な勝利を飾る。僕にはその自信がある。なぜなら」

三澤がバットの切っ先を向け、

「君が弱いからさ!」

そう言い放った。

 

胸の奥、心臓がぐんと鳴る。珮斗の拳が震えだし、自ずと固く握り締める。はっきり自身でもわかる、怒りだ。眼前の男の姿がぐらっと揺らめく。視界が溜飲で揺れるのだ。

 

(しかし……コイツは、ミハラは口だけじゃない!あの自信に見合う裏打ちが、恐らくある。どうすればいい、どうやって抑えれば、いいんだ)

 

「どうした、怖じ気づいたとは言わせないよ。お楽しみはこれからだからね」

 

「……怖じ気づいてなんかない!」

 

「なら続きだ……珮斗君!」

 

「く、言われなくとも、おりゃあ!!」

 

珮斗はみたび左腕を走らせた。しかし怒りと迷いを含ませた投球、そんなものが通用するはずがない。流れは三澤に傾いていた。

 

(僕の読み……計画通りだ。珮斗君は単純な奴だった。ここまで簡単に乗ってくれるとは。球威も変化も、体感してみると見た目よりも下回る。ワケはない、全て漏らさず打てる。打てるぞ!プロ入りするまでに、僕はもうこんな球は何万と見てきたのだ。

決まりだ、珮斗君、君は所詮そのレベルの野球人!大した力もなしに、出てしまった杭……!出る杭は、打たれるっ!君はそれにこらえる力すらないっ!ならば最初から、出る必要もないっ!打たれるなら、出てくるな!代わりには、この三澤がッ!)

 

――カキャアッ!!

三澤は強気一杯に、バットで射抜く。三度目の快音が、練習場に高らかに轟いた。

 

 

***

 

 

その頃。

 

「鍵が開いたままでやんす、中は電気がつきっぱなし……」

 

「珮斗のやつ、飯行くって約束だったのに、片付け途中でどこ行ったんだよ」

 

つい先程まで珮斗が作業をしていた用具庫に、二人の男がいた。矢部と猛田だ。

二人は灯りがついたまま、道具も中途半端に片付けられた用具庫の中を見回しながら、呟いていた。

 

「でもおかしいでやんす、あの至ってまじめな珮斗君が、片付けほっぽりだしてしまうなんて」

床に転がっていたボールを拾い上げながら矢部がいう。

 

「でもよぉ、晩飯にも来ねえんだぜ。どこに行ったんだよ」

確かに約束したはず、それを破るとも思えない――猛田は不審がった。それに用具庫の中途半端な様子が、得体の知れぬ不安を煽る。

 

「何かあったんでやんすかね、もしかして……おばけがでたとか!」

 

矢部が両手を垂らし幽霊の真似事をしながらいう。

――おまえの顔でそれをやられるとキツい、猛田はパンチした。矢部は身を翻して唾を呑む。

 

「何がお化けだよ……まさかな」

猛田は両手の平を返して呆れる仕草をとった。

 

「なにをしてる、お前たち」

 

と、その間に割ってはいる突然の声。

矢部も猛田も思わずびっくりし、肩を浮かせた。二人同時に入ってきた用具庫の入り口に振り返る。声の主は、六道だった。自分達と同期入団し女性プロ野球選手としてだけでなく、高い捕手能力でチーム内でも一目置かれている、六道聖である。

 

「な、六道かよっ」

 

「びっくりさせないでくれでやんす……それより六道さんこそこんな時間に……」

 

「む……悪かったな。私は自主トレしてたんだ、それよりこんな時間に用具庫で何してる?片付けはとっくに終わったはずだ。電気がついてて気になって来てみたんだが……」

 

「珮斗がいなくなっちまったんだ」

 

「夕食に行く約束してたのにでやんす。ここの片付け途中で、消えちゃったんでやんす」

 

「珮斗だって?」

 

――珮斗……『思い球』のあいつか……。

――そう言えば、今日の練習では会わなかった。ここ最近、「テスト」の結果が振るわないと聞くが。

 

「私も知らないな。今まで自主トレをしてたんだが、見かけたわけでもないし……」

首をかしげながら、六道は言った。

 

「六道さんも、知らないでやんすか」

 

「仕方ねぇ。とりあえず、ここを戸締まりしてから探すか」

 

猛田が用具庫の壁に掛けられた鍵を手に取る。傍らにある、用具庫の電灯のスイッチを消そうとする。

 

「しっ、静かに!」

 

その時だった、六道が言う。人差し指を立て、「しぃ」のジェスチャーをしながら。

 

「どっ、どうしたでやんす?」

「急に何だよ?」

矢部と猛田が言う。

 

「静かに、いま、聞こえなかったか?音が」

 

音だって?静寂の中、三人は耳を澄ましてみる。

 

…………

 

…………

 

カァン、と、何かが炸裂、叩かれるような……音がかすかにする。

否、この音……聞き覚えがある。……バットがボールを打つ音。

練習時間も終わり夕暮れも落ちた時間、ここ練習グラウンドにいるのは自分達ぐらいのもの。ほかの者は引き上げてしまった……ということは。

 

(……珮斗か!?)

三人はほぼ同時に同じ結論に至った。

 

「行ってみる」

「ちょ待てよ!」

真っ先に走り出したのは六道だった。用具庫を出て、猛田、矢部もそれを追う。

三人が夜のグラウンドをよぎり、ベンチ近くまできた。

 

「うわ、何でやんすかあれ!?」

 

矢部が声を上げる。ベンチ横の放送室の窓ガラスが、砕かれて穴をあけている。それを見つけたのだ。

 

「一体どうなってんだ!?」

 

「そこからはいるのは危ない。ともかく、ベンチから球場の廊下に行くぞ」

 

六道が冷静に制し、ベンチへと入っていく。

しかし、どういうことだ。窓が割られるなんて、普通じゃない。六道に緊張が走る。それは他の二人も同じであった。

 

「おうよ、そっちか!」

「男勝りでやんすねぇ……」

男二人が後につづく。

ベンチの扉を開き、コンクリート張りの廊下に出た。

左の廊下か右の廊下か、どっちだ。あの音はどっちの方からした?

 

その時。

カァン!!という快音。

先程よりもはっきりと、大きく聞こえた。近いようだ。

――左か!そちらの廊下へと、三人が駆ける。

 

「おいっ、あそこ!」

 

廊下を少し進むと、猛田が驚きの声を上げた。その指差した先には扉。投球練習場とプレートに書かれている。おまけに扉の下の隙間からは明かりが漏れているではないか。

ここだ、間違いなく。音の発生源は。三人は確信し、猛田が先に扉の取っ手に手を伸ばした。

 

 

***

 

 

「今ので8本目だ。ここまで全て一球たりとも打ちも漏らさずにね」

 

ボールが跳ね、投球練習場を転々とする。それを目で追いながら三澤が鼻高々としながら言う。

 

「どうだい!圧倒的な差を味わう気分は!」

 

ボールから目をそらし今度は18メートル45センチ離れたマウンド土に立ち尽くす珮斗に高飛車な目を向けた。珮斗は表情を苦渋で歪め、立ち尽くしているのみ。額には、嫌な汗が浮かんでいた。

 

――こんな……馬鹿な。ミハラのヤツに、ここまでホントにボール球以外を全てなぎはらわれた。全てヒット性の当たりでだ。口だけなんかじゃ、なかった。

ここまで10球中8本を打たれ、珮斗のテストとしての点は最低に割り込んだ。

三澤は公約通り、ここまで一球たりと逃さず打ちのめしたのだ。

――ミハラ……アイツ、ホントはトンデモない奴なんじゃないか。

 

「ふ、返事は無しかい。どうやら圧倒的な前には言葉もないようだね!」

三澤はバットをくるりと返し、再び余裕たっぷりに構えを取る。

待っているのだ、もはや完全に。珮斗の少ない球種とレパートリーの乏しい配球全てを把握し、ただ弾き返すのを。

 

「く……」

 

三澤のことばに、珮斗の視界が揺らぐ。ボールを握る左手が、グラブを着けた右手が、地面が、相対する三澤が、揺れる。突きつけられた現実を前に、力が奪われる。

 

(圧倒的……確かにそうかもしれない。投手力のない俺、少なくともプロとしては申し分ない打撃力を持つミハラ……。俺では厳しいというのかっ。ミハラにも、勝てないってのか)

 

――ガタン!!

その時だった。投球練習場の張り詰めた緊張を破るかのように鈍い音が響き、珮斗も三澤も思わず音に振り向いた。

入り口の扉が、開かれた音だ。

 

「あ!いたでやんす!」

「ああっ、珮斗ぉ、お前なにしてんだよこんな所で!?」

 

聞き慣れた声がした。

矢部、猛田の声が、沈黙の投球練習場にこだまする。

そしてその二人に続き……六道も。計三人が、投球練習場の扉を開けて入ってきたのだ。

 

「なんだ、君達は!今は大事な時なんだ、騒がないでくれないか」

打席から三澤が、入ってきた三人に向け声を上げて言う。いい調子で語っていたところに水を差されたため、苛立ちを露わにしている。

 

「何だよ偉そうに、誰だよお前は!」

猛田がそれに反応し言った。お決まりの文句である。それを聞いて三澤はわなわなと震えだした。

 

「だ、誰だ、だと?僕を知らないとは言わせまいぞ」

 

「し、知らねえよ!……矢部、知ってるか?」

 

「え、えーと……確か後藤くんだったでやんす?」

 

矢部の言葉で、打席の三澤が豪快に転んだ。そしてやはり起き上がりムキになる。

 

「何が後藤だ!僕の名は三澤だ、よーく覚え……

 

「そんな事はどうでもいい、お前たち時計を見てなかったのか?もう施設を完全施錠する時間だ、自主トレも以降の時間は認められてない。キャンプ中の規則だぞ」

まだ何か言いたげな三澤を制し、口を挟んできたのは六道だった。三澤と珮斗を戒めるような強い口調に、場がしんと静まる。

(きつーい性格でやんす……)

傍らにいた矢部は思った。

 

「ふん、何とでも言うがいいさ!だが、今は真剣勝負の場。それだけは邪魔させないよ。さぁ、あと2球、再開だ珮斗君……!」

 

三澤は口をつぐむと、打席で構えを取り直した。途端に人が変わったかのように冷静な様子になり、矢部達三人は息を呑んだ。

 

珮斗は汗を腕で拭い、再び左手にボールを握り直す。

皆が珮斗に向き直り、練習場マウンドに立つ彼を見ている。矢部君に猛田、六道まで。

――しかしまずいときに来たものだ。ミハラとの一騎打ち、10球中8球を安打にされた、厳しいこの状況で。

――三人はまだ知らないんだ、そのことを……。

珮斗は自分で自分が情けなくなり、思わず顔を俯ける。

 

「おい、珮斗!こんなヤツ、さっさと倒して飯に行こうぜ!」

「そうでやんす、腹ぺこでやんす、探したんでやんすよ」

猛田にそして、矢部が言う。

 

(ちがう、違うんだ。今まさに負けているのは俺なんだよ。ミハラは、口だけじゃないんだ。俺には勝てないんだ。俺にはロクな、力がないから……)

心が沈む珮斗。そんな時、猛田と矢部君の隣にいた六道とふと目があった。

ルビーのような、彼女の真紅の瞳は、内側をも見透かしてくるような……そんな気さえ珮斗は感じた。

――聞いたことがある。捕手は打者の心理を……人の心理を見抜くことが、重要だと。

――ならば、彼女だけは、俺の心理を探って、もうわかっているのかもしれない。今のこのテストの状況を。

そう思うと、やはり情けなくなってしまう。

 

「どうしたんだい、本当に怖じ気づいたか珮斗君!?」

 

三澤の声が不意に意識を呼び戻す。顔を上げると、眼前のバッターボックスで三澤がやきもきしている。少しの間、考え込んでしまっていたらしい。

――やはり、だめだ。

――無駄なことを考えたら、いけないんだ!さらに弱気になってしまう。俺は、いま、投げるしかない。

 

「ミハラぁ……!9球目、受けてみろっ!!」

 

珮斗は右足を上げ、腕を振りかぶらせ、右足を踏み出し、左腕をしならせ、ボールを投じた。

うおおおっ、と、リリースの瞬間に思わず気声が溢れる。

負けない、これ以上やられるわけには。そう思い、投じた球は、制球力の無さ故にまぐれとはいえ、アウトコース低めに直球となりぐんぐんと迫った。

いいコースだ、ストライクゾーンぎりぎり。大抵の打者は詰まらせる。これなら、どうだ。

そんな期待が浮かんだ、その直後。

 

――カァァァン!

乾いた快音。打球が練習場の壁を叩きながら跳ね回る。珮斗は一瞬、分からなかった。何が起きたのか。

三澤が腰を落とし、臨機応変なスウィングで、低めを華麗に捌いたのだ。間違いなく、ヒットの当たりだ。その瞬間を目に焼き付けられたのだ。

 

「ほお。今のはいいボールだ、皆に見られて尻に火でもついたかな。だけどそんな付け焼き刃は効かないよ!」

 

スウィングを終えた三澤は、勝ち誇ったように言った。

 

(あれを、打たれたのか。恐らくこの勝負の中の投球で、コース、球威共に最も引き出せた一球……それを、ああも簡単に)

 

これで10球中、9本の被安打。珮斗の腕が震えた。あと1球、次も打たれようものならば、三澤の宣言したとおりの完全敗北が決まる。

――駄目、なのか。俺ではやはり、勝てないのか?アイツの言うとおり、実力差がありすぎるのか……どうもできないっていうのか!

悔しかった。体中から、にじみ出てくるほどに。しかしそれ以上に……焦燥が、珮斗を飲み込んでいた。最悪の精神状態と言える。

 

「下を見るな!マウンドに立つ投手が、下を向いてはいけない!」

 

その時声が投げ掛けられる。思いもよらぬ、凛とした大きな声だった。

マウンドの傍らからの、六道の声だった。隣にいた猛田と矢部君も、驚いたのか、目を点にしている。

 

「投手はマウンドをまっとうし降りるまで……絶対に、前を見つづけるんだ。それが、投手のつとめなんだ」

 

「ろ、六道さん」

 

六道の言葉が、珮斗の心中に染みる。やはり彼女は分かっていた、珮斗の心理や今の一騎打ちを察した上で、状況を全て把握している。さもなくば、この言葉は出ない。

 

「静かにしてくれと、言ったはずだがね!これは真剣勝負だ。口出し、アドバイスも控えてもらいたいよ」

間に割ってはいるように、三澤の声が挟まれる。

六道は振り向いた。

 

「ミハラといったな、お前、この勝負を何のためにしている」

 

「わかりきったことを、このドラフト一位の三澤がッ、珮斗君を試そうというのさ」

 

(この男、打撃に関しては確からしい。それを、いまこうして珮斗相手に見せつけている。しかし、こんな真似は……あいつの私情を満たしているだけなんじゃないか)

 

「お前、野球は団体競技なんだ。その中でこんな亀裂を作るような真似は……」

 

「……何だって?」

 

「お前のしてることはチームの固まりに傷を付ける!」

 

「ふん、君に言われる筋合いはない!」

 

「なに?」

 

三澤は一層表情を険しくした。睨み付けるように六道に目を向けている。

練習場にこれまで以上に暗雲が立ちこめだした。

猛田と矢部は呆気にとられ口を挟む言葉が見当たらない。

珮斗もまた小さく盛ったマウンドに立ち尽くしながら、同じようなものだった。

やがて三澤が口を開く。

 

「調子に乗るなよ、僕からポジションを奪えたからといって……!」

バットの切っ先を今度は六道に向けながら、三澤は言った。

 

「おいおい今度はなんだ、六道、アイツと知り合いなのか?」と猛田。

「……いや……これが初対面だが……」と六道。

三澤はぴくりと眉をしかめた。

 

――ポジションを奪っただって。

――ということは……この男は私と同じポジション、捕手だというのか。

六道が瞬時に考える。

 

「お察しの通りさ……!」

それを見た三澤がふんと鼻を鳴らし言った。

 

「僕は大学時代に捕手として名を馳せた。だがプロ入りの時、僕は捕手としてではなく、なぜか外野手としてドラフトに呼ばれたんだ!ショックだった……だがそれだけじゃない、いざ蓋を開けてプロ入りしてみると、同じチームで同期で入った君が捕手をしているじゃないか!」

 

「仕方無いだろう、それがウチの首脳陣……丸岡監督の采配なんだ。お前が捕手でなく、外野手であったほうが大成できると……」

 

「違う!自分で考えたことがないのかい?君は単なる客寄せパンダに仕立て上げられているだけと!」

 

「!な……」

 

「君は女性選手という話題性だけでポジションを手にした、そうなんじゃないかと言ってるんだ!」

 

その一言で六道の表情が固まる。矢部、猛田、さらには珮斗までもが、言葉を失った。

 

「お前……今なんと」

やがて、六道が口を開く。その声色には憤り、そして「震え」があった。

彼女のこれまでの野球人生に泥を振りかけるようなその一言に、心底から怒りを覚え、そして同時に今までの自分をすべて否定するかのようなその一言に、彼女はおののいたのだ。

 

かつて六道が味わった、悲愴な記憶が蘇る。

――あの時も、こうだった。チームメイトだと、仲間だと、思っていたものたちに裏切られ……私はたった一人になった。女というだけの理由で野球を捨てざるをえなかった、あの時は……。

その時と、同じ悲壮な気持ちが首をもたげてくる。吐き気が、する……。

 

「プロ初の、野手選手。それも、捕手。……赤字続きらしいうちのチームの、客寄せにはまたとない宣伝だろうね!」

 

「おいてめえ、それ以上……!」

「や、やめるでやんすよ!」

心無い言葉を続ける三澤を、耐えかねた猛田と矢部がたしなめる。六道は俯いたまま、何も言い返そうとしない。

 

「そんな君に、ポジションを取られ……そんな僕の気持ちが分かるまい!だからこそ、僕がこのチームをっ、僕の力でっ、変えようというのさっ!プロの球界とはそうあるべきなんだ、結局実力がなければ往生できない。君らだってそれくらいわかるだろう!力あるものたちが、ポジション争いで競合され、全体のチームレベルを上げていく……それが、プロ球団としてのあるべき姿なんだよ!」

 

口早に三澤は言い切った。彼の本音と思想を、全て滲ませたその言葉の厚みの前には猛田も矢部もたじろいで言葉を返せず、練習場がしんとなった。

三澤はその様子を見渡し、ワザと聞こえるようにふんと鼻で笑ったのだった。

 

「取り消せよ……」

その沈黙を破る静かな一声。皆が驚き振り向いた。それを口にしたのはマウンドの珮斗だった。

 

「お前の言いたいことは、わかったよ。確かに実力がないと、プロではやってけないだろうな……。それがチーム全体にも影響するのも……お前の言うとおりだろうさ」

珮斗は目をキッと絞り、さらに続ける。

 

「だけど、だけどたった一つ……六道さんが、客寄せパンダだって……それを……取り消せっ……」

 

突如、肌に痺れが走ったように、鳥肌が立つのを三澤は感じた。

(なんだ、この感覚は)

いまの珮斗の言葉に……震えたというのか?この僕が。

 

「……き、君の指図など受けないよ!大した実力もない、君の指図など……」

 

「取り消せって言ってるんだよ!!」

 

ビリビリッ……

珮斗の語勢が強まる。三澤への怒りが増しているように。まるでその言葉自体に何か衝撃波みたいなものが含まれているように、三澤はまた肌が粟立つのを感じた。

彼だけではない、傍らにいた矢部、猛田、六道も、ただならぬこの雰囲気を察知していた。

 

(この雰囲気、あの時と、同じだ――)

六道は思った。

あの時とは、初めて珮斗の球を受けた紅白戦のこと。そう、例の「おもい球」をあいつが投じた時に感じた、不思議な感覚。それがいま、同じように。この投球練習場で、発せられているのだ。

 

「ふん!そんな口は、せいぜい僕を打ち取ってからきくことだ!テストはあと1球の勝負しかないがね!」

 

「ならその一球だっ。それを俺が打ち取ってみせる、そしたら今の言葉を取り消せ!」

 

「バカな、君の球などもう分かり切っているんだ!そんなハッタリで、動揺など誘っても無駄なのに!」

 

「ハッタリかどうかは……終わってから言えよ……!」

 

珮斗は左手に白球を握り直す。そしてそれを右手にはめたグラブの中でぐっと込めた。

空気が変わった。その空間にいる他の四人が、息を飲んだ。

 

(ハッタリだ。嘘だ。僕がそう断定してやる。あと一球も打ち砕いて。あんな球威のない玉、アドリブでもどうとでもなるんだ。さぁ、投げてみるがいいさ!)

三澤はバットを掲げ、スッと肘を引き、打席で構えた。彼も、本気だ。

 

「珮斗……」

六道が、心配そうに珮斗に目をやる。珮斗は真剣な表情を崩さないまま、目線だけを合わせ答える。

 

「六道さんは、仲間だ。同じ野球をする、仲間だろう。……だから、あんなことを言われて、俺も悔しいんだ、許すわけにはいかないんだっ」

 

「お、お前……」

 

言葉がそれ以上出なかった。

「仲間」――。私にとって、この言葉は重い。男性社会である野球という舞台に長年私は関わってきたわけだが、女性であるというだけで、その「仲間」と認めるのを拒まれることもあった。そのたびに私は何度も、何度も、野球を離れようとしたこともあった……。

 

『私は一生懸命頑張ったんだ。相手が男でも絶対に負けなかった。なのに、どうしてダメなんだ!?』

 

『野球が好きな気持ちは誰にも負けない!負けないんだ!私はただ野球がしたいんだ!』

 

『女……だからなのか?私が男なら、皆ともっと野球を続けていられたのか?』

 

『……ならどうして……私は女に生まれてきたんだ……どうして…………』

 

 

大学野球時代――。

私はあの時、野球を捨てかけた。悲しかった。自分のこれまでの努力全てが、否定され、居場所はなかった……。

だけど、そんなとき、私に手をさしのべてくれた人がいた。

 

『――野球がしたいんだろ!野球が好きなんだろ!ならどうして捨てた!』

 

『――女だから?そんなことで突っぱねるヤツがいたら、俺がガツンと言ってやる!この子は誰よりも野球が好きだって!』

 

いなくなってしまった、「あの人」の言葉……。今でもハッキリと覚えている。

それが私を変えた。今の私があるのはそのおかげなんだ。

珮斗……お前も同じように、私を認めてくれるのか。同じ野球をする仲間だと、思ってくれるのか。

ならば私にいまできるのは、一つ。お前を応援するしかない。見せてみろ、また、あの不思議な球を。今こそお前の持ち味を!

 

「頑張れ、珮斗」

六道は小さく、思いを込めてそう呟いた。

 

珮斗が両腕をかぶり上げ、ゆっくりとワインドアップの投球モーションに入る。腰を利き腕方向へひねり、右足を引き上げ、左腕を、後方へテイクバック――。

ゾクリ。

空が揺れる。珮斗から、普段は垣間見れない、「力」を感じる。

 

――やっぱり、同じだ。紅白戦の時と同じ。これはただの一振りじゃない。あの球が、来る。

刹那、傍らからそれをみていた六道は確信した。

 

「オオオオーーーーッ!!!!」

 

無意識のうちに珮斗は慟哭を上げ、それとほぼ同時に、引き上げた右足を踏み込み、左肩を強烈に振り抜いた。

 

ゴウゥゥンーー!!!

その見えない圧力が、その瞬間、打席で構える三澤を捉えた。

 

(な、なんだ!これは――!)

 

白球を捕捉する三澤の眼が、一瞬、大きく見開かれる。とてつもない、凄まじい、威圧的な感覚が、打ち寄せる。

白い海岸で一人たたずむところに、沖合の地平線の彼方から、大海嘯が訪れて来るかのように。

 

(あんな球、変哲も何も、在るわけがない、あんな球に僕が臆するわけがっ)

 

錯覚だ、幻覚か何かに惑わされているだけなんだ。僕としたことが、残り一球というところで、彼のハッタリに本当に引っかかりかけてしまったというのか。心が弱い僕め!三澤は自分に強く言い聞かせた。

三澤は腕に力を弾かせ、バットを思い切り振り抜いた。強振。

コース自体は、なんてことはない、球速もさほどないただの真っ直ぐ。僕の範疇だ。

打てる、打てる、打てる!

僕の勝ちだ!僕のっ!!

 

風が自分を掠めるように吹き抜け、バットを白球へとたたきあわせた。

 

カッキャーーーー

 

ーーーー

 

…………

 

(え)

 

(あれ)

 

三澤の視界の世界が止まった。

いや、違う。視界の中心に捉えた、自らが振り出したバットとミートされた白球が、まるで力が均衡したかのように、インパクトの瞬間にぶつかったまま、止まった。

 

いや、まて。力が均衡だって!?野球で打者が振り出したバットの運動エネルギーが、投手のボールの運動エネルギーに均衡だと!?

 

(なぜ、振り抜けない!な……なななななななななななななな……)

 

そ、そんなことありえるわけがない!この僕がそんな目に!なぜだ!なぜ重い、こんな平凡なボールがーーーーーーーーーーーー!!!!

 

メキッ、ビキッ……

 

ばばばばばかなーーーーーーーーーーーー!!!!

 

その瞬間、練習場に鈍い音が響いた。バットがおれる音。三澤の叩き出したバットは、まるでポッキーのように根元からざっくりと真っ二つにへし折れ宙を舞ったのだ。

ボールはというとバットを砕いた勢いそのまま、本来なら捕手がいるであろう辺りを転々としていた。バットの方とは対照的に、ボールの方は大した汚れもつかず、いたって“ぴんぴん”としているのだった。

 

「す、すっげぇ……」

「見た出やんすか。う、打ち取ったでやんすよ、あの思い球で!」

 

一部始終を見ていた猛田たちは、口をポカンと開きただ各々の感想を漏らした。

 

「やはり、今のは思い球だ……以前から嘘のように影を潜めていたあの球を、まさかこんな時にまた見せてくれるなんて」

六道が関心したように呟く。

 

「あぁ、あと一球に追い込まれての場面で、やりやがったぜ……」

 

「追い込まれて……そうか、そういうことか」

 

「ど、どういうことだ?説明しろよ六道!」

 

「珮斗がおもい球を今まであまり投げなかった理由だ。きっと……あれはいわゆる“ピンチの場面”にならないと出せないんだ」

 

「ど、どうしてでやんす?」

 

「分からない、だけど……ピンチの場面で気持ちが高ぶった時こそ、あいつはあの球を投げられる。前の紅白戦も、そうだった。私はそう思うんだ」

 

……本当は、それだけじゃない。今回に限っては、珮斗はミハラへの、怒りの思いもあった。それは……私を仲間と認めてくれる、珮斗の強い思いでもある……。その思いもあいまっての、この結果だ。

珮斗、本当にお前は不思議なヤツだ……。とんでもないヤツなのかもしれない。

 

「俺の勝ちだ……最後の一球だけはな、ミハラ!」

 

投球フォロースルーから体を起こし、珮斗がいう。

対するミハラは、バッターボックスに膝をついてうずくまり、ぶつぶつと何かを呟いたまま応じない。

 

「……認めろよ、ミハラ!」

珮斗が少しずつ三澤のいる方へ歩み寄りながらもう一度言った。

三澤が今度は反応し、俯いていた顔を上げる。目が血走っている。

 

「な、なぜだ、なぜこの僕が……まさか、今のが……“おもい球”だというのか……」

 

珮斗はハッとした。自身が今まで投げたくとも、投げられなかったそのボールの名を耳にして。

 

「さあ。俺にも……よく分からないよ。だけど、あんな事を言ったからお前は負けた、そう、思うよ」

珮斗は諭すように言った。

 

「な、なんだってぇぇ……!?調子にィ……!」

三澤が顔を険しくし、声を荒げようとした。

 

パチ、パチ、パチ、パチ

 

その時だ、投球練習場に、乾いた撥音が響いた。手をたたく音。拍手が起こったのだ。

練習場にいた五人は、場違いともとれるその拍手のする方向へと、思わず振り返った。

 

「いやぁ、いい勝負を見せてもらったよ、珮斗に……ミハラ。なぁ?伊坂」

 

珮斗らが入って来たのと別の投球練習場の入口から、バルカンズの長である監督の丸岡、さらに同チームリーダーの伊坂が現れたのだった。

先程から手を叩いているのは、丸岡の方であった。無駄に愉快そうに、パチパチと鳴らしている。まるで自分の子を褒める親バカな親のように。

お付きの伊坂はというと、ジト目で丸岡を睨んだまま、はぁ、と返事をするだけ。いかにも機嫌が悪そうな雰囲気をしている。

 

「か、監督に、伊坂さん!?」

「な、何でこんなとこにいるでやんす?」

驚く猛田と矢部。

 

「いやぁ、俺をなめてもらっちゃ困るなぁ。野球の匂いがしたところに、俺は現れるのさ。なにせ俺はスーパーマンだからな」

冗談混じりなのかそうでないのか、笑いを浮かべながら言った丸岡の言葉。

 

「球場の放送室の窓が割れる音が聞こえた、そんで俺と監督が来てみれば門限過ぎてこんなとこで勝手な事をしてるてめぇらを見つけた、だ」

それを訂正するように伊坂が矢継ぎ早に言葉を吐いた。

 

「う、もう少しくらい言わせてくれないかなぁ伊坂……」

 

丸岡がわざと困ったような顔をつくり伊坂にへつらう。

もう中年が、ガキみたいなまねすんなよ、伊坂は心の中でそう毒づいた。そして少し顔をしかめると黙った。

 

「いやはや、ある意味凄い勝負だったよ二人とも。まぁ、点数でいえばミハラの圧勝だがなぁ」

 

丸岡が言う。珮斗は思わずその場でガクッと身体を崩した。

 

「珮斗、お前はミハラを打ち取れた一球を覚えておくんだな。その一球が、大切だ」

 

「は……はい、監督」

 

丸岡の言葉に、珮斗はしゃんと応対する。丸岡の表情はまだおどけ気味だったものの、言葉には指揮官としての気遣いのようなものが含まれているように感じた。

 

今の一球を覚えろ、か。

さっきのは……自分でも分かった。皆が言う“おもい球”だ。確かに手応えがあった。投げ出す直前に、身体がブルッと、武者震いみたいな感じになって……。

だけど、あれを何時でも投げられるようになるなど、本当にできるのかな。六道さんが今いった通り、追い込まれた、ピンチの状況下でしか投げられないようなら……常に、そういう心理を保つことができれば、常に投げられるようになるのだろうか……。

 

「それから……ミハラ」

 

今度は丸岡はうなだれたままの三澤に声をかける。三澤は片膝をつき、下を向いて自分のへし折れたバットを見ながら、ぶつぶつと何か呟いていたが、やがて丸岡の声に気付き、顔を上げた。

なんですか、と、ぶっきらぼうに返事をする。

険しい表情である。最後の一球を打たれたことが、よほどこたえているようだった。

 

「お前もさすがだなぁ、相手が珮斗とはいえここまで高得点を出すとは、もう一軍級だよ。だが、唯一いただけない所があった。……先程の発言だ」

 

それを聞いた三澤は、いきなり立ち上がり、監督の丸岡に目を向けた。強い目線、負の力さえも混じった、目線だ。

その場にいた他の皆が、驚きその様子を見守る。

 

「よく言いますよ、監督……!そもそも彼女を捕手起用する采配をしたのはあなたでしょう!あなたが彼女を客寄せに仕立て上げた張本人なのではないですか」

 

「まだそんな事を……!」

珮斗が唇を噛む。

 

「そう思うか?」

丸岡は眉一つ動かさず返答する。

 

「そうとしか思えないんですよ、僕には!」

 

三澤がそう言い、しばしの沈黙が流れる。丸岡が、三澤の目を見ながらふぅと小さくため息を吐くと、再び喋り出した。

 

「お前はさっきこうも言ってたな、プロは実力が全てで力の有るものこそが起用され、活躍して然るべきだと。……俺も同じだ、いたって同じ考えなんだよ。まぁ、仮にもプロ野球の監督という職務に就いている以上は当然かもしれないがね」

 

「だったらなぜ!」

三澤が反論する。丸岡は微動だにせず言葉を続ける。

 

「俺は……常にチームをより良い方向に導くための采配をしているつもりだ。その結果の一つが、お前の外野手転向だった、それだけの話だ。君には捕手ではなく外野手のほうが、プロの舞台で力をより良く示すことができる。そう、俺は考えたからさ。まぁ、たかだか監督歴数年未満の俺の考えだがね」

 

丸岡は静かに戒めるように言う。そこにはプロの監督として、いち球団を統率する者としての一面が滲み出ているようであった。

 

「そ、そんな……ぬ、ぬぐぐ……」

 

丸岡の言葉を聞いた三澤は肩を震わしながらその場に膝をついた。

悔しいのだ。今まで完全に自分より野球能力の劣ると思っていた、女性である六道。それをチームの長の丸岡に否定され、あまつさえ自分の方が格下であると、ハッキリと宣言された。三澤にとって、この一言で受けた衝撃は計り知れない。

 

「さぁて、説教も済んだし引き上げるかぁ」

 

そんな様子の三澤をよそに、丸岡は今までの緊迫めいた様相は影を潜ませ、弛緩した物言いでこういった。

思わずその場の他勢は空気の落差に目眩がする。

 

「いやいや、済んじゃいないでしょうが!」

伊坂が口を挟んだ。投球練習場に入ってから今までずっと場を見ているだけだった彼は、虫の居所が悪そうな表情は変わっていない。

 

「てめえら、自分で分かってるだろうな」

 

「な、何がっすか?」

 

猛田がおどけたように反応する。伊坂の眉がピクリと動き、口元をちっ、と歪めると続けざまに言う。

 

「ここのキャンプ地の利用時間規約、てめえらは何にも頭に入ってねえのか、集団の規律を乱してえのか、おまけに放送席のガラスまで割りやがって」

 

チームリーダーの口調で矢継ぎ早に怒鳴り込む。一番発声源の近くにいた猛田は思わずよろめき、矢部、六道、珮斗も同じく。ミハラ……ではなく三澤までもが狐につままれたような顔をした。

唯一監督の丸岡だけがわざとらしく煙たがるような顔をした。

伊坂は光るものを手に出し、皆に見えるようにした。それは鋭利な形にかたどられたガラスの破片だった。

 

「窓をやったのは……てめえか、珮斗!?」

伊坂は真っ先にマウンドの珮斗へと視線を向けて言った。

 

「はぇ?!な、なんでそうなるんですか?!」

 

皆の視線が集まる。珮斗は激しく首を振る。

――どうしてそうなるんだよ、やっぱりまだ伊坂さんには目の敵にされてるな、ひどい。

――そもそも俺がこの練習場に来たのは、もとはと言えば用具倉庫に俺をからかいに来た奴を追うため。そいつが放送席のガラスを割ってまで逃げるから。そう、そこにいるミハラが……。

珮斗は顔を三澤の方へ向けた。三澤がそれに気付き。

 

「な、なぜ僕を見る?やっていないぞ僕は!この三澤が、器物損壊など!」

 

激しく否定した。珮斗との『勝負』に負けた副作用か、彼は取り乱し気味だった。

 

「嘘だろ。お前、用具倉庫に俺をからかいに来たじゃないか?それから逃げ出して」

 

「からかう?何の事かサッパリだ!僕がなんでわざわざ君ごときにそこまでする必要があるんだ」

 

珮斗が声をあげ、三澤も声を荒ぶらせる。いつしか二人は距離を詰めて言い合いを勃発させていた。

猛田達が制止しようとするも、止められない。そこに無理やり伊坂が割り込んだ。

 

「静かにしろ!ともかくてめえら二人がガラスの原因とみた。ちょっとこい、取り調べだ」

伊坂が珮斗のユニフォームの背をつかみ上げ、同様に三澤のユニフォームの胸ぐらをつかみ拘束した。

 

「わっ、ちょっと伊坂さん」

 

「なにをするんです!僕は、三澤は何もやっちゃいないぃ、ずっとここにいたんだ!自主練習をしていただけで……」

 

珮斗と三澤が抵抗する。が、伊坂にギッと睨み返され大人しくならざるをえなかった。

 

「やってない、僕はそんなことはっ!この三澤がっ……」

なおも三澤だけは真顔で呟き続けていた。

 

珮斗はその三澤の表情を真横でみて思う。なぜか嘘をついているように見えない。

なんで、ここまで真剣になるんだ。ミハラは本当にやってないっていうのか。

 

(そう言えばミハラはここに俺が入ってきた時に、練習場の電気もつけて隠れもせずに居たよな。逃走者の行動としては、不自然だ……)

 

珮斗はさらに脳内で記憶を回顧する。

用具倉庫で片付けをしていたときだ、『クックック、こき使われてるなぁ』こう声が聞こえた。自分をからかう者が倉庫から逃げ出し、グラウンドを走り追いかけた。暗闇の中でよくわからなかったがそいつはとても長身な影を引きながら、窓を破り……。

 

(……そうだ、今思い出した。そいつは長身だ。今横で抗うミハラは、どうみても俺とほぼ同じくらいの身長だろうか。……だとしたら、どういうことだ。用具倉庫に現れた奴とミハラは全く別の人物だっていうのか?)

 

そこまで考えが至ったその時だ、耳元に囁かれるように何かの声が聞こえてくる。伊坂さんとミハラが言い争っていて騒がしいなかで、ほんの小さな聞き逃しても不思議ではないような声だった。

 

『クックック、それでこそよ』

 

背筋が冷えるような、冷淡な声でそう聞こえたのだ。用具倉庫で聞いたのと同じ声質だと気付くのに時間は要らなかった。

伊坂に背をつかまれたまま、声がした方――練習場の、自分が入ってきた入口へ素早く目を向ける。

見えた。半開きのドアの隙間にギラギラと存在感を持った眼が覗かせている。珮斗達の様子を見て、眼で笑っているかのようだ。

 

(アイツだ、さっきのは、アイツだ!)

珮斗は伊坂の掴む手を身体を揺すって無理やり振りほどき、入口へ向け突っ込む。扉の向こう側の影が、サッとスライドするかのように消えた。

 

「待てよ!」

珮斗は扉を開けて廊下に躍り出た。

 

「おいこらてめえ何処行く!」

伊坂が声を張り上げた。その頃にはもう珮斗は練習場から出ていた。逃げる気か、と伊坂は舌を大きく鳴らす。

 

「いや、誰かがいたみたいだ」

伊坂を窘めるように言ったのは六道だった。

「珮斗はそれを追っていった、もしかしたら伊坂先輩の言う、窓を割った犯人は……」

 

「そいつかもしれない、ってことだね」

丸岡が言葉を継ぎ足した。

 

「ちぃ、どうなってんだ一体よ!」

 

伊坂は丸岡と六道を見渡すとさらに機嫌を悪くしたようだった。三澤を掴んでいた手をあっさりと離すと、珮斗を追うように走り出した。

 

「はは、世話が焼ける」

丸岡はその一部始終を見ながらわざと大きめの声で呟いた。

 

「楽観してる場合じゃない、監督。追わないと」

その丸岡に六道が冷静にダメ出しを繰り出し、練習場から出て行った。

お嬢はおキツイなぁ、と丸岡は頭をポリポリと掻きながらぼやいた。苦笑いも浮かべる。

 

「やれやれ、さぁお前たちも追うぞ」

 

丸岡は苦笑いを消すとポカンと口を開けたまま状況を見守っていた猛田、矢部、三澤達を促した。

 

 

***

 

 

前方の球場廊下を黒い影が駆けていく。珮斗は精一杯の走力でそれを追い掛けた。影はやはり長身で縦長だ、間違いない。自分をからかったのもガラスを割ったのもアイツに違いないと、珮斗はそう断定していた。

 

「待てよおっ!」

 

通路の角に消えた影に向かって、声帯を激しく搾って叫ぶ。もう練習場を出てからいくつめの曲がり角か、数えられない。珮斗も遅れて角を曲がる。階段があった。上のフロアへと続く上り階段だ。影は滑るようなスピードで、階段を上っていく。珮斗も二段飛ばしで階段をせっせと踏破していった。

階段を登りきると、一本しか通路がなかった。奥からは冷たい強風が絶え間なく吹き込んでくる。外に出るんだな、と気付いた。

通路を進むと目の前に広いグラウンドがひらけた。昼間に練習で汗を流したそこは夜闇により、敷き詰められた褐色土は夜の海面のように漆黒に染まっていた。

珮斗が立っているのは、球場のバックネット裏のスタンド中腹辺りだった。階段を上った末に行き着いたのはキャンプの球場の観客席入口だった。

 

「どこに行ったんだ……」

 

周囲にぎっしりと並ぶ応援席を見渡しながら、先程まで追いかけてきた影を探す。外に出られたのはまずい。またグラウンドの方に逃げられるし、はたまたスタンド内を逃げ回る事だって出来る。逃げ場はいくらでもあるからだ。

どうやって探せばいい。どちらを見渡しても影は見えない。この夜闇の中では、その闇自体に紛れることすらできてしまう。

 

「くそう。これじゃ」

 

早くも諦めが浮かびかけた珮斗。しかしそれとほぼ同時に。

 

『クックッ……』

 

笑い声が耳に入る。

珮斗はまた背筋を震わせた。そしてかぶり見た。バックスタンド上層にそいつはいた。スタンド中腹にいる珮斗を冷たく嘲笑い、見くだすような眼で上から見下ろしている。

身長は百九十……否、もしかしたら二メートルはあるだろうか。その長身でかつ筋肉質なその男の体躯は、暗闇の迷彩に紛れるかのように全身が黒色のコートに包まれている、それだけがわかった。

自信を漂わせ仁王立ちするその様には威圧的な風貌を感じる。男の肩より下まで異様に伸びた髪が冷風になびいた。

 

「誰だお前は?」

 

恐る恐る珮斗は口を開いた。影の男はまたクックッ、と微かに嘲笑を浮かべるとおもむろに口を開いた。

 

「たったひとりで追ってきてよかったのかな?」

低く厚い声。威圧感のある外見通りの声だった。

 

「え?」

 

影の男の言葉の意味が分からず、そう口にした瞬間だった。

スタンド上方の座席から、男の身体がひゅっ、と躍り出る。とっさに珮斗は危険を感じ回避しようとしたが遅かった。

影の男はジャンプした勢いそのままに珮斗を掠めた。ぶつかり合い、鈍い痛みが身体を走り、その場にあった観客席に身体をぶつけながら床へと倒される。

 

「ぐぐあっ!」

 

口から意図せぬ嗚咽が漏れた。

立ち上がろうとしたところを、影の男が背後から地に押さえつけるように体重を圧し掛けてきた。さらに左手首を男の大きな手がつかみ上げ、ねじり上げられる。身体が強張る。左手は利き腕でありプロとしての商売道具でもあるのだ。それがいま影の男の意のままにされている。

 

「だから言った、ひとりで追ってきてよかったのかな?このままお前の腕をへし折り、誰にも見つからずここを後にすることなど容易いのだ」

 

男の言葉はまったくその通りだった。憎らしいくらいに。

恐らくこの男の存在を明確に認識しているのは現時点で、球場内の人間の中でも珮斗しかいないのだ。猛田や三澤達も、伊坂や、丸岡もこの男の姿をハッキリ見てはいない。

そして当の珮斗も、男の顔さえ、暗闇の中での先程の一瞬ではハッキリと分かっていないのだ。

よって、後になってこの男の身元追跡をするのは至難に近い。男はそれを計算してやっているのでタチが悪い他無かった。

 

男は左腕をつかむ手の力を強めてくる。左腕に走り出した痛みに、俺は思わず我に返った。

 

「なんなら、口を封じてもいいのだからな」

 

男が冷淡に、嘲りを含んだ口調で言った。さらに左腕にかけられる力が強まる。身体に危険信号が、緊張が走り背筋が冷たくなる。やられる、そう覚悟をした。

が、その次の瞬間には身体を地べたに押さえつけていた負荷が消えて、左腕への絶妙な力加減の戒めも解かれていた。

珮斗は身体を捻り、床を転がり距離を取りながら起き上がった。

振り向くと男の顔が目に入った。距離が近いため、男の顔立ちが初めてよく窺えた。

眉目秀麗という言葉が似つかわしく、尚かつ全体的に引き締まった体躯により、どこか威圧のある顔立ち。男にしては切れ長な眼にはどこか冷たさがある。肩下まで伸びた髪は、蒼みがかった色をしていた。

男は、珮斗をわざと解放したのだ。何故だ。

 

「くくっ、そう怖い顔をするなよ。野蛮な事はあまり好まないのでね」

影の男が愛想良さげに手の平を広げながら笑った。愛想の良さなどは珮斗にとっては微塵も感じなかったが。

 

「な、何のつもりだよ……お前っ」

珮斗は戸惑いを覚えた。それを悟っているのか、影の男はまたあざ笑った。この状況でそんな態度の取れる心境が、珮斗にはとても理解できない。

 

「おーいどこにいやがる珮斗ぉ!!」

 

睨み合いが続いていたそのとき、耳に伊坂さんの声が入る。振り返ると、俺が先程出てきた観客席入口から、伊坂さん、猛田、六道、矢部、三澤、丸岡監督がぞろぞろとスタンドに現れた。

 

「潮時かな」

 

影の男は彼らを尻目に呟いた。言葉とは裏腹に余裕がありげな表情をしている。男はダンッ、と床を両脚で蹴り出すと、なんともスムースな動きで階段を駆け上がりもといたスタンドの上層まで舞い戻った。なんて機動力であろう。他の皆に顔をはっきり見られるのを恐れたのだろうか。

スタンドに現れた伊坂さんらも男の存在に気付いたようで口々に驚きの言葉をもらしていた。

 

「おいっなにもんだ!」

伊坂が真っ先に目上の位置に立つ影に向かって怒鳴る。

 

「これは大変な失礼をした。バルカンズの諸君」

男はいきなり左手を背に回し、右手を胸の前に当て、英国紳士よろしくなお辞儀をする。今までの俺への態度は何だったんだ、と珮斗は思った。

 

「私はただ、貴方がたのチームの視察にお邪魔しただけゆえ……」

男が前屈した体を起こしながらいう。

 

「な、なにをっ?意味がわかんねえんだよっ!」

伊坂がまた怒鳴った。

 

「要するに……スパイか」

六道がいう。そのスパイという単語に猛田らは驚いた。

 

「そんなのホントにいるのかよ!」

 

「ネタバレでやんすか!」

 

驚く猛田達の反応に気をよくしたのか、影の男はくくっと微笑した。冷たくなるような笑いだ、と珮斗は感じる。

 

「興味深いものを見せてもらった。思い球、と言ったかな、ククク……」

 

珮斗は影がそう喋りながらも、後ろへとじりじりと後退していくことに気が付いた。男が後ろへ移動している、つまり観客席の最上層へと、近づいていく。珮斗は、ハッと感づいた。

 

「待て!お前っ逃げるな!」

 

「そろそろ失礼させていただく、どうか無礼は許してくれたまえよ」

 

「待てって言ってるだろ!」

 

珮斗は弾かれたように階段を駆け上がり、男へと詰め寄った。そして男を取り押さえようと、両手を伸ばし漆黒のコートの上から鷲掴みにした。

手応えがない。のれんに腕を押したかのように、掴んだコートの中にいるべき男が消え、珮斗の手はただの服を掴んだ状態だった。

 

「そう慌てるなよ、兄弟」

 

声がして、珮斗は驚いてすぐ真上を見上げた。男が、スタンド最上層のフェンスの上に仁王立ちしていたのだ。

その時初めて男のコートの下に着ていた服装が目に入った。そいつは……珮斗達と同じように、野球のユニフォームを着ていたのだ。デザインはバルカンズとは違うもので、チームの同僚ではない。

だがこれで分かった。男も同じ、野球人。それも手練れの……!

 

「いずれお前の……くくっ、まあいい。またあおう」

 

男は何かを濁すようにそう言い残し、フェンスの後方へとダイブした。

 

「お、おいっ!?」

 

珮斗が驚愕しフェンスから外を覗き込む。ここから落ちたら球場外の地面まで数十メートルはあるのだ。

が、男の姿は見えなかった。球場外には真っ暗な森林が広がっているだけで、球場入口付近を照らす照明にも人っ子一人照らされていない。このキャンプ球場は日本の南方の山間にある球場である。近くには街並みはなく人里離れたところに位置しているのだ。男の気配は全く残すことなく消えてしまった。

 

――アイツは一体……何者なんだ?偵察だって言ったけど、本当にそれだけが目的だったのだろうか?

――それに最後、アイツは何を言おうとしたんだ……?

珮斗の心に奇妙な引っ掛かりが残る。疑念は底を尽きなかった。

 

「逃げやがった!くっそー、珮斗ォ!何ぼさっとしてやがったんだ。だいたいてめえはいつも……くどくど……」

「忍者なんてこの時代にいるんでやんすねえ……」

「どこのユニフォームか、よくは分からなかったな……」

伊坂らもフェンスまで近寄ってきて、珮斗に話を求めたりフェンスから男の行方を探すのだった。

 

「あの男は……本格的に動き出すということか……」

唯一監督の丸岡だけが、その場で立ち尽くしたままポツリと誰へともなくつぶやいた。今までになく彼は、神妙な表情を浮かべている。まるで男の存在に対し、何か思考を巡らせているかのように……。

 

 

***

 

 

真っ暗闇に包まれたグラウンドに吹く冬の風は、不穏な空気を漂わせていた。

その後は結局、窓の弁済は丸岡監督の立て替えで済まされることとなり後片付けはこの俺珮斗と、ミハラですることになった。

割れたガラス片をかき集めながらも俺はいまだ気になっていた。あの男は、一体何だったのだろうか?こういっては何だけど……レ・リーグでも最下位が板についてる俺達を偵察に来るなんて。本当に偵察のみが狙いなのだろうか?それとも他に何か……。

 

今の俺の疑念も、残りの春キャンプ期間での繁忙に追われ次第に薄れていくのだった。しかしながら、いずれこの不吉な予感が現実となる時がくる。今の俺達には知るよしもなかった。

 

冬が終わり、春が来る。そして、熱い戦いを呼び覚ますペナントレース開幕へと近付いていく……。

 

 

 ● ● ● ● ●

 

 

爆砲球団バルカンズ

 

 第2話 おわり

  第3話につづく…

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