雄英高校の仮眠室で、私はオールマイトに保須市であった出来事を報告していた。本来ならば職務上知り得た情報を外部に漏洩させることはあってはならないことだが、私の独断でこの人にだけは報せなければいけないと思ったのだ。
私の報告を聞いたオールマイトは胸元で組んでいた両の手を強く握り込んでいる。その手の甲からは涙にも思えるような一筋の血が滲んでいた。
「私から報告できることは以上です」
「……すまないね。君の立場も危うくなるというのにわざわざ話してくれて」
「やめてください。謝らないでください。私は立場などどうでもよいのですから」
「すまない」
オールマイトは目を伏せ、言葉を溢す。その姿を見て、私の胸中には後悔の念が大きく渦巻いていた。
(あのとき冷静に『遺骨』を発動してから斬りかかれば、この連鎖する因縁ごと断つことができたのかもしれない)
考えても仕方のないたらればが脳内に浮かんでは消えていく。
本当はわかっている。もし『遺骨』を発動していたとしても、こちらが『なにかをする』と思わせてしまえば奴には通用しないだろうということもたったあれだけの手合せで十分すぎるほど理解できた。
つまり、奴があの場を離れる前提で動いていた時点で、この結果は不可避であり後悔するだけ無駄な時間だと頭でわかっていても、その後悔を止めることはできなかった。
「だけど、これで合点がいったよ。複数の個性をもった改人『脳無』。
オールマイトは悲痛な面持ちでその名前を口にする。
「仮眠室に来る前に、グラントリノからもオール・フォー・ワンが動き出したとみていいと言われていたけれど、それがはっきりと確信に変わったよ」
「ヒーロー殺しの一件も、オール・フォー・ワンが関わっていたとみるべきですね」
「ああ。彼の、ステインの熱にあてられて悪意の種だったものが芽吹き、一つに収束し始めている。グラントリノにも言われたけど、その通りだと思うんだ」
連日、マスメディアがステインの事件を報道していた。彼らは血の匂いを嗅いだピラニアのごとき様相で、ステインの過去から現在に至るまでを貪りつくしている。その中で特に強調され繰り返し報道しているものが、ステインの逮捕前に発した思想である英雄原理主義ともいえる『英雄は自己犠牲の果てに得る称号でなければならない』という言葉だった。
その言葉は、間違いなく世間に、そして
「
「そうか。PSIAも動いているのか」
この『我々』というのは、雄英教師陣でも、ましてやヒーローでもない。私の本来所属する組織、PSIAこと公安調査庁だ。
公安調査庁は、個性社会前から存在する我が国の情報機関である。破防法の制定と共に設置された国家機関であり、国内諸団体・国際テロ組織に対する情報の収集・分析を行う治安機関・情報機関として活動をしている。
かつて公安調査庁は情報収集、分析に特化し政府へと情報を提供する組織であったが、個性が発現してからはその動勢を変えざるをえなくなった。
超常社会黎明期、警察が個性を用いることを禁じたことで、ヒーロー以外は個性を表立って使うことができなくなったというのは既知であるがその経緯を覚えているものは多くない。そも警察が個性を用いなくなったのは、民衆たちの鑑となり規範となるためであり国家権力の代表格ともいえる警察機構は犯罪者に寄りそうのではなく、民衆の秩序を保ち導く立場になることを選んだ結果なのである。
しかし黎明期ではそれまでの法やしくみが到底追いつかない日々が続き、その警察の理念を嘲笑うかのように日夜増える個性犯罪、それにともなった個性犯罪集団やテロ組織が増加していった。当時ようやくヒーローというものが根付きつつあったが、それ以上のスピードで犯罪は増えていったのである。
そこで生まれたのが私の所属する公安調査庁特務局だった。
そのため時の政府は直接指揮可能な即座に行動を移すことのできる組織を欲した。確かに警察は個性を放棄したが、国家そのものが個性武力を放棄したわけではなく、また放棄できるわけもなかった。
そこで警察機構に代わり国家が保持する中で直接指揮を執ることが出来る最大の個性武力として、そして表舞台にでることのない組織として治安維持を主な目的に特務局は設置されたのである。個性社会以前より調査に特化した機関である公安調査庁には多くの犯罪組織の情報が入る。もともと武力を保持しない組織だったが情報収集から行動までのタイムラグを無くしつつ直接武力制圧するため、個性武力を行使する狩人という存在が生まれたのである。また、もともと法務省の外局であったため政府を通じ、もしくは法務省が超法規的な指示を直接出すことができることも都合がよかったのであった。
「現時点での対象はまだ死柄木弔、黒霧の二名だけですが、
「そう、か。できれば、君の手を穢させたくはない。ヒーローたちで解決したいと思ってるよ」
「悲しい顔をしないでください。私は平気ですから」
この対象とは、つまり
悪意が浸透し、伝播する速さは想像を絶する。今この瞬間も着々と力を蓄えているであろう
「そういえば、一つ訊きたいことがあったんだ」
オールマイトは神妙な面持ちのまま、私の眼を覗き込んでくる。
「私が、オール・フォー・ワンを殺しきれなかったというのは事実なのだろう。だが、完全に回復しているとも思えない。何せ……その、両の眼球が破裂し脳が頭蓋の奥から覗くほど頭を砕いたのだから。だから、君が交戦してみての感想でいい。奴の強さはどうだった?」
オールマイトはより一層、思い詰めた眼で私を見つめる。
「私は、奴の全盛期を知らないので、正確なことを言えないのですが」
あの刃を振るい、交えた感覚を頭の中で反芻する。
「PSIAが考えうる限りの戦力を投入できたとして真正面からぶつかりあっての勝算は五分五分といったところです。といっても、反応速度や見せた個性の強さからの予測でしかないので正確性には乏しいですが」
「五分五分か……」
「ただ、奇襲を成功させることが出来れば討ち取れる可能性も低くはありません。奴も慮外攻撃には若干の動揺がみてとれました」
おそらくオール・フォー・ワンと言えども、『遺骨』と千景の抜刀スピードには全霊をもって防御に神経を使わなければならないはずだ。誰かがオール・フォー・ワンの意識を数秒間、完全に引き付けることが出来れば私の奇襲で個性の発動をさせぬまま殺すことができるだろう。
「ただ、その奇襲を成功させるためにはかなりの厳しい条件が求められますが」
「真正面からでは、難しいか……君にそこまで言わせるとは」
奴と対峙した際、不可解な点が二つあった。
一つは、奴そのものが姿を現した点だ。私が話に聞いていたオール・フォー・ワンは、圧倒的な力を持ちつつも狡猾で用心深く滅多に人前に姿を現さず、まさしく今
そのことをオールマイトに伝えると、やはりオールマイトも怪訝な表情をみせていた。
「ありえない、とまでは言わないけれど可能性としては低いだろうね。もともと奴は人前に姿をあらわすことはないし、仮に徒に姿を現しただけだとするとあまりにもメリットが無さすぎる」
「となれば、考えうることは私と会敵しなければならない理由があったか、会わざるをえなかったか、ですね」
だが、どちらにしても腑に落ちない。前者であれば、空間移動系の個性のため、目印をつけることが考えられるが私自身が直接奴の身体に触れていないし、奴も私に触れてこようという意図は見えなかった。空間移動系の個性は発動の条件が厳しいことが多くあの程度の接触で千景になにかを仕込むことも難しかっただろう。希少とはいえ一定数存在する空間移動系個性に最も多い種類は、自身のDNA情報を目掛けて転移するタイプであり、私も当然千景を検査に出したがそれらしいものは全く検出できなかったのだった。
後者の場合、なお不可解である。移動系の個性が一方通行ならばわからなくもないが、相手は黒霧なのだ。オール・フォー・ワンだけをあの場に残したというのは理解に苦しむと言わざるを得ない。
「無難に考えれば、何かしらの目的があってその場にいたが君の急襲にあって仕方なく脳無を繰り出し撤退した、かなァ」
「ですが、脳無の性能は明らかに私を意識したものでしたし、奴も私を待ち構えていたかのような話ぶりでした」
「腹に穴を空けられた私が言えたことではないけど、奴の言葉に耳を貸さない方がいい。待ち構えていたように装うことなど奴にとっては簡単なことだし、脳無が君の言うとおり強力な防刃性能を有していたことは事実だろうけど、同時に見ていないだけでショック吸収の個性も持っていたかもしれないだろう? 汎用で用意したものを君専用だと嘯いて動揺を誘っていただけかもしれないからね」
確かにオールマイトの言うことには、理がある。多分に当たっている部分もあるだろう。それでも奴の不穏さの陰の全てがそうであるようには到底思えないのだった。意図的に、そういう方向へ思考がねじ曲げられているような気味の悪いなにかを感じていた。
暫く、二人の間で沈黙が流れていたが、唐突に仮眠室のドアが開きその沈黙は破られた。
「あ、あれ?」
ドアの向こうには緑谷出久が立っていた。戸惑いの表情を隠すことなく視線が私とオールマイトの間で泳いでいた。彼の様子をみて私の存在が想定外だと察し中座しようとしたが、オールマイトに制止されてしまった。
「いいんだよ、このタイミングで緑谷少年には来てもらうように言っていたんだ」
オールマイトは微笑みながら緑谷出久と私に着席を促した。
「そろそろ話す頃合いだと思ったんだよ。私が負ってきた役目とその原点をね。緑谷少年、掛けたまえ」
「え、えっと? その……」
緑谷出久の動揺を余所に、オールマイトはにこやかな表情を崩さない。状況が呑み込めていないまま、緑谷出久は椅子に腰を掛けた。
「まず、彼女のことを話そう。彼女は君と私の関係を知っている」
「えぇっ!?」
「それに、ワン・フォー・オールのことも知っているんだ」
「えぇえぇええっ!?」
先ほど以上の速さで、私とオールマイトの間で緑谷出久は視線を泳がせる。私が無言のまま頷くと、驚愕の表情を張り付けたままま口を大きく開けていた。
「あの、グラントリノで最後じゃなかったんですか……?」
「グラントリノはご隠居なさっていてカウントをし忘れただけだが、彼女の場合は意図的に外していたんだ」
「どういう?」
「彼女の方針でね。できる限り表に立ちたくないらしいから、緑谷少年にも話さなかったんだよ」
「え、えっとじゃあ狩人先生は最初から全部知っていて、黙っていたんですか?」
「ああ、そうなるね」
「全然わかりませんでした……でも、知ってからなら先生の一連の言動が一つの線になった気がします」
「な、信頼に足る人物だろう?」
そのあと緑谷出久はいくつか質問を重ねていたがオールマイトから答えを告げられるたびに二の句が継げずに口をパクパクと魚のように開閉していたが、やがて亡我の果てから戻ってきた。さらに質問を重ねようと思ったらしく声がこぼれたものの、本題ではないことに気づきどうにか飲み込む。
オールマイトは一つ頷くと口を開いた。
「話したいことはね、そのワン・フォー・オールについてのことなんだ」
驚きも治まらないまま、緑谷出久にとっては新たな事実が提示されていく。
ワン・フォー・オールの継承条件、ワン・フォー・オールの始まり、そしてそのワン・フォー・オール産みの親であるオール・フォー・ワン。一般の歴史には残らない裏の歴史とも言える部分では、さすがにオールマイトの言うこととはいえ半信半疑だった緑谷出久も、オールマイトに怪我を負わせた張本人と知ってからは眼の色を変えていた。
「ワン・フォー・オールはオール・フォー・ワンを倒すために受け継がれた力と言っても過言ではない。もしかしたら君は、その巨悪とまみえ、対決する日が来てしまうかもしれないんだ。酷な話になるけどね」
言いよどみながらも、オールマイトは緑谷出久へその役目を伝える。
「頑張ります。オールマイトの期待なんですから。それに、あなたがいてくれれば僕は何でも出来る、そう感じるんです」
「あ、あァ……ありがとう」
その即断で放たれた無邪気な一言にオールマイトの表情が僅かに曇った。私も、無意識のうちに緑谷出久から視線を外し眼を伏せていた。
かつて、オールマイトには一人の
きっかけは、ナイトアイの個性をオールマイトに使用したことだった。ナイトアイの個性は『予知』。対象に触れ一定時間内ならばその対象の一生を期間を指定して見ることができ、その予知はハズレたことがないのだという。
その個性を使い見えたオールマイトの未来は、
ナイトアイは当然ヒーローの引退を勧めた。もとよりオール・フォー・ワンに負わされた怪我は軽いものではなかったことは今のオールマイトを見ていても十二分にわかるように、当時はさらに酷い状態だった。それでもオールマイトは象徴論に寄り添い、周囲の反対を押しきって平和の象徴として立ち続けることを選んだのだった。
ヒーローから離れさせオールマイトの命を守ろうとしたナイトアイと象徴を貫くため命を賭して立ち上がったオールマイト。そこから二人の考えが交わることはなくなり道は別たれ、今に至っている。
そして、ナイトアイが予知をしたオールマイトの死は当時から数えて五から六年後。つまり、今年か来年にそれが訪れるかもしれない出来事なのであった。
だが、私が絶対にそれをさせない。そのために研鑽を積み、自力を伸ばした。そのために、経験を経て強くなろうとしたのだ。
私が目指した全ては、狩りを全うしオールマイトを護る為なのだから。
「それで、緑谷少年」
「はい、なんでしょう」
「これからの訓練なんだけど、彼女に正式に師事なさい」
「狩人先生に……?」
突然何を言い出すのだろう。私も思わず言葉に詰まってしまった。
確かに私の個性は増強系に近いものがあるが、ワン・フォー・オールと比べるべくもない。ワン・フォー・オールのような強大な力は、強大な力を知る者から教わるほうが間違いなくその運用で齟齬が生じにくいはずなのだ。それに、ワン・フォー・オールは平和の象徴のためにある個性だ。私のような穢れた存在が軽々に触れていいものではない。
「彼女は、少しの間だけど私が訓練していたから私の考え方も理解してくれているし、実力も申し分ない。それに私の場合ワン・フォー・オールをかなり感覚的に捉えていたせいもあって、教え方がかなり抽象的にしかできないと自省してね。その点彼女はかなり論理的に組み立てて物事を考えられるから、君にとってはしっくりくるんじゃないかなと思うんだ」
「はあ……」
気の抜けた返事をする緑谷出久だが、それも当然である。彼は、憧れからオールマイトに教えてもらいたいという根底があるに違いないのだ。そこに私が大手を振って割って入っていくのはいくらオールマイトのお願いとはいえ無粋以外の何物でもない。
「いいですか、オールマイト」
「うん? なんだい」
思わず二人の会話に割って入っていた。オールマイトには申し訳ないが、流石にこれを受けるわけにはいかない。
「私には、次代の平和の象徴の育成は少々荷が勝ちすぎます。それに緑谷くんも私に教わるよりもオールマイトに教わった方がモチベーションも維持できるでしょうし、何よりワン・フォー・オールを体感したことのない者よりも体感したことのある者から教わった方が効率がいいと存じますが」
「私もしっかり教えてあげたいのは山々なんだけどね。本来なら口頭だけじゃなくて身体を動かしながら教えてあげるのが一番だと私もわかっているんだけど、日に日に活動限界時間も縮まっていて思うようにいかないのが現実なんだ。だから、緑谷少年と一緒に動きながら教えられる指導者を私も考えていて、考えた末に君が適任だと思ったんだ。それに今もトレーニングつけているんだろう? その延長線上だと考えてもらっていいからさ」
「今やっていることは、あくまでも基礎トレーニングのようなもので、私に専心的なワン・フォー・オールの指導はできませんよ」
「そこはもちろん私が入っていくさ。実技指導者として君を推したいんだ」
「ならば、グラントリノでいいではないですか。お歳は召していますが、まだ指導者としてはご活躍できるでしょうし、実際オールマイトを育てた方ですから実績も申し分ないじゃないですか。この間も、緑谷くんは職場体験でお世話になったようですし私よりよほど適任かと思いますが」
「確かにグラントリノに実技指導をお願いすることはできると思う。だけど、私はこう考えているんだ。『次代』には『次代』の指導者が必要だってね。過去を乗り越え、未来を切り開く。君も、もうそんな『次代』を担う一翼なんだよ」
いつになく頑固なオールマイトに反論が思い浮かばず、言葉に詰まる。私が押し黙ると、私の瞳をまっすぐと見据えるオールマイトに全て覗かれてしまいそうな不思議な感覚に陥っていた。
オールマイトはふっと笑うと、今度は私から緑谷出久へと視線を移した。
「緑谷少年、君はどうだい?」
話を振られるとは思っていなかったようで慌てた様子を見せていたが、一旦間をおいて深呼吸をすると私を一瞥した後にオールマイトに向き直る。
「狩人先生から教わることは本当に願ってもいないことなのですけど……。先日のヒーロー殺しの際も先生から教わったことをフルに活かしてどうにか切り抜けられましたし、目に見えてついた自力に僕自身驚いて感動もしましたし。まぁ、途中からステインも本気で来てピンチになっちゃいましたけど」
「なにか気になることでもあるのかい?」
「そもそもお二人の関係ってなんなんですか……? なんだかただのヒーロー仲間というにはもっと深い関係のように思えて。あ、もちろん訊いていいならなんですけど」
緑谷出久はオールマイトと私の間で視線を泳がせながら、窺いだてる。彼の感情も疑問も自然なものだとも思う。
オールマイトはしばらく唸りながら逡巡していたが、ゆっくりと口を開いた。
「そういえば、しっかりと話してはいなかったね。彼女は、なんていえばいいのかな。しっくりくる表現がないけど、あえて言うなら一番弟子かな」
思わぬオールマイトの発言に、私も緑谷出久と同じくして動揺が走った。オールマイトにそのように認識されていたことも驚きだが、弟子などというそんな近しい存在に思っていてくれたことが望外の喜びとして湧き上がってくる。だが、同時に緑谷出久の胸中を思うと素直に喜べなかった。言葉を失した私の代わりに緑谷出久が前かがみにオールマイトに詰寄っていく。
「いいい一番弟子ですか!? というか、オールマイトって弟子をとらない主義じゃなかったんですか!?」
「私もその表現が相応しいと思わないけどね。ある事件の際に彼女の保護者になったんだ。ただ、保護者といっても彼女はそのときからほぼ独り立ちできていたし、保護者というほどのことをやっていないから保護者という表現も相応しくないと思って。そのときに彼女を保護する立場として私の秘密を教えたんだよ」
私がオールマイトに救けられたとき、オールマイトには私の個性の全てを話していた。私の告白を聞いたオールマイトは神妙な面持ちのまま、私の個性に言及するわけでも質問するわけでもなくワン・フォー・オールの秘密を話してくれたのだった。そして「これで秘密を教え合った仲。お揃いだな」といってサムズアップをしたのだった。あの五里霧中の孤独の中で、その言葉にどれだけ救われたか。思い返しても、あの言葉がなければ今の私はここにいないように思う。
「でも、それが弟子っていうのは?」
「彼女から戦う術を教えてほしいと言われてね。当時かなり多忙だったから、手取り足取りというわけにはいかなかったけど、顔を見せるたびに手合せをしていたんだ。最初は彼女も私の模倣をしていたけど、自身のスタイルに合っていないと気付いたらしくてね。しばらく試行錯誤を重ねて今のスタイルの原型に行き着いた頃には、相当な実力者になっていたよ」
「なるほど……それで一番弟子……」
顎に手を当てながら、緑谷出久はブツブツと真剣な思い詰めた表情でなにかを呟いている。
確かに緑谷出久からすれば、私は面白くない存在だろう。
オールマイトは弟子はおろか
そんな中で、緑谷出久はオールマイトに認められワン・フォー・オールを受け継いだ。唯一の弟子だと思っていたにも関わらず、その前に世に知られもしない私がいたと知れば不快感が募ることも当然だと言えよう。憧れが強ければ強いほど当然だ。
「いや、驚きは後にして! 狩人先生!」
緑谷出久が、素早く身体ごと顔を向ける。
「握手してください!」
緑谷出久の慮外の言葉に一瞬何を言っているかわからず眼をしばたたかせてしまった。私の予想とは百八十度正反対の反応に、身体が追いつかない。そんな私の胸中をさらに裏切るように、きらきらと眩しい表情のまま両の手を突き出してきたのだった。
思考がまとまらないまま右手を出すと、緑谷出久は両手で私の手を包み込みぶんぶんと上下させる。
「ふわぁあぁあ! 感動だァ!」
「ごめんなさい、意味が解りません」
「わ、すみません!」
私がそういうと眼を見開き驚いていたが、掴んでいる両手は放そうとしない。
「申し訳ないですが、緑谷くんの反応が解りません」
「いやいや、だってオールマイトの弟子ですよ!? どのマイトグッズよりもレア中のレアというか! 激レアというか! ああすみませんグッズと同列にするのは失礼ですよね! 今まで何度も噂にはなっていたけど終ぞ確認できずにただの噂だの妄言だのと言われていた幻の人物が目の前にいるんですよ!? きっと世の中のどのマイトオタクだって知らないんですよ!? そんな人に教えてもらっていたんですよ!? 興奮するなという方が無理じゃありませんか!? あ、よければ後で写真撮ってください! マイトグッズの棚に並べたいんです! ああ、そうなってくると急いで棚を整理しなくちゃいけない! こりゃ忙しくなるぞうひょー!」
「写真はダメです」
「そんな殺生なァ!?」
捲し立ててくる緑谷出久に困惑し、オールマイトに眼で助けを求めたがにっこりと笑うだけだった。
「そもそも、何が珍しいんですか。緑谷くんもオールマイトの弟子でしょう?」
「オタクの性というか、オールマイトの全てを網羅したいというか」
私も大概度し難いが、緑谷出久も度し難い性癖をもっているようだった。
「それより緑谷くん。話がずれていますので修正しましょう」
「考えるまでもないですよ! ぜひお願いします! むしろこちらからお願いします! それとサインもお願いします!」
「サインはしません」
「そんなァ!?」
オールマイトは私たちのやり取りを眺めていたが、満足そうに頷くと立ち上がる。寄ってくると、私達の肩に手を置いた。
「とりあえず、目下の目標は期末試験を無事乗り越えることだね。あとひと月以上あるけど、筆記試験以外に演習試験もあるからね」
その一言で現実に引き戻されたのか、緑谷出久から浮かれた雰囲気が消えたのだった。
「そうか、試験か……」
学生にとっては重要なものらしい試験の季節がやってくる。その試験にはどうやら私も駆り出されるようだったが、まだ詳細は聞いていなかった。
「とりあえず、努力を重ねることは今まで通りだし彼女から教わるのも今まで通り。だけど、緑谷少年には彼女から教わることは私からの教えだと思ってほしい」
「はい、わかりました」
「じゃあ、話はこれで終わりだ。教室にお戻り」
「はい」
緑谷出久が仮眠室からでていくと、再びオールマイトと二人きりになった。彼が来る前と同じような沈黙が仮眠室に降りてきていた。
「なぜ、と思ったかい?」
オールマイトは私へと言葉を投げかける。その声には、いつものような力強さはなかった。
「ええ。ここに赴任する際、オールマイトには言ったはずです。私の技術を教える気はないと。彼こそ私の技術が最も不要な人物ではないですか」
「そうだね。正直にいって技術は教える必要はない。緑谷少年は自力で強くなることもできるだろう。それほど努力を惜しまない子だ。だけど、彼が大成するまでは時間がかかる。今後一、二年では到底平和の象徴とはなりえないと思う。五年か十年かかるかもしれない。それまで彼を近くで見守り支える人物が必要なんだ。でも彼が平和の象徴となるその頃に私は――」
「オールマイト」
私は、彼の言おうとしたことを遮る。
「私が運命などいくらでも捻じ曲げます。ですから、その先は言わないでください」
「……」
彼は、私の言葉に肯定も否定もしなかった。ただただ優しく微笑むだけだった。
それが悲しく、運命を受け入れたものにしか出せない表情であったことは言うまでもなく、私の胸を苦しいほど締め付けるのであった。
【死血の雫】
血の遺志を宿した死血の雫。
使用により血の遺志を得る。
夢に依る狩人は、血の遺志を自らの力とする。
死者に感謝と敬意のあらんことを。