私が、自らの『個性』に気付いたのはまだ孤児院にいたころだった。
『個性』という特異能力が市民権を得て、超人社会となった現代で『個性』を持たないということは死の宣告に等しい。
私は齢を十五重ねるまで、無個性だと思われていた。
なにしろ超人的な身体能力を得ることや身体を変化させることができるわけでもなく、なにかを創造することもできず、なにかを変化させることもできない無能であったからだ。
当然、孤児院での私の扱いはムシケラ以下であり、傍からすれば地獄のような生活を送っていたように見えていただろう。
孤児院の他の子供たちからは、ストレスの捌け口として日常的に『個性』の練習台と称して暴行を加えられ、生傷の絶えない生活を余儀なくされた。
私自身、感情の起伏は薄い方だと自覚しているが、私がどんなに悲惨な状況にあっても表情を崩さずにいたことが原因だろうか、職員から助け舟が出された覚えはない。
そしていくら暴行を加えられようが、食事を台無しにされようが、所有物を破壊されようが、たいして顔色を変えないことも彼らの気に障ったようだった。
職員以外の誰も私と好意的に関わろうとしなかったし、職員も私が暴行を加えられても平然としている様子を不気味がって職務以上の接触はしてこなかった。
しかし、私にとってそれらは苦痛ではなかった。
生まれるべきではなかったと嘲られていようが、無能不能と罵られようが、彼らの行為に然したる興味もなかったし、私自身が無個性であることに絶望もしていなかった。
そんな日々が続き、齢を重ね、十五歳になった夜。人生における大きな転機が訪れた。
とても綺麗で大きな満月が、夜空に浮かび上がっていたことを今でも覚えている。
その日受けた暴行の治療を一通り終え、大半が寝静まった深夜にぼんやりと月を眺めていると突如、閃光と共に爆音が耳を劈いた。
これは後に捕縛されたこの
その
職員も、子供も、警備も、施設も、なにもかもが殺戮され破壊され奪いつくされた。
そして、私も例外ではなく、殺されたのだった。
だが、私はこうして今も手記をしたためている。死者ではなく私が私として手記をしたためているのである。
そう、殺されてはじめて私は『個性』を認識することができたのだった。
私の『個性』は大きく二つに分けることができる。
一つは死からの蘇生である。いや、蘇生というと語弊がある。
厳密に言えば生き返ったり蘇ったりするわけではないのだ。
肉体が死を迎えると、その死がすべて悪夢であったかのように消え去ってしまう。
不死ではなく、死が消失するといったほうが正しい。死ぬには死ぬ。痛みも感じるし怪我もするし出血もする。だがその死がないものとされる、というのが私の認識だ。
だから私は、これを『目覚め』と呼んでいる。死という悪夢からの『目覚め』だ。
さらに言えば、この『個性』によって元に戻る身体は、死の直前ではない。四肢欠損を起こそうが眼球を潰されようが歯を砕かれようが服毒されようが、死の直前がどのような状態であろうとも、あらゆる傷は治癒され、万全の状態で『目覚め』ることができる。
我ながらペテンのような『個性』だと、改めて思う。
そしてもう一つは、死者の血を我が成長の糧とするというものだ。
がれきの山の上を歩けば、否が応にもその凄惨な光景を目にすることになった。
私に暴行を加えていた、かつてヒトだったモノたちにもうその面影はなかった。死体は顔面は潰され首ははねられ誰が誰かわからないモノが大多数を占めており、辛うじて体格から予測することもできたが、すぐに無意味だと悟ってやめた。
そのとき、無意識に私は死体から流れ出す血に触れていた。
瞬間、私の中にそのヒトだったものの過去や経験が流れ込んでくるような錯覚に陥り、思わず頭を抱えその場にうずくまっていた。
何が起こったのかわからずにしばらく呆けていたが、そこにあった血だまりが消えていることを視認すると唐突に理解することができた。
筋力や体力など身体能力がつい数瞬前よりもはるかに向上していると、実測したわけではなく啓蒙を得たかのように理解できたのだった。
同時に、もう一つの理解を得る。この『個性』は死者の血より遺志を受け継ぎ、我が力とするものであると。不可解なことだったが、私は確信を持っていた。
この『個性』は血だまりの中で目覚め、死血を糧として成長する。
故に私はこの二つの『個性』を『
私はこの超人社会において、この『個性』故に迫害され、そして
あまりにも今日の月が綺麗であの日のことを思いだしペンをとったが、一旦ここで置くことにする。
今宵の狩りは、早く済ませてしまいたい。
明日からは、新しい職場へ赴かねばならないのだから。
雄英高校。
だが、どこであろうと私のやることは変わることはない。
全ては、狩りを全うするために。
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