古い、それはふるい街の夜。
桜の散り始めた並木道。
青い月の光を浴びながら、ひらひら、ひらひらと桃色の花が散っていく。それは小さな別れ。綺麗に風にのって、踊る。
立ちながら住居、その一つから楽し気な歌が流れてくる。きっとご機嫌な少女の声。少し古いマンションの一室の小さな窓から漏れてくる甘い声。そしてこぼれる白い湯気。
「んーんー」
一人の少女が湯舟に浸かっている。名を蓮子という。
彼女は両足をめいっぱい伸ばして小さな湯舟から飛び出している。そして肩まで浸かっていないどころか、両肘を湯舟の縁にのせている。
茶色がかったその髪はしっとりとぬれている。ほっぺたがほんのり赤い。髪の先からするりと降りてきた水滴が目のあたりを流れる。まつ毛についたそれを細い指でそれをすくいとる。
じっと指先を見る彼女。特に意味はない。そしてやはり意味もなくふう、と息を吐いた。目をなんとなくつむって、肩から力を抜く。白い肌に光る水滴が、流れていく。ゆっくりと。
わしゃわしゃわしゃ。
そんな気取っている蓮子の横で白い泡が飛ぶ。蓮子がジトっとした目でみると、小さなバスチェアーにすわって頭を洗っている少女がいた。
「メリー」
「なによ蓮子」
なんとなくお互いに名前を呼びあう。蓮子は体をよじって縁によりかかる。見ればメリーはその鮮やかな金髪に目いっぱいシャンプーをつけて洗っている。目をぎゅっととじて、その上なぜか膝も閉じている。
太ももの上に乗せたタオルは水に透けて、肌に張り付いている。
メリーはその場で手探り。何かを探すしぐさ。その様子に蓮子はにやぁとしてしまう。どうせ洗い流すためにシャワーを探しているのだろう。蓮子はそっと、音をたてないように立ち上がる。
ぴちゃりと、小さな音と波紋が水面を揺らす。
蓮子はシャワーの温度調節をきゅっと静かにひねる。押しよせてくる笑みを両手で口を押えて我慢した。その小さな笑みははたから見ればかわいい。ただやっていることは悪魔的だった。
「うー、んー。蓮子シャワーはどこにあるかしら」
何も知らない哀れな子羊は暗闇の中でシャワーノズルを探す。やっと見つけて彼女はお湯を出す。ゆっくりと彼女の頭から泡が落ちて、ちょっと前かがみになった背中に水流が流れていく。最初は暖かかった、急激に冷たくなっていくそれが。
「ひぃぁあ」
びくぅと叫ぶメリーに蓮子はたまらず笑ってしまった。
メリーは何が起こったのかわからずに「?」と周りを見回している。ぺったり張り付いた髪を手でよけながらその大きな瞳をぱちくりさせている。
そしてすぐに蓮子が笑っていることに気が付いて、彼女のいたずらとわかった。
「あん」
た、という前にすまし顔の蓮子がしゃがみ込んでシャワーのノズルを取り上げる。先手必勝である。メリーにこんな「危険物」を持たせていたら、いつ冷たいのをかけられるか分かったものじゃない。
蓮子はシャワーを抱くようにして守る。顔はにやけ顔である。
逆にメリーはむっとした表情で奪い返そうとする。
湯気の立ちこめる狭い空間で二人の小さな戦いが始まった。
「蓮子、渡しなさいっ」
「……そういわれてわたすわけないじゃない」
メリーに背中を向けて守る。メリーはそんな彼女からノズルを奪い取ろうと手を伸ばす。二人の少女はお互いになにか言い合いながら、肌をあわせる。そんな意識はないだろう。蓮子の後ろから手を伸ばすメリーと身をよじって抵抗する蓮子。
「わっ」
メリーに押し倒されるように身を崩す蓮子。それでもノズルは離さない「きゃっ」とちょっと楽しそうに言う。メリーはなんとか彼女からそれをとろうと手を伸ばす。意外と必死だ。上から、下から手を潜り込ませようとしている。
「あはは、くすぐったいわ。メリ……ぁ……」
メリーの手が「触れて」蓮子は小さく声をあげた。
落ち着いてみればメリーは蓮子にのしかかり、顔が近い。湯気が二人をつつみ、だからだろうかお互いにだんだんと顔が赤くなっていく。
何か言いたげにメリーの桃色の唇が震える。それを見ていると蓮子もなんとなく目をそらした。背中は床に押し付けられて、冷たい。身動きもとれない。さっき触られたところも、ほんのちょっと意識してしまう。
「ばっ」
「わ」
あわてて離れる二人。お互いにそっぽを向いて何もなかったということを誰かにアピールする。誰もいないことはちゃんとわかっていても。
★★
狭い湯船で二人肩を並べる。
さっきのように蓮子が大きな態度をとることはできない。単純に面積がないのだ。だから必然的に肩がぶつかる。
「ちょっとエロメリー。もう少し詰めてよ」
「……だ、だれがえ、え、えび! そ、そっちこそ詰めてよ」
メリーはむきになりそうなったがなんとかいう。ごまかすのがうまくいかず「エビ」と言ってしまった。
湯舟の中で体操座りをしているメリー。顔の半分だけお湯につけて、ぶくぶくぶくと息を吐く。なんどか瞬きをして、思い出して赤くなる。ちらりと蓮子を見ると気恥ずかしい、そもそもなぜ二人でお風呂に入っているのかを考えれば怒りがわいてくる。
「蓮子が今日はスワンボートなんて乗ろうといったから悪いわ」
お昼にお花見に出かけた公園。そこに浮かんでいたのは昔ながらのスワンボート。すでに100年以上の歴史を持つその文化に蓮子が興味を持ってしまった。前近代的とは知りながらいきようよう二人は乗り込んだのだった。
「あら。メリーさんも楽しそうしていた気がするけど?」
「そこは仕方なく合わせておいたのよ。それにあの時に蓮子がいきなり立ち上がったから」
ぎこぎこ二人はさび付いたペダルを踏んで湖を渡った。
岸に立ち並ぶ鮮やかな桜たち。風がふくたびに舞い散るその花びら。
その時に蓮子はいきなり立ち上がった。するとぐらり、スワンボートが傾いたのだ。慌ててメリーも立ち上がってしまったからさらにゆれ、二人は仲良く湖に落ちた。後にはアヒルだけが残ったのだった。
「なんで、いきなり立ち上がったのよ」
メリーは聞いた。今思いだしても恥ずかしい。
「……」
蓮子は黙ってそっぽを向いている。メリーはいぶかし気に見つめるが、あの時の蓮子は手を伸ばしていた、空に向かって。いや何かをつかもうとしていたようだった。
(もしかしたら)
あの時蓮子は何をしようとしていたのだろうか、メリーは思う。彼女はざばっと立ち上がった。足元で「うわっ」と蓮子が悲鳴をあげたが気にしない。どうせ顔にでもお湯がかかったのだ。
メリーは一度がらがらと外にでて、また戻ってきた。その手にあるのは小さな箱。蓮子が何をしているのか首をかしげている。メリーはその箱を開ける。これは、なんとなく集めていたものだった。
ぱっと桜の花びらが舞う。
数枚のそれが、ゆったりと降りてくる。蓮子はほんのちょっと口を開けて、呆けたように見ている。花びらがふわりと湯舟に降りてきて、浮かぶ。
「桜風呂?」
聞いたことのない単語を言いながら蓮子は両手で桜の花びらを掬った。手の中の小さな湖に、花びらが浮いている。