骸骨魔王のちょこっとした蹂躙   作:コトリュウ

29 / 52
第29話 「埴輪魔王」

 

「ソウカ、ソレガ竜王ト呼バレル者ノ首ダト……」

 

 広い天幕、戦場の喧騒など皆無。そんな所在不明な魔王軍本陣にて、巨体の蟲王は頷く。

 

「亜人を尋問シましタとこロ、評議国なル国家を支配スる五体の内ノ一体であルとか。確かニその場かラ逃げ去っタ竜のなカに、リーダー格と思わレる巨大な竜ガ四体ほドおりまシた」

 

「フム……」

 

 魔王軍総大将コキュートスの視線の先には、赤い竜の――あまりに巨大な首が転がっていた。

 首の切断面は綺麗なものであり、炎で焼かれたためか血流が零れ落ちて赤い池を作るなんてことはない。事情を知らない者が一見すれば、『怒り狂うドラゴン』とでも命名された迫力があり過ぎる竜首の剥製かと思ってしまいそうだ。

 

「実力ノホドハドウダ?」

 

「はっ、流石ハ竜種とデも言うべキか、第二陣の手勢デは太刀打ち出来ナいかト。亜人の部隊ハ脆弱なノで無視できマしょうガ、上空かラ襲いかカってくル竜の吐息(ドラゴンブレス)の前ニは本陣ノ側近とテ無傷でハいられなイでしょウ。もちロん正面かラ対峙するノであレば、我一人でモ問題はないカと思われマす」

 

 残りの竜王は四体、付き従う最高位の年齢段階(エインシャント)級は十六体。しかし、本陣の上位モンスターならば一体で対処できる。

 そんな報告を聴きながら、コキュートスは『ドウスルベキカ?』と思案に暮れる。

 

 評議国の参戦は想定していなかった。

 本陣の上位勢は隠れ潜んでいるであろうプレイヤーに対しての戦力であり、王国などは第二陣までの中位モンスターで滅ぼせると判断していたのだ。

 それが、竜王の乱入によって本陣の手勢を動かす必要性が出てきた。

 中位モンスターでは歯が立たない評議国の竜王たち。特に脅威でもないのだが、討ち取るなら側近を各所に配置せねばならない。空を追いかけても長時間、超高速、高機動の竜を捕らえられるとは思えないからだ。

 配下の中には、空中戦を得意とする者も居るには居る。だが、狭い範囲での短時間機動が主流なのだ。速度で劣るとは思えないものの、追いかけっこの耐久戦では逃げられよう。

 相手は赤鱗の竜王が討ち取られたことを知っているはずだ。ならば尚更、正面切っての対決は避けるに違いない。

 だから各所に側近を配置し、待ち伏せするべきであろうと思うのだが……。

 

「……戦力ガ分散シタトコロヲ、“プレイヤー”ニ襲ワレルノダケハ避ケナケレバ」

 

 グムムと唸り、コキュートスは広げられた地図を睨む。そしていつもの癖であるかのように一人の友の顔を思い浮かべ、即座に消す。

 

(『誰ノ手モ借リズニ』トノ仰セナノダ。自分デ考エナケレバ……。ソレニ第一陣ト第二陣ノ手勢ニ関シテハ『全テ失ッテモ咎メハナイ』トノ御慈悲モ頂イテイルノダカラ、コレ以上ハ過分。ナントシテモ、モモンガ様ニ大勝利ヲ――)

 

「コキュートス様!!」

 

 天幕内へ滑り込んできた一体の骸骨、簡素ながらも膨大な魔力が練り込まれているであろう最上級のローブを着込んだ“死の支配者(オーバーロード)”は、いつのも職場では出せないような大声で危機を知らせる。

 

「コッケイウス殿? ドウシタノダ?」

 

「火急にて失礼! リ・ロベル及びエ・ペスペルに攻め込んでいた第一陣が、ドラゴン部隊の強襲を受けました! 戦線が崩壊するほどの打撃を受けた模様です! またリ・ロベルの後詰に動いていた第二陣の元にもドラゴンが出現したとのことですが、こちらは様子見らしく、すぐに姿を消したそうです」

 

 本陣で各部隊からの報告をまとめていたのは大図書館の司書、コッケイウスである。

 図書館で働くには過剰な戦力であるため、何かにつけモモンガが各地へ送り出している“死の支配者”(オーバーロード)の一体であり、それが今回はたまたまコキュートスのお手伝いであった、という訳だ。

 

「ヌゥ、早速動キ出シタノカ。シカモ同時多発的ナ襲撃トハ……」

 

 思っていた以上の動きである――とコキュートスには感心しかない。

 竜王の一体が討ち取られたにも拘らず、即座に分散して各地へ攻撃を仕掛けるとは、相手の覚悟を見誤ったと言うべきであろう。

 評議国へ逃げ戻るかもしれない、と想像した己の考えを叱りつけたい気分である。

 

「コキュートス様、如何なサいますカ? 今かラ戦場へ駆けツけたトとしても、竜ドもは姿をクらましタ後でしょウが……」

 

「ソナタノ報告ニアッタ白イ竜ノ動キカラシテ、戦場ニ長居スルツモリハナイノダロウ。ダトスルナラ、ソノ思惑以上ノ速サデ現地ヘ到達スルシカナイ」

 

 分散した竜部隊を仕留めるのなら、本陣の側近を数名送り込めば済む話ではある。ところが相手は空を駆ける竜だ。逃げに徹されてしまえば追いかけるのも難しい。相手方もそれはよく解っていて攻撃を仕掛けているのだろう。ならば竜どもが『まだ来ないから大丈夫』と安心している間に戦場へ飛び込めば、問題は解決する。

 

「相手ハコチラノ戦力ヲ把握シテイナイ。ドンナ魔法ヲ使エルノカモ知ラナイハズダ。故ニ油断ガアロウ。……コッケイウス殿、〈転移門(ゲート)〉ノ使用ヲ要請スルガ、構ワヌカ?」

 

「コキュートス様。私は今、貴方様の配下なのですから要請などと仰らないでください。存分に御命令をっ」

 

 攻撃的な魔法ならコキュートスを始め、多くの側近が習得している。だが補助となると限られてしまう。ましてやそれが距離無制限、成功率100%の転移魔法となると、本陣内ではコッケイウスだけだ。

 しかし一人で十分だろう。

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)からの〈伝言(メッセージ)〉で竜部隊の再襲撃通報を受けた瞬間、〈転移門(ゲート)〉を発動させて壊滅部隊を送り込めばよいだけなのだ。たいした手間ではない。

 

「襲撃報告ガアリ次第、ソノ一箇所ヘ〈転移門(ゲート)〉ヲ展開。側近五体ヲ送リ込ム。他ハ気ニシナクトモヨイ。順番ニ殺シテイケバヨイノダ」

 

 コキュートスは目の前で跪く一本角を見つめる。

 

「送リ込ム五体ノ指揮ハオ主ガ執レ。手酷クヤラレタ第二陣ノ意趣返シダ。評議国ヘ逃ゲ戻ル前ニ皆殺シニスルトシヨウ」

 

「ハっ! モモンガ様の軍へ手ヲ出しタことヲ思い知ラせてやリましょウ!!」

 

 立派な黒き一本角に気を漲らせて、カブトムシの如き(しもべ)は竜王たちの撃滅を宣言する。もはや王国だとか評議国だとかは関係ない。魔王軍の前に立ちはだかっただけで、その手勢に手を出しただけで刑の執行は確定なのだ。

 あとは時間の問題であろう。

 

 

 だけれども……。

 竜王の奇襲部隊が〈転移門(ゲート)〉で駆けつけた殲滅部隊に掴まることは一度もなかった。

 

 

 魔王軍第一陣と第二陣に対する散発的な奇襲。

 時に浅く、時に深く。

 遠目で警戒するだけのときもあれば、上空からの高速落下で竜の吐息(ドラゴン・ブレス)を叩きつけてくる場合もあり、一時も気が抜けない。

 加えて逃走は異常なまでの速さだ。

 一撃離脱を絵に描いたような見事とも言える逃げっぷりであり、最強の生命体である竜種の行動と考えると何かおかしく思える疾風逃走。

 まるで――、そうまるで〈転移門(ゲート)〉のタイミングを知っているかのような……。

 それに、あらかじめ部隊の中に本陣の手練れを潜ませて待ち伏せをした場合では、まったく誘いに乗ってこなかったのだ。

 

 こうなると一つの疑問が湧いてくる。

『竜王たちは魔王軍の情報を得ているのではないか?』と。

 

「……ウムム、思ッテイタ以上ニ手強イ」

 

 コキュートスは少し唸って、手元の地図を覗き込む。

 リ・ロペロとエ・ペスペルでは戦況が逆転してしまった。魔王軍第一陣は竜王らの奇襲によって半壊し、人間どもの軍に押し込まれている。現在は小部隊を複数作って竜の吐息(ドラゴンブレス)による一網打尽を防ぎつつ、人間の軍に纏わりついているだけだ。

 第二陣は東方の部隊以外は健在なので、再編成して各都市への後詰として動いている。もっとも、竜王らの奇襲を警戒しているので動きは鈍い。

 基幹都市への接触が出来ているのはエ・レエブルぐらいであろう。

 

「竜王タチハ第二陣ガ都市ノ中ヘ入ルノヲ待ッテイルノカ? 逃ゲニクイ都市ノ中ヘ誘イ込ミ、人間モロトモ竜ノ吐息(ドラゴンブレス)デ滅ボソウト? ムゥゥ」

 

 竜王らが王国の人間を助けにきたわけでないのは証明されていた。なにせ人間の兵士とアンデッドを大勢纏めて氷漬けにしたのだから……。

 王国民は唖然としたことだろう。

 救世主だと歓声を上げた次の瞬間、命すらも凍りつく竜の吐息(ドラゴンブレス)の餌食にされたのだ。どこかの魔王様が喜びそうな光景である。

 

「誘イニ乗ッテミルベキカ……」

 

 第二陣を竜王たちが奇襲しやすい都市の中へ入り込ませる、と同時に全方位を監視。本陣の部隊は即座に転移可能な体制で待機させておく。そして竜部隊が現れた瞬間、〈転移門(ゲート)〉を使って襲撃だ。

 もっとも、こちらの情報は知られているらしいので、容易く引っかかるとは思えないのだが。

 コキュートスは控えていた命令伝達役に指示を飛ばす。

 

「エ・ペスペルニ第二陣四百名ヲ突撃サセヨ。第一陣ハ撃チ漏ラシノ掃討ヘ。監視員ハ都市ノ周辺ヲ警戒。ドラゴン部隊ノ姿ガ見エタラ――、コッケイウス殿、頼ムゾ」

 

「はい、お任せを」

 

 エ・ペスペルに狙いを定め、待ち伏せ計画を始動させる。ただ、本陣の側近を一人も配置しないのは悪手だろうか? 襲いやすいよう中位の(しもべ)だけにしたのは相手にバレるだろうか?

 色々と不安は募るが、いつまでも侵略を停滞させている訳にもいかない。ここは状況をかき回す一手が必要な時であろう。

 

「竜王ドモメ、イツマデモ好キ勝手ニハサセンゾ」

 

 

 

 魔王軍と評議国の竜部隊。両者の決戦が迫る中、蚊帳の外となっていた王国の出血は見るも無残な有様であった。

 戦場は化け物どもの博覧会。

 逃げることは叶わず、先程まで声を掛け合っていた仲間が血塗れの顔を向けてきたかと思えば、食らいついてくる。

 死因すら解らない場合も多い。何故吹き飛んだのだと、何故人形のように崩れたのだと、逃げ方すら不明だ。

 おまけに何体もの(ドラゴン)が空から襲いかかってくるという。

 いったいどうしろというのだ!?

 骸骨(スケルトン)も人間も、(ドラゴン)にとっては似たようなモノなのか?

 

 ふと、狂いかけた視線を空から地上へ戻す。地面から伝わる微かな振動に、吐き気を覚えては口を押さえる。

『う、動き出したぞ』

 誰かが零した言葉に「ひひっ」と反応してしまう。とうとうこの日が来たのかと少しだけ嬉しくなったのだ。

 武器は持たない、無駄だから。防具もつけない、役に立たないから。もちろん、指揮官の命令なんかも聴くわけがない。指示に従っても従わなくとも、どうせ死ぬのだから。

 地面に腰を下ろし、戦士風の黒いアンデッドを眺める。

『ああ、あの剣なら楽にしねるかなぁ』

 一人呟き、ニヤニヤする。何のために戦っていたのかは忘れた。生きて帰りたいという希望は、とっくの昔に消し飛んでいた。

 今はもう楽になりたいとの想いだけだ。

 

「オオオァァァアアアアアァアアーー!!」

 

 息が詰まりそうなほどの殺気に満ちた咆哮――。

 エ・ペスペルはこの日、兵士と避難民、そして都市の居住者を合わせて百万超えの死者を出した。

 もちろん生き残りはいない。

 

 

 ◆

 

 

 王城の中庭は意外と広い。

 いざという時に兵士の駐留場所にでもするつもりなのか、草花を育てるだけにしてはあまりに広いモノであった。

 だから竜王たちもゆったりと休憩できるのだ。

 認識阻害の魔法をかけながら……。

 

「やはり国へ戻るべきじゃった。赤鱗の無念を晴らすなどと、熱くなるべきではなかったのう」

「この前の襲撃はギリギリでしたよ。まるで待ち伏せでもしていたかのような対応の速さです」

「くそっ、我が一族の英雄がまた殺された! これで二人目だぞ! どうなっている?!」

 

 魔王軍から身を隠すための安全な避難所として、竜王たちが選んだのは人間で溢れかえっている王都、その王城内であった。

 いざとなれば人間を盾や囮として逃げることもできるので、緊急時も安心である。

 

「はぁ、なにをいまさら弱気なことを……。生物の頂点に立つ竜王様の発言とは思えませんわね」

 

 少し離れた場所から、白鱗の竜が残念そうに呟く。

 

「お主……」灰色髭を揺らし、八欲王とも対峙したことのある老齢の竜王は口調を強める。

「挑発などくだらんな。儂は帰国するぞ。魔王軍の相手は、評議国全軍でなければ務まるまい。このまま奇襲を続けていては無駄死にに終わろう」

 

「同感です」緑鱗の竜王は疲労を滲ませて項垂れる。

「本当であれば、同胞の死を知った時点で帰還すべきだったとは思いますけどね」

 

「ふん、このまま敗走するなど業腹だがな」一枚一枚がアダマンタイトの強度を超えるであろう――青鱗を神経質に磨きながら、怒りが収まってない竜王は、白き仲間を睨みつつ疑念を漏らす。

「……おかしいと思わんか?」

 

「ぅん? なにがじゃ?」

 

 不穏な空気に、他の(ドラゴン)たちの視線が集まる。

 

「白鱗のヤツは魔王軍との戦いに乗り気ではなかったくせに、この地での奇襲を続けたがっている。赤鱗のヤツが倒されても、我の配下が殺されても……。まぁ、開戦に積極的であった我が言うのもおかしな話だが」

 

「言われてみればそうかもしれませんけど、今となってはどうでもイイでしょう? どっちにしても評議国としての参戦はここまでです。後は国へ帰って、防衛戦の準備に取り掛かるとしましょう」

 

 そう語ると緑鱗の竜王は身を起こし、翼を軽く上下させる。

 飛び立つ前の準備体操みたいなものであろう。主の行動を見つめていた配下の竜や亜人たちも、帰還へ向けて動き出していた。

 

「はぁ、思想誘導もこの辺りが限界のようですねぇ」

 

「むっ?」

「え?」

「なん、だ?」

 

 竜王たちの視線が集まる先――白き鱗が美しい竜王の頭上にて、人間らしき体格の、黄色い衣装をまとった何者かが現れる。まるで転移の魔法でも使ったかのような、または最初からその場に居たかのような登場の仕方だ。

 三体の竜王や配下のドラゴンたち、そして歴戦の亜人たちは、場違いすぎる奇妙な存在を見つめることしかできない。

 

「洗脳してもよかったのですが、操り人形だと対応力に差がでますからねぇ。ですがもう構わないでしょう。“タブラ”の仕掛けはここまで、次は“ぷにっと萌え”のタネで御相手しますよ。ちょうど脳内に根を張った頃合いでしょうから」

 

「お、お主は、いったい?!」

 

 穴が開いているだけの簡素な顔を覗き見て、灰色髭の竜王は後ずさる。同時にいつでも竜の吐息(ドラゴン・ブレス)で攻撃できるよう準備を始めるが、何故か『その者へ危害を加えることはできない』と自制してしまう。

 

「な、なんじゃ? これは?」己の意思が別の何かに制御されているかのような不安感に、老齢の竜王は無意識に仲間を見る。

「お、お主ら、どうしたんじゃ!? 儂らの姿を見られたぞっ、殺さねば!」

 

「な、なにを言っているのです? 御主人様を前に……」

「殺すなどと、わ、我らの主に対して、ふ、不敬な……」

 

 うつろな瞳を見当違いの方向へ向け、二体の竜王は危機感無く語る。突然現れた黄色い服を着込んだ人型の異形に警戒する素振りもない。

 足場にされている白鱗の竜王も、召使のごとく控えたままだ。

 

「おや? 根の張り具合が一体だけ遅いようですね。流石は竜王と褒め称えるべきでしょうか? とはいえ、予定がありますのでさっさと支配させていただきますよ」

 

 頭の中に埋め込んだ種を発芽させ、根によって脳を制圧する。これは魔法による支配より非常に強力であり、解除するのは不可能に近い。

 種を埋め込む手間や根を張る時間などの問題点はあるものの、現時点では最強の支配手法といえるだろう。“タブラ”と“ぷにっと萌え”両者の特性を操れる、ただ一人にしかできない荒業だ。

 ただもちろん、脳の無いアンデッドには一切意味を持たない。

 

「では全部隊でもってエ・ペスペルへ突撃しますよ。あそこは今、コキュートス殿が罠を張っています。ですので竜王が勢ぞろいしていると知れば、ここぞとばかりに本陣の強者たちを大勢送り込んでくれることでしょう」

 

 言葉を区切り、白い竜王の頭の上でくるりと回転すると、埴輪顔の男性らしき人物はばざりとマントを翻す。

 

「しかぁし! 手勢を送り込んできた時こそが好機! 逆に私が本陣への〈転移門(ゲート)〉を開きぃ、竜王四体を送り込むのですっ! コキュートス殿は本陣の場所を知られていないと油断しているでしょうが、あまぁいあまいぃ! 赤鱗の首をぉ持ち込んだ時点で、マーカーの設置は完了してぇいるのですよっ!」

 

 直接的な関与は禁じられているが、駒を支配する程度は大丈夫だろう、〈転移門(ゲート)〉で送り出すぐらいは問題ないだろう。

 だから埴輪顔は、黒い穴でしかない口元をニヤリと崩す。

 

「かすり傷一つ。竜王四体でコキュートス殿の不意を突き、傷一つ。今回の勝利条件はそのようなものですかねぇ。ふふふ、本陣で指揮をとっている蟲王殿は、どのような顔で驚いてくれるのでしょう?」

 

 コキュートス陣営は、竜王側が〈転移門(ゲート)〉のような高度な魔法を使えるとは思っていまい。自陣の場所が漏れていることにも気付いてはいないだろう。

 エ・ペスペルに竜王が勢ぞろいした瞬間、嬉々として本陣の側近たちを送り出すはずだ。己の周囲が手薄になるとも知らず。

 そんな中へ突然竜王が現れたなら、流石の蟲王でも後れをとるに違いない。四本の腕も本来の実力を出し切れないだろう。

 ナザリック地下大墳墓、第五階層守護者“コキュートス”も無傷では済まないはずだ。

 

「さぁ皆さん! 勝利は目の前です! いざ、エ・ペスペルの舞台へ!」

 

 テンション高めの埴輪顔の言葉に従い、竜王とその配下竜、亜人たちがぼんやりとした表情で動き出す。己の意思を感じない空虚な瞳だ。先程まで評議国へ戻ることを提唱していた灰色髭も、異論を挟むことなく巨大な翼を広げて空へ発つ。

 王都の中庭では、不意に大気が震え軽い地鳴りが響き、巡回していた近衛兵らの驚愕を誘っていた。

 誰もが認識阻害をかけていた竜王たちのことなど知る由もなく、空を見上げて眉を潜める。

 何かよからぬ予兆なのかと。

 

 王都からエ・ペスペルまで、竜王の高速飛行ならたいして時間もかからない。もうすぐ化け物たちに蹂躙されている哀れな人間どもの、悲惨な有様が見えてくるだろう。

 うず高く積まれた死体。その山から這い出ようとする死体。その死体に襲われたであろう死体。それは戦場ではなく地獄。戦いではなく虐殺。勝敗など最初から関係ない。

 だけど――もう大丈夫。

 救世主たる竜王様の登場だ。

 これで人間たちも立派に役目を果たせて一安心。竜の吐息(ドラゴン・ブレス)にまかれて、思う存分のた打ち回れよう。魔王様にも満足していただけるはずだ。

 

 なにせ、舞台の中でも悲惨に殺される役柄というのは、とても難しいのだから……。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。