──世の中には、幽霊が見えるという人たちがいる。
テレビや雑誌のホラー特集で目にすることもあれば、クラスメイトから「○組の○○って子は霊感があるらしい」みたいな噂を、これまでに何度か聞いたこともある。
その人たち全員に、私はこう言いたい。
「アンタたち……本当に『これ』が見えるの?」──と。
『シンデレラの
*
私には幽霊が見える。
これは別に、オカルト少女だとか霊能力者気取りだとかいうわけではなく、本当のことだ。
ゴールデンウィーク初日、飼い犬のハナコと散歩の途中だった。
公園の林道を歩いていると、少し先の樹の側に誰かが立っている。そんなに離れた距離でもないのに、その人は全身がひどくぼんやりして見えた。
気になって、目を凝らしてよく見ると……それは人ではなく影だった。
緑色の影が立っている……。
しかも、その影から視線を感じる。気のせいなんかじゃない。
恐怖で少しのあいだその場に立ち尽くしていたが、揺れるリードの感触で我に返り、ハナコを抱きかかえて足早にそこを去った。
あれはいったいなんだったんだろう……。見間違いとかではなかった。テレビの撮影とか、なんかの実験とか? でも、あのときまわりには他に誰もいなかったはず……。
いろいろ考えても答えは出ない。家に帰り、まだドキドキしてる左胸に手を当てながら自分の部屋のドアを開ける。すると、さっきの緑色の影がそこに立っていた。
「ひっ」
驚いたのも束の間、影はすぐに消えて、文字どおり影も形もない。しかしそれ以来、私はとり憑かれてしまったらしく、あの影はたまに私の近くに姿を現すようになった。別段何もしてこないが、だからといって安心なんてできるわけ無く、落ち着かない、気味が悪い。
そうして理解不能の事態にただ怖くて何もできず、せっかくのゴールデンウィークは鈍色にくすみ、そのまま最終日を迎えてしまった。
*
無気力感に身を任せベッドで横になっていると、インターフォンが鳴った。重い頭と腰を上げ玄関まで行きカメラを確認すると、そこには
「……どうしたの、奈緒? 連絡もしないで」
「あっ
屈託のない奈緒のいつもの声を聞いて、ほんのすこし気分が軽くなった。しかしそれでも、このけだるさは完全には消えない。今は話をするのも煩わしい。悪いけど、このまま帰ってもらおう──
「……その、今ちょっと立て込んでて」
「ん? 家の手伝いか? 大丈夫、すぐ帰るから。ちょっとだけお邪魔しまーす」
話が終わる前に、奈緒はドアを開けて入ってきてしまった。仕方ない、CDを受け取れば用事は済む。
「じゃあこれ、ありがとう……な………………」
CDを私に差し出したまま奈緒は急に固まってしまった。視線は私の少し後ろに釘付けになっている──まさか!
勢いよく振り返る。そこにいたのは……。
「………………っ!」
例の、緑色の影……。
よりによってこのタイミングで出てくるなんて……。あれ? でも……そういえば、今まで両親やお客さんの前でこいつが現れたことがあったけど、みんなには見えてないようで、誰からも反応なんて無かった。でも、今、奈緒は明らかにこいつが見えているかのような反応をしている。これは……⁉
「奈緒っ! ……まさかアンタ、こいつが見え──」
「こいつは……『スタンド』ッ!」
私の言葉を遮って、奈緒が叫んだ。
『スタンド』
…………って、なに? 奈緒はこいつのこと、なにか知っている……?
「おい凛! なんか変なモンが見えてても……とりあえずパニクんなよっ!」
そう言い放った次の瞬間──
「『ワン・ヴィジョン』!」
ふたたび何事か叫んだ奈緒のそばに、筋骨隆々とした体つきの、燕尾服を着た男がいきなり現れた。
……………………。
人間、心の底から驚くと何も反応できなくなるらしい。
例の影が出たと思ったら、今度は知らない人間がいきなりどこからともなく現れた。あまりにも唐突でわけの分からない光景だった。ただ、さっきの流れからして燕尾服の男は奈緒の合図で出てきたようだった。
男はシルクハットを目深に被っていて顔が見えない。そして、腰に短いステッキを携えていた。いかにもマジシャンといった出で立ちだ。こいつはなんだ。奈緒の知り合い……? いや、どんな知り合い? 分からない……頭の中が真っ白だ──
「凛、あたしの後ろに……」
「へっ? あ、うん……」
奈緒に腕を引っ張られてやっと我に返った。
「いったいなんなの、これ……?」
「後で教えてやる。今はこいつをなんとかしなきゃ……」
奈緒が身構える。燕尾服の男も拳を中段に上げ、注意深くじりじりと動き出す。いつの間にか、影は手になにかを持っていた。長い棒状で、先が鋭くて……まるで剣に見える。剣のような長い影だ。
「オラァッ!」
マジシャンはパンチを繰り出したが、影は素早くそれを避ける。そしてその手を掲げ、突き出されたままの腕に……。
剣が振り下ろされる‼
(ダメっ! いけない!)
と思った。そのとき──
「……………………」
突如として、影は停止した。剣はマジシャンの腕ギリギリ手前で止まっている。
「今だ!」
奈緒の声とともに、マジシャンは影の手首を押さえつけ、剣を落とさせようとする。
……ッ⁉
「ぐあああうぅぅっ‼」
私の両腕がいきなり天に向かって上げられた。その直後、強い痛みが手首を襲った。締め付けられているような力を感じる。
「凛? どうした!?」
影から目を離さずに奈緒が叫ぶ。
「わかんない! わかんないけど、腕が勝手に動いて……痛い……!」
「な、なんだって……!? まさか……」
奈緒が私に困惑の表情を向けた。少しして、マジシャンは押さえつけていた影の腕を解放してしまった。
すると……次の瞬間、私の腕も解放された。痛みも徐々に引いてきた。
「……どういうこと?」
「凛! ……そいつを見て、なにか感じないか?」
不意に奈緒がそんなことを言ってきた。
なにを急に……と思いながら影を見ると、なにか違和感があった。いや、正確には違和感ではなく──安心感。不思議なことに、さっきまでのことが嘘のように、いつの間にか私の心は落ち着いていた。すぐ前にいる、この謎の存在から、なにか穏やかなものを感じ始めている。『大丈夫』──私にそう語りかけているように見えた。
「うまく言えないけど……もうなにもしてこないような……そんな気がする……」
奈緒が信じてくれるかどうか分からないが、今感じたことを素直に伝えた。
「……そうか。よし、じゃあ、変なこと言うようだけど、こいつにここからいなくなるよう頭の中で念じてみてくれないか」
…………? 突然の奇妙な指示。念じたくらいで消えてくれるならあんなに苦労しなかっただろう。そう言おうとしたが、奈緒は真顔でまっすぐ私を見ている。どうやらなにか考えがあるようだ。
(お願い、いなく……なって……)
奈緒に従って頭の中でそう祈ってみた。
すると──なんと呆気ないんだろう。心で念じた、それだけで影は本当に消えてしまった。まるで始めからいなかったかのように、完全に。
「うそ……なんで」
「お前もか、凛!」
唖然としている私の肩を掴んで、嬉しそうに奈緒が言った。
「お前もって……なにが?」
「『スタンド』さ!」
さっきも出てきた言葉だ。
『スタンド』……いったい、なんなの?
*
『スタンド』──精神力が具現化し、自分の意のままに動かすことができる、いわゆる超能力。スタンドは、同じくスタンドを持つものにしか見たり触れたりできない。スタンドが傷つけばそのスタンドの持ち主(『本体』)もダメージを負ってしまう。つまり、スタンドが消滅した場合、本体も同じ運命を辿ることに……──
騒ぎのあと、なにも知らなかった私に、奈緒は詳しく話を聞かせてくれた。
幽霊だと思っていたもの……それは『スタンドと呼ばれる超能力だった。超能力……同じく能力を持たなければ見えない存在……。
にわかには信じられないことばかり矢継ぎ早に説明されたが、能力者(『スタンド使い』というらしい)にしか見えないのなら、両親やお店に来た人がスタンドに気づかなかったのは『スタンド使い』ではなかったからだと説明がつく。それに、あの緑の影が、腕を奈緒のスタンドに押さえつけられたとき、私の腕も見えないなにかに掴まれたように動かなくなった。そしてなにより、こんな嘘を奈緒がつく理由が分からないし、こんな荒唐無稽な話、そもそも嘘として成り立たない。
「スタンド……ねぇ」
しかし声に出してみても、やはりそこには嘘くさい響きしか残らない。
「ワケわかんないよな……。気持ちは分かるけど」
ひと呼吸おいて、奈緒が
「でも、確かにいるんだよな、これが……そらっ!」
と、つづけると、さっきのマジシャンがまた突然現れた。
「このとおり、ほら」
マジシャンは私に向かって両手を振っている。体格が良いこともあってなかなか不気味だ。
「こんなこととか」
次は勉強机の上に無造作に置かれたままの教科書を手に取り、パラパラめくり読むようなそぶりをしてみせた。
「こういうこともできるぜ」
そして今度は窓際まで歩いて閉めきったままのカーテンを開けてみせた。
確かに、その存在は紛れもない事実のようだ。窓から射す日の光がそれを物語っている。
「見えるだろ。心から生まれる力……これが『スタンド』さ」
そう言うと、マジシャンはこちらに戻って奈緒の隣にちょこんと正座した。さっきより愛嬌があるように感じるのは、私の心がスタンドという存在を少しは理解できたということだろうか。
「……まあ、信じざるを得ないよね。けど……さっきのあの影が私のスタンドっていうのは本当なの? ……私も『スタンド使い』なの?」
「それを今から確かめるのさ。さっきとは逆に、今度は「出ろー」って念じてみな。出来て当然って思うことがコツだぞ」
「出来て当然……出来て当然、ね──」
じっと正座したままの奈緒のスタンドを見つめ、その存在を改めて自分のなかに刻みつけてみる。
そして強く念じる。
──出てきて、私の……スタンド。
*
──⁉
身体の内側から、熱いものが外に向かって放たれるような感覚がした。隣になにかの気配を感じる。
そちらに目を向ければ、そこにいたのはあの影……ではなかった──。
『
昔の少女漫画に出てくる貴公子みたいなゴシックな服。色は緑……いや、蒼と言うべきか。やや青みがかった緑色。私の瞳と同じ色だった。影はこの色を反映していたのか。顔の上半分は、舞踏会で身に付けるような仮面で覆われている。奈緒のスタンドのようにこちらも帽子を被っているがシルクハットではなく、つばの広い、これまたゴシックな帽子だ。そのまわりに絡みつく茨、そこには真っ青に輝く一輪の薔薇が咲いていた。
「おおおおっ⁉ なっ、出ただろ? そいつが凛のスタンドだよ! へぇ~、カッコいいなぁ~……」
「これが……私の……」
消した時同様、出すときも実にあっさりだ。ずいぶん派手な気もするけど……確かに見た目は悪くない。そして、影のときに持っていた剣が、腰に携えた鞘に収まっている。格好は良いが物騒なスタンドだ。
「どうだ? ちゃんと動かせるか?」
奈緒に促されスタンドを動かしてみる。手も足も自由に動かせた。回りを歩かせてみてもなにも問題はない。手こずるかと思ったら
これまたあっさりだった。
「スタンドをしっかり認識できたみたいだな。もうこれで大丈夫だろ」
言われてみれば、さっきまでの、しっくりこない感じ、心の中にあった違和感のようなものはもう無い。すべては解決したということでいいんだろうか。
「とりあえず一安心だな。他にも説明することはあるけど、明日学園で『先生』から聞いた方が良いな。今日はゆっくり休めよ」
「……えっ⁉」
事もなげに奈緒は言ったようが、聞き捨てならない一言だ。
「『先生』? うちの学園の先生に『スタンド使い』がいるの?」
「ああ、保体の
私たちが通っている学園の教師にも『スタンド使い』がいるのか。
「……何人くらいいるんだろうね。『スタンド使い』って」
「うーん、さあな。ま、積もる話は明日にして、休んだ休んだ。CDも返したし、そろそろ帰るよ」
奈緒はバッグを手に取り、いつものように別れを告げ帰っていった。
常識が覆るほどの大騒動のあと、静寂を取り戻した部屋の中には、私と、私のスタンドだけが残った。
*
──あれから5時間くらい経っただろうか。なんだかんだで夕食、入浴を済ませ明日の準備をする頃には、すっかり落ち着いていた。
ベッドに入り、念じてみる。
枕元にスタンドが現れた。不安や恐怖はもう感じない。こいつは自分の一部だという感覚だけがある。
「ハナコには見える? これ……」
ハナコに問いかけても小首を傾げてつぶらな瞳で私を見つめているだけだった。
スタンドを操作して電気を消すと、あっという間に眠気が襲ってきた。
──とんでもない一日だった。明日から、どうなるのかな……。
スタンドをしまい、そんなことを思いながら私は眠りに落ちた。