骸骨魔王のちょこっとした蹂躙   作:コトリュウ

31 / 52
第31話 「演劇魔王」

 カツーンカツーンカツーン、カッ! バサァ! シュババッ!

 

「おぉぉまたせぇしましたぁ! 私はぁパンドラズ・アクターと申しますっ! どうぞっお見知りぃおきをっ!」

 

 趣味の悪い上級士官が着込みそうな黄色い軍服のようなものを纏い、魔化されていそうな最上級のマントを翻す。高らかに名乗りを上げては、軍帽を長過ぎる指で整え、黒い穴にしか見えない眼で唖然としている人間どもを見渡す。

 そのモノの姿は、どう見ても人間ではなかった。

 

「お待ちしておりました、パンドラズ・アクター様。私はラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフと申します。御会いできて光栄ですわ」

 

 状況を把握できないでいる城の近衛兵、クライム、蒼の薔薇を眼光で抑えつつ、王女は眩い笑顔で埴輪顔の異形を迎える。

 普通であればありえない出会いであろう。

 まず城へ入ってくるとき、衛兵に止められたはずだ。攻撃されたかもしれない。万が一、中庭の化け物集団に気をとられている隙に入り込めたとしても、通路の要所には近衛兵が立っているのだから騒ぎにならないはずがない。

 それなのに――。

 

「それではパンドラズ・アクター様、本日はどのような御用向きでございますか? 貴方様は“魔王軍”の要職に就かれている方である――と、まことに勝手ながら認識させて頂いております。そのような御方のお役に立つことが出来るのであれば、私としても嬉しいのですが……」

 

 ざわっと空気が変わり、所々から殺気が漏れる。

 “魔王軍”の一言に反応して腰の剣へ手を伸ばすどころか、条件反射で握ってしまったのだろう。経験の浅い騎士にありがちな行為だ。

 王女が先頭で交渉を始めているというのに、殺気をたれ流すとは……。クライムですら必死に抑え込んだというのに。

 

「いえいえ。本日は挨拶と、ちょっとしたお願いに伺っただけですよ。魔王軍総大将“コキュートス”殿が、中庭に本陣を設営したいというものでね。その許可をもらいにきただけです」

 

「それは光栄なことですわ。どうぞご自由にお使いください」

 

 蒼の薔薇一行が冷や汗を流す面前で、王女は軽やかに返答する。まるで相手がどんな要求をしてきても全て受け入れる、と言っているかのような即答ぶりだ。まぁ実際意図してそうなのだろうが、問題なのは王女の周囲に居る近衛兵たちの『一斉にかかれば倒せるのでは?』という自爆にも似た勘違い。

 ラナーとしては『愚かなゴミが足を引っ張らないか』と気を揉みつつ、僅かなミスも許されない死闘の会話を続けるしかなかった。

 

 

 

 

「おっともうこんな時間ですね。まことに残念ながら、美しいラナー王女と言葉を交わす時間はいくらあっても足りないということでしょう。時間を止めてしまいたいところですな」

 

「あら? 偉大な魔王様なら時間を止めることぐらい可能なのではありませんか? 神をも凌ぐ、すばらしい御方であると想像しておりますけど」

 

「おお、父上の偉大さを僅かなりとも知ろうとするのは良い傾向です。矮小な人間(ゴミ)でも、遥か高みを覗き見たいと渇望するのは自由にして必然! それがいかに滑稽な夢物語であったとしても!」

 

 これが守護者統括であったならば、『虫けらのごとき人間(ゴミ)がモモンガ様の力量に言及した』として辺り一帯を血の海に――が自然な流れかもしれない。

 相手がパンドラでよかったというべきだろう。ラナーにしては綱渡り同然の危険な一手であった。しかし、魔王の話題を出さないわけにはいかない。魔王の能力を推察できるだけの知能を持っているのだとアピールしないわけにはいかない。

 生き残るためには、もうその魔王に縋るしかないのだ。

 

「パンドラ様、お願いがあります」

 

 くるりと一回転を終えた埴輪男へ、ラナーは決死の一撃を繰り出す。

 

「私を――魔王様の下僕として使ってはいただけないでしょうか?」

「ラナー! 貴女なにをっ?!」「ラナー様!」

 

 いつでも斬りかかれる間合いにおいて、ラキュースとクライムは同時に叫ぶ。

 本当なら異形の化け物と交渉なんかさせたくなかった。頭を下げねばならないような無様な真似はさせたくなかった。

 無理やりにでも引き下げて、埴輪男など真っ二つに切り裂いてやりたかったのだ。

 それなのに――下僕とは!

 

 パチンッ

 

 軽い音が宙に舞う。

 細長い指を器用に扱い、埴輪男が打ち鳴らしたようだ。

 

「お静かに願いますよ、お嬢様方」

 

 優雅なお辞儀と共にマントをバサリと躍らせ、パンドラは黄金姫をじろりと見やる。

 

「御自分の知能に余程の自信があるみたいですねぇ。その知能で我が父上、偉大なる絶対支配者、至高なる大魔王様のお役に立てると? だから王国民の命は助けてほしいと?」

 

「いえ、助命を願うのは私とそこの護衛騎士、クライムだけです。他の者は皆殺しにしていただいてかまいません」

 

「なっ?! なにを言っているの! ラナー!?」

「おいおい、マジか?」

「魅了でもされた?」

「不明、そんな気配はなかったけど」

「魔力の流れに変化はない。だが何かの要因で錯乱状態に陥ったのかもしれん。あの化け物から引き剥がすべきだろうな」

 

 黄金姫の暴言に戸惑いながらも”蒼の薔薇”は僅かに腰を落とし、獲物へ手を添え、埴輪男の挙動を見すえる。

 全員で掛かれば勝てるか?

 異形である埴輪男の種族――おそらく二重の影(ドッペルゲンガー)ではないか?――から察するに、それなりの強さを持つはずだ。それでもイビルアイは、伝わってくる威圧感から勝機を見いだそうとする。

 話している内容からして、相手は魔王軍の中でもそれなりの地位にいる者らしい。ラナー王女も最敬意をもって足元へ伏している。だが実力が伴っているかというと、人間社会と同じく身分だけが高い場合もあろう。

 埴輪男は、そんな格だけが高い魔王軍の幹部なのだ。

 王国――いや、蒼の薔薇にとっては千載一遇のチャンスである。

 

「アイツの相手は私がする! ラキュース! 王女を連れて逃――っぐぎああぁぁあ!!」

 

 右腕が付け根から吹き飛ぶ、と同時に左腕も消し飛んだ。

 〈水晶騎士槍(クリスタルランス)〉で先制し、埴輪男と王女との間に立ち塞がろうとしていたイビルアイは、半歩踏み込む前に己の体液を撒き散らして仰向けに倒れ込む。

 

「ちくしょお! なんだ今の?! 見えねえ!」

「下がって!! みんな後ろへ! ティア、ティナ! イビルアイを!」

「「了解!」」

 

 油断していたわけではない。緊張の糸は張り巡らせていたし、完全な戦闘態勢で埴輪男を監視していた。

 それなのに、イビルアイは見えない攻撃によって両腕を粉砕された。使われた武器が刀剣なのか鈍器なのかも判らない。肉片の吹き飛んだ方向から、下から上へ振り上げられた一撃によるものだとは判別できるものの、それで次の攻撃から身を護れるのかどうかは不明だ。

 

「“弐式炎雷”の技に反応できず、ですか……。父上へ献上するかどうか迷うところですねぇ」

 

「パンドラズ・アクター様、王国のゴミが無礼をはたらきまして、まことに申し訳ありません」

 

「ああ、かまいませんよ。それより先程の件ですが……」

 

 軍帽の位置を直しながら、パンドラは黄金姫へ顔を向ける。

 

「残念です」

「――――え?」

 

 ひゅっと鋭く息を吸い、絶望を悟る。真っ黒な穴にしか見えない異形の眼を覗き込み、全てが終わってしまったのだと、王国の第三王女、黄金姫と名高き比類なき至上の天才、ラナー王女は顔を強張らせる。

 

「貴女は理解していたはずですよ、自分の役割を。滅びゆく王国の悲惨さを象徴する役割が己にあるのだと、最初から知っていたでしょう? だから貴女は炎上する王城で、なぶり殺しにされている国民の視線の先で、『誰よりも残虐な己の死』を演出しなくてはならなかった。それを十分に察していながら我が父上の下僕になりたいとは……。死を恐れましたか? 犬との別れが辛かった? 後で蘇生してもらえると確信できなかった? まぁあなたは生命力が低そうですから、蘇生魔法では無理だと思うのも仕方ありませんけど」

 

 ラナー王女は殺される必要があった。魔王様に喜んでもらえるほどの、悲惨で救いのない、絶望に満ちた、滅亡する王国の姫君として……。

 しかしラナーは選べなかった。それが答えだと知っていても選べなかったのだ。

 死は終わりだ。

 全ての終わりだ。

 ラキュースが蘇生魔法を使えるとしても、クライム並みの生命力がなければ役に立たない。無論、木剣すら持ったことのないお姫様では何をいわんや。

 

「駄目ですねぇぇ、愚かぁですねぇぇぇ。死を求められているのなら喜んで死になさい。父上が楽しんでくださるかもしれないのですよ? ならば全力で死ぬべきでしょう。自慢の知能を限界まで振り絞って、この世で最も異常な、神ですら引きつる、狂った死を作り上げるのぉぉですっ! ふふ、ふふふ、なんとっ羨ましいぃ! 私が代わりたいくらいですよぉ! 父上に己の命を捧げることができるなどっ、得難き御褒美! 至上の喜び! 我が人生における最高の記念日ぃい!!」

 

 興奮し過ぎているであろう、最後の方は何を言っているのかよく解らなかったが、ラナーは選択を誤ったのだと自覚するしかなかった。

 そもそも死ぬことが正解だと言われても納得できない。誰がそんな先の無い未来を選択できるだろうか。それより己の有用性を売り込んで、魔王様の配下としてもらうほうが生き残る確率は高い――高いはずであった。

 

「ち、ちがうちがうちがう!! 私の知能は生かして利用するべきだ! 人間を滅ぼすにしても間違いなく役に立つ! こんな腐った国と共に死んでいいわけがない! 私ほどの知恵者は帝国や法国、竜王国や聖王国なんかにも絶対に居ない! 全人類の中でも二度と出てこないほどの存在なんだ! それをクライム一人与えるだけで何でも言うことを聞かせられるのよ! だから魔王様に! 魔王様にぃ!!」

 

 己の価値を正確に把握している者などこの世にいるはずがないと言いたいところだが、人が変わったかのように泣き喚く黄金姫は、まさに異常なほどの知能でもって全てを理解していたのであろう。だから魔王様の下僕にもなれると判断していたのだ。

 

 王城の無駄に広い通路の端では、右往左往する近衛兵たち、思ったより血が噴き出ていない重傷のイビルアイとそれを庇う蒼の薔薇、そして呆然と立ち尽くすクライムの姿があった。

 

「さて名残惜しいですが、そろそろお暇させて頂くとしましょう。皆さま、どうかお元気で」

 

 観客から黄色い歓声をかけられる舞台役者であるかのように、パンドラは派手にマントを舞わせ、男前成分マシマシな軽い一礼と共にその場を去った。

 後に残るは上質な靴による足音と、座り込んだまま動かない黄金姫の意味不明な呟きだけ。

 

 ラキュースはイビルアイの傍から動けず、ただ命の危険が去ったことに感謝していた。親友の狂乱ぶりには目をつむったままで。

 他の蒼の薔薇一行は、周囲を警戒しながら吸血鬼の回復を待っていた。王国側に仲間の正体を気付かれないように。

 クライムは静かに主の背中を見つめていた。当然混乱はあったものの、そんなときこそ基本に立ち戻るべきなのだ。そう、大事なのは誰なのか? 迷う必要はない。

 

 魔王軍の侵略が始まって結構な日数が経過し、王城ロ・レンテに魔王軍の本陣が設営されたこの日、リ・エスティーゼ王国の指揮系統は崩壊した。

 もはや物資も人も動かない。

 頼みの竜部隊も、この日を境にいなくなった。

 

 

 ◆

 

 

 衛兵も近衛兵も居ない――、不自然なほどに静かな王城の通路を歩き、パンドラは正門を目指す。

 のんびりとした歩調だ。

 〈転移門(ゲート)〉を使えば、すぐにでも偉大なるモモンガ様の元へ馳せ参じることができるというのに……。埴輪男は誰かと待ち合わせでもしているかのように、王城正面門を潜り出ていた。

 

「そこで止まれ」

 

 聞き慣れない男の声が、異形の存在を止める。

 

「なにかご用ですか?」

 

 道案内でも頼まれたかのように軽く答え、パンドラは自身を取り囲んでくる六つの影を静かに観察する。

 統一感のない様相だ。

 武装していることから荒事に長けた者たちなのであろうが、冒険者にしては纏う空気が不穏過ぎる。間違いなく裏社会で動いている集団だ。本来であれば、王城の正面門付近で出会う手合いではないだろう。

 

「おっ、マジで人間みたいに答えやがったぜ。知能はそれなりにあるみたいだな。だけどよぉ、そんな口でどうやって喋ってんだ?」

「ドッペルゲンガーっていうの? 私は初めて見るけど……。何だか気味が悪いわねぇ」

「我も文献でしか知り得んな。他者に姿を似せる特殊技術(スキル)を持ち、戦闘能力もオリハルコン級冒険者チームに匹敵するらしいが」

「はっ、姿を似せるくらい俺の魔法なら楽勝だって。たいした能力でもねぇな」

「いやそれより、そいつが魔王軍の幹部だというのは本当なのか? サキュロント。見た目からして弱そうなんだが」

「知らねぇよ! 聞こえてきた話の内容からすると、そうだってだけだ。蒼の薔薇の視界に入るわけにはいかなかったんだから仕方ねぇだろ? あれ以上近付けねぇよ。文句があんなら自分で行け! ペシュリアン!」

 

「お前ら、黙れ」

 

 好き勝手に騒ぐまとまりのない集団が、一人の――筋骨隆々な全身刺青だらけの大男によって統率される。

 自信と余裕を備え、大男は埴輪男の前へ身を置く。組まれた腕に武装は無く、背や腰にも武器を所持しているようには見えない。丸腰とは豪胆とも言える所業であるが、もしかすると修行僧(モンク)に類する戦闘技術を持っているのかもしれない。

 ただそういえば、対面する埴輪男も丸腰だ。

 黄色い軍服と軍帽、マント以外に所持しているモノは無い。いや、見えるところには無い、と言うべきか?

 

「今から俺たちと来てもらう。あぁ、心配はいらん。お前は交渉のための人質だ。魔王軍とやらが、俺たち“八本指”に手出しできなくなるよう話し合うための、な」

 

「ほう、我ら魔王軍と交渉とは――豪胆ですなっ」

 

 パチリと指を鳴らし、埴輪男は嬉しそうにマントをはためかせる。

 と同時に、黒いローブを着込んだ一体の骸骨が崩れ落ちた。

 

「なっ! デ、デイバーノック!?」

「ちょっと! なに?!」

「攻撃された?! のか?」

 

「おや? 蒼の薔薇より反応が鈍いですな」

 

 さらにパチリと音を響かせ、人間(ゴミ)の首が二つ、軽やかに宙を舞う。

 

「ひ、ひぃ! なんだ?! なんだよこれっ!」

「逃げんじゃないわよクズ! どう見たってこいつの仕業でしょうがっ!」

 

「いまさら反撃とはお粗末。それに私は合図を送っただけですよ」

 

 駄目押しとばかりにパチリと鳴らし、二体の人間(ゴミ)屑をバラバラに撒き散らす。

 

 王城の正面入口前は死の騎兵(デス・キャバリエ)が訪問した時と同じく、死の匂いに包まれてしまった。新鮮な血肉が円状に広がり、誰かが意図して描いたような気さえしてくる。

 最後に残ったリーダーらしき刺青の大男は、踏み出すことも引くこともできず、腕を組んだまま埴輪男を睨み付けるしかなかった。

 

「なにを、した? い、いったい、なにを?」

 

「ふむ、そうですねぇ。理解はできないと思われますが答えて差し上げましょう」シュバッと片腕を勢いよく振り上げ、丁寧に軍帽の位置を直す。

「私たち守護者は外へ出る際、護衛をつけているのですよ。父上曰く、『最低でも国家を滅ぼせるだけの護衛をつけるように。それでまぁ、出先で面白そうな国があれば派手に潰しても構わんぞ。その時は見物したいので連絡を入れるようにな』とね。ですから今、貴方の周りにはレベル80程度の(しもべ)が五体ほど戦闘態勢で控えているわけです。ああ、”レベル80”というのは国家どころか世界すらも滅ぼせる強さのことですよ」

 

 ゴクリと喉を鳴らした音がやけに大きく聞こえる。死を間近に感じているからこそ、身体の感覚が研ぎ澄まされているのであろうか? 生き残る道を探れ――と。

 

「それで、俺をどうする気だ?」精一杯の強がりで刺青男は問いかける。

 

「何を言っているです?」人形のような不気味な頭を傾げて、二重の影(ドッペルゲンガー)は言葉を続ける。

「私に用があったのは貴方ではないのですか? 私をどこかへ連れて行ってくれるのでしょう? さぁ、遠慮はいりませんよ」

 

 断るという選択肢が無いことは解っていた。それでも拒絶したくなるのは仕方がない。

 本来であれば殺さぬ程度に捕縛し、八本指幹部が集まる会合場所へ運ぶ算段であった。そこで魔王軍とやらの情報を吐いてもらい、交渉材料とする手筈であったのだ。

 それが……。

 

「連れて行けば、俺は、俺のことは助けてくれるのか?」

 

 命乞いだ。腹の探り合いでも何でもなく、ただの助命嘆願である。

 王国を裏で牛耳る犯罪組織、“八本指”の警備部門、アダマンタイト級冒険者にも匹敵すると言われる“八腕”のリーダー、闘鬼“ゼロ”の弱々しい姿がそこにはあった。

 

「ええ、もちろんですとも。我が父上は人間の無駄使いを良しとしておりません。生きていようと死んでいようと、余さず使い切りますので御心配なく」

 

「……ぐっ、ち、ちくしょぉぉ。この、くぅぅ、――くそがあああぁあっ!!」

 

 全身の刺青を輝かせ、仮初の強さで己を鼓舞するも、埴輪男までの距離がやけに遠く感じる。筋肉が引き千切れるほどに力強く踏み込んでいるのに、前へ進んでいる感覚がなく、全ての動作が異様に重い。

 振り上げた拳はどこへいったのか?

 自分は何を叫んでいたのか?

 身体を支えるはずの足が、いつの間にか両方とも消え去っていた。

 もう、地面へ落ちるしかない。

 

「おや? 案内はしてくれないのですか? それは残念ですねぇ。まぁ、場所は知っていますので勝手にお邪魔させてもらいますけど……。コキュートス殿は気にしないでしょうかねぇ。戦争に参加しそうにない犯罪者集団ですから、私がもらってもよさそうですが……」

 

 魔王軍と対峙する集団であるなら、先程の“蒼の薔薇”同様手出し無用だ。勝手に相手を弱くしようものなら蟲王に怒られてしまう。獲物をとるなと。

 

「さて、王国はコキュートス殿にお任せするとして、もう一舞台開演といきましょう。演劇内容としましては……。『国家に巣食う巨大な悪を滅ぼす正義の味方』――は“たっち・みー”が好みそうなので却下ですね。それより悪が正義に勝つところを、さらなる悪で滅ぼすというのが父上の好みにも――」

 

 一人ブツブツ呟きながら、パンドラは王国の街中を歩く。人の気配はあまりない。戦時中であるからか、家屋の中に閉じこもり出歩こうとはしていないようだ。

 避難民も多く流入しているはずだが、それはスラム街に押し込められているのだろう。黄色い軍服姿の埴輪男へちょっかいを出そうとする者はいなかった。

 

 薄暗い街並みが続く。

 ところどころに屋根を持てない薄汚れた難民たちが蹲っている。場違いなパンドラに反応するだけの気力もないのだろう。虚ろな瞳には、やがて迎えに来るであろう己の死が見えているのかもしれない。

 

 怪しげな建物が連なる、一般人立ち入り禁止の地区へさしかかる。

 頑丈な窓に、手順が必要な堅い扉。鉄板で補強もされているようだ。外から簡単に入れないようにするためか、外へ逃がさないようにするためか。中から息を呑む音と、恐怖に満ちた視線が飛んでくる。

 

「ん? おやおや、もったいないことを」

 

 路地の端に、袋に詰め込んだだけの人間の死体が積み上げられている。

 容量からすると痩せた人間、もしくは女性なのだろう。有効活用もしないでただ捨てるだけとは、資源の無駄使いも甚だしい。

 

「餓食弧蟲王殿にお土産として持っていきましょう。まだ辛うじて息のあるモノも居るようですし、他も死にたてみたいですから苗床や餌にでもしてもらえれば……」

 

 パンドラは手際よくお土産の運搬手配を済ませると、鼻息交じりで目的の場所へと足を向けた。

 その姿はいつの間にやら“お姫様の護衛を務めていた少年”のモノとなっており、手には錆びた小剣が一本。

 足取りには焦りが感じられ、目線には緊張が漲っている。

 少年は力強く地下へと続く扉をけ破り、周囲の殺気立つ武装集団へ宣戦を布告する。

 

「八本指ども! お前たちの悪行もここまでだっ! 全員、皆殺しにしてやる!!」

 

 少年は奮闘する。

 イイとこまで行くだろう。

 だが最後には力尽き、悪の幹部たちの前に倒れ伏すのだ。

 

『演目:力なき正義と、至高の大魔王』

 

 己の無力を呪った少年は、最後の最後で大魔王様へ懇願する。

 力が欲しいと。そのためならば己の最も大事なモノを捧げると。あの姫様を捧げると。あの姫様の命も魂も――。

 

 かくして少年は全てを滅ぼした。

 絶大な力を揮い、勝ち誇っていた悪の組織を捻り潰した。

 爽快な気分だ。

 こんなことなら、さっさと人をやめていればよかった。

 少年は打ち捨てられていた――どこか見覚えのある金髪女性の――無残な遺体を拾い上げ、かぶりつく。

 美味い。

 なんて美味いんだ。

 こんなに人間が美味いなんて、もっと欲しくなるじゃないか。

 そうだ、次は帝国へ行こう。そこでたらふく人間を食べよう。邪魔するモノは全て破壊すればいいんだ。

 そして次は、次は――。

 

 少年は大陸の端から端まで人間(えさ)を求めて彷徨い、腹を満たし続けた。

 だけど時折思い出したかのように何者かの、女性と思われる何者かの名を叫んだ。

 どうしてその名を叫ぶのか、どうしてその名だけを忘れられないのか、まったく理解できないままに。

 

 その少年だった化け物は、最強の絶対支配者、全ての頂点に君臨する、至高なる大魔王様――に討伐されるまでの数百年、人間を喰らい続けたのであった。

 

『主演:パンドラズ・アクター』

 

 

 

「……あの黄金姫も“徹底抗戦の末、護衛の少年に裏切られて死ぬ”という演出ができていれば、父上のコレクションに加えられる可能性もあったでしょうに」

 

 はぁ、とため息を漏らし、埴輪男は薄暗い会議室で閉幕した舞台の残骸を眺める。

 元は八本指と呼ばれる犯罪組織の幹部だったモノだ。今は何だか人間とは思えぬ別の生き物になって、のたくっているが……。

 

「余興はこの程度にしておきましょうかね。あとは父上と一緒に、コキュートス殿の侵略戦争を見物させてもら――」

 

 即興劇にしてはまぁまぁだったと評価し、パンドラは踵をかえそうと、ナザリックへ帰還しようとしていたその時、魔法による意思の伝達を認識する。

 

『パンドラ、ドリームチームで出陣するわ。すぐに戻りなさい』

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。