「じゃあ、また後で。楽しんでくるのよ」
花咲川女子学園の裏、相変わらず人気の無いその場所で祖師谷姉弟は今日も入れ替わりを行っていた。
「えっと、お姉ちゃん。僕、今日は何をするのかまったく聞かされてないんだけど……?」
車内で、扉の方向へグイグイと背中を押す姉にコウは言う。言葉の通り、彼は部屋で昨日渡された音楽を聞き耽っていたところ、突然黒服に連れ去られてここにいた。おそらくは優が事前にそう指示していたのだろうが、それならば自分にも一報あってよかったのでは、とコウは思わない事も無かった。
「まぁまぁ、今日は向こうから迎えに来てくれるみたいだから。そっちで聞いてよ、じゃ!」
「あ、ちょっと!」
まだ会話の途中だというのに、彼が地に足を着けると優はさっさと扉を閉め行ってしまった。
(慌ただしいというか、なんというか……)
今に始まった事でもないけど、と溜め息を零してコウは壁に身を預ける。聞き間違いでなければ姉は『迎えが来る』と言っていたはず。彼はその言葉を信じて、ここを動くべきではないなと判断した。
それから待つこと約五分。彼の視界の端に、角を曲がって人影が入ってきた。
「あ、いたいた。やっほ、コウくん」
「美咲さん、こんにち――は?」
彼も薄々感づいてはいたようだが、やはり迎え人とは美咲だった。知りあって日こそ浅いが、家族を除けば最も交友のある人物の登場にコウは挨拶をしながら小走りで駆け寄り――気付いた。
美咲の後ろ、彼女が今まさにやってきたその角を、曲がってくるもう一人がいた事に。
「こんにちは、三日ぶり……いや、実は二日ぶりなんだっけ?」
青い瞳、スラリとした肢体、そして一つくくりにされた髪。それは『Poppin'Party』のメンバーが一人、山吹沙綾に違いなかった。
「え、えーっと……?」
沙綾の言葉への返答をコウは口の中に留めた。彼女の口ぶりはまるでその正体を知っているかのようだが、そんな事実を彼は聞いた覚えがない。どう判断すればよいかわからなかったコウは、美咲へSOSを示す視線を送った。
「あー、うん。何があったのかは知らないけど、山吹さんには全部バレちゃってるみたいだよ?」
目だけでその意を汲み取った美咲が説明をしてくれる。その表情は少し呆れ気味だった。
「ん? 優から聞いてなかったんだ……。それじゃ、知ってるとは思うけど改めて。私は山吹沙綾、高校一年生だよ。よろしくね」
「祖師谷コウ、中学二年生です。こちらこそよろしくお願いします」
自己紹介に続いて沙綾が手を差し出す。最初はその意味がわからない様子のコウだったが、次第に理解が及ぶと少し遠慮気味おずおずとそれを
「なんだか私がすっごい偉い人みたいな感じなんだけど……?」
「あ、気にしないであげて。その子ちょっと、世間とズレてるところあるから」
「なるほどね。話は聞いてたけど、こういうことか……」
握手もそこそこに、場が静けさを取り戻すとコウは一番気になっている事を尋ねた。
「それで、今日は何をするのでしょう?」
「いや、私は知らないなぁ。奥沢さんが知ってるんじゃない?」
「実は決まってないんだよね。そこは歩きながら決めるってことで、一つ」
言外に回答を求められた美咲は、人差し指を立てて苦笑する。それはすぐに二人にも伝染し、何とも言えない空気ができあがった。
「ま、とりあえず歩きましょ」
美咲の声をきっかけに、三人はその場を去った。
それから少し経ち、三人は商店街近くの道を歩いていた。
「にしても、まさかこんな組み合わせになるとはなぁ……」
今も隣でコウに話しかけている沙綾を横目で盗み見て、美咲は小さく呟いた。
というのも彼女、もともとはコウと花音と三人で活動するつもりだったのだ。ハロハピの練習予定が無いとはいえこころたちは依然フリー、だというのに敢えて人数を絞ろうとしたのには美咲なりに一つ、大きな思惑があった。
(あれが普通の事だと思われても困るし)
優に頼みごとをされ、ハロハピで過ごし、コウが『楽しい』を知った。そこまでは良い。だが美咲は、その為に彼の中の常識が歪んでしまう事を危惧していた。
ハロハピ、ひいてはこころと時間を共にすることが楽しいというのは、不本意ながら美咲も認めるところであるが、それは一般的に見ればはちゃめちゃな、あくまで非日常的な楽しさ。コウに正しく『楽しい』を知ってもらいたいならば、もっと身近で日常的なものも、と美咲は考えたのだ。
そういった訳で、学校が終わると美咲はこころたちに適当な理由をつけて別行動をとったのだが、ここで一つ誤算だったのは花音が部活で同行できなかった事。
計画が崩れ、どうしたものかと教室で途方に暮れていた美咲に声をかけたのが沙綾だった。この時点では、彼女が事情を把握している事は美咲にも伝わっていないので、何故話しかけられたのかわからなかったが、話を聞いて一つ強く思う事があった。
(祖師谷さん……一報くらいあってもよかったと思うなぁ!?)
(ま、助かったっちゃ助かったんだけどね)
花音が部活という事で空いた穴を補ってくれた、というのは確かであるが、何せ美咲と沙綾は交流が浅い。ガルパの合同練習をしたり、こころ主催の花見に参加したりと面識自体はある程度あったのだが、そのような場でも二人で会話した事はほとんどなかった。沙綾はそんな事を気にしない様子で親しげに話しているが、美咲の方は少し遠慮気味だ。
「それで奥沢さん、何をするか決まった?」
「あー、そうだね……」
美咲は悩んだ。彼女自身、別段不幸の中に生きているとか、日常に楽しみが無いとか、そのように思った事はないが、いざ『日常の中の楽しい事』と言われてもすぐにこれといったものは思い浮かばなかった。
「山吹さんは、普段どんな事が楽しいって感じる? 趣味とかさ」
「そうだなぁ、カラオケとか?」
カラオケ。中高生の間に広く人気で、実際美咲も偶に行く事があるし、楽しいとも感じる。
「コウくん、多分歌とかあんまり知らないだろうしなぁ……。他には?」
しかし、美咲は首を横に振った。彼の今までを鑑みれば、歌に触れる機会がそうあったとは思えず、よしんば歌えたとしても精々が国家など形式的、儀式的なものくらいだろうと予想できたから。
「……野球観戦とか?」
「うーん、悪くはないけど。まぁ、今からは無理だよね」
次なる案も、即棄却された。
「じゃあ逆に、奥沢さんの趣味とかは?」
「え、あたし?」
問われて、美咲は考え込んだ。最近している事と言えば、もっぱらハロハピに関する事が多い。しかし沙綾がそう答えなかった事からも分かるとおり、バンドという回答は今求められていない。そうなると、彼女の頭に残ったのは一つだけだった。
「……羊毛フェルト、かな」
「羊毛フェルトっていうと、編み物?」
言葉を聞いて沙綾が思い浮かんだイメージを口にするが、美咲はそれを否定した。
「いや、編み物ではないんだけど……」
「あー、あれかな。なんか毛を針でぷすぷすって刺しまくるやつ?」
「そうそう、それ」
「テレビで見た事あるよ。そっかー。奥沢さん、そんな趣味があったんだ。いいんじゃない? それしようよ」
「……そうする?」
賛否を尋ねる意味で、美咲は二人に顔を向ける。沙綾はどう見ても賛成。コウに関してはおそらく、どのような意見であっても否定するという選択肢がそもそも無いように見えた。
「んじゃ、そうしようか」
少し道を引き返すことにはなるが、美咲は行きつけの手芸店がある方向へ歩き出した。
そうしてやってきたのはショッピングモール。その二階の一角に目的の店はあった。
「ここだよ」
「へー、あんまりこういうお店は来た事なかったなぁ」
慣れた足取りが店気が進む後ろを、キョロキョロとしながら二人が続く。どうにも年輩の方が多く、沙綾たちくらいの歳の人はあまり見受けられなかった。
「羊毛フェルトってなると、この辺一帯になるかな」
いつの間にか目当てのコーナーに辿り着いていたようで、一行の足が止まった。
立札には確かに『羊毛フェルト』の文字があり、色とりどりの羊毛が袋詰めで掛けられている。またその隣には針やよくわからない器具など、とにかく多用な物が売られていた。
「実際に来てみて思ったけど、羊毛フェルトってまず何から始めればいいの……?」
「そうだね、慣れてくると自分でイメージして合う羊毛を買ったりするんだけど。二人は初めてだし、セットになってるのを買う方がいいかも」
そう言って、美咲は二つの袋を手に取った。片方は何も書かれていない、ただの色のついた羊毛が入っているだけのもの。他方は『羊毛でひよこを作ろう』とパッケージに記されており、まん丸にデフォルメされたひよこのイラストが貼り付けられていた。
「こういうセットは芯となる部分が予め用意されてたりするからおすすめかな。自分で作ってもいいんだけど、初めてだと綺麗に球にならなかったりするから。後は羽とか嘴とかパーツごとに刺し固めてジョイントする――あー、ひっつけたりするだけだから」
と、そこまで説明したところで、美咲は二人が口を半開きに硬直している事に気がついた。まるで、何か信じられないものでも見たかのような表情だ。
「え、どうしたの?」
「なんか奥沢さん、すごい活き活きしてるなって思って……」
沙綾が言うと、コウはコクコクと頷いて同意した。はて、と美咲は落ち着いて数秒前の自分を振り返ってみる。すると、確かに普段よりは少し饒舌だったと自覚でき、途端に体の底から羞恥が湧きあがってくるのを感じた。
「も、もう! そんなのいいから、早く自分が好きなの選んでよ!」
「ふふ、はいはい」
きつめの言葉が美咲からぶつけられるが、照れ隠しに毒を吐かれる事は有咲と友達をやっている沙綾には慣れたもので、軽く受け流して選び始めた。最終的に、沙綾はスズメ、コウはペンギンのセット、美咲は白を中心に幾つか羊毛を選んでレジに向かった。
会計を終えた三人は店内に置かれていたお洒落なテーブルの上に買った物を広げていた。手芸店というのは往々にこういったコーナーが置かれているもので、アクセサリー作りの体験などがよく行われている。
「ねぇ奥沢さん。道具とかって買わなくてよかったのかな」
内容物を一覧して沙綾は疑問に思った。セットの中に入っていたのはほとんどが羊毛で、後は目となるプラスチックに説明書程度のもの。道すがらに話していた事によれば、羊毛フェルトは針を使うものの筈だが、そういった形をしているものは見当たらなかった。
「普通はそうなんだけどね。とりあえずフェルティングニードルは私の予備があるんで貸すとして、目打ちとか待ち針とか皆で使えるものはそうしよう」
美咲が鞄から次々に道具を取りだしていく。
「よ、よくそんなに持ってるね」
「ん? まぁ、一応趣味でやってるからね。楽器とかと違って嵩張らないし、持ち歩けるってのもこれのいいところだよ。最後にマットだけど――」
ただ一つ、問題だったのがフェルティングマット。これは刺した際に貫通してしまったニードルを受け止める役割を持つもので、厚さはおよそ四センチ、長さは十センチ越えと諸道具の中で一際大きい。よって、さすがの彼女も複数は持っておらず代用できる発泡スチロールなどもこの場にはなかった。このままでは作業に入れない、そんな状況は美咲は――。
「こうしちゃおう」
なんと、鋏を手にとって、にわかにマットを切り裂いてしまった。
「……よかったの?」
突然の狂行に二人は肩を跳ね上げたが、ここは店内。驚きで溢れそうになった声を咄嗟に抑え、代わりに不安そうな表情で沙綾が小さく尋ねた。
「フェルティングマットはさ、私のはこんだけ大きいけど実際そんなに面積もいらないんだよね。それに、そろそろ買い替え時かなって思ってたから」
だから気にしないでいいよ、美咲は笑う。
こうして、多少の無茶はあったが必要な道具はすべて揃い、彼女たちは作業に入る事が出来た。
「…………」
「…………」
そこからは静かなものだった。
初心者の二人が各々説明書を読み、慎重に針を動かす様子を美咲が無言で見守る。何から何まで彼女がつきっきりで教えるという選択肢もあったが、より『楽しい』を感じられるような気がするという理由で、敢えて説明書頼りに自力でやってもらうスタンスを取った。もちろん、それでも理解できないところはしっかりと教えるつもりだが。
時には。
「美咲さん、さっきから何度も刺してるんですが全然固くならなくって……何か間違ってるのでしょうか?」
「ううん、そんなことないよ。まだ実感できてないだけでちゃんとできてるから、もうちょっと根気よく刺してみて」
またある時には。
「うーん、フレンチナッツステッチって何……?」
「簡単に言うと、裁縫の玉どめして同じ場所にもう一回刺しなおすんだけど……ちょっとコツがいるから実演しようか」
時偶の会話をアクセントに、ひたすら針の突く小さな音が響き続ける。作業開始から二時間ほど経って、ようやく全員が手を置く時がやってきた。
「……ふぅ」
「やー、疲れたねー」
「うん、二人ともお疲れ様」
三人はそれぞれ、できあがった作品を見つめる。形が少し
「どう? 悪くはなかったでしょ?」
「悪くはないだなんて……とっても楽しかったです」
「私も同感かな」
共有したのが自身の趣味だという事で美咲は少し捻くれて問うたが、二人が述べたのは素直で綺麗なありのままの気持ち。その輝きに
そんな彼女の手の中では、赤い瞳の白ウサギが整った造形で、在った。
該当シーンを描くにあたって、実際に手芸店に行ってスターターセット他を購入して参りました。小さな鳥のキーホルダーを作ったのですが、それだけで四時間ほど。けど、なかなか楽しいものでした。
一つわかったのは、ミッシェルの中に自分自身を入れて作った美咲はそうとう凄いってことですね(*´-ω-`)
何か間違ったことなど書いてしまっていれば、ご報告ください。
改行具合、どのように感じましたか?
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地の文間もっと開けた方がいい
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セリフ間もっと開けた方が
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上記二つとも
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特に問題ない