ガタ……ガタ、と。六人の乗る車が、振動を不定期に繰り返す。きっとタイヤに何か仕込まれてでもいるのだろう、普通のものよりその揺れは小さい。
美咲の目の前に広がる現状。その原因の大部分は今日一日の疲労にあるのだろうが、きっとその事も一枚噛んでいるに違いなかった。
「……静か、ですね」
「さもありなん……元気あふれるお姫様たちがおねむなようだからね」
海から帰っている途中、今この場にて意識のはっきりしているのは美咲と薫の二人だけだった。
こころは座席を広く使ってのびのびと寝っ転がり、はぐみと花音は薫の両肩へ頭を預け、そして、幸は美咲の腿を最高の枕にして、安らかな寝顔を晒している。ただし、自然とそうなった前三者と違い、ただ一人幸の状況だけは人為的に作られたものだが。
「
「おっと、私とした事が……。ここにいるのはかわいいかわいい子猫ちゃんだったね」
外からの雑音がまったく届かない静かな車内。膝元に広がる髪を優しく梳きながら、美咲は視線は下のまま、意識だけを向けて箱の隅をつついた。隠すべき相手が皆眠っているからか、薫は少しも誤魔化すような素振りは見せなかった。
「薫さん、何で怪盗の振りなんてしてたの? ……や、別にどうしても聞きたいってわけでもないんだけどさ」
「残念だけど、語れないような深い事情がある訳ではないんだ。ただ、船に乗る直前、こころたちを楽しませるために一芝居打ってくれないか、と頼まれたのさ」
「なるほど、ね。ま、大方予想通りですけど」
「……んぅ。美咲……さ、ん?」
「大丈夫、まだ着かないからもう少し寝てなよ。疲れたでしょ」
「は、い……」
話しながら、髪を触りすぎたのか。幸は薄く目を開いたが、美咲が優しく声を掛けてやると、再びトロンと瞼を落とす。今度は起こしてしまわないよう、彼女は髪を諦め、手をそっと握ってやるに留めた。
「美咲は、随分とコウの事を気に掛けているようだね」
「そう、見えます?」
「……あぁ」
その短い言葉を最後に、薫は口を閉ざした。
眠ったわけではない。ただただ、儚げな表情をして窓の外を流れていく景色を眺めている。
ハロハピが全員集まった上での静かな時間は、まるで天然記念物のように貴重で。こんなのもたまには悪くない、なんて小さく呟いて、美咲は自分の意識が沈み始めたのを、おぼろげに感じた。
――――――
「…………?」
ぼんやりとした意識の中、何か体の外側から力が加えられる感覚がして、幸は目を覚ました。
光の方々へ伸びた視界を、数度目元を擦る事で正常に戻すと、そこではここ数日ですっかり見慣れてしまった一人の少女が、自分の顔を覗き込んでいた。
「……おはよう、ございます?」
「ん、おはよう。着いたよ、コウくん」
目を覚ました時点で、自分の真上に誰かの顔がある事は普通あり得ないのだが、まだ頭の働いていない彼は、何の疑問も持たずにゆっくりと上体を起こす。
幸が車内を確認すると、こころ一人がシートの上に体を大きく広げて寝ているだけで、そこにはぐみ、薫、花音の姿は既にない。今度は窓の外へ視線をやると、海などはすっかり彼方へ消え失せ、自分の家の立派な門がすぐそこに立っていた。
「ほら、降りるよ」
「あっ……」
スライドしたドアから先に降りた美咲は幸の手を取って歩きだそうとした。が、その瞬間に、背後からちっぽけな抵抗と声を感じ、足が止まる。振り返ってみれば、幸は二人の手の重なった部分に目を落として固まっていた。
「コウくん、どうかした?」
「……い、いえ、ちょっと腰が痛くって」
「そういえば、ちょっと無理な姿勢で寝てたもんね」
「は、はい。そうなんです」
いたたた、と腰をさする幸。だが、その動作にはどことなくぎこちなさがあるように見える。
現在、時刻は午後九時。いくら陽が落ちるのが遅くなる夏だとはいっても、さすがにこの時間となると辺りはすっかり真っ暗だった。
「お、か、え、りー!」
「わっ、お姉ちゃん!?」
そんな闇の中を、一際目立つ白が猛スピードで二人に駆け寄ってくる。いわずもがな、その正体は幸の姉である祖師谷優だ。
いつもの如く、彼女はその勢いのまま弟へ飛びついたのだが……。
「冷たっ!? ……お姉ちゃん、まさか外で待ってたの?
「え……あ、あはは?」
「もう!」
今の今まで快適な車内にいた自分との体温差を感じとって幸が、非難するような視線を向けた。
この姉、以前に足が冷えるから玄関先で待つな、と注意を受けていたくせをして、今度は身体全体の冷える門先で待機するという愚行に走ったらしい。
幸はぷくっと頬を膨らませた。
「だ、だって! 一日ぶりなんだもん! ちょっとでも早く会いたいって思うじゃん!」
「……仕方ないんだから。風邪ひいちゃうし、早く入るよ。美咲さん、今日はありがとうございました」
「お礼ならあたしじゃなくてこころに言いなよ。……って言っても、今は寝ちゃってるか。うん、後で伝えとくよ」
握っていた手を、美咲は名残惜しくも離すと、車内へ戻る。
運転席の黒服は、その様子をバックミラーで確認すると無言でエンジンを入れた。ゆっくりと進みだす車の窓から幸たちを見やると、彼は姉をグイグイと引っ張りながらも、もう一つ手を美咲の方へ、いつまでも振っていた。
――――――
「さーさーさー! お待ちかねよ、お待ちかね!」
「うぅん……お姉ちゃん、ちょっとうるさい……」
通例どおり、幸と共に家へ入った優は彼をお姉ちゃん署に連行する。一日ぶりの事情聴取という事で、いつもに増して騒ぎ立てる優に、幸は煩わしげに文句を垂れた。
「あ、ごめん。そっか、もう九時だもんね。いつもならもう寝るって時間か……いける?」
「うん、さっきまで寝てたから、ちょっとなら……大丈夫だと、思う」
「よし、なら早く始めましょ!」
気の置けない姉相手だとはいえ、温厚な彼の口が少し悪くなっていたのは、眠気も原因の一つであったらしい。
ベッドの淵に並んで腰をかけ、幸はこの二日間でできあがった記憶の層を掘り返した。
「えっと、何処から話そうかな……」
一日目。この長い長い土日の彼の記憶は、朝起きて着ていく服がないと困っている自分に始まる。姉の助けによって待ち合わせ自体には問題なく間にあったが、その解決方法へ彼は未だに不満を持っていた。
「お姉ちゃんのおかげで、その、なんか……すごい優しい目で見られたんだからね! 感謝はしてるけど、もうちょっと何かなかったの?」
「優しい目って……それ別に悪くないんじゃ?」
もっとも、仮に優の案以外で事態を解決していたとすれば、後日に美咲の家から優としてハロハピに同行する事が出来なかったので、結果論的に語るなら最善の策であったのだが。
「それで、それから?」
「その後は確か……ファミレスでお昼ごはんを食べた後に、花音さんのおすすめのカフェに連れてってもらったんだ」
「あー、なるほど。そこで香澄と有咲に会ったわけね」
カフェ、という単語を聞いて、脳内で線のつながった優が声をあげる。
何故、現場にいなかったはずの彼女が知っているかといえば、それは昨日の時点で幸が局所的な報告を行っていたからだ。
優がこの事情聴取を毎日の楽しみにしていることもあり、土産話を潰してしまわないように幸は逐一報告することは控えていた。だが、美咲との相談の末に、香澄と有咲に秘密の共有をした事だけは知らせておくべきだという結論を出していたのだ。
「そのカフェが羽沢さんって方のお店だったんだけどね、ケーキも紅茶もとっても美味しかったの」
「っていうと……あ、確かキーボードを教えてくれたって子よね?」
「うん。羽沢さん、すごく丁寧に教えてくれてね――」
そこからしばし、カフェ内部での出来事が話題を占め続ける。だが、その途中で幸のあくびによって時間が限られている事が思い出され、話は次の段階へ進められた。
「カフェを出た後は、花音さんのおすすめで水族館に行ったんだ」
「水族館……か。結構遠かった気がするんだけど電車で行ったの? ちゃんと乗れた?」
「ちゃんと乗れたかは……ちょっと微妙なところだけど、無事に辿り着けはした、よ?」
「移動するだけで『無事』なんて単語が出てくるのがおかしいと思うんだけど……」
幸の語る内容が、今度はいかに水族館が素晴らしかったか、というものに変わる。その途中にあった花音の迷子事件なども含めて、幸がその場所をおおいに楽しんだだろう事が、優にはしっかりと伝わってきた。
「昨日行った場所はこれくらい、かな。後は美咲さんとお買い物をして、そのまま……えっと、うん。お家に泊まっただけだよ」
「ちょっと、何? 今の間。美咲ちゃんの家で何かあったんでしょ!?」
「べ、別にそんな、何もなかったよ!」
「嘘おっしゃい! さぁ観念して、玄関くぐった瞬間からおねんねの時までの事、ぜーんぶ吐きなさい!」
幸は努めて平静を装って話し、この話題を終わらせようとしたのだが、ほんの少しの不自然さを優は目敏く拾い上げて追求した。噤む弟と割らせに掛かる姉。その小さな戦いは、最終的に優が勝利をもぎ取って幕を閉じた。
「晩ご飯を作ってもらって、一緒に食べて、洗いものして、お風呂入って、歯磨きして……」
「して?」
「……一緒に寝ただけ」
「えぇぇ!?」
した事を列挙していった幸が歯磨きまでを口にして黙る。そして、最後の大事な部分を早口でボソッと呟くと、案の定、優が驚きの声をあげた。
「え、なに!? 一緒に寝たの? うそ、ほんと!?」
「し、仕方ないでしょ! 家族のを使わせていただくわけにもいかないし、お布団もないみたいだったから……」
「それでも他に何かあったでしょ?」
「僕も色々考えたよ……。けど、美咲さん僕をベッドに倒して、ぎゅってして寝ちゃったからどうにもできなくって……」
「……へぇ? 美咲ちゃんの方からだったんだ」
それは、優にとって意外な事実だった。二人が寝床を共にしたと聞いた瞬間、彼女が予測として立てたのは、初めてのお泊まりで不安になった幸が甘えて、もしくは寝ぼけてそのまま、というもの。まさか美咲の方からアクションを起こすとは、優の知る彼女の性格上、考えられなかった。
「あ、でも美咲さん、寝る直前はちょっとズレた受け答えをしてたから、もしかしたら寝ぼけてたのかも……?」
「ふむふむ……。ま、いいわ。一緒に寝ただけで、別に変な事は何もなかったんでしょ?」
「へんな、こと? うん、何もなかったけど……。あ、でもいつもよりちょっとだけ起きるのが遅くなっちゃったかも」
「じゃあ、いっか。ただ寝るだけの事に良いも悪いもないしね。それで、今日はこんな時間まで何してたの?」
年頃の男女が共に寝るという、何処かの風紀委員などが知れば憤慨間違いなしの出来事は、しかしそれほど大きくは取り上げられずに流されていく。……それが事実かどうかはともかく、少なくとも幸は視点からは、そう認識されていた。
「それで今日の朝は、美咲さんとゆっくりしてたら急にピンポーンってね、こころさんたちがやってきて――」
話は次に豪華客船『スマイル号』での出来事に移った。自分の目で見た船の大きさ、華美さ、そして
「はぇー、豪華客船に怪盗にって、やっぱりこころちゃんはやる事が違うねー」
「あはは、ほんとだよね」
「それで、次の勝負はどんなだったの?」
「えっ、あー……うん。今度は美咲さんが花音さんに告白の演技をするっていう勝負だったんだ」
優が話の続きを催促すると、何故だか幸の語りが一瞬だけ止まった。それは明らかに、ただ言葉が詰まったのとは違う確かな間であり、優が目が再びギラリと光った。
「へー。で、それだけじゃないでしょ? 白状しなさい」
「べ、別に何も――」
「もっかいさっきと同じ事やる気?」
「……言います」
実際に一度敗北を喫してしまっている彼は、無駄に粘る事も無くおとなしくすべてを語った。
一度目の美咲の演技がダメダメだった事。最後のチャンスとして自分への告白が課せられた事。一度は拒絶したはずの勝負を、何の心変りがあったのか進んで受けた事。そして――。
「で、どうだったの?」
「どうだったのって……何が?」
「もー、わかってるでしょ? 美咲ちゃんに告白されて、どうだったのかって聞いてるの!」
「……告白って言っても、演技……だから。けど、それでも、正直ね、すごくびっくりした。演技だって頭ではわかってるのに、まるで本当みたいに思えちゃって……続きを聞くたびにドキドキして、最後に手を伸ばされた時なんか……胸とか頭とかが、わぁーって熱くなって、実はちょっとだけ泣きそうになっちゃった、えへへ」
当時の事を思い出しているのか、顔をこれ以上ないほどに真っ赤にしながら、口元を手で覆って幸は赤裸々に内心を吐露する。その感情の昂りといえば、家族として今まで生きてきた優をして、過去一番だと言わざるを得ないほどだった。
「へぇ~、ふ~ん?」
「……な、なに」
「い~や、別になにも?」
「絶対嘘! なにをニヤニヤしてるのさー!」
(一緒に寝たのは、美咲ちゃんから。告白を急にやる気になったのも変だし、なんなら布団がないってのも怪しい。それで、人が変わると急に演技が上手くなる……?)
頬っぺたを膨らませて、幸はポコポコと抗議する。だが、彼はまったく相手にされておらず、優はそれを片手であしらいながら、空いた他方の手を彼からは見えない位置に持っていって携帯の画面を叩いていた。
『美咲ちゃん、明日はたーっぷりお話しましょ♡』
送信、と小さな声で呟いて、優は弟に話の続きを要求した。
改行具合、どのように感じましたか?
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地の文間もっと開けた方がいい
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セリフ間もっと開けた方が
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上記二つとも
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特に問題ない