期末試験の即日には教員たちはさっそく演習試験の採点に取り掛かることになった。
演習試験の採点は、各会場に設置された定点カメラからの映像と監督官の報告を元に各教師陣が採点を行い点数化するというものだ。
会議室に校長を始めとした一年の試験に関わった教師陣が長机を囲みながら着座し大型のモニターに映し出されている映像に目を向けていた。
現在私も報告を終え、上鳴電気、芦戸三奈ペアの採点が行われている。
「上鳴と芦戸は最初から交戦する気がゼロなのは頂けないな」
「そうね。たとえ作戦として実際に闘う気がなくても、ブラフとして交戦する意思をみせないと
イレイザーヘッドとミッドナイトが映像を見て講評を始めると、他の教師も口々に講評を始める。
おおよそだが、上鳴電気と芦戸三奈の評価は「戦力差を考慮しての状況分析は的確であるものの観察と行動選択に改善の余地あり」というものが大半を占めていたのだった。
この講評はおおよそA組の全体的な傾向として当てはまるが、中には戦闘と戦線離脱の選択を状況に応じて変化させ的確に合致した行動をとれる者も幾人かおり、教師陣をたびたび驚かせていた。
「それにしても狩人先生の動きのインパクトが強すぎてついそっちに目がいっちゃいますね」
「オールマイト並みに動きに制限がかかってるとは思えない立ち回りだ」
セメントスとスナイプがこちらに視線を向けてきた。
「買被りですよ。私は増強系の個性ですから錘の影響が皆さんより少なかっただけです。私としては、増強系でもない個性の方の立ち回りのほうが目を瞠りますし勉強になりました」
イレイザーヘッドやミッドナイトを始めとした身体強化に関係のない個性の持ち主には、今回の試験のための錘のハンデは相当に辛かったはずである。だが、それでも誰一人生徒達に後れを取らず試験監督として適切に全うしたという事実は、流石プロヒーローといったところだった。
「確かに相澤くんの操布術も大分常人離れしてるわよねぇ」
「あれくらい出来ないと俺の個性だけじゃプロで通用しなかった。それだけですよ」
ミッドナイトからの流し目に対してイレイザーヘッドが淡々と返している。
「それに、個性が
「相澤くんが言うと説得力あるわねぇ。純粋な体術的な部分は相澤くんの右に出るヒーローの方が少ないくらいだし」
イレイザーヘッドをミッドナイトが褒めそやすと、慣れないのか気まずそうに顔をそむけていた。
やや採点から脱線しつつも、上鳴電気、芦戸三奈ペアの採点を終え次の生徒達の採点に移っていった。
同じ映像を確認しながらであるものの、保持する個性が違うせいか教師によって様々な着眼点をもっており、私自身では到底辿り着かないような慮外の発想も多く聴くことができたことは予想外の収穫だった。この講評を聞いているだけでも思考のトレーニングになりそうなものである。
順調に採点は続いていき、A組の生徒達を全て採点し終えると、そのままB組の採点へと移っていった。
B組の生徒達もそれぞれが創意工夫をし、自身の担当官を攻略しようとする様子が映っていたが、私が担当した宍田獣郎太、拳藤一佳と同じくB組の生徒達はやや好戦的な印象を受ける。
「よく言えば、諦めずに立ち向かう……ってところでしょうけど、これはどちらかと言えば向こう見ずな蛮勇ねぇ」
ミッドナイトがぼそりと呟く。大半の教師も同じ印象を受けたらしく、やや渋い表情を各々が浮かべていた。
「B組も決して悪い動きをしているわけじゃあないが。何というか実戦を想定するという部分においてはA組に軍配が上がるな。その結果、作戦や戦闘に差を生じさせている」
スナイプがそれに同調すると、ブラドキングがバツの悪そうな顔色をしていた。
「あー、一応俺のクラスだから擁護するがB組は実戦的な戦闘訓練よりも基礎的な能力を伸ばす訓練を重視してやっている。結果をみれば言い訳にはならないが、長い目で見てやってほしい」
後頭部を掻きながら教師陣にブラドキングが説明をしているが、特段としてブラドキングの方針が間違っているわけでもない。どちらかと言えば、想定より動きはいい方だろう。
しかし、それ以上にA組の生徒の成長率が著しく相対的に見てしまった場合、見劣りをするように見えてしまうというだけだ。
「どうなってんだ、お前のクラス。伸び方が半端じゃないぞ」
「俺じゃない。この結果になっているのはあいつのせいだな」
ブラドキングがイレイザーヘッドに詰寄っていたが、イレイザーヘッドが親指で私を指すと教師陣の視線が私に注がれたのだった。
「そういえば、放課後の自主訓練を見てやっているんだったか?」
「ええ、そうですね」
ブラドキングが私の方へ身体を向けながら尋ねてくる。
「どんな魔法をつかったらこんな風になるんだ?」
「魔法なんて大げさですよ。私は彼らの向上心の後押しをしてあげただけですから。その放課後の訓練も彼らからの発案ですし私から特段何かをしているというわけではありません」
「狩人。さすがにそれで納得はできないぞ? 流石に同じ雄英生でここまで明確に差としてでてくるのは何かしらきっかけがあるはずだ。俺も教師としてこのままよしにはできないからな」
ずい、と身を乗り出してくるブラドキングからはどうにかしてB組がA組に後れを取らないようにしようという鬼気迫るものを感じる。
「とはいいましても、本当に特別なことはしていませんよ。基本的なトレーニングと組手だけです。あえて特別なことといえば、必ず常にシチュエーションを考えるようには口を酸っぱくしてお伝えしていますね」
「シチュエーション?」
「技や身体運用を練習する際に、どのようなシチュエーションで使えるのか、もしくは使うのかということですね。彼らもわかっているとは思いますが、芸事として身体を動かすわけではないので見た目の派手さや恰好の良さに囚われて実戦で使えないような身体の動かし方を覚えても仕方がありませんから」
「ふぅむ。ちなみに、基礎的なトレーニングとは?」
今行っているトレーニングを羅列して述べていくと、だんだんと教師陣の顔が引きつっていく。特別なことは何一つないはずだが、どうにも困惑しているようだった。
「――と、以上に加えて個性を伸ばすためのトレーニングを組み込んでやっていますね」
言い終るとブラドキングが返答に困るような呆れたような表情のままイレイザーヘッドの方へ振り向いた。
「俺をみるな」
「オーバーワークすぎるだろ!? というより現実的にできるのか!?」
他の教師陣も同じことを思ったようで頷いているが、このメニューをこなすためのカラクリを知っているイレイザーヘッドとセメントスだけは呆れながらも落ち着いている。
「ああ、あの鐘をつかっているんだろ」
「鐘?」
他の方々も興味があるようで、私の言葉を待っているようだった。
以前イレイザーヘッド達に説明したことを同じようにすると、かつてのイレイザーヘッド達と同じように怪訝な表情へと他の教師陣も変わっていったが、イレイザーヘッド達と同じくそれ以上深くは訊いてこなかった。
「それよりも、残りの生徒達の採点を終わらせましょう。そろそろ日も落ちてきましたし」
採点に戻り画面を再び注視する。
すべての採点を終えた頃には、とっぷり日が暮れていたのだった。
◇◆◇
「さて、早速だが試験結果を伝える」
イレイザーヘッドがホームルームの時間に開口一番そう言い放つ。俄かに整然と着席しているA組の生徒達に緊張が奔っていた。
筆記試験は各教科の時間に返却があるのだが、細かい部分はともかくここで大まかな結果を先に伝えてしまうようだ。
「筆記試験の方は赤点なし。そして、演習試験でも赤点はなしだった。よって全員で林間合宿へ行く」
イレイザーヘッドからの言葉を訊いて沸き立つ生徒達。その生徒達をイレイザーヘッドが淡々と窘めるとぴたりと静かになる。もはや定番となった光景だ。
「だが、赤点じゃないからと言って及第点というわけでもない者も何人もいる。今ここでは言わないが、その者たちは合宿で特別メニューを組むから心するように。補習よりも厳しくいくつもりだからよろしくな」
その一言で何人かがびくりと肩を震わせる。
「癖にならない内に矯正しておかないと後々苦労することになる。この合宿期間中には正せるようにしておけば自分自身が将来的に楽になる。そういうつもりで取り組むようにな。じゃあ、今から合宿のしおりを配る」
用紙がクラスに渡りきり、林間合宿の要項を確認させたところで再びイレイザーヘッドが口を開く。
「要項にも書いてあるが、期間は一週間だ。あくまでも学校行事且つ強化合宿だからこそ近場にコンビニ等があるなんて期待せずにしっかり準備をしておけ」
それだけいうと、平常通りのホームルームを熟しイレイザーヘッドはさっさと教室から出ていってしまった。
生徒達の様子を窺うと、それぞれが熱心にしおりを読み込んでいる。
確かに生徒達にとっては一週間という自宅を離れての泊まり込みは長期の部類に入るのだろう。
一応私も合宿に付いていくことになっているが、場合によっては抜け出して任務に就かなければならないこともあり、上へと報告を済ませなければならなかった。
いくらか思案していると突然、ふらりと芦戸三奈がこちらに寄ってきた。
「あの、狩人先生。質問いいですか?」
「合宿のことですか?」
「あ、いえ! 演習試験のことなんですけど。どうして私、私たち合格だったんですか?」
芦戸三奈は、困惑を含んだトーンでおずおずと質問を投げかけてきた。
「どうしても、特にありません。合格基準に達していたから合格となっただけですよ。不合格の方がよかったのですか?」
「そ、そんなことないですって! 合格はもちろん嬉しいです! でも、ほら先生だってバスの中でいろいろと私達のダメだった部分を言ってたじゃないですか。だからなんで合格できたのかなって」
「あれは私個人の講評であって試験要項に対しての講評じゃありませんからね」
「えぇっ!?」
「あの試験は、私に対抗するためのものではなく絶対的に不利な状況からの機転と行動、そして分析をみるためのものです。私の講評は私という極めて限定された敵に対してのもの。試験要項はそうではありません」
あくまでも試験。そして試験である以上、明確な基準は設けなければならない。いくら雄英が自由な校風であっても試験まで一教師の裁量に任せてしまっては学校という教育機関にすら当てはまらなくなってしまう。
「ですから、間違いなく芦戸さんも上鳴くんも合格基準を満たしていましたよ。胸を張って林間合宿へ臨んでください」
「はいっ」
芦戸三奈は晴れ晴れとした顔で集団に戻っていった。
あの結果を不安に思うのは、成長したからか、それとも元々彼女の素養か。
(合格という結果だけに満足せず、自身の状況を鑑みられるのなら彼女の限界はまだ遥か先だ。流石雄英生というべきか。いや、彼女だけに限らずどの生徒も伸び代が大きい)
楽しげな声の響く教室を後にしながら、柄にもないことが内心に萌芽することを自覚しつつ苦笑いを浮かべたのだった。
◇◆◇
期末試験が終わっているため通常授業はなく、対
以前指示した通り、期末試験に集中してもらうためにこの授業の終わりまでに提出すればよいとしたが誰一人としてこの時間に書く生徒はおらず、早々に全員がレポートを提出し終えていた。
「しかし皆さん優秀ですね」
基本的に全てのレポートを集め終えたら自習という形を取るつもりでいたが、流石に期末試験が終わったばかりで、この時間全てを自習にしてしまうのは彼らにとっても中だるみをしてしまうだろう。それは好ましいとは言えない。
「ふむ、少し息抜きも必要でしょう」
私がそういうとクラス中が怪訝な表情を浮かべる。
「息抜きなんてらしくねぇ」
その困惑を代表するかのように爆豪勝己が言葉を発する。
「いいではないですか。息抜きと言っても、対
私は彼らに机を教室の後ろへと下げさせ、椅子だけを持ってくるように指示を出す。
「では、適当に分けさせてもらいます。出席番号の奇数番は黒板に向かって左側に。偶数番は右側に椅子を持ってきてください。奇数番と偶数番で互いに向き合うように並べてくださいね」
生徒達は困惑しながらも言われた通りに椅子を並べ、それぞれの席に座る。
奇数番の生徒は、青山優雅、蛙吹梅雨、麗日お茶子、上鳴電気、口田甲司、障子目蔵、瀬呂範太、轟焦凍、爆豪勝己、峰田実。
偶数番の生徒は、芦戸三奈、飯田天哉、尾白猿夫、切島鋭児郎、砂藤力道、耳郎響香、常闇踏陰、葉隠透、緑谷出久、八百万百である。
その分けられた二組からは、さらに困惑した視線が投げかけられていた。
「さて、では今から皆さんにやっていただくことはディベートです。ご存知ですか?」
私が質問を投げかけると飯田天哉から勢いよく手が上がった。
「どうぞ、飯田くん」
「提示された命題に対して対立を前提にした賛成派否定派に分かれて行う討論会のことであっているでしょうか!」
「ええ。その認識で結構です」
飯田天哉が答え終ると俄かに生徒達がざわつきだす。
「いいですか。皆さんは今から同じ側に座っている方々とチームになって、対するチームと私が提示したテーマに沿って討論を行っていただきます。本来ならば主張の根拠となるデータやエビデンスを集めて行うことが最も望ましい形ではありますが、今回の目的は多角的な思考能力を鍛えるためのものと思って割り切ってください」
さらに補足を加える。
「また、今回に限り提示された命題に対して、今所属しているチームの主張が自分自身の主義主張と反していても無理やり同調してください。これもまた思考訓練の一つですから」
ざわつきが治まった頃合いを見計らって白のチョークを手に取り、黒板へ今回のテーマを書きつける。初めてのディベートならばこそ、あえて在り来たりで議論されつくした出涸らしのようなもののほうがよい。
私が、黒板に字を書きつけた終わる前に生徒達からは再びざわつきが生まれていたのだった。
「今回討論していただくテーマは『人を殺すことは是か非か』です。青山くん、芦戸さん、じゃんけんをしてもらっていいですか? 勝った方が是、負けたほうが非の立場に属していただきます」
ざわついた雰囲気のまま青山優雅と芦戸三奈は言われるがままにじゃんけんを行い芦戸三奈が勝利した。
「では、偶数番のチームが『人を殺すことは是』、奇数番のチームが『人を殺すことは非』という立場で討論を進めていきます」
「す、少しよろしいでしょうか狩人先生!」
八百万百が慌てて立ち上がり挙手をしつつ、こちらにやってくる。
「どうしましたか?」
「あの、その、さすがに是の立場は些か不利かと存じますわ」
「そうですか? 私はそうは思いませんけれど。なぜ、八百万さんはそう思うのですか?」
「なぜって……それは」
「ああ、八百万さん。言わなくて大丈夫です」
八百万百の唇に人差し指を当てる。偶数番のチームの様子を窺うとおおよそ八百万百と同じ意見であるように一層困惑した表情を浮かべていた。
「いいですか、偶数番の皆さんが全員不利だと思っていそうなので特別にヒントを差し上げましょう。今、皆さんが思っていることが、そのまま相手チームの主張になりえる、ということです」
それを伝え、八百万百を座らせると偶数番のチームは顔を見合わせていた。
「さて、これから詳しくルールを説明しますね。まず、この後に五分間、時間を作りますのでその間に発表者を決めていただきます」
今回のディベートでは、発表者を決定した後に二十分の間に主張をまとめる時間を設ける。主張をまとめ、どちらかのチームから立論を十分間で行い、その立論に対しての質疑を五分間で行う。質疑を終えた後は、今度は反対のチームが立論を行い、それに対して質疑を行う。その後、再度主張を取りまとめる時間を取り反駁として相手チームの主張に対して反論を行い議論を戦わせ、最終弁論をもって主張を締めくくりジャッジにより判定が行われるというのが一連の流れである。
「一つ、補足をしておきます。討論の内容に問わず口汚く相手を罵ったり、中傷をするようなことをすれば一度は警告しますが二度目ではその時点でそのチーム自体を負けとします。ディベートなので実際の本人たちの考え方と乖離していて当然です。なので、そのことを念頭に置いてください。もしそのような中傷が巻き起こった場合には罰として苦しいだけの訓練をしてもらいますから気を付けてください」
実際にはさせるつもりは毛頭ないが、こう言っておけばチームメイトからも制止が入るだろうし必要以上に荒れることもないだろう。
瀬呂範太に肘でつつかれていた爆豪勝己は鼻を鳴らしながらそっぽを向いていた。
「特殊ですがジャッジとチェアマン兼タイムキーパーは、今回は私が担当します。なので皆さんは主張にのみ集中してください」
本来ジャッジを担当するものはディベートが終わるまでは発言しないことが普通だが、今回は仕方があるまい。ディベートを学ばせるというより、この命題に対して討論を交わすということが重要なのだ。
「本番に入る前に、一つディベートのコツをお伝えしておきます。どんな主張にせよ、主張の隙を突いて相手を言い負かすことよりも自身の主張を強固なものにする方へ重きを置いた方が論理展開がしやすいものになります。なので、相手の質問を想定することももちろん重要ですがまずは自分たちの主張に矛盾が生じないかをよく検証してください」
そう言い伝え、時間開始を告げると生徒達はそれぞれのチームで車座になって話し合いを始めた。私は携帯端末の時計アプリケーションを起動させ、時間を計り始めた。
議論する生徒達を横目に自身で黒板に書いたテーマを見て、いくつかの任務を思い返していた。
(何度言われたか。『どうして人を殺して悪いんだ。お前だって殺しているじゃないか』なんて)
私が命を狩りとる寸前に、命乞いまがいにそう問うてきた
だが、私はただの一度も応えたことはなかった。任務に際して無意味な問答をする気はないというのが大前提だが、何よりもその問いに明確な答えなど存在しないからだ。
(だからこそ、討論させる価値がある)
彼らがヒーローになれば、答えの無い現実にぶつかることも幾度となくあるだろう。その中で、自分なりの答えを見つけなければならないし明確な答えのない命題が存在することも知っておかなければならない。
なによりも、そんな状況に直面した際に迷いができる限り少なくなれば僥倖と言えよう。
(その模擬にもならないが、そういう類のものがあると知ってもらえればそれだけで十分な収穫だ)
五分が経ち、双方の発表者が決まると早速主張を取りまとめる時間に入っていく。
二十分という時間はあっという間に去り、その間には侃々諤々の議論がそれぞれのチーム内で行われていた。
私が、制限時間がきたことを告げると生徒達は再び対面になって座り直す。
「さて、ではそれぞれのチームの立論に入ります。コイントスをするので表が出れば先行は是のチーム、裏が出れば非のチームでお願いします」
アンティークとしての価値しかない金色に輝く硬貨を一枚取り出し、親指で垂直に弾く。
くるくると空中で回転した硬貨を手の甲で受け止め、押さえた手を開く。
「コインは裏ですね。では非のチームから立論をお願いします」
促すと、蛙吹梅雨が手を上げながら立ち上がる。どうやら、非のチームは蛙吹梅雨を発表者に選んだようである。
人選としては無難といったところだ。見ていた限りでは爆豪勝己も発表しようと自己主張していたが周りに向いていないと一蹴されていた。
「わかったわ。じゃあ私から発表させてもらうわね」
私は時計アプリケーションを操作し、立論の開始を蛙吹梅雨に伝える。
「人を殺してはいけないというのは感情的な部分ももちろんそうだけど、それ以上に社会という秩序を保つためには絶対に許してはいけないと考えるわ。ヒトは社会を構築して生きるものだし既に社会失くしては生きていけなくなっているわ。だからその社会を破綻させる殺人という行為は絶対に許してはいけない。だからこそ法律でも殺人を犯罪と定められているし、何よりも他者の生きる権利を奪う権利は誰にもないと考えるわ」
その後も蛙吹梅雨は道徳倫理、人権にも絡め立論を進めていく。
蛙吹梅雨の言った通り殺人は法でも基本的に禁じられているため、それを根拠にして人を殺すことを非と主張することのほうが立論しやすいということは間違いない。
(だが、それは討論で有利に立てるということとイコールではない)
蛙吹梅雨が一通り時間内に立論を終え着席する。
「続いて質疑に入ります。今の立論を聴いて質問のある方は挙手をしてください」
偶数番チームの何人かから手が上がる。
「では切島くん、どうぞ。質疑の時間は五分なので端的にお願いします」
一番はじめに素早く手の上がった切島鋭児郎を指名する。
「うっす! じゃあ、質問だ。社会が破綻するから殺人はいけないってことだったが、ならば社会を破綻させない人物ならどうだ? 譬えば、家族も恋人も誰もいない天涯孤独な人間。働いてもおらずいなくなっても誰にも気づかれないような人間。当人以外、誰も名前を知らない人間。死んでもどこにも影響を与えず、誰も悲しまない人間。そういう人間なら殺しても構わないのか?」
切島鋭児郎はしっかりと自分の役割を理解しているようで、普段の彼からは思ってもいないようなことを口にしている。
質問を受けて蛙吹梅雨が立ち上がる。
「勿論ダメよ、切島ちゃん。言った通り社会を破綻させなくても法で禁じられているわ」
「おっと、その主張は通らねぇぜ。梅雨ちゃんは、社会が破綻するから法で禁じられていると主張した。ってことは、俺の『社会が破綻しなければいいのか』って質問に対してなにも説明していないことになっちまう。こういうのをえーっと、えーっと」
切島鋭児郎が詰まっていると、八百万百が一つため息を吐いた。
「トートロジー、ですわ。切島さん。説明するための事柄を、本来説明するべき単語を使って行ってしまう同語反復のことですわね」
「おう! それだそれだ! トートロジー!」
切島鋭児郎が八百万百に礼をいうと偶数番のチームからは笑いが漏れ出ていた。
その偶数番のチームの朗らかさとは正反対に、奇数番のチームの表情は強張っていった。
「そうね。それじゃあ、質問の回答になっていなかったわね。改めて言い直すわ。どんな人であってもその人が生きる権利を奪うことは許されないわ」
蛙吹梅雨の回答を聴いて、切島鋭児郎はまだ何か言いたそうだったがとりあえず着席をした。おそらく質疑の時間を鑑みて質問する場合のルールをチーム内で決めているのだろう。
「他の質問がある方」
そういうと再び手が上がる。
「では、耳郎さん。どうぞ」
手の上がっていた耳郎響香を指名する。
「ん。じゃあ質問、生きる権利を奪うことはできないって言ってたけど、その人が死にたがっていたらどうする? 死ぬことを手助けして殺すことはいけないこと?」
質問を受けて、再び蛙吹梅雨が立ち上がる。
「自殺幇助も立派な犯罪よ、響香ちゃん」
「当然知ってるよ。だから社会を破綻させず、誰にも迷惑をかけない人間が死にたがっていて、それを手助けすることはどうなのって質問だね。社会を破綻させないし、生きる権利を本人が放棄しようとしている状況」
「それは……」
その質問を受けて、蛙吹梅雨が言いよどむ。
言いよどんでいる蛙吹梅雨をみて障子目蔵が手を上げる。
「障子くん、どうぞ」
指名すると障子目蔵が立ち上がる。
「蛙吹の代わりに俺が答えよう。その場合でも認められない。いくら当人が生きる権利を放棄しようとも、他人がその人間を殺してもいい権利を得るわけではないからだ。それと現実味のない仮定を持ち出すことはあまり感心しないぞ、耳郎。ただ、現実味のない仮定であっても例外ならば殺してもいいのかという反論をされるわけにもいかないから答えさせてもらった」
「うっ……」
障子目蔵の着席と共に耳郎響香も着席をする。
その後、二、三の質問が偶数番のチームから挙げられ、蛙吹梅雨がそれに答えたところで質疑の時間が終了する。
「続いて偶数番チームの立論に移ります。発表者は立論を開始してください」
同じように携帯端末の時計アプリケーションを起動させる。
八百万百が立ち上がり、居住まいを正す。
「わたくしから立論をさせていただきますわ」
こほんと咳払いをひとつしてから、八百万百は立論を述べ始めた。
「人を殺すことを是とする理由について述べさせていただきます。まず、わたくしたちの主張としましては、全ての殺人に対して是というわけではなく時と場合によっては是であると申し上げさせていただきますわ。リンチなどは論外として、その殺人が許される時と場合というのは、法に依る刑としての殺人と自己防衛のための殺人です。つまり極刑や正当防衛などということですわ」
「おいおい、そりゃずるくねーか!?」
八百万百の立論の最中に峰田実が言葉を挟む。
「峰田くん。立論の最中に遮ってはいけません」
「でも、あんな主張いいんですかぁ!?」
「まったく問題はありません。テーマから逸脱しているとは言い難いですからね」
これが『だから死刑制度は必要』という主張になってしまったのならば、論理立てに明確にテーマから逸脱してしまっているためその時点で勝敗は決してしまうが、そうではない。
峰田実が歯ぎしりをしながら座り直す。
「立論を続けさせていただきますわ。私たちが是とする殺人は、秩序を守るための殺人。極刑に死刑が制定されていることによって抑止力が生まれると考えられますし、正当防衛で殺すつもりがなくとも結果的に殺してしまったという状況も考えられます。それまで罪に問うてしまえば、どうしようもない犯罪に会ってしまったときに自身を守るという行為にすら躊躇が入ってしまいますから」
八百万百は、さらに重ねて立論を加えていく。
過剰防衛や死刑に至るまでに考えられる問題点をあげつつも、それでもなお社会秩序を守るために必要な殺人であり、その場合に限り殺人も是であると主張を組み立てていったのであった。
「ここからは奇数番チームからの質問の時間になります」
そういうと勢いよく奇数番のチームから複数の手が上がる。
「では、麗日さん。どうぞ」
指名を受けた麗日お茶子が、鼻息を荒くしながら立ちあがる。
「うん! 質問させてもらうね! 死刑制度を例に挙げていたけど、死刑制度は未だに是か非かで議論がなされているわけやし、死刑制度を前提に人を殺すことを是とする根拠にすることはできないんとちゃうかな! 実際に死刑制度を人権的観点から取りやめている国もあるし死刑制度を撤廃している国もあるわけやから!」
「それは、死刑制度に対しての議論になるわけでしょう。今ここで行われていることは人を殺すことは是か非かであって、法に基づいている限り抑止力として是であると申し上げているだけです」
「法律が常に全て正しいとは限らんのとちゃう? そうなったら法律を根拠としていること自体が揺らぐんやない?」
「その通りですわね。ですが、それでは奇数番チームの主張する法律で禁じられているから殺人は非であるという主張の根拠も否定してしまうことになりますわ」
「うぐぅ!?」
思わぬ反論を受け、麗日お茶子が力なく着席をしてしまった。
それをみてすぐさま他のチームメイトが手を上げる。
「では、轟くんどうぞ」
立ち上がった轟焦凍は、ゆっくりと口を開く。
「八百万たちの主張は、法律で認められているものであるなら是認するってことだと思うんだが、あっているか?」
「ええ。おおよそ、そのように捉えていただいて構いませんわ」
「だけど八百万たちの主張だと、殺人を認める法律が制定されていることが是であるということだけであって殺人自体を是とするものじゃなくないか?」
「それは……」
今度は八百万百が言いよどむ。
それをフォローするかのように緑谷出久から手が上がる。
「それは違うと思うよ。殺人という重要な事柄だからこそ、制定されていること自体が殺人も時には是であると言っていると思うんだ」
「俺は、そう思わない。死刑にせよ正当防衛にせよ、是ではないが罪には問わないってだけだと思うがな」
轟焦凍の質疑の後もいくつか質問が飛び交っていった。
そして、その後に反駁のための時間に入り、それぞれの主張に対しての反駁を行い最終弁論を済ませ、残るはジャッジをするだけというところまで進んで行った。
憂いていたお互いに感情論に流されるといったこともなく、理知的に討論を行えたことは、それだけで素晴らしいことであった。
「では、判定を行います。今回は偶数番チームの勝ちとさせていただきます」
そう告げると、奇数番チームからは納得のいかないような声が上がった。
「言っておきますが、主張の正しさを評価しているわけではありません。議論の運びと主張と根拠の結びつけが優秀であったというだけです。偶数番チームが根拠にしていた死刑制度に関しても本来ならば、死刑制度が本当に抑止力になっているのかといったデータや根拠も提示しなければならなかったわけですし」
喜んでいる偶数番チームに水を差すようだが、より主張の正しさを認めているわけではないと釘をさす意味でも言っておく必要があった。
私の言葉を聴くと喜んでいた様子の一切が無くなってしまった。
「今回評価した部分は、主張に対して論理的整合性を保てているかどうかと質問や反駁が適したものであったかという部分です」
今回のディベートの総括と共に、お互いの主張の不足している部分を指摘していく。
「ただ、今回のディベートの目的は討論の技術を向上させることではありません。一見常識のように思えることも、視点を変えればがらりと姿を変えてしまうという多様性を知ってもらいたかったのです。物事は常に一元的な面だけということはありえない、ということですね」
息抜きのつもりで始めたディベートであったが、存外生徒達にはいい刺激になったようで何よりである。
「答えが見つからないことも、今後の人生でたくさん出会うでしょう。ですが、皆さんにはそんな問題だからこそ、一元的にしか物事を捉えられないような人物になってしまわないよう今回このようなテーマにしました。答えだと思うことは、それぞれの胸にしまっておいてください。そして、必ずしもそれが正しいと盲目的に考えないようにしてくださいね」
答えはない。
どちらも正しく、どちらも間違っている。そしてどちらも間違っており、どちらも正しい。
私も嘗て、自身の行いに疑問を投じていたこともあった。
そして、今もその回答は得られていない。
(できれば、彼らが私のようなこんな問題に直面しないことを祈りたいものだ)
総括を終える頃には、私の思考を遮るように終礼を報せるチャイムが鳴り響いていた。
【輝く硬貨】
特に輝きを放つ雑多な硬貨。
夜道に撒けば、道標くらいにはなるものだろう。
あるいは、厄災の明ける遠い夜明けまで貯め込んでおくとよい。