骸骨魔王のちょこっとした蹂躙   作:コトリュウ

26 / 52
第26話 「敗戦魔王」

 おかしな話だと感じていた。

『評議国との重要な交渉を任された』と聞いた時には「流石はレエブン侯」と誇らしく思ったものだが、『長期に渡るため家族も連れていく』とは不自然であろう。

 そもそも評議国と王国には国交自体が無い。

 故に、要人に何かあった場合の取り決めも無いのだ。

 そんな場所に、己の命よりも大事な家族を連れていくなど正気とは思えない。評議員である竜王を怒らせたら、王国貴族のレエブン侯とて無事には済まないはずなのに。

 

「後のことは任せる……だって?」

 

 レエブン侯には恩がある。

 平民である己に軍師の地位まで与えてくださったのだ。命を投げ出しても御役に立とう、という忠誠心ぐらいは持っているつもりである。

 だが、そう……、なにかおかしい。

 

「ザナック王子の開戦宣言が通知される直前に出国なんて、どう考えても変だ。王国軍をレエブン侯以外の誰が指揮するというのだ。今度こそ帝国に腹を食い破られるぞ。危機を救ってくれるはずの戦士長は、もういないのだから」

 

 戦争の準備はかなり前から始めている。

 収穫時期を狙って戦争を仕掛けて来る帝国軍に対し、収穫時期の異なる農産物の作付けを推奨し、被害を抑えようと知恵を絞ってきた。

 以前の民兵も、農業専従、半農半兵、専業兵士の三種に分類し、戦争が始まったとしても農地を維持する最低限の人員だけは確保できるように、領地法の改正から始めていたのだ。

 中でも専業兵士の育成は順調だ。

 引退した冒険者を指導者として雇い、帝国騎士にも負けない――数は少ないが――特殊部隊の完成だって目前である。

 王国では下に見られている魔法詠唱者(マジック・キャスター)の部隊も創設した。帝国のフールーダが戦場に出てきた場合に、率先して邪魔をするためだ。

 これまでの戦争において、かの大魔法詠唱者(マジック・キャスター)が力を揮った実績はない。しかしそれは、王国に戦争準備をさせ、農作物収穫の人出を失わせることが主眼であったからに過ぎない。本気でエ・ランテルを――王国を落とす気でいるのなら、“三重魔法詠唱者(トライアッド)”フールーダ・パラダインとの対決は避けられないのだ。

 無論、その優秀な部下たちとも……。

 

「レエブン候はいない。開戦宣言は急過ぎる。時間がないから近くの防衛拠点へ集まれ、とはいったい何の冗談だ? 糧食を確保するだけでも、どれだけの時間がかかると思っているんだ。これだから命令しかできない王族って輩は……」

 

 頭をガリガリ掻き毟って偉いヤツらの悪口を大声でほざきたいところではあったが、今はもう村の畑で泥まみれになっている汚い下民ではない。

 エ・レエブルの全軍に命令を下せる立場なのだ。

 余計な軽口を叩いていては全軍の指揮に関わる。ただでさえ『若すぎる』と、苦言を呈されているのだから。

 

「さて、これから忙しく――」

「ぐ、軍師殿! たいへんです!!」

 

 身体をほぐそうと背伸びしたところで、顔なじみの側近兵士が飛び込んできた。

 どうやら開戦宣言が真実であると理解したのであろう。気持ちは解らないでもないが、毎年恒例なのだからそんなに騒がなくともよいと思う。

 

(ああ、王都では多数殺害されたって話だし、その中に知り合いでも居たのかな?)

 

 王都で化け物が暴れたという話は、開戦宣言より早く伝わってきている。

 商人や情報屋が仕事熱心だからなのだろうが、銀貨と引き換えに零してくれた噂話には驚嘆しきりであった。

 いわく、王位継承権第一位“バルブロ”王子死亡。

 いわく、アダマンタイト級冒険者チーム“朱の雫”全滅。

 いわく、巨大犯罪組織“八本指”、活動を停止し地下へ潜る。

 

 なんだそれ? と言いたくなる。

 ああ、そうそう、ふざけるな! とも言いたくなる。

 加えて、王都の諜報員から受け取った〈伝言(メッセージ)〉と内容が酷似しているのだから笑いたくもなろう。

 今は裏をとっているところだが、あまり期待はできない――というか期待したくない。

 頭を痛めるのは戦争の件だけで十分だ。

 

「それで? なにが大変なんですか?」

 

「はっ。たった今、王女殿下の御勅命“エ・ランテル偵察”――を見事に果たし、帰還途中であった魔法詠唱者(マジック・キャスター)殿を保護いたしました。当人は軍師殿に事情報告を行った後、すぐに王女殿下の元へ向かうと申しております!」

 

「えっ? 偵察? エ・ランテルに? ん?」

 

 なにを言っているのかと首を傾げたくなるも、直後に入ってきた魔法詠唱者(マジック・キャスター)の疲労困憊ぶり、そしてこの世の終わりを見てきたであろう恐怖に染まった瞳には、何も言えず固まるしかなかった。

 

「無礼は謝罪する」

 

 無駄なことも余計なことも口にしたくないとばかりに、中年の魔法詠唱者(マジック・キャスター)は余人を排し、『王女殿下からの御言葉』とやらを並べはじめる。

 

 王国へ攻め込んでくるのは魔王軍。

 きわめて危険な化け物集団である。

 レエブン候は評議国へ赴き、救援を要請している。

 評議国の説得には時間がかかる。

 なんとかして敵勢力を押し留めておく必要がある。

 

「は? まおう、ぐん?」物語の外で耳にするとなんとも陳腐な名称だ。基本的には負けるために登場するやられ役なので、絶望感などとは無縁である。

 

「事実です。私はこの眼ではっきりと、アンデッドや悪魔の軍勢を見てきました。エ・ランテルの痕跡が僅かに残る廃墟で整列する化け物たち……。あれこそまさに魔王軍」

 

 見開いた瞳に宿る恐怖が言葉に説得力を持たせる。

 どうやら、とんでもなく異常な軍隊が攻めてくることだけは間違いないようだ。

 

「いやしかし、そう、その目で見てきた貴方の言い分は解りますが、王女殿下は何故、そう何故、魔王軍の存在を認識しているのです? まるで手も足も出ない相手と理解しているような……」

 

 魔王軍などと言われても、納得できる者は少なかろう。帝国が邪法を用いて特設のアンデッド軍を送り出してきた、と考える方が自然だ。

 

「城では死の騎士(デス・キャバリエ)なる先触れ一体に、百名近い守備兵が殺されました。耳にしているでしょうが、王子やアダマンタイト級冒険者の件も事実です。王女殿下は全てを把握した上で貴方に要請しているのです――時間稼ぎをっ」

 

 時間を稼ぐ。

 言葉で語るだけなら誰でも出来るだろうが……。どんな相手に、どれほどの時間を稼げばイイのか?

『魔王軍の実力も分からないのに、なんて無茶なことを』と王女殿下の無茶ぶりに愚痴を吐きたくなるも、続いて耳にした決意にはハッとさせられる。

 

「お伝えしておきますが、ラナー様は死を覚悟していらっしゃいます。私がエ・ランテル偵察へ出向く際も、『死ぬかもしれない任務ですが、もしものときはあちら側で会いましょう。私も王国の無事を見届けた後で責任をとるつもりですから』と仰っていました。震える両手で、私のような者の手を握りながら」

 

 大粒の涙を拭うこともせず、魔法詠唱者(マジック・キャスター)は若き軍師の瞳を見つめる。

 覚悟を決めた者の視線だ。おそらく最後の最後まで、王女殿下のために戦うのだろう。

 こんな人材が王国にいたのか、と皮肉の一つでも言いたくなる。

 

「……王女殿下の御覚悟、しかと受け取りました」こうなれば腹をくくるしかない――と若き軍師は魔王軍との全面対決を受諾する。

「貴方には〈飛行(フライ)〉を行使できる魔法部隊の者をお付けします。王都まではまだ遠い。

浮遊板(フライングボード)〉に乗せてお運びしますので、暫し身体を休めてください」

 

「貴重な戦力を……、もうしわけない」

 

 王女殿下の元へ報告に赴くには疲れすぎている――魔法詠唱者(マジック・キャスター)を部下へ託し、軍師は頭を切り替える。

 戦争は避けられない事実である。

 そして相手は魔王軍。帝国ではなく、人類国家が勝てないであろう人外勢力。故に目標は時間稼ぎ。評議国との交渉をレエブン候が纏め上げ、救援軍を送り込んでくれるまでの時間稼ぎだ。

 

「問題なのは魔王軍の戦力想定だが、魔神の一体が軍を引き連れてくる――といった感じで大丈夫だろうか? まぁそれ以上の想定なんか、思い浮かびもしないのだけど……」

 

 人が想像できる凶悪な敵などには限度がある。

 物語にしろ空想にしろ、己の知識を超えた化け物などは姿形すら描き出すことはできないのだ。だから魔神を引き合いに出す。あれ以上の恐るべき存在など、それこそ神話の領域になってしまうだろうから。

 もっとも、魔神だって御伽噺にしか存在しないのだが……。

 

「くっそ! 十三英雄でも居てくれたら、って弱音を吐いている場合じゃないな。レエブン候が戻ってくるまで、なんとしてもエ・レエブルを護りきらないとっ」

 

 若き軍師は居もしない救世主などには頼らず、手持ちの札を確認する。

 まず民兵は役に立たないだろう。城の守備兵が鎧袖一触だというのなら、農民に毛の生えた程度の兵士なんか路端の羽虫同然だ。待っているのは無駄死にに違いない。

 ならば最低でも騎士、そして冒険者、請負人(ワーカー)たちを使うべきだ。領地にある魔法具(マジック・アイテム)もかき集めて、使い切るつもりでぶちまけよう。

 後はそう、思い切った罠が必要だ。

 

 机の上に広がる地図を見やり、エ・レエブルとその南方に存在する小都市を確認する。

 エ・ランテルからエ・レエブルへ赴く途中で立ち寄ることになる休憩地点。エ・ランテルが占領された場合に第二の前哨基地となる城塞都市。

 今では結構な数の避難民が集まってパニック状態であろうが、魔王軍を迎え撃つには悪くない拠点である。

 

「レエブン候、あとで怒らないでくださいよ!」

 

 方針が決まれば後は突き進むだけだ。

 若き軍師はレエブン公の全権委任状を片手に、副領主を含む全要人が集まっている会議室へと殴り込むのであった。

 

 

 ◆

 

 

 王国を蹂躙していた魔王軍の第一陣は大きく三つに分けられ、南方からゆっくりと北上していた。

 王国の東側、エ・レエブルからは南方となる城塞都市へ迫ってきていた二千五百の化け物たちは、その一角である。

 前面に骸骨(スケルトン)動死体(ゾンビ)が並び、中ごろには骨の竜(スケリトル・ドラゴン)や下位の悪魔たち、そして後方には小部隊長兼連絡役の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)数体と総指揮官の鱗の悪魔(スケイル・デーモン)などが姿を見せていた。

 

「ようやくまともな都市攻略ですな。カラの村々を漁る作業はもうお仕舞のようです」一体の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が都市の防壁上に集まる兵士を眺め、ポツリと呟く。

 

「にに、人間どもを狩るのはは、コキュートス様にぃ授けられたた、大事な任務だ。おお、お仕舞にぃする必要などなない」任務に不満を漏らしたと捉えたのか? 鱗の悪魔(スケイル・デーモン)は流暢とは言えない言葉を繋げ、傍らの死者の大魔法使い(エルダーリッチ)を睨む。

 

「これはっ、申し訳ありません。都市であろうと村であろうと、人間どもを殲滅することに変わりはありません。全力で取り組む所存であります」

 

「ああ、そ、それでイイ」

 

 アンデッドである死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の顔色など分かる訳もないが、顔に張り付いている人だった頃の顔肉に冷や汗が流れているような気がしなくもない。

 頭を下げる部下を一瞥した鱗の悪魔(スケイル・デーモン)は、重量感のある鋼鉄製の戦鎚をズシンと地面へ落とし、遠くにある都市の様子を見やる。

 

「なな、なんだ? おかしい、ぞ?」

 

 多くの避難民が目指していた小都市だ。

 近隣の村や町とは異なり、エ・ランテルを突破してきた敵戦力との防衛戦を想定した頑強な造りの城塞都市だ。

 この地が突破されたなら次はエ・レエブル。

 戦争被害など受けたことのない平和な大都市が射程圏内だ。

 それなのに――

 

「にに逃げていく、だと?」

 

 見れば、防壁の上に集まっていた兵士たちが都市の奥へと走っていく。武器を放りだし、鎧を脱ぎ捨て、何やら大声を上げながら脱兎のごとくだ。

 まだ一当たりもしていないのに、遠くに魔王軍の影を確認した途端、憐れなほどの逃げっぷりである。

 これには、派手な戦いを期待していた鱗の悪魔(スケイル・デーモン)も呆れてしまう。

 

「なん、なんということだ。中央や西方では、てて敵軍と切り結んでいるというのに、われ、我らには活躍の場も与えられなないと?」

 

 エ・ペスペルでは早々に全面対決が始まっていた。

 押し寄せるアンデッドや悪魔の軍勢相手に、人間どもが数万の手勢で必死に抵抗していたのだ。膨大な死体を積み上げながら、自分たちはいったい何と戦っているのだろうと頭を混乱させながら……。

 西方のリ・ロペルでも戦端が開かれたという。あちらでは都市内に籠らず、平原にて軍を展開し魔王軍を迎え撃ったらしい。

 その後の詳細についてはまだ報告を受け取ってはいないが、緊急通知がないことからして、想像を超えてはいないのだろう。

 だがこちらでは――、

 そう、こちらでは何もない。

 進路を遮る都市の防壁は無人のままで魔王軍を迎え、何十万もの市民が暮らして居たであろう街並みは、静かにアンデッドの侵略を受け入れる。

 異常な光景だ。

 周辺の町や村から集っていた避難民はどこへ行ったのか?

 都市を護るはずの兵士たちは何をやっているのか?

 魔王軍の第一陣には、人間でも対抗できるであろう骸骨(スケルトン)動死体(ゾンビ)も多いのだ。無抵抗で逃げ出すなんて、戦略上でもおかしいと言わざるを得ない。

 

「余程慌てて逃げ出したのでしょうなぁ。いや、もしかすると暴動でも起きたのやもしれません。建物の破損や散乱した瓦礫……。酷いものです。人間どもも我らと戦うどころではなかった――といった感じでしょうか?」

 

「かか、かまわぬ。ここに居ないなら、つ次だ」

 

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が語るように潰れた建造物が道を塞ぐぐらい酷い有様ではあるが、標的は街ではなく人だ。探し出して殺し、次へ向かってまた殺す。流石に王都まで追い詰めれば逃げる場所もないだろう。そこでなら存分に戦えるはずだ。

 

「では、すす進め」

 

 鱗の悪魔(スケイル・デーモン)の指示が各部隊の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)に伝達され、魔王軍第一陣二千五百は都市の中をゆっくりと進む。

 逃げ隠れている人間を探しながらの緩やかな歩みだ。

 途中、瓦礫で通れない場所も多いが、よじ登ったり別の道を探したりしながら、着実に進む。

 だがやはり、人間はいなかった。

 

「人間どもは己の街を破壊して、いったい何をしたいのでしょう? 理解できませんな。――ん? なにやら開けた場所が……。これは、広場でしょうか?」

 

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が瓦礫を避けて進んだ先には、不自然なぐらいに開けた空間が広がっていた。普通に考えれば噴水などが設置された住人たちの憩いの場なのであろうが、それにしては都市のど真ん中で、魔王軍第一陣数千を収容できるぐらいに広いのはおかしい。

 よく見たところ、元々あった建物を破壊して場を広げたのでは? との考えが頭に浮かぶ。周辺には建築物の残骸が散らばっており、百足状の骸骨(スケルトン・センチュピート)集合する死体の巨人(ネクロスォーム・ジャイアント)に踏み荒らされている。異臭を放つ液体も辺りに撒き散らされており、余程の混乱がこの都市にあったのではないかと想像してしまう。

 

「建物を壊し、残骸を脇へ寄せて積み上げるとは、我ら魔王軍の駐屯場所でも用意するつもりなのでしょうか? まったく人間どものやることは――」ふと魔王軍の大多数が入り込んでいる広場へ足を踏み入れて、パチャッと打ち叩いた汚水溜りを見る。

 強い臭いだ。

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)はアンデッドであっても嗅覚――ただの外部情報であって好みや嫌悪はない――を持つ。だから汚水の匂いを、人であった頃の記憶とすり合わせることもできるのだ。

 その結果、一つの危険を察知する。

 

「これはっ、油? 何か混ぜてあるが樹脂油の類か? いやまて、何故こんな場所に油溜りが……」視線を這わせてみれば、そこかしこに樹脂油が撒かれている。

 一見、建物が破壊された時に洩れ出たのではないかとも思えたが、それにしては多量に過ぎる。こんなところで発火でもしたら、建物の瓦礫を巻き込んで大火事になり得――。

 

「まさか?! 〈生命感知(ディテクト・ライフ)〉!」

 

 嫌な予感とは大抵の場合で当たるものだ。

 生きる者の気配を探知する魔法を唱えた死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は、広場の外、積み上げた瓦礫の山向こうに、無数の生命を感じ取っていた。

 

「しまった! これは罠だっ!!」

「――ちっ、バレたぞ!」

「隠密解除! 火矢を射掛けろ!!」

「油壺投下! 魔法部隊は飛行タイプの悪魔を狙え!」

「通路の瓦礫を崩せ! 埋めて潰すんだ!!」

「神官たちは死霊(レイス)に向かえ! 骨の竜(スケリトル・ドラゴン)は俺たちに任せろ!!」

「よっしゃあぁあ!! やっとこの死臭くさい外套を脱げるぜ! 野郎ども! 稼ぎ時だぞ!!」

「「「おおおおおおぉぉーー!!!」」」

 

 瓦礫の上に人間どもの姿が見えたのは一瞬だ。直後、身を焼く炎の渦に巻き込まれて視界すら確保できなくなる。

 これは、マズい。

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は率直に危機を悟る。

 広すぎる広場に入った――いや、誘い込まれたのは魔王軍の大部分だ。それも大半が火属性を弱点とするアンデッド。一部の悪魔なら耐性を持っている者もいないではないが、これほどの大火では相応の痛手を受けよう。

 しかも上をとられて弓矢、投石、魔法の嵐だ。先程まで近くにいたはずの鱗の悪魔(スケイル・デーモン)の姿も見えない。

 こうなると、頭に浮かぶのは一時退却であろう。普通であれば。

 そう――まともな頭で考えれば、一斉に退却し、都市の外へ出て軍を再編成。その後、援軍を待つなり、都市への再攻略を行うなり判断すればいいのだ。

 だがしかし、魔王軍に退却はない。後ろに引くなんて考えはない。大魔王モモンガ様に付き従う(しもべ)として、そんな不敬な考えは一切持ち得ていないのだ。

 

『魔王軍に軍を下げるという考えは存在しないのかも?』

 

 魔王軍の情報――渡河ですら斜め後方の橋まで下がらず、そのまま渡ったなど――を分析していた人間の軍師が、罠を用意するに当ってたどり着いた結論だ。

 故に、逃げようと思えば簡単に逃げられる引込罠を用意した。都市の大部分を焼き払う覚悟で、撤退したと見せかけて、住人を強引に避難させて……。

 おかげで魔王軍は炎の広場から逃げない。むしろ突っ込んでくる。問題なのは空を飛んでくる悪魔か、強力な個体ぐらいだ。

 

「にに人間どもがぁーー!!」

「大物だぞっ、指揮官クラスに違いない! 重装歩兵、前へ!」

「支援魔法をかけろ!」

「他の悪魔を近づけさせるなっ!」

 

 巨大な戦鎚で瓦礫を崩す鱗の悪魔(スケイル・デーモン)の前に、重厚な大盾を構える騎士らしき者たちが立ちはだかる。

 全身鎧を着込んだ騎士の体格は、一般人が見上げるほどであろうに、鱗の悪魔(スケイル・デーモン)の殺気を纏った瞳はそのさらに上だ。完全に別の生命体であることが、見た目からも判ろう。振り回す戦鎚を受け止めるなど不可能としか思えない。

 

「がああぁぁああ!!」

「ここで止める! 〈要塞〉!」三人がかりで戦鎚の軌道を塞ぎ、武技を発動させる。

 鋼鉄をぶち叩く轟音が響き、何かを吐き出す騎士の呻き声が残響として軍師の耳に入る。

 

「今だっ! 仕留めろぉ!!」

 

 一撃を止められた鱗の悪魔(スケイル・デーモン)が殺気を感じて視界を上げたその時、己を囲んでいる魔法詠唱者(マジック・キャスター)たち、そして弓やクロスボウを向けてくる射撃部隊が目に入ってきた。

『なんだこれは?』戦略や戦術にそれほど精通していない悪魔でも、己が踏み込んだ場所を中心として部隊が配置されていればおかしいと感じる。それはまるで、最初からその場所に敵が突っ込んでくると解っていたかのようだ。

 そう、狙って誘導されたかのように……。

 

「そそんな――」疑問を口にする前に、悪魔の全身は“魔法の矢(マジック・アロー)”と“魔法付与(エンチャント)された矢”で埋め尽くされた。

 目や口にも見境なく鏃が突き立てられ、経験したことのない痛みと出血が不慣れな恐怖を誘う。この世に召喚されてから初となる惨劇を受け、己が悲鳴を上げていることすら自覚できない。

 

「ぶざまな、〈火球(ファイヤーボール)〉」

「なにっ?!」

 

 やった――と思った瞬間、悪魔の巨体が炎で包まれる。

 味方の魔法ではない。

 若き軍師は警戒しながら魔法の射出元へ眼を向け、一体のアンデッド、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)を睨む。

 

「お仲間を殺すとは、穏やかではありませんね」

 

「愚か、人間などに止めを刺されるという愚行を未然に防いでやったのだ。感謝される覚えしかないな」

 

 瓦礫に囲まれた炎の海にありて、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は悠然と佇む。

 ダメージを受けていないわけではない。魔法や弓矢、投石による追撃でも無視できない痛手を被っているはずだ。

 まぁ、つまりはやせ我慢。

 アンデッドに可能かと問われると、実際にやっているのだから事実なのだろうとしか言えないが、僅かな生き残りの一体である死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は、最後の最後まで人間どもを撃ち滅ぼすべく気勢を上げる。

 

「我をそこらの死者の大魔法使い(エルダーリッチ)と一緒にするなよ! 我が名はルクル! 御方に直接召喚して頂いた特別製だ!!」

 

 確かに普通とは違うのだろう。

 能力も迫力も、すでに倒されている死者の大魔法使い(エルダーリッチ)とは一線を画しているようだ――が。

 

「ふはははは! そうか、貴方は特別なのか! ならば逃げはしまいな!」

 

「逃げるだと?! 逃げ隠れしているのは貴様らだろうが、人間!」

 

 鱗の悪魔(スケイル・デーモン)を仕留めた部隊は再び身を隠し、射線上にはいない。広場を攻撃している他の部隊も、瓦礫に身を隠しながらであるので、一度に殲滅とは難しいだろう。

 勘に頼りながら〈魔法の矢(マジック・アロー)〉で駆除するにしても、朽ちかけた我が身の方が先に駄目になる。かといって、いやがらせ気味に飛んでくる投石を躱し続けながらこの場に留まるのも無理があろう。

 それに眼下は火の海なのだ。〈飛行(フライ)〉が切れたら、そこで終わる。

 

「我に撤退はない! 御方の名に懸けて人間などに敗れるわけにはいかんのだっ! 

火球(ファイヤーボール)〉!」

「ぉうっ!」声を頼りに打ち出された炎の球が、誰かの頭をかすめて後方の家屋へぶち当たる。

 

「火が好きなのだろう? ならば貴様らごと、この都市を炎で滅してくれる! 〈火球(ファイヤーボール)〉」

「ふざけるな! 誰が好き好んで自分の街を燃やすものかっ!」

 

 都市を半分以上火の海と化して、魔王軍を壊滅させる。

 はっきり言って〈飛行(フライ)〉などの魔法で飛ばれたら、もしくは転進して一目散に逃げられたら目も当てられない事態になりそうな愚策ではあるが、当の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が向かってくることからも分かるように、魔王軍に関しては有効なのだ。

 御方とやらを信奉するが故に、盲目的なまでに前へ進む。

 だからこそ、待ち伏せしているだけで獲物は罠にかかる。

 

「人間ごときがっ! 穴倉から引っ張りだしてやろうぞ! 〈雷撃(ライトニング)〉!」

 

 瓦礫の壁で〈火球(ファイヤーボール)〉を防ぐも、熱風と多少の火傷はどうにもならない。それでも命はあるのだから感謝しなければならないが、隙間の目立つ即席の壁では、貫通特性を持つ〈雷撃(ライトニング)〉を防ぐことなど無理だろう。

 

「ぐがああああぁぁ!!」

 

「ふははは、これで指揮官の一人は黒焦げだ! 残りも同じように――ん?」己の戦果を確認しようと瓦礫の奥へ身を乗り出しても、そこに死体らしい死体は無かった。

「そんな馬鹿なっ、声は確かにここから」

 

 反論も怒鳴り声も悲鳴も、確かに同じ場所から聞こえていた。だからこそ集中的に攻撃していたのだ。

 それなのに――、顔を上げた死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の周りには、神官らしき伏兵が魔法発動寸前の状態で現れる。

 

『ははっ、待ち伏せは楽でイイな』

「なっ?」

 

 何もない空間から声が響いて、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)はようやく気づく。

 離れた場所に音を出す下級魔法。

 俗に“遣い魔の悪戯”と呼ばれる、攪乱用の魔法。

 ソレに誘き出されたのだ、ということを。

 

「邪悪なる存在よ、滅するがいい! 〈聖なる光線(ホーリーレイ)〉!!」

「おごおおおおおぉおおぉぉ!!」

 

 エ・レエブルの信仰系魔法詠唱者(マジック・キャスター)トップスリーが放つ聖なる光の前に、手傷を負っていたアンデッドは抗う術を持たない。しかも弱点である神聖属性だ。まるで粥飯をすくうかのように、そこかしこが抉れてゆく。

 

 削られた骨の土台が他を支えきれずに崩壊し、残っていた半分だけの頭蓋骨が転がる。

 なにか言いたそうにカタカタともがくものの、呟いた最後の言葉は誰の耳にも届かなかった。

 

「よぉし! 最後の一体を仕留めたぞ! 我らの勝利だぁ!!」

 

 進むことしか頭になかった二千五百にも及ぶ化け物の残骸を見下ろし、若き軍師は勝鬨を上げる。

 選抜されたエ・レエブルの精鋭たちは騎士や冒険者、請負人(ワーカー)の区別なく、肩を抱き合って己が歴史の中に名を刻んだのだと吠えたくる。

 魔王軍撃退。

 人の身では不可能な偉業であろう。

 かの十三英雄ですら拍手喝さいを送ってくれるに違いない。

 

 それほどまでに素晴らしき勝利なのだ。

 人間が能力の限界まで力を振り絞れば、ギリギリ打ち勝てる――そんなか弱き(しもべ)たちで構成された第一陣であるのだから。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。