巻き起こる奇妙の嵐を駆け抜けた金曜日。その先に待っていた平和な土日も終わり、週は替わり月曜の昼休み。食事を終えると私は遊ぶわけでも予習するわけでも、ボーっとするわけでもなく資料室へ向かった。
「んーっ! んーっ……んぅぅーーっ!」
部屋の中にいるのは、小さな身体で書棚に置かれた分厚いファイルを取ろうと懸命に手と背を伸ばし、ウェーブのかかったロングヘアーが揺れる後ろ姿──普通なら、それを見てその人物が成人だと思う人は少ないだろう。
しかし、ここ美城学園高等部に通う者なら例外だ。
「……はい先生」
奮闘する彼女の隣に立ち、目当てのファイルを手に取りそれを渡す。
「う~っ……ありがとう渋谷さん……」
やや上気した表情を浮かべ、私からファイルを受け取ると彼女は言った。
「踏み台あるんだから使えばいいのに……」
「踏み台無しでもちゃんと届きますよ? もうちょっと粘ればいけたんですっ。ウソじゃありませんよ?」
にもかかわらず、その端から見れば中学生、よくて高校生、下手をすれば小学生と間違われてしまうほどのキュートなルックスに加え、少し見栄っ張りな性格ゆえに生徒からは完全にマスコットのような扱いをされ、日々可愛がられてしまっている。
「はいはい、そういうことにしておきますね」
「本当なんです! 先生をからかっちゃいけませんよ。もう~みんなそうやっていつも私のこと……はぁ……」
本人はそれを悩んでいるみたいだけど、私たち生徒からしてみれば別に日下部先生のことをナメてるとかそういうわけではない。
「みんな、日下部先生のこと好きだから。先生、教えるの上手いし、厳しくないし……いい先生のクラスになれて嬉しくてちょっと調子に乗っちゃうだけなんだよ」
ウソは言っていない。実際、みんな先生のことをからかいこそするが、言われたことには素直に従っている。今年教員になりたての割にはハキハキ行動してて、面倒見もいい。少しくらいならタメ口で喋っても怒らないし──。
私たちは、日下部先生のことをひとりの教師としてもちゃんと慕っているのだ。ただ、それでもそのビジュアルゆえについ愛玩動物のように接してしまう……でもきっと仕方のないことなのだ、それは。
「そ、そうなの? ……う~ん、そうだったのねぇ~。そっかぁ~、そうなんだ~♪ でも、もうちょっとそういうのは控えなきゃ。他の先生方の目もあるし……ね♪」
そう言って日下部先生は、にんまりと愛らしい笑顔を私に向けた。
ほら、かわいい。
やっぱり仕方のないことなのだ。
「まあ、それもそうですね……でもみんな教師と生徒って立場はちゃんと弁えてると思いますよ。もちろん、私も含めて」
頭を撫でたい衝動を抑えつつ、私は心にも思ってないことを言った。
「……まあ……確かにそうかも。みんな、なんだかんだで先生の言うこと素直に聞いてくれるものね♪ 私だって、みんなのこと大好きですよぉ~♪」
先生の笑顔がさらに明るく弾ける。かわいい。
「持っていくのはそのファイルだけですか?」
先生を抱きしめたい衝動を内心必死に抑えながら私は素っ気ない態度で質問した。
「ちょっと待って、まだあるの。そことそこのファイルも……」
そう先生に言われて同じ棚からファイルをさらにふたつ出して手渡す。
「はい」
「ありがと。それで、さらにわるいけどそこのそこのそこのプリントを持っていってくれる?」
言われた場所からプリントの束を取る。先生はファイル、私はプリントを抱えて資料室から出ると次は職員室へ向かう。
なんの委員会にも入っていない生徒は自動的にクラスの雑用係を受け持つことになる。だからたとえ無所属の私でも先生に呼ばれたら緑化委員の仕事を真面目にこなしている奈緒のように、ときどきこのようにクラスの雑務をこなさなければならない。
「渋谷さんは背が高くていいなぁ……いくつあるの?」
分厚い3つのファイルをしっかりと抱きかかえながら先生がつぶやいた。
「たしか……165だったかな」
「ひゃく……ろくじゅうご……未成年で……ひゃくろくじゅうご……!?」
先生からの羨望の眼差しを横からチラチラ感じる。うん、悪い気はしない。
「でも生徒だけなら高い方だけど、先生も含めたらこの学園って高い人いっぱいいますよね。木場先生、東郷先生、高峯先生、和久井先生……」
思いつくまま背の高い先生を挙げていく。正確な数字は知らないけど全員私より高かったと思う。しかももれなく容姿端麗、クールビューティ。ここが女子校なことも相まって各先生の人気はアイドル並だ。
「ほんとそうよね……他の先生方みんな高くて、カッコよくて……」
たしかに身長はともかくとして、日下部先生のような可愛らしいタイプの先生はここじゃあまり見かけないかもしれない。
「あっ、でも佐藤先生みたいな人もいるじゃないですか。明るくてノリがいい……というかなんというか……」
「たしかに佐藤先生はクールとは違うタイプだけど、あの人も背は高いじゃない……」
ああ、そういえば……。乙女、というか……キャピキャピ? というか……はっちゃけた振る舞いをする先生だけどあの人もスタイルは良かったな……。
「別にいいじゃないですか。クールな人しかいなかったら息が詰まっちゃいますよ」
「……『持っている』人には分からないのよ……初対面の人から子ども相手のように接されてしまうあの微妙な悔しさ……! クールなオトナにはなれなくてもいいかもしれない。でも……でもせめて、大きくなりたいっ……!」
そう言って先生はグッ! と背筋を伸ばし姿勢を正す。すると、ファイルを抱える腕が傾いていちばん上にあるファイルが滑り落ちそうになる。
「あっ、あっ──」
慌てて腕を自分の身体側へ傾ける先生。しかしわずかに間に合わず、バランスを崩したファイルは地面に落下しようとする。しかし……。
「ギリギリセーフでしたね」
すんでのところでファイルはバランスを取り戻し、元どおり先生の腕のなかに収まった。
「危なかったぁ~」
ふぅ~っ、と息をつき一安心する先生……その目の前には、今しがた落ちそうになったファイルを右手を差し出し軽く押さえていた、中世の騎士のような格好をした謎の人物……。
──『スタンド』は、こんな形でも役に立つ。
『スタンド使い』ではない日下部先生にはなにも見えてないだろうが、傾いたファイルを私のスタンド『ネヴァー・セイ・ネヴァー』でそっと押さえて落下を防いだ。
いささか滑稽な姿だけど、この力は私の一部。奇妙な存在という意識はまだ抜けないが、遠慮だとか使役しているといった感覚はまったくない。『ネヴァー・セイ・ネヴァー』を動かすことは、手足を動かしたりものを考えたりするのと同じことだ。
そんなことを思いながら、ひと心地ついた先生とふたたび職員室を目指し歩きだす。
*
「じゃ、もういいわよ。ありがとね」
プリントの束を日下部先生の机へ置いて雑用が終わった。職員室にはコーヒーの
『スタンドは自分の一部』……。
人影のまばらな廊下を歩きながら、さっき考えたことを
それはもちろん、『この力』にも言えることだ。
まわりに誰もいなくなったところで、私は『能力』を使ってみる。すると、下履きの裏がほのかに蒼く光り、私は『宙を歩き出した』。
私の『ネヴァー・セイ・ネヴァー』が持つ能力──まるで目に見えない足場があるかのように空中を歩いたり、跳んだりできる。はじめて発動したとき私自身は『ネヴァー・セイ・ネヴァー』に抱きかかえられながら空を駆けたが、どうやらこの能力は本体である私の足にも適用されるようだ。
そのまま今度は階段をイメージしながら宙を少しずつ上っていく。頭が天井スレスレだ。非スタンド使いの日下部先生が見たら本来とはまた別のショックを受けてしまうかもしれない。
あまり他人に見せるものでもないし、その辺は気をつけなきゃ。そう思いながら今度は宙を少しずつ下っていく──。
「なっ、なっ、なっ……!!!?」
後方から不意に謎の音。いや違う、声…………!?
廊下以上、天井未満の位置に留まったまま、後ろを振り返る……。
まん丸い眼を大きく見開き、私に釘付けになっている女の子がそこにいた。
「なっ……! なん……」
なんとかごまかさなくては……落ち着け私………………よし。
「……今度、文化祭でやる手品なんだけど、どうかな……?」
薄く微笑みながら彼女にそう言って、私は元どおり廊下に着地した。
「……へ? てじな……? …………な、なぁ~んだ、そうだったんですか~……どんな仕掛けだったんですか?」
「それは……企業秘密」
言えるわけがない。むしろ私が知りたい。この能力の仕掛けを。
「確かに文化祭で披露するのに今タネ明かししちゃマズいですよね。そうか、手品か~……私はてっきり……」
「? てっきり……なに?」
なんだか座りの悪い反応を示す。それが引っかかって、半ば反射的に私は彼女に尋ねた。
「手品じゃなかったら、なんだと思ったの?」
くりんとした瞳を輝かせ、天真爛漫な笑顔で彼女は言った。
「それはもちろん、『サイキック』ですよ!! 『サイキック』!!」
「さ、『サイキック』……!?」
突然なにを言い出すんだこの子は。
「そうです! サイキック!! すごいものを見せてもらったお返しに、サイキックの素養があるかテストしてあげましょう! フフフ……キミには見えるかッ!? この奇妙奇天烈、摩訶不思議な『チカラ』が!!」
少女は私の反応を待たず、芝居がかった口調で喋りつづける。
「エスパー・ユッコ! サイキック・ミラクルゥゥゥゥ~……テレパシィー!」
アニメの必殺技シーンでも真似るように左手は軽く構え、右手はまっすぐ伸ばし手の甲を下に向けジャンケンの『パー』を私へと繰り出してきた。
あれっ? ポーズはともかく、奈緒が私の前ではじめてスタンドを出したときもこんな流れだったような……。
「ムムム~~ン!!」
──びよおぉぉぉぉぉぉ~~ン……
次の瞬間、突き出された彼女の右手の平から『紙コップ』のようなものが顔を出し……こちらに向かってきた。
──これはスタンドだッ!!
「『ネヴァー・セイ・ネヴァー』!!」
間一髪で謎の『紙コップ』を『ネヴァー・セイ・ネヴァー』で弾く。その光景を目にした彼女は、さっきよりも大きく眼を見開いて、
「ぎょえぇぇぇぇぇぇッ!? ナンじゃこりゃあァァァァァァッ!!!?」
そして思いっきり素っ頓狂な叫び声をあげた。
「ちょっと、うるさい。いきなりどういうつもり?」
『ネヴァー・セイ・ネヴァー』を一歩前に出し威圧する。
「えっ!? 私の『サイキック』が見えるか、尋ねてみようかと……いやいやいやいや、それより、それ! その、そっちのお方! いきなり出て、まさかっ!? えっ……マジですか!?」
早口でまくし立てるがなにが言いたいのかまったく分からない。相手が自分と同じスタンド使いと知って驚いているのだろうか。
「アンタもスタンド使いってわけ? で、私を襲う理由はなに? お金?」
万が一を考えて柄を握り、攻撃の準備をしておく。スタンド使いとあっては老若男女誰であろうと油断はできない。
「……は? 襲う? いやいやいやいや! ノーノー! 違います! なかまっ! わたしっ、同じ、サイキック仲間! サイキック同盟! エスパー・ユッコ! ユッコです!」
「仲間……?」
要領を得ないものの、どうやら襲ったわけではない、敵ではないと言いたいらしい。
「じゃ、なんでいきなりあんなこと──」
「そこのふたりっ! なにをしてる? 動くなっ!」
突如廊下に響く第三者の声。こんなよく分からない状況の中でも思わず背筋が縮こまりそうになる、この静かな鋭さを含んだ威圧感のある声は……。
「きっ……木場先生……」
サイキックの彼女が名前を言わないでも分かる。現れたのは木場先生だった。
「渋谷と堀か。いったいなんだ、この状況は」
「……なんでしょうね」
先生をおちょくっているわけではない。ほんとに今のこの状況が私には分からない。
「堀……なにがあったんだ?」
私から目線を外し彼女……堀? にも同じ質問をする。
「あわわわわ……いや~、ななん、なんなんでしょうね~!? さ、サイキックのお導き、というか~?」
木場先生の『圧』に押されたのか、さっきよりもしどろもどろになりながら堀さんが答える。が、その言葉の指し示す先はやっぱり私には見えてこない。