シンデレラの奇妙な日々   作:ストレンジ.

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第22話『Wonderwall』

 

 ぞろぞろと小屋へ戻る私たちを、最初に中に入った高峯先生が出迎えるように出入り口であるこちらに体を向けてまっすぐ立って待っていた。ただそれだけなのにどうしてこの人はこうも絵になるのか。異界と言っていいこのスタンドの空間においても髪や服に乱れはなく、氷のように涼しくそこに存在している。

「……何事」

 声は小さくないが単刀直入に発された言葉の意味するところを見失いそうになる。機械音声のようなわけではないが先生はこちらになにかを尋ねるときでも抑揚がなく、ともすれば独り言に聞こえても仕方ないが、生徒である私たちはこの喋り方にある程度は慣れているし、今は状況が状況なので問われていることの指すところも容易に見当がつく。

 誰に頼まれるわけでもなく私は、私たちがここにやってくるまでの経緯を先生に話した。小屋に入って玄関で靴を脱いで揃えて置いて、脇にあった靴箱から、たぶんなんの疑いもなくスリッパを取り出して履いている。さっき3人でいたときは靴箱なんて目に留まっていなかった。猫や熊やウサギや色んな動物のシルエットが描かれていて、それほどメルヘンチックデザインではない。わざわざなにか言おうとも思わないから誰もなにも言わないけど高峯先生だってきっちりそれを履いている。というか彼女が最初に当然のように履き替えたから私たちもそれに続いた。そのスリッパは先生に似合っていなくはなかった。先生が履いているんだから問題はないだろうけど、このスリッパが実物なのか小屋同様この空間の能力の一部なのか私にはわからない。

 小屋内には談話室らしきスペースが設けられていて、木製の丸テーブルを囲うように同じような色合いの、短い背もたれのあるウッドチェアが置いてはあったが、現在状況の見通しの悪さから来る焦燥感に加えて椅子の数が足りないこともあってか誰も座ろうとはせず、話す私もそれを聞く先生も他のみんなも立ったままだ。

「遭難者が増えたわね」

 話を聞き終えてから先生が最初に言った言葉はそれだった。

「遭難……言われてみればそうなのかな? 私たち」

 加蓮が言うとそれに答えるように今度は先生が粛々と話し始めた。

「ここは本体である森久保乃々が能力を解除しなければ現状出ることのできない空間。私も、貴女たちが来る前に道に落ちていたノートを見つけ、気がかりでここを訪れた……。いつもと違い、彼女の姿がない。探して、一応の目処をつけてから一度ここへ戻ってきたところに貴女たちがいた」

 感情や意図を拒むような淡々とした喋りだが、引っかかるものがあった。

「目処をつけたって、なんだ。森久保はいたのか?」

 当然のように拓海が尋ねた。そしてこれにも当たり前のように先生が答えた。

「乃々は見つけていない。だが、いると思われる場所を見つけた……『城』」

「しろ?」

「……お城、よ。あの鬱蒼とした森を抜けた先に城があった」

 そこからは、先生の私たちと会うまでの経緯を細かく話してくれた。

「城なんて今まで存在していなかった。以前に森の向こうへ行ったときには変哲のない野原が延々と広がっていただけ。ただ、この空間はスタンド能力。本体の精神の変化で空間の様相が変わるのは特におかしなことではない……が、おかしい」

「どっちだよ」

 そんなつもりはなかったろうけど拓海の反応が妙に面白くて、笑いはしなかったが漫才のようなものを感じた。たまたまそのとき視界に入っていた奈緒の表情が少し緩んだのが見えた。

「スタンドは精神の表れ。慌ただしさや過度な他者との接触を得意としない彼女にとってこの能力、この場所は、自分だけの安寧の場……。城はまだしも、この空模様……乃々の意に沿わない不穏な空気。決定的なのは、拓海、貴女が退治したあの怪物」

「そうだよ、ありゃなんだ」

 それは拓海だけでなくみんなが疑問に思っていることだった。あの突然出てきたミノタウロスはなんだったのか。

「私が乃々がスタンド使いであることを知り、その力がまだ不安定な状態にあることに気づいて扱い方を教えるようになってから今まで、こちらに危害を加える存在の出現は初めてよ。こっちにはさっきの1頭しかいないようだけど、城にはもっと多くの怪物がいた。城周辺や門の前に……おそらく乃々を守っている」

「え……」

 どうやらかなり厄介な問題が起き上がってしまった。と同時に、なにをすればいいかもわかった。

「どうしてそう思うんですか?」

 加蓮が訊いた。

「私は乃々のスタンドが暴走状態にあると考えている。その原因までは今はわからない……。しかし、暴走状態のスタンドには共通点がある。『守る』ことに突出してスタンドが動き出す……」

「うーん……暴走って言うくらいだし、逆の感じがするけど。凛、奈緒、私のときもそうだったの?」

 加蓮の言葉に私と奈緒は顔を見合わせて考えた。

「守るどころか……あたしら加蓮を見つけたときはガッツリ戦ってたよな」

 確かに奈緒の言うように私たちが加蓮を見つけたとき、暴走状態に陥っていた加蓮のスタンドは加蓮を(さら)った犯人と戦っていた。

「ああ、でも……それが『守る』ってことだったんじゃない? なんていうの、防衛本能? 本体の加蓮を守るために危険な存在を攻撃する、みたいな」

「そのとおりよ。本体、ひいては自分……スタンド自身を守るために防衛本能として、危険を及ぼし得る者を排除するため結果的に攻撃性が引き出される……ある意味反射行動といえるかもしれない」

 一度話を区切って瞳だけ動かして私たちを見てから先生は話を続けた。

「私の考えが正しければ、城の中に乃々がいる。その乃々は城に守られ、城は怪物たちに守られ、さらに他の怪物たちが『招かれざる客』である私たちを排除しようと動き出した。事態はそんなところ」

「とんでもねぇ……さっきみてぇなのがうようよいんのか? しかもそいつら全部がアタシらを仕留めようとしてる? 厄介にも程があるな」

「でもその城から乃々って子を救い出さなきゃみんなここから出れないんだろ?」

 尻込みしているような表情で奈緒が尋ねる。

「ええ。城に潜入し、乃々と意思の疎通を図り、この世界を正常な状態に戻す。それが事態の沈静化への……おそらく唯一の道。しかも外部へ連絡が取れない以上、ここにいる者だけで成し遂げなければならない……教師として不本意ではあるけど、貴方たちに助力を請うわ」

 まっすぐこっちの目を見て先生が言った。その言葉とこの状況を鑑みるに協力する以外の手はなさそうだし、正常な意識を持っているのなら今乃々は不安で仕方ないだろう。今さらそれを見過ごしてはどのみち帰れない。

「アタシはやるぜ。こん中じゃ、のあさんの次にこういうことに慣れてるからな」

 動き回る準備をするように肩や足首を回しながら拓海が言った。

「どうかな? 私たちだって成り行きとはいえ、けっこう身体張ってるよ。少なくとも足手まといにはならない自信がある程度には。それに……」

 と言いながら加蓮は『フローズン・ティアー』を出した。窓際へ歩き、日傘の柄を左の手首に掛けて外を眺める。中世が舞台の海外ドラマのような、ただそこでそうしているだけの姿が文句なしに優雅で絵になる。

「ひとりくらいなら、傘に入れてあげられるよ?」

 スタンドを制御できるようになってから、加蓮は前よりエネルギッシュになったと思う。元気がなかったわけではないどころか、挑発的だったり威勢がいいのは前からだけど、以前よりも勢いが増した気がする。元気がいいのはなによりだが、それは日傘だと突っ込むのは野暮だろう。スタンドの日傘なら雨を防ぐのは可能そうな気もするし。

「ったく……どこからそんな自信が出てくるんだか。あたしと凛のが場数踏んでるっての。踏みたくて踏んではないけどな」

 いつもどおりに悪態でもない悪態をつきながら、奈緒の言葉にも同意の意思が聞いて取られた。奈緒のスタンドもさっきの拓海のスタンドほどではないかもしれないけれどかなり力が強かったはずだ。こういうときに、そういう直球的な強さを持つ存在にはとても安心させられる。居てくれるだけで鼓舞される。御守りみたいだ。

「行くなら早く行こう。雨、いつ降ってもおかしくないし。その城ってここから近いんですか?」

「それほど遠くはない。徒歩約15分…………不本意だわ」

 珍しく、ため息を交えて高峯先生がそう言った。

「不本意っていうのは、戦えない人を巻き込まざるを得ないときなんじゃないですか。拓海も加蓮も奈緒も私も、本意で行こうと思ってるつもりです」

「……教師と生徒という関係によって、受け入れ難さが生じる事案もあるということよ」

「へっ……のあさんの立場っつーか、できれば自分だけでケツ持ちてぇって気持ちは、わからなくはないけどよ。あいにくお節介どもが集まってたみてーわけだし、ここは一蓮托生、とっととケリ着けちまおうぜ? 前に言ってたろ、『悩む前に本気を出せ』ってよ」

 拓海は、以前先生に言われたらしい激励の言葉を返して背中を押した。

「自分は教師でこっちは生徒だからナントカ~、ってのあるかもしれないけどさ、あんま気にしないで欲しいんだよね。先生が私たちを見くびってるんじゃないのはわかるけど、だからって見くびられてると感じないわけじゃないから」

 こういうことを嫌みなくスッパリ言わせたら加蓮の右に出る子はいない。嫌みを感じないのは、私の中で今の加蓮の言葉と私の加蓮像とが一致したような感触があったからかもしれない。それが他人と共有できるかはわからないけど、私にとって今の加蓮の声にはそういう力があった。先生にもそれがぼんやりとでも伝わっていたらいい。

「私と貴方たちの立場が逆だったなら……どうする?」

 しかし先生は憎いところを突いてきた。

『別に助けてもらいますけど?』と言うほどこっちも子どもじみてはいない。だからみんな痛いところを突かれた顔をしていて、強いて言えば加蓮だけが、『あー、そういうの言っちゃう?』とでも言いたげな、失望の混じった苦笑いを隠していなかった。

「きっと先生を言いくるめたりはできなかったろうから、無理矢理ついていったと思うわ」

 先生はそう言葉を続けた。それを聞いてなぜか私の頭には、教室で綺麗な姿勢で席についている高峯先生がピンと背筋を伸ばして手を上げている光景が浮かんだ。スカートの丈は長い方がきっと似合う。

「では、出発しましょう」

 そう言ってから先生は、ちょっとだけ口角を上げた。言うが早いが靴を履きかえドアを開ける。

「…………あっ、ついてきていいってことか」

 少し間が空いて、雑多な物音が鳴り止んだその間を縫うような的確なタイミングで入ってきた奈緒の呟きが空気を和ませた。

「相変わらずわかりにくいんだよ先生はよォ~!」

 じれったさそうにしつつも笑顔の拓海のすぐ後に、加蓮が先生の背中を見ながら小声で言った。

「頭までは冷たくない人みたいだね」

 それに気づいたのか偶然か、先生はこっちを振り返って、

「行くの、行かないの」

 と靴の爪先を軽く鳴らして、いつもどおりの無表情で言った。

 

   *

 

 外に出ると先生は無言のまま一点へ向かって歩いていく。私たちも後をついていくと、舗装された小道のある森の前で先生が止まった。

「ここを行けば城に出る。茂みには十分注意すること。遭遇すれば……戦う。気を引き締めて」

 “遭遇する”とは、もちろんさっきのような怪物のことだ。あの1体を例に上げれば、いかにも力がありそうなタイプだったから正面から戦うのは私には向いてないかもしれないが、小道はふたり並んで通れるくらいの道幅で、動き回るには心もとない。小道を外れて動けないわけではないが、突出すれば孤立してしまう。樹に遮られて空中での移動もままならなそうだし、機動力が売りの『ネヴァー・セイ・ネヴァー』では苦労しそうだ。

「なあ先生よ、さっきのアレで質問するのもヘンだけどよ……そもそもあの怪物はブッ飛ばしてもよかったのか? あれも森久保のスタンドだろ?」

 言われてみればとても気にかかることを拓海が言った。すでに1体倒してるからマズいと言われたらとんでもないことになっちゃうけど……。

「以前、この世界の子細を知るための一環に、乃々に断りを入れたうえで木の枝を徐々に曲げ、最終的に折ってみた……。彼女の心身に、特に反応は見られなかった。調査が十全に済んだとは言えないけど、あの怪物たちも発生の根源そのものは乃々によるのだから、それらを取り除いても彼女のダメージとはならないはず」

「……つまり、大丈夫ってことだよな?」

 こっちを見て拓海が再度尋ねたので私は頷いた。先生の検証の限りでは乃々のスタンドは感覚が本体と繋がっているタイプではないようだ。

「行くわよ」

 話を済ませると一声かけて、だが反応は待たずに先生は一歩踏み出したので、私たちもその後ろをついていく。

「なんか見つけちゃいそうでヤな感じ……見つけなきゃこっちの身が危ないんだけどさ」

 森に入ってすぐに加蓮が左右に首を動かして辺りを見ながら言った。確かに入る前のイメージとは違って、森の木々は人の通る隙間もないほど立ち並んではおらず、小道を頼らずとも移動はできる、その徹底されていない見通しの悪さゆえに見たくもないものを見つけそうな予感を与えさせる。上を見れば激しく枝分かれして拡がっていった枝葉で空は塞がれ、その隙間から少し覗いている色さえ、厚い雲の暗い灰色でこちらの気持ちを重くしてくる。悪意を感じずにはいられない最悪のロケーション、乃々の意思によって生まれた場所のようには思えない。なんにせよこのままではみんな気が滅入るだけだ。

「何体来ようが全員ツブす、来るなら来やがれってんだ」

 拓海の物騒な物言いが今は心強い。あれだけのパワーを持つスタンドはなかなかいないだろう。

「ふふっ、言い方。でもま、それくらいの意気で行かなきゃヤバいかもだからね」

 微笑しつつも勇んだ加蓮がスタンドを出したまさにそのときタイミングよく、ついに雨が降りだした。

「ありゃりゃ……入ってく? 先着1名様」

 抜け目なく傘を開いた『フローズン・ティアー』の隣に立って、いたずらっぽく加蓮が言った。日傘は雨をしっかり防いでいた。

「これから梅雨だし傘忘れても安心だな」

 加蓮の誘いに乗るように拓海が言ったものの、傘には入らず先生を見た。

 先生は拓海の視線でなにかを察したようで、私にはその意図はわからなかったけど、それが合図だったように、先生の回りが陽炎のように揺らぎだした。

「私の能力を雨避けに求めるとは、ね……」

「でも使うつもりだったんじゃねっすか?」

 ふたりが話している最中に先生の頭の辺りの陽炎が徐々にこちらに向かって広がり始めた。それが私たちの頭上でドーム状に展開すると、降ってくる雨はそのわずかに水色に見える揺らぎの上で弾かれ、陽炎の形に沿って滑り落ちていく。

「これは……先生のスタンドかっ!?」

 驚きと喜びの混じった声を奈緒が上げた。

「不定形の障壁は、あらゆる(けが)れを遠ざける……」

 小さく頷いて先生が言った。

「早い話が『グニャグニャ変形できるバリアー』だ」

 翻訳するように拓海が言った。先生の全身から陽炎のように揺らぎながら漂う薄水色のオーラは物理的な壁になる、雨を防げるのはそういうことらしい。

「防水面では先生のほうが上手(うわて)ってわけね」

 軽いジョークを口にしつつ加蓮が一度スタンドをしまい、オーラで形成されたドームの外へ改めて出現させ、『フローズン・ティアー』はまた傘を開いた。

「なに意地張ってんの……」

「そんなワケないで……しょっ!」

 そして開いた傘を水平にすると茂みの方へ、わずかな間を挟んでから吹雪を放った。

「ぬおおおっ!? いきなりなにやってんだ加蓮ぇん!?」

 素っ頓狂な声を上げて奈緒が加蓮に尋ねたが、その答えを聴く前に吹雪の通り抜けた茂みから大きな影が姿を現した。

「クィドゥルルルルルルルルル……」

 そこに薪割りの斧を持ってガクガク震えているミノタウロスがいた。身体も武器もさっき拓海が倒したのよりひと回り小さく、吹雪がこたえたのか震えるだけで襲いかかりも逃げもしない。

「とどめぇっ!」

 すかさず加蓮が追撃をかけようとするそのとき、辺り一帯、様々な方角から鳴き声が響きだした。

「ブオオオオォン!」

 茂みのそこかしこから、同じ小型ミノタウロスが現れ、地面の落ち葉や小枝をやかましく蹴散らしながら一目散に私たちに向かって来る。吹雪の音を聞きつけて殺到したのか、あっという間に10体近くのミノタウロスに私たちは取り囲まれた。

「北条加蓮、スタンドをしまいなさい」

「ああもうっ! 見せ場が作れないじゃない!」

 的外れな恨み言をミノタウロスの群れに放ってから加蓮は大人しくスタンドを消す。だからといってミノタウロスたちの勢いは収まらない。

「じっとしてなさい。心配は無用」

 押し寄せてくる怪物の集団を前にしても先生は冷静さをまったく崩さない。

「アンガアァァァァァァ!!」

 内心軽く恐怖しながらも私は先生の言うとおりに黙ってミノタウロスたちを見据えた。みんなも同じく黙って事の推移を見守っている。加蓮は落ち着きなく歯痒そうに、奈緒は明らかに不安そうに、逆に拓海は身構えこそしているが、どことなく余裕ありげに自分たちに襲いかからんとする敵の群れに睨みを利かせていた。

「ンホアァンッ!?」

 攻撃を加えようと斧を振り上げながら目の前まで迫ったミノタウロスは、私たちを守る先生の『壁』に思い切り激突した。淡い色で見えてなかったのか、ぶつかったミノタウロスは前屈みになって恨めしげに呻いている。しかし後続はそんな先行したミノタウロスを気にも留めず、あるいは勢いを止めることができないのか、どんどん私たち目掛けて突進してきては壁にぶつかっていった。中には先走って斧を早い段階で振り下ろして壁に刃を突き立てたやつもいたが、壁に壊れる様子はなく、びくともしない。かなり頑丈なスタンドのようだ。

「……終わり」

 タイミングを見計らったように先生が静かに言った。

 次の瞬間、壁から無数の『刺』が伸びて、周囲のミノタウロスたちを串刺しにした。壁をドーム型に維持したまま、表面だけ刺状に変形させて攻撃した。これは強い。使い方次第で守るも攻めるも変幻自在のスタンドだ。

 呆然と串刺しになったミノタウロスを見てると、それらは一瞬で霧のように消えていった。

「……倒すと消えるみたいだな」

 緊張で身体を固くしたまま奈緒が呟いた。辺りは静けさを取り戻し、雨の音だけが耳に入ってくる。

 

「オオオオオオオオオオオオァン!!」

 

 と思ったらすぐにまた、けたたましい叫び声で場が騒然となる。

「あ、あそこにっ!」

 加蓮が注意を促した方向にいたのは熊だった。人間の体でもなければ二足歩行でもない、明るい茶色の毛並みで、体長は3mくらいありそうな大きな熊だ。つぶらな瞳でこちらを見ているが、狂暴そうな鳴き声を上げたのは紛れもなくこいつだ。

「ちっ……怪物のナリしてりゃもうちょいやりやすいんだけどな。のあさん、刺引っ込めてくんな」

 やや渋い顔で拓海が言いながら肩を回した。

「……手助けはまだ不要よ」

「ハナからケツまで世話になるのは性に合わねぇ。それにウォーミングアップも必要だしな」

 それを言ったらそもそも最初のミノタウロスを倒したのは拓海なんだけど……。

「だったら私にやらせて。さっき中途半端に終わっちゃったし」

 私と同じことを考えたのか、加蓮が拓海を制止しようとした。

「アタシにやらせてくれ。先陣切れねぇなんて、美城の特攻隊長の名が廃れちまう」

 しかし加蓮は逆に拓海に制されてしまった。さっきといい拓海は率先して体を張りにいく。親分肌……というやつだろうか? ツーリングのチームを仕切ってるくらいだからリーダーシップがあるのは間違いないのだろう。

「さあ……来な」

 拓海のスタンド『ワイルド・ウインド』が壁を出て中腰に構えて、「ここを狙え」とばかりに胸を拳で数回叩いた。

「ウォォォォゥ……」

 地面スレスレまで頭を下げて熊が低い声で唸る。正直言ってかなり怖い。去年の夏休みの読書感想文のために読んだ(ひぐま)が村を襲う、昔の日本で実際に起きた事件を元に書かれた小説を思い出す。あれを思い出せば熊よりも、ミノタウロスや狼人間の方が現実味が薄い分まだ怖くなかった。

「来るよっ!!」

 そんな熊に対する恐怖心からか、前足を踏み込んで熊が突進してきたのにいち早く反応した私は反射的に声を出した。

「よぉしっ!」

 拓海のスタンドは中腰のまま熊を待ち構える。あの砲弾のような勢いで向かって来る茶色い塊を正面から受けるつもりらしい。そんな馬鹿な!

「バカッ!」

 思わず声に出た。意図せず拓海を罵ってしまったが、そんなことを気にしている暇はない。横から熊を不意打ちできないかと、私も『ネヴァー・セイ・ネヴァー』を壁の外に出して剣を抜いた。

「この向井拓海に任せなぁっ!!」

 熊から目を離さずに大声で拓海が場を制した。どうするべきか躊躇していると、『ワイルド・ウインド』が姿勢を維持したまま天を仰ぐ。

「オラァッッ!!」

「ギャンッッ!!」

 そして真上に向けた頭を、スタンドの懐に飛び込んできた熊の頭にジャストタイミングで思い切り叩きつけた。

「フンッ!」

 そこから、頭突きでは殺しきれなかった勢いによってスタンドに寄りかかってくる熊を抱き抱えると、すかさず下腹部に膝蹴りを食らわせた。

「ンォゥッッ……」

 『ワイルド・ウインド』が身体を離して1歩下がると、支えを失った直立状態の熊は衰弱した様子で鼻を鳴らして、今にも倒れそうに前のめりになる。

 

「悪いな……成仏してくんなあああッ!」

 

 そしてとどめに『ワイルド・ウインド』は、下から繰り出した拳を熊の顎目掛けて物凄い速さで突き上げた。

 

「ンオオオオオオオオオオオオオォォォォォ……」

 

 アッパーが炸裂すると熊は真上に30m……いや40m……? 正確な高さはわからないけど、とにかく空高く打ち上がっていって……消えた。

 

「いや、そうはならねーだろ!!」

 熊が消えて数秒の間を置いて奈緒が叫んだ。

「なるんだよ。『ワイルド・ウインド』の能力(チカラ)ならな」

「……? どういうこと?」

「『ワイルド・ウインド』でブン殴ると、『殴ったモンが吹っ飛ぶ』んだよ。力を入れれば入れるほどブッ飛んでく。単純な腕力だけじゃ、さすがにあそこまで飛ばせねぇよ。ま、コンクリブチ割るくらいは余裕だけどな」

 スタンドの本来の力を誇示しつつ拓海が自身のスタンドの能力を教えてくれた。ずいぶんと力を力で煮しめたようなストレートな能力だけど、拓海によく合ってるのかもしれない。

「なんつー脳筋仕様……」

 遠慮がちにではあるものの奈緒がそう呟いた。

「結構幅広く使えるぜ? 『ワイルド・ウインド』は目もいいから、パチンコ玉でもありゃ狙撃だって出来るからな!」

 自慢気に語る拓海を見ながら私はなにもなかったように『ネヴァー・セイ・ネヴァー』をしまった。

「……なぜそんなもので、そんなことをする必要があったのかしら」

 少し威圧的に高峯先生が言ったが拓海は特に焦る様子もなく答えた。

「ちっと前に学園でスズメバチの女王を見たんだよ。たまたま工作室の前だったから中入って、なんかねぇかなーって見たらパチンコ玉あったからそれ取って、デコピンで、こう、スパーンと飛ばして。一発必中よ。守衛の早苗さんには報告しといたぜ」

「そう……行くわよ。新手が来る前に急ぎましょう」

 拓海の話を聞き終えると、スズメバチの話はそこで終わり、先生は号令すると移動を再開した。先生の能力による壁に、四方を守られ続けている私たちも必然的に歩き始める。まだ見ぬ『城』を目指して。

(つづく)

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