びじょとやじゅう   作:彩守 露水

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第19話「暗雲の霧散」

「着きました、奥沢さま」

 

 停められていた車に乗り込み、無言のまま揺られること数分。予想していたよりもはるかに早く、彼女らは目的地に到着した。

 

「ありがとうございました」

「いえ、これも仕事ですので」

 

 外側から扉を開けてくれた黒服に礼を述べ、美咲は前方を見据える。目線の先には、荘厳な雰囲気を醸す屋敷があった。それは見るものすべてを気圧すような大きさを誇っているが、不思議と美咲は平然とした様子を保っていた。

 理由は二つ。まず、初めに美咲はこころの邸宅に毎日のように行っており、巨大な建造物に耐性がついてしまっていた事。

 

(あ、あー。コウくんの家ってここだったんだ……)

 

 そして次に、実はこの屋敷を日常の中で頻繁に見ていたから。

 その外見の所為で、祖師谷邸は非常に目立つ。その目立ちようと言えば、近くに住んでいる者たちからは『今あのでっかい家の角曲がったとこ』などと、現在位置や約束の場所のすり合わせに使われる程である。美咲もその経験を持つ者の一人で、その過去が驚きを緩和させていた。

 

「あ、美咲ちゃん! ほんとに来てくれたんだ、ありがとーー!!」

 

 門が勢い良く開かれ、優が美咲へと飛びついてくる。電話越しの声からもわかっていたことだが、その目は涙を引っ掛けていた。

 

「いやいや、呼んだのはそっちでしょ? まったく」

「そうなんだけどー! うぅ、とにかくありがとう!! 案内するから、入って入って」

「はいはい」

 

 三バカのおかげで飛びつかれる事には慣れていた美咲は、なんとか持ちこたえた。そして優に誘われるまま、門をくぐる。

 その間際、美咲の耳だけに背後から小さな呟きが届いた。

 

「奥沢様、どうか坊ちゃまのことをよろしくおねがいします」

「……別に、あたしはあたしの好きなようにするだけですよ」

 

 

 

「ここ、ここよ!」

 

 手を引き、引かれ、二人はとある部屋の前に立っていた。

 

「というか、あたしは勝手に上がっちゃってるけどいいの?」

 

 この場に来るまでの途中、美咲は誰とも会っていなかった。普通、友人の家に遊びに行った時などは、その親御さんなどに一言挨拶を入れるものなのだが。

 

「うーん、お父さんは何か出かけてるみたい。お母さんは家にはいると思うんだけど……どこかわかんないし」

「えぇ……」

 

 そんな聞いたことも無い理由に美咲は呆れる。だがこの屋敷、庭などまで含めればその面積は小さめの学校程もあり、仕方のない言い分だともいえた。

 

「で、なんだっけ。コウくんが部屋から出てこないんだっけ?」

「そうなの! 中にいるのはわかってるんだけど、全然口きいてくれなくて……」

「えー、それあたしが来ても状況変わらなくない? 返事くれないんでしょ?」

「そう、なんだけど……私じゃなくて美咲ちゃんならもしかしたら、と思って」

「そんな事ないと思うけど……」

 

 事態の好転する未来絵図を頭に描けないまま、それでもとりあえず、美咲は部屋の扉をノックする。コウくーん、と間延びした声を投げかけると、意外にも中からは返球がなされた。

 

「み、美咲さん?」

(あれ、返答きた)

 

 ただ、驚きが隠せておらず、そのコースはユラユラとぶれていた。

 

「ん、コウくん昨日ぶり」

「ど、どうして美咲さんが……?」

「なんでって……。まぁ、その辺も話したいし、ここ開けてくれない?」

「…………」

 

 少しの間だんまりを決め込んだ彼だが、今度は先ほどよりも近くなった声で、こう尋ねた。

 

「お姉ちゃん、そこにいますか……?」

「祖師谷さん? うん、いるけど」

「……美咲さんだけなら、入ってもいいです」

「えー……」

 

 どうする? という言葉を視線に乗せて、優の方へ向ける。その当人は、首を何度も細かく縦に振っていた。

 

(行け、って事ね)

「わかった。それでいいよ」

 

 美咲が了承の旨を伝えると、扉が少しづつ開いていく。その隙間が人一人分程度まで広がってきたところで、ニュッと伸びてきた小さな手が美咲の袖を引っ張った。

 

「わっ、暗っ! 電気付けないの?」

「あ、忘れてました……」

 

 部屋に入った美咲が最初に触れたのは、その暗さだった。建物の構造とその位置の問題で、この部屋には陽があまり差さない。だというのに、天井の電気は付けられておらず、目が慣れないと細部が見えないほどに中は暗かった。

 

「いや、忘れてたって……こんな中、一体何してたのさ?」

「少し、考え事を……」

「そっか」

 

 その返事に少し重苦しいものを察し、美咲は敢えて一度、淡白な相槌を挟む。それからベッドに並んで、腰かけた。

 

「…………」

「…………」

 

 いきなり切りこむ事はせず、美咲は相手から話すのをただ、待つ。その甲斐あって、十数秒後にはコウの方から美咲に、ポツポツと話し始めた。

 

「今日は朝からずっと悩んでて……あの、相談に乗ってもらえますか?」

「もちろん。その為に来た、みたいなもんだからね」

「昨日、皆さんとご飯を食べて帰ったら、お姉ちゃんと父様が言い合いをしていたんです」

「うん」

「なんとなく、わかるんです。今僕が自由に過ごせてるのは多分、お姉ちゃんが何かしてくれたから。父様に何か掛け合ってくれたから」

「……かもね」

「お姉ちゃんはあれで結構しっかりしてますし、その場しのぎとか、意味のない事はしないと思うんです。だから、本当は僕は何かしなくちゃいけない事があるんじゃないかって……」

「なるほどね」

 

 奇しくも、コウを悩ませている種は、美咲の頭に根を張っているものと同じようだった。この五日間、彼がした事と言えばバンド活動やパーティーをしたり、手芸をしたり……一般的には『遊び』にカテゴライズされるものばかりだ。

 

 

「果たして、こんな事をしていて良いのか?」

 

 あえて悪い言い方を美咲がすると、コウの肩がびくりと跳ねた。

 

「そんな――」

「違う? あ、ハロハピを『こんな事』って言っちゃってるのは気にしないでいいよ。そりゃ確かに気持ちいいんもんではないけど、コウくんの境遇考えれば、無理ないと思うし」

「……では、大体そんなところ、です」

(さて、何て答えたもんかなぁ)

 

 二人は同じ悩みを抱えているなか、情報の面では美咲の方が多くの事を知っているが、それもすべてという訳ではない。優の最終的な目的までは、依然不明のままだ。

 

「――いいんじゃないかな」

「えっ?」

(……あ、口がすべった)

 

 答えはまだ纏まっていない筈なのに、彼女は自然とそう口に出していた。こうなりゃ自棄だ、美咲は反芻もせずにできあがっていく言葉を次々に紡ぐ。

 

「仮にそういうのがあるんだとしてさ、言ってこない方が悪いでしょ」

「……確かに」

「それに、コウくんの行動が間違ってるのかどうかは、祖師谷さんの反応を見ればなんとなくわかるんじゃない?」

「………」

 

 コウは真剣な顔をして、記憶を掘り起こしていく。毎夜、お姉ちゃん署に行ってその日の出来事を話している時、優は――。

 

「笑顔、でした。僕の話をお姉ちゃんは、すっごく幸せそうに聞いてくれてて……」

「なら、それが答えなんじゃないかな。祖師谷さんは、感情誤魔化すのとか苦手そうだしね」

「そう、でしょうか……?」

「ん、きっとそうだよ」

「そう、かもしれませんね。えへへ」

 

 結局、望んでいた明確な答えを見つけられた訳でもなしに、しかしコウは淡く笑んでいる。鬱屈とした彼の雰囲気は、すっかり取り払われていた。

 

「一件落着――とは言えないかもだけど、一応割り切れたようでよかったよ」

「美咲さん、えっと……ありがとうございました。相談に乗ってもらって」

「いいのいいの。あーでも、祖師谷さんとはちゃんと話しときなよ? 結構凹んでたからさ」

「う、お姉ちゃんには悪い事をしてしまいました……」

「あと、この後はどうする? あたしは『CiRCLE』に戻るつもりだけど、今日は休む?」

「いえ、行きます。お姉ちゃんに、お土産話をいーっぱい持って帰らないといけませんから!」

 

 元気を取り戻したコウは胸の前で拳をつくって、ふんすと意気込む。それを見た美咲は、思わず例の四文字を口にしかけたが、今回ばかりは努めてそれを我慢し、扉を開けた。

 果たして、そこには不安げな顔の優の姿。しかし、部屋から二人が出てきたのを目にすると、途端に表情を転がして詰め寄ってきた。

 

「うわあああああああああん!!」

「ぴぇっ!?」

 

 言いたい事も色々とあっただろうに、先行してきた叫びを上げながら優が飛びつく。ただし、今回の目標は美咲ではなかった。

 その勢いのまま弟を床に押し倒した優は、ただただ泣きながら胸に顔を擦りつけていた。

 

「お姉ちゃん、ごめんね。ひどい事言っちゃって……」

「ううん、いいの。いいのよ」

 

 初めての仲違いからの仲直り。感動のシーンは家族水入らずであるべきだろうと、美咲はそっとその場を離れた。それに、今から彼女に同行するのなら着替えなども必要で、少々の時間がかかるであろうから。

 行きに通った道を思い出しながら、美咲は玄関へと向かう。屋敷自体は冗談じゃなく広いが、幸い部屋へのルートは単調で、迷うことなく目的地に辿り着いた。

 

(家の中はちょっと落ち着かないし、門の前で待って――あ」

「む?」

 

 門の前で待っていようと美咲が玄関扉に手を掛けようとすると、それは彼女の手を借りる事なく独りでに開く。そして、美咲は今丁度外から入ってきた人物と対面することになった。

 

「なんだね、君は」

 

 先に声を発したのは対面相手、祖師谷家現当主の博則。彼は皺の深いその顔で、少々威圧的に問うた。

 

「あ、どうも。祖師谷さんの――じゃややこしいか。優さんのお父様でしょうか? (わたくし)、友人の奥沢美咲といいます。お邪魔しています……っていっても、今から帰るとこなんですが」

「友人……。なるほど、君が例の協力者というやつか」

「あー、確信はないですけど、多分そうだと思います」

 

 美咲が答えると、博則は顎に手を当てて彼女の事をじっと観察するように見詰める。一か二秒程度ならどうという事はなかったが、そこを超えたあたりで美咲は『あの』と声を掛けた。

 

「失礼、不躾だった。協力者というのが、どんな人物なのか気になってな」

「いえ、別に構いませんが……」

 

 博則はきちんと一度座り込んで、靴を脱ぎ揃える。段差を上がり、そのまま家の奥へ消えていくかと思われたが、その足が一歩を踏み出したところで止まり、美咲の方へ振り返った。

 

「協力しているという事は、君もあいつの現状を不幸せだと思っているのか?」

「不幸せかどうか……。それを決めるのって、たぶん本人なんじゃないでしょうか。どんなに過酷な状況でも、本人が幸せだと感じてるんだったらそれでいいんじゃ、って思いますし」

「……ほう」

「ただ、まぁ。そういうのを無視して自分の意見を言わせてもらいますと、初めて会った時のあの子は少なくとも幸せだと感じてるようには見えませんでした……かね」

「そうか」

 

 美咲の吐露を聞いた博則は、それだけ短く言うと。後は黙って、歩いて行ってしまった。

 

「あれが、コウくんのお父さんか……」

 

 震える指先を抑えながら、美咲は呟く。彼女の覚えている限り、ここ最近では間違いなく最も緊張した時間だった。

改行具合、どのように感じましたか?

  • 地の文間もっと開けた方がいい
  • セリフ間もっと開けた方が
  • 上記二つとも
  • 特に問題ない

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