最終戦争が始まる直前、一人の
その女エルフは黒髪のオカッパ頭という『らしく』ない様相であり、身に着けている装備品も極めて軽装。
「いける……かな?」
念入りに隠密スキルを発動させて墳墓をのぞき込み、何者かが居ないか再度のチェックを行う。
「なんだか薄暗いけど、モンスターの気配は無しっと。んじゃまっ、おじゃましまーす」
誰にも聞こえないようにしているのに挨拶をしてしまうのは癖なのだろう。その軽装エルフは妖精らしくない人間臭さを見せながら、大墳墓の第一階層を一気に走り抜けていた。
「ん~っと、ここら辺にトラップがいくつかあったはずだけど、場所変えたのかなぁ? 前に来たのは結構昔のことだし……」
探査しては空気を揺らさず駆け抜け、また探査しては有るはずのトラップを求めてキョロキョロする。
「うむぅ、おかしい」とエルフは呟く。
大墳墓には恐るべきデストラップが厭らしいほど置かれていたはず――いや、頭の構造を不安視するほどの馬鹿げた量がバラまかれていたはずだ。それもあの“ぷにっと萌え”さんが、人の心理を逆手に取ったムカつく配置で。
普通なら探査に引っかかるトラップを囮にして、本命と大本命が襲い掛かってくる手筈であろう。
それなのに……。
「えっ、うそぉ? 第四階層まで無傷で来れちゃった」
昔と違って今は侵入者であるはずなのに、迎撃モンスターとは出会わず、トラップにもかからなかった。というかトラップやフィールドエフェクトは起動していないように思える。勇者軍とは地上決戦なのだから拠点の防衛機能など不要、と判断したのだろうか?
それならば、ツアーから与えられた策は見事にハマったと言えるのかもしれない。
「ふふ、これなら楽勝かも? 一気に九階層まで行ってみよっと」
エルフはさらに速度を上げ、無人の氷河地帯を、ジャングルを、溶岩地帯に荒野を駆ける。途中、第六階層にある世界樹ハウスに懐かしさを覚え、少しだけ足を止めてしまったが、あの時のメンバーはもう居ないのだ。
“ぶくぶく茶釜”さんも“餡ころもっちもち”さんも、そしてお姉ちゃんも。
「ん? 誰か居る。アンデッドじゃない、生きている……メイドさん?」
姿を隠すエルフの視線の先では、美しいメイドが一人、一心不乱に掃除をしていた。その様子からは侵入者への警戒というより、不安を解消したいがために仕事に熱中している――のではないかと思われる。
非常に人間臭く、とてもNPCの行動とは思えない。
あのへろへろしていた“ヘロヘロ”さんが過労死するまで頑張っても、こんなプログラムは組めないだろう。
やはり異世界は不可思議だ。
「――動かないでっ。周囲には結界を張ったから騒いでも無駄よ。大人しく私の質問に答えて」
「…………」
片腕を押さえ、首元へ短刀を突き付けながら、エルフはメイドを観察する。
肩まであるサラサラの金髪に意志の強そうな大きい瞳。纏っているメイド服は魔化がほどこされている一級品であり、各所の繊細なフリルからは『メイド服は戦闘服だ』と主張していたあの人を思い出す。
「墳墓内の防衛戦力について教えて。貴女以外に誰が居るの? プレイヤーは?」
「殺したいのであれば殺しなさい。侵入者に教えることなど何もないわ!」
圧倒的レベル差をものともしないで、メイドはモモンガ様の敵を睨みつける。
主従の関係が切れていようとも、誇りあるモモンガ様のメイドとして命を惜しむつもりなどない。敵へ情報を与えるくらいなら、即座に舌を噛み切る覚悟である。
「ちょっ!? 何してんの?! 危ないからっ! 〈
迷いなく自死しようとするメイドの口へ指を突っ込み、自らの身体を傷付けかねないほどの暴れ狂いぶりを抑えようと眠りの魔法を唱える。
侵入者であるエルフは久しく忘れていたNPCの忠誠心を思い起こし、深いため息と共に軽量なメイドの女の子を床へ寝かせた。
「やっぱり駄目かぁ。“ギルド武器”の場所とかも聴き出せたら良かったんだけどな~。ん~っと、前来たときは『円卓の間』にあったっけ? 今もそこにあるのかなぁ?」
思い浮かべるのは七匹の蛇が絡まった黄金の杖。アインズ・ウール・ゴウンの象徴であり、破壊されたならギルド自体が崩壊してしまう最重要アイテムである。
「九階層だったような気がするけど……。探知魔法には何も引っ掛からないし……。ギルド武器は隠蔽できない仕様だったよねぇ。んむむ、でもモモンガさんならどうにか出来そうだから困る」
エルフは過去の記憶を頼りに、ギルド武器が保管されていそうな部屋を開けていく。
ツアーから魔王の話を聞き、撃退までの作戦を相談された時は『私でもやれる』と思っていた。レベルは100だし
それに何度か招待されて色々見回った経験もあるのだから、私以上の適任者はいないはずだ。
ナザリック地下大墳墓へこっそり忍び込み、ギルド武器を破壊して魔王軍を混乱に陥れ、勇者軍へ勝利をもたらすという大役をこなせる者は。
「あああ、どうしよう……、見つかんない。このままだとツアーさんが殺されちゃうよぉ。お姉ちゃ~ん、たすけてぇ~」
巨大な扉を開けて薄暗い“玉座の間”を視認したエルフは、膝を落として涙を浮かべる。
ギルド武器を破壊できなければ、勇者軍の勝率は著しく落ちるに違いない。相手はあの魔王軍、アインズ・ウール・ゴウンなのだ。千五百人ものプレイヤーを撃滅せしめた頭のおかしいギルド。“
そんな相手を倒せるわけがない。たとえ“真なる竜王”が加わったとしてもだ。
それに率いているのは“あの”モモンガさんである。ペロロンさんじゃない。慎重で恐るべき対応力を持つあの人なら、異世界に来ても余裕でギルドを統率できるだろう。
「はぁ、こんなことなら海上都市で籠城すべきだったかなぁ。でも、八欲王の所為で大量に金貨を消費しちゃったからNPCは動かないし、次は耐えられないよね~。あぁ~、お姉ちゃんが居ればギルド加入をお願いして、世界の破滅を回避出来たかもしれないのにぃ」
『世界を滅ぼす』と言っているらしい――モモンガさんの脅威から生き残るには、戦って倒すか永遠に逃げ続けるか、の二択しかない。だけど海上都市では籠城できず、ナザリックのNPCたちは砂漠の中に落ちた一本の針すらも見つけ出す優秀さだ。あの“ぷにっと萌え”さんや“タブラ”さんが創り出した化け物なのだから当然だろう。
となると、残る選択肢としては大魔王討伐しかない。
何故か勇者に認定されてしまった“真なる竜王”、ツアーの出番である。
彼の強者であれば、プレイヤーとて無事では済まない。八欲王と同じように、消滅へ追い込むことも可能であろう。
人外の巣窟であるナザリック地下大墳墓の高レベルNPCたちが、邪魔さえしなければ……。
「マズい、よねぇ。ギルド武器を破壊してNPCに混乱を招く――この作戦が不発に終わると、いくらツアーさんでも……って、あ、あれ?」
手詰まりな現状を嘆いていると、誰も居なかったはずの“玉座の間”に強大な魔力が沸きいでる。しかも三か所に。
エルフは愛用の短刀を握りしめながら隠密スキルを発動させると、唐突に現れた闇の扉から距離を取り、柱の陰へ身を置く。
いったい何者が? と一瞬考えて、無駄な思考だったと思い直す。
ここはギルド拠点なのだ。
直接転移してくるなんて、ギルド所属のプレイヤーかNPC――そう、アインズ・ウール・ゴウンだけだろう。
(あ~ぁ、ツアーさんってば負けちゃったのか……。なら勇者軍も壊滅しているんだろうなぁ。となると、これで世界は終わりってこと?)
深いため息と共に額を押さえ、エルフは緊張感のないのんびりとした瞳を閉じると、しばし沈黙する。
(…………諦めるのはまだ早い。一か八か、やってみるしかないね)
死の覚悟を秘め、エルフは眼力鋭く柱の陰から一歩を踏み出す。
隠密スキルは解除した。
短刀は腰の鞘へ収めた。
待ち構えるは三つの〈
エルフは〈
最後の賭けとなるであろう、あまりに勝率の低い無謀な指示を――。
◆
片手で持てる一般的な杯であり、酒場などでもよく見られる形状だ。材質は金属と言いたいところだが、木製に見えなくもないのでよく分からない。噂では、形状や材質などを持ち主の意思によって変化させることも可能、とのことらしいが本当かどうか……。
ちなみに“ヒュギエイヤの杯”の能力は、広範囲展開の
ただ、ユグドラシルで最初にその杯を入手したギルドは、魂が抜けたようにうなだれたそうだ。
『
それも仕方のない言い分だ。
数多の課金アイテムを浪費し、ギルドメンバーのデスペナを乗り越えまくって辿り着いた先が、位階魔法でも代用できそうな
とはいえ、そんな悲しい評価であった“ヒュギエイヤの杯”も、ある日を境に『狂った運営の産物』に相応しいと言われるようになる。
それはトップ三十に入ろうとしていた上位ギルドであった。
いくつかの古株ギルドを吸収し、そろそろ大きめのギルドに攻略戦でも仕掛けてやろうかと意気込んでいた、血気盛んなガチ勢の集まりである。
その日は特に手薄なわけではなかった。
拠点であるダンジョンにはそれなりにギルドメンバーが顔を出しており、狩りへ出ていたチームもすぐに戻れる状況。だから攻略戦を仕掛けられるなんて夢にも思っていなかったのだ。それも自分たちより下位の、無名でしかないギルドに。
『舐めやがって! 勝てるわけないだろうがっ!!』
トラップを利用できる防衛側は圧倒的優位に立てる。加えてプレイヤーの質や量でも上回るなら、侵入者側に勝機などない。
何の成果もなく己の装備をドロップし、レベル低下のデスペナルティを受けてリスポーン地点へ戻るだけだ。ハッキリ言って無駄死にでしかない。何のための攻略戦なのかと問いただしたくなる。
『……ん? なんだ? なんだこれっ?!』
最初の異変は、デストラップに引っかかった侵入者の動性だ。
一度に1チームを全滅させる自慢のトラップに潰されたプレイヤーたちは、すぐに動き出してトラップを乗り越えたのだ。
『即時蘇生の課金アイテムか?』と、いつもなら思い浮かぶのだろう。だがその者らが死亡したのは二度目であったのだ。即時蘇生系の魔法やアイテムは、
つまり侵入者は――殺しても死ななかったのだ。
信じられない異常な光景は、侵入者側の全プレイヤーに見られた。誰も彼もが死なず、足を止めず前進し、ひたすら回復し続ける。まさにゾンビアタック。どんな魔法も
訳が分からないままに追い詰められ、相手を三度殺したところでギルドマスターたる自身も殺され、ギルド武器は破壊された。
あっという間の出来事であった、と言えるだろう。理解する前に押し切られ、呆然とするしかなかった。運営の対応からすると何かカラクリがあるのだとは思う。でも別のギルドが自分たちと同じ目に遭うのを見ても、答えは得られなかった。
最後尾にいた侵入者が、何か杯のようなアイテムを発動させたのだけは見て取れたのだが……。
答えが解ったのは、ゾンビアタックギルドがアインズ・ウール・ゴウンへ攻め込み、返り討ちに遭った時だ。
最初から殺しても死なないプレイヤーは相手にせず、杯を持っている最後尾のプレイヤーへ全力攻勢。最悪のPKガチ勢がたった一人へ襲い掛かる光景は、見るも無残な虐殺行為であった。
最後に登場した大魔王も狂っている。相手を何度殺せば気が済むのか? 公開された動画の前で思わず『よっしゃあ!』と拳を握ってしまう。
殺しても死なないプレイヤーから杯を奪うのは、アインズ・ウール・ゴウンでも困難を極めた。だけど、HPがゼロになった瞬間ならば〈強奪〉が可能だと確信していたのか予想していたのか、幾度目かの殺害時、とうとう小さな杯は“チグリス・ユーフラテス”の手へと渡った。
それこそが世界級アイテム、“ヒュギエイヤの杯”。
HPがゼロになっても
宝物殿から持ち出された“ヒュギエイヤの杯”は当初デミウルゴスに渡され、デミウルゴスが
そしてマーレは、モモンガ様と勇者ツアーが全てを呑み込む光の渦を形成したその瞬間、己の5レベルを費やして“ヒュギエイヤの杯”を発動させたのだ。
対象は――必要ないとは思うものの――モモンガ様、姉と自分、各守護者と大事なドラゴン、他は面識のある側近とかとにかく目についたナザリックの仲間たちを徹底的に。多量の経験値を注ぎ込んだのだから選択容量に不足はなく、塵となりかけていた異形の者たちは、あっけにとられながらも再構成される己の身体から目を離せない。
魔王軍は全滅必死の最中から生還を果たした。
マーレが“ヒュギエイヤの杯”を発動させなければ、直径三十キロにも及ぶ巨大なクレーターの中央で佇むは大魔王だけであっただろう。
骸骨魔王モモンガは、マーレがナザリックの者たちを助けると確信があったのだろうか?
“ヒュギエイヤの杯”をマーレに持たせていたのだから、当然そのつもりだったのだとデミウルゴス辺りは頷くと思うが……。実際は違うのかもしれない。
モモンガ様は『どちらでもよかった』と言いそうだ。
勇者軍が先制不意打ちを仕掛けてきた時も、アウラが”
とはいえ、真実は魔王様にしか分からない。
“始原”と“世界”の衝突により木っ端みじんとなった勇者軍を、満足そうに看取るモモンガ様にしか分からないのだ。
「モモンガさまぁ! お怪我はありませんか?!」
「愛しの我が君ぃ! ご無事でありんすかぁ?!」
真っ先に駆け込んできたのはアルベドとシャルティアだ。爆心地に最も近かったはずなのに、“ヒュギエイヤの杯”の“
“
「おお、二人ともご苦労だったな。“
辺りを見回しても闇色の巨大なドラゴンは居ない。魔王軍の生き残り以外は、恐るべき破壊の痕跡しか見たらない。
「申し訳ありませんモモンガ様、“常闇の竜王”は地下深くへと逃れました。もう少しで仕留めることが出来たのですが……」
「申し訳ありんせんモモンガ様。あの気持ち悪い竜王は、想像以上の再生力を持っていんした。攻めきれなかったでありんす」
深々と首を垂れる両名の前で、モモンガは「ほう」と嬉しそうに答えた。“真なる竜王”が全滅しなかったことで、再戦の可能性を見たのだろう。
食べ尽くしたと思っていた好物がまだ残っていたのだ。骨だけの頬も緩もう。
「あの竜王は地面に接していると強力な再生能力を得られるようです。地下を活動拠点としている理由もそれかと。次に戦うときは、フィールドを変化させる必要があります」
「え? そうでありんしたの? 竜のくせに地面に引っ付いたままだから、おかしいとは思いんしたけど……」
「ふむ、面白そうな奴だな。戦える日を楽しみにしておこう」シャルティアへ特に突っ込むことなく、魔王は地下深くに潜む竜王へ想いを馳せる。『再生能力が最高に高まる場所で戦ってみよう』と。
「――アルベドお姉様、今帰った。大丈夫?」
「あら」
アルベドが振り返ると、十二枚の白い翼を広げたルベドが舞い降りていた。片手に青い竜の巨大な肉片を掴みながら。
「貴女が戦っていたのは“
「ごめんなさい、逃げられた。さっきの爆発にお姉様たちが巻き込まれたと思って、追いかけないで戻った。それにちょっと……眠い」
竜王の肉片を地面へ落とし『ふわわぁ』と欠伸をする天使ルベドは、強力な個体でありながらも制限がある。一日の活動時間は三十分、一度動き出せば途中停止は不可能、再始動するまでに必要な時間は二十四時間だ。この制限はギルドが無くなってからも撤廃されなかった。
ユグドラシルであれば、特例で置かれていたルベドを運営が回収する手筈だったのだが、異世界では当然無理な話である。だからルベドは唯一の拠り所である姉の元へ身を寄せ、姉のためだけに戦うのであった。
ちなみに、骸骨魔王モモンガなどは眼中にない。
「これで逃げた“真なる竜王”は二体か。楽しみが増えたな」
くくく、と笑いを漏らす大魔王は、ツアーとの大爆発直前に確認していた状況を思い出す。
ガルガンチュアと意味不明な殴り合いをしていた“
変身したセバスとタイマンをしていた“
アウラとマーレの相手をしていた“
「“六竜”の内、仕留めることが出来たのはツアーを含め四体か。中々面白かったな。さて、他の勇者たちは――」
視線を上げる魔王の前には、表層を抉り取られた無残な大地が広がるばかりであり、勇者らしき存在は見えない。クレーターに立っているのは何れもナザリックの元僕たちばかりだ。一度は勇者と共に光の渦に消し飛ばされたのだろうが、“ヒュギエイヤの杯”によって命を繋いだのである。もっともマーレが効果対象として選択しきれなかった者たちは、塵となってこの地に舞っている。当然ながら、野良となってしまったNPCに復活の可能性はない。
「ああ、エルフの女王も木っ端微塵か。これは“ギャラルホルン”を見つけ出すのが大変だな。どこまで吹っ飛んだのやら……」
世界級アイテムだから消滅や破損はないだろうけど、遥か彼方まで飛んでいった小さな天秤を探すのは気が遠くなる。パンドラに丸投げすれば数か月で見つけてくるような気もするが、もはや部下ではないので命令するつもりもない。それより他の敵対者に渡って、いつか戦いを挑んできてくれたら喜ばしい。
「勇者軍は全滅か……。しかしまぁ、終わってしまうと寂しさすら感じてしまうな。ツアーとは『何度も戦いたい』と思わずにはいられん。八欲王が羨ましいぞ。大量の“真なる竜王”と消滅するまで戦えたのだからなぁ」
楽しかった祭りが終わる。モモンガにとってはそのような感覚なのかもしれない。アンデッドとしては如何なものかと言いたくなるが、殺戮者としては正しいのだろう。勇者を撃退した他の世界の魔王も、きっとこんな虚しさを味わっていたに違いない。
「さて、生き残った者を連れてナザリックへ戻ると――」
「それは許さん。貴様には消えてもらう」
回復途中の守護者や眠っているルベドを背負うアルベド、そしてモモンガを庇うような立ち位置へ滑り込んだシャルティアは、無礼な口を挿んできた何者かを視界に収めようと空中を見やる。