びじょとやじゅう   作:彩守 露水

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・カルトン……レジにあるお金をいれる小さいトレイ。偶にモジャモジャが敷かれている

・イートイン……店内に設けられた買ったものを食べる場。最近コンビニに増えてきた


第2話「未知の地元」

「~~♪ ~~♪」

 

 休日故に騒がしく賑やかな商店街。そんな中を、上機嫌を携えて一人の少女が歩いていた。

 

「あら、沙綾ちゃんじゃない。おはようさん」

「あ、下田さん。こんにちは。もうおはようって時間じゃないですよ」

 

 彼女の名前は山吹沙綾。この商店街の一角でやまぶきベーカリーという名のパン屋を営む家族の一人娘である。

 

「買い物かい? 偉いねぇ」

「そんなこと……全然普通ですよ、普通」

 

 そんな彼女に話しかけている朗らかな女性は、この場所の古参といってもいい青果店の店主だ。沙綾も小さな頃からよくお世話になっている店だった。

 

「そんなこと言って。ほら、持っていきな」

 

 そう言って店主が何かを沙綾の手元へ放る。受け取って手を開くと、そこにあったのは真っ赤に熟れたリンゴ。

 

「わっとと……ありがとうございます。夜にでもみんなでいただきますね」

「まだまだご贔屓ねー!」

 

 いただけません、なんて言葉から始まる言い合いは無かった。ご近所さんとして、商店街を共に形作る仲間として、長い付き合いの沙綾にはそれが求められていない事が十分わかっていたから。

 

「~~♪ あ、そうだ、はぐみのとこのコロッケでも買って帰ろうか。おかずが魚だけじゃちょっと淋しいし……うん、そうしよう」

 

 先の青果店を背に帰路をなぞっている途中、右手に掛けたエコバッグの中を見て、沙綾はそんな事を考えついた。

 はぐみ、とは彼女のクラスメイトで友達である北沢はぐみ、なる人物のことだ。その実家は北沢精肉店という名で、沙綾の家の丁度対角に当たる位置に店を開いている。業種はあくまで精肉店であり揚げ物を専門に取り扱う店という訳ではないのだが、仮にそうだと言われてもなんら違和感のないコロッケは、彼女自身を含む家族みんなの好物だった。

 

(んー、どうせなら豚肉も一緒に買っとこうかな? 明後日は肉巻きでも……ん?)

 

 考え事をしながら足を進め、目的地の北沢精肉店へ到着した時、沙綾はあるものを見て首を傾げた。

 

(あの子、どうしたんだろう……?)

 

 視界の端、彼女の(うち)であるやまぶきベーカリーの前で何やら俯いてブツブツと何かを唱えている少年が。何かに困っているのか、それとも体調がすぐれないのか。彼の状況は、離れている彼女には正確には解らなかったが……。

 

(まぁ、なんにせよだよね)

 

 お客様を放っておく事は出来ない。そう意気込んで、沙綾はコロッケの事を後回しに少年の方へ歩み寄った。

 

「お客さん?」

「ひぁっ!?」

「わっ!」

 

 真後ろまで移動した沙綾が声を掛けると、少年は飛び跳ねて可愛らしい悲鳴を上げた。彼女としてもまさか叫ばれるとは思っておらず、連鎖が起こってしまった。

 

「えっ……あ、え……」

 

 更に、少年の方はどうやら驚きのあまり呼吸がうまくできていないようで、目を見開き口をパクパクとさせていた。

 

「ちょ、ちょっと、大丈夫!? はい、深呼吸してー……はい、もういっかい」

 

 そんな少年を落ち着かせる為背をさすってやる沙綾は、その間に目の前の子どもの姿を観察した。

 身長は沙綾より大分低く、恐らくは百四十センチあるかないか。髪色は混じりっけの無い綺麗な白で、赤く澄んだ両目のその淵には今にも落っこちそうな雫がなんとか留まっている。それほどびっくりしたという事だろう。

 

「……ふー、ふー」

「どう、落ち着いた?」

 

 十秒程さすり続けてやれば少年は段々と落ち着きを取り戻し、数回言葉を交わして、沙綾は彼を店へと引き入れた。

 

「いらっしゃいま――あら? おかえり、と……いらっしゃいませ?」

「ん、ただいま、母さん。レジ代わるよ。奥で休んでてね」

 

 二人が扉を潜って初めに出迎えてくれたのは、沙綾の母親、山吹千紘。しかし、その最後には疑問符を添えられていた。お客だと思えば娘……だと思えばやっぱりお客で、しかも娘も一緒という飲み込みにくい状況を鑑みれば当然の事だが。

 沙綾は、体の弱い母を奥へやり、買ったものを冷蔵庫にしまう。そしてカウンターへ入り、エプロンの紐をうなじの辺りで結びながら、少年へと問いかけた。

 

「どう、何にするか決まった?」

「あ、いえ、あの……色々あって迷っちゃって……」

 

 そう答えた彼のトレイには言葉通り何も乗せられておらず、役目は果たせていないトングは手の内でしょんぼりとしている気がした。本人曰く、彼はパン屋を利用すること自体が初めてらしく、トレイとトングを使うことさえ、沙綾が直接それらを手渡すまでわかっていなかったくらいだ。いわんや、即座に買う物を決めることなど、どだい不可能であった。

 

「んー、そうだなぁ。君はさ、食べる方かな?」

「え? うーん、どうでしょう。多分そんな事は無いと思うんですけど……」

 

 沙綾の問いかけに、比較のかなうほど他人と食事を共にした経験のない彼は、その返答を曖昧に濁した。

 ふむふむ、そっかー。そう呟き、彼女は再度レジから出て少年の隣にかがむ。

 

「よかったらさ、選んであげようか?」

「本当ですか? 是非、お願いします」

「うんうん、お姉ちゃんに任せなさい」

(んー……)

 

 沙綾は少年を横目で見ながら、どんなパンを選ぶべきかと考える。

 

(この子……小学校の中か高学年くらいかな? なら、あれだよね。ウィンナーとかカレーとか好きな感じでしょ、多分。あとは一応――)

 

 最後に甘い系のパンが一つ、トレイへと積まれる。完全な彼女の独断と偏見による、しかし同時にほとんどはずれる事の無いラインナップが出来上がった。

 

「こんな感じ、かな。どう、無理なものとか入ってない?」

「えっと……はい、多分ですけど」

「ん、よかった。じゃあ、お会計ね」

 

 レジに入り、パンをまとめて袋に詰める。沙綾は慣れた手つきで袋を留めるところまでを終え、よし、とカルトンへ視線を落とす。

 

「――え?」

 

そして、顔を強張らせた。

 

「……? どうかしましたか?」

「あ、あぁ、ううん、何でもないよ」

 

 様子がおかしい沙綾に、少年が小首を傾げる。沙綾が驚いた原因は彼にあるのだが、それに何かを感じたのは彼女だけだったようだ。

 

(いや、別におかしい事じゃないんだけど……)

 

 心の中で唸りながら、その原因――ピカピカの一万円札を手に取った。

 パンの支払いが万札で済まされることは別段珍しい事ではない。多ければ日に何度かある程である。加えて、少年がそんな大金を持っている事も理論的には無問題だ。

 だから、何もおかしい点は無い。ただただ、意外だったというだけ。

 

「はい、一万円お預かりします」

 

 とは言っても、店側にお客様の事情に踏みこむ権利などありはしない。沙綾は、何でもない風でお釣りを手渡した。

 

「……あ、あの」

「ん? どうしたの?」

 

 お釣りとパンを受け取った少年が遠慮がちに沙綾へ話しかける。

 

「えっと、この辺りに何処かこれを食べれる場所はないでしょうか?」

「え、食べれる場所? うーん……」

 

 初めてされる類の質問に沙綾は頭を捻る。残念ながら、ここやまぶきベーカリーにイートインは設けられていなかった。

 

「うーん……あ、そうだ!」

 

 そして、しばらくウンウンと考えていた沙綾だが、どうやら答えを思いついたらしい。

 

「えっとね、店を出て左側にずっと真っ直ぐ行って突き当たりを曲がって、最初の右側にある脇道をずっと行くと、大きい公園があるんだ。確かベンチとかもあったと思うし、そことかいいんじゃないかな?」

「店を出て左側にずっと……突き当たりを……。わかりました、そこへ行ってみます。何から何まで、その、ありがとうございました」

「いいいのいいの。また来てね。うちのパン、きっと気に入ってくれると思うから」

「また……。はい、そうです、ね。もし来られる機会があれば、必ず」

 

 沙綾の発した何気ない『また』という言葉。何故だかそこを噛み締めるように復唱したのち、何か含みのある言葉を置いて、少年は店を出ていった。

 

「ふぅー。なんだかちょっとおかしな子だっ――ん?」

 

 独りになった店内で、グッと伸びをした沙綾は今まさに窓の外を進んでいる少年を見て何かに気づく。

 

「んー、んんー……むむむ?」

 

 それを確かめる為、指で四角を作り彼の顔へ合わせる。そうして切り取られた彼の横顔に、沙綾はポツリとこう零した。

 

「――優?」

 

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  • 地の文間もっと開けた方がいい
  • セリフ間もっと開けた方が
  • 上記二つとも
  • 特に問題ない

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