目覚めると、また名前を失っていた。
私の頭の中に、グニャグニャとした電気信号が走る。
電気信号はこう告げている。
「おめでとう。君には次の義務が与えられた」
私は肩をすくめて答えた。
「わかりました。次はいったい、どの星で何をすればいいんですか? 今度はどんな感情を摂取するんです?」
電気信号がまた頭の中を駆けた。
「初恋、という感情だ」
「初恋……」
それは聞いたことのない感情だった。
「幼年期に最初に感じる思慕の情だ。これまで、誰も摂取したことがない。君には大変に重要な義務を遂行してもらうことになる」
「へぇ……。それは光栄ですね。私のこれまでの功績が認められているというわけだ」
「ああ。君は非常に優秀な個体だ。我々は君に期待している」
「ありがとうございます」
「さて。君は今回、地球という太陽系の惑星に降り立ってもらうことになる。そこで、ごくありふれた幼年体として一年間を過ごしてほしい。その間に、一人の少女と恋に落ちるのだ」
「その少女とは?」
「雪村あおい。市立飯能第一小学校の4年1組に所属している」
私の脳内に、映像が映し出される。
小柄な少女だ。
ふむ……。
形態はヒューマン型か。
私の中の電磁波がわずかにチリチリと爆ぜた。
気のせいだろう。
「君は、同じ小学校に転入してもらう。形態もそれに合わせるがいい」
「承知いたしました」
瞬間、空間が歪み、私の個体としての組成が置き換えられた。
体が形を失って蕩け、数刻をかけて再び集合する。
出来上がった新しい私は、先ほどの映像の少女にお似合いの、ヒューマン型の少年だった。
「良い出来だ」
電気信号が満足げに言った。
「君に、義務のための名前を与えよう。地球にいる間、藤本聡と名乗るがいい」
「はい」
「それと、もう一つ。自分のことは、俺と名乗りたまえ」
「俺、ですか?」
「地球の一般的な幼年体の男子は、自分のことを俺というらしい」
「承知いたしました」
口の中で、俺、俺とつぶやいた。
どうにも照れ臭い呼称だった。
※
我々……いや、俺たちは、宇宙上のありとあらゆる感情を採集して暮らしている高度生命体だ。
宇宙の辺境には、まだまだ知る由もない、その星ローカルの感情が眠っている。
俺たち末端には、「義務」と称された採取任務が適宜与えられる。
その星に出向き、その感情を体験し、そのデータを脳に記録して、持ち帰るのだ。
解析のためにいったん解体された後、再び目覚めさせられ、また新しい義務へと向かう。
俺は、もう何度目の俺だろうか。
何度も何度も、様々な星へと出向き、感情を採掘し、そのたびごとに解体されてきた。
もう本来の名前すら忘れてしまった。
しかし、今回の義務はそう悪くはなさそうだ。
雪村あおい。
少女の画像を反芻すると、俺の脳がチカチカとする。
この感情は知っている。
《興奮》だ。
その少女は、俺に興奮をもたらしてくれる。
※
小学校というものは、不思議な場所だった。
幼年体が一同に集められ、そこで教育を受けている。
だが、自由度が高い。
彼らは拘束されているわけでも、徹底的に管理されているわけでもない。
45分程度の小刻みな授業という時間によって緩やかにその場所に縛られているだけだ。
その時間中でさえ、おしゃべりをするものも、寝ているものもいる。
いったいこれはなんなのだ。
こんなことが許されているとは。
信じられなかった。
俺が生まれた星では、個体として生じた瞬間から白い部屋に拘束される。
脳に、するべき義務とそのための知識を電気信号で送られ続ける。
義務と知識が植えつけられれば、あとは実務に就くだけだ。
このような途方もない自由など、体験したこともない。
俺は、何をすればよいのかわからず、ひたすらに教師が黒板に書く文字列を暗記した。
教師が、俺を指名した。
「藤本君。この問いはわかる?」
実に簡単だ。
俺は立ち上がり、その問いの答えを述べる。
教室にどよめきが生じた。
俺は首をかしげた。
この程度のことで何故だ。
俺のもといた星では、教えに背けば即座に抹消されるのだが。
腑に落ちない気持ちで着席すると、隣の席の少女が声をかけてきた。
「ねぇ。すごいんだね、君って」
俺は驚いて、そちらを見た。
ツインテールの勝気な少女の顔があった。
大きな瞳が俺をじっと見つめている。
俺は、どうすればいいのかわからず、固まってしまった。
想定外だ。
授業中に話しかけられるとは。
答えを返すべきなのか?
いや、しかし。
それは重大な規則違反なのでは?
罰則は与えられないのだろうか?
「ん? どうしたの?」
少女がきょとんとする。
「あ、いや、その」
俺がしどろもどろしていると、少女が笑った。
「あはは。面白い。藤本君、ほんと真面目。 ね、私はひなただよ。倉上ひなた」
「ど、どうして今。唐突に自己紹介するんだ」
「え? 何となく。せっかく隣の席になったんだし、仲良くしよ?」
「あ、あぁ」
俺の言葉に、倉上が、にひひっと笑った。
俺の脳内に電気が走った。
どうにも、地球の少女は俺の脳に電気を走らせてばかりだ。
「こらっ。そこ! 私語厳禁!」
若い女の教師がこちらを睨んだ。
やばい。
罰則か?
俺は抹消されてしまうのか?
それは杞憂だった。
たかがチョークが一本飛んできただけだった。
※
倉上に妙に懐かれたことはむしろ義務をこなすうえで好都合だった。
というのも、倉上は雪村と仲が良かったからだ。
このことを利用しない手はないだろう。
俺はさりげない調子で、下校時の二人に声をかけた。
「その。今日はすまなかったな。俺のせいでお前まで怒られてしまった」
「え? 全然逆だよ! 話しかけたの私だし」
「そうか。それならいいんだが。ところで、そっちの少女は……」
俺は倉上の隣に立っている内気そうな少女を一瞥する。
わざとらしかっただろうか?
だが、倉上が反応した部分は俺の行動の露骨さではなかった。
「ぷっ。なにそれ、おかしー。『少女』って。ねぇねぇ、あおい、あんた『少女』だってさ」
「お、おかしかったか?」
「おかしいよぉ。ふつうは言わないよ、そんな言葉」
「でも、少女は少女だろう?」
「それはそうなんだけどさ。ふつうは、『そっちの子』とかさぁ」
「そ、そうか。気を付ける」
俺は頭を下げた。
そんな様子を、雪村が興味深そうに見ていた。
「ひなたと、藤本君って仲良かったんだ」
「まぁね~」
倉上が自慢げに笑う。
「あ、紹介するね。こいつが、雪村あおい。私の友達」
「ど、どうも」
雪村が控えめに頭を下げた。
俺も、形式的なお辞儀をする。
雪村のこういう静的な態度は心地よい。
地球の幼年体の騒がしさには、俺は少しついていけないからだ。
俺は自己紹介をすることにした。
「俺は、藤本聡。知ってると思うけど、転校生だ。先週まで親の仕事で海外で暮らしていた。だからその、少し日本の常識に疎い部分もあると思うが、許してほしい」
この自己紹介は、他の星に潜入する場合の常とう句だ。
海外に住んでいたことにして、なじみきれない習慣などの言い訳に使う。
「海外。すごいね」
単純に尊敬したまなざしを雪村が向けてくる。
そのまなざしがひどく心地よかった。
また頭の中の電気信号が揺れ動く。
どうにも、頬が熱くなっているみたいだ。
俺は、さらに一歩踏み込むことにした。
「あ、あのだな」
「ん。なに?」
「俺、転校してきたばっかで、まだ友達らしい友達がいないんだ。この町のこともよく知らないし。その。友達になっていろいろと教えてくれないか」
「何言ってるんだよぉ~」
倉上が声を上げた。
「私たち、もうとっくに友達じゃん。教室での怒られ仲間。んで、私の友達なら、あおいとも友達っ!」
「ちょっ。ひなた、勝手に~」
「え、あおいは嫌?」
「い、嫌じゃないけど。でも、男の子の友達とか、急すぎて……」
「あはは。意識してるの?」
「ち、ちがうよ、もぉ!」
雪村が小さな手で倉上をぽかぽかと叩く。
ちっとも痛くなさそうだ。
怒りの表現というよりも、じゃれあっているようだ。
不思議な習慣だな、地球独特の。
俺は、そんな二人を見ているうちになぜか笑っていた。
※
そんなこんなでよく一緒に下校するようになった。
行動を共にするうちに、二人の少女の性格のようなものがよりはっきりと捉えられるようになってきた。
倉上ひなたは、あまり裏表のない性格だ。
騒がしく元気だが、その代わり隠し事も何もない。
一方で雪村あおいは、学校ではことのほか大人しい。
しかし、倉上とじゃれあうときだけは、強い態度を見せることもある。
この二面性のようなものが俺は好きだ。
少女の見せる、違う二つの顔。
親しいものだけに見せる、大人しさの奥に隠れた直接的な一面。
俺も、それに触れたい。
倉上のように、遠慮のない言葉を投げかけてほしい。
地球にいる間の自宅として与えられた、小さなアパートの窓から空を眺めながら、俺はため息をついた。
「雪村……」
少女の名前を口に出して呟くと、胸の奥が切なくなる。
これは、思慕の情ではないのか?
俺はもうすでに、初恋を体験してはいないのか?
しかし、そうではないのだろう。
任務を完了すれば、自動的に迎えが来るシステムだ。
どうやら、まだ何かが足りないらしい。
「あぁ~! 何が足りないんだ!?」
俺は独り言を言いながら、安アパートの畳の上に突っ伏した。
最初は戸惑ったが、慣れるとこの畳というのは心地がいい。
体を大の字にして寝ころぶにはうってつけだ。
「あ、そうだ。あのマンガ読み終えて、返さなきゃ」
床の端っこに積んだ数冊のマンガ。
少年マンガは倉上が貸してくれたもの。
熱いバトルがなかなか面白い。
もう一つ、少女漫画は、雪村が貸してくれたものだった。
まぁなんだ、その。
内容自体はよくわからなかった。
二人の少年の間で揺れる少女を描いたものだった。
まぁ、これが恋物語というやつなのだろう。
本で読んだ情報は、体験にはならないから、情報として摂取したことにはならない。
俺にとって読む価値はあまりない。
しかし、だな。
俺は、その漫画を雪村が貸してくれた時のことを反芻する。
「ほら、あおい。早く渡しなよ~」
倉上に背中を押されて、雪村が俺の前に。
「ひ、ひなた。そんなに押さないでってばぁ」
「だってこうしないと、あおい、渡さないじゃん。せっかく持ってきたのに」
「ひなたが『あおいもなんか貸してあげなよ』っていうからでしょ」
「まぁまぁ、いいから」
「も、もぉっ!」
顔を赤くして、雪村が俺をチラ見する。
「あ、あのね。藤本君、ひなたから、マンガ借りて面白いって言ってたから」
「お、おぅ……」
「その。私も。これ、貸してあげる」
「これって、雪村の?」
「う、うん。でもそれ、少女マンガだから。男の子が読んでも詰まらないかも。つまらなかったら、別に感想とか言わなくてもいいからっ」
「わ、わかった」
あの時の照れた雪村は本当にかわいかった。
俺の脳内の電気信号を溢れさせて、俺を殺す気じゃないかと思ったぐらいだ。
俺は、雪村の貸してくれた単行本を、そっと手に取る。
こ、この本。
あの雪村の自宅にあったものなんだよな。
雪村のあの小っちゃくて白い手が、このページに触れてたんだよな。
ぬ、ぬくもりとか残ってないかな……。
……。
って、俺はいったい何やってんだ!?
おかしい。
おかしすぎる。
どうにも、地球に来てからおかしくなってしまっているぞ!
俺は身もだえした。
はぁ……。
熱を冷まそう。
窓を開け、夜風を部屋に入れる。
空には、美しい月が浮かんでいる。
あの月のもっと向こうに、俺たちの星がある。
……。
地球、か。
ここでの暮らしは、なんて平和で自由なんだろう。
(下に続く)
全二話構成です。
下に続きます。