「じゃあ、依頼者は誘拐犯?」
「いや、依頼者は被害者家族だ」
「へ?」
理子は猫を撫でながら声を上げる。
キリは石に座ったまま、足をぶらぶら動かしている。
「おそらく、被害者の中に少しは頭の切れるやつがいるんだろう。そいつが、猫にメッセージを託して逃した。ただ、メッセージの書き方が直接的だから、犯人に見つかればすぐに没収されて終わりってことを考えていないのは減点だね」
「でも、犯人のいない時間帯を見極めて猫を逃したのかも」
理子はキリに反論するように言う。
その膝の上で、猫は気持ちよさそうににゃあと鳴いた。
「人にアルゴリズムなんて無いんだから、思い通りになると思わない方がいい。当たり前だろう?」
理子は唇を尖らせ、不機嫌そうにキリに問う。
「じゃあきりりんならどうするの?」
キリは少し考えるような素振りを見せた。
「馬鹿だなあ、私が捕まる訳が無いだろう?」
「えー、それはずるいよ!」
「現実なんてそんなもんだよ」
ふぁ、とキリはあくびをする。
しばらく間を置いて、理子が尋ねた。
「それで、結局何で被害者家族が依頼人なの?」
「犯人が気づいた、というのはまずあり得ないからね。犯人がよっぽどの馬鹿じゃなきゃ武偵になんて頼まない。さらに、こんなに血まみれな猫なんてなおさら、ね。それに、猫がこんなにリラックスした写真を持っているのは、飼い主くらいのものだろう」
今まで浮いていた足を地につけ、キリは立ち上がる。
「おそらく、信じているんだよ」
理子の瞳が驚きに見開かれた。
「猫と共に消えた被害者が、何らかの手段で外部に助けを求めると、何もしないんじゃなく、そのくらいのことはすると、信じているんだ。絶対的な信頼関係があり、頭が切れる家族だ」
「…もしかして、見当ついてたりするの?」
キリはにやりと口角を上げるが、その質問には何も答えようとしなかった。
○○病院は、すでに廃病院となってから4、5年経っていた。
土地を所有していた人物が、取り壊しを躊躇したため、現在管理の行き届いていない忘れ去られた建物となっていた。
黒縁メガネをかけたキリは、迷いなくひび割れたコンクリートの建物に入っていく。
理子も、猫を抱いたまま桐に続いた。
当然光源はなく、日当たりの悪いせいか昼でも暗い廊下を歩く。
「本当にここなの?見張りもいないみたいだけど…」
人を警戒してか、声は小さい。
「いない時間を見計らったからね」
「『人にアルゴリズムなんて無い』んでしょ?」
「そんなものから予測したんじゃない」
だんだんと声が大きくなる。
敵がいないことはキリが断言しているため、理子もキリの声の大きさに合わせたのだ。
「…それで、被害者はどこにいるの?」
沈黙が降りた。
こういう時に無理やり聞いてもはぐらかされるだけだとわかっている理子は、おとなしくついていく。
それ以上の言及をすることはなかった。
「ねぇ、きりりん。この誘拐事件の詳細って、知ってたの?」
「知らなかったの?」
え、と理子は思わず声を漏らしそうになった。
まさか疑問を疑問で返されるとは思わなかった。
「峰が持ってきた依頼の中に、誘拐事件の調査もあったでしょ?」
あったっけ。
理子は依頼を適当に持ってきただけであり、全てに目を通している訳ではなかった。
それもそのはず、理子は結構な数の依頼を持ってきていたのだ。
「えっと、教えてくれると嬉しいなー…なんて」
キリはめんどくさそうに口を開く。
「事件の始まりは約一ヶ月前…ーーーー」
一ヶ月前、出張で東京に来ていた40代の男性が突如失踪。
ホテルに一泊した後に街へ出て、部屋に荷物を残したまま、仕事場にも家にも行くことなく消えた。
他の失踪者も同じような状況で、単身の旅行者、イベントの参加者など合計9名。
年齢、居住地、職業の共通点は無く、単独で東京を訪れていたことだけが共通している。
ホテルより後の被害者の動向を警察が追っているが、目撃情報はゼロ。
つまり、忽然と姿を消したことになる。
しかしこの大都会で、目撃されずに人を誘拐できる場所などそう存在しない。
また家族に身代金等の脅迫は無い。
最初の4名は眼鏡やサングラスを掛けていたためそれが理由かと思われたが、後に何も掛けていない者も失踪したことから、その線は消えた。
すらすらと話していくキリに、理子はもしや、と怪しむ。
「もう犯人分かってたりする?」
「どうすれば犯人が分かるかは、分かっている」
にやり、とキリは笑ってみせた。
……っ…
人の声が、わずかに二人の耳に届く。
立ち止まって耳をすませば、言葉ははっきり聞こえないが、それでもまた声がした。
「被害者の、声…?」
確認するように理子が呟くと、キリは頷いて肯定した。
理子は辺りを見て、声の出どころを探る。
そう遠くはなさそうだ。
声をたどって着いた先は、霊安室だった。
扉は鉄製で、掛金で施錠されている。
声はここからしていたようだ。
キリが無言で扉の前から退き、理子は掛金を銃で破壊する。
少々やり方は荒っぽいが、仕方のないことだ。
扉が開いた瞬間に、理子が抱いていた猫は飛び降りて中に入ってしまった。
部屋は恐ろしく暗いため、何も見えない。
キリは持っていた懐中電灯を付けた。
物がほとんどなく、空虚な室内に、縛られた被害者と見られる人が身を寄せ合っていた。
服は剥ぎ取られたのか、ほとんどの人は簡素な肌着姿である。
猫もそこにいた。
「た、助けが来たの…?」
懐中電灯の光に目を細めながら、女性は二人を恐る恐る伺う。
「ああ、だけど少しだけ待って」
キリはそう答えてから、女性に背を向ける。
先程自分たちが入った入り口を睨むキリを不審に思い、理子も同じ方を見た。
薄暗い廊下には、何も見えない。
いや、少しずつ靴音が聞こえてきた。
コツン、コツンと大きくなっていく。
理子は唾を飲んで薄暗闇を慎重に見つめる。
ーーーーやがて、現れたのは一人の中年男性だった。
スーツを着て、その手に白い手袋をはめている。
男性は、こちらに気付くと驚愕に目を見開いた。
「これはこれは、武偵高の生徒さんですか」
「やあ、犯人くん。これは現行犯でもいけるかな?」
日常会話のようなトーンとテンポで交わされる会話。
理子は拳銃に手をかけながら、様子を見守る。
「犯人は君、それは明白だよね。そして君の職業は、タクシードライバー。さらに言えば誘拐の犯行現場はタクシーの中だ」
理子は改めてその推理力に驚愕しつつも、犯人から目を逸らさない。
男性は、酷く冷めた無表情でキリの話を聞く。
「この都会で人を目立たず誘拐できるのは誰か。見知らぬ人間でも、被害者が何の警戒も無く個室に二人きりになる場所はどこか。考えればすぐ分かるよね。君はタクシーの中で、被害者に催眠ガスを嗅がせ、気絶したところを誘拐した。もちろん、自分はマスクでガスを防いでね」
犯人と対峙して、キリは薄く笑ったまま話を続ける。
追い詰めるのを、楽しむかのように。
「被害者は全員もれなく君のタクシーに乗った。でも警察が調べても、その記録は出ない。当然だよね、だって調べる日付が違うんだもん。被害者が乗ったのは、失踪した日じゃない」
理子はその推理を聴きながら、色々と納得していた。
拳銃にかけた手に意識を向けながらも、推理に聞き入っていた。
「君は業務をこなしながら、特定の客を探していた。『一人で東京に来ており、これからホテルに向かうこと』『帽子や眼鏡、サングラスなんかで顔が部分的に隠れていること』『君と背格好が似てること』。君は小柄だから、女性でも良かった」
「その条件に合う人が見つかったら、催眠ガスで気絶させ、ここに監禁。荷物と服を奪った。…だから、ここにいる人はこんな姿だったんだね」
理子も探偵科の優秀な武偵だ。
ここまで情報が明かされていれば、この先のことなど手に取るように分かる。
キリは理子が口を挟んだことを意にも介さず、続きを話し始める。
「君は被害者の服を着て、被害者に変装した。素人でも、化粧なりなんなりである程度誤魔化せる。その上、君が騙すのは人では無く監視カメラの映像で良かった。被害者が宿泊予定のホテルに行って、わざと映像に映る」
顔を一部隠す眼鏡や帽子は、変装が簡単だっただろう。
だからこそ、特定の服装の人物を選んだ。
「あとは簡単、ホテルに荷物を置いて翌日に立ち去る。そうするとホテルから出て行く姿が、また監視カメラに映るからね。だから警察は、その後の動向を追う。もちろん何の跡も見つかる訳がないよね。君はその辺りの地理を十分に把握していただろうし、どこに行くと記録が残って、どこを逃げると監視カメラに映るのかは事前に知ってる。そうして消えた被害者の出来上がり、っていうわけだ」
しばらくの沈黙が下りる。
やがてキリは大きく息を吸い、
「しかし!」
と、楽しそうに言った。
「君の完璧な犯行は、たった一人の女子中学生に見破られてしまった」
キリは、被害者の中でただ一人、
その少女こそ、あの猫の飼い主だった。
猫はすでに少女に寄り添っている。
「彼女は独自の調査で事件の真相に気付き、そして、無謀にも解決を図った。君を、自首するように説得しに行った。馬鹿だなあ、子供に言われてやめるくらいなら、最初からやってないだろうに」
そのことと言い、猫を使った救難信号と言い、キリに言わせれば彼女はとことん詰めが甘かった。
「まずいと思った君は、予定外に彼女を攫うことになってしまった。そして無力な少女はあえなく攫われてしまった」
それが、名探偵をこの場に招くきっかけとなった。
ただの誘拐事件なら、キリがこんなにも興味を持つことは無かっただろう。
「ははははは!」
男性は突如として笑い出した。
そしてひとしきり笑ってから、笑顔を崩すことなく威圧的に話す。
「そうです、すべてその通りですよ!…ですが、証拠はありません。もしかしたら、タクシーの後部席から催眠ガスの成分が検出されるかもしれませんが、客が蒔いたと言って誤魔化すこともできます。…つまり!逮捕することは不可能なんです」
理子はそうなることもある程度予想できていた。
この男性の様子から、証拠はほとんど残されていないだろう。
そして男性の言う通り、誤魔化すことだってできる。
「それはどうかな?」
しかし、キリはそう言ってポケットからあるものを取り出した。
「さっきまでの会話、ずっと録音してたよ」
小型の録音機だ。
これには男性も絶句する。
にい、と笑ってキリはそれをポケットに仕舞う。
「峰、確保」
その言葉に、理子はすぐに動き出した。
男性は逃亡を図るが、現役武偵とただのタクシードライバーでは身体能力が違う。
すぐに追いつかれ、手錠をはめられた。
「っ、くそ!」
まだ暴れようとする男を、理子は気絶させる。
その間に、キリは被害者の元に歩み寄っていた。
「あ、あの…!あなたの、名前は…?」
制服姿の少女は、前髪でほとんど隠れている目でキリを見上げて、恐る恐る尋ねる。
「江戸川 キリ。君は?」
「わ、わたしは…エリノア・アラン・ポオである。その、ありがとう」
エリノアは、うつむき気味に頬を染めて礼を言った。
「推理力、行動力、判断力は結構良かったよ。ま、私には劣るけどね!それに、詰めが甘い」
キリは楽しそうに指摘した。
エリノアも、言われていることは褒め言葉では無いのだが、少し嬉しそうだ。
「…だから、もっと力を付けたければ、武偵になるといい」
キリは、エリノアの前でかがんで目を合わせた。
「結局、また理子は犯人の確保だけかー…」
警察に犯人を引き渡し、依頼を終えた帰り道。
理子はそう言って口を尖らせた。
「適材適所ってやつだよ」
キリはどうでも良さそうに口の中で飴を転がす。
「うー…他の日にまた、別の依頼とか受けに行かない?」
「明日から三日は連続で依頼が入ってるし、まだわからないから…まあ、予定が合えば行ってやってもいいけど」
「やったー!じゃあ理子、また依頼探すー!」
理子は飛び上がって喜びながら、冷静に考え事をしていた。
(チャンスは明日、明後日、明々後日の三日間…明日は準備に当てて、明後日に決行かなー…)
上下編だと誰が言った!?