「この度は誠にありがとうございました……」
『ありがとうございました!!』
中央に立つ和尚が礼をすれば、続けて左右一直線に並んでいた子供たちが一斉に頭を下げる。
どこか晴れ晴れとしている彼らの笑顔を見れば、未だ拳の骨に鈍痛が残るシライトも、やり遂げて良かったと心から思えるというものだ。
照れ隠しに頬を軽く掻き、目を泳がせる。
すると、泳ぐ視界の奥からそそくさと歩み寄ってくる影が一つ見えた。
「ちょいちょい。耳」
「……はい?」
ヒナイが、周りの者達に聞こえぬよう、そっとシライトに耳打ちする。
「(すぐには無理だろうけどよ……盗んだモンは、返せるもんはすぐ返すけど、そうじゃないヤツはちゃんと働けるようになったら、孝行して返すことに決めたぞ)」
「(それは……はい。それがいいと思います)」
「(世話んなったな)」
「(お大事に……)」
「(お互い様だろ、コラ)」
悪戯な笑みを浮かべ、再び子供たちの列に戻るヒナイ。『ヒナねえ、何話したの?』と年少に問われているのが目に見えたが、彼は『なんでもねーよ』とはぐらかしたようだ。
(……あれ?)
この時、若干の違和感を覚えた。
だが、事を成し遂げた現状に比べれば些細であると、すぐに考えることを止める。今は彼らの笑顔だけが全てだ。
大蛞蝓仙人に酒を届けるという取引以外で、こうして人のために力を使ったことは初めてである。得た力に対し、ロクに使う機会もなかったものだが、実際に助けた人々を目の前にすれば、またやりたいと思えてきた。
これが善の輪廻。人助け、そして感謝。感謝されることによって充実感を覚え、また人助けをしたくなるという輪廻がこの世の全ての人間に広がれば、どれだけ素晴らしいことだろうか。
今なら、拳の傷も誇りに思える。
そう思った時、徐に綱手の手がシライトの頭を乱暴に撫でまわす。
「ちゃんと見えるかい? おまえのお陰で、皆笑ってるじゃないか」
「……はい」
「笑顔にはちゃんと医学的効果もあってな……どんな薬にも勝る百薬の長と言ってもいい」
「……そうなんですか?」
「ああ。だが、本当に腹から笑えるようになるにも、それなりに色々と施しをしてやらにゃならん。その点、おまえはしっかりと薬を処方してやれたようじゃないか」
綱手の言葉に、シライトはハッとする。
医療とは何か。
病気の人間を治療することだろうか?
怪我人の傷を癒すことだろうか?
否―――どれも間違ってはいないが、正しくはこう言うべきだろう。
―――相手を笑顔にすること。
今回、薬草を用いて薬を使った訳ではない。
だが、シライトはその血と汗で道を切り開き、結果として鼠ノ寺の者達に笑顔をもたらした。これは立派な治療を言えるハズだ。
「悪いモンじゃないだろう」
「……それはもう」
自分にも言い聞かせるような言い草の綱手に、シライトは首肯するのだった。
***
「さて……次はどこを目指そうか。娯楽を探すんなら湯の国がいい。温泉に浸かって、酒も飲んで、賭け事も……うん、それがいいな!」
「湯の国……ですか? 割と距離ありますよ、綱手様」
「ふんっ、若い者がそんなんでどうする!? 歩くのにものぐさとなったら、嫁入り前に取り難いセルライトが太腿に付くぞ~?」
「あ、あひィ」
綱手に太腿をタプタプと揺らされるシズネ。
まだ二十五のシズネだが、筋肉量は年齢に伴い減少していくだろう。にも拘わらず動くことに倦怠感を覚えていれば、あっという間に脂肪は増え、醜いセルライトがついてしまうかもしれない。
脂肪とは、欲しい場所には全然つかないくせに、欲しくない場所にはこれでもかというほどに付くものだ。
師の胸元を眺めつつ、シズネはこの世の不公平を呪う。
「そ、それはいいとして……シライトくん、大丈夫なの?」
「一応……持てないことはないです……一応」
自分の胸の平地から目を逸らしたシズネは、三人と一匹分の荷物を背に背負ったシライトに目を遣った。遠出して売りに出る行商人の如き荷物は、齢十二の少年にはいささか重荷に見える。
だが、一週間の修行の甲斐があってか、辛うじて背負って動けることはできるようだ。
しかし、見るからにきつそうな表情。
そんなシライトを叱咤激励するかのように、綱手は勢いよく人差し指を突き出す。
「それは師として弟子のおまえに課す修行の一つだ! 真摯に取り組め!」
「はぁ……」
(なんか……師弟関係を引き出しに、いいように扱われている気が……)
この荷物の運搬もシライトのため。
そう謳う綱手だが、背負っている当人にしてみれば、寧ろ以前よりも雑になっているような自分の扱いに首を傾げざるを得ない。
綱手たちが軽快に歩み出す一方で、そんなシライトはのっしのっしと亀のように緩やかな歩みで前へ進む。これも緻密なチャクラコントロールを扱えるようになれば、容易く事を進めていけるようになるものなのだろう。
ポジティブシンキングを心掛ける。
でなければ、これからやっていけないとシライトは確信した瞬間だった。
***
それなりに長い期間滞在した宿場町を出、綱手たち一行は湯の国へ向かうべく、北東に向けて歩を進めた。
忍であれば三日ほどあれば十分な距離。
しかし、彼らの旅は任務などではなく、誰に急かされる訳でもない旅だ。強いて言えば、綱手にとっての慰安旅行とでも言うべきか。兎も角、どのようなペースで進むのかは、綱手次第である。
暫し、流れる雲、風に靡く草原、漂う国の空気を楽しむ。
次なる宿場町に着くころには、すでに夕方。一日中荷物持ちだったシライトは、大岩除去ほどではないがヘトヘトになっていた。
「情けない。医者はスタミナが大事なんだぞ。患者よりも先に医者がへばったら、目も当てられん」
「……おっしゃる通りです」
「今日はもう飯を食ってさっさと寝ろ。私は、シズネと一緒にちょ~っと出掛けてくるがな」
(……また賭け事に)
一日中歩いたというのにこれから賭場に行くことを匂わす綱手に、シライトは呆れのような、そのスタミナへの純粋な感嘆を覚える。
それと、何故負けると分かっているにも拘わらず、ああしてまで賭け事に興じるかに疑問が……。
「あの……」
「ん? なんだ」
「荷物持ち以外の修行は……いつ見てくれるんでしょうか?」
「む、そうだな……だが、教えることはさほど多くもないし、大抵は座学だからな。直接見るものはほとんど無い」
「はぁ……」
「しかし、どうしてもと言うのであれば、特別な修行をつけてやってもいい」
「え?」
特別な修行とは何だろうか。
響きは悪くない。特別と言うくらいなのだから、相応に厳しいだろうが、得られるものはそれなりに多いハズ。
少し思案し、内容までは告げられていないものの首を縦に振る。
すると綱手は不敵な笑みを浮かべた。
―――なんだ、この拭えぬ不安は。
その笑みに、得も言えぬ不安を覚えてしまった。悪だくみでもしているかのような笑みは、間違いなくロクでもないことを考えているに違いない。
何故か、『おまえの苦しんでる姿を酒の肴にしてやる』という幻聴が聞こえた。
「あ、あの……因みに修行の内容は……」
「さぁーて! おまえも今日は寝ておけ。明日はスパルタで行くからな」
そう言って綱手は、結局内容は明かさぬまま夜が訪れようとする町にシズネと共に繰り出していった。
あの怪力を持つ人物のスパルタな修行。
考えるだけで総毛立つ。
「トントン……」
「ブー」
少しでも不安を拭おうと、心配そうな表情でこちらを見つめていたトントンを撫でまわす。
今日、彼は眠れぬ夜を過ごすのだった。
***
「に゛ゃん!」
自分からこのような叫び声が出るとは、人生で一度も思っていなかった。
だが、現実にて生命の危機に直面した時、声帯は意思に反して震え、肺から空気が吐き出されることで、想像してもみなかった悲鳴が隙を突いて出てくる。
「どうした!? アカデミー生の方がマシな動きが出来るぞ!」
「はぁ……はぁ……僕、忍者学校には通ってなかったので……」
「言い訳するな!」
「ぇ……」
理不尽だ。この世の不条理を身に沁みて実感した。
理由と言い訳は紙一重だ。合理的な説明ができれば、相手に“理由”と受け取ってもらえると思いきや、相手の心情次第では如何なる“理由”も“言い訳”とされてしまう。
岩の除去作業で音を上げなかったシライト。彼が死に物狂いで受けている特別な修行とは、伝説の三忍の拳をひたすら避けるという修行だった。
一発一発が即死級の威力だ。無論、死なぬよう手加減されているとはいえ、喰らえば骨に罅が入ることは覚悟せねばならないほどに威力は高い。もし喰らったとすれば、『自分で治せ』と言われるのが関の山。これも、伝説の三忍から医療を習っている故の運命なのだろう。
「ほら、ドンドン行くぞ!」
「っゅ~~~……!!」
言葉にならない悲鳴を上げ、綱手が次々に繰り出すストレートを交わす。
風を切る音ではない。空気が破裂するような音が耳元で炸裂するのは、余りにも心臓に悪い。
心臓が縮む思いをして回避を続けるシライトは、全身の神経を鋭敏化させる。
忍者学校に通っていない彼にとって、戦闘など専門外だ。ただただ、獣としての生存本能に従うがままに動く。
それではここで、何故彼が慣れない攻撃の回避などの修行を受けているのか説明しよう。
綱手曰く、
一つ、世の中は物騒であるため、護身術として覚えておいた方がいいから。
一つ、医療忍者は攻撃を受けてはならないという持論から。
一つ、賭けで負けたストレスを発散させたいから。
最後の一つに関しては、十割十分私情である。更に二つ目に関しても、シライトは医者を目指している訳であって、医療忍者を目指している訳ではない。
だが、そのことを綱手に伝えれば、『医療忍術を扱っている者なのだから、医療忍者と言っても差し支えないだろう』と一蹴された経緯がある。
納得できたのは一つ目の理由だけ。
特別な修行と言う名の、生死を懸けたサンドバック状態(直接殴られ続ける訳ではないが)に、シライトは一発一発ごとに走馬燈を見ていた。
というより、一発躱してからの次弾への間隔が早い。
三秒に一発。それを十五分間躱し続ければならないのだ。因みに十五分である理由は、集中していられる時間が大体その程度だからとのこと。しかし、筋トレなどと同じように、追々一セットに掛ける時間・量は増やしてくらしい。これは最早、処刑宣告に近いだろう。
そのようなスパルタトレーニングを傍らで眺めるシズネは、トントンを抱きながら、どこか落ち着かない様子だ。師の一撃の重さを知っているが故に、気が気ではないのだ。
やる側も見る側にとっても、長い長い十五分。
終わった頃には、シライトの顔の血色はとてもいいとは言えないものとなっていた。顔面蒼白。今にも死に絶えそうな表情だ。
「ひぃ……ひぃ……ふぅ……」
「ラマーズ法なんかじゃ呼吸は整わんぞ」
「……わざとじゃ……ないです」
「そうか」
大蛞蝓仙人直伝・波紋呼法が乱れるほどのスパルタメニューに、思わず呼吸がラマーズ法に則ったものとなってしまう。
そんな疲労困憊のシライトに、綱手は実に満足そうな笑みを浮かべている。
散々弟子をいびり、ストレスが発散できたのだろうか。状態が状態であるため、変に勘ぐってしまうシライトだったが、ひとまずは呼吸を整えることに意識を向ける。
地面に大の字となって寝転び、流れゆく雲に目を遣った。
流動的な形と、背景の果てしなく広がる青空は、余裕のなかった心に少しばかりの安らぎと落ち着きを与えてくれる。
同時に、すぐ隣で咲き誇っていた野花の香りが鼻を擽った。
極限までに集中した後のコレ。体は、すぐに眠らんと重くなっていく。
瞼も同じだ。次第に視界がぼやけていく感覚を覚え、抵抗する間もなく暗闇が視界を支配しようとした。
その時、倒れるシライトのすぐ隣で、わざとらしく音を立てて綱手が胡坐をかく。
「まったく……そんなんでどうする」
「……だって僕……忍者じゃないですし……」
「ふんっ。忍者なんて肩書、その気になれば誰だって名乗れるもんさ。大事なのは、そいつが抱く“忍道”さ」
「忍道……?」
「ああ。そいつさえしっかり貫き通せりゃ、職業忍者なんかじゃない……自分が思う忍者に為れるんだろうね」
抱く忍道の大切さを説く綱手は、徐に空を見上げる。
ふと見上げた空には三羽の鳥が優雅に待っていた。だが、その内の一羽がなんの予兆もなしに、他の二羽とは全く別の方向へと向かっていく。
まとまりのあった三羽。一羽が離れた途端、小さい群れであったそれは瞬く間に瓦解し、各々全く違う方向へ飛んでいってしまう。
「……どっかの誰かは、忍者とは『忍び堪える者』って言った」
「忍び堪える者……?」
「そして、また別の誰かは『忍術を扱う者』のことを指すって言った」
「忍術を……はぁ」
「シライト。おまえにとっての忍者ってなんだい?」
「僕にとっての……ですか?」
「ああ。忍を目指しているかなんて問題じゃない。ただ……ああ、なんとなく聞いてみただけさ」
綱手の声はどことなく暗い。
彼女が考えなど、シライトにとっては知る由もないことだが、このまま黙っているのも忍びない。
じっくり思案し、自分なりの考えをまとめた。
「………………受け売りですけどいいですか?」
「たっぷり間を使ったな。まあ、いいだろう」
「僕にとっての忍者は……『忍びざる心を持つ者』です」
「忍びざる心だと?」
「はい。困った人が居たら見過ごさない……仮に僕を忍者と呼ぶ人が居るなら―――」
見上げた空に浮かぶ隙間から、燦々と輝く太陽が覗く。
そんな太陽に負けない笑みを浮かべ、シライトは言葉を紡ぐ。
「……そういう者で在りたいと……思っています」
「……そうか」
弟子の答えに満足したのか、綱手はスッと立ち上がる。
「さてと。休憩も十分した頃だろう。続きやるぞ、続き!」
「~~……!」
「ほら、そんな顔したって無駄だ! 立て、立つんだシライト!」
「はい……」
綱手に急かされ立ち上がるシライト。
これから辛い修行が始まると思うと憂鬱だが、決して無価値な時間にはならないハズ。何故ならば、その時間に価値をつけるのは自分自身なのだから。
これから何年続くかも分からない三忍の下での修行。
辛く苦しい生活が始まるかもしれないが、本当に“力”が必要となったその時、彼はこの時間の大切さを確かに感じることだろう。
綱手とシライトの間で繋がった糸は、どこかの誰かの命を繋ぐ糸となる。
そう、この世は結局繋がっているのだから。
***二章 完***
第三章『波と雪』の投稿は未定です。
あと、今章の次にも番外編を投稿する予定となっております。