先生と中等部生徒とのほんのちょっとの集団登校を経て学園へ着くと、乃々はそそくさと中等部校舎へ向け歩いていく。中等部は高等部より正門から少し離れたところにあるぶん遅刻の問題がシビアだ。
「あの、その、じゃあ、行きます……」
5、6歩進んでから振り向いて改めておじぎをして小走りで乃々は去っていった。
「結局、なんだったんですか?」
乃々の後ろ姿から隣の高峯先生に視線を移して尋ねた。
「……そんなに気にすることかしら」
ちらっとこっちを見て先生が素っ気なく言った。素っ気ないといっても高峯先生の場合はこれが普通というか自然で、動作も言葉も表情もすべてがミニマルで洗練されている。このドライな姿勢が慣れない生徒からはどうしても怖がられてしまうようだけど、無理に好かれようと愛想を振り撒いたりしない姿は気高く、威圧感のある鋭い目からは研ぎ澄まされた美しい強さを感じる。木場先生が『柔の強さ』みたいなものだとすれば高峯先生は『剛の強さ』といった感じかもしれない。
「特異な空間ではあれど、面談みたいなもの。奇異なことではない」
面談みたいなもの……。そうなると問題はないけど答えてはくれなさそうだ。確かに別に私が首を突っ込むことではないであろうものの、あんな内向的そうな子に高峯先生という組み合わせもあって気になるものがある。
「遅刻するわよ。私は行くわ」
こちらの返事を待つことなく高峯先生も職員玄関の方へと静かに歩いていった。その動きの美しさに、一瞬遅刻のことを忘れて見入った。
*
「よっす。今日はずいぶんギリギリだったなー」
朝のショートホームルームが済むと私の席に奈緒がやってきた。
「登校中からゴタゴタしちゃって」
「まさかそれって……アレ?」
「アレ」
「マジか……」
“アレ”がなにを指しているのか正確に把握する前からアレだと言い切ってしまったけど、まあ私たちの中で“アレ”と言えばスタンドのことなわけで、現に奈緒は私の予測の範囲内にあった流れで話を続けた。
「問題ないようなのはいいんだけどさ……どんだけいるんだろうな、スタンド使い」
「まったくね。ファンタジー世界とかの『選ばれし者』的な人より多そう」
スタンドという奇妙な能力のことを認知してからまだ3週間。それだけの期間で私はもう20人以上のスタンド使いと出会い、その中には危害を加えてくるような奴もいた。
「多すぎるよな……。冷静に考えてさ、こんな生活が続たらどうなっちゃうんだろうな、あたしたち」
「それは……」
どうなる──っていうのは、やっぱり、怪我するとか死ぬとかってことなんだろうな。確かに今こうして無事に暮らしているけど、実際危ない目には何度も遭っている。今後今まで以上の大きな出来事が起こるとも限らない。考え出せばすぐに不安がつきまとうことだらけだ。
「まぁ凛にこんな話振ってもどうしようもないんだけどさ。気になるじゃん、やっぱ」
「こんなに色々起こってるとそうなるよね……。でもなんか、うまく言えないけど、私はそこまで心配してないんだ」
「なんでだよ?」
「だからそれがうまく言えないんだって。なんだろう……私けっこう楽観的なのかも」
「へぇ~、凛からそんな
「おわ、加蓮」
少し大げさに肘を曲げ両手を上げて驚いてみせた奈緒の視線の先、私の真隣にはいつのまにか加蓮がいた。少し前から話を聞いてたようだけど、介入してくるまで私も奈緒も気づかなかった。
「朝から深刻な話してるね~君たち。またなんかあったの?」
「凛が今朝スタンド使いに出くわしてな。まあ戦うとかってアレじゃなかったそうだけど、あたしらだって他人事じゃないからな」
「アタシなんかはアンタたちに迷惑かけたときくらいしか危ない思いしてないけど、どうなんだろね」
「そもそも危ない・危なくない以前にスタンド使いが多すぎるんだよ。職場体験学習中だけで、え~と……9人会ったぞ、あたしは。マスター、夏樹さん、志保さん、比奈さん、由里子さんと、危ないの4人」
「奈緒ほどじゃないけど……数えたら私も先週だけで5人のスタンド使いと出会ってる。加蓮がひとりも会わずに済んだのが不思議に思えてくるよ」
「しかも凛の場合、敵が園児になんかやってきたんだろ?」
まだ終わってない問題に触れるように眉を思いっ切り“ハ”の字にした困り顔で奈緒が尋ねてきた。
「ざっくり説明すると、人間を狼人間に変える能力で、そのうえ本体の命令に従って動くわけ。それで園児を狼人間にして……」
「襲ってきたってわけか……。改めて聞くとマジにゾッとするぜ。よく解決できたな」
「またざっくり説明すると、私や先生が狼人間を食い止めてる間に
「ふえぇ~っ、『スタンドエネルギーを消すスタンド』って……チートじゃん! よかったな、その
「その
ここで私は奈緒と加蓮が美嘉をまったく知らないような反応をしたのに疑問を感じた。
「あれ……言ってなかったっけ? 城ヶ崎美嘉と莉嘉、私の職場体験学習に来てたって」
「……」
「……」
奈緒も加蓮も、直前まで喋っていたときの表情のまましばらく固まってしまった。
「……………………ジョ?」
「ジョ」
「マジ?」みたいな感じで加蓮が呟いたので肯定するように私も同じ感じで返してみた。
「なんだっ……てえぇぇぇぇ~!」
それに続いて奈緒がそれはもう、わかりやすいくらいに驚いて叫んだ。
「あ~っと、気にしないで気にしないで! 誰にでも一生に何回かこれぐらい驚くような出来事があるもんよ、たぶん。この子には今それが来たの」
奈緒の声に驚いてこっちの様子を気にしているクラスのみんなに加蓮が妙なフォローを入れた。奈緒は突然叫んだことに少し顔を赤くして恥ずかしがった。
「奈緒じゃなくても驚くよ。なにアンタ? なんでそんなこと起きてんの?」
「いや、なんか、雑誌の仕事とかで1日幼稚園の先生的な企画で来てたみたいだよ? 私も当日知ったからビックリしたし」
「すげぇな……あのカリスマ姉妹といっしょの空間にいたのか」
「うーん、ふたりにこのこと言わなかったっけ? 話した気がしたんだけど」
「言ってない言ってない。にしても、アタシは特にファンってワケじゃないけど、人によっては泣いて喜ぶ案件よ、それ」
「そうかもだけど、スタンドのこともあって最終的にはそんなこと考えてる余裕なかったし」
「そっか、助けてくれたミカって城ヶ崎美嘉なワケだもんな~。てか芸能人にまでスタンド使いがいるのか。もうどこの誰がスタンド使いでもおかしくなさそうだな……」
さっきの照れ隠しにもっともらしく腕を組んで奈緒が言った。耳がまだ赤い。
「妹の莉嘉ちゃんもスタンド使いなの?」
カーディガンのポケットからスマホを取り出しながら加蓮が言った。
「うん。シールからゴリラ出してた」
「は? アンタいきなりなに言ってんの?」
加蓮の反応はもっともだけど私は真実を言ったまでだ……が、こうして口に出してみると確かにおかしい。
「シールのスタンドで、どこかに貼るとスタンドのゴリラが出てくる、って能力だったんだよ」
「なんでシール貼ったらゴリラが出てくんのよ?」
新たな疑問を投げられたがそんなの私が知るわけない。
「うーん、『城ヶ崎美嘉 莉嘉 幼稚園』で打ったけど特にそれっぽい情報はないかな」
どうやらさっきから加蓮がスマホをいじってたのは美嘉たちの幼稚園でのロケについてのようだった。
「先週のことだし、まだなにも出てこないでしょ」
「雑誌の仕事っていっても、週刊誌でもなきゃそんなすぐに概要出てこないだろ。凛はそういうの聞かなかったのか? なんて雑誌の何月号とか」
「聞いてない」
私がそう言った直後に予鈴が鳴った。
「あ~も~、アンタはいつでもどこでもドライなんだから。後でまた調べとく」
「別にいいって」
「アンタがよくてもこっちが気になるの。じゃ」
「そう……」
スマホをしまって加蓮はそそくさと教室から出ていった。
「まさか凛にそんなことがあったなんてな。スタンドといい、なにが起こるかほんとわからないよ」
「なにが起こっても悪いことさえ起こらなければいいんだけどね」
「まったくだ。テストも近いし、スタンドのことばっかり考えてらんないよってな」
軽く伸びをしてから奈緒も自分の席へと戻っていった。
*
放課後、奈緒と加蓮とどこかでテスト勉強をしようという話になり、それなら体験学習でお世話になったし、ちょっとしたお礼の品でも買ってからまたあのメイド喫茶に行こうと奈緒の提案で決まったので、お店の最寄りのコンビニにいったん寄ることになった。
「ほんと気遣いのプロね。授業でお礼の手紙書いたんだし、そこまでしなくてもいいと思うけど」
「あたしの気持ちの問題だよ。それくらいあのお店気に入ったってこと」
「買うのは奈緒だから別に構わないけどね。向こうだって嬉しいだろうし。ね? ……凛、なんで黙ってんの」
加蓮にそう言われて我に返る。そういえば学園を出てから喋った覚えがない。
「あ、いや、奈緒の案、いいなって思って。私も幼稚園に花の種送るのとかアリかもって考えてた」
「おお、いいんじゃないか。花の種なら育てる楽しみもあるし、素敵なプレゼントだと思うなあ!」
「凛の場合、お店の宣伝にもなるから実利もあるしね」
「そこは別に狙ってないけどね」
ふたりからの反応もいいので、どんどんその気になってきた。帰ったら両親に相談してみよう。それに先生にも話してみないと。
「そもそも奈緒はなにを送るつもりなの?」
「まあ無難にお菓子かな。マスター甘いもの好きだし。あ、業務的にあって困るものでもないだろうから箱ティッシュとかもアリかな」
「女子高生が贈り物にティッシュって。第一、ティッシュ配り嫌いがティッシュあげんのは矛盾してるよ」
「ムジュンしてはいないだろ! 誰だってティッシュは使うし……いらねーってのにティッシュねじ込んでくるやつがヤなだけだよ」
「ねじ込んではこないでしょ」
「ふふっ、いつかどこかでティッシュをねじ込むスタンド使いと会うかもよ。そしたら奈緒、どうする?」
「とりあえずスタンドの名前は『ティッシュマン』で決まりだな」
「まんまじゃん」
などと奈緒と加蓮の会話にどうでもいいツッコミを入れつつ歩きながらコンビニに着いた。
*
「こんちわー!」
扉を開けて
着席した私たちはメニューを見てオーダーを考える。他のお客さんはまばらで環境音も小さく、店内BGMがよく聞こえる。ジャンルはよくわからないけど、クラブというかディスコというか、低音のビートが強調されたダンス系の曲がかかっていて、前に来たときはハードロックがかかっていた。どちらもお店の雰囲気と合ってないということはマスターによる完全な趣味選曲だろうか。好みの音楽をBGMに使ってしまう姿勢は嫌いではない。好きになる要因になるわけでもないけど。やっぱり飲食店なら決め手になるのは料理に他ならない。そしてそれに関しては先週訪れた時点で良さを確認済みだ。
「あら奈緒ちゃん、とお友達もいらっしゃい。また来てくれるなんて殊勝な子たちじゃない。嬉しいわ♪」
カウンターの死角からにゅうっとフライパンを持ったマスターが姿を現した。
「料理は美味しいし、メイド奈緒生誕の地でもあるんで。パワースポットとして名高いんですよこのお店」
これが2回目の来店だというのに早くも加蓮は調子がよく、個人的な都合でお店をパワースポットに仕立て上げてみせた。
「なんであたしゆかりのパワースポットができるんだよ……」
聖地ゆかりの人物が私の隣でため息をついた。当の本人にとってここが霊験あらたかな地になるかどうかは微妙そうだ。
「それはさておき、はいマスター、つまらないものだけど、体験学習でお世話になったお礼の品、みたいな? まあただのお菓子なんだけどあはは……」
そう言いながら奈緒は律儀に両手で差し出しているものだから照れ隠しに頭を掻く動作もできずに、はにかんだ表情でマスターにお菓子を渡した。物は本当になんら特別でもない、強いて言うなら少しだけ値段の高いチョコチップクッキーだった。
「あらあらあらあらあらあら、ちょっとちょっとこの子は! なんてできた子かしらもう! 嬉しいじゃない!」
「いやいや、喜びすぎだよマスター……」
「こういうのは気持ちなのよ気持ち。学校の課外活動の一環で自主的にここまでする子ってなかなかいないもの、嬉しいに決まってるわぁ~♪」
受け取ったクッキーを片手に満面笑みのマスターとそんな彼……彼女の反応を前にますます照れた表情になる奈緒、それを見てなにもしていないのになにか成し遂げた気に満足そうな顔をしてる加蓮。一帯に温かな雰囲気が醸し出されている。
「なあ、ちょっと静かにしてくんねーか、立て込んでてよ……」
そんな空気の中に聴き馴染みのない声が申し訳なさそうに入ってきた。声の主はカウンター席にいた他のお客さんで、私たちとそんなに年が変わらなさそうな女の子だ。
「あっ、ごめん」
「いや、テメェんちでもねぇのに偉そうで悪いんだけどな、そろそろ頭パンクしそうでよ……」
ぶっきらぼうな口調で奈緒にそう受け答えた女の子の席には教科書とノートが広げられていた。
「焦らすとか煽るわけじゃないけどよ……そっちはテス勉しねーで大丈夫なのか?」
「一応勉強のために来たんだけど……まずはなにか頼んでから、と」
「ほーん。てか、マスターと知り合いか? ずいぶん賑やかだったけど」
「あ~、
マスターが女の子の名前を呼んだ。知り合いらしい。
「あぁ~っ、そうなのか? ナオって言ってたっけか」
「そうよ、神谷奈緒ちゃん」
「あとふたりいるじゃねーか」
『たくちゃん』が私と加蓮を見て言った。すごく
「友達よ友達。土曜日にも飛鳥ちゃんと来てくれたの。凛ちゃんと加蓮ちゃん」
流れでマスターが彼女に私たちを紹介したので一応会釈をした。それを見た『たくちゃん』もスッと軽く手を上げて返してくれた。
「ああ、飛鳥とも知り合いなのか。んじゃ、アタシのこと……知ってんじゃねーか?」
こっちを見てニヤリと笑った彼女の口元から八重歯が見えた。それが理由ではないが私は彼女のことは知らない。
「んー、悪いけど覚えがないかな。っていうか、アナタ美城生? 私服だけど」
同じく彼女を知らないらしい加蓮の言う通り『たくちゃん』は、眉の少し上あたりからツノを2本生やした傲岸不遜な表情の外国の少年らしき顔が白黒で大写しにされた半袖のシャツにデニムのダメージジーンズとラフな私服姿だった。
「そーだよ。スカート抜きにしても制服に単車はな……様になんねぇからな」
単車? 馴染みのない言葉が彼女から出てきた。バイクに乗る、ということだろうけど、バイク通学の美城生はおそらくほとんどいなく、飛鳥の知り合いらしいとはいってもやっぱり彼女に心当たりはない。
「あ……
「そうだよそうだよ! なんだ知ってんのもいるじゃんか。へへっ」
おずおずと訊ねた奈緒に彼女が笑顔で答えた。
「え……“あの”向井拓海!?」
加蓮が少しだけなにか警戒するような目つきで言った。
「あー……ロクでもねぇウワサで聞いたことある名前だって顔なのは仕方ねえけどよ、“その”向井拓海で合ってるぜ」
加蓮の、自分を見る目つきが指す意味を不本意ながら肯定するように向井拓海は答えた。なにか事情ありげのようだが向井拓海の名前をたった今初めて知った私には“あの”も“その”もさっぱりわからない。
「凛、まさか“向井拓海”って名前……聞いたことない?」
私の様子からどう気づけたのか加蓮が察した。勘違いでなければ声の調子に呆れのようなニュアンスを感じる。
「知らないけど?」
「うぇ~……マジ?」
呆れているのは当たっていたようだ。ということは、どうやらこの向井拓海は学園内で有名な存在らしい。
「ホント知らないの? 本人の前で言うのもなんだけど、町の走り屋チームを仕切ってるとか、バイクで高速道路を時速200kmで走り回ってるとか、暴走族をたったひとりで潰した、とか……」
「知らない……なにその少年マンガみたいなウワサ」
「ハハハッ、だよな! 気がついたらそんなアホくさいハナシが出てたんだよ! まあ、完全なウソっぱちでもねぇけどな」
「え」
拓海は加蓮の挙げた噂話を一笑に付しはしたものの、最後に付け足した一言は私たちを困惑させた。困惑と関心が一体になったような顔で加蓮が質問した。
「走り屋のチームを仕切ってる、っていうのは」
「仕切ってんのはアブねぇチームとかじゃなくてツーリングのチームだな。もちろん安全運転だぜ」
「じゃあ、暴走族をひとりで潰したのは……?」
「それはひとりじゃなく、みんなでだな。あと潰してはいねぇ」
「やっぱヤバいチームじゃん!」
「ツーリングのチームじゃねぇよ!
「ダチ……!?」
本人としては弁解のつもりのようだけど、暴走族と争えるような友達との繋がりがあるなら噂はまんざら嘘でもないのでは?
「勘違いしないでね、なりゆき上そうなったってだけで拓海ちゃんは人を助けたのよ」
向井拓海という人間を測りかねて疑心暗鬼に陥りだした私と加蓮の空気を察したようにマスターが彼女の言葉の補足を始めた。
「女の子が暴走族のメンバーに絡まれてて、それを助けたのよ。夏樹ちゃんとね。それがきっかけで、いわゆる“因縁”をつけられて、止むに止まれぬ……ってやつかしら」
「なんだ、じゃあいい人じゃん」
「おう、いい人なんだよアタシは」
「調子に乗らない」
加蓮の言葉に乗った拓海をマスターが冗談半分に嗜めた。
「ってか、夏樹のやつ、助けたって言ったってよ……アイツ、アタシが気張ってる間にその女と2ケツでトンズラしたんだぜ。こっち置いてけぼりでよぉ!」
「にけつ?」
意図してではないだろうけど奈緒が妙に可愛らしい響きで言った。奈緒を見てマスターが口を開いた。
「バイクの2人乗りね。かよわい女の子を助ける為だったんだからしょうがないじゃない?」
「せめてなんか言ってから行けってんだ! 向こう4人いる中で置いてくかフツー?」
「そ、そうだったのか? それは夏樹さんも軽率だったんじゃない……?」
「そう思うだろ!? えーと、神谷! オマエはいいやつだ! 庇わなきゃなんねぇのがいるからって4対1にして置いてかねぇよな! コッチだって単車あんだから合図かなんか出して教えろよってハナシだよ!」
奈緒の言葉に励まされるように拓海が大きな声でまくし立てた。
「でも勝ったんでしょ、4対1でも」
「おうよ」
「あ、勝ったんだ……」
マスターの問いに自信満々で答えた拓海にフォローを入れた奈緒は困惑した。
「なっちゃんだって拓ちゃんの腕を信じてしたことなんだろうし、大目に見てあげなさいな」
「別に恨んではいねぇけどよ。巻き込んで手にケガでもされたらそれこそ寝覚め悪いし」
「そもそもケンカにならないようにしなきゃねぇ」
「ってもよ、滅多に出くわさねぇとはいえ顔覚えられちまってるからな。よっぽど身の程知らずじゃなきゃガンつけりゃ大抵引っ込むから表沙汰になるようなことは起きてないけどよ」
「でもウワサはどんどん大きくなっていってるじゃない……“美城の風神”なんでしょ?」
「へっ……まぁな。バカどもに畏敬の念を込めてそういう名前を付けられて広められちまうたぁ、アタシもヤキが回ったもんだぜ……」
「……全然そう思ってなさそう」
マスターと拓海の会話を横で聞きながら加蓮が小さく呟いた。確かに表情を見るに“風神”の異名は痛く気に入っているようだった。
「……まぁ、ご覧の通り危ない面がまったくないとは言えないけど、アナタたちの学園で流れてるウワサのような子ではないから、ウワサの片棒担いだりとかはしないでね」
「言われなくてもそんな陰湿なことはいたしませ~ん。本人に面と向かって言う派なんで」
「それもどうなんだ……」
やれやれと秤みたいに両手を広げて意気込む加蓮に呆れた奈緒は肩を落とした。
「私は……そもそも今まであなたのこと知らなかったし、話だけで決めつけたりもしないし。それにこうして会った限り……悪くはないと思うし」
「あたしだって他人の話を鵜呑みにしたりはしないよ。でもさ、因縁付けられてることに関してはどうすんだ? 自然放置で解決出来るならいいけど……」
心配そうに奈緒が訊ねると、拓海は少し神妙な顔になってうつむき、考える風な素振りで、
「んー……大人しくはしてるつもりさ。でもな、なにか仕掛けられたら……」
と、そこまで言ってから頭を上げ私たちをまっすぐ見て、
「後はなるようになれ、だな!」
にっこり笑って八重歯を見せ爽やかに言ってのけた。
「潔いのはいいけど、もう少し考えて貰いたいもんねぇ…………そっちの方はどうするの? なるようになれ?」
「んぁ?」
渋めの半笑い顔でマスターが拓海の席前のカウンターに広げられたままのノートを指差した。
「あ…………」
カウンターに広がったままのノートや教科書を見た拓海の顔が徐々に暗くなっていく。
「コーヒー、おかわりする?」
「…………ウス」
拓海は静かに答えた。
「…………いっしょにやらね?」
思い出したように私たちに向き直り、今度はそう呟いた。割と切実に教えを乞う表情だった。鋭い目付きで懇願されると迫力がすごい。拓海をテーブル席に誘って、私たちも全員コーヒーを頼んだ。しばらくなにか食べる余裕はなさそうだ。
*
緩い感じで企画された勉強会だったけど、マスターの淹れたブラックコーヒーと切羽詰まった拓海の質問責めにひとつひとつ丁寧に答えていくことでいい復習になったこともあって予想より捗った。次のテストへの負担が軽くなったことも手伝って、噂と偏見に溢れているらしい同級生の印象は私の中では良好だ。
「あ、ちょっとマスターと話すことあるから外で待っててくれ」
帰り際、支払いを済ませたところで奈緒がおもむろに店内へと踵を返していった。言われた通りにお店の外へ出ると、加蓮がまたなにか面白そうなことを発見したような顔になっていた。
「奈緒ったら、バイトする気ね」
「はあ? ここで?」
「他にどこがあるっていうの」
「なんでわかるの」
「勘!」
加蓮ははっきり言い切った。その歯切れのよさに根拠なしに納得できるものがないこともない。
「マスターと話すことってバイトのこと?」
「そう。奈緒も迂闊だなぁ。私たちがいるときにそんな話をするだなんて」
「それはさすがに予測できなかったと思うよ」
盗み聞きしてるわけでもなく勝手に加蓮が察したことに迂闊もなにもないだろう。後日ひとりで行ったときにでも話せば防げたことかもしれないけど。というか私はもう加蓮の推測をかなり信じている。
「今話をするということはテストが終わったら働く感じかな」
「じゃあ、テスト後に奈緒の予定の合わない日にここに来れば……?」
「メイド奈緒が見れる!」
なにひとつ根拠のない予測で私と加蓮の間に共通の活気が湧き出す。仮に本当だとしても奈緒が私たちにここで働くことを教えるという可能性は加蓮にはないのだろうか。私にはない。私たちが悔い改めない限り、まずない。
「なあ、これオマエらの、じゃないよなぁ……?」
イマジナリーメイド奈緒に一喜一憂している私たちに自動販売機でジュースを買いに行っていた拓海が戻ってきた。手にはコーラとノートを持っていて、ノートを持っている方の手をこっちに差し出していた。
「自販機の横に落ちてたんだけど、店入る前に落としたりしてない、よな?」
「私のじゃないよ。ていうか喫茶店行くのに自販機寄らないし、この表紙は私の趣味でもないし」
差し出されたメルヘンチックな装丁のノートを手に取って心当たりがないと答える加蓮の横で、私は小さく「あっ」と言っていた。
「これ、乃々のだ」
「のののだ? 誰、のののださんって」
「違う、のののだじゃなくて……」
私はふたりに今朝登校時に会った森久保乃々のことをかいつまんで話そうと思った。
が、その前にあることに気づいた。拓海は加蓮に渡す前、ノートに触っていた。乃々の、『スタンドのノート』に。つまり……
「あっ、これってポエム張──」
「え?」
「あっ」
なにげなくだったんだろう。開いてしまった。加蓮が、ノートを。
「ふたりとも、落ち着いて!」
次の瞬間起こるであろうことを察知して咄嗟に私は大きな声を出していた。
「へ? …………おう、落ち着いてるぜ?」
「いや落ち着くべきは凛でしょ。どしたの、いきなり…………」
そこまで言ったきり加蓮が沈黙してしまった。そして数秒してから辺りをキョロキョロ見回し始めて、
「……ココ、ドコ?」
「はあ?」
固まったまま加蓮が抑揚なくゆっくり言った。それを聞いて拓海が辺りを見回す。私はふたりの後ろに見える景色が変わったことに少し前から気づいて状況を認識している。
「…………ココ、ドコダ?」
加蓮と同じような無機質なトーンで拓海も言った。面倒なことになったな……。