「それでは、失礼します」
手続きを終え、校長室を後にする。
形式ばった手続きはいつも肩肘がはる。
自分でも似つかわしくない場所に来たものだと思うが、彼の誘いであるのならば断る理由を見つける方が難しい。
「雄英高校……未来のヒーローの集まる場所」
手入れの行き届いた校舎に、最新鋭のヒーローを養成するための設備、そして優秀な教師陣。
超人社会を支える人材を育成するにふさわしい場所であることに間違いはない。
だからこそ、私のような人間がこの場にいていいものか考えてしまう。
「おお! ついに来たね!」
廊下の奥から手を大仰に振りながらズンズンとこちらへ向かってくる筋骨隆々のスーツ姿の大男。
この世界で誰もが知っている大英雄、平和の象徴、オールマイト。
そして、彼こそが私をここに誘った張本人だ。
「お久しぶりです、オールマイト」
「十か月ぶりかな! 元気そうだ! それにしても君のリクルートスーツ姿は珍しい! それに髪もばっさりいったな!」
オールマイトは私の姿を見て、豪胆に笑った。
私だっていつもの格好の方がよかったけれど、さすがに赴任初日で事務手続きをするためだけにきたのだから、その場にあった格好をしただけだ。
「私も狩装束の方が落ち着くのですけどね。私だって時と場合は選びます。髪も学校に勤める用に肩口まで切りました」
「真面目か!」
それでもわずかにウェーブをかけたのは、せめてもの女としての矜持だ。
「君のヒーロースーツは眼しか見えないからな! せっかくの君の美貌が台無しだぞ!」
「ヒーロースーツでなく狩装束と言ってください。それと容姿への言及は褒め言葉であっても現代じゃセクハラで訴えられますよ、オールマイト」
「ホーリーシット! そうだったな!」
「それにしても、本当に教師になったんですね。今ようやく信じられましたよ」
「だからそういったじゃないか! 君も大概疑り深いな!」
ばしばしと背中を叩きながら、談笑を始めるオールマイト。
ここ数か月の彼の近況を洪水のように浴びせられつつ、私自身も彼に報告をする。
「私からも報告しておきます。昨夜、護送中に逃亡した
「……そうか。すまないな、いつも君ばかり」
「いえ、これが私の役目なので。オールマイトが気にすることではないですよ。むしろ私の方が聞きたいくらいです。本当に私がここにいていいのでしょうか」
私の役目。それは、
ヒーローは決して、殺しを目的にしてはならない。
殺しそのものを目的としてしまえば、それではただの殺し屋、始末屋に成り下がってしまう。そんなものは
そんな血塗られた存在を世間は、市井の人々はヒーローと認めてくれないだろう。ヒーローは
しかしだ。現実として殺さなければ解決できない場合もある。結果的に死なせてしまうのではなく、明確な殺意をもって
だから私が存在する。
表に立つヒーローがその手を穢さないよう、人の救済ではなく
ヒーロー社会の暗部、それが私だ。
それ故に、ヒーローであっても私の存在を知る者は少ない。
「プロヒーローの資格をもち、校長が採用を決めた。それ以上にここにいていい理由なんてあるのかい?」
きっとオールマイトはわかっていて、あえてこういっているのだろう。
だけど、私ははっきりとさせておきたかった。
「私は、彼らに教えられるようなものを持っていないと言っているのです。殺しの技術なんてヒーローには必要ないし、あなたと違って私の後継はまだ探すつもりも育てるつもりもありません。それに私の両手は血塗られている。ヒーローとしての資格はありますが、それはあくまで外で個性を自由に行使するためです。なにより子供に触れていい資格を、私は持ち合わせていません」
そう、私の両手はあまりにも
そんな手で、未来ある生徒とどう接すればいいか私にはわからなかった。
だから、つい、オールマイトに向かって吐き出してしまった。
「子供に触れていい資格なんて誰ももっちゃいない。私だって、他の雄英の教師だってね。だから教師はみんなおっかなびっくりやってるんだ。表面上はどう取り繕おうとも」
オールマイトは、柔和な、だけど少し困った笑顔で私の肩に手を置いた。
暖かい。私も、この大きな手に救われてきたんだ。
「……すみません、オールマイト。言葉が過ぎました」
「いや、もっともな疑問だ。だからこそはっきり言っておこうと思う。君にしかできないことをここでしてもらいたいから呼んだのさ」
「私にしかできないこと……。そんなものがあるのでしょうか」
「迷えばいい。迷いこそが人を成長させるのだからね」
オールマイトの笑顔はいつの間にか元の豪胆な笑顔に戻っていた。
「おっといかん。これから入試の様子を見ておかなければいけなくてね。未来のヒーローの卵たちだ。じゃあ、また会おう!」
後ろ手に手を振りながら去っていくオールマイトの背中を見つめていると、不意に彼が振り向いた。
「そうだ。一つだけ君の言葉を訂正させてもらうよ」
「訂正? なにかありましたか?」
「私ももう、後継は探していない」
「それは……どういう意味ですか」
「そのままの意味さ。見つかったんだ。もう
「なっ……!?」
「君がそんなに露骨に狼狽える表情を見せてくれたのは久しぶりだ! 出会ったときより感情が豊かになったとはいえ、まだまだ表情が硬いからな!」
言葉の意味が呑み込めなかった。
「オールマイト! それは!」
「いい子だよ。誰よりもヒーローの心を持っている。おっと、本当に時間がヤバい! もう試験が始まってしまう!」
オールマイトは、それだけ言うとそそくさと去っていってしまった。
窓の外の騒がしさだけが、私が立ち尽くす廊下に響き渡っていた。
◇◆◇
「いや、あの~……」
「なんですか、オールマイト」
「いやね? さっきの別れ方的にね? 君が一人でモヤモヤするパターンなんじゃないかなって……。なんでここにいるのかな?」
「私ももう雄英の教師ですから。審査する権利はなくても見学する権利はあります」
私は、トゥルーフォームになったオールマイトと最後列で壁に背を預けつつ横に並んで眼前のモニターを見つめていた。
今日行われる雄英高校入試、実技試験の審査室だ。
スピーカーからは、ボイスヒーロー:プレゼント・マイクのハイテンションな声が流れていた。
「教えてください、オールマイト。お身体は、もうそれほどまでに?」
モニターを見つめたまま、オールマイトにだけ聞こえるように話しかける。
まだ多聞に知られていない平和の象徴の秘密。
彼の身体はもう、ボロボロでとてもかつてのようにヒーロー活動を続けられるような状態ではなかった。
「ああ、最後に君と会ったときには、もう三時間程度しかマッスルフォームを維持できなくなっていたよ」
「そうですか」
「まあ、君ならそういう反応だろうな」
プレゼント・マイクが試験時の注意事項のアナウンスを終え、受験生たちが各々実技試験会場へと向かっていく様子を眺めながら言葉を交わす。
「誰に、渡したのですか」
「やっぱり気になるかい?」
「私が知る限り、プロヒーローに
「かーっ! 相変わらず顔に似合わず辛辣だぜ!」
「顔は関係ありません。勿論、私を含めてです。あなたの個性はあなたが一番相応しい」
平和の象徴のもう一つの大きな秘密。
彼の持つ個性【ワン・フォー・オール】。この個性は他人へ自分の力を譲渡する個性だ。
つまり、代々の遺志が、思いが、力が、個性に宿っている。いわば力の結晶とも呼べる個性。
この能力をオールマイトから継承するということは名実ともに平和の象徴を担うということに他ならない。
私には、彼以外誰一人と平和の象徴が務まるとは、到底思えないのであった。
いきなりニイ、とオールマイトは私の顔を覗き込み不敵に笑うと再びモニターへと顔を戻した。
「いるよ」
「いるとは?」
「渡してきたのはね、今朝なんだ」
「……仰ってる意味がよくわかりません」
「だから、この受験会場に来ているよ、受験生として。今日の朝六時に渡してきた!」
あまりのことに、言葉が出てこなかった。
プロヒーローでさえ、烏滸がましいと思っていたのに、あまつさえ譲渡した先が子供。
それに、朝の六時といえばつい三時間前ではないか。そんなに早く、それこそ一朝一夕でワン・フォー・オールを使いこなせるわけもない。
私にはオールマイトが何を考えているのか、さっぱりわからなくなってしまっていた。
「何を考えているのですか」
「大丈夫。君も彼を見てもらえれば納得してくれるはずさ」
なにが大丈夫なのかだとか、私の質問になにも応えていないじゃないかとか、頭に浮かぶ言葉は次々と現れるが、声にすることができなかった。
あまりにも、オールマイトの言葉に自信が満ちていたから。それ以上何も言えなくなってしまったのだった。
『ハイ、スタートー!』
プレゼント・マイクが開始の合図を受け、数瞬呆けていた受験生たちが一斉に走り出す。
あの中にいる? そんな馬鹿なことがあるだろうか。
ざっと見ただけでも、とても使いこなせうるような子供がいるようには見えない。
続々とポイントを稼いでいく受験生を目で追っていくが、誰もワン・フォー・オールを使っていないようだった。
「私の個性の件は別にして、どうだい? 今年の受験生は。君はどう見る?」
「特に何も。鍛えればそれなりに様になりそうな子は何人かいますが、それがヒーローの適性とイコールで結べるかどうかはわかりません。それに私にヒーローの適性があるかどうかをお訊きになるのは間違っているかと」
私はもっともヒーローとかけ離れた存在だ。
オールマイトはどんな答えを私に期待したのか、わからない。
ドォン、とスピーカーから一際大きな轟音が響いた。
画面に再度目を向けると、巨大な重機が建物を蹂躙しながら受験生の前に姿を現していた。
圧倒的脅威として配置されているギミックである巨大ロボット。
おおよそヒトの立ち向かうべき大きさではない。十数メートルはゆうにあろうその機械は会場を破壊しながら受験生へと襲い掛かる。
「……」
思わず嘆息してしまった。
会場の受験生の行動は、大まかに二つ。
背を向けて逃げるか、視界の端に捉えながら回避し、さらにポイントを稼ぐもののどちらか。
大多数は前者、私が鍛えれば様になりそうと評した子たちは後者に多くいた。
やはりそれでも。どちらに属していようとも、ワン・フォー・オールを継承していいような子は誰一人いるように思えなかった。
(こんなとき、オールマイトなら――)
そう、頭によぎった瞬間だった。
巨大ロボットに向かって高速で飛びあがっていく小さな影。
クセの強い緑がかった髪を靡かせながら、今にも泣きだしそうな顔を携えて、振りかぶった拳をロボットに叩き付けた。
ロボットは、拳を直接受けた部分は大きくひしゃげ黒煙を上げながら体勢を大きく崩し市街へと倒れ込んだ。ロボットが立ち上がる様子はなく、一撃で行動不能へ追いやったのだった。
が、同時にパンチを撃った彼も大怪我をしているようだった。
画面越しにではよくわからないが、どうやら両足と右腕が可笑しな方向に曲がっているようだ。
「な、いい子だろ」
オールマイトが再度私の顔を覗き込んだ。その顔は、いつになく喜色を浮かべた笑顔だった。
審査会場は、彼の行動に賞賛を送るように熱狂に包まれた。
そこかしこで上がる拍手と彼を讃える歓呼の声。
「彼が、そうなんですね」
「ああ。彼には誰にも負けないヒーローの心がある」
オールマイトのこんなにも嬉しそうな横顔は、はじめてみるものだった。
(彼が、ワン・フォー・オールの後継者)
納得はしていない。
していないが、確かにあの一瞬。ほんの一瞬だけ、オールマイトの姿を彼の中に見たのもまた事実だった。
『終 了 ~ !!!!』
プレゼント・マイクが試験の終わりを告げる。
割れんばかりの拍手と喝采が審査室に響き渡る。
私は、審査室から出るべくドアに向かって歩き出した。
結果なんて視ずとも、わかる。
「帰るのかい?」
「ええ。今夜も職務がありますから、その準備に」
「そうか……」
オールマイトは、私が仕事をすると言うたびに悲しそうな顔をする。
「そんな顔しないでください、オールマイト」
「あ、ああ。すまない」
ドアに手を掛け、もう一度オールマイトの方を振り返った。
「彼らに触れ合う機会があるかわかりませんが、この学校での職務も楽しみになりました。誘っていただいてありがとうございます」
「……! ああ!」
審査室を後にした私は、いつにない心の昂りに戸惑いつつ、思っていたものとは違う雄英高校での生活になりそうな予感を感じていた。
【狩人の装束】
標準的な狩装束の1つ
血を払う短いマントのついたもの
優れた狩装束であり、安定した防御効果を発揮するだろう
枯れた羽根が特徴的なその帽子はある古狩人を模したものであるという
夜に紛れ密かに敵を狩る、そのための装束である