こういった番外編は、各章の終わりにその都度載せていくつもりです。
滝隠れの里。
かつては優秀な上忍を輩出したことで、尾獣の一匹・七尾を譲り受けた忍の隠れ里だ。
更には、里の中央に佇む巨木―――そこから百年に一度搾り取れるという“英雄の水”を用い、小国ながらも猛威を振るった里でもある。
そんな里内の一つの屋敷。
侘びを感じ取ることのできる枯山水を見渡すことができる縁側にて、透き通った緑色の中に茶柱が立った湯呑を携える老婆が、一人佇んでいた。
弾力がありそうな座布団の上。
巨大な傘の如き大木の木陰にて、何を思っているのか老婆はじっと空から降り注いでいる雨を見つめる。
「……雨は……嫌いですか?」
『ああ。天気雨ならまだしもな』
心の内より声が帰ってくる。
腹の奥底に響く重低音。凡そ、子供が聞いたならば臆してしまうほどの声色だ。しかし、老婆は『そうですか』と落ち着いた様子で茶を啜るだけ。恐怖などという感情は一切見て取れない。
「天気雨……狐の嫁入りですねぇ」
『だな』
「でも、お友達の狐さんのことは、それほどでもないんでしょう?」
『……ありゃあ化け狐だからなぁ。しかも尻尾が九本ありやがる。“
クスクスと含んだ笑い声を口元から漏らす老婆は、不機嫌そうな彼の声に耳を傾けた後、庭先に置かれている狸の信楽焼に目を向けた。
「狸を見ても、お友達を思い出すんでしたっけ?」
『つっても、友達と言えるかは疑問だけどな』
かつての話を思い出す老婆。
客寄せに用いられる置物の定番である、狸の信楽焼。それを見ると、彼は知り合いのことを思い出すらしい。
狐の知り合いが居たり、狸の知り合いが居たり、昔の自分であれば信じることがなかったであろう話に耳を傾ける老婆は、実に楽しそうだ。
そんな中、老体には堪える雨の肌寒さにブルリと身を震わせた彼女は、再び茶を口に運んでから、『話は戻りますけれど』と口火を切る。
「私、雨は好きですよ」
『そりゃなんでだ?』
「雨が降った後は、虹が出ますもの。虹は七色。貴方にピッタリ」
『っ……』
どもる声の主。
何と言い返せばいいものかと戸惑っているようだ。
その様子が老婆にはまたおかしく思え、柔らかい笑みを浮かべつつ、湯呑の中に映し出される自分の顔を見つめるのだった。
―――こんな風に笑えるようになるのに、何年かかったことか。
達成感や充実感。
彼女はそういった感覚を覚え、友達との一時を楽しんでいたのだ。
***
細長い布が何枚も束ねられているはたきを振るい、部屋の高い場所に積もった埃を叩き落とす老婆。しかし、普段からマメに掃除しているからか、埃が舞い散るようなことが起こることはない。
十分に日光を取り入れられるような間取りの部屋は、晴れていれば、里中を吹き抜ける清涼な風も入り込み、微睡をもたらす空間を作り出す。
『毎日毎日掃除して、飽きねえもんなのか?』
「マメな掃除は風水の基本ですから」
『フウスイだけにってか?』
「さて、どうでしょう」
そう、この清潔に保たれている部屋は、風水を嗜んでいる老婆があってこそ。
そして彼女の名前は―――フウスイだ。
これもまた縁ということなのだろうか。読みが同じということで、彼女が風水にシンパシーを感じたのかは、本人しか知らぬところ。しかし、こうして部屋が清潔に保たれているところを見れば、悪いことではないと彼は思った。
『だがよ、その……幸せを呼び寄せる呪いだったか? んなモン効果あるのか? 胡散臭いったらありゃしねえ』
「おほほっ、縁起物に詳しい貴方の言えたことじゃないと思いますが」
『なんだと?』
「七のつくもの見たら、途端に機嫌がよくなりますものね」
『……七はラッキーな数なんだよ』
「七夕なんかは、目に見えてウキウキしてて、それはもう……」
『……七夕は元々縁起のいい日だろうが』
手に掛かる息子にかけるような優しい声色で語るフウスイ。
対して、彼は『このババアは……』と少々呆れ、ブー垂れたような声で返答する。図星だったのだ。人であれなんであれ、図星を突かれるというのは余り気分のいいものではない。そして事実であるが故、強く言い返すことができないこともまた事実。
「貴方は本当……昔に比べて丸くなりましたねぇ」
『しょうがねえだろ』
さらに、強く言い返せない理由がもう一つ。
『……年寄りは縁起物って知ってるか?』
先程までの力強い声色は息を潜め、ぼそりと呟くような声で言い放たれた。
目線を逸らして言い放ったかのような理由に、フウスイはクスリと一笑。『そういうところが丸くなったと言っているんですよ』とは、敢て言わなかった。もし言ってしまえば、そのまま不貞腐れてしまうことだろうから。
だが、このような考えもまた、長年連れ添ってきた彼にはお見通しなのだろう。
そんな以心伝心の相手の存在に、彼女はどことなく嬉しい感覚を覚える。
自分という存在を見つめなおしながら。
「自分を閉じ込める籠……言うなれば虫籠である相手にしても、ですか?」
『籠に閉じ込められてるのはお互い様だろ』
「……ええ」
憐憫が込められた声は、そっくりそのまま憐憫の情にて返された。
彼女は、里の上役の決定により、幼少期より屋敷から出ることを禁じられた“箱入り娘”といったような存在だ。極力人との接触を禁じられた彼女は、友も少なく、接する相手は家族や護衛の忍者のみ。
淋しい幼少期を過ごした彼女にとって、常に一緒に居てくれたのは、今もまだ自身の中に囚われている悲しい獣だった。
お互い本意ではなかっただろう。
しかし、話し相手が居ないのは寂しい。孤独は耐えがたい。故に、か細い蜘蛛の糸のような繋がりを辿り、彼女は彼とお喋り友達になろうとしたのだった。
初めの内は、つっけんどんな彼の態度に困り、時には打ちひしがれたものだ。だが、徐々にそれが自分よりも―――それこそ人間が全うする天寿の何倍もの時の流れの間、積もりに積もった人への不信感であることを理解すれば、尚の事“唯一”である自分が彼との繋がりでなければいけないと誓った。
里の興りから今に至るまでの何十年、それこそ先立たれた夫よりも長く共に居る。
時間はかかってしまったが、こうして気兼ねなく話せる程度の関係には昇華したようだ。
その関係に昇華した理由の中には、彼女の彼への献身のみならず、同じく“籠”に囚われているという部分にシンパシーを感じたことに他ならない。
「……でも、貴方とのお話はとても楽しかったから……」
不意に思い出を語るフウスイ。
「籠の中の生活も……思っていたよりは苦じゃなかったわ」
『……ほとんど一生籠の中の生活じゃ、そういう価値観にもなっちまうもんなんだな。だから、部屋をしょっちゅう模様替えするような、陰気な趣味を嗜んじまう』
「そうねぇ。終には外へ出ることも叶わなかったわ」
『一度自由を知ってる者とそうじゃねえものじゃ、自由への渇望の具合が違ぇのさ。なぁ、フウスイ……手前は―――』
想う所があるように言葉を紡ぐ彼。
だが、『そういえば』と思い出したかのように、フウスイがハッと顔を上げた。
「今度……孫が生まれるんですよ」
『……そりゃあ目出度ェ話だな』
「ありがとうございます。子供もまた縁起物ですからねぇ」
『ラッキーだったな。生きてる内に、孫の顔見れそうで』
「ええ」
孫が生まれると言う彼女は、実に嬉しそうに笑う。
しかし、彼女の笑顔にはどこか影が差さっている。
「……次は……恐らく」
『オイオイ、冗談キツイぜ』
意味深な口振りに、すぐさま事を察した彼は、複雑な感情が絡み合った声色で応える。
『陰気なババアの話に付き合って十年経って、今更ガキにか?』
「子供だからこそです。国を……里の未来を担っていくのは、子供なんですから。きっとその子なら、私達よりももっといい関係を築いていける……私はそう信じていますよ」
『手前に似ねぇで、バカみてェに目出度い頭になった娘みたいにか?』
「おほほっ、後ろ向きじゃ前は見れないでしょうから」
皮肉る彼に対し、朗らかな笑いで応えるフウスイ。
彼女には娘が居る。母親である自分に似ず、豪快で向こう見ずな性格に育ってしまった娘であるが、里では一目置かれるほどの忍だ。
『笑う門には福来る』。その諺をモットーにしている彼女の笑い声に釣られ、人々は彼女の下へ集っていく。自分の娘に対し、こういうのも気恥ずかしい気持ちはあるが、例えるならば彼女は太陽のような存在だ。
人然り虫然り、明るい場所へ向かって集うもの。
「人柱力になったら、人と触れ合う機会は少なくなるかもしれないわ……でもね、明るい子に育ってほしいの。きっとそれが、人生に華を咲かしてくれるきっかけになるから」
『生まれる前から気が早ェこと。流れるかもしれねえぞ』
「そんな縁起でもないこと……そういうことを嫌うのは、貴方自身でしょう?」
『……ふんっ!』
『思ってもいないことを』と言わんばかりに微笑むフウスイに、彼は鼻を鳴らす。
彼も昔はこのような性格ではなかった。もっとはっちゃけているような―――ファンキーでノリのいい性格であったのだが、相手が老婆だということもあるのか、生真面目な人が憚るようなテンションは息を潜めている。
もし、これが子供と一緒になったならば、どういった反応が見られるのだろうか?
非常に気にはなるものの、そうなる時を見るよりも前に、自分はこの世を去ることになる。そう思えば、孫の顔さえ見ることができれば未練がないと決めていた意思が、揺らぐような感覚を覚えた。
しかし、自分は朽ちかけの枯葉。
後は土に還り、後に生る葉の養分となるだけ。
「……そうだ」
『どうした?』
「後進の為に、貴方との触れ合い方について書き残しておこうと思って」
『ペットの飼育方法みたいなノリで言うな』
「あら、お気を悪くさせたならごめんなさいね」
『全くだぜ』
「でも貴方、縁起の悪いもの見た途端に機嫌が悪くなるし……不安だわぁ」
『……』
しみじみといった様子で呟くフウスイに、彼は何も言い返すことができない。
心当たりがある。大いにある。あり過ぎる。
“
大人げないと言われようと―――そもそも、そう言ってくれる相手は居ないが―――それこそ太古の昔からの習慣や思考が全身に染みつき、自然と体が反応してしまうのだ。
『それはもうしょうがねえんだからよぉ、なんとか覚えていってもらうしかねえだろ』
「う~ん……まあ、貴方の反応で縁起物について学べると思えば、多少の譲歩は……」
『俺が縁起物博士みたいな言い方はやめろォ!』
「事実でしょう?」
『他人に言われると腹が立つんだよ』
「そう……でも、安心したわ」
『?』
話の流れを断ち切る物言いに、彼は不思議そうな息遣いをする。
安心するとは、一体なんのことなのか。
今の会話で安心する要素がどこかにあっただろうかと、彼はついさっきの会話を思い返す。
しかし、彼が答えに導きつくよりも前に、フウスイは優しい笑みを浮かべてこう告げる。
「貴方が、触れ合うことについて前向きに考えてくれてることに……」
『……気のせいだろ。それに、新しい器に移った途端、気が変わるかもしれねえぜ?』
「それは新しい人次第ですよ。貴方がそう思えなくなったとしたら、貴方と新しい人が合わなかったというだけですから」
フウスイは、やけにあっさりと割り切るような言葉を紡ぐ。
「でも……独りは寂しいでしょうから……」
それから続く言葉は、外でしとしとと降り続ける雨が木葉を揺らす音に吸い込まれていった。
***
(―――なんてこともあったな)
彼が思い出していることは十年以上も前の事。
いつも見ていた景色も、新たな“器”の身長の関係か、少し低い視点から見るようになってしまっていた。
だが、どことなく懐かしい感覚でもある。数十年以上前も、同じような視点で景色を眺めていたからだろう―――ハッキリとした記憶こそないが。
そして、新しい器はと言うと、一人でコロコロとサイコロを転がし、双六を興じていた。
サイコロは必ず目が出ることから、『芽が出る』縁起物として知られている。
「ふんふんふ~ん♪」
鼻歌を歌いながら双六を興じているのは、黄緑色の髪の毛が目を引く、肌が浅黒い少女だ。
先程から、一人四役で遊びを進めている彼女だが、本来複数人で楽しむ盤上遊戯を一人で嗜むのは、本当に楽しいものなのか、彼にとっては不思議でならない。
しかし、今彼にとって気になるものは、少女の双六などではない。
外でカァーカァーと、大量の烏が鳴きながら里の上を飛び回っている。
さらには、その烏を追ってキー! と鳴く鷹がやってくる始末。騒々しいにも程があるというものだ。
何より、烏は縁起が悪い。
『フウ』
「ん? どうかしたっすか? あっし、今双六が中々に白熱してきていいところなんすけど……」
『あの空をバカみてぇに飛び回ってる烏どもを追っ払うんだよ!』
「え~、またっすか? 七尾、烏嫌いっすね~」
『なんのために力貸してやってると思ってんだ! 今こそ、翅と鱗粉隠れの術が輝く時だろうが! きっと、里長の野郎も見直してくれるぞ』
「本当っすか!? ふふん、それなら……!」
彼―――七尾の口車に乗せられた少女・フウは、即座に腰から美しい光沢を放つ翅を生やし、颯爽と屋敷の縁側から飛び立っていく。
本日の滝隠れの空にて、刹那、星と見間違うような鱗粉が光を放ったのは、また別の話。
―――目出度い頭で、よく笑う少女が新しい人柱力だ。