「きりりーん!!」
蜂蜜色のツーサイドアップを揺らしながら、理子はキリに飛びつこうとした。
しかし、背後から近寄ったにも関わらず、避けられてしまう。
理子はさっきまでキリがいた場所で盛大に転んだ。
教室近くの廊下だったが、あまり人がいなかったのは幸いだ。
通行人の視線を、キリと理子は意にも介さず話しだす。
「酷いよきりりん!」
「私に飛びつくな!」
がばっと上半身を起こして、理子は抗議したが、呆気なく一蹴される。
キリは、はぁ、とため息を吐いて腕を組んだ。
「それで、何の用?長話になるなら、私の部屋に来てもいいけど」
キリは、専門科目の授業を終え、ちょうど帰ろうとしているところだった。
キリと理子は同じ探偵科である。
しかし、キリは主に依頼に行くことが多く、あまり専門科目の授業には出ていない。
だから、理子と専門科目の話をすることは少なかった。
それで会話が減るのかと言われればそうでもなく、理子はことあるごとにキリに話しかけてきた。
今日のように飛びついて、だが。
「やったー!行く行くー!!」
小さな身長とは裏腹に育った胸が、理子が飛び跳ねるのに合わせて揺れる。
それをちらちらと見ていくのは、言うまでもなく下心ある男子生徒である。
「じゃあ先に帰るよ」
キリは、教室に置いてきたのか、鞄を持っていない理子に背を向けた。
近くを歩いていた生徒は、キリの表情を見て、すっと目を逸らしていく。
キリは本来、そんなあからさまに目を逸らされるようなことなどない。
見た目だけなら、あどけなさの残る美人である。
黙って座っていれば綺麗とも可愛いともとれるその顔で、多くの視線を引きつけるほどである。
見た目だけ、ならばの話だが。
よって、キリが目を逸らされるのは珍しい光景である。
そんなことなど露ほども気にせず、廊下を歩くキリは、ーーーー悪戯を仕掛けた子供のような、薄気味悪い笑顔だった。
「きりりん、理子と一緒に依頼しよっ」
可愛らしい笑顔で、理子はキリに本題を切り出した。
キリは少し考えた後、依頼は何、と理子に質問する。
「おおっ!引き受けてくれる感じ!?」
「依頼によってはね」
理子は小学生が持つような赤いランドセルをごそごそと漁り、いくつかの資料を出した。
「どんなのがいいか分からなかったから、
そう広くない机の上は、その紙で埋め尽くされた。
キリは資料に目をやる。
理子は自分の目の前にあった資料を、読んでいる。
「んー『深夜強盗事件』に『連続誘拐事件』…あ、これは強襲科と合同依頼だ」
ぽいっと依頼の紙を後ろに投げる理子。
「適当に持ってきたからたまに変なの混じってるかも。あ、これは?『○○区連続空き巣事件』」
「その事件なら、犯人は偽セールスマン。家の鍵にピッキングの跡があるとかなんとか言って、開けやすい鍵に付け替えて犯行に及んだ」
ちらりと資料を一瞥し、キリは何でもなさそうに推理した。
「え?」
理子はしばし理解が追いつかなかった。
やがて言葉の意味を理解すると、笑顔のまま頬を引きつらせた。
キリは、机に広げられた資料の、僅かな情報で真相を看破したのだ。
それも、時間をかけずに一瞬で。
「こ、これは並みの事件じゃだめかも…?もっと資料もらってくるべきだったかなあ…」
そう言いながら、理子は他の資料を探していく。
「あ、これは?『オフィスビル女性社員身投げ事件』!」
「犯人は上司の男、ビルから被害者と一緒に落ちたウィッグは、被害者と同じような髪型ーーーということはこれは被害者のものではなく、男のもの。動機はコレだな。女装癖を持つ上司を脅したら返り討ち、ってところか」
「うぐぅ…」
現場の写真と状況を見るだけで、またしても犯人を言い当てる。
これ犯人分かっちゃったけどどうしたらいいんだろう、と理子はふと思ったが、今はそれどころでもなかった。
キリがきちんとこなせる依頼を探さなければならない。
「…ん?」
先ほどまで退屈そうだったキリの視線は、一枚の紙に集中していた。
「何々!?良さそーな依頼あったー?」
キリはにやりと口角を上げ、一枚の紙を指差す。
「これなら一緒に行ってやってもいい」
『迷子の猫探し』
理子は思わず二度見した。
「え、コレ?」
キリは、もう話は済んだと言うようにラムネ瓶を傾けている。
「で、でもコレはちょっと…」
適当にやろうとしているのでは、と危惧した理子に、キリは人差し指を向けた。
「こんなことも分からないのか!馬鹿だなあ。よく見てみろ。それにはおかしいところがあるだろう?」
同じAランクであるはずのキリに侮辱され、理子は紙を食い入るように見つめる。
しばらくの間そうしていたかと思うと、理子はいきなりぱっと顔を上げた。
「報酬が、破格…!」
「やればできるじゃないか!その調子だ」
ただの猫探しにしては、報酬の額がおかしかった。
はじめは理子も、金持ちのペットか、と思って気にも留めなかったが、どうやら迷子の子猫ちゃんは一般家庭のペットらしい。
「くふふっ!…こういう裏のありそうな事件、理子好きかも…!さっすがきりりん!」
その瞳に歓喜の色を浮かべ、理子はキリを賞賛した。
『特徴:三毛猫 ♀
青い首輪
耳と尻尾の先端が茶色。』
ぐっすりと眠っている、特徴と同じ猫の写真が添付されている。
理子はその写真と目の前の猫を見比べ、唸った。
「違ぁーう!もう理子飽きてきちゃったよおー!」
大きな声を上げて両手を空に突き出した理子に、猫は驚いてひと鳴きし、逃げていく。
地面に座る理子の近くに、別の白猫がすり寄ってきた。
河原に集まる野良猫たちは、その多くが気持ちよさそうに寝そべっていた。
「峰!しっかり働く!」
「きりりん何もしてないじゃん!狡いぞ!」
石の上に腰を下ろし、理子に指図するキリ。
理子は怒りを表すように頬を膨らませ、両手で頭の上にツノの形を作った。
「あ、あれじゃないか?」
「え!?どれどれ!?」
キリは石から勢いよく飛び降り、日向で眠る一匹の猫を拾い上げた。
片手で首元を掴まれた猫は、にゃあ、と抗議するように体をくねらせる。
「青い首輪、三毛猫…ちょっと見せてきりりん!!」
騒ぐ理子に目もくれず、キリは首輪に挟まっていた紙を取る。
「峰」
理子が名前を呼ばれてキリの方を見ると、ぽんと猫を頭の上に落とされた。
「うわぁ!?ちょ、きりりん!?」
「にゃあ」
いきなり顔に当たった猫の腹の柔らかい感触に、理子は慌てて頭から猫を下ろす。
両手で抱き上げ、膝の上に猫を下ろす。
「あれ、でも写真より茶色い…?」
そう言って猫の毛並みを撫でると、理子は目を見開いた。
「!この猫、血が…!」
茶色に見えていたのは、乾燥した血液だった。
猫自身に怪我がないので、猫の血ではない。
理子は、慌てたようにキリに視線を向ける。
その時、キリは猫の首輪に挟まっていた紙を広げていた。
『たすけて
○○びょういん』
血で紙に書かれたその文字は、まるでホラーのようでもある。
しかしその文字に込められた縋るような想いは、作り物なんかではない。
「峰、これは誘拐事件だ」
紙を理子の方に向け、キリは真剣な表情で話す。
理子は膝の上で欠伸をする猫の背を撫でながら、緊張した面持ちでごくりと唾を飲んだ。