「あ、江戸川さん!」
星伽が私を見かけるなり、駆け寄ってきた。
廊下は走らない方が良いぞ、星伽。
周りに花でも咲いている幻が見えそうな華やかな笑顔に、周りの生徒たちは男女問わず星伽に視線を向けた。
星伽がそれに気づく様子は全くない。
「やあ、星伽」
こうして星伽が寄ってくるのは、少し珍しい。
かと言って全く無いわけでもなく、何度かこういうことはあった。
普通に話しかけてくることもあれば、まるで私に縋り、私を追ってきたかのように呼ぶこともある。
私には未だこの謎は解けていないし、解くつもりもないのだが。
「もしかして、これからお昼ご飯?」
「そうだよ。星伽も?」
「う、うん」
星伽は手に持ったお重を少し持ち上げ…って、お重?
何で弁当が重箱?
「あのね、江戸川さん。良かったら、一緒にこれ食べない?」
昼食代も浮くし、何より星伽の弁当は美味しいとよくキンジから聞く。
前々から気になってはいたのだ、この機会に味わってみよう。
ーーーー食堂。
「ごちそうさま」
「お粗末さまです」
星伽が、漆塗りの重箱の蓋をそっと閉めた。
とても美味しかった。
どうすればこんなに美味しいものを作れるんだろう。
私が作るなんて日はおそらく来ないが。
「それじゃあ本題に入ろうか」
重箱を布で包もうとしていた星伽の手が、ぴたりと止まった。
「気付いてたんだね、江戸川さん」
星伽はそう言って、困ったような笑みを見せた。
「用が無ければ君は私を誘ったりしないだろう」
先ほどのように星伽が駆け寄ってくるのは、何か話がある時だけだ。
その内容はキンジのことだったり、依頼の話だったり、様々だけど。
ちょっと待ってね、と星伽は途中で止めていた手をようやく動かし、重箱を片付ける。
それからきちんと私に向き合い、少し真剣な表情を浮かべた。
「今度のお休み、会えないかな?」
「あー、その日は確か依頼があるんだ。その後なら構わないけど。…いや、なんなら付いてきてくれない?」
私はバスや電車の乗り方がわからない。
だから依頼がある時は、大体タクシーを使ってるんだが、それにはバスよりもお金がかかるからね。
星伽が案内してくれるなら安心だ。
「え、い、いいの?」
いいも何も、星伽を利用しようとしてるだけ…いや、知らない方がいいこともあるか。
「バスの乗り方がわかるなら、付いてきて」
これで多少お金が浮く。
学校自体は休みの日。
だが、私には依頼がある。
そういう理由で休日にも活動している人は、少なからずいる。
「江戸川さん、あのバスだよ!」
そしてその依頼に、先日星伽を巻き込んだ。
星伽(実家)の決まりとかなんとかであまり外出しない星伽白雪には、休日が潰れるとかそういう認識はないらしい。
「ああ、あれに乗るの?」
星伽が指差した巡回バスは、こちらにまっすぐ向かってきていた。
やがてゆっくりと減速し、私たちの目の前に止まる。
手すりにつかまりながら乗り込む。
思っていたよりも空いていたので、一番後ろの広い席に二人だけで座る。
その所作ひとつを取っても、星伽は非の打ち所がない大和撫子だ。
ひとつ欠点を挙げるとしたら、キンジに対する異常なほどの愛だろうか。
「江戸川さん、今日の依頼ってどんなことなの?」
そういえばまだ何も言ってなかったか。
私は鞄から一枚紙を取り出し、星伽の顔の前に突き出す。
「脅迫状の送り主を探せって。まあ大体検討はついてあるけど」
『殺人予告
お前のせいで人生がくるった。この貸りは返してもらおう。必ず殺してやる。』
よくある新聞の切り抜きで作られた脅迫状だ。
差出人の名はない。
警察の手を借りないのは、後ろ暗いことがあるからか。
なんせ前にも暴力団に発砲されたことがあるとか聞いたし。
「脅迫、かあ…」
紙を鞄に戻す。
星伽は表情を少し歪めた。
「物騒だね」
「そうか?同じような依頼を過去に解決した覚えがあるんだけど、そんなに物騒かな?」
その時は私が名探偵ぶりを発揮し、みごとすぐさま犯人を捕らえた。
その会話以降、星伽は何かを考えるようにずっと黙っていた。
「あ、着いたよ」
ようやく話したと思えば、目的地に到着したらしい。
お金を払ってバスを降りる。
確か依頼者の家は、バス停からすぐの屋敷だったはず……あれか。
いかにも金持ちが住んでそうな家だ。
いや、私の家も風貌こそ違えど大きさはあんなものか。
無駄に大きな門の前に立ち、呼び鈴を鳴らす。
「大きなお家だね」
「どうせ汚い金で建てた家だろう」
星伽は終始落ち着かない様子で、そわそわとしていた。
やがて、この家の主人の奥さんであろう女性が姿を見せる。
柔和な笑みを浮かべつつ門を開けた彼女は、笑みを不思議そうな表情に変えた。
「お待たせしました、探偵さん。…あら、一人と聞いていたのですが…?」
当然の疑問だ。
「ちょっとした手伝い係だよ。いないものと思ってくれていい」
その返答に奥さんが納得したかはわからないが、星伽を招くことを了承はしたようだ。
扉の方へと案内され、奥さんはドアノブに手をかけた。
パアァァァンッ
「銃声…?」
星伽が小さく呟いた。
「行くぞ、星伽!」
私は奥さんを押しのけ、乱暴に扉を開く。
音がしたのは、地下の方からだ。
「きゃ!」
重量のあるものが床に落ちる音がした。
何だと思って背後を振り返ると、星伽が尻餅をついていた。
近くに小さな車のおもちゃが転がっている。
「いたた…おもちゃ?」
「早く行くぞ!」
「あ、うん!」
星伽が立ち上がったのを確認してから、すぐに見つけた地下に続く階段を降りる。
地下にはひとつの扉しかなかった。
ドアノブを回し扉を押したり引いたりしてみたが、ガチャガチャと音が鳴るだけで開かない。
鍵がかけられているらしい。
「どいて、江戸川さん」
いつのまにか星伽は刀を構えていた。
それでドアを叩っ斬るつもりらしい。
「開けばいいんだから、あまり派手に壊さないでね」
そう忠告だけして、私はドアから離れる。
星伽は、普段のおっとりした様子からは想像できないような表情で刀を振り下ろした。
ドアを壊し、視界が開ける。
真っ先に目に映ったのは、床一面に広がる赤…
そして、その真ん中に倒れこむのは、この屋敷の主人らしき男一人。
死んで、いるのかーーー?
いや。
「星伽!救急車だ、早く!」
「え!?で、でも…もう助からないんじゃ、」
「床のなら血じゃなくワインだ!早く呼べ、星伽!」
「はい!」
星伽が、電波の悪い地下から出て行く。
入れ違いに、奥さんが降りてきた。
「何かあったんですか…?…ッ!」
見ない方がいい、と言おうとしたが遅かったようだ。
顔を真っ青にして口元を抑え、力が抜けたように座り込んでしまった。
「お母さん、どうしたのー?」
「うー」
階段の上から子供の声がした。
一人は小学生、もう一人はそれ以下だろう。
両方男の子だ。
一方呼ばれたお母さん…奥さんはと言うと、その子供の声に答えられる精神状態では無さそうだ。
「ちょっと上で待っていた方がいいよ、少年」
仕方が無いので代わりに答える。
「お姉さん、誰」
面倒だなあ。
どう答えるか考えていると、上から星伽の声が聞こえてきた。
「今ちょっと大変なことになってるから、地下に入っちゃだめだよ?」
「大変なこと?」
子供は星伽に任せておこう。
妹がたくさんいると聞いたことがあるし、子供の相手は慣れているだろう。
私が変に刺激するよりもマシだ。
救急車を待つ前に、再度血のごとく広がる赤ワインに目を向ける。
「奥さん、ご主人は心臓が弱いんだね?…なら、早めに心肺蘇生でもした方がいいよ。あいにく、私はやり方を知らないんだ」
死んだ人間とばかり向き合ってきたからね、と言う言葉は飲み込んだ。
我に帰った奥さんは、危なっかしい足取りでご主人に近づき、心肺蘇生を始める。
顔色は悪いが、こればかりは仕方がないだろう。
星伽は救急車の誘導や警察への対応など、まだやってもらうことがあるのだ。
にしても、少し暑いな、この部屋は。
現場となった部屋はワインセラー。
ワインは空調管理しながら保管するものだから、室温はちゃんと保てるように良い設備を使っている。
下に視線を落とすと、ワイン瓶の破片が散らばる中、ひとつだけ違うものが落ちていた。
これは…銃弾?
現場は地下で、窓はなく出入り口も星伽が破壊したひとつしかない。
つまりこれは、密室殺人?
私は懐から愛用のメガネを取り出し、かけた。
まだ、警察が来るまで少し時間があるだろう。
私は星伽のいる地上へ上がり、この家の子供二人に笑顔を向けた。
「ちょっと話そうか」
兄は怯んだように後ずさった。
「な、なんだよ」
「あんだよ?」
兄と同じように後ずさった弟は、首をこてんと傾げながら兄の真似をした。
「さっき、君たちの父親が倒れた。原因はおそらく心臓発作だろうね。そう、まさに君の思い通りになったわけだーーーー」
兄の目をまっすぐ見る。
動揺しているのがよくわかる。
「どういう、ことだよ」
「脅迫状も、作ったのは君だね?一部の漢字を間違っていたのや、『くるった』が平仮名になっていたことからも、それはここに来る前に検討がついていたことだ。こんな初歩的なミス、大人は犯さないからね」
星伽がこちらを見ているのがわかる。
私はそんなこと、微塵も気にせずに話を進めた。
「現場には銃弾が落ちていた。発砲したと見せかけたかったんだろうけど、これはおそらく前にこの家に撃ち込まれたものだね?…暴力団による発砲事件の。…君が仕掛けた罠は、いたってシンプルだ。君はワイン瓶にヒビをいれ、室温を上げただけ。ワインセラーの室温が高くなっていたのは、君の仕業だ」
子供であれども容赦はしない。
だって外見は小さくとも、中身は立派な人殺しだ。
「でも、どうして室温を上げたの?」
星伽が控えめに口を挟む。
私は星伽の方を一切見ずに答える。
「ワインの発酵を促すためだ。今じゃ自家製のワインを作るキットまで売られているらしいね。それに使われる酵母は、糖分をアルコールと二酸化炭素に分解する。…普通、ワインはガス抜きしながら適正な温度で保管するんだ。…っと、話が逸れたか。ヒビの入った瓶を、発酵の進む高音で放置するとーーー爆発する。私たちの聞いたあの音は、銃声でなくその音だったんだ。これなら、犯人がどこにいようが自動で爆発する」
「でも、あの人が部屋にいるタイミングで爆発するとは限らないんじゃ…?」
星伽の質問はもっともだ。
確かに、これは偶然にすぎない。
「可能性の犯罪、ってやつだよ。この家には、小さな罠が大量に仕掛けられていた。…心臓の弱いご主人を、殺すための罠がね。例えば、星伽が踏んで転んだおもちゃとか。階段に置かれたビー玉とか。椅子に乗せられている画鋲とか。そういう小さな罠を作り続け、ご主人を殺害したのは君だ」
兄は、目を見開いて固まった。
「ただし!…この犯罪は、殺意が立証できない。そして例え立証できたとしても、まだ幼い君は逮捕されることはない。…まあ、でも気をつけた方がいいよ。自分の蒔いた種で、自滅しないように」
ほっと安心したように兄は息をついた。
その横顔を、弟は不思議そうに見ている。
やがて警察が到着し、私は私の推理を一通り話してから解放された。
今頃子供達も解放され、家にいるのだろう。
奥さんの必死の心肺蘇生の甲斐があり、ご主人はひとまず一命をとりとめたようだ。
バスに揺られながら、私はゆっくりと目を閉じた。
弟は、兄の行動の真似をよくする。
兄は階段や廊下におもちゃを置いていたことも、弟は知っている。
そして、善悪もわからぬままに真似をする。
…そんなことも知らない兄は、知らずに階段でおもちゃを踏み、そのまま階段からーーーー
なんて。
閉じていた眼を開く。
一台の救急車が、バスとすれ違った。
「そういえば星伽、私に何か用があるんじゃなかったか?」
今の今まで忘れていた。
今回星伽が同行したのは、これがあったからなのだ。
「うん、あのね……一緒に、星伽に来て欲しいの」
星伽が真剣な表情で言ったその言葉は、果たしてどんな真意があるのか。