「“ウルベルト”の〈
「はっ、直ちに行います!」
モモンガの配慮にはデミウルゴスを始め、誰もが涙するだろう。至高の御方の秘儀をこの眼で見られるというのだ。
切っ掛けが人間どもの探知魔法だというのはいただけないが、それはこの際気にしないでおこう。
「さぁ、早く探知魔法を飛ばしてくるがいい」
探知魔法が放たれれば、“ぬーぼー”に変身したパンドラが察知して逆探知し、その場を覗き見て特定、発見した敵地を画面へと映し出すことになる。と同時にカウンターマジックが発動され、現地は吹っ飛ぶわけだが……。
モモンガが今か今かと楽しそうにしている最中、パンドラは何故か緊張気味であった。
それは、カウンターマジックの発動より現地特定が遅れたならどうしようかと、肝心の大魔法炸裂の瞬間を見逃したらどうしようかと、そう考えていたからだ。
“ぬーぼー”の能力ならば八割でも大丈夫であろうが、絶対の主が期待すればするほどその責務は重くなる。
「――モモンガ様!」
「きたか?!」
ナザリック上空の空間が歪み、直後に見えない力が何かを弾く。
パンドラは主に声を掛けると、宙に浮かぶ五つの〈
「うん? 裸の女……と神官たちか? スレイン法国の神殿内? あぁ、〈
〈
全裸に近い無表情の少女を中心に、神官服の男たちが魔法陣を囲んであたふたしている。
声が聞こえたならば「失敗したのか?」「どうしてなにも見えんのだ?」「いや、第八位階魔法が妨害されるなど有り得ん!」との狼狽ぶりが窺えたのであろうが、魔王にとってゴミどもの様子などどうでもイイことだ。
重要なのは、カウンターマジックの威力を確認し、楽しむこと。
人間どもが血の詰まった臓物ごと粉々に消し飛ぶ、そんな有様を眺めることだ。
「そろそろだな。パンドラ、映像を上空からにしろ。近過ぎると魔法の干渉で弾かれるぞ」
「はっ、畏まりましたっ!」
瞬時に切り替わる空からの映像。
見下ろす先には六つの大きな神殿と、その中央に座するさらに巨大な王城にも似た神殿。周囲には多くの家屋が建ち並び、一見しただけで凄まじい数の人間が集まっているのだと判る。
これが国家というやつなのだろうか? 今の今まで、モモンガには縁のない領域ではあったが、今後人間種を滅ぼすにあたり、国というものについて色々と学ぶ必要もあるのかもしれない。
でもまぁ、今回は無理であろう。
見れば、円状に配置されている六神殿の一つが、なにやらおかしい。
火にくべた煉瓦のように、叩いて伸ばす前の真っ赤な鉄であるかのように、白だったはずの外壁が溶岩のような色合いになり、内側から押されでもしているのか、少し膨張を始めていたのだ。
「たぁぁぁーーーまやぁぁー!!」
本人もその意味を知らない不可思議な喝采――を送る大魔王の見つめる先で、神殿とその周辺は破裂した。
青白さが混じる紅蓮の炎と地面を大きく抉る衝撃。と同時に渦を巻く闇の波動。天高く舞う粉塵は真っ黒なきのこ雲と共に万人の視界を遮る。
人は蒸発していく己の眼球を見ることもできず、黒炭と成り果てた肉体を自覚することも叶わず、魂すらすり潰されて虚空に散る。神殿は爆心地となったモノ以外に、二つほど巻き込まれたようだ。外壁はもちろん、中身も粉々に粉砕された上、超高温で念入りにシェィクされて撒き散らされる。
神殿で働いていた者たち――巫女姫・聖典を含む神官・兵士たち――は、一棟でも数千人は居たことであろう。三棟合わせれば一万人か。巻き込まれた住宅都市部の住民たちと爆風の被害を浴びた者たち、そして三分の一ほど抉られた中央大神殿の被害をも加えると、十万人もの人間が消し炭に……黒い塵に変えられたことになる。
空間のひずみが戻り、吐き気がするほどの濃密な魔力が霧散した後に残ったのは、直径数キロにも及ぶ火口にも似たクレーターと、抉られた不毛の地を覆う大量の――原材料を問いただしたくない黒い粉のような『何か』だけ。
悲鳴は聞こえない。
血の匂いがするのは、爆発の余波で吹き飛んだ周辺都市部のゴミのせいだろう。
一部を抉られながらも辛うじて残った中央大神殿からは、呆けたような高位神官と兵士たちがゾロゾロと溢れ出てくる。
皆が皆、お互いの顔を見合わせては首を振る。言葉を交わさなくとも、相手が何を言いたいのか、どんな答えを待っているのか、全て解ってしまうのだろう。
一変した光景を前にして、誰も彼もが膝を崩し落とす。
込み上げてくるモノが恐怖なのか絶望なのか。それとも狂気なのか。
笑い声が聴こえる。誰かが近くで笑っている。何がおかしくて笑っているのだろうか? 今はそんなときじゃないだろうに――と辺りを見回そうとして気が付いた。
そう、笑っているのは自分だった。
泣きながら笑っていたのだ。
悪魔が造り上げる地獄を想像し、「そんな悲惨な目に法国民を遭わせるものか」と日々修行に邁進してみても、本当の地獄は瞬時に現れ、悲鳴も残さず、黒い塵だけを積み上げていった。
何もできず、何も解らず、視界いっぱいに広がる巨大な黒い穴を見つめる。
もう笑うしかないだろう。
「ふはははは! 凄まじいな! 流石はナザリック最強の――っち、抑制されたか」
アンデッドの特性だから仕方がない、とはいえ久しぶりの〈
「ユグドラシルではもっと感情豊かに居られたはずだが……」と魔王は一人、愚痴を吐いていた。
「どうだ? デミウルゴス。別世界とはいえ、恐らくこの世で最強の一撃だぞ。素晴らしいだろう?」
「はい! まことにっ、まことに素晴らしき御業でございます! 噂でしか聞いたことのない、ウルベルト様の〈
後で録画した映像をパンドラから受け取るであろうデミウルゴスは、この世で最も幸せであると言わんばかりに涙を流して平伏する。
己の造物主が切り札として所持していた、最大にして最高の魔法。それを目撃できるとは夢にも思っていなかったからだ。
ナザリック最強の
まさに至高の御方々の頂点、ナザリックの絶対支配者、骸骨大魔王モモンガ様である。
「さて、これだけの騒ぎだ。プレイヤーも顔を出して――」
「モモンガ様、ご覧ください!」
微かに緊張を帯びたパンドラの言葉に、モモンガは〈
画面には黒い粉が降り積もるクレーターの外縁付近、無事な石畳と消し炭となった地山の境目が映し出されていたのだが……。その場にはもう一つ、身体の半分近くを失い、残りの箇所も焼き炙られたかのような細身の人間が蹲っていたのだ。
ただ、よく見ると身体の治癒が始まっており、
「ほほぅ、運の良い人間だな。掠っただけとはいえ、〈
掠っただけで半身を抉られた惨状を運が良いと言ってイイのかどうか、それは分からないが、最低限の治癒を終えたその老婆は、
「ん? この老婆の服装……、どこかで」
「モ、モ、モモンガさまぁぁ!! この者の装備、まさかの
パンドラからの警鐘に、守護者全員が緊張と警戒で身を包む。
先程の“魔封じの水晶”とは格の違う、ナザリック最高にして守護者の命より価値のある至高の品。ナザリックを護る“諸王の玉座”と同格であり、ユグドラシルの上位ギルドですら三つしか所持していないぶっ壊れチート。世界の名を冠するなんでも有りの、敵側に使われると最悪としか言いようのない糞運営の落とし子。それが
「ふふ、そうかそうか。
レアアイテム発見という軽い興奮から覚めたモモンガは、改めて〈
ハッキリ言って醜い老婆のチャイナドレス姿をしげしげと見つめたくはないのだが、確かに着ている装備品は
記憶を辿れば、確か“傾城傾国”という名の洗脳特化型であり、女性専用装備。防御力もドレスタイプにしてはそれなりにあったと思う。
「ふ~む、まぁよいか。面白くなってきたことに変わりはない。
「モモンガ様、老婆が救援部隊と合流いたしました。合流した五人の内、四人はレベル30前後でありますが、槍を持った男は70台です。なお、老婆は20前後かと」
“ぬーぼー”の能力をフル活用し、遥か遠くの地で未曾有の混乱に巻き込まれている哀れな者たちの探査を行うパンドラズ・アクター。
自身の能力を御方に行使して頂き、幸せの絶頂であるかのよう。
だが、他の守護者からすれば羨ましいことこの上ない。
統括も“
「モモンガ様、敵の戦力は脆弱であるかと。
「誰が妻でありんすかぁ!!」と突っ込みが入ったのはまぁ横に置いて、モモンガは思考する。
確かに敵は弱い。
「罠か?」とも思わないではないが、カウンターマジックをまともに喰らっていることからすると、本当に弱いのかもしれない。
ただ、隠し玉は警戒すべきだろう。
ナザリックの“ルベド”や“あれら”のように、一発逆転の切り札はあってしかるべきだ。中央の巨大神殿に高レベルプレイヤーが待機している可能性もある。
「
「はっ、お任せください!」
パンドラが変身している“ぬーぼー”は探知特化型カンストプレイヤーだ。たとえ能力の八割しか使用できなくとも、その眼から逃れることなど不可能に近い。それこそ
もっともパンドラが“ぬーぼー”の
「これはこれは……、モモンガ様。中央神殿には探知不能の領域があるようです。加えてレベル20台後半から30台前半の人間種が七人。60台と90台が一人ずつ。装備品は最高で
「ふふふ、無条件で探知不能になる領域と言えばたった一つ、宝物殿だな。ちょうど良い、中身は戦利品として全部貰っていくとしよう。
「まぁ、それよりまずは
「ではいくぞ! ギルド攻略戦の始まりだ!!」
魔王の激に伴い、世界滅亡級の
ただこの時のモモンガは、周囲の物々しい空気とは異なり少しばかりワクワクしていた。なにせ、拠点防衛用NPCを使ってのギルド侵攻など初めての経験なのだから。
今まではギルドメンバーが主であり、NPCにしてもあまり役に立たない傭兵を使うのみであった。それが今回は、ギルドメンバーが心血を注いで創りあげた傑作とも言えるNPCを使えるのだ。
“鈴木悟”がこの場に居れば「ああ、楽しみだ」と呟いたことだろう。肝心の相手に歯応えが無さそうなのは、この際仕方がない。
(ふふ、防衛戦でしか使えなかったNPCによる侵攻。悟でなくとも見てみたいと騒ぐだろうなぁ。本当に……楽しみだ)
アルベドを除く守護者各位に必要なアイテムを配布し終えると、魔王は片手を上げて闇の扉を開く。それがスレイン法国にとって地獄の扉になるだろう、と確信しながら。
◆
爆発、というよりは天災であった。
天から星が落ちてきたのか? それとも地の底から溶けた岩が噴き出してきたのか?
突然巻き起こった神のイタズラ、それはスレイン法国の首都を大きく削り都市機能を完全に麻痺させる、絶体絶命にして最悪の大災害であった。
「カイレ様! 御無事で?!」
「無事な訳なかろうが! 常備していた
体重をかけている石畳を己の血で染めていた老婆は、垣間見た死への恐怖に激怒しているようだ。駆けつけた味方の内の一人、槍を持つ青年へ容赦のない罵声を飛ばしている。
「苦言は後ほど伺います! まずは治療をっ! それで何があったのです!?」
「分からぬ。風の神殿で第八位階の発動儀式を進めていると聞いて、拝見させてもらおうと足を向けたところだったのじゃが……。世界が終わったのかと思ったわい」
老婆の治療を仲間へ指示し、青年は現状把握に努めようとする。しかし予想していた通り、何が起こったのかは不明であった。
それもそうだろう。複数の神殿が崩壊消滅し、中央神殿にまで大きな被害が出るほどの大爆発だ。クレーターの奥底に積もっている、または塵となって舞い散った被害者は何万人に及ぶのか。住宅都市部の中心で起こらなかっただけマシなのだろうが、巻き込まれた高位神官や聖典たちのことを考えると、国としての被害は甚大であろう。
“占星千里”が不吉な予言を授かった、として中央神殿に呼び集められていた漆黒聖典――その者たちが皆無事であったのは、不幸中の幸いである。
「カイレ様、歩けるようになりましたら中央神殿へ参りましょう。現在、スレイン法国は異常事態宣言を発令しております。この事態が外敵の攻撃であった場合、神の秘宝“ケイ・セケ・コゥク”は切り札として使用することになるかと」
「ふん、こんな国の首都を丸ごと壊滅させるような真似は“真の
「隊長!」
老婆が口を閉ざし、レイピアを引き抜いた隊員が恐怖混じりの警告を発する。それらの行動には、隊長としても納得せざるを得ない。
黒き死の灰が積み重なる非現実的な平原、粉塵と死者の怨念が舞うひらけた空間に、その闇は姿を現したのだ。
濃く深く、底が見えない宙に浮かぶ闇。
そう、恐るべきモノとしか言えないのだ。
それは死であり、魔王であり、神であり、スレイン法国の漆黒聖典なれば崇め奉るべき信仰の対象。だが、それ故に別モノだとも感じてしまう。
あれは違う。
あれは救いではない。
あれは絶対的な“破滅”であると。
「ス、スルシャーナ様と同族? 同格の存在?! ぷれいやー様?」
「おおお、なんと……。後ろの方々は従属神じゃというのか?」
見れば、次々と恐怖の対象が現れる。
漆黒の
話にならない、と隊長はみすぼらしい槍を握りながら格の違いを思い知る。
最初に現れた絢爛豪華なローブを着込む――スルシャーナ様そっくりの――骸骨だけでも膝を地に付けて慈悲を請いたくなるのに、後方に控える六体、それに眼鏡の男が率いる悪魔のような化け物集団に取り囲まれてしまえば抵抗する気も起きない。
まぁ抵抗と言っても、カイレ様の持つ秘宝以外では遊び相手にもならないだろうが。
「皆、さがれ! カイレ様を中心に円陣を組め!」隊長は死ぬかもしれない、と独りごち「ぷれいやー様とお見受けいたします! どうか対話の機会を設けて頂けないでしょうか?!」と必死の一歩を踏み出していた。
「愚か、
「そうでありんす。まぁそこの短いスカートの女は、わらわがお持ち帰りしてもイイでありんすけど」
「あんな“
「お、お姉ちゃん。あの槍を持っている人なら役に立つかな?」
「訓練相手トシテハ不足ダナ。私ナラ一太刀デ終ワリダ」
「やれやれ、一撃で殺すくらいなら私の実験に利用させてもらいたいものだね」
隊長の頭上を飛び交う好き勝手な物言い。その中には、全くと言っていいほど人類救済の糸口は無かった。
既に首都機能が壊れるほどの攻撃を受け――この者たちの所業とは確定していないが、ほぼ間違いないだろう――スレイン法国は滅亡寸前だ。このままではスレイン法国に住まう全ての者が、明日の朝日を見ることなく地の底へと追いやられてしまう。もしくはアンデッドとして濁った瞳で朝日を拝むことになるのかもしれない。
決断するなら今だ。
主たる“ぷれいやー”を洗脳してしまえば、従属神は抵抗の術を持たない。
目の前で堂々と支配者たる威厳を見せつけている骸骨の魔王。絶対的な力を持つが故に、隠れ潜むことを選択できないのだろう。だからこそチャンスなのだ。
漆黒聖典の隊長は、諦めかけている隊員たち――そして周囲の異形種どもを一瞥すると、背後の老婆へ『世界を救え』とばかりに命令を発する。
「使え!」
「っ――発動!」
何を使うのか? 誰へ使うのか? そんなことを聞くまでもなく、老婆は「やむなし」と身に纏う衣装を発光させ、輝く一匹の竜を飛翔させた。
光で構成されているかの如き竜は、その膨大な光量と共に天を駆け、まさに光の速度で骸骨の魔王――ぷれいやーへ襲いかかる。
回避不可。
絶対命中。
耐性無視。
ありとあらゆる障壁を打ち壊し、どんな生物であろうと無生物であろうとも洗脳し、支配する。無論、相手がぷれいやーであろうが
だから隊長も老婆も、骸骨魔王が光り輝く竜に飲まれたその瞬間、「たすかった」と呟いてしまったのだ。
「カイレ様!」
「ぬははは! 支配の繋がりを感じるぞ。成功じゃ!」
絶対的と言われていても、ぷれいやーへの使用なんて初めてなのだから緊張もする。加えてそれが成功となると、歴史の壱ページに己の名を刻んだと同義だ。高笑いの一つも出よう。