モモンガが地表に出るにあたって、最初は
次にコキュートス配下の近衛兵二十体が円状に広がり、その後、コキュートスとシャルティア、アウラにマーレ、デミウルゴスが地表へ出る。
モモンガはアルベドとパンドラを横に控えさせ、後方にセバスと
(うむ、やはり魔王が警戒して動くとなればこの程度の手勢は必要だろう。単騎で狩場へ出かけるなんて、やはりおかしいよなぁ。ん~、悟が居ればこの疑問にも答えてくれただろうに……)
“悟”と共に狩場へ出かけていた当時は何の疑問も持たなかったのに――、なんて答えが出そうにない疑問を無いはずの脳へ抱えさせ、モモンガは降り立った。
五百人に迫る人間の老若男女でひしめき合っている霊廟前、ナザリックの地表部分へと。
「が、がいこつ?! アンデッドか?」
「なんだコイツら!! ここはどこだ?! どうしてこんな場所に?!」
「私たちの村は? 寝ていたはずなのに、いったい何が……」
「うわああぁぁあああ!! ばばっ、ばけものだっ!!!」
「助けてください助けてください助けてくだ――」
「お父さんお母さん! ネムも離れないでっ!」
「おねええぇぇちゃぁぁん!!」
「大丈夫だ、きっと助かる!」
「く、くそったれ!! こんなことをしたら冒険者が黙ってないぞ!!」
「王国兵だって来てくれるさ! きっと戦士長がっ」
「う~む、このまま聞いていても面白そうだが、少し騒がしいな。……デミウルゴス」
「はっ。『静かにしたまえ』『動くな』」
パチンっと骨の指を鳴らした魔王の意図を瞬時に理解し、スーツを着た眼鏡悪魔は声の力を響かせる。
デミウルゴスの
低レベルの存在を意のままに支配する効果を持っているので、対象となった村人たちは誰も彼もが口を閉ざし、その場で石にでもなったかのように身動き一つ出来ない。
一瞬にして静寂が場を満たし、恐怖の視線だけが居るはずのない救世主を求めて漂っていた。
「さて、NPCを攫ってくることが可能な時点で確定だろうが、まぁ確認は必要だろう」
モモンガは、身をよじることもしない――出来ないでいる小虫のような人間を一瞥すると、それなりの情報を持っていそうな村長らしき中年男性の前へ歩を進める。ただ、人間の価値があまりに低すぎるので、本当に村長なのかどうかは判別不能だ。
魔王にとって人間の性能差はミリ単位以下であるが故に、判りにくいのであろう。まぁ、プレイヤーならばすぐに判るのだが。
〈
中年男性の頭を掴み、神の魔法を発動させる。
これは対象の記憶を書き換え、又は消し、更には壊すことが可能な魔法である。だが今回は覗くだけだ。
人間が辿った人生の記憶を嘘偽りなく読み解き、情報を集める。
拷問して吐かせるよりは、実に簡単で正しい情報が得られる手法であろう。無論、当の本人が嘘を真実だと思い込んでいた場合は、記憶を読んでも真偽が判らなかったりもするのだが。
「ふぅむ、覗くだけなら魔力の消費は僅かで済むのか。記憶改変となるとそうはいかないようだが。おっと……ほう、やはりユグドラシルではないか。別世界――、悟が住むリアルのようなものか? しかし人間が存在し魔法が使えるのだから、それほどメチャクチャな世界でもなさそうだ。とはいえ、この程度の記憶では足りんな」
村人ごときの記憶では世界の全てを知ることなどできない。それでも、数を集めれば常識程度は得られるだろう。
複数の村から根こそぎ村人を集めてきたのだ。五百人にも及ぶ人間から情報を絞り出せば、世界の一端は見えてこよう。
「よし、では――ん?」
「ぐごっ、ごあぁ! あがががっあああぁぁああああ!!」
特に力を込めた訳でもなく触れていた時間もごく僅かなのだが、魔王に記憶を覗かれた中年男性は、何かに生気を吸い取られたかのように骨と皮になり、直後、塵となり霧散してしまった。
モモンガは男に触れていた骨の手をしげしげと見つめ、「何が起こった?」と恐怖で気が狂いそうになっている群衆の真正面で呟く。
「恐れながらモモンガ様。弱過ぎる人間では、モモンガ様の
コイツ本音を隠さなくなってきたなぁ、っと心の中で愚痴るモモンガは、黒い翼をバッサバッサしている白い悪魔へ引き気味の視線を送りつつ、再度骨の手を見つめる。
(妙だな。
頭の中で「要注意、今後も検証必須」と異変に関する意識の変移に警戒し、モモンガは
「さて、本格的な情報収集を始めるとしよう。っとその前に」魔王は豪華なローブを翻し、「アルベドとデミウルゴスは、ナザリック内部の警備体制見直しと墳墓周辺の警戒網構築に協力して当たれ」と言い放つ。
「「はっ」」
「他の守護者はアルベドの指示に従い行動しろ。ただし、ナザリックの外へ守護者が出ることは許さん。外の警戒網には“ハンゾウ”たちを使え」
「「はっ」」
「うむ、ではパンドラ。第五階層のニューロニストと協力して集めた人間どもから情報を抜き出し、要点を纏めて私に報告しろ。人間どもは皆殺しで構わん。どうせ餌か実験体になる運命だ」
「畏まりました! 我が
一言多いけどカッコイイなぁ、と敬礼するパンドラへ冷ややかながらも満足げな視線を送ると、モモンガはする必要のないため息を漏らす。
これは“悟”がいた頃からの癖なのだが、モモンガにとっては当面の危機が回避されたという心境を反映させた仕草であった。
ナザリックは健在、守護者たちに問題はなく、外にも差し迫った脅威はない。異変による多少の不具合はあるものの、一つずつ検証していけばよいだけの些事ばかりだ。
「これならばナザリックは戦える」モモンガはレプリカの杖を強く握り、見知らぬ草原地帯を眺めては「異なる世界だろうと魔王の成すべきことは変わらぬ」とまだ見ぬ強敵への殺意を溢れさせるのであった。
「モモンガ様! 御待ちください!!」
「ん?」
良い気分に浸っていたモモンガを現実に引き戻した声の主は、守護者の誰でもなかった。それは長い黒髪の女であり、黒いドレスをきた豊満な胸の女性であり、顔の皮が剥がされている鬼女であった。
名は“ニグレド”。
第五階層の氷結牢獄に配置されており、探知系特化型高レベルNPCとしてナザリックに貢献している子供好きの女性、且つアルベドの姉なのだが、通常は牢獄から出て来られないはずである。
モモンガも「えっ? お前出られるの? しかも自分の意志で?」と驚きを隠せない。
「姉さん! 何を勝手に出歩いているの?! しかもペスまで!」
「も、もうしわけありません……わん」
見れば確かに、ニグレドの斜め後ろに犬頭のグラマラスメイド、“ペストーニャ・S・ワンコ”が跪いていた。
ただモモンガは「アルベドに怒られながらも、その語尾はどうなんだ?」と久しぶりに出会ったNPCに妙な感想を抱いてしまう。
「うん? お前たちをこの場へ呼んだ覚えはないのだが、私に何か用なのか?」
急いで駆け付けたと思しきニグレドの様子に、モモンガは「無理難題を言い出すのかなぁ」と頭蓋骨の側頭部を骨の人差し指でコンコンと突く。
そんな魔王を前にして、顔の皮があれば恐らく美しい女性なのであろうニグレドは、死を覚悟するかの勢いで言葉を吐き出していた。
「お願い申し上げます! どうかっ、どうか幼子の命だけは御救いください! 子供の記憶から得られる情報など、モモンガ様のお役に立つとは思えません! 殺す必要はないかとっ!」
血を吐く想いのニグレドに続き、ペスも地に頭をつけて懇願の意思を示す。
――静寂――
誰一人として言葉を発することなく、身動きすらしない。その場を滑空するのは視線のみ。それも弩級の殺気が込められた守護者たちの視線だけだ。
勝手に持ち場を離れ、神をも超える偉大な支配者へ意見具申。
正体不明の異変に巻き込まれている異常事態だからこそ、最大の警戒を持ってナザリック全体が動いているというのに……。
ニグレドとペスの行動は間違いなく反逆行為だ。たとえ守護者統括の姉であることを考慮したとしても、無邪気な我儘で済むはずがない。
「姉さん、なんてことを……してくれたの? モモンガ様は最後まで残ってくださった至高の御方。その御方に逆らうなんてっ。私たちに失望したモモンガ様が、この地から去ってしまわれたらどうするの!? ナザリックの
アルベドの、そして守護者たちの表情は、溢れんばかりの怒りと深い恐怖で満たされていた。
モモンガは、アルベドの怒号から『
それはそう、『捨てられる』ことだ。
タブラが、ぺロロンが、ウルベルトが、たっちが、茶釜が、やまいこが、パナップが……。アインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバー四十人が行ってきたことだ。
彼ら彼女らが何処へ行ったのか、悟が向かおうとしていた
ただ、魔王たるモモンガ自身はナザリックを去るつもりなど毛頭ないし、その理由もない。
ニグレドやペスのような
モモンガとしては声を上げて怒るより、自己主張する子供の成長を喜ぶべきである。
「ふはは、ふははははは!」
張り詰めていた空気の中に魔王の笑い声が響く。
身動きできない村人が戸惑いの表情を見せるのは当然だが、その瞬間は守護者たちも困惑するしかなかった。
モモンガの笑い声がどんな意味を持っているのか?
ナザリックの
「よしよし、そうだな。ちょうどイイか。ナザリック地下大墳墓に配置してから、長きに渡って仕えてくれているわけだしな。せっかくの我儘だ、活用させてもらうとしよう」
モモンガはどこかの宝物殿守護者であるかのように豪華なローブを派手に翻し、一斉に跪く
「まず、お前たちに伝えておこう。私がナザリックを去ることはない。これはアインズ・ウール・ゴウンの名に懸けて絶対だ」感激に身を震わせる守護者をそのままに、モモンガは言葉を続ける。
「ニグレドとペストーニャの嘆願は、私にとっても良いタイミングである。前々からお前たちには何か褒美をやろうと考えていたのだ。それが今回集めた人間で叶うのならば僥倖と言えよう」
軽い足取りのモモンガは、うんうんと小さく頷きながら村人の中へ押し入ると、目についた小さな子供を釣り上げニグレドへ放り投げていた。
「ニグレドの好みはよく判らんが、コイツでどうだ?」
「あぁぁ、御慈悲をありがとうございます! モモンガ様!」
少し慌て気味に少女と思しき子供を優しく受け止めると、ニグレドはこれ以上ないくらいに頭を下げ、慈悲深き支配者へ感謝を捧げる。
「モモンガ様、よろしいのですか? “私の姉”であるからといってそのような温情は不要かと。ちなみにモモンガ様に掴まれた人間の小娘が羨ましいです」
「なにを言っている? ニグレドだけではないぞ。ペスも幼子が欲しいなら選ぶがよい。セバスにプレアデス、アルベドたちも欲しい人間がいるなら手に取るとよい」
自然な感じで放たれたモモンガの言葉は、少女を抱きしめていたニグレドにとって受け入れがたい事実を含んでいた。
ナザリックの
「モ、モモンガ様?! それは!」口にしてはならないと解っていながらも、ニグレドは設定のために止まれない。
「なんだニグレド? もしかして褒美は自分だけにして欲しいとか言うつもりか? それとも全ての子供を独り占めにしたいとでも? いやいや、流石にそれは可愛らしい我儘の域を超えるぞ」
ゆらりと黒いオーラが視界に入り、ニグレドは言葉を失う。
これ以上は最悪の事態を引き起こしかねない。御慈悲を頂いた――腕の中で怯えた瞳を向けてくる少女の命まで御破算にしてしまうだろう。
だがそれでも、救える幼子は救いたい。
「申し訳ありませんモモンガ様。あ、あの、ペストーニャをそちらへ行かせてもよろしいでしょうか?」
「ああ、構わんぞ。よく吟味して選ぶがいい」
ニグレドの無言の視線を受けて、犬頭のメイド長“ペストーニャ”は全てを理解したと言わんばかりに強く頷き動き出す。
ペストーニャは人間を吟味しようと歩く最中、セバスへ意味あり気な視線を向け、次いで
それが何を意味していたのか。
セバスは何も語らないまま赤子を褒美として受け取り、ユリも幼い男の子を腕に抱いた。シズは興味無さそうにしていたが、ユリから『お願い』と言わんばかりの強い視線を受けて、仕方なく女の子を片手に掴む。
そんな光景を眺めていたアルベドは、身内の起こした騒動に深くため息を吐きながらも、人間のような虫けらにすら御慈悲を与える旦那様の素晴らしさに、身をブルブルと振るわせるばかりであったそうな。
ちなみに人間の褒美は辞退したらしい。
「ルプスレギナとナーベラルは辞退か。ソリュシャンとエントマは遠慮しなくともよいぞ。子供で物足りないならこの場の誰でも構わん」
モモンガの一言にピクリと反応し、メイドの一人が「恐れながら」と言葉を紡ぐ。
「モモンガ様、妊婦……でもよろしいのでしょうか?」
「おっ、ソリュシャンの好みは子持ちか? ああ、構わんぞ。それでエントマはどうする?」
「はあぃ、わたしはダイエット中なのでぇ、肉付きの良い若い男に致しますわぁ」
「はは、ダイエット中なのか、うんうん、女の子だなぁ」なんて魔王様はほのぼの感を醸し出していたのだが「えっと、女の子? でイイのか? イイのか?」と少し首を傾げることになっていた。
守護者の中ではアルベド、パンドラを始め、アウラやマーレも人間に興味を示さず、コキュートスは“恐怖公”への御土産として大柄の男を、デミウルゴスが実験体として健康そうな成人女性を選ぶ程度であった、が――
「モモンガ様モモンガ様、御伺いしてもよろしいでありんしょうか?」
「どうしたシャルティア、好みの人間でもいたか?」
「はいでありんす。モモンガ様の傍にいんす、その若い娘を頂いてもよろしいでありんしょうか?」
シャルティアに言われてから足下を見れば、確かに栗色髪の少女が『支配の呪言』に縛られたまま固まっていた。
特に美しくも強そうにも見えないので「これがシャルティアの好みなのか?」と不審に思いながら持ち上げてみれば、モモンガには「おお? そうか」と一つの閃きが宿る。
「素晴らしいなシャルティア。今この場にはニグレドとアルベド、アウラとマーレ、そしてプレアデスたち
なにやら感動するようなことを言ってはいるが、モモンガの前に集められた村人たち五百名は引き裂かれまくっている状態だ。この先も物理的に引き裂かれることだろう。
加えて、シャルティアは姉妹を救おうだなんて露ほども思っていない。姉を上手く調教してニグレドの獲物と一緒にさせれば、姉妹で楽しめるのではないだろうかと悪巧みしていただけなのだ。
既に頭の中は、獲物の尻へ「どんな尻尾を突っ込もうか?」と選定で忙しかったりもする。
「そ、そうでありんす! 姉妹は仲良くするべきでありんしょう! 流石はモモンガ様! すべてお見通しで!」
「なんてことっ、シャルティアに先を越されるなんて?!」
「これは失態でしたねぇ。この場に姉妹が多いことを考慮するべきでした」
ぐぬぬ、と無念さを口にする知恵者二人をそのままに、モモンガは手にした娘の頭を覗き、名を確認してからシャルティアへ放り投げる。
「姉の名は“エンリ”だそうだ。妹は“ネム”。せっかくの姉妹なのだから早々に壊したりしないようにな。まぁ、褒美だからどう扱おうとも構いはしないが……さて」
余興は終わりだ、と言わんばかりにローブをはためかせて、モモンガは人間どもを見すえる。
ニグレドやペストーニャにはもう何も出来ないし言えない。ここまででも過分な配慮を頂いているのだ。セバスやユリの手を借りて、複数の子供を助けることが出来たのは奇跡といえよう。胸の
無論、悲惨な運命を辿るであろう幼子の姿は目の前に残っているのだが、己の設定とモモンガ様への忠誠心を両立させた結果、この辺りが限界であろう。
いや、やはりモモンガ様の大きな慈悲を受けたというべきかもしれない。本来であれば、ニグレドもペスも首を刎ねられて反逆者の烙印を押されていたのだから……。
「私は執務室で情報収集の結果を持つとするが、その前にこれを渡しておこう。まずはシャルティア」
「はい、モモンガ様!」
何を渡されるのかあまりよく分かっていなかった
「こ、これは
スパコーン! っと派手な音をシャルティアの頭で鳴らし、キョトンとする
「はあっ?! なんでおんしまで指輪を? ぅえぇええ? まさかモモンガ様はそっちの趣味もありんしたか? 流石は至高の御方々のちょうて――」
スパスパコーーン!! っとさらなる往復突っ込みを放ち、パンドラはシャルティアを黙らせる。
そこでようやくモモンガは重過ぎる口を開いた。
「やれやれ、落ち着いたかシャルティア? 誤解の無いように言っておくが
こくこくと壊れたオモチャのように頷くシャルティアに一抹の不安を感じながらも、モモンガは予備の
「よおぉっしゃあああぁぁああ!!」との守護者統括らしき女性の雄叫びを聞いたような、そんな有り得ない幻聴に「異変って怖いな~」と棒読みで呟きながら……。