雪村、アイツのこと好きだってよ   作:忍者小僧

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それからしばらくして、俺は雪村と倉上に、ちょっとしたハイキングに誘われた。

ハイキングというのは、山を登ることらしい。

意味が分からない。

どうして山に登らねばならない?

そこに何の意味があるというのだ?

ただの無意味な苦役ではないのか?

俺が納得のいかない表情をしていると、倉上が笑った。

 

「まぁまぁだまされたと思ってついてきなよ」

「雪村も行くのか?」

「え、う、うん。もちろん」

「そうか……。わかった。俺も行くとしよう」

 

俺の言葉に、倉上はぎこちなくほほ笑んだ。

 

「ま、女子ばっかって警戒しなくてもいいよ。米田君も来るから」

「米田? 誰だ、それは」

「知らない? いるじゃん、クラスの右端の席。ほら、背が高くてシュッとした男の子」

 

男子は、俺の調査目的からすると関係がなかった。

まったくのノーマークだった。

記憶にもない。

しかし、なぜ唐突に。

これまで特にその男子と話しているところを見た覚えがなかったが。

 

 

どことなく癪前としないまま、次の週末を迎えた。

集合場所の駅前のロータリーに着くと、すでに雪村と、もう一人見知らぬ男子がいた。

アイツが米田だろうか。

雪村は、教室での内気さをここでも続けていて、男子とは一歩離れて俯いて立っている。

俺はそんな雪村に助け舟を出してやるつもりで声をかけた。

 

「よっ。お待たせ」

「あっ。藤本君!」

 

雪村がほっとした表情で顔を上げる。

俺はその表情を見てうれしくなった。

俺がこの、気まずい状況から雪村を救いだしたように気がしたからだ。

先日倉上の家でやったRPGゲームを思い出した。

俺、雪村姫を救出!

 

「あの……」

 

突っ立っていた背の高い男子が、声をかけてきた。

 

「なに?」

 

俺の声は少しそっけなかったかもしれない。

 

「あの。僕、米田努って言います。よ、よろしくね」

「お、おぅ……」

 

ちょっと拍子抜けだ。

米田は、背は高いがいかにもおとなしそうなひょろっとした男だ。

色も白くて、女の子っぽい。

もしかして、倉上のやつが「君さぁ、ヒョロヒョロなんだから運動しなよ」とか言って強引に連れてきただけかもしれない。

そんなことを考えていると、倉上の父親が、大きなキャンピングカーで俺たちを迎えてくれた。

 

「やっほー! お待たせ!!」

 

車の窓を開けて、倉上が手を振る。

集合場所に来ていないと思ったら、父親の車に乗っていたのか。

助手席から降りると、キャンピングカーの後部座席へと移ってきた。

 

「藤本君はここねっ!!」

 

ポンポンと、自分が座ったシートの隣をはたく。

 

「まぁ、いいけど」

 

俺はそこに腰かける。

雪村と向い合せになった。

これはこれでいい席だ。

俺たちは、他愛もないおしゃべりやらカードゲームやらをして過ごした。

やがて、一時間ほどすると車が停車した。

 

「さ、着いたぞ」

 

優しそうな声の倉上のお父さんが、笑顔で俺たちに言った。

 

 

そこは、山間の駐車場だった。

四方に連なった山が見え、その中腹ぐらいのような場所だ。

普段の平地で過ごす学校生活とは全く違う風土だ。

 

「これ、山の真ん中なんですか?」

 

俺の問いかけに倉上父が言った。

 

「ここは家族用のキャンプ場だからそんなに深く山に入っていないよ。山に向かう途中のなだらかな丘の高原って感じの場所だね」

「へぇ~」

「去年もあおいと、ここでキャンプしたんだ。ね? あおい」

「うん」

 

雪村と倉上が、互いに顔を見合わせて笑った。

 

 

キャンプっていったいどういうことをするのだろうと思ったが、想像よりも緩いものだった。

おそらく、子供たち中心だからだろう。

ハードに山を登るわけではなく、キャンピングカーを止めた場所から15分ほど渓流沿いに歩くと広場があり、そこにテントを張った。

テントを張る作業のほとんどは倉上父がやってくれて、俺たちは手伝うだけだった。

 

「よしっ。いいぞ。そっちの骨格を抑えて。じっとそのまま押さえててね」

 

倉上父の的確な指示に従い、お手伝いをする。

 

「君、飲み込みが早いな。才能があるぞ」

 

褒められて悪い気はしなかった。

 

「藤本君、すごいね。僕はその、ちょっとどんくさいから」

 

米田がおずおずとつぶやく。

 

「しょうがないな。ほら、そこを持ち上げるんだよ。いくぞっ。いっせーの!」

「せーの!」

「やった! ポールが上がった!」

「ちゃんと僕たちだけでできた! 藤本君が教えてくれたおかげだよ」

「へへへ」

 

俺と米田はハイタッチ。

なんだ、こいつ素直でいいやつじゃないか。

気が合うかもしれないな。

 

テントを作った後は、雪村と倉上も交えて、4人でバトミントンをして遊んだ。

あっという間に時間が過ぎていく。

夕暮れになると、みんなでバーベキュー。

そういうのができるように、道具一式を森林管理組合が貸し出してくれているらしい。

俺は、焼き立ての牛肉が刺さった串を片手に、それにむしゃぶりつく。

う、美味い!

地球人、こんなの食ってるのか。

なんて羨ましいんだろう。

と、ふと、隣で同じように牛串をほおばっている雪村と目があった。

雪村は、食べていうところを見られたのが恥ずかしかったのか、顔を真っ赤にして俯いてしまった。

そんな様子がたまらなくかわいいと思った。

バーベキューの火が、雪村の白い肌をうっすらと赤くしている。

その色彩はどこか艶めかしさまで感じさせる。

俺も頬が赤くなっていた。

俺もなんだか恥ずかしくなって、視線をそらせるために空を見上げた。

 

「わ、ぁ…………」

 

空には。

降ってきそうなぐらいの星空があった。

宝石箱をひっくり返したような空だ。

俺は吸い込まれそうな想いで、それをじっと見つめた。

俺がいた星は、あれらのうちのどこだろうか。

俺は、あの星からこうして遠く離れ、全く違う社会を今、享受している。

頭がくらくらした。

気が遠くなりそうだった。

俺は流れている。

流れている。

遠い星から星へ流れて生きている。

根のない草みたいなものだ。

俺はいったい今、どこにいるんだろう。

ここもまた、流れていく通過地点でしかないのか?

俺は、あとどのくらいこの星にいられる?

俺の義務は、あとどのくらい残っている?

俺はまだ、この星にいられるだろうか。

流れ星が一つ流れた瞬間、俺の頬を一筋の涙が毀れた。

 

「感傷」

 

俺はつぶやいた。

この感情は、俺が前回の義務で訪れた星で摂取した感情だ。

そんな俺を、倉上がじっと心配そうに見ていた。

視線に気づいた俺は、頬をぬぐってなんでもない顔をした。

 

「ねぇ、いま……」

「なんでもないよ」

 

俺は制するように言う。

 

「そっか」

 

倉上が目を伏せた。

 

「なんかさ。前から思ってたんだけど。藤本君って、別の星にいるみたい」

「え?」

「比喩だよ。でもね、不思議な人。ここにいてここにいないみたいなんだもん。だから、気になったのかも」

 

その時、別のテントの一団が、歌を歌いだした。

どこか懐かしい雰囲気の曲だ。

 

「おっ。『山男の歌』だな」

 

倉上父が嬉しそうに言った。

そして、彼もまた歌を口ずさむ。

やがて歌は波及し、大合唱になった。

 

 

そのあとで、渓流のわきにある大きな温泉施設に行った。

男女が別に分かれていた。

俺は、雪村と一緒に入りたかったが、この星の倫理観ではそれは許されないことだった。

仕方なく、米田と倉上父と一緒に、熱い湯につかった。

体の疲れが溶けていくかのようだった。

風呂をあがると、雪村と倉上はまだ上がっていないようだった。

 

「女の子はお風呂が長いから」

 

と、倉上父が苦笑し、俺と米田にアイスをおごってくれた。

抹茶アイスと書かれたその凍ったクリームは美味しかった。

しみじみと、食べ終えたアイスの殻を見つめていると、耳元で騒々しい声がいた。

 

「あぁ~! 藤本君、アイス食べてる! いいなぁ!」

 

倉上だった。

 

「ねぇねぇ、お父さん、私にも買ってよ~」

 

そして即座に父親におねだりする。

俺は思わず苦笑した。

見事おねだりに成功してアイスを咥えた倉上が、俺の隣に座った。

 

「ね、どうどう?」

「え、なにが?」

「いやいや、その反応はどうなのよ。女の子のお風呂上りだよ?」

「お風呂上り……」

 

俺は倉上を、まじまじと見つめる。

ん。

んん?

何か、普段と違うかも……。

まず、髪がしっとりと濡れている。

そしていつものツインテールをほどき、さらっと髪をおろしている。

肌が……熱のせいか、ほんのりと上気して、生々しい。

そしてどこか、こう、表情も。

気怠さと快楽がおし混ぜられたような、不思議な感じがして……。

って、何を考えているんだ。

俺は、自分の感情を打ち消すようにそっけなく言った。

 

「水分は、ちゃんと拭け」

「ちぇーっ。なんだよそれ!」

 

舌を出して倉上が行ってしまった。

しかし、風呂上がりってのはあんなに凄いのか。

倉上ですら、ああなのだ。

雪村は……。

俺は雪村を視線で追った。

いた!!

雪村!!

窓際に立って、夜風に吹かれている。

と、俺は、同じように雪村を熱く見つめる視線に気づく。

それは、米田だった。

 

「なぁ、米田」

「へ? な、なに?」

 

俺が声をかけると、米田が飛び上がりそうなぐらいに動揺した声を上げた。

 

「お前、今、雪村のこと見てた?」

「あ、いや、その」

「俺も見てたから。正直に言ってみな」

「……ぼ、僕も、見てた」

「そっか」

 

米田の表情から、簡単に彼の感情が読み取れた。

俺も、地球人の表情に詳しくなったものだ。

だがまぁ、雪村は俺のものだがな。

今日まで築きあげてきたものが簡単に奪われるはずがない。

 

 

やがて真夜中になり、俺たちはテント中で眠った。

風呂のように男女別かと思ったがそんなことはなかった。

大人が倉上父一人しかいない以上、バラバラになると安全確認ができないからだろうか。

雪村と同じテントで眠ることには、胸の高鳴りを覚えたが、位置的には米田と倉上父に挟まれて眠ることに。

これではあまり雪村を感じようがない。

しょうがないなと思ううちに眠りに落ちた。

 

 

……。

…………。

………………。

………………きて。

………………おきて。

 

「!!?」

 

か細い声に目が覚めた。

夢うつつで、雪村の声を聴いたのかと思った。

覚醒しきらないぼんやりとした頭が、愛しい人の声をとらえようとする。

雪村……。

俺を、呼んでいるのか?

 

………………おきて。

 

俺は、うっすらと目を開けて、耳を澄ました。

 

………………起きて、米田くん。

え?

米田?

なんだ、それ。

え?

どういう?

 

え?

 

それから、カサコソという音が聞こえ、テントの幕が開いた音がした。

おいおい、どういうことだよ。

俺は起き上がった。

だが、その瞬間。

小さな手に、腕をつかまれた。

振り向くと、倉上が俺の腕をつかんでいた。

 

「しーっ」

 

どういうことだ。

 

「あおいの、一世一代の大事な時なんだから。邪魔しちゃダメ」

「え?」

「だから、その。わかるでしょ。見てたんなら」

「いや、意味が」

「あおいの少女マンガ、読んだんじゃないの?」

「え?」

「だから、その。つまり、告白」

「え??」

 

俺は茫然とした。

頭が真っ白になった。

頭の中の電気信号が乱れ、狂い、ぐちゃぐちゃになった。

地球人の姿さえ崩れるかと思った。

告白?

雪村が?

誰に?

俺はテント内を見回す。

そこにいないのは、米田だけだ。

 

「あ、あのさ。ほら、これって。ダブルデートみたいな感じなんだ。あおい、前から米田君が好きで。遠くから見てるだけだったんだけど。勇気出そうかなって」

「え、あ、いや……」

 

言葉が、破裂する。

俺は口をパクパクとあける。

なんだ、なんだ、この感情。

 

「そ、それでさ。その。私も、好きな奴がいて。いっせーので、告白しよっかって。その、もうわかってると思うんけどさ、私、君のことが……」

 

俺の脳内に、これまでに体験したことのない感情があふれ出した。

脳が強烈な電気を発し、爆発する、爆発する。

倉上が何か言っているが、もう耳に入らなかった。

俺は呆然としながらテントを這いずり出た。

外は予想よりも明るかった。

真夜中だが、星の光があったからだ。

先ほどと同じ、降り注ぐような星空が俺の眼前に広がった。

それは美しかった。

息を呑むほど美しかった。

その最高に美しい星空の下に、雪村と米田が立っていた。

互いに見つめあい、頬を赤く染めていた。

終わったのだ。

俺にとってのすべてが。

もう成し遂げられてしまったのだ。

その事は見ればわかった。

雪村は米田に告白し、米田はそれを受け容れた。

この美しい星空の下で。

このとき、俺の頭の中で何かが切れた。

千切れたと表現したほうが正しいかもしれない。

これまで体験したことのない、異常なほどに肥大した未知の感情が、俺の中に溢れかえり、洪水になった。

抑え切れずに決壊した感情の河川は、俺を浸食し、俺を狂わせ、俺を突き動かした。

俺はゆっくりと立ち上がった。

足取りはしっかりしていた。

俺は、一歩一歩を踏みにじるように、雪村と米田に近づいた。

俺の背後で倉上が何か叫んでいたが、聴こえなかった。

俺が近づくと、雪村と米田がはっとして振り向いた。

 

「あ。や、やだっ」

 

顔を赤らめ、雪村が呟いた。

 

「み、見てたの? 藤本君。は、恥ずかしいよ。あ、そ、それより、ひなた。そっちはうまくいった?」

 

照れ隠しのように俺の背後にいる倉上に問いかける。

倉上はどんな表情をしたのだろう。

少なくとも、良い表情ではなかったのだろう。

雪村が言った。

 

「あ、あれ? ひなた、告白は成功したんだよね? も、もしかして、ダメだったの?」

 

その言葉を言い終わるか否か。

俺は、雪村の心に介入した。

俺たちのような高等生物にとって、人間の心への介入は造作もないことだった。

俺の脳が特殊な電気信号を発し、雪村の脳へと浸透する。

俺は。

雪村の、米田への思いや記憶を力任せに塗りつぶした。

でたらめな乱数を脳に書き込んでいく。

そうやって。

あの憎い男の記憶を、黒く塗りつぶす!

頭をかかえて、雪村がしゃがみこんだ。

苦しそうなうめき声を上げる。

俺は次に、米田を睨んだ。

 

「ひっ」

 

米田が涙眼で俺を見た。

だが俺は許しはしなかった。

できるだけ、深く。

米田の脳に入り込み、彼の記憶を塗りつぶす。

雪村への感情、先ほど起こってしまった出来事。

すべて、すべてを。

彼の脳を介在して、雪村の告白の声が聞こえてきた。

その言葉を聞いたとき、俺は嗚咽した。

激しく、激しく嗚咽しながら、その記憶を幾度も乱数で書き換えた。

 

「藤本、くん……」

 

震える声に後ろを振り向くと、倉上がいた。

 

「何が、起こったの? どうしてあおい、こんなに苦しそうなの?」

 

俺は無言で倉上の脳にも介在する。

おおよそ、今あったことの記憶を上塗りしようとしたとき。

ひとつの感情が俺を刺した。

それは、恋の情だった。

誰への?

俺、への。

俺は歯軋りした。

それが暖かかったからだ。

その温かみに触れないように、倉上の記憶を壊した。

 

 

3人の記憶を破壊すると、俺の脳内に、例の電気信号がやってきた。

母星からだった。

俺はため息をついた。

完全なる、失敗だ。

俺は対象の少女と恋仲になれず、それどころか未知の感情に身を任せ、現地人の脳に介在した。

処罰ものだ。

抹消、されてしまうだろう。

 

「やぁ。お疲れ様」

 

電気信号がそう言った。

 

「本当に、疲れました。もうめちゃくちゃだ。俺はおしまいです」

「そんなことはない。君は今回も、見事に義務を成し遂げた」

「え?」

 

それは予想外の言葉だった。

成し遂げた?

 

「君には黙っていたのだが。君が今回摂取する感情が『初恋』だというのは嘘だ」

「ど、どういうことですか?」

「実際には、固体F7771号によって、すでに『初恋』のデータは2519時間前に摂取済みだ」

「な、なぜそのような嘘を」

「今回、君が摂取するべき感情は『悔しさ』だった。それゆえに、愛しいと思った人物に裏切られる体験が必要だった」

「そんな、それでは、俺は」

「見事に、恋心を裏切られた少年を体験してくれたよ。おめでとう。君には報酬として、3000時間の休息と、勲章が与えられる。速やかに帰還せよ」

 

 

※※※※※※※※

 

 

私の名前は、倉上ひなた。

飯能第一小学校の4年生だ。

この夏、おかしな体験をした。

父に引率されて、学校の友達と5人でキャンプに行ったはずなんだけど、途中から記憶がない。

それどころか、実際には4人しかいなかったし、私は朝、草むらで寝ていたらしい。

一緒にいた友人のあおいも、近くの草むらで倒れていた。

彼女は、足を骨折していた。

目撃者によると、うめき声を上げて頭を押さえて転がり、激しく石で足を殴打したらしい。

しかし彼女の記憶は混乱していた。

自分はジャングルジムに登って落ちて骨折したのだと思い込んでいた。

もう一人の男の子、米田君に関しては。

あおいの存在そのものを忘れ去っていた。

確か、米田君は。

あおいのことが好きだったはずなんだけど。

そしてあおいも。

米田君のことが好きだったはずなんだけど。

お見舞いに行ったときに問いかけたら、あおいは私に言った。

 

「米田君? 誰だっけ。それ」

 

 

それからしばらくして、私は転校した。

親が、飯能にいることを気味悪がったのだ。

表向きは仕事の都合だというが、そんなものは建前だった。

私は、車に乗り、流れていく飯能の景色を見つめながら思った。

私の心にも、ぽっかりと空いた穴がある。

何かを忘れている。

何か、大切な感情を、忘れ去っている。

 

 

ある時ふと、夜明けの朦朧とした薄明の時間に目が覚めて、ぼんやりと思い出したことがある。

好きだった男の子のこと。

その子は転校生だった。

好きになったきっかけはとても些細だ。

どこか朴訥として世間知らずっぽかったり、周りの男の子たちとは少し雰囲気が違っていたり。

そんな程度のこと。

授業中に話しかけて先生に怒られたりした。

でも、そんな些細なきっかけが積み重なって。

人は他人を、どうしようもなく好きになっていくのだ。

でもどうして、その子のこと、忘れちゃったんだろう。

よく、わからない。

思い出せない。

そんなことを考えながら再び眠り、朝目覚めると、ほとんどもうその男の子のことは、かすんでしまっていた。

 

 

5年が過ぎた。

高校入学を期に、飯能に戻ることができた。

ようやく父の中で、あの奇妙な出来事の記憶が風化したらしかった。

私はあおいと再会し、もう一度、友達になることができた。

ある日、学校の廊下で米田君とすれ違った。

彼は小学生の頃よりもずっと大人びて、すらりとした好青年になっていた。

彼女とか、いてもおかしくなさそうだ。

そのことを考えたとき、ちくりと、何かが私の胸を刺した。

失ってしまったこと。

掛け違ってしまったボタン。

もう取り返せないこと。

それが何なのかわからない。

私の、心の。

ぽっかりと空いた穴に関係しているのかもしれない。

ほとんど消えかかっている、私の好きだった男の子の記憶とも。

そう考えると切なくなった。

好きな人のことを忘れてしまうのはつらい。

あおいには、米田君のこと、忘れないでいて欲しい。

だってまだ、名前ははっきりとそこに残っているのだから。

そう思った日以来、私は時々。

あおいに、米田君の話をする。

あんなに好きだと言っていたあおいが、彼のことを忘れてしまわぬよう。

ボタンを掛け違えたあの日を、なかったことにしてしまわぬよう。

 

≪あおいさ、小学生のとき。米田君のこと好きだったじゃん≫

 

冗談めかしてその言葉を、反復するのだ。

 

 

 

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