「いや、ほんっとに申し訳ない!」
有咲が、心の底からの声で謝る。現在、窓の外の二人を加えて、美咲たちは五人でテーブルを囲む事態になっていた。
「あ、有咲ちゃん、顔を上げてよ。別に謝る事なんて何もないから」
「そうだよ、有咲。さっきから何で謝ってるの?」
「うるせぇ! お前はちょっとの間黙ってろ!」
花音に便乗して口を出す香澄を有咲は軽く
「ったく、沙綾のやつ。何が『羽沢珈琲店に行くと良い事あるかも?』だよ……」
小声で有咲が何かを呟いたようだが、生憎、それは誰の耳にも届かなかった。
「ところで珍しい組み合わせですね? 美咲ちゃんとは最近話してたけど、優は花音先輩とも面識あったんだ?」
「あぁ、えっと、まぁ……」
「……優?」
ずばずばと直球に素朴な疑問を投げかける香澄に、返ってくるのは言葉少なな回答だけ。というよりその本人は、口より頭を全力で動かしていて、そんな余裕がなかった。
(えっと、えっと……)
「あぁうん、それは後で説明するとして。あたしたちは見ての通りお茶してたんだけど、戸山さんたちは?」
「私たち? 私たちは人を探してたの。あ、そうだ! 美咲ちゃんに優に花音先輩、これに見覚えありませんか?」
美咲の助け船によって危機は遅延される。返しの質問に対し、香澄は答えながら鞄からある物を取り出した。
「うーん、あたしは無いかなぁ。結構何処にでもありそうなは感じするけどね」
「私も、見た事ないかも」
それは一つの財布だった。丸ではなく長方形のもので、外から見ても分かるくらいにパンパンに膨らんでいる。
(……うーん)
美咲と花音の二人はそれを即座に見たことがないと否定したが、唯一
(僕のではないけど、ちょっとだけ見覚えがあるような、ないような……)
「これ落とし物なんです。丁度優くらいの身長の白い髪の男の子のなんですけど。先週の日曜日にこの辺りにいたみたいなんで、今週もいるかなーって思って探してたんですけど、なかなか見つからなくて」
「あ……」
その香澄の説明で、彼の心の中のもやもやがピンッと一つの答えに収束した。その財布は確かに彼の物ではないが、彼が持っていたものだった。
家を放り出される前に持たされ、帰ってくる頃にはいつの間にか消えていて、そのまま記憶からも消えてしまった物。公園で香澄から逃げ出してしまった時に、置いてきてしまったのだろうと、一般人からすれば重大すぎる事実に彼は今更辿り着いたのだった。
その幸の様子を目敏く感じ取ったらしい隣の美咲が、そっと顔を寄せて小声で尋ねる。
「もしかしてあれ、コウくんの?」
「はい……」
「そっか」
それっきり、美咲は顎に手をやって考え込む仕草で黙りこくってしまった。
(財布がコウくんの。ってことは二人の探し人はコウくんって事になって、それを抜きにしても今二人はコウくんを完全に祖師谷さんだと思い込んでるだろうし、それを誤魔化しながら財布の事も……)
「……もう言っちゃうか?」
「えっ?」
急に静かになった美咲が、これまた急にそんな事を呟き、幸は疑問符を浮かべた。
「いや、もう無理じゃない? この場を切り抜けるだけでもすごい大変だし、その上財布の事も絡んでくるし、あと市ヶ谷さんさっきからすごいこっち見てるし、もう全部吐いちゃった方がいいのかなって」
「……でも」
「それにもう他のバンドには全部バラしてるし、もともとポピパも次に合同練習があった時に言うって予定だったから、ちょっと時期が早くなっただけって考えれば……」
「……確かに?」
「大丈夫、もし祖師谷さんが納得してくれなくても責任は私がとるから」
「いえ、お姉ちゃんならきっとわかってくれると思います」
「ん、かもね。……よし、戸山さん、市ヶ谷さん、ちょっといいかな?」
「なになに、美咲ちゃん?」
ヒソヒソと、小声での相談を完了させた美咲は前方の二人に呼びかけた。話している姿をずっと怪訝そうに見つめていた有咲に、相手があたふたしているのもお構いなしに花音に言葉を連射していた香澄。両者の顔が正反対な表情で、美咲の方へ目を向ける。
(さて、どう説明すれば一番すんなりいくかな……? いや、それよりまずは)
「今から結構びっくりな事言うけど、驚いて大声出すとか勘弁してね。一応、ここお店だから」
「……? うん、わかった」
(うわ、不安だ)
これから起こるだろう事態を見越して予め忠告をした美咲に、香澄は迷いなく頷く。だが、その様子に彼女はそこはかとない不安を感じ、有咲の方にだけ追加で『よろしく』とアイコンタクトを送った。吐きだされた溜め息は『しゃーねーなぁ』という言葉の代替に思えた。
「えーっと、まず、祖師谷さん――じゃ分かりにくいし、ここはもう優って呼んじゃおうか。優の家族、というか兄弟構成は知ってる?」
「んー、そういえば知らないなぁ。有咲は?」
「私も。沙綾とかりみとかのなら知ってるけど」
「そっか。優には下が一人いるんだけど……はい、こちらがその弟になります」
「ど、どうも。祖師谷コウと申します。いつもお姉ちゃんがお世話になっています」
その気になれば色々と前置きをすることもできたが、美咲は敢えて速攻を仕掛けた。まるで商品紹介でもするかのような手ぶりに合わせて幸が自己紹介をすると、香澄と有咲は一度顔を見合わせた後、幸へと視線を戻した。
「……ん? んー、んんん……ええええ――むぐっ!?」
(市ヶ谷さん、ナイス!)
右に、左に、またまた右に。繰り返し何度か首を捻った末に、香澄は驚きの声を上げ、その瞬間に隣から伸びてきた手に口を塞がれた。
「お前なぁ、言われたばっかの事をすぐに忘れんなよ。……まぁ、気持ちはわかるけど」
友人の行動に呆れながら、有咲は目の前の『優の弟』を名乗る人物を観察した。
パッと見では彼女にも、完全に友人である優だ。目鼻立ちなどに小さな違いがあるような感じはするが、それも表情による変化の範疇だと思える程度。
「ううん……?」
「多分、市ヶ谷さんが今疑問に思ってるだろう事を、先に答えちゃうとね……弟だよ。妹と聞き間違えたとかじゃなくて」
「……まじ?」
「まじもまじ。それから、これ聞いて更に疑問が浮かんだだろうけど、なんで女の恰好してるのか、っていうのには深い事情があってね……」
「いや、思ったけどさ……。なに、奥沢さんエスパー?」
もう何回もしたやりとりですから、とは言わず美咲は幸の置かれている状況を説明した。例の如く、テストの代行や優のお願いの件は伏せて、概要だけを。それを聞いた二人は、きっと驚きやら何やらもあったのだろうが、真っ先に飛び出したのは納得を示す言葉だった。
「最近優と美咲ちゃんが一緒にいたのは、それだったんだね」
「本人は最初は戸山さんたちに相談するつもりだったらしいんだけど……ごめんね、なんか成り行きでこっちが抱えちゃって」
「ううん、理由がわかってすっきりした!」
「ちなみに、探してるって言う財布の持ち主もコウくんだよ」
「あ、そういえば、確かに優と色々似てた気がする」
この公共の場で突然ウィッグを取る訳にもいかないので、ここではそのまま。香澄は親指と人差し指で小さく円を作って、幸の顔に縁を合わせて覗きこむ。視界から首下の髪が切り取られた。
「ほんとだ! 先週の公園の子!」
「ど、どうも。先週はえっと、戸山さんから急に逃げてしまってその……すいませんでした」
「いいよいいよ。よくわかんないけど、有咲が私が悪いって言ってたから。それより、はい、お財布!」
「ありがとうございます」
「もう落としちゃ駄目だよ?」
香澄の手から、財布を幸は受けとる。すると、そこでつぐみが皿とカップのいっぱいに乗ったトレイを持って、現れた。
「おまたせしましたー!」
コトリ、コトリ、と五人の前へ順番にケーキを置いていく。ちなみに、香澄はチョコケーキと紅茶、有咲は抹茶のケーキとコーヒーを注文していた。
「おぉ、来た来た! じゃあさっそく、いただきまーす」
「ちょっと待てえ!」
それなりに重大な話をしていたはずなのだが、どうやら香澄にとってはケーキの方が重要な存在ならしい。話の流れを断ち切り食器に手を伸ばした香澄は、しかし有咲に怒鳴られてその動きを止めた。
「食べる前に、ちゃんと手洗ってこい」
「えー、お手拭きじゃ駄目?」
「駄目だ。ちゃんと洗ってこい」
「……はーい」
一度だけ駄々が通らないか試してみた香澄だが、すげなくそれは一蹴され、彼女は渋々お手洗いへと歩いて行った。
「市ヶ谷さんはいいんだ?」
「私は公園の水場で一回洗ってるから、お手拭きで充分。それにあいつ、公園でベンチとか色々触ってたし。ったく、石なんか持ち上げても、そんな所にいる訳ないのにさぁ」
ほんとしょうがないやつだよ、とぼやく有咲は、言っている内容の割に軽い笑みを浮かべている。その様子を見て、美咲は数日前に沙綾と電話で話した事を思い出した。
「市ヶ谷さん、本当に戸山さんのこと好きだよね」
「は、はぁ!? 奥沢さん急に何言っちゃってんの!? べ、別に香澄の事なんて……いや、普通に友達としては好きだけど、そんだけだし! 普通だし! 普通だし!?」
「おおう、市ヶ谷さん落ち着いて。どうどう」
息を乱す程の長い言い訳をなんと一息で言いきってみせた有咲。その慌てぶりを見ていると美咲は、沙綾が普段から有咲をからかってしまう気持ちが、なんとなく理解できてしまった。
「市ヶ谷さん、信じられないくらい嘘下手だよね」
「はぁ、はぁ……それ、沙綾にもたまにも言われるんだけどよ、そんなにか?」
「声上ずってるし、急に舌が回るし、聞いても無い事言いまくるし、なんていうかもうね……」
「だ、大丈夫だよ有咲ちゃん。私もよく千聖ちゃんによく嘘が下手だ、って言われるから!」
おそらく花音としてはフォローのつもりなのだろうが、残念な事にまったくそうなってはいない。
有咲はどうにか平静をとり戻し、初めて幸へ話しかけた。きっと、バツの悪いこの流れを変えたかったのかもしれない。
「コウ、だっけ? 私の勘違いかもしんないんだけどさ……月曜、学校来てなかった?」
「え、えぇ!? い、市ヶ谷さんは何を仰っているのでしょう!? 確かに僕はお姉ちゃんの恰好してますけど、別に代わりにテストを受けたりしてませんよ!?」
つい最近秘密にしていこう、と美咲との間で決めた事をいきなり指摘され、幸はおおいに狼狽した。その様子は、まるで先程の有咲を鏡に映したようで……。
「あ、なるほど。すげーわかりやすいわ、これは」
「でしょ?」
未だ一人ふためいている少年を見て、二人は破顔した。
「にしても、よくわかったね?」
「んー、まぁあの日の優はなんかおかしかったしなぁ。ってか、何で入れ替わって学校に――いや、あれか。月曜っていうとテストがあった日か」
「ご名答。けど、できれば秘密にしておいてほしいかな」
「あぁ、それは別にいいんだけどさ……それでも普通、弟に受けさせるか? 兄とかならともかく」
「それね、この子実は結構頭良いみたくて。聞いた話だと、もう高校の範囲は全部できるらしいよ?」
「……まじ?」
「ただいまー! あれ、何の話してたの?」
そこで、お手洗いから香澄が戻ってきた。石鹸まで使ってピカピカに洗ってきたのだろう、手からは水滴がポタポタと垂れている。
「おい、ちゃんと手洗うのは良いけど、ちゃんと拭いてもこいよ。店に迷惑掛かるだろうが」
「えへへ、ごめんごめん。それよりもう食べていいよね? いただきまーす!」
『いただきます』
香澄を先陣に、皆が手を合わせる。
(危ない橋だったけど、なんだかんだ大丈夫でよかったよかった)
チーズケーキの重厚な甘みが、舌を通して疲れた心にまで染み渡るような感覚がした。
最近気づいたんですが『山吹ベーカリー』じゃなくて『やまぶきベーカリー』なんですね。修正箇所がいっぱいだぁ!?
あと、主人公の名前の表記が混合して出てきますが仕様です。何か気付いたり、予想がついたりしても、できれば胸の内にとどめてくださるよう、お願いします。
改行具合、どのように感じましたか?
-
地の文間もっと開けた方がいい
-
セリフ間もっと開けた方が
-
上記二つとも
-
特に問題ない