HF 作:なまむし
「うぁ、あぁっ……うわぁぁあああぁあぁあ!!」
幼い慟哭が薄暗い街に響いた。
時間は22時を過ぎていて、決して子供が1人で外にいていいような時間ではない。
ましてや天候はどしゃ降りの雨。季節はあと数日もすれば冬の暦に入ってしまう。
傘すらささず目からも雨を降らす子供は、全身が寒さで凍てつこうとするのも気にせず自分の感情を吐き出していた。
彼女は獣人だ。
普通の人間とは違う。
東洋人と違い地毛は黄色。瞳は新緑。
人間と違い頭からは大きな耳が立ち、今は水浸しで地面に毛が広がっているが大きな尻尾が服の隙間から垂れている。
どれほど泣いているのかはわからないが、腫れてしまっている目はとても痛々しい。
「可哀想」
今の彼女を見れば誰もがこう口を揃えて言うだろう。
だがここは、この街は、この街の住人は
彼女の敵となってしまった。
少し時を遡る。
「あら、おはようまおこちゃん」
「おはようまおこ、今日も元気だな」
「おっまおこ!丁度いい、新作のパン味見してってくれ」
「まおこちゃんだー!!あとで葉っぱ公園来てね!鬼ごっこしよ!!」
朝、街は活気に満ちていた。
まおこと称されている金髪緑目、大きな帽子を頭に被さった女の子、否、彼女は街の一部では人気者だった。
愛くるしい出で立ち、可愛らしい言動行動、なにより見た目が愛護欲に駆られる。
老若男女誰それから話しかけられる彼女は、自らを人間と偽ってこの街で過ごしていた。
怖いのだ。獣人だと明かすのが。
白人が黒人を差別していたのと同じ。
過去に人間が身分をつけていたのと同じ。
人間と獣人、扱いをわけようとする差別主義がいるこのご時世。
差別は一応表向きは無い。
だが皆々心の中で自然と差別はしてしまっているものなのだ。
バレたくない。バラしたくない。
もし人間じゃないとバレて、獣人だとバレて、皆と同じじゃないとバレてしまったら。
冷たい目で見られるかもしれない。
話しかけてもらえないかもしれない。
一緒に遊べないかもしれない。
人間社会での暮らしに慣れた彼女にとって、孤立がどれほど厳しいものかをよく知っている。
味方がいないキツさはずっと前から知っている。
バレる訳にはいかなかった。
彼女は今日も、念入りに深く帽子を被った。
『皆様、皆様、今、この場にいる皆々様。我々は、醜い獣人を見つけ次第、この場から、この街から、皆様の目に届かない所に追い出し、平穏な人間としての日々を取り戻すために動く社会を作りたい、そう願っております。獣人は人間ではありません。姿形、似通っているところはあるかもしれませんが、心はただの獣も同じです。五年前、大勢の獣人が暴れだし、ひとつの都市が崩壊しかけた事件をまだ覚えていらっしゃるでしょうか。忘れることはできません。あの悲劇は2度と繰り返してはなりません。獣人が操られていた、などという甘い考えはありえません。あの事件は、獣人たちの意志で行われたものなのです。感情がある?理性がある?犬にもあります。猫にもあります。学ぶ力がある?猿にもあります。獣人は、我々人間にとっては愛好動物以下の存在です。猿よりも知識があるせいで________』
宣伝カーが遠ざかっていった。
この街に、獣人を批判的に見る宗教団体のようなものが出来た。
彼女は怖かった。あの宗教が広まったらどうしよう、と。
「最近あの車よく見かけるよね」
「獣人獣人って、あの五年前の事件、獣人を実験体として扱っていた研究所と工場あたりを襲ってとめさせようとしたってだけなんでしょ?流石に非人道的過ぎてドン引きしたの覚えてるわ」
「いやでも、暴れるってのがなぁ。研究員の何人か引っかき傷だの噛み跡だの酷かったらしいし。やっぱ獣人って野性的だよね。ちょっと怖いかも」
____あたしも怖いよ。楽しく過ごせる場所が無くなるのが。
後ろで話していた女子高生3人の会話を尻目に、彼女はそそくさと逃げるようにその場をあとにした。
その宣伝カーは、半年ほど街を回り続けたらしい。
事件は起こった。
少し気を抜いてしまっただけだった。
人通りの多い道で自分と同じくらいの身長の子供とぶつかりそうになったため、大きく避けただけだっだ。
避けた先にいた男性にぶつかってしまい、帽子がずれて取れたのだ。
帽子が地面に落ちた瞬間、当たりは静まり返っていた。
その場の全員の視線は、彼女の頭に注がれていた。
いつも大きな帽子で隠されていた頭部には、そびえ立つ2つの人間らしからぬ耳。
何分たっただろうか。いや、もしかしたら数秒だけだったかもしれない。
その時間の留まりは、1人の絹を裂くような悲鳴で動きだした。
獣人だ。
まさかあの子が。
おい、みろよアレ。
獣人なんて今でもいたのか。
怖いよママ。
なんで獣人が。
獣人だ、獣人がいるぞ。
みんな離れろ、獣人だ。
誰かこの獣人を地面に押さえつけろ。
け、警察に通報しなきゃ。
止まることのない声、声、声。
震える手で落ちた帽子を拾い上げその場から逃げようとするも、自分の周りにある人だかりのせいで動けることが出来なかった。
オマケに、全員の視線が自分に向いている。
あまりの恐怖に、足がすくんで動けなかった。
ついさっきまで暖かく見てくれていた人達の視線が、今では氷のように冷たい。
謎の宗教が、この街で大きく広まっていた。
例え入信していないとしても、その思想が一般人にまで届いてしまっていた。
反獣人。
人間と獣人が存在しているこの世界での、珍しくはない差別意識。
彼女は今、その差別意識の被害に遭っていた。
宗教が広まっていなければ、ここまで住人はおののかなかっただろう。
宗教の思想に、みんながみんな犯されていた。
今まで優しかった世界が一瞬で崩れた。
自分が獣人なばっかりに。
自分はただ、みんなと仲良く過ごしていたかっただけなのに。
宗教のせいではない。獣人の自分が悪い。人間じゃない自分が悪い。みんなと同じじゃないのが悪い。見た目が違うのが悪い。悪い、悪い、悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪____
頭に衝撃が走った。
頭部、右側。
…どうやら、ついさっき公園で一緒に遊んでいた子から石を投げられたらしい。
あたりどころが悪かったのか、すこし視界が眩んだ。
「…出てけ」
誰かの掠れる声が聞こえた。
「出ていけ!!この街から出ていけ!醜い獣人め!!」
この一言をきって、彼女を囲っていた民衆が一斉に罵倒し始めた。
今まで良くも騙していたな!
獣人の分際で人間の真似事か!
ふざけるな!
誰かひっ捕らえろ!
獣人と一緒に過ごしていたのか俺等は!
今までどう思って私達と話していたの!?
獣人だなんて、ああ、気持ち悪い!
出ていけ!獣人は出ていけ!
野垂れ死にしてしまえばいいさ、消えてくれ
醜い獣人と今まで居たなんて、虫唾が走るよ!
彼女は走った。
走って逃げた。
その場から全力で。
誰かの足にぶつかってしまいながらも。
なにかの段差に躓きながらも。
あの場所ではないどこかに。
人間と獣人は、共存できるのだ。なのに宗教の拡散のせいで、獣人に対するヒエラルキーが落ちる所まで落ちてしまった。
全ては狂った宗教が悪いのに、彼女はひたすら自分を責めた。
「なんで!!なんで!
なんであたしは人間じゃないの!!
みんなと一緒じゃないの!!
あたしだってみんなと一緒に過ごしたかった!!
楽しくいたかった!!
あたしはみんなと仲良くしたかった!!
それだけなのに!!
あたしが人間じゃないから!!
獣人だから!!!」
雨が降り始めた。
彼女は気にせず走っている。
雨が降っていることに気づいていないのかもしれない。
こうして冒頭に戻る。
叫ながら走っている。
今までの全てを失ってしまった彼女は、
居場所がなくなってしまった彼女は、
深い深い森の入口に立っていた。
街の外れ、人気ない静かな森への入口。
雨が降っているからか、不気味な雰囲気を醸し出すそこに、彼女は腫れた瞳を擦りながらフラフラと吸い寄せられるように入っていった。
…世間が反獣人意識に染まっていた間、彼女はどれくらいこの森を歩いているのかを疑問に思っていた。
一日歩いているような気もすれば、10分程度しか歩いていないような気もする。
常に薄暗いせいで太陽の位置も分かりずらく、泣き叫びながら走ったせいで疲労も溜まっている。
「………………ここは、」
暫くすると、ボロボロの廃墟にたどり着いた。
雑草が生い茂り、建物の壁には好き放題蔦が伸びている。
風通しがとても良さそうなボロボロな廃墟だ。
居場所を失った彼女は、ここを寝床に決めた。
世間が彼女を忘れてくれるまで、彼女はここで過ごすことに決めた。
彼女は懲りていなかった、いや諦めていなかった。
人間としてみんなと同じように過ごしたい。その一心だった。
「あたしは、なにもしてない」
やっと気付いた真実。
差別というものは恐ろしい。
彼女がなにもしていなくても、獣人というだけで酷い方にくくられてしまう。
「…また、あのパン食べたいなぁ」
優しく無害な獣人の彼女は、うわ言を呟き埃を叩き落としたボロボロのソファで眠りについた。
「貴女と一緒にここに住まわせて欲しい」
「…………………はぇ?」
廃墟での生活に慣れてきたころ、彼女の元に訪問者が来た。
最終目的は前のように人間と一緒に過ごす、だったものの、あの日のことがトラウマになってしまったのか自分の方から街から距離を置いていた彼女は、突然の人間の訪問に恐怖と驚愕を隠しきれないでいた。
「あの日、あの場所にいたのに何も出来なかった、ごめんなさい。獣人だの人間だの、本当はなにも関係ないんだよ。でも、自分たちと違うものは、怖いんだ。」
頭を下げならがら、訪問者の女性は彼女に話しかける。
女性は自らを「いちご」と名乗り、真っ赤な頭飾りを揺らしながら彼女に提案した。
「あんな理不尽、あまりにも酷すぎるよ。獣人だからってみんながみんな凶暴で人間を襲うって訳じゃないんだもの。みんな変な宗教に頭がやられちゃったの。いつか私もやられちゃいそうですごく怖いの。お願い、一緒に住まわせて」
いちごの友人も、聞いた限りだとテレビで獣人という単語が出るだけで奇声を発してしまうほどになってしまったらしい。
今、あの街は可笑しい。
前までいた優しい街は、跡形もなく消えてしまった。
「独りじゃ、寂しいでしょ?」
彼女は、あの街に戻ることを諦めた。
余談だが、彼女が首を縦に降ると、いちごは嬉しそうに笑った。