骸骨魔王のちょこっとした蹂躙   作:コトリュウ

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第30話 「蟲魔王」

 天空から一気になだれ落ち、巨大な隕石が街中へ落ちるかのごとく。途中で翼を広げて減速し、人間の怯えた表情が見える高度で狙いを定め、都市の中へ竜の吐息(ドラゴン・ブレス)をぶち込む。

 餌となっていた人間はもちろん、餌に食らいついていたアンデッドや悪魔たちは、力の奔流に弾き飛ばされバラバラとなっていた。

 大都市故に建物は多い、だからその陰に隠れてやり過ごせる――なんて考えた者たちは、死ぬ少し前に後悔したに違いない。隠れたところは逃げ場のない棺桶だ。閉めた扉は何の抵抗もできずに吹っ飛び、多様な属性ブレスを受け入れるだけ。

 

「そろそろですかな」

 

 白き竜王の頭上に直立する埴輪男は、待ち構えていた監視の目に竜王部隊が捉えられたことを察していた。自身は完全不可視化の魔法で隠れているので気付かれてはいないだろうが、竜王四体の誘き出しに成功したと思っているコキュートスは、用意していた殲滅部隊を送り出すはずだ。

 時を待たずして、転移門(ゲート)の闇が近くに開くだろう。

 チャンスは一度。

 本陣の手勢が転移門(ゲート)でこちらに来るその時、もう一つの転移門(ゲート)が本陣への特攻を可能とする。

 

「さぁ、物語はクライマックスに入りましたよコキュートス殿! あわよくば、貴方の腕一本でも拝借するといたしましょぉ……おぅ?」

 

 血が舞い、肉片が飛び散るエ・ペスペルの住宅地区で、巨大な闇の扉が構築される。

 それ自体は特におかしなことではない。待ち構えていた予想通りの展開だ。ただちょっと違うのは、転移門(ゲート)から真っ先に出てきたライトブルーの存在。

 

「――ム? 不可視化ダト? 竜王以外ノ強者、“プレイヤー”カ? 監視ノ目カラ逃レルダケノ手練レデアルナラ、思ワヌ拾イモノダナ」

 

「これはこれは、総大将自ら乗り込んでくるとは……。少し軽率なのではありませんか、コキュートス殿?」

 

 顔を合わせるつもりはなかったのだが、かち合ってしまったのならしょうがない。パンドラは完全不可視化を解くと、少々大袈裟に演技臭く、深々と頭を下げていた。

 

「コレハイッタイ? 宝物殿守護者殿ガドウシテ此処ニ? 竜王ドモト行動ヲ共ニシテイルトハ、ドウイウコトナノダ?」

 

「いえ、何もおかしなところはありませんよ。竜王を動かしていた黒幕が私であると、それだけのことです。コキュートス殿には楽しんでいただけるよう配慮したつもりでしたが、如何でしたか?」

 

「ナント……」

 

 即座に『ソレハモモンガ様ノ御指示ナノカ?』と問いかけようとしたところで、コキュートスは口を紡ぐ。

 独断なわけがない。モモンガ様直属の(しもべ)であるパンドラが、勝手に動くはずがないのだ。

 故にこれは、最初からモモンガ様の意思が反映された行動であり、結果。

 コキュートスのためだけの施策なのだ。

 

「オオォ、王国トノ侵略戦争ヲ任セテ頂イタダケデハナク、パンドラ殿マデ差シ向ケテ下サルトハ。モモンガ様ニハナント感謝申シ上ゲレバヨイノカ……」

 

「おっとコキュートス殿、気が早いですよ」パチリと指を鳴らし、パンドラは四体の竜王を並べる。

「予定とは違ってしまいましたが仕方ありません。さてコキュートス殿、四対一での決闘などは如何でしょう? こちらは全員死亡で負け、そちらは手傷を負えば負け。どうですか?」

 

「フム、コチラガ負ケタ場合ハドウナルノダ?」

 

「そうですねぇ。エ・ペスペルから完全撤退して仕切り直し、ということでどうでしょう?」

 

「了解シタ。決闘ヲ受ケヨウ」

 

 受けないという選択肢はない――パンドラには確信があった。

 戦場で決闘を挑まれるなんて、ガチバトル中毒であるコキュートスにとっては御褒美でしかない。相手が竜王四体であることなど無意味なのだろう。むしろ相手が強ければ強いほどいい。事前の情報など不要。向き合ったこの瞬間こそが始まり。あとは相手を殺すことだけに命を懸けるのだ。

 

「出シ惜シミハシナイ。使エル手ハ全テ使ワセテ頂ク」

 

「それはたいへん結構なことですね。格下とはいえ竜王が四体ですから、さしものコキュートス殿も……おや?」

 

『当初の予定とは違ってしまったがなんとかなりそうだ』と、パンドラとしては一安心、かと思いきや、四本あるコキュートスの一腕――その手の指にはめ込まれた小さなアクセサリーに視線が留まる。

 どこかで見覚えのある指輪だ。

 蟲王の指に収まるのだから魔法具(マジック・アイテム)であることは間違いない。

 どんな性能を持っていたかは――。

 

「人間の? そう、たしか人間が持っていたユグドラシルには無いレアアイテム! どうしてコキュートス殿がそれを?!」

 

「モモンガ様ガ貸シ与エテクダサッタノダ。『実戦デノ使イ心地ヲ試シテミロ』トナ」

 

 言葉と同時に、得体のしれない威圧感が広がっていく。100レベルのパンドラが身構えるほどの圧力なのだから相当なモノであろう。

 普段のコキュートスから感じられる気配とは一線を画する強大さだ。

 例のアイテムは“真なる竜王”製の魔法具(マジック・アイテム)である。その効果は戦士としての技量を一段階引き上げる、というもの。

 しかし人間の一段階と、100レベルNPCの一段階では桁が違う。

 効果としては正しいのだろうが、『それでイイのですか?』とパンドラは目の前に現れたライトブルーの怪物を前に、やれやれと首を振るしかなかった。

 

「イザ勝負!!」

「……(父上はひどい御人だ)」

 

 踏み込んだ次の瞬間、転移したのかと思うほどの速度で横を通り過ぎていく蟲王。その後ろ姿を辛うじて見送りながらパンドラはため息を漏らす。

 

「(私自身も試されていた、と。コキュートス殿の戦力なら十分把握している、という思い込みが情報収集を疎かにさせ、結果魔法具(マジック・アイテム)を見落とした。これは……言い逃れの余地なく私の負けですねぇ)」

 

 ほぼ同時に斬り飛ばされる竜王の首は、勢いよく上空へ舞い飛び、勝利者が誰であるのかを高らかと告げる。

 誰もが唖然として倒れ込む巨体から目を離せず、何が起こったのかを理解できない。

 続いて竜王に率いられていた最高位の年齢段階(エインシャント)級がバラバラになり、傍にいた英雄と呼ばれていたはずの亜人チームも地面のシミとなっていた。

 

「プシュウゥゥ!! 武技スキル発動! 〈世界崩シ〉!!」

 

 最後の仕上げとばかりに刀を斜め上へ振り上げ、蟲王は聞き慣れない技の名と共に近くにいた人間、そして城壁や建造物を横なぎに斬り裂いた。

 いや、斬ったというより寄り集まっていたモノを上下に選り分けた、というべきか?

 まるで絡まっていた毛糸を丁寧にほどいたようであり、硬いはずの岩壁が煮込んだ鹿肉よりたやすく崩れていく。

 

「おや? “武技”とは人間しか使用できない技能のはずでは? 第六階層の武技使いから学んだのですか?」

 

 手駒の粉砕に微塵も未練を見せず、パンドラはコキュートスの御業に感嘆する。

 

「パンドラ殿、コレハ武技デハナイゾ。武技ヲ“ヒント”ニシテ新タニ開発シタ、戦士系ノ特殊技術(スキル)ダ。武技ヲ間近デ観察シ、実際ニ己ノ身ヘ打チ込マセ、所持シテイル似タ特殊技術(スキル)ノ中カラ組ミ合ワセテ創リアゲタノダ。今使ッタノハ王国戦士長ガ持ッテイタ切リ札ノ武技――ニ似セタ防御無視ノ特殊技術(スキル)ダナ」

 

「おおぉ、それは素晴らしい。デミウルゴス殿の新武技開発と合わせれば、より素晴らしい特殊技術(スキル)が誕生するかもしれませんねぇ。ですが……」

 

 同じ守護者として、新たな技術の発見には歓迎の意をもって示したいところではあるものの、指摘すべきところはハッキリと伝えるべきだ。

 モモンガ様に影響するのであれば尚更である。

 

「解ッテイル。結局ハ特殊技術(スキル)ノ改良デアリ、性能的ニモタイシテ価値ハナイ。アルベドモ〈不落要塞〉ナドノ防御系武技ハ〈パリー〉ノ下位互換ダト言ッテイタ」

 

「それはそれは、統括殿が指摘しているのであれば私からは何も言うことはありません。まぁ、モモンガ様は喜ぶかと思いますけど……」

 

「フフフ、ソレモ解ッテイル。ダカラ今見セタノダ」

 

 嬉しそうに胸を張り、空を切り裂くように四本の刀を空振りさせると、コキュートスは武器をしまい、片手を上げる。

 勝利宣言であろう。

 辺りには巨大な竜首が転がり、それよりも巨大な胴体が横になっている。竜王が率いていた部隊はバラバラの肉片となり、王国民の死体と判別できないほどに混ざり合っていた。

 これなら人間だ亜人だ異形だと、差別することもされることもない。皆同じ死体だ。鼻をつまみたくなるほどの臭い肉片だ。

 これこそ真の平等、なのかもしれない。

 破壊を免れた魔王軍第一陣、第二陣のアンデッドたちも、積極的に人間たちを仲間に誘い、微笑ましい光景を見せてくれる。

 

 人間で溢れかえっていた王国都市“エ・ペスペル”はこの日、悲鳴と絶叫、そして恐怖から解放された。

 生命の枠からも解放されて、安らかで静かな“死”へと統一されたのだ。

 どこか遠くから眺めていた魔王様は、満足げに頷いたことだろう。胸を張る蟲王の姿に頬を緩ませたことだろう――頬肉ないけど。

 やはり侵略戦争とは素晴らしいモノである。これで勇者との決戦でもあったならば、文句のつけようもないのだが……。

 いや、まだ王都が落ちた訳でもないのだから気が早かろう。

 メインディッシュはこれからかもしれない。

 

 

 

「ではコキュートス殿、完敗の私としてはさっさと退散しようかと思うのですが、貴殿はこれからどうなさいます?」

 

「無論、残ッタ第一陣ト第二陣ノ(シモベ)ヲ編成シ直シ、王都ヘ向ケテ侵攻サセルツモリダガ、ツイデニ本陣モ動カソウカト思ッテイル。戦場カラ遠ク離レタ後方ニ居続ケルノハ、ドウモ性ニ合ワヌ」

 

 冷気の吐息を漏らす蟲王は、久しぶりの全力戦闘が余程お気に召したのであろう。総大将として引き籠っているのはもう嫌だ、と宣言しているかのようだ。

 

「でぇしたら提案がありますっ!」シュバッとマントを翻して間合いを詰めてくる宝物殿守護者は、転がっている竜王の首へ足をかけながら、「テ、提案?」と不思議そうな表情を見せるコキュートスへプレゼンを始めていた。

 

「わぁぁたしぃがお勧めする物件はぁ、本陣の百名近くが待機できる十分な広さと戦場の情報を獲得しやすい地理的優位性、そぉしてぇ! 後方に居たくないというコキュートス殿の希望をも叶える最高の立地!」

 

 帽子に左手を添え、右手は指一本を伸ばして天高く。

 空からスポットライトでも当てられているかのようなパンドラは、答えを伸ばしに伸ばし、溜めに溜めて――。

 

「いざゆかん! 先程まで竜王たちが待機していた休憩地、王都“リ・エスティーゼ”の王城“ロ・レンテ”の中庭へ!!」

 

 何故か、反対意見はなかった。

 反論するのが面倒臭い、というわけではない。パンドラの勢いに流された、というわけでもない。

 ただ何の問題もないから特に代案も出さなかっただけだ。

 これから侵略し滅ぼすはずの王城中庭へ、侵略する側の魔王軍が本陣を設営しても特に問題はない。誰も止められないだろうし、文句も言ってこないはずだ。

 人間どもの観察には充分だし、切り札が出てくるならばコキュートスが真っ先に相手できる点も素晴らしい。

 まさに優良物件。

 

「案内役はこの私にお任せを! 〈転移門(ゲート)〉」

 

「ウム、パンドラ殿ノオ勧メナラバ問題ナカロウ。ヨロシク頼ム」

 

 コキュートスは引き連れていた手勢に加え、本陣に残っていた側近や物資等もエ・ペスペルへ持ち入れ、パンドラが展開していた闇の扉へ行進する。

 まさに『世界滅ぼす軍』こと魔王軍の最精鋭部隊だ。

 数としては百も居ないので、数十万の兵を擁する王国と比べると貧相に思えるかもしれないが、一体一体がラスボス級。つまり、物語の最終局面で登場する化け物だけで構成された本陣なのだ。

 ちなみに、その気になればあっという間に配下を召喚できるので、数的優位性など陽炎のようなものであろう。

『真なる竜王』の“ツァインドルクス=ヴァイシオン”ですら、単身で飛び込もうとは思うまい。

 

「ああ、コキュートス殿、王城の方々には私から挨拶をしておきますので御心配なく。陣地設営を進めておいてください」

 

「総指揮官ノ私ガ向カウベキカト思ウガ、モモンガ様直属ノパンドラ殿ナラバ非礼ニハナルマイ。ソチラハオ任セスル」

 

 巨大な闇の扉を潜り抜け、埴輪男と蟲王は美しい花々が咲き誇る王城中庭へと足を踏み入れた。後に続くは重戦車かと思える紫甲殻の丸虫型モンスターに、直立すれば城よりも高くなりそうな大百足。銀色の甲殻を身に纏う二本角の重騎士や、両手が大鎌になっている四本足の巨大昆虫。両手剣を持つ黒甲殻の一本角もいれば、白い霞だけの正体不明なモンスターもフワフワと漂う。

 

 王城の中庭に居た者たちは呼吸を忘れただろう。死を覚悟しただろう。『これは夢だ』と現実逃避したくなったに違いない。それでも、突然現れたモンスターから逃げ出すことなど許されるわけもなく、近衛兵は集結を強いられる。

 当然だろう、この王城には国王はもちろん王位継承第一位の第二王子に加え、黄金の姫たるラナー殿下も御座すのだから……。

 この城が落ちれば王国は終わる。一兵卒ですら理解している共通認識だ。だから最後の最後まで戦わねばならない。たとえそれが流れ星を掴もうとする夢物語、まったく意味のない戯言であったとしても。

 

 少し肌寒い、乾燥したこの日、王城中庭は魔王軍本陣の駐屯地となった。

 第一陣の残兵と第二陣の生き残りは再編され、南側からの侵攻を続けている。

 エ・ペスペルは壊滅し、エ・レエブルでは弱々しい抵抗があったのみ。リ・ロペルは平地戦での敗走後、竜部隊のおかげで一時は持ち直したものの、死の騎士(デス・ナイト)部隊に城門を破られ降伏。今は一人一人丁寧に処刑されている。

 

 王国の滅亡は非常に順調であった。

 

 

 ◆

 

 

 歓声を上げたくなるほどの朗報。

 (ドラゴン)の目撃情報を受け取ったこの時は、近くにクライムがいることも忘れて強く拳を握ったほどだ。

 

(賭けに勝った!)

 

 いくら知恵を振り絞っても竜王を引っ張り出せる確率は高められそうにない、とある程度は覚悟していたものの、実際魔王軍を蹴散らしているともなれば顔が綻ぶ。

 一緒に王国民も殺されているなんてどうでもよい。些事だ。

 肉の盾にもならない人間(ゴミ)など景気良く燃やしてもらって構わない。埋葬の手間が省けたと喜んでもよいくらいだ。

 

(ふふふ、あとはこの場所から逃げ出すだけ。竜王と対峙している魔王軍の足は鈍った。もう今しかない!)

 

 黄金の姫は深く呼吸し、悲壮な覚悟をもって軍議室にいるザナック王子を見やり、そしてアダマンタイト級冒険者“蒼の薔薇”へ言葉を伝える。

 

「ラキュース、王国からの依頼です」竜王の参戦情報に軽い混乱をきたしていた議場へ、女神の囁きとも言えるラナー王女の声が響く。

「お父様とお兄様を連れて北東の港町へ向かってください。そこに大型船を用意してあります。別大陸への渡航経験がある乗員も手配済みですので、その船で北の大陸へ逃げてください」

 

「なっ? なにを言っているのよ! 今の情報を聞いたでしょ? 評議国のドラゴンらしき部隊が魔王軍と戦ったって――」

「解っています。ですから私は最後まで残って見届けます。それなら国民も安心しますし、もし魔王軍が王都までやってきたとしても、お父様たちが逃げていれば再興の芽も絶たれません」

 

 竜王が部隊を率いてきたのは一筋の光明である。

 たとえ王国民諸共ブレスの餌食にされているとしても、魔王軍との戦いに勝ち筋が見えてきたのは確かだ。だからこの瞬間、王族が皆逃げ出すのは悪手でしかない。国民を見捨てたと思われる最悪の所業だ。

 最低でも一人、そう一人だけでも残って結末を見届ける必要がある。魔王軍が竜王の部隊を蹴散らし、王都まで乗り込んできて人間を皆殺しにする可能性があったとしても……。

 

「大丈夫ですよラキュース。評議国の竜王様より強い存在など考えられません。必ずや魔王軍を打ち破ってくれるでしょう」

「で、でも竜王様たちが最後まで残ってくれるとは限らないでしょ? 途中で帰ってしまったらどうするの? 弱った魔王軍が相手でも、王国はもう……」

 

 国交のない評議国に運命を託すのは、王族として失格だろう。だからこそ最悪の事態に備えて、国王と王位継承第一位を国外へ逃がすのだ。

 残るのは王位とは無縁の第三王女。

 たとえ死んだとしても影響は少ない――なんてことはないと、王女の両肩を掴んでいたラキュースは説得を続ける。

 

「ラナー、話を聞いて!」

「これは決定事項ですよ、ラキュース。冒険者である貴女に王女の発言を覆す権限はありません。さぁ、お兄様。お父様を馬車へ運んで出発してください。時間はありませんよ。竜王様と魔王軍の情報は、ここへ運ばれるまでかなりの時間を擁しています。今この時、事態が急変しているかもしれません。急いでください」

「お、おぅ、分かった、妹よ」

 

 妹を置いて自分だけ逃げだす――、なんて無能王子を装っていた自分でも二の足を踏む。そんな後ろ髪が引かれる想いを引き摺って、ザナック王子は側近と共に動き出していた。

 護衛の任を“蒼の薔薇”が受けてくれるのだろうなぁ、と心配そうに横目で見つつ。

 

「ラナー! 貴女は竜王様が勝つと思っているの?! 言っておくけど、竜族は人間の王や姫なんて何とも思っていないわよ! 今回も王国を助けにきたわけじゃないわ! 王国民を餌にして安全な奇襲を仕掛けにきただけよ! 少しでも形勢が悪くなったら引き上げるに決まっている! そうなったら貴女はっ」

 

(なにを解りきったことを……)

 

 涙を流して親友の身を案じるラキュースに対し、ラナーは悲しげに微笑み――頭の中では『だからさっさと私を気絶させて無理やり連れて行きなさいよ! 王国で最も価値があるのは私なんだから当たり前でしょ。国民だって早く逃げて欲しいと思っているわよ。でも私自身が率先して逃げ出したらクライムが悲しむでしょ? 私はクライムが理想とするお姫さまじゃないといけないのよ! そのためにこんな茶番を繰り広げているんでしょうが!』と暴言を吐きつつ――そっと人類の守護者たるアダマンタイト級冒険者の手に己の手を重ねる。

 

「ラキュース、今までありがとう。貴方のことは忘れません。もちろん“蒼の薔薇”の皆様のことも。ですからどうか、お父様とお兄様をお願いします」

 

「…………」

 

 空から舞い降りた天女のような、後光を放つ女神のような、万人を魅了する笑顔でもってラナーは最後の一手を繰り出した。

 これでラキュース率いる“蒼の薔薇”は目線で合図を送り合っただろう。

 すぐにティアが背後に回って意識を落としてくれるはずだ。

 クライムは戸惑うだろうけど、ガガーランとイビルアイが事情を説明し、一緒に付いてくるよう促してくれるに違いな――

 

「ザ、ザナック王子! 大変です! 中庭に化け物どもがっ!!」

「いきなり現れました! や、闇の中からいきなりです!」

「一体や二体ではありません! 次から次へと、見たこともない異形の化け物だらけです!!」

 

「ぇえっ?」

 

 脱出作業に取り掛かっていた王子に代わって報告を受け取ったラナー王女は、想定していなかった横やりに慣れない戸惑いを覚える。

 魔王軍は規格外の化け物ばかりなので何があってもおかしくないとは思っていたが、走り寄って視線を向けた窓の外、覗き見た中庭の様子には、いつもの表情すら忘れてしまいそうな光景が広がっていた。

 

「な、な、なにが?」

「ラナー様、お下がりください! 危険です!!」

「ラナー! 窓から離れて! あれはただの化け物じゃないわ! すぐに逃げないと!!」

「信じられない、あんな集団の気配を見逃した?」

「同意、まったく察知できなかった。どうやって王城に?」

「おい! そんなことは後で考えろ! このままだと俺たちもヤベえぞ! どいつもこいつも見たことのねぇ異形ばかりだ!」

「くそっ、竜王の部隊と戦っているはずじゃなかったのか?! ツアーの奴、一体何をしている? どうして〈伝言(メッセージ)〉に答えない?!」

 

 パニックに陥りそうな王女周辺にて、“蒼の薔薇”は決断に迫られていた。

 もはや国王陛下やザナック王子などを連れて行く余裕はない。ラナー王女とクライムだけでも難しいかもしれない。自分たちだけなら僅かなりとも可能性はあるかもしれないが……。なお、イビルアイの〈転移(テレポーテーション)〉は当人のみしか運べないので、行使するには仲間を見捨てる覚悟がいるだろう。

 

「落ち着いて下さい」

 

 パンッと一度だけ手を叩き、普段の調子を取り戻した王女はクライムの背後から声を上げる。

 

「もう何をしても手遅れです。武器を収めて、そのまま静かにっ。さぁ、皆で御挨拶の準備を致しましょう」

「ラナー? 貴女、なにを言って?」

 

 一世一代の大勝負にでも挑もうかという決意に溢れた王女の瞳を見て、ラキュースの判断が鈍る。

 即座に行動すべき状況であった。

 ラナーを気絶させ、ガガーランに抱えてもらい、クライムと共に王城の抜け道へ直行する。そうすべきであったのは間違いない。

 にも拘らず、動けない。

 ラナーは身だしなみを整え、誰も居ないはずの王城通路へ深々と頭を下げている。

 何をしているのか? 誰へ頭を下げているのか? その先に誰が居るのか? ラキュースには理解できそうになかった。

 

「リーダー、誰かくる」

「一人、音からして靴を履いた人型。それも上質な靴」

 

 双子からの情報に、張り詰めていた空気がより一層緊張を纏う。

 この状況で呑気に通路を歩いている者など居るはずがない。あのザナック王子ですら必死に足を動かすはずだ。それに一人なわけがない。上質な靴を履いて王城の通路を歩くような者が一人であるのなら、それはそれでおかしな話なのだ。

 

「どうすんだリーダー? どこかの馬鹿な貴族が散歩でもしてんのか?」

「それなら先制攻撃で殺しても問題ないな。姿が見えたら問答無用で撃ち込むぞ」

 

 刺突戦鎚(ウォーピック)を掲げて集団の先頭へ進み出るガガーラン。隣には片手に魔力を込めている仮面の子供、イビルアイがいた。

 

「二人とも――」

「おやめください」

 

 戦闘態勢に入っていた蒼の薔薇へ放たれたのはラキュースからの号令でも制止でもなく、ラナー王女からの拒絶であった。

 王女は傍に寄り添うクライムをそのままに、要人を迎えようとする最上の敬意と共に頭を下げ続ける。

 

「どんなことがあっても手を出してはなりません。私に任せてください」

 

 何者が来るのか、を察しているような力のこもった王女殿下の言葉を受けて、場は静まり返る。

 そんな王城の通路端では靴の音が――不自然なほどの踵の音だけが響いていた。

 


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