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出発
深夜、皆が寝静まった頃。カランは尻尾を揺らしながら一人、廊下を歩いていた。髪はさっぱりと短く切っており、裸足で玄関へと向かう。
玄関扉のノブにゆっくりと手を掛けると、
「カラン」
薄暗い廊下、ゼーラが静かな声でカランを呼び止めた。カランは振り返って微笑む。
「ゼーラ、見送りに来てくれたの?」
玄関扉の上の小窓から差し込む青い月明かりが床の板目をうつし出す。
「まぁ、そうだよ…」
ゼーラは片手で頭を掻きながら静かに言った。そして続ける。
「カラン、とりあえず色々ありがとう。皆君に感謝してるよ」
「なんてこたぁないよ」
カランは得意げに返した。
「カランはこれからどうするの?」
ゼーラはそう問いかけた。カランはそれに答えようとするが、
「ん?ボクは…」
途中で詰まった。少し考えてから再び口を開く。
「やっぱ秘密、強いて言うならばちょっとそこまで」
「どこへ行くかは教えてくれないんだね…わかった、じゃあもうお別れかな?」
「いいや、ボクらは必ずまた会うよ」
カランは腰に手を当て、自信満々にこう言い放つ。
「じゃっ」
軽くそう言って出ようとすると、再び誰かの声に呼び止められた。
「カラン様」
カランがまたゆっくりと振り返ると、ゼーラの後ろに使用人ゼマがいた。カランが口を開く。
「起きてたんだ、見送りかな?」
「えぇ」
カランは自分の髪を触りながら、
「髪、ありがとう。すっきりしたよ」
ゼマにお礼を言った。ゼマは嬉しそうにこう返す。
「いえいえ、とてもお似合いですよ」
「ところで」
カランの優しい微笑みは、いつの間にか悪だくみをする子供の笑顔へと変わっており、にやけながらゼマに問いかける。
「誰からボクの名前を聞いたの?」
ゼマは少し驚いた顔をして、再び笑顔を浮かべる。
「あなたからですよ、カラン様」
ゼマはその名前を呼べることが幸せでたまらないといった様子だった。
一人置いてかれ気味のゼーラは二人を交互に見ながら不思議そうな顔をする。
「二人とも一体何の話を…」
「こっちの話です」「こっちの話だよ」
カランとゼマは二人でそう言った。そしてカランは再びノブに手をかけ、扉を開ける。
「いってらっしゃいませ。カラン様」
ゼマは静かに言った。ゼーラも片手を軽く振る。
「いってきます」
外へ足を踏み出し、少し一瞬光を纏って空へと飛び出すカラン。小さな声でこう続けた。
「ハトホル…」
潜入
カランが町の上を飛んでいると、なかなか大きな城のような建物が見えてきた。
城といっても敵からの攻撃を守るためのごつい城壁はなく、外観は美しく大きな建物といった感じだった。
数個の塔が建っており、そのうちのたった一つ、明かりが漏れている塔の屋根にカランは着地した。
そこからは町を一望することができた。
ダンジョンの森の方を見ると、一部直線的に木々が揃って倒れている部分があり、その先に塔と同じ高さくらいの地盤の盛り上がりが見て取れた。
「何が起きたんだ…」
三角錐の形をしたすべりやすい屋根を慎重に降りて行き、頭だけ出して明かりの漏れる窓から中を覗いた。
中には机に着いて羽ペンでなにか物を書いてる老人がいた。顎に長い髭を伸ばし、室内だというのに冠のような帽子を被っている。
その部屋の壁には肖像画が幾つも飾られており、インテリアもほとんどない落ち着いた空間だった。
カランは顔を引っ込めて呟く。
「まさかね…」
すると老人は顔を上げ、机を離れて窓の方へ歩み寄った。
ゆっくり窓を開けて、数秒後に口を開いた。
「どうぞ、中へお入りください…」
カランは息を潜め、屋根を登ろうとする。しかし少し登ったところで突然何かに引っ張られるかのような力を感じた。
「あれ、あれっ…」
思わず声が出る。
「尾が見えてましたよ、ニトロアさん」
屋根の上から垂れるカランの長い尻尾を掴んだ老人は呆れたように言った。
「……」
カランは黙って少しの間考え、やがてまた下へ降りた。
「放して」
カランがそう言うと老人はパッと手を放し、カランは光を纏って浮き、窓から部屋に入った。
老人は少し頭を下げてカランを迎え入れる。
「ニトロアさん、いえ、カランさん。あなたが来るのを待っていました」
カランは少し不機嫌そうに老人に問いかける。
「やっぱり何もかも知ってるんだね。やっぱり君のことは好きになれないやアナスタフ。昔っからそうだった、イタズラしようにも未来が見える君には何も通じないんだもん」
アナスタフと呼ばれた老人は少し微笑む。
「そんなこと言わないでくださいカランさん。もう私の最盛期を知ってるのはあなたくらいのものです」
「で?随分出世したみたいだね」
部屋を見回し、皮肉を込めて言う。
「探索協会、会長です」
会長の部分を強調して言った。アナスタフはしわくちゃの顔を更にしわくちゃにして笑う。
「ははん、すっかりお偉いのジジイってわけだ。やだねぇ歴代の会長はみーんなジジイだ」
カランにそう言われて今度は困り顔で笑った。
「それで、何があったんだい?門のところで君が収拾したって聞いたけど」
一転して真面目に問いかけた。
「私は未来を伝えただけです。頑張ってくれたのは会員の皆ですから」
アナスタフは実に優しい声でそう言って続けた。
「一昨日の夢のことです。空から一筋の桃色の光を放つ何かが降ってきて、落下の衝撃波で町が崩れきってしまうというものです」
「何かって何さ」
「わかりません。ただ唐突に空から強い光が出現して、一直線に町からダンジョンの方角へ落ちていったのです。その夢を見てから、私は会員に声をかけました。」
「なるほど、あの揺れはそれが落下してきた衝撃だったんだ」
カランは目覚めたときの揺れを思い出す。しかし、ある違和感に気が付いた。
「それで昨夜…ん?一昨日の夢で見たのかい?」
「はい、落ちてきたのは昨日の朝です」
「…」
カランは唖然としていた。つまり、カランが地中で揺れを感じたのは昨日の朝で、カランは地面から出てきて日が落ちるまでずっと動いていなかったということ。カランは片手を額に当てて唸った。
「あんな無防備でよく無事でいたなぁ…」
「そして今朝の夢、あなたが出てきました。カランさん、夢の中であなたは私に向かってそのお姿でこう言ったのです。『やぁ、久しぶりアナスタフ。ボクだよ、カランだよ』と」
カランの耳がぴょこんと動いた。アナスタフはそのまま問いかける。
「そのお姿は一体何ですか?」
「…お得意の未来視で夢のボクに言われなかったのかい?」
カランは声を低くして言った。アナスタフは表情を変えずに返す。
「私が夢で見る未来は断片的な、ハイライトのような物です。あなたは名前を名乗っただけだ。説明を求めます。[[rb:治癒 > メディック]]ニトロア」
「気分じゃないね、と言いたいところだけど君には話しておくよ」
「あなたたちヘレティックが最後にダンジョンに潜ってからおよそ50年が経ちましたが、あなたの身に一体何が起こったのですか…?」
カランは机に寄り掛かり、口を開いた。
「アナスタフ、君はダンジョンの底には何があると思う?」
「…私が現役の時でも深層には潜ったものの、結局最後まで底には辿り着けませんでした。今でも一切が謎のままです」
「そう…ボクはね、もしかしたらダンジョンの底を見たかもしれないんだ。あの日ボクは最後の一人になって、そこで巨大な
「…」
アナスタフは真剣にその話を聞いていた。カランは静かに続ける。
「『お前が
「贄、ですか。人間の言葉を発する獣、未だダンジョンには謎が多すぎる…」
「まぁその後なんやかんやあって今この状況って訳さ、改めて詳しく話すよ。ざっくりいうとボクのこの姿の説明はこんな感じ」
「ありがとうございます」
アナスタフは再び少し頭を下げた。そしてカランがアナスタフに問いかける。
「今度はこっちの番だよ、どうやって町の崩壊を避けたんだい?」
「森を囲む柵に沿ってクリスタルが埋め込んであるのはご存知でしょうか?」
「ん?んぁ~確かに。そうか、魔力の壁で物理的に町と森を離したのかい?え、そんな無茶なことしたの?」
アナスタフはまた顔をしわくちゃにして笑った。
「えぇ、町にいた探索協会会員含むその身内で魔力が扱える者全員で、光が森に落ちてくると同時に魔力の壁で町を守ったのです」
その発言に、カランは驚いた顔をしながら呆れた口調で返す。
「君意外と大胆なことをするんだね…ホントにボクの知ってるアナスタフかい?なるほど、だから柵があんなに壊れてて町には被害がなかったわけだ」
老人は若々しくハッハッハと笑った。
邂逅
カランは窓に足をかけ、光を纏って外へ飛び出した。するとアナスタフがカランに声をかける。
「カランさん、これからどうするのですか?」
「例の落下物のところに行ってみるよ~、空から何が落ちてきたか気になるじゃん」
「そうですか、お気をつけて。何かわかったら是非伝えに来てください」
「気が向いたらね」
カランが背を向けて飛び去ろうとすると、寸前でアナスタフがまた声をかけた。
「あぁカランさん」
「ん?なに?」
アナスタフは少し考えてから目線を反らして言った。
「スカート穿いて空を飛ぶのはどうかと思いますよ…」
カランは頬を膨らませて返す。
「ボクだって好きでこんなの穿いてないよ~だ」
そのまま勢いをつけて飛び、森の地面が捲れ上がっている場所を目指した。
町はところどころ小さな光が見えるくらいで、月明かりがその輪郭を暗く映し出していた。
やがて森の上空に到達し、木々が倒れる方向に沿って低めに飛行した。
地面の捲れ上がったところは一番高いところで四十メートルくらいはあった。当然その周りは地面が露出しており、その範囲から相当な衝撃だったことがわかった。
「肌がピリピリする…こりゃまたとんでもない魔力だな…」
崖のようになっている地面の頂上の尖った部分に着地すると、真下に巨大なクリスタル群を見つけた。
頂上からゆっくり降下し、十メートルはあろうかというクリスタルの生え際に降り立った。
そのクリスタルは捲れ上がる地面の傾きに沿うようにして生えており、そして森のあちこちにあるクリスタルとは違い薄い桃色をしていた。
カランはクリスタルには手を触れずに、いくつも生えているうちの背の低いクリスタルの先端部分に手を添える。すると先端数センチの部分が光で覆われ、やがてガラスの砕けるような音と共にその欠片を手放した。
欠片を掌に収めたカランはそれを指で摘み、じっくり観察した。
「珍しい色だな…」
すると指先に鋭い痛みを感じ、欠片を落としてしまう。
指先を見ると、クリスタルの欠片と触れていた部分は火傷のような傷ができていた。
「すごい濃度だ、こりゃおもしろい…」
赤くなった指先は光を纏い一瞬で元に戻る。
「しばらくはこれを研究するのも悪くないね…」
カランは少しにやけてからクリスタルを背にし、再び飛んだ。
「まだあるかな…あそこを拠点にしたいんだけど…」
そんなことを呟き、下を見ながら飛翔するカラン。やがて木々の隙間に建物の屋根を見つけた。
「あった!」
嬉しそうに言うと、その建物の前に降り立つ。
その建物は木々で囲まれており、かなり古い屋敷であった。
屋敷というだけはあってとても大きな建物であり、古いとはいえそのレンガの壁は例の衝撃からも自らを守ったようだった。
幾つもある窓から明かりが見えることはなく、玄関扉は外れて傾いている。
そのうちの割れた窓から部屋の一室に入る。月明かりも差し込まない部屋の中はとても暗く、夜目のきくカランも魔力で光の玉を作った。
部屋を出て廊下を歩くと床はギシギシと音を立て、歩くたびに土と埃が舞った。
「昔はよくヘレティックの皆とここに来てたなぁ。まだちゃんと建ってるなんて…」
屋敷内を歩き回りカランは懐かしそうにそう言った。
廊下に出て玄関へと向かう、すると足元にちょろちょろと小さな動物の影が見えた。
「おっと…ねずみかな?」
その動物は猫くらいの大きさの、鼠の姿をしている獣だった。口に何かを咥えている。
「ん?それは…」
鼠はカランの前まで歩み寄り、口に咥えたものを置いた。
それは銃だった。黒色の強い銀色をしており、銃身には綺麗な模様、L字型もの。
しかし銃口はL字の曲がり角に付いていた。
「ワズレ…モノ…」
鼠が人の言葉を話した。ゆっくりと、低くくぐもった声を発した。
カランがその銃を持ち上げると、チリリと鈴の音がした。
銃には鈴がヒモで括り付けてあった。
カランはそれを懐かしそうに眺め、やがて鼠に話しかけた。
「ありがとう。君、コーデリックだよね?久しぶり…かな?」
コーデリックと呼ばれた鼠は赤い目玉を光らせて答える。
「ソウ。ニト…オマエニ…クル…」
カランはその言葉を聞いてコーデリックに問いかけた。
「ボクに?何が来るの?」
その問いかけに答えることはなく、鼠はキョロキョロと周りを慌ただしく見回し、壁の穴に逃げ込むように突っ込んでいった。
カランはその様子を黙ってみていたが、数秒後、壁の穴から再び声がした。
「ソコデ…マッテ…イル…」
それからその声が再び聞こえることはなく、静かな廊下にカラン一人となった。
「相変わらずこっちの話なんて聞こうともしないんだから…」
そう呟いて、廊下を歩く。
やがて玄関へと辿り着き、壊れて傾いた扉を開けようとする。
「ん…なんだこれ、ビクともしない」
その扉の固さに痺れを切らし、ついには蹴破った。
扉は激しい音を立てて倒れる。すると誰かの声がした。
「ひゃっ!」
カランの目の前で尻もちをついたのは桃色の髪をした少女だった。
見開かれた緑色の瞳はカランを見ており、そのほとんどが髪に隠れていた。少々土に汚れているが、白一色の服を着ていた。
「……誰…?」
カランは髪の長い少女に問いかける。少女は少し間を空けて間の抜けた声で返した。
「えっあぁ、私ですよね…誰?…なんでしょうか…?えへへ…」
少女は片手を後頭部に回し、そんなことを言った。続けてこんなことも言う。
「いやぁ気が付いたら一面森だし…いつまで歩いても景色は変わらないし…怖くて寝ることもできないし…」
するとカランはその様子を見て何かに気付き、その少女に目線を合わせ問いかけた。
「ねぇ君、どこから来たの?名前は?」
少女は戸惑いながら答えようとするが、
「どこから…?あ、名前は……あれ?」
やはりわからないようだった。
「ねぇ君」
カランはにやけながらその少女に言った。
「ボクは君が何なのかちょっとわかった気がするよ、でも完全に理解するまで時間がかかりそうなんだ。そこで」
「…?」
少女は首を傾げ、カランは続けた。
「ボクのもとで働いてみない…?」
「え…」
「君の記憶が戻るまでさ、ボクはこう見えても医者だからね」
カランは少女に手を差し伸べた。少女はその手を取り、不安そうに問いかける。
「本当にお医者さん…なのですか?私は診てもらえるのですか…?」
「もちろん、ボクも独りじゃ寂しいし、しばらく一緒に暮らそ。記憶を取り戻すそれまで、君の名前は」
カランはその手を引いた。
「ハトホルだ」
使用人
日の射す清潔なダイニングの食卓、カランは顔を伏せていた。
「カラン様、起きてますか…?」
少女の声がした。カランが顔を上げると、前にメイドが立っていた。桃色の髪は右目を隠すほど伸びており、左はサイドポニーでまとめている、カランより少しだけ背が高めの少女だった。
その少女、ハトホルはティーポットを持って佇んでいた。
「紅茶のおかわりはいかがですか?」
「ありがとハト、貰うよ」
「ゼーラ様もいかがですか?」
カランの前に座っていたゼーラはやんわりと断る。
「いいや、もういいよハトホル。ありがとう」
ハトホルはカランの前に置いてあったお洒落なティーカップに明るい色をした紅茶を、丁寧に注いだ。
「何か考え事でもしてたの?」
ゼーラがカランにそう問いかけ、カランは眠たそうに答えた。
「昔の夢を見てたんだよ、ゼーラとハトホルに初めて会った時のね」
「あぁ、懐かしいね。僕もたまに見るよ」
そしてハトホルは感慨深く呟く、
「最初こそ戸惑いもしましたが…私はカラン様にお仕えすることができて本当に幸せだと思っていますよ」
「ふひひ、ハト、溢れてる溢れてる」
目を瞑ってしまったハトホルは自分の注いでた紅茶が溢れていることに気が付き、焦った。
「えっ!?あぁ!」
カランは頬杖をついて呟く。
「いやぁボクもハトが使用人で良かったよ~…、どっかの完璧すぎるババアより君みたいにおっちょこちょいしてくれる人の方がボクは好きだなぁ…」
ハトホルは持ってきた台拭きでせっせとテーブルを拭いていた。
ゼーラはカランに問いかける。
「それってもしかしてゼマさんのこと?」
「さぁね」
優渥のメディカ第二話、ご愛読いただきありがとうございます。
今第二話は第一話より前のお話でした。最後らへんは…疲れたんです()
一部の探索家の中ではカランの存在は知られており、森を抜ける際の中継地点としてカランの屋敷を使うことがあります。