『ネヴァー・セイ・ネヴァー』が私を抱えながら空中を跳んで駆けていく。抱き方はお姫様抱っこで、私ひとり持ち上げるくらいのパワーは十分にあるから自分の足で走るよりこの方がずっと速い。
狼人間がスタンド使い以外からも狼人間として見えるかどうかはわからない。いっぽう私は生身の人間なので私の姿はこの場にいるみんなからはいちいち訊くまでもなく当然見えている。ということは、狼人間のことが単なる(という言い方もおかしいけど)『奇声を上げながら素早く動くアブない人』にしか見えなかったとしても、私のことは『椅子に深く腰掛けるような体勢を維持したまま空中をジグザグに動いて正門に向かっている女』として見えるわけで、いよいよ非スタンド使いである人間の目には奇妙奇天烈極まりない光景が広がってしまっているはずで、ばつが悪い。ただそんなことは言ってられないから正門に着くまではどうしようもできない。
幸い狼たちが美嘉を避けて左右に膨らんで移動していたこともあって先回りすることは難しくなかった。だが園児たちは今後私のことをどんな目で見るのだろう。トラウマになりませんように。
狼人間は1匹残らずこっちに向かっていた。つまり5匹。その動きは速く、力だってかなりある。私だけでどうにかなりそうなものではなかった。能力の根本である本体を追いかけるのはいいけど、狼人間の数をもう少し減らしてほしかった。美嘉にそう言いたくなるけど、そもそも私たちは戦闘のプロでもなければ映画やアニメやマンガの登場人物でもないんだから咄嗟にそこまで機転良く立ち回ることなんてできやしない。それはカリスマと
結局、のっぴきならない事態になれば現状でできることを全力でするしかない。美嘉はそうした。なら私だってそうするしか道はない。5対1で真っ向から対峙するのはどう考えても厳しい。でもこの場を放棄するほうが、もっと厳しい。自分の命と誰かの命、どちらがより重いのか? なんてこと考えたくないけど、はっきり言って、こんな状況では私は自分の命をかける道を取る方が納得できてしまうのだ。向こう見ずなのかも知れない。
やるしかない。本当ならこんなことをいちいち考えずに即、行動に移れたらもっといい気がする。それは思考停止とは違うと思う。「思う」じゃなく、「思いたい」かもしれない。
「ああああっ、もうっっ!!」
だからといって別に覚悟が決まってるわけではなく、置かれている状況の心地悪さに耐えきれず叫びたくもなる。今の私は半ばヤケだ。でも5匹の狼人間にひとりで戦おうとするということは、そういうことだ。
「クァオォォォオォォォォォォゥッ!!」
狼たちは5匹いっぺんにひとかたまりになって襲い来る。バラバラに向かってこないぶん動きが単純で読みやすい。が、どう来ようが別に策はない。攻撃を一身に受けて後ろのみんなを守ろうと剣を盾代わりに待ち構えた。「もう、盾役しかないよね」と、そんな軽い口調が頭の中で発された。
狼人間の爪と牙が文字どおり目と鼻の位置に迫ってきた。
しかし攻撃が私に届く直前、予想だにしないことが起きた。予想だにしないことはさっきから立て続けに起きているが、それでも起きたものは起きた。
まず、私は攻撃を受けずに済んだ。私と狼人間たちのあいだの空間になにか、『透明の膜』のようなものが現れて、それにぶつかった狼たちは、ボヨヨォン……と膜の反発力によって押し返されたからだ。透明の膜は薄いピンク色をしていた。
そしてもうひとつ。受け身をとって立ち上がろうとした狼人間の群れに、今度は『黒い大きなふたつの塊』が降りかかり、群れを襲った。
それは2頭の『ゴリラ』だった。
2頭のゴリラは数で勝る狼人間の攻撃を避けずに甘んじて受け止める。ここからではよく見えないが、おそらく攻撃を受けたと思われるそのたびに、動かしがたい、山のようなゴリラの背中越しに火花、というかエネルギーの欠片のようなものが散っていくのが見えた。どうやらこのゴリラ、スタンドらしい。
それからゴリラは攻撃にひるむことなく巨大な体躯から丸太のような両腕を伸ばし、どちらのゴリラも腕ひとつで1匹、計4匹の狼人間をがっちりと捕まえた。狼人間たちは不自由なりに爪と牙を身体に突き立て逃れようと必死になるけど、それでもゴリラは山のように動かなかった。
「『ミーくん』、『ケイくん』! もーちょい頑張ってっ!」
私の隣に寄ってきて、たぶんゴリラに対して激励の声を掛けたのは莉嘉だった。
『GRRR!』
軽く吠えてゴリラたちは莉嘉に答えた。野性的かつダンディーなバリトンボイス。ゴリラたちは狼人間を押さえる腕にさらに力を込めたようで、
「アアアァ、アァァァァァァァァァ……」
呻き声が漏れ、しだいに抵抗をやめていく。相当な力で抱き込まれているようだ。
「ガアアァァアアア!」
「これで……とりあえず全員の動きは封じれましたね……」
残る1匹をクラリスさんのスタンドが押さえた。あとは本体だけ……。
「美嘉さんに神のご加護を……!」
「お姉ちゃん、まだぁー!?」
「もうちょっと! この……いいかげん観念しなさいっての!」
「やなこった! あー、どうすりゃいいどうすりゃいい……」
美嘉はまだ男を捕まえあぐねていた。星型ブラックホールのスタンドはあまり速くないようで、男はちょこまかと逃げ回り続けている。
「ひらめいたっ!」
そう叫んで男が止まって美嘉の方に向き直る。手にはナイフが握られていた。
「持っててよかった、十徳ナイフ!」
歩みを止めた男の全身を、美嘉のスタンドが覆い、通り抜けた。
「莉嘉、もういいよ!」
「おっけー! ミーくんケイくんお疲れさまっ!」
と、美嘉の言葉に反応した莉嘉が素早く自分の手からなにかを剥がした。それは『シール』だった。剥がしたとたん、ちょっとやそっとじゃどうにもできそうにないゴリラたちがあっさり姿を消してしまった。
星型ブラックホールが男をすり抜けると、クラリスさんのスタンドに押さえつけられている狼人間も、さっきまでいたゴリラに抱えられていた狼人間も、それぞれもとの姿を取り戻す。園児もどこで狼にされたかわからない人たちも、これで助かった。
「あいやあぁぁぁぁぁぁぁ!!」
しかし事件はまだ終わらない。本体の男は依然ピンピンしていて、刃を起こした十徳ナイフ片手に美嘉に突っ込んでいく。
「亜里沙先生っ!?」
「大丈夫です! 美嘉ちゃんも
なにかを確認するようにクラリスさんが亜里沙さんに叫んで、亜里沙さんはそれに答えた。私には全然なにやらわからなかったが……
「え、うぇええええ!? なにこれ~っ!?」
という声を上げた美嘉を見ると、彼女は薄い黄色の『シャボン玉』に包まれていた。
「お、おおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……!?」
必然的に男のナイフはシャボン玉に刃を突き立てる。しかし驚くことにシャボン玉は割れない。ボヨォ~ン……と後方に押し返されて男は転んだ。
自分のまわりの『膜』を見てみると、これもどうやら美嘉を包むものと同じようだった。後ろを振り返ってわかったことだが、私を包んでいるシャボン玉はかなり大きく、莉嘉もプロデューサーさんも園児たちも亜里沙さんもそれに包まれていた。
さっき亜里沙さんの言ってた『射程内』……こういうことか。亜里沙さんも『スタンド使い』とは……。
「さあ、懺悔の時間ですよ」
「いでででででででで!」
転んで隙を見せていた男に、クラリスさんは素早く向かい、スタンドでガッチリと押さえつける。それでようやく事態は終息したのだった。
*
「おら、くらえ、わるいやつ!」
「むぼぉ……!」
「えいやーっ!」
「うべぇ……ぇっ、ヘックション!」
事件が終わって、幼稚園には平和が戻った。なにも知らない園児たちは、さっきまでのことなどなかったように遊んでいる。ただその遊びは以前と変わっていて、みんなは水鉄砲を狼人間のスタンド使いの顔に向かって、ピューピューと一斉射撃していた。男は園児用のあまり高さのない鉄棒に掴まり、両足を最大限に折り曲げて必死にぶら下がっていた。この状態を解こうとすると、横にいる園長先生が竹箒の柄で脛を叩くためだ。お仕置きということらしい。ただすぐ横にいるから園長先生の上半身も男同様びしょ濡れだった。
「やめてくれよぉ……こんなん続けてたら……手に
男の叫びは悲痛だったが誰もやめない。私もさっき連絡した早苗さんが来るまではそれをやめさせる気がしなかったので、放っておいた。すっかり疲れていた。
まさか、職場体験学習中にまで『スタンド使い』に襲われるなんて……。重症者は出なかったがこれは由々しき事態というやつだ。
……奈緒や加蓮たちは、大丈夫かな……?
そんな不安が心からこぼれ落ちた──。
【インタールード:『She's a Rainbow』】
──………………!!
っく、ヤバいっ!!
あっ、そんなっ……! ん、んあっ……!
…………………………。
「……セーフ」
ふぅ……危ない危ない。下げた食器持ったままくしゃみなんかしたら落として割っちまうよ。加蓮か凛があたしのウワサでもしてんのかな? まさかあたしの働き場所調べて冷やかしに来たりなんかしないよな……。大丈夫だよな……場所教えてないし……。
いかん、また不安になってきた。いやいや、大丈夫だ、大丈夫なはずだ! 初日は何事もなかったし今日だってランチタイム終わりの今まで知ってる顔は見なかった。体験学習期間は土曜まであるから金曜終わりの凛は1日早く休みになるけど加蓮はあたしと同じ土曜までだから最終日にふたり揃ってここをつきとめたりなんかもできないはずだし、なによりあのふたりだってやったことないことをやってるんだからいろいろ大変なはずだ。あたしのことばっか構ってる余裕はないだろうし。うん、大丈夫だ! 自信持て、あたし!
考えごとでいちいち不安になんかなってたらお客さんを明るく接客できない。仕事もそこそこ覚えられたし、しょうもないことでミスはしたくないよな。それに……。
それに……もし闇雲にあたしの働き場所を探そうとしてもみんなには喫茶店としか言ってないんだ。『ここ』だとわかるはずがない……今どきチェーン店も含めれば美城町内に限定したって喫茶店なんてゴロゴロあるんだ。ましてや『ここ』は加蓮のマックからも凛の幼稚園からも、学園からだって離れたところにあるし……見つかるハズがないんだ。
でも……もし、見つかってしまったら……?
考えるだけでも恐ろしい……。間違いなく、過去最高にイジられる。特に加蓮。それだけはゴメンだ!
絶対……絶対バレるワケにはいかない。自分で見つかったら困るようなとこを選択しといてなんだけど、でも絶対に見つかるワケにはいかないっ!
──カランコロ~ン
「こ~んにちは~」
「いらっしゃいませ、あぁ、じゃなかった……」
「あはは。挨拶まだ慣れないっスか? でも奈緒ちゃん笑顔はバッチシっス! 懲りずにファイトっスよ!」
「そ~そ~。だから気を取り直して昨日みたいに天使のような尊い笑顔で青春の階段を踏み外してしまったおネエさんたちを元気にお迎えしておくれ~!」
「り、りょーかい! コホン。それでは……」
お辞儀のスピードは早すぎず遅すぎず、そして深々と……あんまり仰々しくなってもいけない。でもって、頭を上げたらしっかりスマイル! そして今度は間違えずにちゃんと挨拶……と。
「──お帰りなさいませ、お嬢様がた。お疲れでしょう、こちらの席へ……どうぞ♪」
「Oh…………っス」
「その笑顔を見たら、疲れなんて2000光年のかなたにフッ飛んでったじぇ……GJ、奈緒ちゃん……」
よし、今度はバッチリだ……。無事に挨拶を済ませて、空いてる窓際の席へふたりの『お嬢様』を案内する──。
絶対あのふたりにバレるワケにはいかない……あたしの職業体験学習先が、喫茶店は喫茶店でも『メイド喫茶』だということを…………!!