何の変哲もない住宅街。夕飯時ゆえ、辺りに良い匂いが立ち込めるその道を、奥沢美咲は歩いていた。
今日の夕飯は何かな、と取り留めなしに考えていると、いつの間にか目の前には自宅が。ポケットから鍵を取り出して、美咲は扉を開けた。
「あ、お姉ちゃん。おかえりー」
それを、そうそうに出迎えてくれたのは彼女の妹。ここにいたのはどうやら偶然のようで、ラフな部屋着でお菓子を咥えながら廊下を歩いていた。
「ん、ただいま」
「もうすぐご飯できるってお母さん言ってたよ」
「……それなのに菓子食ってんのか、あんたは」
「えー、いいでしょ。こんくらいじゃお腹膨れないって」
「はぁ、だといいけど」
どうにも未来を予期させるような言葉を流して、美咲は階段を上がる。自室が隣、ということで妹もその後をついて行った。
「今日も遅かったね。部活?」
「ううん、今日はちょっと手芸店に寄ってきただけ」
「えっ、じゃあ何か作ってくれたの!?」
何でもない会話の途中、遅くなった理由を知り、美咲の妹は目を輝かせた。
美咲は羊毛フェルトが趣味だ。しかし、更に詳しく言えば羊毛フェルトで何かを
細かな動作を毛嫌いする人からは共感を得られないかもしれないが、細い針を振るって纏まりのない羊毛を少しづつ確かな形にしていく、あの過程が楽しくてしかたないのだ。完成品はどうだっていい、とは言わないが、求められれば与えてしまうくらいには、執着を抱けずにいた。その結果、妹の部屋には既に美咲の作品が数十を超えて一つの棚を占領してしまっており、口にはしないながらも姉が何かを作ってくれるのを日々楽しみにしていた。
「あー……」
対照的に、美咲は表情を曇らせた。何か、困った事でもある様子だ。
「……お姉ちゃん、どうかした?」
「……いや、何でもない。ごめんね、今日は道具に買い足しに行っただけで、作ってきたわけじゃないんだ」
「そっかー、残念。そうだ、その内でいいからさ、今度はリス作ってよ」
「ん、その内ねー」
部屋に辿り着き、それぞれ自室へ入る。リボンを外して鞄を置くと、美咲は着替えもせずある物を引っ張り出した。
それは今日、コウ達と共に作り出したウサギだった。赤い目。白い毛。それを見つめていると、気づけば美咲はいつの間にかその頭部へ触れていた。歪みなどが生じぬように、ゆっくりと、優しく指先を這わせると滑らかな感触が返る。わずかな毛羽立ちもないそれは、美咲の頑張りの顕れそのものだった。
数秒触れて、ハッと我に返った彼女はウサギを机の上に置いき、ベッドに身を投げ出す。腕で視界を塞いで、小さく息を吐いた。
(なんか変だ……)
前述の通り美咲は作る事をより好んでおり、生み出した作品それぞれに思い出はあっても、深い何かを感じた事はあまりなかった。だというのに、このウサギにはどうしようもなく愛着が沸く。それは、初めての感覚だった。
(いやまぁ、理由はなんとなく……ん?)
その時、美咲の携帯が電子音を響かせた。取り出して確認してみると、画面には文字ではなく数字が表示されている。つまり、彼女の電話帳に登録されていない人物からということだ。
(090……家の電話じゃなくて、携帯からか)
むむむ、と唸った美咲は相手の出方によってはすぐに切ろうと決めて、電話に出た。
「はい、もしもし。どちらさまでしょうか?」
『もしもしー? 山吹ですけど』
「あ、山吹さん?」
携帯の向こう側から聞こえてきたのは、今日放課後を共にした少女の声だった。
「山吹さんから電話なんて、どうしたの?」
『いや、特別何かって訳でもないんだけどさ。ちょっと話したいなって思って。今、大丈夫だった?』
「もうちょっとしたら晩御飯なんで、それまでなら……」
聞くに、電話の目的はただおしゃべりをすることのようだ。美咲は顔と肩の間に携帯を挟んで、制服を脱ぎながら応対をした。
『とりあえず。今日は楽しかったよ、ありがとうね』
「別に。お礼を言われるようなことじゃないよ。ちょっと言い方は悪いけど、山吹さんの為って訳じゃないしね」
『あはは、そうだった。じゃあね……うーん……』
沙綾はそこで言葉の流れを切り、結果沈黙ができあがる。『話をするという話』を持ちかけたのは彼女の方だというのに、もう話題が尽きてしまったのか。普通ならばそう考えるかもしれないが、僅かに聞こえてくる息使いなどから、美咲は沙綾の考えがなんとなく透けて見える気がした。
「何か言いにくい事でもあるの?」
『えっ……あー、わかっちゃうか。うん、そうなんだ。……奥沢さんと私ってさ、知り合いではあったけど、そこまで仲良かった訳でもないでしょ?』
「……まぁ、ぶっちゃけちゃうと、ね」
『思い返してみるとさ、ちょっとグイグイ行きすぎたかな……って考えちゃって』
「…………」
電話の向こうから申し訳なさがまざまざと伝わってくる。否定しようにも、実際少し引いた立ち位置から接してしまっていた美咲はすぐにその言葉を吐く事が出来ず、それを沙綾は『無言の肯定』と受け取ったようだ。
「やっぱ、そうだよね――」
「あー、待って待って! 確かにちょっと遠慮してる部分はあったかもしれないけど、それはあたしが距離詰めるの下手ってだけで、山吹さんは何も悪くないから!」
「……ありがとう。そう言ってくると嬉しい」
深呼吸に、続いてパンッと乾いた音が鳴った。次に聞こえてきた沙綾の声からは暗い雰囲気は払拭されており、彼女が何を一体何をしたのかは想像に易かった。
『よし、切り替えた! ねぇねぇ、下の名前で呼んでもいいかな?』
「え、別にいいけど……急だね」
『ん、ありがと。さっきの話だけどさ、美咲ってどことなーく有咲に似てるんだよ。だからつい、ね』
「市ヶ谷さんと?」
明るくなった沙綾の口から判明した意外な理由に、美咲は思索する。
有咲と美咲。二人はどちらもぶっとびガールに振り回されているという事で、たまに学校で会うと互いに愚痴を言い合う仲だ。共に花見に行った時も有咲が隠している本性に一人だけ勘付いたり、美咲は確かに有咲に自分と通ずるものを感じていた。しかし……。
「そんなことあるかなぁ……?」
あくまで似通っていると思うのは境遇だけ。性格などに関しては、重なる部分を美咲は自覚できなかった。
『えー、似てると思うけどな。……好きな事となると口数が多くなっちゃうところとかね?』
「もう、その話は勘弁してよ……」
『有咲ったらね、盆栽と香澄の事になると喋るのなんので』
「盆栽はわかるけど……戸山さん?」
『そう。有咲は香澄の事大好きだからねー』
そこから有咲がいかに香澄が好きかという話が始まった。沙綾は次から次へと語るのだが、その貯えは一向に尽きる様子がない。有咲の愛がいかに深いかを理解できてしまったところで、美咲が我慢ならずストップをかけた。
「もういいです、もういいです。市ヶ谷さんの戸山さん愛はじゅーぶんわかりましたから」
『え、そう? まだまだいっぱい話したい事あるんだけど……』
「まだあるの……。コホン。つまり、市ヶ谷さんでいう盆栽と戸山さんが、私の羊毛フェルトだと。そういう訳ね……」
『うん、後はコウくんの事とかね』
「――はい?」
気の抜けた声が、美咲の口から漏れ出た。彼女の頭の中で、急速に思考が流れだす。
今、沙綾は何といった? 『後は』とは対象に何かを付け加える時に使う言葉だが、果たして彼女は今何に『コウくん』を添加したのか。まだまだ話したい事? それとも、少し飛んで有咲が好きな事?
などと考えたところで、無駄な時間だな、と美咲は知らんぷりをやめた。頭は明らかな一つの答えを導き出していて、この時ばかりは美咲は自分がバカでない事を呪った。
「いやいや、確かにコウくんとは仲良くなれたと思ってるけど、別にそういうんじゃないよ」
『じゃあ、あの子の事嫌い?』
「……その訊き方は大分ずるいんじゃない?」
『ごめんごめん。それは別にしても、実際大好きでしょ? 今日も『私のコウくんがどんだけ可愛いか』を熱弁してくれたじゃん』
「その言い方は非っ常に悪意を感じるんですが……。それに、熱弁って程でもないでしょ」
確かに帰り道でコウについて話した覚えが美咲にはあったが、『私のコウくん』などと言ってはいないし、沙綾の話を聞いた後で有咲にとっての香澄と並ぶ存在かと言われると、こう答えるしかなかった。とてもとても。
『じゃあさ、美咲がコウくんの話してる時、本人が後ろから『もうやめてください……』って裾引っ張ってたの気付いてた?』
「……え、何それ本当?」
『ほら、熱弁だ」
「むぅ……」
語っているときに他の事に注意が向かなくなるのは、まさしく熱弁の証だ。言い逃れのできない証拠が出てしまい、美咲は反論ができなくなってしまった。
『それと今日奥沢さん、羊毛フェルトでうさぎ作ってたのよね。何でうさぎにしたの?』
「……あー、妹にね。そう、妹に次はうさぎ作ってって言われててさ。それだけだよ」
『なるほどねー、わかるよ、似てるもんね。おたえもさ、初めて優に会った時は急にうさ耳付けようとしてもう大変だったんだからー』
「……山吹さん? お願いだから、話聞いてくれない?」
『やだなー、聞いてるよ。けどそれ、嘘でしょ』
「…………」
もはや、何もかもがお見通しのようだ。二人の舌戦は、美咲の完全敗北という結果になった。
「ちょっとー、ご飯できたわよー!」
そこへ、階下から母の呼び声が届く。苦しい状況に陥っていた美咲には、それは天からの授け物に等しかった。
「あ、ご飯できたみたいだから行ってくる」
『わあ、すっごいグッドタイミングだったね』
「……おかげさまで。じゃあ、電話切るけど最後に何か言っときたい事とかある?」
『ううん、特にないかな。そういう美咲の方は?』
最後に言っておく事。短く、しかしとても濃かった今回の電話を振り返って、美咲はこう言った。
「……あんまり市ヶ谷さんの事いじめないであげてね」
『んー、それは代わりに私をいじめてっていうサインかな?』
「ち、が、い、ま、す! また明日、ばいばい!」
勢いよく指を落として、電話を切る。美咲の中で、沙綾に対するイメージがガラッと変わった一日だった。
―――――――
日は巡り、現在は木曜日。学校も終わり、既に入れ替わりも果たしているコウを含めてハロハピの六人は行きつけのライブハウス『CiRCLE』に向かっていた。
「――まぁ、簡単に言うと今説明した四バンドとの合同イベントかな」
その道の途中、彼女たちが今何をしているかというと、コウに対するガルパについての説明だ。今日は本番に向けて、参加する他の四つの内の二バンド、『Afterglow』と『Roselia』との合同練習。それを伝えたところ、コウは首を傾げ、ガルパについて知らせ忘れていた事に気付いたという流れだ。
「それ、僕も参加するんですか……?」
「もちろん」
美咲個人としてもコウには是非ガルパへ参加してほしいと思っている。いや、仮にそうでなくとも、一人だけ欠席なんてことはこころが許さないだろう。
しかし、そうなると重大な問題が一つ発生する事になる。
ガルパ。その正式な名前を『
今の『ハロー、ハッピーワールド!』は見た目の面で考えればガールズバンドの体裁を保ってはいるが、その実態は異なる。そんな現在のハロハピがガルパに参加するには、運営はもちろん、他の参加バンドにも許可を取る必要があった。
「でも、ガールズバンドのイベントなんですよね? 僕、男ですけど……」
「言っても、外見は完全に女の子だからなぁ。ま、何かしらトラブルは起きるかもしれないけど、その時は任せてよ。コウくん、あんまり口達者じゃないしね」
「うぅ、非常に情けないですが……お願いします」
「ん、任せて」
そう言って美咲は、コウの頭を撫でる。赤らむ彼をこころたちの方へ遣り、花音に近づくと、さっきまでのかっこいい様子を潜めて自信無げに言った。
「大丈夫かなぁ……」
「き、きっと大丈夫だよ、美咲ちゃん」
「でも、紗夜先輩とかそのあたり厳しそうじゃないですか?」
「紗夜ちゃんは厳格ってだけで狭量な訳じゃないから、きちんとお願いすれば……多分」
「だといいんですけど」
同級生である程度関わりのある花音ならともかく、一年生である美咲には紗夜はひたすら厳しい先輩という印象しかない。まだ事は始まってすらいないのに、美咲は胃がはちきれる思いだった。
そうして一同は『CiCRLE』へ到着した。扉をくぐると、予定の集合時間はまだのはずだが既に全員が揃っていた。
「あら、あたしたちが一番最後みたいね? 遅刻しちゃったかしら?」
「別に、そんなことはないよ」
「ええ弦巻さん、時間はまだ大丈夫よ。さて、全員集まった事だし、早速練習を始めましょうか」
こころの言葉に各バンドのボーカルである美竹蘭と湊友希那が応える。そして余計な話をするつもりはないとばかりに、すぐさま確保しているスタジオの方へ向き直った。
「あー、すいません。練習に入る前に、少しだけ皆さんお時間いただけますか?」
「……なにかしら?」
しかし、それでは困る美咲が声をあげてメンバーを引きとめる。そういった事を滅多にしない人物の行動に、一同の視線がハロハピへ集中した。
「ほら、こころ。言う事があるんでしょ」
「あ、そうだったわ。皆、実はねハロハピに新しいメンバーが入ったの!」
「新メンバー……この時期に?」
「紹介するわね、コウ!」
ここに来てからずっと、ひっそりと美咲の陰に隠れていたその人物をこころは引っ張り出す。小さな、白い
「ご、ご紹介にあずかりました、祖師谷コウと申します。皆さん、どうぞよろしくお願いします……」
十人の、それも初対面の人を前に、コウはガチガチに緊張しながら自己紹介をする。声が裏返らなかったのは奇跡と言ってもいい。
「ふーん、あたしは美竹蘭。まぁその、よろしく」
「湊友希那よ。よろしく」
「私上原ひまり。よろしくねー!」
「アタシは――」
コウに対し、それぞれ短く自己紹介を返していく。
新メンバーの加入、それは確かに当事者たちからすれば大きな出来事かもしれない。だが他バンドの者にとっては、言ってしまえば対岸の出来事だ。ガルパの大部分は対バンの形式であり、合同での演奏がほとんどないことも相まって、コウについて深く言及する人物はいなかった。
ただ、一人だけを除いて。
「あなたは……祖師谷優さんではありませんか?」
果たして、その人物とは美咲が警戒していた氷川紗夜、その人であった
改行具合、どのように感じましたか?
-
地の文間もっと開けた方がいい
-
セリフ間もっと開けた方が
-
上記二つとも
-
特に問題ない