びじょとやじゅう   作:彩守 露水

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注意:今回、少し原作キャラのイメージを崩すだろう発言があります。


第36話「嗜好の思考」

「――ちゃん。ねぇ、お姉ちゃんってば!」

「……んぁ?」

 

 ペチペチ、ペチペチと。頬を叩かれている感触によって、美咲はおもむろに目を開けた。

 上体だけを起こして、一度大きくあくびをする。そうして、ようやくそこにいるのが自分の妹なのだと理解した。

 

「……なんでいんの?」

 

 冷静に状況を考えれば美咲を起こしに来た以外には見えないのだが、彼女の覚えている限り、幼少の頃から妹が自分を起こしに来た事など、ただの一度も無い。そういった訳で、美咲は目の前にいる家族へ疑いの目を向けた。

 

「いや、目覚ましずっと鳴っててうるさかったから」

「あ、そういう? それは素直にごめん」

「いいけどさ、珍しいね。お姉ちゃん、いつもはすぐ起きるのに」

 

 昨日、美咲はきちんと黒服に自宅まで送り届けてもらった後、すぐに自室へ直行し、そのまま泥のように眠った。こころや幸たちとは違って車内でずっと起きっぱなしだった彼女の体には、そうなるだけの疲れが溜まっていたのだ。

 直接の原因である枕元の目覚まし時計を止めて、起こしに来てくれた事にお礼を言う。妹は、朝食がもうすぐできるという事を伝えると、部屋から出ていった。

 

 一人になった自室で、美咲は大きく伸びをして息を吐いた。

 目覚ましの音に起き損ねるというのは彼女にとって久しくやっていなかった行為であり、予想以上に疲れていたようだ、と自分のことながらに思う。

 ベッドから降りてシーツと布団を整えると、美咲は自分の携帯を手に取って画面をつけた。これは彼女が起きると毎日やっている事で、おもに寝ている間に入っていたメッセージや天気の確認などが目的だ。

 専用のアプリによれば、今日は終日晴れであり、降水確率は限りなく低いらしい。続いて彼女はメッセージアプリ『ROW』を開いた。

 

「……あれ?」

 

 この画面ではチャットの来た時間が近い順に上から表示されるようになっており、美咲が朝のチェックをすると大抵はこころの他愛もない言葉かクラスグループで誰かが時間割などを訊いているのが最上にやってきている。なのだが、今日はその場所に、また違った名前が表示されていた。

 

「『美咲ちゃん、明日はたーっぷりお話しましょ♡』……ね」

 

 祖師谷優。ファーストコンタクトの時に互いに登録をしたが、あまり頻繁に連絡をすることはなかった相手だ。

 これまでも何度か学校で話をする事はあったが、そういった時は彼女が自ら休み時間などに美咲を訪ねてきており、わざわざ事前にメッセージを送ってくる事など無かったはずだ。にも拘らず、こんなハートマークまでついたものを送ってくるという事は――。

 

「……よし」

 

 短く呟いて、美咲はいつもより二十分遅く家を出る事を決めた。

 

 

―――――――

 

 

 時は過ぎ、現在は昼休みの始まったところ。美咲は足音を殺して周囲をキョロキョロと見回す不審者スタイルで、校内を歩いていた。

 一体何故彼女がそのような事をしているかというと、ずばり、ある人物から逃げる為である。

 

 あの後美咲は、通常なら始業の三十分前に教室へ着いているところを、遅れて家を出る事により見事三分前に到着した。これにより彼女は最初の関門を突破した訳だが、優が美咲と話したがっている以上、もちろんそれだけでは事態は解決しない。

 授業が一つ終わるたびに自分のいるC組へとやってくる優から逃れるため、美咲は終了と共にトイレへ逃げ込み、開始の直前へ戻ってくる事を繰り返した。おかげでクラスメイトの数人からお腹の調子を心配される羽目になってしまったが、それによってどうにか昼休みを迎える事が出来たのだ。

 

(話したくない訳じゃないんだけどなぁ……)

 

 美咲は内心でごちる。むしろ、本音としてはまったく逆で、彼女も優とは話しておきたい事が山ほどあるのだ。ただ、それらを話すには細々(こまごま)とした休み時間では短いと考えており、放課後にでもきちんと場を設けて話したいというだけである。その旨を美咲は優へメッセージで送ったはずなのだが、休憩の度にやってくるという事は読んでいないのだろう。

 

 さて、そんな事情を抱えた不審者美咲だが、彼女が今しているのは昼食をとる場所探しである。せっかく優から逃れられたというのに、食堂や中庭など探せばすぐ見つかるような所で食べていては、彼女に捕まるのも時間の問題。そうして美咲は歩きまわった末に、校舎の裏という絶好の場所を見つけるのだった。

 ここなら誰もいないだろう、そんな思いを持って美咲は足を進める。何せそこは、本当にただの校舎の裏である。自転車置き場や焼却炉など、なにか設備があるわけでもない。ただ僅かな自然があるだけで見える景色も一面、敷地を区切るフェンスばかりだ。

 頭に浮かべた校内マップで、校舎裏の中でも特によさげな場所をピックアップする。そこに見える角を曲がれば目的地、というすんで、美咲は唐突にその足を止めた。

 

「――ん。ふふ」

(っ!?)

 

 声が、聞こえた。

 一瞬、優が自分を追いかけてきたか、と美咲は周囲を確認したが、誰の姿も目には入らない。落ち着いて耳を澄ませてみると、どうやらその声は今美咲が曲がろうとしていた角の先からのようだった。

 

(……ん? っていうか、この声って)

 

 美咲はさらに聞き耳を立てる。

 

「えへへ、あこちゃんはやっぱり――」

(燐子先輩じゃん)

 

 そこからの数言をしっかりと耳に入れ、彼女は声の主の正体がはっきりとわかった。

 白金燐子。花咲川の一年上の先輩で『Roselia』のキーボード担当、というのが美咲の中での彼女の印象だった。

 先日海で偶然にも話す機会があったが、それ以前は何度かガルパの合同練習で顔を合わせていただけ。赤の他人の域はとうに脱しているだろうが、進んで話しかける程の間柄だとも思えず、美咲は違う場所を探す事にした。

 

(にしても、燐子先輩ほんとあこが大好きだよね)

 

 燐子とあこの仲がいい、というのは違うバンドのメンバーである美咲から見ても、一目瞭然であった。『CiRCLE』でどちらかを見かけた時はかなりの割合で二人揃っているし、そもそも『Roselia』に入る前からの仲だという話も噂に聞いているくらいだ。

 

(あの二人、違う学校なのにどうやって知り合ったのか――え?」

「っ!?」

 

 そんな二人についてぼーっと考えていた美咲だったが、その枝がある事実へと至り、表情を強張らせた。

 白金燐子は花咲川女子学園の生徒。

 宇田川あこは羽丘女子学園の生徒。

 つまり、二人はそれぞれ違う学校へ通っているはずなのだ。なら一体、今燐子が話していた相手とは――。

 体を強烈な悪寒が走りぬけ、美咲は思わず声を出してしまった。そして、重ねて残念な事にそれはしっかりと燐子の元へと届いたらしい。

 肩を跳ねあげて、警戒しながら自分の方を見つめるその姿に、美咲は仕方なく両手をあげて陰から歩み出る。

 

「その、こんにちは、燐子先輩」

「お、奥沢さん……? どうしてこんな場所――キャッ!?」

 

 恐れていた正体が美咲だったとわかり、燐子は警戒を緩めた……のだが次の瞬間に、なんと彼女は尻餅を着く形で後ろへ転倒してしまった。これは、美咲が礼儀として先輩に挨拶をするため足を一歩踏み出すと同時に、ほぼ条件反射で同じだけ後ずさり、小石に躓いてしまったためだ。

 幸いにもお弁当は燐子の傍らへ置かれていた為に無事であったが、代わりに彼女の手の中にあった『何か』が盛大に宙を舞った。

 

「えぇ!? わっ、とっと……」

 

 それは綺麗な放物線の軌道を描いて美咲のいる方へと飛び、危なげなくとはいかなかったようだが、無事にキャッチされた。

 

「危ない危ない、ってこれ携帯? 燐子せんぱ――い?」

 

 美咲の顔が凍る。

 果たして、それはよく見るスマートフォンであった。だが、ただそれだけの代物であったなら、彼女がこのような反応をするはずがない。

 

「これ全部……あこ?」

 

 果たしてその原因は、画面に表示されているおびただしい程のあこの写真の数々であった。スクロールしてもスクロールしても、次々に現れる写真はやはり被写体にあこを含んだものだけ。おそらく、そういった風に作られたフォルダなのだろう。その中のあこはきちんとカメラ目線をしており、どれも堂々と撮ったものなのだろうことが救いと言えない事も無いが、それでも美咲は絶句するほかなかった。

 

「ふ、ふふふ……。見てしまいましたね、奥沢さん……」

「り、燐子先輩これは……」

「み、み、見られたからには、生かして帰すわけには――」

 

 ユラリと、まるで幽鬼の如く立ち上がった燐子は、その目をグルグルと回してゆっくり美咲との距離を詰めてゆく。一歩、また一歩とその足が踏み出され、二人の距離がおよそ半分ほどになったところで……。

 

「――きゃっ!?」

 

 燐子がまたも盛大に転げた。

 今度は前のめりに。

 顔から。

 

 

――――――

 

 

「大丈夫ですか?」

「は、はい……なんとか。その、先程はお見苦しいところを……」

 

 予期せぬ事態でパニックに陥ってしまった燐子だが、物理的な衝撃によって正気を取り戻し、今は美咲と並んで座りこんでいた。

 美咲が心配をし、燐子が謝罪をし、そして、会話が終わる。

 燐子はもともと極度の人見知りで、美咲は先輩の知りたくなかった秘密を望まず知らされてしまったばかり。そんな二人の間で話がうまく続かない事は、明らかな事だった。

 

「あ、あの! 奥沢さん」

 

 ともすれば昼休みが終わるまでずっと続く事も考えられた静寂は、なんと燐子の側から破られた。絶賛気まずい空気に困り中だった美咲は、喜んで話に乗る。

 

「その、えっと……ロリコン、というものについて、どう思われますか……?」

「え……。ロ、ロリコン、ですか……」

 

 だが、その内容は思ってもみないものだった。

 美咲は頭を唸らせる。()()()()()により彼女はその言葉についてよく知っていたが、何故それをいま訊く必要があるのか。

 

(ロリコンって確か、小さい女の子を恋愛か性的な対象に見る人のことだったよね。それを今聞くってことは、まさか――)

「燐子先輩、あこと恋人になりたいんですか?」

 

 ストレートに、思いついた文面をそのまま口に出す。美咲的に考えた結果、そういうことではないか、と問うたのだが、燐子の反応は否定であった。

 

「こ、恋人ですか!? そんな気持ちはぜ、全然ありません。むしろ……あこちゃんとは今の……友達というか、仲間というか、とにかくそんな関係を変わらずにずっと続けられたらな……なんて」

「うーん、それなら別に、そもそもロリコンではないのでは……?」

 

 美咲は、その返答にどうにも納得がいかない。タイミングから彼女はてっきり、燐子がロリコンと呼ばれる人種で、質問はそのカミングアウトの前段階なのだと考えていたのだが違ったのか、と。

 

「あ……えっと、元の意味は確かに奥沢さんの考えてるもので合っているんですけど……。その、最近では恋愛だとか考えなくても、どういったベクトルであれ好き、というだけで呼ばれる事も多いんです……」

「……そう、なんですか」

 

 言葉というのは使う人々の認識のずれなどで、徐々に意味が変わってしまう事があるが、ネット上ではそれが特に顕著である。おそらく、今の時代にネット上でロリコンを自称し、他称される人々の中に原義としてのそれに当てはまる者など半分もいないのではないだろうか。

 その燐子から新しくもたらされた情報を加味し、美咲は考え直してみる。

 

「なら別に……どうとも思いません、かね。いや、そりゃ犯罪とかはダメですけど。そんな特徴一つを取り上げて人を判断するなんてのもあほらしいですし。もっと他に見るところあるでしょ、っていいますか」

「…………!」

 

 返答を聞いた燐子はしばらくのあいだ目を見開いていたが、やがて嬉しそうにはにかんだ。

 

「優しいんですね、奥沢さんは……」

「……ま、優しいかどうかはさておき、参考になったみたいでよかったです」

 

 あまり慣れていない褒め方をされて、美咲はおもわずそっぽを向く。

 二人の間に再び静寂が訪れる。会話が綺麗な形で締められ、ここでおさらばかと思いきや、今度は美咲の方から燐子へと質問を投げかけた。

 

「あー、逆に、といいますか……。燐子先輩はその、ショタコンってどう思いますか?」

「ショタコン……ですか? どうしてそんな――あぁ、そういえば、あの子は男の子なんでしたっけ」

 

 まさか美咲の口からそのようなネット色の強い言葉が出てくるとは露にも思わず、燐子はしばらく困惑したが、頭のいい彼女はその質問にどういった意図が込められていたのかを瞬時に見抜き、声をとても優しげなものにした。

 これが、美咲のロリコンなどという縁遠そうな言葉を知っていた原因である。自分の恋情に気付いた彼女は、少しばかり客観的に見た場合の己と幸の関係がどうなっているのか気になり、帰りの車内でずっと携帯で調べていたのだ。何せ、二人の実年齢差はたったの二つだけだが、彼の外見は小学生と偽っても通せてしまいそうなほど。それは仕方のない事だった。

 

「えぇ、まぁ……はい」

「私は、良いと思いますよ? どんなものであれ、人を好きだって思う気持ちは、その……とっても素敵なものです、から」

 

 恥ずかしいのだろう、あまり多くを語らない美咲へ、燐子は優しく微笑みかけた。その表情に、いっつもオドオドしてるけど、やっぱり先輩なんだな、と美咲が考えてしまった事は秘密だ。

 互いに質問をしたことでなんとなく気心も知れてきた二人は、お弁当を食べながら、それぞれ大好きな人の事についてたくさんの話をするのだった。

 

 

 

 

「――なんですよ。ほんっと、コウくんってば世間知らずで」

「た、確かにそうですね……」

 

 それからおよそ十五分後。未だに燐子と美咲は、同じ題でずっと、会話に花を咲かせていた。

 

「ですよね?」

「けど、ちょっと羨ましいな、とも思います」

「……? どうしてですか」

「あこちゃんにもちょっとそういう部分があるんですが……その子ほどではありませんから。もし、それくらい世間知らずなら現実に光源氏計画が――あっ、すいません、何でもないです……」

「……はぁ」

 

 急に燐子が、ぶつぶつと何かを呟きだす。その最後にあった『光源氏』という言葉が、美咲には確かに覚えがあったのだが、どれだけ頭を働かせても『何か古文でやったやつ』以上の事を思い出す事は出来なかった。

 

(後で調べとこ)

「そ、それより! その、コウくん? でしたっけ。その子は、ガルパに出るんですよね?」

「はい、そうですよ」

 

 焦った様子の燐子がまるわかりの話題転換をして、話がガルパのものへ切り替わる。

 美咲が紗夜へと啖呵を切ってみせた現場には、燐子も同席していたはずなのだが。

 

「その、すごいですね」

「何がですか?」

「あの子は、失礼なんですが……私と一緒で人見知りの恥ずかしがり屋さんだと思ってましたから……」

「……? すみません、話が繋がらないんですが」

 

 今、燐子の口にした幸の印象は、すべて彼の実態を一致しているもので、なにも間違っていない。美咲は、首を傾げた。

 

「あ、えっと……だってハロハピに入ったのはつい最近の事なんですよね? でしたら、ガルパが初めてのステージという事で……」

「……あ」

「私なんて、初めての『Roselia』のライブの時なんかは、とても緊張してしまいましたから……」

「あ、ああああああああ!!」

 

 燐子の何気ない指摘を受けて、美咲は驚愕の叫び声をあげた。何故そんな当たり前の事に今まで気付かなかったのか、自分を責める念がとめどなくあふれてくる。

 頭の片隅の、かろうじて落ち着いている部分で美咲はシミュレーションを行った。場所は『CiRCLE』のステージ。演者は幸を含む『ハロー、ハッピーワールド!』の面々。これが彼にとっての初舞台である事、性格、これまでの言動、それらを吟味した上ではじき出された結果は……。

 

(いや、絶対無理!)

 

 どうしようもなく無情なものだった。

 

「ありがとうございます、燐子先輩。おかげで大事な事に気付けました!」

「え、え? はい、どうしたしまし……て?」

(ガルパ本番までは後六日……。それまでに、一回はライブの経験させとかないと……!)

 

 そこで、タイミングよく予鈴が鳴り響いて、二人はお弁当をしまってその場を離れた。

 

 

 

『え……怖っ! 燐子先輩、怖っ!?』

 

なお、教室に戻った後『光源氏』について調べた美咲が、そんなことを言ったとか言わなかったとか。

改行具合、どのように感じましたか?

  • 地の文間もっと開けた方がいい
  • セリフ間もっと開けた方が
  • 上記二つとも
  • 特に問題ない

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