「勇者軍の生き残りでありんすかえ?」シャルティアが見つけたのは、紫の波動が漂う漆黒のローブを着込んだ骸骨だ。感覚的には多くのユグドラシルアイテムを身に着けているらしく、一瞬プレイヤーかと誤認するほどである。だけど実力的にはカンストではない。モモンガ様の前に立つには実力不足であろう。
「はん、“ナイトリッチ”ごときが最後に登場とは笑わせるでありんす。デザートの価値もありんせん」
強力な高位階魔法を操る、この世界でも最上位と言える恐るべきアンデッド、それが“ナイトリッチ”だ。各地で伝説上の存在となっており、動き出せば大陸一つが死に覆われるとまで言われている圧倒的強者。
つまり、モモンガ様にとっては雑魚である。
「くくく、大魔王とやら感謝するぞ。貴様のお陰で我は頂点――最強の存在へと進化出来るのだからな!!」
自分に酔っているかのようなナイトリッチは、骨の指で懐から“植物の種”を取り出し、口元へ寄せる。
「今まではナイトリッチの先を
食道などあるはずもないのに、ナイトリッチは
「魔王を名乗る愚かなアンデッドよ、聴くがよい! 我が名はズーラーノーン! 数百年に渡り闇の世界を支配し続けてきた絶対者である!!」
ズーラーノーンが飲み込んだ“世界樹の種”は、種族変更を可能とするアイテムだ。
ユグドラシルにおいて種族変更の手法は複数あれど、一体しかアバターを持てないプレイヤーたちには大して貴重でも重要でもない。カンスト勢ならばなおさらだ。種族を変えれば、せっかく上げた種族レベルを無駄にしかねないのである。それにアンデッドは種族変更不可なので、モモンガなどは変更について考えたこともないだろう。
しかし、“世界樹の種”はアンデッドであろうとも種族変更を成し、尚且つレベルはカンストまで上昇。加えて腹の中には“
となるとズーラーノーンはどんな種族へと変化したのか?
いや、人間種などになったわけではない。“世界樹の種”は変更だけでなく、進化も可能なのだ。つまりナイトリッチの上位種族、モモンガを認識したために進化の枝先に派生した最強のアンデッド――“
「ほう、上位種になるために世界級アイテムを使う奴など初めて見たぞ。ユグドラシルではほぼ全員がカンストプレイヤーで最上位種だったからなぁ」
「くははは、なんという力だ! これなら竜王どもも羽虫のように潰せる! 負ける要素など微塵もない! 我に傷をつけることすら不可能だろう! まさに神に匹敵する――いや、神をも超える無敵の力! ふはははは! ひれ伏すがいい愚物どもがっ!!」
一度に三十や四十ほどレベルが上がったら、それはもう舞い上がることだろう。自分こそが絶対無敵の最強アンデッドである、と思い込んでも仕方がないと言える。
だからモモンガは、優しい眼差しで興奮冷めやらぬズーラーノーンを眺めるのであった。
「面白い奴でありんすねぇ。モモンガ様と同じ種族になれんしたことが、そんなに嬉しいんでありんしょうかえ? 気持ちは分かりんせんでもありんせんが……」
「ふん、同じ種族と言ってもモモンガ様とは比較にもならないわ。急ごしらえの張りぼてみたいなモノでしょう? 目障りだから殺してしまいたいところだけど」
大魔王に寄り添う二人の妃からは、危機感のない雑談が零れてくる。目の前に勇者軍の残党、レベルカンストの
「さて、同種族とのPvPは久しぶりだから、ほんの少しワクワクするな」
アルベドとシャルティアをその場へ残し、モモンガは一人、オーバーロードと対峙する。
「ほざけ、偽魔王がっ。ツァインドルクスとの戦闘で疲弊した貴様など、相手にならんわ!」
ズーラーノーンは最初から漁夫の利を得るつもりで勇者軍へ参加していた。邪魔な“真なる竜王”や同格のナイトリッチが滅ぼされていくのを、無感情のまま眺めていたのだ。
目的はただ一つ、己の進化のみ。
アンデッド塗れにして壊滅させた国家の宝物殿――そこで偶然見つけた“世界樹の種”を、もっとも効率よく使用するために。
「ふふふ、ふはははは!! 溢れんばかりの魔力だ! これなら第十位階魔法とて容易く扱えよう! くくく、我は今、魔導の頂点へと至ったぁ!!」
「アンデッドなのに元気な奴だなぁ。まぁそれなら、ガチ勢上級者用の認定試験でも受けてもらおうか。〈
「ぬ?!」
耐性を持たない者にとって〈
互いに影響を及ぼすことのできぬ止まった時間の中で、向き合うだけだ。
「これが〈
「ん? まだまだこれからだぞ。〈
「なっ?! な、な、なんだぁ?!!」
「何をしているんだ、ズーラーノーンとやら。速く対応しないと〈
「ば、ばかなっ! 時間が止まった状態ではどんな魔法も意味を成さないはず!」
「ああ、だから遅延化させて時間が動き出した瞬間を狙うのだ。このタイミングは結構シビアでな。ガチ勢の上級者を選別するには丁度良い手法なのだぞ。さぁ、アンデッドの神とやら、お前の力を見せてくれ。〈
ズーラーノーンは止まった時の中で、発動を遅延化された多くの魔法と向き合う。
馬鹿げている。
狂っている。
誰がこんな状況を打破できるというのか?
〈
それに合わせた遅延化だと?
いったい何を言っているんだ?!
「ああ、ああああ、うわあああああぁぁあああぁ!!」
分からない。
対応しろと言われても、何も理解できない。
逃げればイイのか? いや、時間が止まっていては〈
「やれやれ、やはり神とやらはイベントボスの雑魚に過ぎないな。つまらない余興であった。…………さぁ、時は動き出す」
「おあああぁあああ!! たすけ――」
命果てるまでにどれほどの悲鳴を上げたのか? どれだけの恐怖に蝕まれたのか? アンデッドの神を自称していながら、何度神に祈ったのだろうか?
小さくて哀れな骸骨は、最後の欠片一つまでも徹底的にすり潰され、燃やし尽くされた。身に着けていた
彼の者の痕跡は、ただ一つ。
小さな植物の種だけだろう。
「う~む、大人げなかったかもしれんなぁ。もっと遊んでやればよかったか?」
「そんなことはありませんわ、モモンガ様。あのような尊大な態度の者に御慈悲を与える必要など」
「ほんに。モモンガ様の魔法をあれだけ浴びせてもらいんしたのだから、羨ましいぐらいでありんすえ」
新たに増えた小規模のクレーターを前にして、魔王と妃たちは和やかに言葉を交わす。
その周囲にはパンドラやデミウルゴス、アウラにマーレ、コキュートスやセバス、そしてプレイアデスの面々が集まり始めていた。
その他の元僕たちに関しては半壊と言ったところであろうか。レメゲトンの悪魔や八階層の“あれら”の中にも複数の損害が見える。
ヴィクティムは死亡したようだ。
ガルガンチュアは機能不全のところを“ヒュギエイヤの杯”によって回復を果たしていた。レイドボス級の巨大な
「皆、勇者軍との戦いに付き合ってくれたことを感謝する。おかげで楽しいひと時を過ごすことが出来た」
大魔王からの突然の謝意に、誰もが跪いてしまう。もはや主従関係などないというのに。
「私はこれからナザリックで一息つこうかと思っているが、皆はどうする? 一緒に行くか?」
御主人様であった御方が、元僕を誘うというのも不思議な光景であろう。とはいえ、元僕たちの答えは一つしかない。
「「「はい、お供致します、モモンガ様!」」」
世界を滅ぼす恐るべき魔王軍。
勇者たちを壊滅させたその者たちは、魔王と吸血鬼、巫女の創り出した闇の扉を潜って姿を消した。
向かうは主無きダンジョン、ナザリック地下大墳墓。
その増設された第十階層、玉座の間。
ただ、その場には招かれざる客が入り込んでいた。
全員に拒絶されたと言っていたツアーの嘘。たった一人、協力を申し出たプレイヤー。魔王軍が出払っている間に、ギルド武器を破壊しようと侵入していた
その名は“あけみ”。
◆
「ん? 先客がいるようだが……、見たことのある顔だな」
〈
その者は軽装であり、武装はしているものの戦う意思があるようには見えない。とはいえ、出迎えているわけでもなさそうだ。
「おんやぁ、あけみ様ではありんせんかえ? お久しぶりでありんすなぁ」
「おおぉ~、ホントだ! あけみちゃん元気だった?」
「あ、あの、あけみ様こんにちは。ま、また会えて嬉しいです」
別の〈
少し時間を挿んで玉座の間へやってきていたユリやペストーニャも、なんだか話しかけたそうにしていた。
「思い出話をしに来たわけでもなさそうだな」困った表情でアウラやマーレを撫でているあけみへ、モモンガは助け舟を出す。
「ナザリックの第十階層まできたからには、相応の要件があるのだろう? 聴かせてもらおうか」
「……その前に聴きたいのだけど」見知った顔ぶれに安堵し、モモンガと言葉を交わせることに気を取り直すも、タブラやウルベルトのNPCが放ってくるねっとりした殺気に冷や汗が出る。
「ツアーさんは死んだの? 勇者軍は、どうなったの?」
答えが分かっていても問わないわけにはいかない。
「ああ、ツアーは死んだぞ。見事な最期だった。勇者軍は九割以上が消滅。生き残ったのは“真なる竜王”が二体と――、お前ぐらいかな? あけみ」
魔王からの指摘に、傍に居た
「ふん、わたしはさ、ツアーさんが戦っている間にナザリックへ忍び込んで、破壊工作をする予定だったの。でも肝心のモノが見つからなくて……。モモンガさん、ギルド武器は何処なの? 貴方が持っているレプリカじゃなく、本物のギルド武器は?」
今からでも大魔王を倒す秘策はある。
ギルド武器を破壊し、NPCたちを自由にしてしまえばいいのだ。ギルドから解放された化け物たちは協力関係を放棄し、互いに覇を競い合うだろう。悪魔などは己の欲望そのままに、魔王すら跪かせようとするに違いない。プレイヤーと言えど、高レベルNPCたちの猛攻には手も足も出ないはずだ。
もちろん、NPCに囲まれたこの状況下でギルド武器を破壊するなんて絵空事だろう。確率はゼロに近く、自分も助かるまい。
だがそれでも世界を存続させたいのであれば、小さな可能性に懸けるしかないのだ。
「ギルド武器なら――解散時に分解されたはずだな、パンドラ?」
「はっ、素材は全て回収済みでありますので、再度作成する場合は御声掛けください。以前のモノより素晴らしいギルド武器を作成して御覧にいれましょう!」
「え? 解散に、分解? ギルド武器が、素材に?」
『何を言っているのこの魔王は』と文句を言いたくなると同時に、疑問に感じていた事柄が頭に浮かぶ。
魔力供給がなされていないかのような薄暗い階層に、トラップやフィールドエフェクトの沈黙。自動沸きモンスターすら見かけず、ナザリックがまるで機能を停止させているのではないか? と思えてしまうほど。
とはいえ守護者たちの様子を見るに、絶対的な忠誠心はそのままであろう。ギルドが解散しているのであれば、そんなことはあり得ない。
そう、あり得ないはずなのだ。確かめたことは一度もないのだが。
「そんな馬鹿な! ギルド武器がない? ギルドを解散させたぁ? そ、それが本当なら、どうしてNPCたちがモモンガさんの傍に居るの?! ギルドから外されたNPCは魔神のように暴れるはずじゃ……」
遠い昔に出会ったプレイヤーと英雄集団。その者たちが討伐していたのは狂ったNPCたちであった。
主が居なくなっただの、ギルドが無くなっただのと理由は様々であろうが、枠組みから外れてしまったNPCは危険極まりない。世界を危機に晒す害悪である。だから、ナザリックのNPCがモモンガへ寄り添っている光景は奇妙奇天烈だ。ギルド解散など狂言であるとしか思えないほどに。
「あけみよ、真実など他者から与えられるものではないぞ。自分自身で獲得するものだ」モモンガは少し嬉しそうに“諸王の玉座”へ腰を下ろすと、「〈
「……うん、確かに使えそうだけど」
実際に発動させなくとも、抵抗感の有無で結果は分かる。
ナザリック地下大墳墓、第十階層“玉座の間”から地上まで、または他の階層まで〈転移門〉を繋げることは可能であった。
それならば――とあけみは、
「モモンガ様! 大変です!」
あけみに注目していた異形たちが、一斉に別の一点へ視線を向ける。
そこに居たのは、そして警鐘を発したのは、長い黒髪で皮の無い顔を覆っていた一人の鬼女、ニグレドであった。
「どうしたニグレド?」
「はい、ナザリックに侵入者です! すでに第五階層まで入り込まれました! 監視網が機能していない隙を突かれた模様です! 申し訳ありません!」
ざわりと元守護者、元僕たちの気配が変わる。
勇者軍を撃退した直後であるだけに「いったい何者が?」といぶかしく思うも、監視網を含む全ての機能が停止している現状を狙って侵入してきたのであれば、只者ではないと判断せねばならない。
それによく考えれば、目の前に斥候が居たではないか。
ナザリックが第十階層までどのようになっているのかを知っている、丁度良い人物が。
「お前が手引きしたのだな、あけみ」
大魔王からの静かな問いかけに、NPCたちの殺気がまとわりつく。
「ええ、そう。ついさっきね。漆黒聖典の隊長さんに、『人類の切り札を持ってきて』って頼んだんだけど……」
ギルド武器破壊が失敗し、魔王モモンガがナザリックへ戻ってきたと確信したその時、あけみは〈
大魔王を滅ぼせるかもしれない“あるモノ”を第十階層へ運び、骸骨魔王モモンガへぶつける。そのために必要な全ての手段をとるよう、魔王討伐連合軍へ伝えていたのだ。
「ニグレド、侵入者は何者だ?」
「はい、侵入者は人間です。第六階層で鍛えていた勇者やレア、帝国と聖王国の騎士、都市国家連合の傭兵も居ます。現在第一階層から第五階層の全域に浸透しており、最深部には“蒼の薔薇”や“漆黒聖典の槍使い”、“聖王国女王”の姿もあります」
「くくく、いいな。素晴らしいな」何の含みもなく、モモンガは称賛の声を上げる。
「やはり居城に攻め込まれるのは魔王の醍醐味だな。切り札とやらを用意しているのも好印象だ。これは全力で歓迎しなくてはなるまい」
今はただのダンジョンだが、魔王が玉座に座っているのなられっきとした魔王城だ。そして侵入者が人間の勇者たちであるならば、他に何も言うことはない。
決戦である。
トラップやフィールドエフェクトが動かなくとも、対峙するモンスターが大幅に減っていようとも、真正面から打ち砕く。
背筋がぞくぞくするほどの宴が、今まさに始まるのである。
「シャルティア、第一階層へ行ってもらえるか?」
「もちろんでありんす! モモンガ様の居城を汚すゴミ共には、死の制裁を与えて御覧にいれんしょう!!」
「コキュートスは第二階層を頼めるか?」
「オオ、オ任セクダサイ! 勇者ノ全力ヲ引キ出シテカラ、完膚ナキマデニ仕留メマス!」
「アウラは第三階層を、マーレには第四階層の掃討を頼む」
「はい! みんなと一緒に皆殺しにしちゃいますね!」
「は、はい! ボク、モモンガ様のためにいっぱい殺します!」
「第五階層はデミウルゴスに頼みたいが、大丈夫か?」
「はっ、生き残った悪魔たちが同行してくれるので問題ないかと。ですが……、いえ、なんでもありません」
「セバスとプレイアデス、ペストーニャやニグレドは、九階層に避難している一般メイドの元へ向かってもらいたい。心細い思いをしているだろうからな」
「なんとお優しい。では私は第九階層へ赴き、上層階からの侵入者へも注意を払いましょう」
「お姉様たちと共に防衛態勢を整えます。お任せください、モモンガ様」
「何かあればお呼びください――わん」
「モモンガ様、下の妹も九階層へ避難させますわ。状況に変化があれば随時お知らせいたします」
すでに主人ではないモモンガの頼みを聞き入れ、元守護者や元側近たちは次々と第十階層から姿を消す。階層間の移動が阻害されていないものだから、〈
先程までひしめき合っていた高位モンスターの威圧感が、大分薄れたのではないだろうか? これで残る二本角の白い悪魔と軍服埴輪男が居なくなれば、あけみは玉座の間でモモンガと二人っきりになる。デミウルゴスが気にかけていた通りに……。
「アルベドは大図書館の様子でも見に行ってくるといい。パンドラは宝物殿を頼む」
「モモンガ様。御身の傍から私たちを遠ざけ、あけみ様の仰る“切り札”と対面したいという御気持ちは理解いたしますが……」
「そうですっ! 御一人では危険でございましょう! 少なくとも我ら二人はこのままで――」
デミウルゴスやアルベド、パンドラが予想していた通り、モモンガが求めていたのは一対一だ。
玉座の間であけみが用意した謎の切り札と御対面。そしてツアーの時と同様に、死力を尽くしてぶつかり合うのだ。だから供など不要。ラスボス戦で配下を引き連れている魔王なんて、恥晒しもいいとこだ。
玉座には魔王が一人、静かな空間でゆったりと待ち構えるべきである。
邪魔は許さない。
「アルベド、私のことを真に想うのであれば、この場は一人にしてくれ。パンドラも同様だ。大魔王たる私には、絶対に成さねばならない一戦があるのだよ。アインズ・ウール・ゴウンを結成してから、ナザリックを得てから……。“悟”とロールプレイを極め、ユグドラシルに降臨し、異世界へ渡ってからもずっと求めていた、大事な一戦が」
命令に束縛されない身なれど、愛する人からの懇願には無力だ。加えて御心を理解できてしまうが故に、反論などできない。
アルベドとパンドラは静かに首を垂れるしかない。
「信じておりますわ、モモンガ様」
「御父上、御武運を」
アルベドは大扉を潜って大図書館へ、パンドラは玉座後ろの隠し通路を抜けて宝物殿へ。
かくして“玉座の間”には魔王が一人、森妖精と相対す。