格子戸の先にあるのは、どう見ても闘技場である。巨大で勇壮で、帝国の闘技場よりも多くの死を積み上げたであろう歴史ある戦場。
生きて帰れるとは、とても思えない。
「やっちまったんかなぁ」
後悔を含めて、グリンガムは普段の口調で苦悩を吐く。
途中までは順調だった。見たこともない美術品のような金貨に、大ぶりの宝石。しっかりと鑑定したならば、所持しているモノよりも有用かもしれない
『一生遊んで暮らせるかもしれない』と、そんな考えが浮かんだ直後、待っていたのは転移罠だった。
いや、罠にかかったことが問題なのではない。罠が転移だったことに問題があるのだ。
集団転移なんて神話の世界の戯言――であるはずなのに、いともたやすく目の前に現れ、活用され、その威力をまざまざと見せつけてきた。
手も足も出ない。
今や闘技場へ駆り出される見世物だ。
恐らく、そんな我らを観覧席から見下ろすのは、転移を使える化け物のような存在なのだろう。格子戸を掴む手が震えて仕方がない。
「どうするよ? 抜け出せそうな穴なんかどこにもないぜ」
「
「……うそだ。転移なんか……できるわけがない。俺たち全員を……、絶対無理なはずなんだっ」
「落ち着けよ。俺たちはまだ生きている、そうだろ?」
“ヘビーマッシャー”のメンバーは歴戦の強者たちだ。苦境を乗り越えたことも一度や二度ではない。だからこそ帝国でも名の通った
絶望するには早過ぎる。
「ふはははは!」グリンガムは己の鎧をガツンと叩き、笑い声に気迫をのせる。「面白い! 我らを闘技場の見世物とするなら、ああ、思い知らせてやろうではないか! ヘビーマッシャーの実力をなっ!」
カラ元気なのは解っている。口調も営業用で、リーダーとしての面目を保とうとしているのは承知の上だ。
だからこそ、メンバーたちも己を鼓舞して立ち上がるしかない。
それしか生き残る道は無いのだから。
「いくぞぉ!!」
「「おう!!」」
覚悟の雄叫びと同時に、格子戸が引き上がっていく。
まるで監視していたの如きタイミングだが、転移を使える者がいるのであれば不思議なことではないのだろう。
それでも、観覧席にいる大量の
『さぁさぁ、入ってまいりました~。最初の挑戦者たちで~す。彼らは魔王様の試練に打ち勝ち、“勇者”の称号を得られるのでしょうか~』
観覧席最前列の更に前にある小さな出っ張りに軽々と身を置いているのは、可愛らしくも美しい――快活そうな
手にした小さな棒に当てた声が闘技場全体に響き渡っていることからすると、
「魔王? それに勇者……だと?」
遺跡の奥に引き籠っている何者かが、魔王を始めとする強者の名を利用するのは珍しいことではない。人間や竜王の間でも、己の実力を知らしめるために『派手な二つ名』を用いる傾向にある。
とはいえ、さすがに“魔王”はやりすぎだ。
自己顕示欲が強いにもほどがある。
『侵入者を試すのは~』気分よく言葉を紡ぐ
呼びかけに応じ、“ヘビーマッシャー”の前に現れたるは伝説の獣。
巨大な丸っこい身体に太い四足、そして長い尻尾。全身を覆う毛皮は白銀の輝きを放っており、容易く刃が通るとは思えない。
グリンガムは下っ腹に気合を込めて、威厳ある瞳でこちらを見つめてくる魔獣に対し、一歩を踏み出す。
「ここが正念場だ! あれほどの大魔獣を、何者かが制御できているとは思えん! つまりこの場は、墳墓から遠く離れた魔獣の隔離施設に違いない! ならば我らが成すべきは一つ! 魔獣を倒し、この闘技場から脱出するぞ!!」
「「おお!!」」
転移の御業には驚かされる。
墳墓の中から別天地へ飛ばされるなんて、長い
目の前の大魔獣は、確かに恐るべき強敵であろう。チームで戦っても苦戦は免れない。それでも勝ちさえすれば、後は非戦闘員と思しき
「魔王を名乗る墳墓の主もどこからか見ているのだろうが、『残念だったな』と言ってやるぞ! 遠く離れた墳墓の奥で、地団駄でも踏んでいるがいい! ニセ魔王がっ!」
「――おい、そこのカブトムシ。いま、なんて言った!?」
一閃。
見えない何かがヘビーマッシャーを襲い、胴の部分で人体を上下に斬り分ける。武器も鎧も関係なく、綺麗な切断面を晒しながら上半身が崩れ、下半身が潰れる。
『べちょ』と汚らしい音と共に血溜りが姿を現し、闘技場の一角を真っ赤な血で染めていた。
「あっ、しまった! 殺しちゃった……。あの、申し訳ありません、モモンガ様」
「ふふ、謝罪の必要はないぞ」鞭片手に縮こまる
「はい! ありがとうございます!」
「まぁ、レア魔獣との戦いは見てみたかったが……」モモンガは視線をおとし、森林偵察時のアウラによって捕縛された一体限定のレア個体――ハムスケを見つめる。
「ひぃぃぃぃぃ、
当初は毛皮を剥ぐために捕らえられた魔獣である。
それが一体しか存在していないレアであると判明し、大魔王モモンガのコレクションに加えられることとなった。
“ハムスケ”という、“悟”のセンスでは決して出てこないであろう素晴らしい名前と共に。
「ワーカーは他にも居るから安心しろ、と言いたいところだが、あと二チームか……」
魔法の鏡に映る侵入者は、
モモンガの目には、どちらが勇者チームとして相応しいのかは判らない。奴隷を連れているからといって否定するのは早計だし、少女を仲間としているからといって実力を軽んじるのは良くない。
それに実力や経験なら、後からいくらでも詰め込めるだろう。
必要なのは勇者としての資質なのだ。大魔王の居城に攻め込んだ以上、その資質を示してもらわなければならない。
「では次だが、このままハムスケをぶつけるか、別の駒をぶつけるか……」
「モモンガ様! わた、わらわのペットを使ってくんなまし! 調教はバッチリでありんす!」
「御待チクダサイ、モモンガ様。私ガオ預カリシテイル、例ノ戦士長トヤラガ適任カト。武技ノ応酬ヲゴ覧クダサイ」
今回勇者選定の駒として用意されたのは、アウラのハムスケ、シャルティアのペット、そしてコキュートスに預けられていた武技使いたちであった。無論、スレイン法国の神人らは相手の資質を見る前に殺しかねないので却下だが、他の人員はそれなりにイイ勝負をしそうなので期待が持てる。
周辺国家最強と言われている男と同様、ハムスケと共に捕らえられた刀使いも、今回の
「そう、だな。次はコキュートスの駒にしよう。シャルティアのペットは最後だ。――よし。アルベドよ、次の勇者候補を誘導しろ」
「はっ、かしこまりました、モモンガ様(私も……旦那様との駒を育てたい)」
複数の思考を同時進行できるアルベドが何を考えているのかは不明ながらも、その指示は的確かつ迅速だ。
左程待つことなく何者かの気配が闘技場に現れ、引き上がる格子戸の向こうから四人組が姿を見せる。
「(では見物させてもらうとしよう。皆、余計な注意を引かぬようアイテムを使って姿を消せ)」
「(はっ)」
勇者候補には、試練に全神経を向けてもらう必要がある。委縮して実力を発揮できない、というのは困るのだ。
故に
その場に居てよいのは、幼さから警戒心を持たせないであろう
脆弱な勇者に配慮するにしても、限度があるのだ。
「なんですかここは?」まるで見世物のように誘導されている、という不快感を隠すこともなく、エルヤーは閉鎖された広場に足を踏み入れ、傍にいた
「ひっ、あ、あの、闘技場ではないかと」
「そんなこと見れば判ります。聞いているのはどこの闘技場か、ですよ。役立たずめ!」もう一度殴りつけ、今度は後ろにいた
「も、もうしわけありません。私では、手に負えません」
「このっ、何のための魔法だ! クズが!」理解できない状況へのいら立ちを奴隷にぶつけ、エルヤーは少しだけ冷静さを取り戻す。外の新鮮な空気を深く吸い込み、ゆっくりと吐き、周囲を見回しては、闘技場の観覧席を埋める
『はいはーい! では次の挑戦者で~す。奴隷を連れているという勇者っぽくない剣士ですが、はたして勝利を掴むことは出来るのでしょうか?』元気の良い
「最強……だと?」
訳の分からないことばかりだが、エルヤーには一言だけ理解できていた。
それに前から歩いてくる人間の外見が、伝え聞いていた“ある人物”とそっくりだったことに、身が震えるほど歓喜してしまったのだ。
「ガアアァァァゼフゥ!! 王国戦士長ガゼフ! くはははは、信じられませんね、貴方とこんなところで会い見えるとはっ! 私はなんと運がいい! くだらんトラップで外に放り出されたかと思ったら、最強の称号が目の前だ!」
「……どなたか存じ得ぬが、先に謝罪しておこう。私は貴方を殺さねばならない。指示に従わねば王国民に被害が及ぶのだ。申し訳ない」
だがそんな都合などエルヤーには関係ない。
最強の称号が目の前にあるという事実。それだけで刀を振るう理由になる。
「その首、いただきます!」
「こいっ!」
瞬時に間合いを詰めるエルヤーに、人外の動きで相手の死角に移動するガゼフ。
勢い余って突っ込むのかと思ったエルヤーが瞬時に姿勢を戻すと、斬りかかったガゼフが咄嗟に飛び退き、自身に飛んできた放出系の武技を長剣で弾く。
「噂程ではありませんね!」
「そちらは見事な腕だと思うぞ」
「ほざけっ!」上から目線で褒めてきたガゼフに再度〈空斬〉を飛ばし、間合いを離すと、エルヤーは習得していた中でも最強の武技を発動させる。
「〈能力向上〉、〈能力超向上〉!」
「ほう」
超級の剣士であることの証明となる〈能力超向上〉は、一瞬にして一段上の能力を持ち得る破格の武技だ。
肉体が人間の領域を超えて強化され、
少なくともエルヤーはそう確信していた。
「ははっ、噂の五宝物を装備していないのは残念ですよ。私が譲り受けるつもりだったのに」
「いや、そちらからは安物の長剣と革鎧にしか見えないと思うが……。あぁ、うん、教える必要はないか」
勝利宣言のエルヤーへ何か言いたそうなガゼフであったが、何を言っても無駄だと悟ったのであろう。両手で長剣を握りしめ、静かに武技を使う。
「〈能力向上〉、〈能力超向上〉」
「ぃな、なにっ?」人が異形の猛獣となったような、そんな身体の奥が縮こまる錯覚を受けて、エルヤーは二歩下がる。
奇妙な声が出たのは、戦士長が自分と同じ武技を使用したからではない。ガゼフなら使えて当たり前であり、驚くようなことではない。
ならば何故か?
答えは変化だ。
己が使用した武技の能力向上率と、ガゼフの場合と。あまりに違う、あまりに強大だ。同じ武技とはとても思えない。
「ふざけるな! なにか魔法による強化を行ったな! 卑怯者め!」
「ふざけてなどいない、地力の差だ。私は戦争時や
「なめやがってぇ! 奴隷ども! 強化だ、強化魔法をよこせ! ありったけだ!!」
「…………」エルヤーの声に応じた
「こ、このっ! 殺されたいのか!」
「……構いません、殺してください。あの御方の前で惨めな姿を晒している私たちを、どうか……殺してください」
奴隷三人の意見を代表しているのか、神官の
その声には、ほんの少しだけ喜びが含まれていた。
「な、なんだと?! なん――」
「ワーカーよ、それぐらいにしておけ。戦う相手を間違えるな!」
「ぐっ!」恐ろしく速いガゼフの一撃を受け止めたものの、衝撃で身体が浮いてしまう。咄嗟に〈即応反射〉〈流水加速〉〈回避〉を連続起動させるが、空中では思ったように動けず、一瞬の遅れがエルヤーの脳裏に死を連想させる。
「終わりだ!」
「がああああ!!」腕と肩を間に差し込み、骨と肉をもって剣の軌道をずらす。ぶちぶちと嫌な音が己の身体から聴こえてくるが、脳天を突き刺す痛みで何もかもが上書きされる。
「まだだぁ! 天才の私が負けるものかぁ!!」
叫ぶ、声が出る、ならばまだ戦える。
エルヤーはグチャグチャになっているであろう左半身へ視線を動かすことなく、ガゼフを睨む。
「たいしたものだ――と言いたいところだが、自分の頭がどうなっているか分からないのか? いや、それでよく話せるものだと思ってな」
「っ? らりろにっへふるるろれひは?」声に出してから気付く。何かおかしい。エルヤーは意味不明な言葉を発している己に戸惑い、次いで右目が見えなくなっていることに今更ながら困惑していた。
「はへ? ほへ?」
「悪いが人間の肉体程度で、この剣の軌道は変えられんよ。奇跡的に出来たとしても、ごく僅かだろう」ガゼフは名も知らぬ
「……」ゴスっと地面に重量物が叩きつけられ、血生臭い何かが撒き散らされる。それは人間であったのだろう。左半身が潰され、頭部も三分の一程度が斬り飛ばされている。
ガゼフはしばし目を閉じて黙祷すると、出てきた通路へ足を向けた。
戦士長の戦いは終わっていない。これから先も、同じような殺し合いが続くのだろう。だがそれでも退く訳にはいかない。王国民を護るため、立場が変わっても剣を振るい、一歩を踏み出すのだ。
先は見えない。未来は無い。あるのは魔王との約束だけ。
――『勇者となり我を倒せ、出来なければ世界は滅亡する』――
一方的で実現不可能な言い草だ。
かすり傷一つ付けられない相手に、なにを成せというのか?
ちらりと地に伏した
あれが未来の自分なのだろう――ガゼフはそう呟くと、
◆
『さあ、最後の挑戦者はコイツらだぁ!』可愛らしい掛け声に導かれ、四人の
「はっ? 勇者の試練だって?」
観覧席の最前面でがおーっと両手を上げている
度肝を抜く転移罠から闘技場への通路。
格子戸が開く先に見えたのは、幻影かと思えるくらいの膨大な
加えて勇者だの魔王だのと言われてしまえば、“フォーサイト”のリーダーとしてどのように行動すればよいのか判断がつかない。
「ダークエルフの闘技場なのか? あの墳墓とどんな関係が……っておい、イミーナ! しっかりしろ!」
「ああ、あぁぁ、そんな、うそでしょ?!」
「ちっ、精神攻撃か? ロバー!」
「はい、まかせてくだ――」神官のロバーデイクが
「――イミーナ、無事でよかった。……あのダークエルフ、魔力の反応は無い。高い位置からの攻撃魔法は警戒しなくていいと思う。でも、他に遠距離攻撃の手段を持っている可能性はある」
最後尾にいた小柄な
相手が幼い子供であったとしても、闘技場に引き出された身としては当然の反応であったのかもしれない。
『準備はいいかなぁ~? 試練の相手は、変態吸血鬼がいろいろ弄っていた人間のペットだ~! こんな雑魚程度で苦戦していたら、いつになっても勇者になれないぞ~! 頑張ってね~! ――誰が変態でありんすか?!』
最後に余計な文句が追加されたように思うが、ヘッケランに気を回す余裕はなかった。正面の格子戸がせり上がり、中から『試練の相手』とやらが出てきたからだ。
人間――そのように
それなのに、歩いてきた若い女には長くて細い尻尾があった。耳も四つあった。全身は毛皮ではなく、小麦色の綺麗な肌を下着同然の真っ赤な部分鎧で局部を覆っているだけであり、人間なのか獣人なのか判別がつかない。
「私は――『この世で最も美しい吸血鬼』であり『神をも超える美の結晶、至高の存在にして絶対支配者、世界を統べる大魔王様の正妃』でもある“シャルティアお姉さま”の忠実にして卑しいペット、エンリです。どうぞよろしくお願いします」
「え? あ、ああ」
用意していた前口上を正確に述べることが出来てほっとしたかのような半裸の少女に、ヘッケランは武器を構えながらも困惑してしまう。
どうにも普通の村娘と対峙しているかのような空気感だ。頭部には何も被っていないので、人の良さそうな少女の瞳がこちらを見つめ、双剣をよりいっそう重くさせる。
だが油断はできない。新鮮な血流を浴びているかのような下着風部分鎧に、血に塗れたかのごとき片手剣が命の危機を伝えてくるのだ。
では敵と認定してよいのか?
いや、武装して立ちはだかっているのだから敵には違いないのだろう。問題なのはそれが自分の意思なのかどうか。強制されて戦いに身を投じているのかどうかなのである。