骸骨魔王のちょこっとした蹂躙   作:コトリュウ

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第52話 「悟と魔王」(最終話)

 世界は静かになった。

 植物と小さな昆虫、そして取るに足らぬ矮小な存在だと見逃された小動物たちだけが駆け巡る、奇妙な世界。

 森を荒らしていた魔獣や亜人は居なくなった。

 平原を占拠していた人間種は、建物だけを残して姿を消した。

 時折、砕かれた骨のようなものを見ることがある。酷くボロボロで、元が人間であったか亜人であったかも判らない。

 ただ、恐怖だけは伝わってくる。

 どんな死に方をしたのかも判らないのに、何故かこの世の絶望を感じながら絶叫と共に殺されたのだろうと感じとれる。

 

 視線を上げ、かつて帝国と呼ばれていた国家の残骸を眺めつつ、ため息を一つ。

 

「あれから十二年かぁ~、世界を滅ぼす期間としては短いのか長いのか。他の例を知らないから何とも言えないなぁ」

 

 スレイン牧場と評議国を行き来しながら、モモンガ率いる魔王軍の動静を見守り続けてきた。だがそれも終幕となりそうだ。

 

「最後の国を包囲してから丸二年。モモンガさんもそろそろ我慢の限界でしょ? 期待外れの勇者をいくら鍛えたってねぇ~」

 

 追い詰められた人類国家は、魔王に対する最終手段として“勇者召喚”を行った。

 それに喜んだのはモモンガである。

『どれほどの強者がやってきたのか』と喜び勇んで最後の人類国家へと出向き、別世界からやってきたという少年と相対したのだ。

 

「二年鍛えてもモノにならないなら、先は無いよね~。今頃はもう殺しちゃってるかも? いや、一応レアなんだから牧場行きかなぁ。勇者としては失格だけど、貴重な別世界の住人なんだし……」

 

 悟が居る現実世界(リアル)ではない、別の次元に存在する未知の異世界。そこの住人であるならば、モモンガにとって“レア”であると言えよう。

 全世界から集めた他のレアたちと共に、品種改良の対象となるかもしれない。

 

「異世界かぁ~、そろそろ行けるのかなぁ~? あぁ~、リアルってどんな感じなんだろ? 話でしか聞いたことないし、それも批判的な内容ばっかりだったからなぁ~。もしかして、現実世界ってあの娘にとっては住みにくい場所なんじゃ――」

 

 妄想ばかりが先走る意味のない時間に、突如終わりが訪れる。

 〈伝言(メッセージ)〉だ。

 忘れようもない濃密な魔力が意識の奥へと繋がる。

 

『あけみ、今大丈夫か?』

 

「ちょっと、大魔王様が相手のことを気遣う必要なんてないでしょ。それじゃまるで悟さんみたいじゃないのさ」

 

『ああ、プレイヤー相手の〈伝言〉だとこんな感じの話し方だったと思ってな。つい似てしまったようだ』

 

「あはは、別に悪いことじゃないと思うよ。パートナーと言動思考が似るのはよくあることだしね。んで? どうかしたの?」

 

『全てが終わったことの連絡だ。人間や亜人が立て籠っていた最後の城を潰したから、ナザリックへ戻る。これでようやく現実世界への転移準備へと取り掛かれるぞ。お前も来い』

 

「おお! やったねモモンガさん! わたしもすぐ合流するよ――って、そう言えば」悲願でもあるパートナーとの再会を夢想し顔を綻ばせるも、あけみはモモンガに聴かねばならないことがあったのを思い出していた。

「モモンガさん、絶死絶命ちゃんも付いていきたいって言ってたんだけど……。あとエンリとかンフィーも」

 

 異なる世界への侵略なんて、絶死絶命にとっては胸躍る展開なのだろう。もうすっかりナザリックの一員として牧場で働いていた彼女にとって、お留守番なんて選択肢はなかったのだ。

 それに御主人様であるシャルティアの傍に居たい、と思うエンリの願いも順当だろう。訓練の果てに、人ながらにして化け物の領域へと足を踏み入れた“血濡れ将軍”は、五児の母親となった後も真祖(トゥルーヴァンパイア)様の下僕であり続けることを選んだのだ。

 一方、数百人の子供の父親となっていたンフィーレアも足掻いていた。

 繁殖作業や戦闘訓練に、位階魔法の改良製作。加えてポーションの研究まで。常人であれば、才能の力を借りてもどれか一つの分野を極められるかどうかであろう。それなのにンフィーは十二年もの間努力し続け、人間の到達限界と思われる領域まで指先を届かせたのである。

 全ては愛するエンリのため、愛しい人を護るために。

 

『あけみ、行きたい奴が居るのなら一緒に連れてきて構わんぞ。イベントごとは大勢で楽しんだほうが盛り上がるだろうからな』

 

「現実世界を滅ぼしに行くのに、それをイベント扱いって……。モモンガさんも相当厄介な魔王様だよね~」

 

『ふふ、まぁ文句なら悟の奴に言ってくれ。ではナザリックで待っているぞ』

 

「うん、ナザリックで、ね」

 

 魔王様は世界を滅ぼした。

 生き残っている人間種や亜人種・異形種たちは、鎖国状態の評議国と領土を拡大したスレイン牧場にしか存在しない。

 ただそれも、モルモットとしてだ。

 もはやまともな国家は一つとして残っておらず、世界は原始の時代に戻ってしまったかのようである。

 

「……牧場から人を送り出せば、何百年かで世界を元に戻せるのかなぁ? それで世界中がスレイン牧場になってしまえば、リアルから戻ってきたモモンガさんも手出しできなかったりして? うぅ~ん、ちょっと都合が良過ぎるかも。遠い先の話だし」

 

 あけみは見捨ててしまった膨大な人類へ「希望はあるよ、諦めないでねぇ~」と軽薄な慰めをかけると、目的の地へ向かうための準備を始めるのであった。

 

「絶死ちゃーん! 魔王様の許可が下りたよー! 今からナザリックへ行くからエンリとンフィーを連れてきてー!」

 

 〈伝言〉よりも大声の方が確実に伝わるだろうというのもおかしな感じだが、実際牧場のとある建物から小柄な人物が飛び出し、物凄い速さで数名の拉致を行ったのは事実であった。

 あけみのところからでもよく見えたであろう。

 髪色が左右で白黒になっている少女は両脇に成人の男女を抱え、嬉しそうに突っ込んでくる。

 

「あけみちゃん! 早くいこうよ! 異世界の奴らを殺しまくろう!!」

「あのねぇ絶死ちゃん、言ったと思うけど、わたしは異世界を護るために行くんだよ。モモンガさんと敵対する側なんだからね」

「分かってるって! あけみちゃんは私が殺してあげるからさ! 早く〈転移門〉出してよ、さぁ!」

「もう、軽いなぁ。……はぁ、〈転移門(ゲート)〉」

 

 はっきり言って現実世界での勝算は無い。

 パートナーと再会したいがために大魔王の口車に乗ったものの、再会してからのプランは白紙である。十二年間考え続けても、答えは出なかったのだ。

 

 現在のギルド“魔界”は、傭兵召喚をフル稼働させて大幅な戦力増強を成している。宝物殿にあったユグドラシル金貨を、湯水のように浪費させて召喚したのだ。

 お陰で“ハンゾウ”並みの高レベルモンスターが、牧場に居ても目撃できる状況である。

 それにギルドメンバーにも変化があったのだ。

 かつてNPCであったが故に成長を止められていた元僕たちは、ギルメンとなったことでプレイヤーと同じ土俵に立ち、経験値の獲得を可能とした。つまりレベルアップできるようになったのだ。

 最低レベルだった一般メイドの中にも戦士(ファイター)野伏(レンジャー)職業(クラス)を所得する者が現れ、ペンギンですら料理人(コック)を得る偉業を成し遂げたのである。

 今現在ナザリック地下大墳墓では、生き甲斐であるメイドとしての仕事を成す傍ら、第六階層の闘技場で戦闘訓練に励むメイドたちの姿を見ることが出来よう。

 ただ、その者らのレベルは30前後が主体だ。誰一人としてレベル100に至った者はいない。

 それは世界中の経験値を魔王様が集めているからであり、残された“トブの大森林”だけでは十二年を費やしても“森の賢王”並みが限界であったのだ。

 無論、アゼルリシア山脈に潜む美味しいモンスターたちは真っ先に狩られているので、残っているのは雑魚だけである。

 

(はぁ、モモンガさんを一撃で倒せるような兵器がリアルにあればいいのだけど……。わたしもあっちの世界のことはよく知らないしなぁ~)

 

 あけみは闇深き転移の門を潜りながら、僅かなリアルの知識へ縋りつく。

 確か現実世界の科学文明とやらは異常なほどの発達をみせているはずだ。ユグドラシルはもちろん、転移世界の文明レベルもはるかに凌駕している高度な人間社会らしい。

 軍事の情報はほとんどないものの、それなりに強力な戦闘兵器を持っていると期待してもいいだろう。

 モモンガさんは十分な準備期間を与えると言っていた。

 ならば自分が魔王軍の情報を現実世界の軍部へ伝え、対抗策を練ってもらえれば、勝算皆無などという事態には陥らないはずだ。

 

(待っていてね、わたしの半身。貴女は必ず護るから……)

 

 あけみはこの日から数日後、巨大な球形の〈転移門(ゲート)〉に飲み込まれ、ナザリック地下大墳墓と共に次元を渡ることとなる。

 

 

 薄暗く不快な匂いが立ち昇る荒廃した大地へ足を踏み入れ、最初に吸い込んだ大気の味は――酷くマズかった。

 

 

 

 

 ユグドラシルのサービス終了から数ヶ月が経過しても、新たなゲームをやる気にはならなかった。

 仕事が忙しかったこともあるだろう。朝も早いのだから貴重な睡眠時間を削るわけにもいかない。だけど現実逃避の手段は必要だし、辛い環境だからこそ自分も求めていた。

 それなのに……。

 

「もう、あれほど夢中になれるゲームとは出会えないだろうなぁ」

 

 ネット上のどうでもイイ情報を流し見しながら、悟は鬱積した感情を零す。

 ゲームなどに逃避していなければ、悲惨な己の現状に気付いてしまう。そして世界の行く末にも……。

 安アパートの外へ一歩出れば、マスク無しでは生きていけない地獄が待っている。太陽の光を遮る薄汚れた黒い大気と汚染された土壌、フィルターを通さなければ飲めない水に、道端で転がる人権無き死体。

 どうしてこうなったか、なんて詳しくは知らない。学校では全て政府の責任であり、巨大複合企業が手を差し伸べなければ世界は終わっていた――とのことだ。

 本当かどうか……。

 安全なアーコロジーでふんぞり返っている富裕層の言い分など、信じるに値しない。それに世界などとうに終わっているだろう。

 環境破壊は改善出来るレベルを超えてしまった。二度と元には戻らない。世界はゆっくりと滅亡に向かっているのだ。巨大複合企業が自分たちだけ延命しようと躍起になったとしても、煌びやかなのはアーコロジーの内部だけであり、地球の汚染はいずれ全ての生命を飲み込む。

 まぁ、働き過ぎで過労死するであろう自分には関係のない話か。

 

「……はぁ、やっぱり何でもいいからゲームしないとなぁ。無駄な考えばかりが頭に浮かぶ」

 

 気を取り直して面白そうなゲームを探そうとするも、『その前に』と日課になってしまったトップニュースの詳細を眺める。

 ここ最近世間を騒がせているテロ事件だ。

 日本の最南端にある巨大アーコロジーを占拠したとされる謎のテロリスト集団。政府の治安維持軍や巨大複合企業の機械化兵団をどうやって撃退したのか分からず、未だに解決の糸口さえ見えない大事件である。

 

「企業の軍隊に勝つって、普通のテロリストじゃないよなぁ。これはもう戦争みたいなもんじゃ……」

 

『戦争』なんて言葉をゲーム以外で使う自分に少し笑ってしまう。

 この世界において戦争とは、巨大複合企業が自発的に行う実験であり遊びだ。企業が政府を掌握しているため国家間の争いは発生せず、企業の都合で軍隊は動かされる。

 企業内部の派閥争いで破壊されたアーコロジーも存在しないわけではないが、利益優先の現状においてそれは稀な例だ。

 だとするならば、今回のテロリストは何者なのか?

 企業の幹部連中を含む富裕層を大量殺戮したという報道が真実ならば、もはや複合企業との和解は不可能だろう。加えて目をつけられてしまったのだから、何処にも逃げ道は無い。世界を支配する巨大複合企業を敵に回した以上、テロリストたちは新鮮な空気も奇麗な水も得られず、腹をすかせたまま泣いて許しを請うだけだ。

 いったい何をしたかったのだろう? 犯行声明などはあったのだろうか? テロ集団の映像などがあれば観てみたいところである。

 

「しかし都合の悪い情報はネットにすら載らないはずなのに、アーコロジーの占拠や軍の敗退なんかを普通のニュースでも報道するなんて、企業のお偉いさんは何考えてんだか……」

 

 テロ事件の報道自体は特に珍しい話ではない。

 治安をアピールしたい企業側が、大々的にスピード鎮圧の情報を流したりしているのだ。もちろん、解決していなくとも『何の問題も有りません』と全ての報道機関が口をそろえる。ネット上ですら真実は語られない。

 だから今回は異質と言えよう。

 巨大複合企業が送り出した軍隊がテロリストごときに撃退されるなど、外へ漏らした段階で消されるほどの機密情報のはずだ。

 一瞬、何かの意図があって作り話を流しているのかと疑ってしまう。

 もしかすると、企業側にはこれも娯楽だったりするのだろうか?

 

「まっ、貧困層のサラリーマンには関係な――えっ? 爆撃? テロリスト集団を反乱軍とみなし、ミサイル攻撃って! マジッ?」

 

 更新されたニュース速報に冷や汗が垂れる。

 内容が本当かどうかは知らないが、テロリストどもへミサイルを撃ち込むということは、現在占拠されているアーコロジーや周辺都市が吹き飛ばされるということだ。

 悟と同じ境遇の底辺層などは、爆砕されるか、焼き出されて野外の大気に汚染されるかのどちらかであろう。

 運よくマスクを手に出来たとしても、周囲が焼け野原では野垂れ死ぬのを待つだけだ。

 そしてそれはテロリストの全滅も意味する。

 企業の支配から世界を解放する――なんてのがよくあるテロのキャッチコピーなのだが、やはり世界は企業のモノなのだ。逆らうなんて愚かすぎる。各国の政府すら操り、企業幹部でないものは人にあらず、とさえ言われるアーコロジーの上級富裕層たち。一つの都市を灰燼と化す決定にも、ボタン一つで了承するのだろう。

 同じ人間とは思えない。

 世界を滅ぼす悪魔とは、コイツらのことを指すに違いない。

 

「それにしても情報出し過ぎだなぁ。爆撃のことなんかも発表する必要なんてないのに……。絶対どこかの企業は反対しただろ? 特に壊滅する地域に工場なんて持っているところは、ミサイル攻撃自体にも妨害を入れるはずだ。合議制の複合企業が足を引っ張り合わないわけがない」

 

 複数の情報源を眺めても、違和感ばかりが膨らんでいく。

 何かおかしい。

 軍隊と戦えるテロリストと言っても所詮は孤立した戦力だ。どこからも補給は無いし、戦うほどに疲弊していく生身の消耗品である。

 占拠した場所から略奪するにしても限界があろう。企業側からすれば、数ヶ月放置しておくだけで窮地に陥る相手である。故に物資不足に窮して他の都市へ足を向けたその時、被害の少なくなりそうな場所で爆砕すればいいのだ。

 利益最優先の企業ならば、情報規制した上でそうするだろう。

 無論、利益とは人命のことではないが。

 

「何かを急いでいるのか? 世界中にテロリストの情報を送って、いったいどうしようと? まさか都市が吹き飛ぶ有様を皆で鑑賞しようとか? 趣味がわる――」

 

『ここで世界会議からの緊急会見です。代表のあけみ様が、会議での決定事項を公表されます』

 

 画面が強制的に切り替わり、どこかの会見場を映し出す。

 非常に珍しいことではあるが、全人類の行く末を決定する権力者集団――“世界会議”が何かの決定事項を発表するようだ。

 巨大複合企業のトップに君臨する富裕層の親玉たち。島国のアーコロジーがテロリストに占拠されようとも、顔色一つ変えない人の姿をした化け物ども。会見なんて常識的な行動に出るはずもないのに、いったい何を考えているのやら。

 代表の“あけみ”などという日本名に聞き覚えはなく、地味な中年女性の外見にも見覚えはない。というか代表が居ることすら初耳であり、どんな無理難題を言い出すのかと気分が滅入る。

 まぁテロリスト関連なのは間違いなさそうだ。

 願うならば、俺たち貧困層には無関係であってほしいが。

 

『会議での決定事項を伝えます。今から三十分後、日本国の南部都市を占拠したテロリストへ向けて、核を含むミサイル攻撃を行います』

 

 核攻撃と聞いて「馬鹿なのか?」と呟いてしまう。

 一地方の都市を占拠しただけのテロリストに、核を持ち出す必要がどこにあるというのか? 富裕層にとっては重度の大気汚染も放射能汚染も変わりないのかもしれないが、その近辺で働かされる貧困層にとっては死活問題だ。

 

「くそっ、旧世代の核ミサイルを処分したいだけじゃないのか? 使える状況がやってきた、って喜んでいるのかよ!? 何人死ぬと思っているんだ?!」

 

『現地の状況は、多数の撮影用ドローンにて生中継いたします。皆さまには、テロリストがどのようなモノであるのかを、しっかりと認識してくださいますようお願いいたします』

 

 怒りを湧きあがらせていた悟は、ふとおかしな感覚に陥る。

「都市の爆撃を生中継するなんて悪趣味な」とは思ったものの、よく考えればドス黒い汚れた大気の所為で遠方からの撮影など難しいはずだ。

 それに「テロリストがどのようなモノであるのか」とはどういう意味だろう? ミサイルで吹き飛ばされる反企業主義者のことなど知る必要があるのだろうか? 加えて“あけみ”とやらの口調が丁寧過ぎるのも不自然である。

 世界会議の代表ならば富裕層の頂点なのだ。本来なら会見に出てくる必要も、丁寧な言葉を使う必要もない。

 普通は命令だ。

「今からテロリストどもを粉々にするから見物しろよ、愚民ども」が正しいだろう。

 

『最後に――、お願いがあります』カメラの前に身を置いていた世界会議の代表者“あけみ”は、悲痛な口調と共に、印象に残らない無個性な中年女性の身体をユラリとぼやけさせる。

『悟さん! 無茶だとは解っています! でも何とかしてください! 貴方ならば交渉の余地があるでしょ?! わたしでは無理です、諦めました! だからパートナーを連れて逃げます! リアルがこんなに脆弱だなんて知らなかったんですよ、仕方ないでしょ! こっちでやれるだけのことはやりました! ぶち込めるだけぶち込みますので、あとは宜しく!!』

 

「…………は?」

 

 いきなり自分と同じ名前が叫ばれたことには動揺したが、“悟”なんて珍しくはあるまい。

 それより驚いたのは、画面に映っていた女性の姿に、だ。

 先程までの中年女性などは何処にもおらず、代わって現れたのは黒髪おかっぱの若く美しい女性。しかも奇妙なほど耳が長い。

 そう、アレである。

 リアルでは口にしにくい、森の妖精さんである。

 

「コ、コスプレ? いや、映像加工か? なんでこんな会見の時に? いやでも、なんか見たことあるなこのエルフ……」

 

 どこかのゲームから飛び出してきたかのような美女は、長期間使い込んだかのような革鎧とオモチャとは思えない短刀を身に着けたまま、会見場を出て行ってしまった。

 司会進行役やカメラマンはさぞかしあっけにとられているだろう――と思いきや、現場に混乱は微塵もなく、不自然なほどに中継の準備が整えられていく。

 悟は「やはり何かのお遊びだったのか?」と、驚いてしまった自分に恥ずかしさを覚えてしまう。とはいえ耳長美女に見覚えがあったのは確かだ。あれはそう、リアルではなく仮想空間内でのアバターであったが……。

 

『お待たせしました。只今より、テロリストに占拠された南部都市の映像を中継いたします。大気の汚染濃度により、お見苦しい点もあるかと思われますが……えっ?』

 

 アナウンスを担当していた女性が戸惑うのも頷ける。それほどに画面に映し出された中継映像は鮮烈であった。

 星空である。

 どこかのプラネットがゲーム内で再現しようとしていた、キラキラ輝く宝石箱のような美しい星空であったのだ。

 重度の大気汚染は夜間照明すら覆いつくし、大都市であろうとも常時薄暗い。月や星なども見えず、遠方から撮影しても都市の外観などは把握し辛いだろう。

 だが今は違う。

 悟が見つめる夜間都市には汚染された大気など欠片も存在せず、行き交う人々の姿もはっきりと見える。

 

「おぉマジか? 誰もマスクをしてない。これって本当に中継映像? 完全に別世界だろ?」

 

 よく見かける近代の街並みなのに、まったくの別モノにしか見えない。

 人の命すら害する薄汚れた大気は見る影もなく、降り積もる汚染物質も奇麗に取り除かれているようだ。

 街灯は十全に市街を照らし、幸せそうな住人の横顔を浮かび上がらせる。

 テロリストに占拠されているのではなかったのか?

 

『ご、ご覧いただけましたでしょうか?! これは実際の映像です! 信じられないことですが、現地の大気は汚染から回復しているかのように見えます! 大規模な気流の変化によるものでしょうか? このような現象は今まで――は、はい! ……失礼いたしました。ではこれよりドローンをテロリストの元へ送り出し、爆撃が始まるまでの緊迫した状況を皆様へお届けしたいと思います』

 

 パニック気味の女性が気を持ち直したことで、画面の映像は巨大なアーコロジーの外壁を上へ上へと昇っていく。

 テロリストの現在位置が、アーコロジー最上部の展望台兼ラウンジであると知らされていたからであろうか。さほど待つことなく、撮影用ドローンは富裕層を皆殺しにした凶悪な犯罪者どもをカメラに捕らえる。

 

『居ました! 皆さま御覧ください、あれが都市を占拠した武装テロリス……えっ? あれが?』

 

 映し出された映像は、ラウンジのテーブル席に座りながら外の景色を楽しんでいる何者かの様子だ。人数は十名程度であろうか? 飲み物や食事をとりつつゆったりと談笑しており、とてもテロリストには見えない。

 と言いたいところだが、それよりも問題なのがテロ集団の外見だ。

 骸骨。

 角、翼。

 尻尾。

 そして子供である。

 

「こ、これが治安維持部隊を全滅させたテロリストォ? いやそれより、何でゲームキャラの格好してんだ? あれってユグドラシルの……、俺の――」

 

 ――ピポパピポパ♪ ピポパピポ♪――

 

 突如として室内に響く電子音。

 悟は「何の音だ?」とキョロキョロしながら心当たりを探すものの、部屋の呼び出し音であることに気付くのは少しばかり時間を要するのであった。

 

「インターフォンの音なんて久しぶりに聞いたなぁ、って誰だよこんな時間に」

 

 鈴木悟の部屋には、女性どころか知り合いが来たことすらない。会社から帰ってきて寝るだけの貧困層アパートには、訪問者などレアキャラであろう。

 

「え~っと、どちら様ですか? もう遅い時間ですけど」

 

 見覚えのあるテロリストの格好に後ろ髪をひかれながらも、悟は呼び出しパネルを覘き込み、玄関の外に居る何者かの姿を確認する。

 

「夜分遅くもぉしわけあぁりまっせんっ! 鈴木悟さまにぃ、お届け物でぇあぁぁりますっ!」

 

「は?」

 

 訪問者はどこかで見たことのあるような黄色い軍服を着込んでいた。

 つるりとした頭には軍帽を被っており、人間のモノとは思えぬ細長い指が側頭部へ添えられ、その姿はまるで敬礼をしているかのよう……。

 

「ちょっ、嘘だろ? ……あ、あの、ありがとうございます、配達物は扉横の受け取りボックスへ入れてください」

「いえいえ、直接お渡しするようにと、父上から言われております。どうかお目通りを」

 

 間髪入れず悟の提案を否定し、扉を開けるようにとの圧力をかけてくる。

 だがそんなことできるわけがない。つい先程、同じようなゲームキャラの仮装をしているテロリストを見てしまったのだ。直接顔を突き合わせるなんて怖すぎる。

 

「え、あの、もう遅い時間ですし、この辺りは治安も良くないので扉を開けることは出来ないんですよ。だから――」

「かしこまりました、しばしお待ちを。〈変身〉――ヘロヘロ」

 

 何が起こったのか、一瞬理解が及ばなかった。

 呼び出しパネルがプツリと機能を停止し、玄関からジュシューとかプシューとかブチャブチャとか聞いたことのない奇音が発生したとなれば、足を向けなければならない。

 たとえそこが、金属やゴム、電気配線などが溶かされている異臭空間だったとしても。

 

「げほげほっ、なんだこれ?! 外気が流れ込んだのか? マスク! マスクをしないと!」

 

 汚染された外気は、たとえ肺をいじっていようとも直接吸い込むことなどできない。マスクが無ければ死に直結しよう。

 

「大丈夫ですよ悟さま。近隣一帯に結界を張ったので不浄なモノは入ってきません」

 

「……どうなってんだ? 俺の玄関は?」

 

 一番に頭に浮かんだのは修理費だ。ブヨブヨとする漆黒の液体に飲み込まれて消えた玄関扉なんて、保険が適用されるのだろうか? ってかそんな説明誰が信じるんだ!?

 

古き漆黒の粘体(エルダー・ブラック・ウーズ)……か? な、なんだ!? なんなんだよお前は?! お前! 誰だよ!!」

 

 現実で見ると、巨大な漆黒のスライムは恐怖の塊だ。普通のサラリーマンが対峙していい相手ではない。

 

「申し遅れました」玄関扉を溶かし、部屋の半ばまで身体を押し込んでいた黒い粘体は、どこから喋っているのか? という疑問を悟へ与えつつ、急速に小さくなっていった。

「我が名はパンドラズ・アクター。お久しぶりでございます、もう一人の父上、鈴木悟さま!」

 

 粘体が縮んだ先には、黄色い軍服を着込んだ埴輪男が立っていた。もちろん、綺麗に整った敬礼と共に。

 

「ほ、本物? さっきはヘロヘロさんに変身していた? いやでもゲームキャラだろ? テロリストじゃなかったのか?」

 

「ええ、その通りですよ。私どもはゲームキャラであり、本物であり、都市を占拠したテロリストでもあります」

 

 ふざけた言い分に何も反論できない。それほどに溶かされた玄関扉は衝撃的であった。

 目の前であんなものを見せられては、否定する気力も湧かない。

 

「あのテロリストは本物……? あ、あのゲームキャラたちが? モモンガも居たぞ、誰が動かしているんだ?!」

 

「動かしている――とは異なことを。モモンガ様は、貴方と同じ魂を宿す最強のアンデッド。悟さまが十二年もの歳月をかけて大魔王と成した理想の極致、もう一人の貴方ではありませんか?」

 

「冗談……だろ? パンドラが動いているように、アバターのモモンガも動いているってか?」

 

 物語やゲームの世界が現実化したら面白そうだ、と妄想していたのはいつまでだったか? 人知の及ばぬ超常の力を振るって、主人公らしく世界を救ったり出来れば面白いと思っていた。それなのに、登場したのは自分の器であった大魔王だ。肝心の己は脆弱な中年サラリーマンのままだというのに。

 

「ああ、悟さま。お伝えしておきますが、アインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバーで身体を得たのはモモンガ様だけです。今回悟さまの世界へ侵攻してきた手勢のほとんどは、ナザリックの元僕たちで構成されております」

 

「他には居ない、か。……ん? もと、しもべ?」

 

Genau(そうです)! 我々はモモンガ様の御手によりギルドNPCから解放され、現在は新ギルド“魔界”のギルドメンバーとなっております。とは言っても、私は宝物殿の管理を他の誰かに委ねるつもりなどありませんがね!」

 

 幾度目かの見事な敬礼を見せつけられ、悟は羞恥と混乱の猛威に晒される。

 いくら何でもおかしなことが多過ぎだ。自宅の扉修繕費だけでも頭が沸騰しそうなのに、いきなりのファンタジーゲーム要素。

 一介のサラリーマンに何を求めているのか?

 つーかドイツ語はやめろ。心に突き刺さる。

 

「はぁ、訳が分からん。お前らはいったい何がしたいんだ? テロリストになって暴れたいのか?」

 

 やけくそ気味に問うてみても、それは愚問だろうと自分でも思う。

 モモンガが何をしたいのか? なんて誰よりもよく知っている。ナザリックの戦力を率いてこの世界に現れたのなら、やることは一つだ。

 そう、蹂躙であろう。

 

「聴いてください悟さま。モモンガ様はこの世界の情報を集めたとき、少しお困りになったのです」

 

「は、えっ?」

 

「そうなのです、この世界はあまりに弱っていて、経験値を持つ生物の絶対数も少な過ぎるのです。これでは全滅させても、他の世界へ渡るための経験値を確保できません!」

 

「け、けいけんち?」

 

「そこでモモンガ様は仰いました。人間を繁殖させよう、そのための環境を整えよう。世界の汚染を浄化し、生物の育成環境を改善させ、殺し尽くすための経験値でこの星を満たすのだ、と」

 

 ふと、パンドラの言葉を聞いて思い出した。テロリストに占拠されていた南部都市の汚染状況が改善されていたことを。住人たちがマスク無しで、外を嬉しそうに出歩いていたことを。

 

「殺すために育てる? 経験値で世界を渡る? な、何を言っているんだ、アンタは?」

 

「おや? 悟さまはモモンガ様と同等の知能を備えていると思いましたが、私の勘違いでしたか? やれやれ、それだとせっかくのお届け物が無駄になってしまいますねぇ」

 

 パンドラは舞台役者のような大げさな身振りで嘆きを表現すると、悟へ小さな箱を差し出し、パカリと上部を開く。

 

「悟さま、モモンガ様からの贈り物です。どうぞお納めください」

 

「……これは、え~、植物の、種?」

 

 見るからに異様な種であった。

 大きさは親指ぐらいであるが、樹齢何千年という樹木から採取されたかのような風格さえ感じる。

 

世界級(ワールド)アイテム、“世界樹の種”でございます」

「なっ?!」

 

 一気に情報の波が悟の頭を駆ける。

 ユグドラシルのサービス終了からしばし経過していたとはいえ、脳に刻み込んだ膨大なデータはそのままだ。

 世界級アイテムの情報ならば、瞬時に浮かび上がる。

 

「無条件の種族変更アイテム、レベルはカンスト、職業(クラス)構成や特殊技術(スキル)、所得魔法の選別も自由自在。隠し職業でも判明していれば選択できるという糞運営仕様。苦労して見つけ出した条件の厳しい職業に、アイテム一つでなれるって聞いたときはイラっとしたものだけど……。まぁ世界級アイテムだからなぁ。仕方ない」

 

「お見事です。では悟さま、世界を救うためにどうぞ飲み込んでください」

 

「…………ん?」

 

 グイっと差し出してくるパンドラに押され、悟は一歩下がる。

 

「“世界樹の種”を飲み込んで、世界を救え? もしかして、俺にモモンガと戦えって言っているのか? 種族を変えて?」

 

「流石に人間のままでは勝てないでしょう? それに悟さまならば、モモンガ様の天敵となる種族、職業、特殊技術、位階魔法を揃えられるに違いありません。期待しております」

 

 確かに悟は、モモンガの弱点を把握している。故に天敵となるキャラクターを作成することも可能だろう。不安は武装だけだが、そこを解決できればモモンガを倒すことも難しくはあるまい。

 

「ちょっ、ちょっと待て! なんで俺が世界なんか救わないといけないんだ!? そ、そりゃ正義の味方に憧れたりすることもあるけど、それはゲーム内での話だぞ! 現実で命なんか懸けられるか?!」

 

「これはこれは、困りましたねぇ。魔王に挑まぬ者は勇者にあらず、勇者でない者には慈悲深き死を与える――とモモンガ様も仰っていたので、さっさと殺しましょうかねぇ」

 

「ぐっ……」

 

 勇者などなるものではない。

 人知を超越した化け物である大魔王と戦うことになるのだ。余程のモノ好きでなければ避けて通る道であろう。

 嬉々として役目を負うのは、ゲームの中だけだ。

 

「待て、ちょっと待ってくれ! ほら、もうすぐミサイル攻撃が始まる、核を含んだ一斉爆撃だ。あの地はあっという間に吹き飛んで全滅するよ! 俺が戦うまでもない!」

 

「ああ、あけみ様が用意したリアル世界の最大攻撃と聴いていますが……。まっ、ちょっと見物しましょうか」

 

 悟の返事を待たずして、パンドラは土足のまま室内へ入り込み、流しっ放しであったニュース映像へ視線を送る。

 玄関は扉を溶かされたままで放置され、外の景色が丸見えであった。しかし近隣住民が見物に来る様子も、通報された気配もない。

 悟が感じ取れるのは、濃密な血の匂いだけだ。

 

「い、いくらなんでもミサイルの直撃をくらったらバラバラに吹き飛ぶだろ。魔法でどうにかなるレベルじゃないぞ」

 

「さて百聞は一見に如かず、ですな。――ほら悟さま、始まりましたよ」

 

 余裕綽々な埴輪の見つめる先で、中継映像は都市の夜空を見上げるよう視点を変える。

 そこに映るは、都市の明かりに照らされた、空を覆わんばかりのミサイル群だ。

 はっきり言って無計画に撃ち込み過ぎだろう。都市を壊滅させるだけなら核を落とした後に、取りこぼしを狙い撃てばいい。オーバーキルにもほどがある。

 

「まさか、転移で逃げる、とか?」

 

 ミサイルの着弾までには時間がある。故に逃げようと思えば逃げられるはずだ。

 ただ、悟の理想とする魔王様の性格を考えれば、真正面からねじ伏せようとするに違いない。攻撃を仕掛けた側も、それを期待しているのだろう。

 

「悟さま、逃げてしまうと残された貴重な経験値が塵になってしまいますよ。それはもったいないでしょう? っと展開が始まりましたね。〈転移門(ゲート)〉の壁です」

「そうかっ、攻撃を仕掛けてきたミサイル基地へ〈転移門(ゲート)〉を繋ぐつもりなのか? くそっ、これだと爆撃なんか何の意味も――」

「いえいえ、相手側へミサイルを返してしまうと、これまた経験値の無駄になります。今殺しても大した量になりませんからねぇ」パンドラはチッチッと長過ぎる人差し指を左右へ振ると、〈転移門〉の接続先を口にする。

「アレは“エクスチェンジ・ボックス”へと繋がっているのですよ。どの異世界においてもユグドラシル金貨は貴重ですからね~。入手機会は見逃せません」

 

 エクスチェンジ・ボックス。

 通称“シュレッダー”と呼ばれるユグドラシルの特殊アイテムだ。生物以外の物品を放り込めば、物の価値に応じてユグドラシル金貨を排出する。

 当然、爆発寸前の核ミサイルであろうとも原材料に分解して査定し、強力な兵器には見合わぬ僅かばかりの対価をチャリンと落としてくれるのだ。

 大量虐殺兵器も、シュレッダーの前ではただの鉱物資源に過ぎない。

 

「な……んだよ、これ?」

 

 悟の感想は、中継の司会進行をしていた女性にも通じていたであろう。何事もなかったかのように佇む平和な都市映像に、コメントを差し挟む気配はない。

 突然空中に黒い澱みのようなものが出現したかと思えば、数多のミサイルを飲み込んだのだ。あっけにとられても仕方がなかろう。

 

「さて悟さま、余興は終わりましたよ。“世界樹の種”を飲んでいただけますか?」

 

「あ、あのさ、敵対しか道がないのか? 協力するって選択肢は残されてないのか!?」

 

 悟からしてみれば、人類のために戦うなんて馬鹿馬鹿しいにもほどがある。この腐りかけた世界の住人など、絶滅してもらって大いに結構なのだ。

 無論、幾人かの知り合いには生き残ってほしいとは思わないではないが、己の命を懸けて助けるかと問われれば、即座に否と答えるだろう。家族も居ないので躊躇する動機も無い。

 

「一つ教えて差し上げましょう。モモンガ様が求めている経験値ですが……、それを大量に所得する方法はあるのですよ」パンドラはシュバっとマントを跳ね上げると、身体を斜めに傾けながら悟を殺す理由について述べる。

「“世界樹の種”は誰でもレベルカンスト、100レベルに成長させます。ならば当然、倒した後に受け取る経験値も100レベル相当。つまり種を与えた者を倒し続ければ、膨大な経験値を確保できるわけです!」

 

 世界級アイテム所持者を、そう何度も同じ人物が殺し続けるなんてことは想定されていない。貴重なアイテムを取られることにもなるのだから、経験値を得るための手法としては欠陥だらけと言えよう。

 だが、大量の経験値を得ることが難しい現状では希望の光だ。100レベルの敵が存在しない現代世界では待っていても仕方がない。自分から用意する必要があるのだ。

 

「種を与える人間は悟さまを含め四十一名、……いえ、銃撃死一名、過労死一名、アルベド殿による殺害一名、を除く生き残り三十八名となっております」

 

「まさかそれは……」

 

「御想像にお任せいたします。なお悟さまのお相手は当然モモンガ様でございますが、心配することはありません。勝てばいいのですよ。相手の手の内が分かっている悟さまならば、勝算は高いはずでしょう?」

 

「アンタは誰の味方なんだ? 俺が“世界樹の種”で“至高天の熾天使(セラフ・ジ・エンビリアン)”になれば、“死の支配者(オーバーロード)”なんて敵じゃない。俺はモモンガの所持している魔法やスキルを全て記憶しているんだぞ」

 

 大魔王モモンガが恐るべき強さを備えているとは言っても、内情を知っている悟には通用しない。本気で正面から戦えば、対モモンガ戦のキャラクリエイトを今から行える悟に軍配が上がろう。武装さえ整えられれば……。

 

「お気遣いなく。モモンガ様が求めているのは、自身を殺すことのできる相手との戦いなのです。……ヤル気が出ましたか?」

 

「あ、いや、えっと、武器とか、そう武具はどうしたら――」

 

「宝物殿から運びましょう。要望を言っていただければ、それに見合った最上級の武装をお届けします」

 

 逃げ道を遮られて気が焦る。ゴクリと唾を飲み込み、どうやったら現状を打破できるのかと頭を悩ませる――と言いたいところだが、もはやどうにもならないのだとは自覚していた。生き残りたければ、“死の支配者”を滅ぼさなければならない。

 

(いや待て、今すぐ戦う必要はないよな。モモンガは世界を浄化して人類を繁殖させるつもりらしいし……。まぁ後で皆殺しにするつもりなんだとしても、世界が元通りになった瞬間にモモンガを倒してしまえばイイこと尽くめじゃないか? この腐った世界が救われるぞ)

 

 働かせるだけ働かせて、美味しいところを横取りしてしまえばいい。相手は大魔王なのだから罪悪感など沸くはずもない。それどころか結果として世界を救うことになるのだ。自分の命欲しさだとしても、最高の展開だろう。

 

(よし、今すぐ種を飲んでパンドラから武装を受け取ったら姿をくらまそう。逃げに徹すれば捕まることはない。そしてチャンスを窺うんだ。モモンガを殺せる千載一遇のチャンスを)

 

 つい先程までサラリーマンだった悟に大魔王と戦えなんて、無茶ぶりもいいとこだ。けれども生き残るために必要ならば、無様であろうとも足掻かねばならない。命を懸けて己を育ててくれた母のためにも……。

 

「よし、それじゃあ、“世界樹の種”は受け取るよ。武装に関しては、宝物殿から神聖属性の伝説級(レジェンド)武具を一通りと、“ホワイトブリム”、“るし★ふぁー”の神器級(ゴッズ)装備を一式持ってきてほしい。あとはPvP用に纏めてあった課金アイテムを、何セットか貰えると有り難いんだが」

 

「お任せください、――どうぞこちらへ」

「ん、え?」

 

『欲張りすぎたか?』と焦る悟に対し、パンドラは何処かへ足を向けるでもなく、風通しの良くなっている玄関へ頭を下げる。

 その仕草から察するに、誰かを迎え入れようとしているのだろうか?

 

「――おっと、中々狭いところだな。横向きにならないと壁を削ってしまう」

「な、なっ、なんでっ?!」

「ようこそ御出でくださいました、モモンガ様! こちらの方が鈴木悟さまでございます」

 

 思わず悲鳴を上げそうになる悟の瞳には、窮屈そうに玄関を潜ってくる骸骨の化け物が映っていた。

 その骸骨は重厚で高品質なローブを纏い、片手には蛇が絡み合ったような黄金の杖を持ち、頭部には七つの大きな宝石がはめ込まれた黄金の王冠を備え、黒い闇の波動を背負ってゆっくりと迫ってくる。

 恐ろしい光景だった。

 見慣れたアバターのはずなのに、胸を圧迫されたかのごとく呼吸し辛い。手足の震えは止めようもなく、もはや麻痺状態と変らぬほどだ。

 

「久しぶりだな、悟。想像していた以上の貧弱さで、心底驚いたぞ」

 

「は、ははは、こ、こっちとしては、初めましての感覚なんだけどな」

 

 精一杯の虚勢を張れたのは、手に“世界樹の種”を持っていたからだろう。それがなければ、ただのサラリーマンが魔王と言葉を交わして生き延びられるわけがない。

 

「さて、御希望の武具だがこの部屋に積み上げるぞ。少し狭くなるが我慢してくれ」

 

「えっ? ど、どうして? さっき頼んだばかりなのに……」

 

「ふふ、私を倒すために必要な武具なら、私に解らないはずがなかろう? 悟がどんな種族を選択し、どんな職業を得るのか。大体予測がつく」

 

 大魔王の弱点を知り尽くしているのは悟だけではない。モモンガ自身も熟知している一人なのだ。故に悟の思考は読める。悟がモモンガの攻撃パターンを読めるように。

 

「さぁ、必要なモノは揃えたぞ。さっそくPvPを始めるとしようか」

 

「くっ、ち、ちょっと待ったぁ。こんなところで戦ったら周辺に被害が出るだろ! ここは貧困層の街中だけど、多くの住人が暮らしているんだぞ!」

 

 時間稼ぎの方便だ。

 逃げる方策を考えるまでの時間が欲しい。

 相手の天敵である種族や攻撃手段をとれるとは言っても、まったく使い慣れていない戦闘スタイルなのだ。正面からぶつかるには不安要素が多すぎる。

 それにゲーム内のPvPとはわけが違う。

 自身が戦場に立って命のやり取りを行うのだ。恐怖で身体をこわばらせ、痛みで身をよじり、血の匂いでむせ返る。一つしかない命を懸けて、やり直しのきかないギャンブルに身を投じる。

 ふざけるなと言いたい。

 自分がPvPで高い勝率を確保できていたのは、殺意も何も感じないゲーム環境の中で冷静に判断出来ていたからだ。

 血と泥にまみれた戦場で同じことが出来るとは、全く思えない。それは確信している。

 

「ん? なんだ悟、他の住人を心配するとは優しいじゃないか? でもまぁ、気にしなくともよいぞ。この都市なら先ほど蹂躙してきた。生き残っているのは鈴木悟、お前だけだ」

 

「……な、なんだよそれっ? 人間は……殺さないんじゃなかったのか?! 経験値にするつもりなんだろっ?! どういうことだよ!」

 

「悟さま、これは人間を殺すことに忌避感を持つであろう貴方様のためでございますよ。周囲に邪魔な人間が多く居ては戦闘に集中出来ないでしょう? だからこそモモンガ様が手を下してくださったのぉです! ああそれと、周囲には対プレイヤー用の特務部隊“ドリームチーム”が配置されておりますので横ヤリが入ることはありません。御安心を」

 

 パンドラの言葉に安心を覚えることなどできるわけがない。

 周囲に配置されているのは横ヤリ防止の人員ではなく、自分を逃がさないための強力な戦闘部隊だろう。

『最初からここで決着をつけるつもりだったのか!?』と死の気配を感じて冷や汗が止まらない。手足の震えも酷くなる一方だ。

 こんな状態で、自分が創り上げた大魔王と戦えと言うのか?

 ユグドラシルでは高難易度のクエストを楽しみながらクリアしたものだが、死を覚悟する現実では勝手が違う。

 手にした“世界樹の種”と大魔王を交互に見ながら、悟は泣き喚きたくて仕方がなかった。

 

「どうした悟よ。勝算は十分にあるだろう? 何を躊躇しているんだ?」本当に不思議そうに、己が倒されるかもしれないと自覚していながらモモンガは迫る。

「この世界で私を殺せるのは、おそらくお前だけだ。さぁ、“世界樹の種”を飲め。種族を選択し職業を整えろ。武装は借り物だが、身体の方を合わせれば問題ないはずだ。スキルを構築し、魔法を選び出せ。私を打ち破る――最高の勇者を生み出すのだ!」

 

「……勇者、勇者か」

 

 痛いほどによく解る。

 勇者に倒されて初めて完成する、大魔王という名の歪な化け物。強大であるあまり勇者を返り討ちにしてしまえば、いつまでたっても不完全な魔王のままだ。

 責任を取れということなのか?

 こんなゲームから飛び出してくるような異様な骸骨大魔王を生み出した、その責任を。

 

「クソがっ」

 

 プツリと、何かが切れた。

 

「くそったれがあああぁぁあああ!! ふざけんなボケ屑共があああ!!! ゲームだろうがっ!! 所詮お遊びだろうがよおお!! なんで俺がこんな目に遭うんだよ!!! ちくしょうがあっ!! 舐めやがってぇ! 舐めやがってえええ!! お前なんか知るかあっ!! 勝手に死ねよぉ! くたばれクソがあぁああ!!」

 

 大魔王と相対する矮小な人間の雄叫びであった。

 ニヤリと、骸骨の口元が笑みを浮かべたように見える。

 

「くくく、それでどうする? 人間」

 

「ああ、やってやるよ! テメェなんぞバラバラに砕いてそこらの空き地に撒いてやる! 弱点だらけの“死の支配者(オーバーロード)”ごときが大魔王だとぉ! 笑わせんなっ!! 身の程を教えてやる!!」

 

 飲み込むには少々大きめの種を勢い良く口へ放り込み、鈴木悟は人間を超越する。

 世界級アイテム“世界樹の種”が劣悪な健康状態の肉塊を分解し、強大な力を注ぎこんでは再構築させる。

 大魔王モモンガはその異様にして美しい光景を静かに眺め、ポツリと呟く。

 

「ああぁ、とうとうこの日が来た。待ちに待っていたこの日が」

 

 傍に控えていたパンドラは涙を堪えながら一礼し、その場を後にする。

 もはやこの場に第三者は必要ない。モモンガ様の身を案じ、命を懸けて邪魔をしようとする者も排除しなければならない。

 それこそがパンドラの使命。

 目の前で父上の最後を見届ける。残酷な――それでもパンドラにしかできない、モモンガ様からの願い。

 

「御意志に反するかもしれませんが、勝利を願っております。……父上」

 

 安アパートのあらゆる窓から閃光がほとばしり、直後――建物全体が弾け飛んだ。

 恐るべき何モノかが産み落とされたのであろう。

 骸骨魔王の期待に応えて。

 

「勝負だっ、我が半身――勇者サトルよ! この一瞬を存分に楽しもう!!」

 

 

 

 

 世界がゆっくりと腐り続けていた現代において、魔王と勇者の戦いは始まった。

 魔王はただ己が楽しむためだけに、勇者は世界を救うつもりもなくただ怒りに任せて、大陸を抉り取る勢いで殺し合った。

 天変地異だと、世界の終りだと、天を仰ぎ見た者たちは口にしただろう。

 だが実際は一人の男が生み出した、あまりにちっぽけな……ちょこっとした内輪揉めに過ぎない。

 

 そう、骸骨魔王様が様々な異世界を滅ぼし続けたとしても、それはちょこっとした蹂躙に過ぎないのである。

 

 あぁもちろん、虐殺される側としては承服しかねる言い分だろう。世界を滅亡に追い込んでおきながら何を言っているのかと。

 ならば――挑めばいい。

 ふざけたことをぬかす大魔王様へ、怒りの鉄拳を振り下ろせ!

 

 さぁ、勇者になろう。

 勇者になって骸骨大魔王を滅ぼそう。

 

 蹂躙されし数多の異世界を救うのだ!

 

 

【おしまい】

 


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