びじょとやじゅう   作:彩守 露水

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第25話「花音の欠点」

「ありがとうございましたー!」

 

 つぐみの声を背に受けて、五人は店を出る。普段あまり話さない組み合わせで、なおかつ店がそれ程混み合わなかった事もあり、かなりの長居をしてしまった。

 

「いやぁ、あたしカフェにこんなに居たの初めてです」

「うん、つい話しこんじゃったね」

「楽しかったですね」

 

 幸と出会った事で今日一日の予定がまっさらになってしまった香澄と有咲の二人は、そのままやまぶきベーカリーへ向かった。より厳密にいえば、若干頬を引きつらせた有咲が香澄の手を引いて店に突撃をしていった、だろうか。彼女は『一言言ってやる』と気張っている様子だったが、先程の事も相まって、美咲には逆に手玉に取られている未来が容易に想像できた。

 

「さーて、今からどうしますかね」

 

 店の邪魔にならないように、ひとまず商店街をあてなく歩きながら、美咲は言った。

 三人がおよそ一時に羽沢珈琲店に着いてから一時間半が経ち、現在の時刻は二時半。解散とするには少し早く、かといってあまり大きな目的を持つには遅い微妙な時間だ。

 

「よかったらなんだけど、水族館に行ってみない?」

 

 美咲の言葉に、花音はすぐさまそんな提案をした。というより、そのはやさは初めからそういう計画だったように思える。

 

「水族館……最近暑いですし、涼しそうでいいですね。あ……けど、時間平気ですかね? 水族館ってあんまり行かないから、よくわかんなくて」

「うん、私は結構行くけど、だいたい二時間くらいあれば一通りは見て回れる感じ、かな」

「あー、なら大丈夫ですね」

 

 美咲の知る限り、この周辺では水族館は一つしかなく、そこまで電車で約十五分ほど。花音からの情報を加えて考えても、遅くなりすぎるという事は無さそうだった。

 

「じゃあ私に付いてきてね?」

「……大丈夫、ですよね?」

「い、行き慣れてるから平気だよ! ……多分」

 

 若干の不安を胸の内に、二人は花音の後に続いた。

 

 

 

「つ、疲れたぁ……」

 

 新たな目的を掲げてからおよそ三十分後。三人の姿は水族館の最寄り駅にあった。ただ、内一人は今にも疲労で倒れそうになっていたが。

 

「ご、ごめんね、美咲ちゃん」

「うぅ、ごめんなさい、美咲さん」

 

 幸が初めての電車に切符を買うのに手間取り、そのフォローを美咲がしている間に、今度は花音が駅内で行方不明になったり。そんな風に一悶着も二悶着もあり、当初の予定の倍近い時間が掛かってしまった。

 

「いや、花音さんが無事でよかったです。さ、行きましょうか」

 

 美咲は放っておけば永遠に謝罪を繰り返していそうな二人を落ち着かせて、ついでに自分も乱れた呼吸も落ち着けせる。見上げれば、水族館のその大きな姿が自然と目に入り、三人は足を踏み出した。

 

 いざその傍まで寄ってみると、その建物は見上げる首が痛くなる大きさだった。チケット売り場では恥ずかしさこそありながらも、同じ轍を踏まない為に、しっかりと三人で手を握り合いながら入場券を買い、並んでいる間もそれは同様。順番が回ってくるまでの間、暑い中ひと時も手を離さない三人は、少しばかりの好奇の視線に曝されていた。

 

「確認できました。では、いってらっしゃいませ!」

 

 三枚の入場券をまとめてスタッフに渡し、確認を経て彼女らは水族館内部に足を踏み入れる。通路を少し進み角を曲がると、三人の眼前ににわかに『青』が広がった。

 

「……わぁ」

「おぉー」

 

 幸は初めて見る光景に、美咲はその壮大さに、感嘆の声を意図せず漏らした。唯一、ここに来慣れていると語っていた花音だけは平静を保っており、むしろその横で呆気にとられている二人の様子を楽しんでいるようだった。

 

「すごい……とっても綺麗です」

「圧巻、だね」

「えへへ、そうでしょ?」

 

 目の前の巨大な水槽には大から小まで、様々な大きさ、種類の魚が悠々と泳ぎ回っており、幻想的な光景を作り出していた。特に、こういったものを初めて目にした幸の心には、その魅力がよく沁みた。

 深く印象を残す為、一番インパクトのあるものを最初に持ってくるのはよく使われる手法だが、それは見事に効果を(ふる)っていた。

 

「……コウくん? そろそろ進むよ」

 

 五分ほど、ガラスに鼻が着くほどの近さで幸は水槽に張り付いていた。まるで瞬きによって暗転するたったの一瞬さえも惜しいとばかりに、目をいっぱいに開いて。

 美咲としても、この光景はいつまでも見ていられる魅力があると思ったが、ただでさえ電車関係で時間をロスしているのだ。時間は押し気味であり、ずっとここにいる訳にはいかない。

 後ろ髪を引かれる思いで幸がその場を移動すると、次に現れたのは、先程のものとは打って変わって小箱サイズの小さな水槽の数々。そのそれぞれの縁には、中に居る魚の名前と簡単な説明が記されており、それが彼の興味を更に刺激した。しかし……。

 

「……ん、んー!」

 

 様々な高さに位置する水槽の内、高所のものを、幸は身長の問題で覗けないでいた。どうにか届かないかと必死につま先立ちをするが、それでもなお高さが足りていない。

 

「……んー……よし。はい、ちょっと後ろから失礼しますよっと」

 

 それを美咲はすぐさま手助けする事なく、たっぷり可愛い姿を目に焼き付けてから、救いの手を差し伸べた。一度姿勢を低くし、右手を幸の身体と腕の間に差し込み、回す。そして、今度は左手をお尻のあたりに添えると、ぐっと自分の方へ体重を寄せるように抱き上げる。普段から取り回しのきかないキグルミを着て、はぐみのタックルを受け止めたり逆に抱きかかえたりしている美咲からすれば、それより遥かに小さく、軽い身体を持ち上げることなど、造作もない事だった。

 

「わっ、美咲さん!?」

「ちょっと暴れないでよ。上の方見えなかったんでしょ?」

 

 美咲の突然の行動に幸は驚いたが、その理由がわかると、恥じらいを一旦脇に、素直に水槽の中を見つめた。

 

「……ふぅ。美咲さん、ありがとうございます」

「…………」

「……美咲さん?」

 

 その中身をじっくりと堪能し満足した幸が、もういい、と美咲に告げるが、視界は下がらない。どころか、彼は自分の身体に回された手に入る力が増した感覚さえした。

 

「美咲さん?」

「……はっ! ごめん、ボーッとしてた」

 

 再度呼びかけることで、彼女はようやく我を取り戻し、幸のことを下ろす。美咲が放心した状態になる事は珍しく、彼は心配をした。

 

「大丈夫ですか?」

「うん、ちょっと考え事してただけだから」

 

 だが美咲はそう言って、更に進む事を提案した。ところどころ、小さな水槽が壁に現れる度に足を止めながら、三人は進む。そして三叉路に差し掛かったところで、彼女らは一度完全に立ち止まった。

 

「次どこいきますか?」

 

 入り口で配布されたパンフレットを開いて、次なる目的地を相談する。

 

「あ、私くらげを見に行きたいなって思うんだけど……」

「好きですね、くらげ。そうしましょうか」

 

 花音のくらげ好きは以前から公言を憚らず、美咲も知るところであった。一度、好きの意味を取り違えたこころが花音にくらげアイスをご馳走して、微妙な顔をするという事件があって、よく記憶に残っている。

 三つの内、右の通路を進んでいくと、ただでさえ淡かった電灯が光量を下げ、どんどん暗くなっていく。そのまま歩いていくと、お目当ての生物は、やがてそのゆったりとした姿を見せた。

 そこは落ち着いた雰囲気の場所だった。カラフルな訳でもない統一された青白い光で照らしだされた水槽の数々では、たくさんのくらげが意思なさげにゆらゆらとたゆたっている。

 

「わぁ……なんというか、さっきとは違うベクトルなんですけど、綺麗です」

「だよね、えへへ」

 

 初めの大水槽のように壮大さこそないが、こちらの持つ魅力も深く幸の心を打った。自分の好きなものを褒められて、花音もとても嬉しそうだ。

 

「すいません、あたしちょっとお手洗いに……」

 

 三人でしばらくくらげを見ていた途中、美咲は尿意を感じて用を足しに行く、と二人に伝えた。その上で、耳元に顔を近づけて幸にだけ追加でこう伝えた。

 

「コウくん、花音さんの事よろしくね。ちゃんと手握って、迷子にならないよう。お願い」

「わ、わかりました……!」

 

 そう彼が意気込むのを確認して、美咲はトイレに向かう。

 この時、きっと彼女は油断していた。一人でも傍に誰かが付いていれば、いくら花音が方向音痴でも勝手にいなくなる事はないだろう、と。

 

「……いない」

 

 だが、お手洗いから戻って、そこから二人がいなくなっているという事実に直面して、美咲は少し前の自分の判断を後悔した。

 彼女には、もう嫌になるほど実体験で理解している事だが、幸は気が弱い。それも、恐ろしく、と初めにつけてしかるべきなほどに。もし花音に付いていたのが自分ならば、絶対に迷子を阻止できたという自信が美咲にはあったが、幸の場合はそうはいかなかったようだ。きっと、無意識のうちに移動する花音を止める事も出来ずに、そのままずるずると引っ付いていってしまったのだろう。

 美咲は一度深呼吸をして、携帯を取り出した。静けさも雰囲気の一端を担っているこのコーナーで電話をするわけにもいかず、『ROW』を使って連絡を図る。送ったメッセージにはすぐ返信がされ、二人は今ペンギンのコーナーにいることが分かった。

 

「……ふぅ」

 

 美咲は安堵の息を吐く。よく考えればそう慌てることでもなかったな、と。そもそも、迷子とは非常事態という括りの中では断然軽い部類に入るもの。場所が雪山や無人島であったり、何かの間違いで動物の脱走が重なったりしない限り、そう大事になるはずがないのだ。

 そのまま、こまめにメッセージでやりとりをしながら移動し、三人はほどなく合流を果たすのだった。

改行具合、どのように感じましたか?

  • 地の文間もっと開けた方がいい
  • セリフ間もっと開けた方が
  • 上記二つとも
  • 特に問題ない
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