向カイ風ニモ負ケズ   作:柴猫侍

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第三章 波と雪
十三. 性欲と医者スイッチの因果関係


 古人曰く、忍術に陽忍と陰忍あり。

 陽忍。それすなわち情報戦において、敵の意図を探り出すこと。対人諜報などがこれにあたる。

 一方陰忍。それすなわち敵地への潜入及び破壊を行うことで、敵の情報を得て、こちらの意図通りの結果を導くことだ。

 

 今、一人の人間が行っていることは後者。

 闇に潜み、足音を立てぬように廊下を駆け抜ける。月明りだけが光源の中、彼は全神経をとがらせて目的地へと赴こうとしていた。

 

 急がねばならない。されど、急ぎ過ぎれば敵に感づかれる。

 そのようなジレンマの中、自身の為すべきことを済まさんと足を動かす彼は、一秒一秒がとても長く感じられる時間の中、漸く目的地であった部屋にたどり着いた。

 

(……鍵がかかってやがんな、コラ)

 

 物音を立てぬよう、細心の注意を払ってドアノブを捻ってみても、掌に引っかかりの感覚を覚え、一旦ドアノブから手を離す。

 そして、すかさず印を結んだ。

 

「……口寄せの術」

 

 小さな煙と同時に現れたのは、小さなネズミだ。

 口寄せ獣が現れたのを見計らった彼は、端的なジェスチャーで扉の向こうへ潜り込み、鍵を開けるよう伝える。

 するとネズミは、その小さな体を生かし、扉の下の僅かな隙間を通った。

 数秒後、静寂の中に響く鍵が開かれた音。

 即座にドアノブに手を掛ければ、先程まであった抵抗感はどこへやら。扉は彼の意思のままに開く。

 

 中に誰も居ないことは既に分かっている。

 偵察のネズミたちが、事前に知らせてくれていたからだ。ここまで誰にも見つかることなく来れたのも、口寄せ獣であるネズミの偵察があってこそ。ネズミ様様である。

 

 それは兎も角、目的地に潜入することが叶った彼は、求めるものを探すべく物色を開始した。

 絢爛な内装の部屋に嫌悪感を覚えつつ、ディスクや置かれていた書類をガサゴソと漁る。

 夜目はきいている方だと自負しているとはいえ、探している物の内容が内容である為、捜索は困難を極めた。

 

(はぁ……こういうの苦手なんだよなぁ。汚職の証拠って、どーゆーモンなんだ……?)

 

 ここまで来て、自分の計画のなさを呪う。

 もう少し、求めている物がどういった場所に存在するのか考えておけばよかった。だが、すでに後の祭りだ。

 収穫の有りや無しを問わず、次に来れば警備は更に厳重なものとなるハズ。となれば、次回以降の潜入は更なる困難を極めることだろう。

 故に、この一度を大切に有効活用せねばならなかった。

 ならなかったのだが―――、

 

「っ!」

 

 殺気。

 只ならぬ殺気を覚えた彼は、反射的のその場から離れる。

 次の瞬間には、先程まで自分が居た場所には大鎌が振るわれ、手放した書類は真っ二つに裂かれていた。もし離れていなければ、自分の運命はあの書類と同じだったのだろう。

 

「チッ。ガトーの犬かよ、コラ」

「……こそこそ嗅ぎまわるネズミが一匹」

 

 暗闇故、襲撃者の姿ははっきりとしない。

 だが、華奢で小さな体躯から大人の男性であるという線は消えた。そして声だ。小鳥の囀りのようなか細い声は、間違いなく襲撃者が女性―――それも少女と言って間違いない歳であることを示していた。

 

「ネズミだぁ? はんっ、バレちゃ仕方がねえ! 耳かっぽじって、よおく聞きやがれ!」

「……?」

「貧窮の者ありゃ東へ西へ! 黒死病(ペスト)の代わりに幸せ振り撒く、通称・鼠小僧と見知りお―――!!」

沸遁(ふっとん)巧霧(こうむ)の術……!」

「のわっ、てめぇ! 人の見得切りの途中で!」

 

 隠密活動などほっぽりだし、何故か見得を切ろうとした彼であったが、途中、襲撃者の口から吐かれた霧によって妨げられてしまう。

 即座に退いて躱すも、着ていた黒づくめの装束の一部が溶ける。

 

(沸遁……? 血継限界ってやつか)

 

 聞いたこともない術に、見たこともない術の効力。

 それが深い血の繋がりにより、子々孫々に伝えられる“血継限界”の術であることを確信した彼の頬に冷や汗が伝う。

 閉めた扉の先からは複数の足音。

 敵の援軍が来るのも、そう時間はかからないだろう。

 

「しっ!」

「チッ……!」

 

 しかも、襲撃者は大鎌を振り回し、すぐにでも自分を殺さんとしているではないか。

 潜入にあたって、得意としている獲物は置いてきてしまっている。あるのは、少々心もとないドスが一つだけ。長物である大鎌相手には、自身の力量もあって相手するのは悪手だ。

 

 数秒の剣戟。

 幾度か火花を散らした彼は、その時を見計らう。

 三枚刃の鎌相手に、少しばかり皮膚を切り裂かれるも、虎視眈々と……。

 

 大きな音が響く。増援が扉を蹴り破った音だ。

 刹那、彼はにやりと一笑し、左手で指笛を吹く。すると、あらゆる隙間という隙間から、総毛立つほどの数のネズミが湧きだし、この場に居る全員を呑み込んでいく。

 

「な、なんだ!? いでっ、噛まれた!」

「くそ野郎! ひぃいい!?」

「ね、ねずみだけは……!」

「はっはっは! ザマァねえぜ、コラ! そんじゃ、オレぁお暇させてもらうぜ! あばよっ!!」

 

 景気よく別れの言葉を告げた彼は、派手にガラスを破って外へ飛び出す。

 舞い散る硝子。同時に、大鎌を持っていた襲撃者は、自身にたかっていたネズミを振り払い、逃げ去った者を追うように割れたガラス窓から身を乗り出す。

 かなりの高所だ。高層ビルの、それこそ屋上に近い階層から飛び降りたとなれば、常人は只で済むハズがない。加えてこの窓の先は断崖と、荒れ狂う海が広がっている。

 真夜中であることも相まって、現在地から無傷で逃げだすことは不可能に近い。

 

「……鼠小僧」

 

 轟々とうねる波と、月光を引き込もうと荒れる渦潮を見下ろしながら、襲撃者は先程の人物の姿を脳裏に過らせるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「はぁ……はぁ……ははっ、してやったぜ。こちとらっ……はぁ……体力にゃ自信があんだよ、コラ!」

 

 水浸しになりながら浜に這い上がる彼。

 人相を覚えられぬよう被っていた頭巾を脱ぎ捨て、血のように紅い髪の毛を露わにする彼―――否、彼女。

 潮水滴る彼女の紅いまつ毛は、言うなれば雨水滴る彼岸花の花弁のようだ。

 

 遠くでは、灯台のように光が瞬いているが、それは船を導く光などではなく、波に囲まれた国を脅かす男の会社の一つが放つ光だ。決して船乗りを助けるものではない。

 水に濡れて重くなった衣服を恥じらうことなく脱ぎ捨て、動きやすい姿になる。

 だが、体力の有無ではない……他の何かが原因である疲労感が、体にずしりと圧し掛かった。

 

(……毒……か?)

 

 ふと、襲撃者につけられた傷を思い返す。

 あの鎌の形状は、相手に傷をつけやすくするため、わざわざ刃の数が多かったものだったのだろう。言い換えれば、少しでも傷を与えられれば相手に致命傷を与えられる細工が施されていると考えるべきだ。

 第一に浮かんだ考えは“毒”。古典的だが、単純故に効果的。

 

(くそ……意識が……)

 

 抵抗やむなく、彼女の意識は暗闇に落ちる。

 

 

 

 ***

 

 

 

「本当に……なんとお礼を申し上げれば……!」

「……いえ……医者として、当然のことをしたまでです」

 

 とある火の国の漁村。

 こう言ってはなんだが、みすぼらしい姿をした者達が深々と頭を下げていた。豊かそうには見えぬ恰好。しかし、顔は活力に満ち溢れている。

 そして、彼らに活力を齎した者は無表情で佇んでいた。

 

 髪を後頭部へ流すように嵌められた白いヘアバンド。

 『賭』の文字が刻まれた深緑色の羽織。

 その下には、少々くたびれてはいるものの、清潔な白色が保たれている衣服が覗いている。

 

「先生……なにか、なにかお礼を」

「……大丈夫ですので……お気持ちだけ」

 

 必死に礼を渡そうとしてくる者達をぬらりと躱すのは、他でもない。

 たきのシライト。現在15歳。綱手の下に弟子入りして、もう三年が経とうとしていた。

 

 しかし、今この場には師である綱手どころか、付き人のシズネ、そしてペットのトントンすら居ない。

 

 その理由は半年前まで戻る。

 

 ここ波の国近くの漁村は、かつては栄えていた。

 シライトを含めた綱手一行は、旨いと評判の海鮮丼を食べるべくやって来たのだが、いざ到着してみれば、広がっていたのは寂れた街並みに、憔悴し切った人々。

 聞くところによれば、一行が訪れる半年前よりとある海運会社の手により、満足に漁が出来なくなるよう制限されたと言うではないか。

 魚を売って生活費を稼ぐ漁村にしてみれば、それは死活問題。

 なんとか漁以外でやりくりしようとも、そう簡単に行くはずもなく、若い女性の中には身売りする者も少なくなかった。

 そして、身売りする女性の中で梅毒を始めとした性病を罹患する者が現れ、徐々にその病が漁村に広がってしまったのである。

 性病も立派な病。罹患して長期間経てば、命に係わるものも少なくない。

 

 そこでシライトは、二年半学んだ技術や知識を生かすべく、漁村全体に蔓延する病を根絶しようと立ち上がったのである。

 梅毒ならば、治療完了には二か月から半年ほど要するものだ。

 治療法自体は確立されているため、シライトでもさほど治療に苦労するほどのものではなかったが、如何せん罹患している者が多い。

 病には潜伏期間もある。罹っていないと思いきや、実は……などという事例もざらだ。

 

 とどのつまり、長期間の治療期間が必要だった。

 留まるシライトは兎も角として、綱手は『お前ならやれる』と太鼓判を押し、『急を要する事態になれば呼べ』と逆口寄せ用の血を託して、漁村から去っていった。

 彼女のことを薄情と捉える者も居るかもしれないが、全てはシライトのスキルアップのため。そしてなにより、この漁村を自分に任せて他の場へ赴くよう促したのはシライトだ。

 

 結果、半年もかかってしまったが、治療は完了した。

 これで晴れて、胸を張って綱手の下へ戻れるというものだ。

 

(綱手様……今頃、賭け事でもしてるのかなぁ)

 

 以前、師から贈り物として渡された『賭』が刻まれた羽織を指でなぞり、師たちの顔を思い浮かべるシライト。

 

 『礼をしたい』と訴える村民の願いをやんわりと断りつつ、村を後にしようとする。

 だが、

 

「先生、大変だ! 浜に人が倒れてたべ!」

「? ……わかりました、案内してください」

 

 不意に、人混みの奥から声を上げる男性。

 訛りの利いた声で怪我人が居るような旨を告げる彼に、シライトは即座に駆け出す。

 『先生』コールに対して気恥ずかしい気持ちになりながら、颯爽と人が倒れている場所まで辿り着く。

 確かに怪我人が居た。

 浜にへばりつく真っ赤な乱れ髪は、珊瑚のように見えなくもない。

 

 こんな髪色もあるのだなあと呑気なことを考えつつ、倒れている者の脈を図る。

 弱い。これは非常にまずいと、シライトの顔は無表情から一変、険しいものへと変貌した。

 

「すみません、近くの家に案内してもらってもよろしいですか……?」

「勿論だべ! 先生の頼みとありゃあ!」

「ありがとうございます……」

 

 倒れていた者を抱え、案内される家へ駆ける。

 運んでいる間も、弱っている者を掌仙術での回復を試みた。すると、僅かに腕に伝わる鼓動が強まる。

 次第に強まる心拍と同時に、青ざめていた顔にも色が戻っていく。

 

(これなら……)

 

 思っていたよりも軽度の状態に―――否、怪我人の生命力に驚きつつ、案内された家に怪我人を寝かせ、詳細な状態を把握するために只でさえ軽装であった衣服を、チャクラ解剖刀(メス)で切り開く。

 露わになる上半身。同時に、それまで顕著でなかった胸元の白皙の双丘が目に付き、集まっていた野次馬の男性陣は頬を赤らめ、女性陣がそんな邪な考えを持った男共を追い払う。

 シライトは、元々睡眠欲・物欲・性欲の三大欲求の内、性欲はそれほど(というよりまったく)ない方だが、それに加えて只今医者スイッチが入っている為、女体を目の前にしても一切反応することはない。

 

 変わらぬ表情のまま、白皙の体を一瞥する。

 目についたのは、二の腕辺りについた切り傷だ。そのあたりだけ血色が異様に悪い。

 

(毒……か)

 

 チャクラを集中させた掌を当て、体内のチャクラの乱れを看破する。

 それに伴い、現在この少女の体に害をなしているものが毒であることを理解し、すぐさま細患抽出の術により、毒素の抽出と傷口の回復を図る。

 

 治療が始まってからどれだけの時間が経っただろうか?

 固唾を飲む緊迫感の中、汗が滴る程に集中し、治療に没頭するシライト。

 数分か、はたまた数時間か。時が経つのも忘れる治療だったが、不意にやり切った顔で息を吐いたシライトの様子に、集まっていた者達の間に安堵の空気が広がる。

 

 終わるや否や、自身の羽織を少女の上半身を隠すように被せたシライトは、一拍呼吸を置いてから、

 

「一命は……取り留めました」

 

 ワッと湧き上がる歓声に、野次馬よろしく屋根の上に集まっていたカモメは驚き、どこかへ飛び立っていった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ん……んん……」

 

 凄まじい倦怠感を覚えつつ、彼女は起き上がった。

 記憶も曖昧な中、今自分がどこに居るのかを把握しようと、朦朧としたまま目だけを動かして辺りを見渡す。

 天国にしては味気のない木造の家。どうやら、死んだ訳ではなさそうだ。

 身体に奔る痛みや疲労感が、己が生きていることをひしひしと教えてくれる。

 

「あ……起きましたか?」

「んぁ?」

 

 不意に聞こえる若年の男性の声。

 徐に声の方へ振り返れば、乳鉢と乳棒を手に持った見たことがあるような少年が、自分の方にやって来るではないか。

 ゴリゴリと乳鉢で何かを擦っている。乾燥した薬草でも粉砕しているのだろうか?

 

「てめぇ……どっかで見たことある顔だな、コラ?」

「え」

「確か……しらたき!」

「……混ざってますね、苗字と名前が」

「あ?」

「……たきのシライトです」

「あ~、そうだったな! 寺じゃ世話んなったな」

「……そういう貴方はまさか……ヒナイさんで?」

「ん? おうよ」

「(女の子だったんだ……)」

「なんか言ったか?」

「……いいえ」

「そうか」

 

 起きてから休むことなく口を動かす少女。彼女は、二年半前に鼠ノ寺で見知ったヒナイだった。

 あの時見知った少年僧が、まさか少女だったとは。

 それも驚きだが、二年も経てばこのように女性らしい顔つきや体つきになるものなのだと、人体の神秘についても少々驚嘆する。しかし、口調は相変わらず男言葉のようだ。

 

 思わぬ再会である。

 しかし、看病するシライトにとって質問したいことは山ほどだ。

 

「……少し、お話よろしいですか?」

「おうよ。なんだ?」

「……僕は、数か月前から病気の治療でこの漁村に留まっていました。そんな場所の浜辺にヒナイさんが倒れていた訳ですが……差し支えなければ、経緯をば」

「なんだ、そんなことか……あ゛ぁ!!?」

「っ!?」

 

 突如として大声を上げるヒナイに、シライトは手に持っていた乳鉢と中身が零れそうになるほどびくついてしまう。

 そんなシライトを余所に、ヒナイは自身の体のあちこちをまさぐる。

 何かを探しているような様子だ。

 暫し、ヒナイ自身による体の探りは続き、最終的に股―――下着の中に手を突っ込んだところで目的の物が見つかったのか、『おっ!』と声を上がった。

 

「あったあった」

「……なんですか、それ?」

「これか? こりゃあ、ガトーんとこからパクったモンが入ってんだよ」

 

 ヒナイが掲げるのは、一枚の紙だ。

 何の変哲もない紙に見えなくもないが、ようく見れば紙に術式のような文字が羅列している。

 起爆札には見えない。

 となれば、口寄せの類の術式が書かれているものだとシライトは推測した。

 だが、彼が気になったのはそこではない。

 

「パクったって……まさか……また、その……泥棒を……」

「おいおいおい、勘違いすんなよ。確かに盗みゃしたがよ、そんじょそこらのコソ泥とオレを同じにしてくれるなよ。オレぁ、今は義賊だ。掲げてる大義があるんだよ」

 

 病み上がりにも拘わらず、堂々とした佇まいを崩さぬヒナイ。

 右膝を開き、左膝を立てている彼女の座り方は、うっかりすれば下着が見えてしまいそうなほどに危うい。

 下心のある男であれば、思わず食いついて見入ってしまいそうな光景だ。しかし、幸いシライトにパンチラを拝みたいという願望はなかった為、視線は彼女の掲げる紙にだけ注がれている。

 

「……大儀とは?」

「……今、波の国とその周辺の村は貧窮してやがる。その理由は、海運会社ガトーカンパニーが、波の国の海上交通・運搬を牛耳ったからだ」

「がとーかんぱにー」

「はんっ、表じゃ堅気の会社やってる風に見せかけて、裏じゃ麻薬の密売やらなんやら、あくどい商売してる会社のことさ。そんな会社が今、波の国全てを牛耳ろうと暗躍してやがる」

「はぁ……」

「ガトーの所為で、波の国ぁ貧しいことこの上ねぇ生活送ってる。一刻も早く、ガトーの悪事を暴かなきゃいけねえって訳だ」

「ほぉ……」

「そこで、オレが会社に潜入して悪事の証拠盗んでこようとしたって訳さ!」

「……なるほど」

 

 大体の事情はシライトにも理解できた。

 同時に、この漁村が貧困に瀕している理由も解る。ここは波の国が近く、波の国との交流も盛んであった地域だ。

 もし、ヒナイの説明通りにガトーという輩が波の国を牛耳ろうとしているのであれば、交流のある地域にも手を加え、完全に波の国を孤立させようとしてもおかしくないハズ。

 

 神妙な面持ちでシライトが佇む中、ヒナイは『よっこらしょ』と勢いよく立ち上がる。

 

「さて……オレぁ、手に入れたモンから収穫がねえか調べる。だが、一回盗みに入った手前、ガトーがオレのこと探してねえとも限らねえ。オレぁさっさとこっからお暇させてもらうよ。助かったぜ、しらたき」

「シライトです」

「んお? あぁ、悪ィ悪ィ」

 

 謝ってはいるものの悪びれる様子がないヒナイに、シライトは深いため息を吐く。

 その間にも立ち去ろうとするヒナイ。言葉通り、彼女はこの漁村から早々に立ち去るのであろう。

 

 しかし、今のシライトにとって、彼女は看過できぬ存在だった。

 

「待ってください……」

「なんだぁ? 止められても、オレは行くぜ」

「そうじゃありません」

「……?」

 

 シライトの物言いに、ヒナイは訝し気に眉を顰める。

 一方、止めるつもりではないと謳うシライトは、畳んであった羽織を広げ、その袖に腕を通した。

 

 背中の『賭』の一文字が、蝋燭の淡い火影に照らされる。

 

「……貧困も立派な病。医者としてお国の病を治療しに、僕も一肌脱ぎましょう」

 

―――自分も共に行く。

 

「……はっ! お人好しなのは変わらねえな」

 

 暗に示すシライトに、ヒナイも思わずフッと笑みが零れる。

 

 この二年半、シライトが綱手より教えられたものは三つだ。

 

 一つ、師の身の周りの世話をする家事力。

 

 一つ、卓越した医療技術。

 

 一つ、弱い者が苦しんでいるのを見逃さぬ男気―――忍びざる心だ。

 

 

 

 濃霧の中、鬼と白雪舞い踊る波の物語。

 これより開幕。

 

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