彼女は焦っていた。
それは、彼女の師である人物が大枚をはたき、現在進行形でスロットルに興じていることに対してではない。いや、勿論これから水泡に帰す確率の高い金の額を思えば、思わずクラリと気を失いそうになるが、問題はそちらではない。
ある時を期に、師の付き人として各地を渡り歩こうとしたのはいいものの、木ノ葉の二十代女性と比較すると、なんと華のない生活だろうか。
師は、賭博か酒に没頭する。
大抵賭博は負けてくる。
それでおいて、借りた金の額は考えたくない程に巨額。
負けたのだから、到底返せるハズがない。
そして借金取りから逃げつつ、師は借金を返すべく、再び賭博に興じて負けてくるため、借金はさらに膨れ上がる。
こんな生活を続け、一応忍者である自分はもう結婚適齢期を迎えてしまった。
忍者は、職業柄殉職することなどもある為、他の職よりも結婚は早い方がいいとされている。
二十代後半に差し掛かってしまった自分は、まさに適齢期のど真ん中を射抜く年齢となってしまった。それにも拘わらず、なんだこの男との縁の無さは。
放浪という言葉が似合う、借金取りから逃げつつの賭博と酒の日々。
成程、これでは確かに男と縁がないのは納得できる。
いや、そうではない。問題なのは、この歳にもなって男性経験さえもないことだ。
彼女の焦燥に拍車をかける様々な事実。
嫌な汗が頬を伝う。
自分はこのまま一生独り身なのではないか?
自分という存在は、自分の先祖全員が番になれたからこそ居るのであって……。
「あひィ……」
「ブー……」
クラリ、と眩暈がした。
その様子に心配する子豚が、『大丈夫か』と言わんばかりに鳴き声をあげる。
「大丈夫、トントン……まだ……まだチャンスはあるから」
子豚―――トントンを撫でつつ、いつか現れるであろう(と言うより、現れてほしい)男を妄想する。
そうだ、まだ三十路じゃないだけチャンスは十二分だ。
このくらいの歳の女性が好きな殿方など、探せばいくらでも居るハズ。胸も貧そ……ギリギリ標準サイズなのかもしれないが、このくらいの慎ましやかなサイズが好きな殿方もきっと居る。
「あのう……」
「はいっ!?」
突然背後から声をかけられ、思わず驚いてしまった。
まさか、今このタイミングで?
欠片ほどの期待を抱きつつ、声が聞こえてきた方へ振り返る。
だが、そこに居たのは思ってもみなかった人物だった。
「綱手という方を……ご存知でしょうか?」
上目遣いで、自分の師のことを訪ねてきたのは、『少年』という言葉がよく似合う男の子だった。
***
湿骨林を後にし、火の国を散策することになったシライト。彼はカツユの情報から、賭場がある賑やかな宿場町を巡って綱手を探そうと、一先ず最も近い宿場町を訪れた。
これまた滝隠れとは比べ物にならない賑やかさ―――いや、五月蠅さだろうか。
人波に流されるとはこのことかと実感しつつ、賭場を探し始めた彼であったが、一時間も経たぬうちに、カツユが見知った顔が居ると声を荒げた。
カツユが見つけた人物は、黒い着物に身を包む、幸薄そうな女性だ。
どことなく苦労していそうな雰囲気を漂わせる彼女は、見つけた当初、子豚を抱きつつ虚ろな目で空を見上げているなど、かなり話しかけづらい状態だった。
しかし、話しかけなければ事は進まない。
意を決して声をかければ、何故か期待の籠った瞳で見下ろされた後、唖然とされてしまう。
それがなんの意味を指すのか、シライトには到底理解できなかったものの、『綱手を知っているか?』という旨の問いを投げかければ、女性は数秒硬直した。
「……あ、カツユ様!? 何故ここに」
「シズネ様。少々用事があり、ここに居る少年と共に綱手様の下へと参った所存です」
まったく知らない少年の登場に放心状態だった女性―――シズネであったが、少年の肩に乗っているナメクジとは面識があったようだ。
「えっと……たきのシライトです。はじめまして」
「あっ、どうも……シズネと言います。あははっ……」
カツユの視線による催促を受けたシライトの完結な自己紹介に、シズネもまた乾いた笑みを浮かべてお辞儀を返す。
簡単な自己紹介を済ませれば、残る用件は綱手の行先だ。
「綱手様は、この賭場の中にいらっしゃるんですね?」
「えぇ……まぁ……はぃ」
消え入るような声色で、カツユの推測を肯定するシズネ。
(……昼間から賭場に入り浸ってるって……大丈夫なのかなぁ……)
シズネから漂ってくる“苦労してる感”。
そして日が高く昇っている時間帯から賭場で賭け事に興じていることから、綱手という人間に対しての心配が湧き上がってくる。
大蛞蝓仙人の言葉も思い出し、目的の人物が女性であることを想像しつつ、賭場に入り浸っている姿を想像してみた。成程、凡そ医療に精通しているような容貌でないことは確かだ。
(……ダメかもしれない)
弟子入りする―――そもそも顔合わせするより前から、危機感が募ってくる。
しかし、百聞は一見に如かず。うだうだと妄想をしているよりも、実際会って話をしてみる方が早い。
「あの……差し支えなければ、その綱手という方の下に案内してほしいです」
「シライトくん……だったっけ。一体どんな用事で綱手様の下に?」
「弟子入り……です」
踏ん切りがつかないような心中であったが、最初の目的を思い出し、弟子入りにきたと伝える。
すると、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で暫し固まったシズネは、熟考をした後に『わかったわ』と了承してくれた。
弟子入りを快く思ってくれたのか、はたまたこの小さな少年であれば、師に刃を向けたとしてもすぐに対処できると考えたのか。それはシズネにしか分からぬものであるが、素直に弟子入りしに来たシライトにすれば、変な気を起こそうという気は一切ない為、ほとんど気兼ねなく綱手の下へ向かえるというものだ。
シズネの後に続き扉を潜れば、賭けの結果に一喜一憂する者達の喧騒が響く賭場が、眼前に広がっていた。
回胴式遊技機―――所謂、パチンコ型スロットマシンがずらりと並ぶ店内。
滝隠れでは目にすることもない遊技機を前に、シライトは文明の差を目の当たりにし、自分の故郷がいかに田舎であるのかを再び実感した。
もしこの場に友人が居れば、目を爛々と輝かせて全力に遊ぶことだろうが、シライトにそういった欲はそれほどない。
聞き慣れぬスロットが回る音、ボタンを押す音に耳を傾けつつ、導かれるがままについて行けば、一人の女性が台の前で難儀な顔をしているのが見えた。
「だァ―――っ! くそぅっ、また外れか! 次だ次……って、げ。もう一枚しか―――」
「綱手様! ちょっとよろしいでしょうか」
「ん、シズネ? って、その子はなんだい」
「お久しぶりです、綱手様」
「カツユもなんだい。そんな肩に乗ったりなんかして」
立った今、スロットで負けて声を荒げていた彼女こそ、医療スペシャリストである綱手だ。
見た目は二、三十代と思しき妙齢の美女。『賭』と書かれた羽織。そして目を見張るほどの巨乳が目を引く。
「あの……はじめまして。たきのシライトといいます。今回は……医療の弟子入りにと」
「弟子入りィ? 医療ォ? ふーん……あり得ないな、断る。生憎、私はもう医療を辞めたんだ。ほら、これやるから遊んで帰りな」
「……え」
ポイっと一枚だけコイン手渡されるシライト。
ニッコリマークが目を引くコインであるが、余りにもあっさりとした弟子入り拒否に、流石のシライトも茫然とする。
「つ、綱手様……」
「お前ならわかるだろう、シズネ。それに……お前。どこ生まれだ?」
キッとした鋭い視線がシライトを射抜く。
「? ……滝隠れです」
「ふんっ。滝ねぇ……私のじいさんを殺しにきた忍が、滝忍だったねぇ」
「えっ」
「まあ、軽く捻って追い返したみたいだが……私はね、他里のガキになにかしらの技術を教えるなんてバカな真似するつもりはないよ。将来そいつが自分の里に害為すかもしんないのにねぇ。さあ、分かったんなら帰った帰った」
しっしっと、野良犬を追い払うかのような挙動。
一方でシライトは、弟子入りを拒否されたことも勿論そうだが、彼女の口より語られた内容に唖然としてしまった。
―――他里の忍が、自分の身内を殺しに来た。
忍の世界では、特段不思議なことでもないのだろう。
だが、そういった血生臭い世界とは無縁の生活を送って来たシライトにとっては、少なくない衝撃が、電撃の如く脳天を突き抜けたのだった。
言われてみればそうだ。
忍とは、殺すか殺されるかの世界。
任務であれば、他里の人間を殺すことに何の躊躇いも無しに刃を振るい、その命を刈り取っていく。
何より、医術然り忍術然り、技術とはその里の財産と言い換えてもいい。
そうホイホイと外部の人間に、技術を伝えるなど、彼女にとってみればバカのする真似だということなのだろう。どこか想う所があるような口調で語ったのは、過去のそのような出来事があったのか否か。真実は彼女しか知らない。
数秒の間に思考を巡らし、納得できる綱手の言葉に、一度は弟子入りを無理だと結論付ける。
が―――。
「そこを……なんとか」
何故ここまで来たのか、当初の目的を考えればこそ、引くわけにはいかなかった。
ペコリと一礼し、食い下がる。
その様子にふんと鼻で笑う綱手は、『じゃあ』と条件を提示する。
「そのコイン一枚で、私がこの店で負けた分取り戻しな。それでちょ~っとは考えてやる」
「えぇ……」
「どうだ? やるのかやらないのか。答えはどっちかだよ」
「うっ……」
これはまた無理難題だ。
そもそも綱手が負けた額すらも分からないのに、たった一枚でどうにかできるものなのか。
苦々しい顔を浮かべるシライトだったが、折角相手が譲歩した機会を逃す必要もない。
分の悪い賭けだがやるしかない。深呼吸をし、投入口にチャリンとコインを入れる。
横のレバーを引けば、様々なマークや7が掛かれたリールが回り始めた。
ゴクリと生唾を飲み、ストップボタンを押すタイミングを見計らっている間にも、背後に佇むシズネは気の毒そうな顔を浮かべている。
(……ええい、ままよ)
ボタンを押した。
縦の中央の列、一番左端で止まって見えたのは7の数字。
「むっ?」
綱手が唸る。
続けざまに真ん中のボタンを押せば、7の横にこれまた7が並んだ。
「むむっ!?」
驚愕の色を隠せない綱手であったが、辺りに気をかける余裕もないシライトは、最後のボタンを勢いよく押した。
止まるリール。
同時に、スロット台が絢爛な光を放ちつつ、排出口からこれでもかという程にコインが溢れ始める。
「んなっ!?」
「……これ……当たりなんですか?」
ルールもほとんど分からぬまま当たりを出したシライト。
彼が出したのは、スロットで最上位の当たりといっていいスリーセブンだった。
「なんて強運……綱手様とは大違―――」
「なんか言ったかい、シズネ!」
「あひィ」
「くっ……私が負けた額は、そんな一回の当たりじゃ返せやしないよ!」
慄くシズネを一喝し、半ばやけくそといった様子の綱手は声を荒げる。
まさか一枚でフィーバーするとは思っていなかったのだろう。それは無論シライトもだ。コインが全て排出されたところで、たった今得たコインを投入し、再びリールを回し始める。
そして適当にボタンを押せば、今度は蛙の絵が揃い、先程のスリーセブン程ではないものの、それなりのコインがスロット台から出てきた。
「……えっと」
「ぐぐっ……ええい、まだだ! そんなもんじゃ足りないぞ!」
「あ……はい」
たった二回でかなりの額を儲けたシライト。
次第に光明が差してきた状況に乗り、再びコインを投入することで、彼の弟子入りの試練の火蓋が切られるのだった。
***
一人は何とも言えぬ表情で。
一人は納得いかずに苛立って。
一人は思わぬ収穫に安堵して。
シライト、綱手、シズネの三人は、パチスロ屋を後にして居酒屋で食事をとっていた。
結果としては、あのフィーバーの後もシライトが勝ち続け、綱手が負けた分を返す所か、二割増しで綱手に儲けをもたらしたのである。
シライトとしては、提示された条件を無事消化できたことにホッと一安心と言ったところなのだが、完全に追い払うつもりだった綱手としては、賭けに負けた上で付いて来られることとなり、不機嫌極まりないだろう。
焼き鳥を食べつつ、日本酒をグラスで煽る綱手は、見る者を強張らせる程の眼力をシライトに向けている。
そんな瞳に憶することなく、かつお節が散らされた絹豆腐を一かけら頬ぼったシライトは、意を決して口を開いた。
「……あの……これで弟子入りを認めてくれる……感じですかね?」
「なに言ってんだい! 私は『考える』としか言ってないよ」
「はい」
玉砕。
ドンと勢いよくグラスを置く音で、体がビクリと飛び跳ねる。
有無も言わさぬ眼力を前に固まり、居た堪れない心境のまま再び豆腐を食べた。因みに、シライトの実家は豆腐屋である。忍者であったのは、祖父だけだ。
それはともかく、蛇に睨まれた蛙の如く身動きがとれなくなったシライトに、子豚のトントンを腕に抱くシズネが、彼へ助け船を出す。
「ま、まぁ綱手様……遠路はるばる綱手様の下に来たんですし、ちょっとくらいは。あ、勿論綱手様のご懸念もわかりますよ!? 流石に子供と言えど他里の者に、あれこれ教えることに忌避があるのは……」
「……随分このガキの肩を持つじゃないか、シズネ」
「へ? い、いやぁ~そんなことないですよー! あはははっ……」
「ホントかい?」
酒癖の悪い親父のような絡みでシズネに詰め寄る綱手。
シズネはと言うと、やけに棒読みな笑い声を上げてシライトをチラ見している。
(言えない……! 綱手様とは比べ物にならない賭け運があるこの子が居たら、これ以上借金を膨らまさずに済むんじゃないかって思ってることなんて!)
綱手を貧乏神と例えるなら、シライトは福の神と言ったところ。
あの賭け運の強さは天性のものだ。綱手の賭け運がほとんどないことを鑑みた上でも、あの勝ちようは手放すには惜しい。
医療忍者である故、若作りには詳しいと自負しているものの、借金取りに追われるストレスで老けたくない。
そんな思いが、今目の前に居る少年を追いやろうとする綱手を止める、シズネにとっての原動力となっていた。
(それに……新しい弟子を迎え入れたら、少し気が安らぐかもしれないし)
綱手は傷を抱えていた。一生消えることのない心の傷。
その傷を埋め合わせるように―――否、忘れるように賭博に没頭している。
弟子の立場上、強く言えることではないが、余りいい隠居生活とは言い難い。無論、彼女は大戦で負った傷がそうそう癒えるものでないことは理解しているが、これでは余りにも……。
「この子も、別に木ノ葉の奥義を教えてくれと言っている訳じゃないんですし……ね?」
「……フンッ。そこまで言うんならね、シズネ。アンタがこのガキの面倒看な」
「へ?」
「いきなり余所から来ていきなり弟子なんて、図々しいにも程がある。まずは、付き人としてだ。私の身の回りの世話の仕方のいろはを教えてやりな! シズネ、アンタがね!」
「あひィ! そ、それは……」
「文句あるかい?」
一瞥を以てしてシズネを黙らせる綱手。
後は、シライトの返答を待つのみだ。
いつの間にか豆腐を完食していた彼は、シズネに同情の瞳を向けつつ、一拍置いてこう答えた。
「……じゃあ……よろしくお願いします」
「ブー」
「……よろしくね」
トントンの鳴き声に応えたシライト。
こうして、彼の綱手の下での修行(?)は始まるのだった。