「ふぅ~……いいお湯だった♪」
頬を紅潮させ、手拭いで髪の湿気をとるミズチは、先に上がっていたシライトへ向かって言い放った。
彼が部屋に入ってくるのとすれ違いに、そそくさとヒナイが部屋から出ていくが、これから風呂に入るつもりなのだろう。がさつに見えて彼女は風呂が大好きだ。一日の疲れを癒すべく、今日もたっぷり湯に浸かることだろう。
それは兎も角、今日泊まる宿の一室に集う二人の間には、何とも言えぬ空気が漂う。
ミズチが望んで付いてきた訳だが、正直なところ、シライトもまだ完全に心を許している訳ではないのかもしれない。いや、適切な距離感を掴むべく、相応の距離感を保っているだけだろうか。
だが、乳鉢で乾燥させた薬草を擦っている彼に構わず、ミズチは彼の背後に近づいてきた。
「へー。なんのお薬?」
「……風邪薬ですね……あって困るものじゃないので」
「ふーん。売るの?」
「……必要に応じて……です」
「うふふっ、貧しい家だったら無償で配るって感じ?」
「まあ、そうですね」
シライトの言葉にフッと笑うミズチは、そのまま窓際まで歩んでいく。
すると徐に窓を開け、曇天の空を見上げる。
「もうすぐ雨かも」
「……そうですか? 明日には晴れてほしいですが……」
「センセー、雨は嫌い?」
「眺める分には好きですが……洗濯とかができなくなるので……毎日だと困るかもですね」
「そう。アタシは雨が好き」
頬杖をついて空を見上げるミズチの傍に、一粒の雫が降って来た。
それからほどなくして、町には夥しい雨粒が降り注いでくる。往来を歩んでいた者達は、歩を急がせてどこかへ向かっていく。
雨粒のように忙しなく動き回る往来を見下ろすミズチは、ほんのり冷えてきた空気を鼻で吸い込み、ふぅと息を吐いた。
「お空と地面が繋がってるようで……神秘的だから」
感性は人それぞれ。
だが、雨という一つの現象を神秘的と捉える彼の感性を、シライトは素直に感心するのだった。
***
「しらたき。真ん中で寝ろ」
「真ん中……ですか」
「あら。みんなで川の字?」
それはヒナイが風呂から戻り、髪の毛が乾いた頃だった。
絵も言えぬ表情で、自分とミズチの間を挟むポジションで寝ろと言うヒナイに、シライトは首を傾げる。
一方でミズチは、三人で川の字となって眠れることを楽しみにしているのか、嬉々とした口調だ。
石鹸の香りが仄かに香るヒナイは、やや理解し難いといった表情を浮かべているシライトに詰め寄り、ミズチに聞こえぬよう耳打ちする。
「(会ってすぐの野郎の隣に寝られんのは気が気じゃねえんだよ)」
「(……繊細なんですね)」
「(バカにしてんのか、てめェ!)」
「(いえ、そういう訳じゃ……)」
どうやら、単純にミズチの隣で眠りたくないらしい。
夜這いでもされると思っているのだろうか? それにしても、男勝りな性格であるにも拘わらず、意外と貞操を気にしたりとしっかりしている彼女だ。坊主だから、と言えばそこまでだが、卵料理―――特に親子丼が大好きな(生臭)坊主とは思えない。
(バランスはとれてる……って言ったら、怒られそう)
男勝りな女と、女っぽい男。バランスはとれている。
そんな思考が一瞬脳裏を過ったシライトであるが、口に出せば鉄拳は不可避だと結論を出し、固く口を結んだ。
「アタシはどこでもいいわよ。夜更かしはお肌の天敵。寝る場所でもめて就寝が遅くなるのは馬鹿馬鹿しいもの」
「……地獄耳か、コラ」
「うふっ。そーいうギャップ、嫌いじゃない。寧ろ好き」
「やめろォ!」
ミズチの発言に、表情を険しくするヒナイ。
案外気の合う者達ではないかとも考えるシライトであったが、この考えもまた結果が見えていたので、あえて口に出さず、早々に二人の間に敷かれている布団に潜り込むのだった。
***
「う~ん! いい天気。空気がおいし~!」
グッと伸びをしながら林道を進むミズチ。傍らにはシライトとヒナイが勿論居る。
朝早く宿を発った三人は、次なる町へ向かうべく、鬱蒼と杉が生い茂る林道を進んでいた。昨日の雨もあってか、やや湿気はあるものの、木や苔など様々な匂いの立ち込めるこの空間は、居心地のいい場所だ。
一方、くぁ~と欠伸をするヒナイは、何食わぬ顔で歩いているシライトにそっと耳打ちする。
「なあ、しらたき。ホントにこのまま連れてくのか?」
「ホントもなにも……こういう成り行きでしたし……」
「手前から面倒事に飛び込んでくのァ兎も角、他人が呼び込む面倒事に巻き込まれんのは御免だぜ?」
ヒナイが危惧するのは、ミズチが口にしていた追手のこと。
彼が何者に追われているのかは知らないが、手配書に載るような大罪人だとするならば、一緒に居る自分たちも追い忍やらなにやらに襲われるのではないか? そのあたりを彼女は心配していた。
「こうしてる今も、あいつを狙ってる野郎がどっかに居たらと思うとなぁ……」
その時、近くの茂みがガサガサと音を立てる。
咄嗟に振り返る三人。たった今話していた内容が内容であったため、シライトとヒナイは臨戦態勢をとり、音の発信源に目を遣った。
すると出てきたのは、一つの巨大な黒い影。
「なんだビビらせんなよ。クマじゃねえか。刈って食うか?」
「あら、かわいい」
「……『逃げよう』とかは考えないんですか?」
クマだった。
だが、クマの登場に一切動じない三人。
ミズチのかわいい発言は兎も角として、ヒナイに至ってはクマを食用としか見ていない。もっとも、ヒナイほどの実力があれば、野生のクマなど敵ではないが―――。
「そうだな。お前は逃げているならば、逃げているなりにビクビク震えているべきだ」
現れた野生のクマが倒れ、不意に声が響いてきた。
何者かの野太い声。誰のものかとシライトとヒナイが辺りに注意を払っていると、ミズチはやれやれといった様子で首を横に振るっている。
「別に逃げている訳じゃないも~ん。強いて言えば……家出かしら♪」
「龍地洞での修練もほっぽりだし家出とは、大層なご身分だな」
直後、六つの影が三人を囲うように現れる。
十人十色な容姿の者達だが、全員に共通しているのは、ミズチが帯のように用いている注連縄を同じく身に着けていることだろうか。
それだけで、現れた者達がミズチとなんらかの関係がある者であることは、シライトたちにも想像することができた。
ただならぬ殺気。
間違いなく、現れた者達は忍だ。
「おいおい……なんだ、あいつらはよ」
「ん~? そうねェ~……
「おとにんりくりょしゅう?」
ヒナイの問いに応えるミズチ。
だが、聞き慣れぬ言葉にシライトが目を点にして、言葉を反芻する。
「そ。簡単に言えば、音忍四人衆ってのに嫉妬して、勝手に名乗ってる雅楽隊みたいなものよ」
「誤解を招く言い方するなァーっ!」
かなり雑多な説明をするミズチに、現れた六人の内、腕が六本ある少女が声を荒げる。
「私たちは、大蛇丸様に“地”の呪印を与えられし、音忍の中でもエリートの追い忍部隊だ!」
「別に“地”の呪印持ちなんて、北のアジトに山ほど居るじゃな~い?」
「ぐぬっ……部隊名までつけてもらってるんだぞ!」
「コンプレックス拗らせ過ぎてトラブル起こさないようにご機嫌取りって、大蛇丸様も大変よね~」
「ぐぬぬっ! 上忍レベルのチャクラを持つ私たちに向かって反抗するなんて、命はないと思え! ミズチ!」
「貰いもので浮かれるのも考えものよね~」
「ぐぬぬぬっ! す、すぐに訂正するなら許してやってもいいぞ……?」
「果てには、厄介払いに『追い忍だから』っていう理由でアジトをたらい回しにされて、ロクにエリート扱いされてないもの面白いトコよね~」
「……うわああああああん!!! 断金!! ミズチが言っちゃイケないこと言ったあああ!! 言っちゃイケないことをおおお!!!」
ミズチとの口論の果てに敗北した六本腕の少女は、ワンワン泣いて大柄の男の方へ目を向ける。一方、目を向けられた男―――断金は、結果は見えていたと言わんばかりに呆れた様子だ。
対して、ミズチはヒナイに錫杖で頭をスパーンと叩かれる。
「焚きつけてんじゃねえよ!! これじゃあオレらも厄介事被るじゃねえか!!」
「あら、そう? 大丈夫よ。あんな見た目だけど、アタシよりは弱いと思うから」
「火に油を注ぐなコラァーッ!」
再度錫杖で引っぱたかれるミズチ。
その間、ミズチに散々に言われた音忍六呂衆たちは、額に青筋を立てて殺気を立てていた。
確かに、あれだけ散々な言われようをされれば、穏やかな人であっても少しは苛立つハズ。短気な者達であれば尚更だ……既に泣かされている者も居るが。
「ふんっ。お前を連れて帰れば、大蛇丸様も我等のことを露ほどは認めて下さるだろう」
「え~。だって、もう“胚”は渡したし、放っておいてくれてもいいじゃない」
「嫌というなら、無理やりでも連れて帰るまでよ」
リーダー格らしい大柄の男が、腰より桴を取り出し、身構える。
「音忍六呂衆が一人、
「同じく、
「ひっぐ……同じく、
「……同じく、
「同じく、
「同じく、
断金に続き、それじれ己の名を名乗っていく六呂衆。
太鼓を背負った大男が断金。
箜篌を携える華奢な男が勝絶。
蛇皮線を構える六本腕の少女が双調。
鉦鼓を首に下げる女が黄鐘。
篳篥を手で回す飄々とした男が盤渉。
そして、龍笛を口に携えるのが上無だ。
見事なまでに楽器を演奏しそうな風貌の者達だが、追い忍と言っていたことから、彼らは忍者なのだろう。
「いや、忍べよ」
「ヒナイさん……藪から棒に何を」
ピーヒャラピーヒャラ戦闘中に演奏する様を想像したのか、ヒナイは実に神妙な面持ちで、剣呑な雰囲気を漂わせる六呂衆にツッコんだ。
彼女のツッコミも十分理解できるが、雰囲気的にツッコめる状況ではない。シライトはそれを伝えるべく、彼女の肩に手を置いた。
すると、唐突に気が付いたかのような反応をミズチが見せる。
「あ、一応気を付けてね。彼ら、生まれも育ちのバラバラだけど、
「しいんのいちぞく」
「音でチャクラを活性化させたり、幻術をかけたりする一族よ♪」
ウインクで解説を締めてくれるミズチだが、ピンとこないシライトは依然呆気にとられているままだ。
しかし、軽い口調の割には、相手は中々の難敵である。
幻術をかける際は、主に相手の五感のいずれかに作用させるのが基本だ。火の国を代表する一族である“うちは一族”は、その紅き眼―――写輪眼を用い、相手の視覚に作用させて幻術をみせる。
他にも嗅覚、触覚、味覚など、幻術をかける方法はあまたあるが、中でも防ぎにくいのが聴覚に作用する忍術と言われているのだ。
なにせ、聴覚に作用する幻術は聞こえたらアウト。
それはつまり、有効範囲が広いということ。
防ぐには耳を押さえるのが手っ取り早いが、耳栓でも用意していなければ、手で押さえるぐらいしか回避方法はない。
しかも、それは腕を封じることとイコールであるため、忍術も忍具を用いた攻撃を封じられることと同義になる。足で戦う忍者も居るだろうが、それでも苦戦は必死になるだろう。
「そうだ! 命が惜しかったら、投降することだ!」
「……これ、オレらもか?」
「恐らくは……」
投降を勧める双調を余所に、その勧告が自分達へ向けられているものかを審議するシライトとヒナイであったが、このまま自分たちだけ逃げることもできなさそうな雰囲気に、冷や汗を垂らす。
「―――仕方ないか」
刹那、身の毛もよだつ寒気が辺りを覆う。
寒気の発生源は他でもない、ミズチだ。
獲物に狙いを定めるかのように目を細める彼からは、只ならぬ殺気が放たれている。波の国で出会った濃霧でさえ、ここまでの殺気はなかった。
一変したミズチに驚く間もなく、彼の袖からは丸太のように太い大蛇が六匹、それぞれ六呂衆の下へ伸びていく。
「蛇睨呪縛か!!」
口寄せされて向かってくる大蛇を前に、術の全貌を知っている断金が声を上げる。
すると彼は徐に空気を吸い込み、なんと持っていた桴を膨らませた自分の腹に叩き込むではないか。
「腹太鼓!」
次の瞬間、彼の腹からは低く重い音が衝撃として辺りに響きわたっていき、向かってきた大蛇を衝撃で弾き飛ばす。
相手を大蛇で縛り上げる術が、“蛇睨呪縛”だ。
これで縛り上げられる心配はなくなった―――と思いきや、大蛇の影で見えなくなっていたミズチの足元から、途端に膨大な量の煙が巻き上がり、同時に凄まじい勢いの風が吹き荒れる。
「しまった……!」
「バ~イ♪ 大蛇丸様によろしく言っといてね~♪」
気づいた時にはもう遅かった。
ミズチは、他二名と共に巨大な鶏に乗って、大空へと旅立ってしまう。鶏らしからぬ絢爛な色の羽を風に靡かせる鶏。しかし、尾はこれまた絢爛な鱗に身を包む蛇が、舌をチロチロ出し入れし、地に居る六呂衆を睨みつけているではないか。
そのように蛇が睨みを聞かせている一方で、王冠のように豪華な色合いの鶏冠を生やす鶏の頭は、背に横座りしているミズチに目を向ける。
「ミズチ姉さま、ご機嫌麗しゅうございます。今日も一段とお美しいですわ」
「うふふっ。クジャ、貴方もね」
「此度は何処へ?」
「そうね~……雲みたいに気ままに旅したい気分だから任せるわ」
「畏まりましたわ」
『クジャ』と言う名の鶏―――もとい、バジリスク。
風の国では危険かつ希少な生き物として知られている種だが、実際目の当たりにすると、その美しい光沢と色を持つ羽に心奪われることだろう。
だが、
「シュ~! 女っ! 女のいい臭い! 顔、悪くねえ! ヤらせろ!」
「んもゥ、節操ないんだから。だ~めっ。ヒナちゃん怖がってるでしょ」
先程まで地上へ睨みを聞かせていた蛇頭の方が、背に乗るヒナイに気付き、舌をチロチロさせ、その凶悪な顔面を彼女の眼前まで近づけた。
男勝りなヒナイだが、流石にこのサイズの蛇は生理的に無理なのか、鳥肌を立たせながら錫杖で『しっしっ!』と追い払う。
そんなヒナイを見かね、主人であるミズチが蛇頭を窘めた。
(忙しい口寄せ獣……)
片や、落ち着きのある貴婦人のような振る舞い。
片や、女に餓えた男のように興奮を隠さぬ言動。
その様を間近で見ていたシライトは、混沌とした現場で遠い場所を見る瞳を浮かべていた。
話は変わるが、蛇は古くより生命エネルギーの象徴と言われている。
特に交尾は、雄と雌が番となって絡み合い、その時間は長いと数日間にも及ぶ。そんなエネルギッシュな絡み合いをイメージして作られたのが、神社などでよく見られる注連縄である。
そんな蛇を生やす鶏。
男らしさも兼ね備えつつ、女らしさも兼ね備えている生物。
(……なんだか、ミズチさんみたい)
「うふふっ、主とペットは似るモノよね」
「……心を読まないでください」
シライトのふとした考えを読んで応えるミズチ。
勘が良いのか鋭いのか。常に余裕を崩さぬ佇まいは只者でないことを示唆しているのだろうが、見つめると吸い込まれそうな彼の瞳をジッと見つめ、それを問うことはたやすい話ではない。
もし、引き込まれてしまえば最後。掘られるだろう。何をとは言わないが。
―――そんな彼のうなじ近くには、勾玉のような模様が三つ浮かんでいたが、この時シライトは気づかなかった。
補足説明
・音忍六呂衆
音隠れの忍で結成された追い忍部隊。全員和楽器を用いて戦う。全員”地”の呪印持ちで、チャクラ量はあるものの、戦闘技術は中忍程度。音忍四(五)人衆にコンプレックスを抱いている(特に多由也)。『六呂』とは、十二律(日本版のドレミ)の内、六つの陰律を指す名称。因みに、蛇は十二支で陰陽的には陰に属する。それぞれの名前の元ネタは、上述した十二律の陰律に由来。
・死韻の一族
アニメに登場するオリジナルの一族。笛やオカリナなどを用いて音色を奏で、チャクラを活性化させて味方を強化したり、幻術をみせたりする一族。音隠れができて以降、田の国での仕事が減ったとのこと。アニメ的には、恐らく多由也はこの一族の一人と考えられる。