ここで働き始めてからどれくらいが経っただろうか。モップで床を磨きながらふとそんなことを考えた。
もともと児童養護施設で育った俺だが昨今の不況により経営難になり、あえなく潰れた。
他の幼子達は無事に引き取り手が見つかったが俺は一番の年長者だった為、誰も名乗りを挙げず。
生きるか死ぬかどうしようかと身の振り方を考えていたところ、とあるチラシが目に入った。
『急募!!住み込み清掃員!!三食飯付き。』
これしかないと思った。すぐに応募したところ即採用。わけを聞いてみると俺以外に応募がなかった事と前任の方が辞めたそうだ。
まあ、そりゃあそうだろう。なんたって時給が雀の涙ほどなのだから。俺くらいの事情がないと住み込み低賃金で働こうとは思わない。
そんなわけで俺は「カルデア」と呼ばれる施設で清掃員(アルバイト)として働いている。なにをしている施設かは正直知らんし興味がない。
なんとなく死にたくないから働いている。そのうえで飯と寝床が必要、それ以外は特に求めていない。
だから周りで働くエリートそうな職員やマスターと呼ばれている上品な同年代たちの子を見て、自分の境遇と比べて劣等感や恨みをもつ・・・なんてことはなかった。
それは向こうも同じで特に俺に対して興味を持つことはなく、掃除をしていてすれ違っても挨拶などはなくお互いに干渉しなかった。
・・・若干名を除いて。
「お疲れ様です。」
急に後ろから声を掛けられ、肩をビクつかせながら振り向くと同世代くらいの同性が立っていた。
服装から察するに職員ではなくマスターさんなのだろう。
「・・・こんにちは。」
「こんにちは! お掃除いつもありがとうございます。」
これが彼とのファーストコンタクトだった。
そこから俺が掃除しているところを見かけると必ず声を掛けてくれるようになり、いつしか食堂で一緒にご飯を食べる仲になって雑談も増えていった。
落ちこぼれであること、彼もチラシを見て応募してきたことなど親近感が湧くことばかりで彼が自分の中で特別な存在になるのはそう時間はかからなかった。そんな頃・・・あの事件が起きた。
大半のマスターや職員が死傷した事件、そして唯一生き残ったマスターが彼。そこで初めてこの施設とマスターの意味を職員から聞いて知り、愕然とする。
にわかには信じがたかったが、彼が英霊と呼ばれている者と一緒に歩いているのを見てしまったら信じるほかなかった。
しかし、信じたからと言って俺がやることは特に変わらず、手伝えることもないのでせめて彼が帰ってきた時に少しでもカルデアが清潔であるようにと清掃を続ける少しもどかしい毎日を送っている。
「ふうー。」
気が付くと廊下の端まできていた。モップを持ち上げ、水の入ったバケツに入れるとみるみると無色透明が黒に浸食されていった。
一種の達成感に包まれながらも次の清掃場所に移ろうと掃除用具をカートに入れているとカツンカツンという足音が間隔をあまりあけないで聞こえてきた。
その音はだんだんと大きくなり、音の主である三つ編みの女性が廊下から顔を出した。
ナイチンゲールさんだ。カルデアに来た英霊達とはあまり話したことがないのだが彼女は別だ。ここに来た当初、俺が清掃員をやっているとマスターである彼から聞いたらしく
「あなたがここの清掃員ですか? 確かに清掃は行き届いているようですが細菌というのは目に見えません。どのような方法で殺菌・消毒を行っているのですか?」
といきなり話しかけてきた。掃除用のエタノール液と除菌アルコールスプレーを見せて説明したところ「素晴らしい。」と彼女からお褒めの言葉を頂いた。
それ以降、結構な頻度で掃除を手伝ってもらっている。そんな彼女が急に姿を現した。見たところかなり急いでいるように見えるが・・・
キョロキョロとあたりを見回す彼女。やがて目があったので軽く会釈をすると鬼気迫った表情でこちらに全力疾走してきた。
「緊急事態です。私と一緒に来てもらいます。」
「えっ? おわっ!?」
俺の返答を聞かず、彼女は俺を小脇に抱えて走り出した。・・・さすが英霊と言うべきなのだろうか。軽々と男を持ち上げて先ほどと変わらぬ全力疾走をされると男としてのプライドがいろいろな意味でズタボロである。
あと、すみませんナイチンゲールさん。あなたの双丘が揺れて俺の顔に当たってるんですが・・・持ち方を変えてもらえませんか?
彼女の放つオーラからそんなことは言い出せずその状態のままいくつかの角を曲がり、そして彼女がある部屋の扉を開くと同時に叫んだ。
「連れてきました!!すぐに治療を!!」
未だ抱えられたままでグッタリとしていた俺だが顔をあげると自分の目に映った光景を見て言葉を失った。
鮮血に染め上げられた身体とベット。今も滴り落ちる血液。ゆっくりと視線をその身体の頭部に向けると見知った彼の顔が見えた。
生気がない顔色をみて思わず手を口元にやる。自分の体温が下がっていく気がする・・・吐きそうだ。
なんて情けない。大変な状況は彼の方だというのに。ナイチンゲールさんから降ろされ、自分の足で立つが膝が震えている。
「良かった!!来てくれたか!君の力が必要なんだ。協力してくれ!!」
ロマンさんが俺の肩を強く掴んで懇願してくる。普段のおっとりした雰囲気とは真逆のものに圧倒されて目を見開いたままロマンさんを見つめていると少し我に返ったようで
「す、すまない。取り乱していた。」
一つ深呼吸し、真剣な眼差しをこちらに向けてロマンさんは言う。
「彼がレイシフト先で敵の攻撃を受け、大量出血した。輸血には君の血が必要なんだ。彼の血液型は非常に珍しいものでね。ここの人間で同じのは君だけなんだ。」
そういえばここで働くときに採血されたな。自分の血液型は珍しいものだという自覚はあったがまさか彼も同じだったとは。なんにせよ俺が呼ばれた理由がわかった。
「お願いです、先輩を・・・先輩を!!」
彼といつも一緒にいるマシュさんが泣きながら俺の右手を握ってくる。その表情には悲しみのほかに自分が彼を守れなかった不甲斐なさと今、彼の役に立てない悔しさも入り混じっているように見えた。
空いている左手で未だに震えている膝を思いっきり叩いて気合を入れる。しっかりしろ、俺! ようやく彼の役に立てるときじゃないか。絶対に助ける!
その意思が伝わったのかマシュさんが軽く頷き、手を放した。俺は彼の隣のベットに横たわり、白い天井を見上げる。
「ありがとう・・・・あまり考えたくはないが・・・もしも・・・・」
ロマンさんが何か言いにくそうに俺を見つめる。その表情で何となく察してしまった。血は俺一人しか持っていない。
代わりのいない世界を救うマスター。どこにでも代わりのいる平凡な清掃員。
万が一があった場合、どちらの命が天秤にかけたときに重いか。考えるまでもない。
もともと生きるか死ぬか考えていたくらいだ。それがここまで生きることが出来た。上出来だ。
俺の血ならいくらでも彼に渡そう。
腕を伸ばしロマンさんに突き出して俺は深く頷く。
「・・・すまない。」
涙目になりながら小さな声でそう言うとロマンさんは輸血の準備をはじめ、ナイチンゲールさんもそれを手伝い始めた。
腕に小さな痛みが来て透明なチューブに自分の血が流れて行く。それを少し眺めた後、視線を隣に眠る彼に移した。
顔に着いた血が乾き始めてどす黒くなりかけている。
(もう少しの辛抱だ、頑張れ。)
心の中で彼にそう言い、俺は目を閉じた。
******
彩度の違う白色が目に入る。それが天井の色と蛍光灯の色だと気づくのに少し時間がかかった。
(天国か?はたまた地獄か?あるいは・・・)
「どちらでもなく現世ですよ。」
声の方に振り向くと白い部屋に目立つ赤い服のナイチンゲールさんが居た。
「声に出てましたよ。」
時計を見た。推測するに最低でも12時間以上は寝ていたか?
「丸一日寝ていましたよ。」
やっぱり心読めるじゃないですか・・・そうだ、彼は!?
「っっ!!」
勢いよくベットから体を起こすが途端に体がふらつきそのまま前のめりに倒れる。
「何をしているんですか? 大人しくしていなさい。・・・痛みはあるようですね。生命活動の証です」
呆れられながら元の位置に戻される。彼女の言葉を確かめるように自分の胸に手を当てる・・・うん、ちゃんと心臓は動いている。生きている。
でも今はそれよりも確認したいことが!
「彼はどうなりました?」
「司令官ですか? 安心なさい。まだ意識は戻っていませんが状態は安定しています。数日もすれば目を覚ますでしょう。」
「良かった~。」
安堵のため息を吐いて体中の力が一気に抜ける。彼も助かって俺も生きている。何も言うことなしだ!と思ったのだが
「何が良かったですか!」
突然両頬をナイチンゲールさんに掴まれた。
「あなた、輸血をするときに司令官と自分の命を天秤にかけて自分は死んでもいいと思っていましたね? 命を天秤にかけるなど愚の骨頂!! 犠牲なき献身こそ真の奉仕! あなたの犠牲の上で成り立つ命など司令官も・・・」
顔を固定されたまま長々と説教が続き、いつ終わるのかなぁと思い始めた頃、部屋に控えめなノックが響いた。
「失礼しま~す。」
おどおどとした様子でマシュさんが入ってきたが俺が起きているのを確認するとすぐに表情が明るくなりこちらに駆け寄ってきた。
「目覚められたんですね!!良かった!! あなたのおかげで先輩は助かりました・・・本当に・・・本当にありがとうございます。」
そう言って涙を流しながらまた手を握られた。それはいいんだが・・・あの・・・俺の手が胸の谷間に当たっているんですが・・・
「皆さん!! 先輩の命の恩人が目を覚ましたしたよ!!」
「えっ?」
彼女が軽快に叫ぶと他のサーヴァント達が次々と部屋に入ってきて俺に労いやお礼の言葉を各々かけてくれた。・・・が、すぐにナイチンゲールさんの怒号が飛んできたのは言うまでもない。
これ以降、俺が「マスターの命の恩人」として認識され、様々なサーヴァントと関わりを持つことになるのはそう遠くない未来のお話なのだがそれを語るのはまた別の機会としよう。
******
「よっ! ついにやったな! カルデアの英雄さん。」
「ふふ。そんな大それたことはしてないよ。」
「いやいや、未来を救ったんだから英雄だろ?」
「じゃあ君は僕の英雄だから『英雄の英雄』だね!」
「なんだよそれ。」
「ふふふ。あっ、お掃除いつもありがとう。」
こんな会話がされるのもそう遠くない未来のお話。