・連奏……同種楽器二つ以上による合奏
「なんて、意気込んだはいいけど」
暗然たる雰囲気で優は溜息を吐いた。その原因でもある彼女の今いる場所は……。
「――こんなザマじゃねぇ」
ずばりベッドの上だった。
右手の中の体温計が示す数値は平熱そのものだが、彼女は今ひどい頭痛に苛まれている。それはもう、何をする気にもなれない程の。
(もう! よりにもよってこんな時に……)
弟の為に色々してあげなければならないというのに、頭がよく回らない。どころか、学校へ行くこともままならない様子だ。
優は携帯を取り出し、欠席の旨を知らせる為に友人へ電話を掛ける。
一。二。三。四つ目のコールの途中で相手からの反応があった。
「……あ、もしもし、香澄?」
『うん、もしもーし。優、どうかしたの?』
電話越しに聞こえてくる元気な声に、優は自分の状態を伝える。
『えぇ、大丈夫!?』『あれ、香澄、誰かと電話か?』『うん、優からなんだけど。なんか体調悪いって』『そうなの!? 優ちゃん大丈夫かな……?』『うん、心配だね』『あー、はいはい。騒がない騒がない。香澄、ちょっと電話貸してね』
体調が悪いと知るや否や、向こう側にいたらしい複数のこれまた友人たちの声が次々と聞こえてくる。しばらくワイワイと言葉が続き、最終的に収集がつかないなと、うち一人――山吹沙綾が電話をかわった。
『あーもしもし、優? 沙綾だけど。体調崩したって? 風邪?』
「うーん、どうなんだろ。熱は無いんだけど……一回診てもらわないと分かんないかも」
『そっかぁ。ってことは、もしかして今日学校休む気?』
「え、うん、そうだけど……何かあったっけ?」
『完全に忘れてるなぁ。今日授業内テストあるよ? 小テじゃなくて、結構重要な奴。しかも数、英、社で三つ』
「え゛っ……あれ、それ今日だっけ?」
テストが三つ重なる、そんな日がある事は彼女も知っていた。その事実が明らかになった時に、『魔の三重奏だ!』『いや、同時じゃないし、三連奏でしょ』『いやいや、連奏も同時にやるもんだから』『うそっ!?』などと馬鹿を言い合った事も、記憶に新しい。
さて、そんな大切な日を欠席する事は、単純に余りよろしいとは言えない。ただ、優の場合に限ってはその深刻度合が桁違いだった。
『いやぁ、あんまりこういう事言うのもあれなんだけどさ……大丈夫?』
「うぐっ……」
何が、と沙綾が明言する事こそ無かったが、本人故に優には彼女の言わんとしている事が痛い程わかった。
(どうしよう、留年とかそろそろ冗談じゃなくなって来てるかも……)
家の跡継ぎとして弟が厳しく育てられてきた反面、優は教育について何も口出しをされずに生きてきた。ある意味、放っておかれたという言い方もできるかもしれないが、彼女はそれを不満に思った事は無かった。けれど、その甲斐――いや、所為あって優の学力、そして成績は現在ひどいものである。
考査で赤点は当たり前。寝坊で遅刻、気分で欠席も数知れず。高校一年生で留年というのはなかなかない事だが、その上で『次は無いぞ』と先生からのお達しを貰ったくらいだ。
「――行く」
『え?』
「絶対行くから! また後で連絡する。じゃあね!」
『あっ、ちょっと』
沙綾の言葉を途中に電話を切る。そして携帯を握りしめ、静かに呟いた。
「これは、あれをやるしか……」
かねてより温められてきた、とある計画が実行に移されようとしていた。
「あ、連絡きた」
突然電話が切れてから約十分後、香澄の携帯が再び鳴った。
「優から?」
「うん。えっと、なになに……『風邪じゃないっぽいから学校行く。けど、すっごい頭痛いから教室では放っておいて、お願い!』だって」
「そっかー」
一般に考えて十分は医者に掛かるには短すぎる時間だが、その医者が祖師谷の家には常駐している事を知っている彼女らは、そこへは触れなかった。
そこから更に経つこと少し。おしゃべりををしながら歩く五人の前に見るからな黒い高級車がやってきて停まった。
「な、なぁ、なんかすげぇやばそうな車が――」
「あ、優のとこの車だ!」
「まじかよ!?」
扉が開き出てくる姿に、ただ一人市ヶ谷有咲だけが驚く。彼女だけ香澄たちとはクラスが別になっており、優について詳しくなかったのだ。
少しうるさめなエンジン音を残して車が去ると、そこには壁に手をついて青い顔をする友人だけが残された。
「わわ、優、大丈夫?」
「あ、う……うん、だいじょう、ぶ」
「ほんとに平気?」
電話ではただの頭痛だと言っていた割にはどうにも深刻そうな彼女の様子に、沙綾が重ねて心配した。
「大変大変! 優が大変だ! とりあえず鞄貸して!」
「あっ……」
「私、手持つからおたえは足お願い!」
「よし来た」
香澄が優から鞄を取り上げ一度地面は寝かせる。それから二人でその手足を掴み、『せーのっ』と香澄が口にした時点で制止の声が掛かった。
「待て待てぇ!」
「有咲、どうかした……?」
「お前らなぁ、そんな持ち方で運ぼうとしたらパ、パ……あれだ、スカートの中が見えちまうだろうが!」
「あ、そっか。さっすが有咲、頭いい!」
重要な部分を濁した有咲の言葉によって、二人の行動は阻止される。そうでなかったとしても、一人が腕を、もう一人が足を持って人を運ぼうものなら関節部に重大な負荷が掛かって大変な事になってしまっていたことだろう。
「よし、ならおんぶだ!」
「じゃあ、私は落ちないように支えるね」
「行っくよー!」
自分で渡せと言った筈の鞄をその場に放って二人は駆けてゆく。香澄におぶさる優をたえが後ろから補助する姿は、有咲に何かを連想させた。
「あー、なんだっけなぁ……」
喉まで出て来てんだけどなぁ、と頭を悩ませること数秒。
「あ、あれだ。三人騎馬戦、しかも死にかけのやつ」
あはは似てる似てる、有咲の呟きに、隣にいた沙綾がカラカラと笑った。
ドタドタ、ドタドタと
「どーん! みんなおはよー!」
「あ、かーくんおはよー!」
教室の扉は、手の塞がった香澄に代わってたえが開けた。
クラスメイトの一人、北沢はぐみが挨拶を返したのを皮切りに、皆が続く。されば必然、その視線は一度彼女へと集中する。
「あれ、ユウさん、どうされたのですか?」
つまり、クラス全体が優の存在に気付いた。
「みんな、聴いて」
優の席へ近づき、刺激を与えないようゆっくりと椅子へ座らせる。伏せられた顔から覗く肌はやはり青っぽく、しかし同時に少し赤ばんでいるようにも見えた。
優が体調不良だという事。しかし、その上で無理してきている事。そして、一応風邪ではないという事などを香澄が伝え、できるだけ触れてあげないようお願いすると、一同快く了承してくれた。
「みんな協力してくれるって、よかったね。あ、しんどいんだったら寝とく?」
「はい……ううん、そうさせてもらうね」
「ん、おやすみ」
一体何処にあったのか、香澄はトイレットペーパーの芯に『お休み中! お触り厳禁!』と書き、それを机に置いて去って行った。
やがてその席から人々が離れて行き、周囲が静かになる。ようやく一人になる事が出来た優――否、そう思われている彼女の弟は、視界いっぱいに広がる机をぼんやりとさせて、項垂れた。
(はぁ、胃が……)
一体全体、どうして彼は女子高の制服に身を包んで、何の為にこんなところにいるのか。これからの振る舞い方を決める為にも、一度記憶を掘り返す事に決めた。
事の発端は起床してすぐ。不自然にまっさらな予定表を手にベッドでボーッとしていると、突然姉である優に部屋へ呼ばれるところから始まった。言われたままに彼が姉の元へ向かうと、そこには上体だけを起こした部屋の主の姿が。そして深刻な表情で言うには、何やら頼みがあるとの事。
愛する姉の頼みならば、そう考えてウンウンと聞いていた彼だが、話が進んでいくにつれその表情は曇っていった。
(まさか、こんな事になるなんて……)
まさに今の状況がその内容を物語っているが、それは自分の代わりに学校へ行きテストを受けてきてくれ、というものだった。もちろん彼は初め断っていたのだが、留年の可能性があるという事実と、姉の数度にわたる懇願の末、最終的には折れてしまった。
姉の手を借りながら初めての女子制服に袖を通し、ウィッグ、化粧なども施してもらう。それらすべてを終えた後、鏡に映った自身の姿は、彼の目からしても姉に瓜二つ。思わず、はて鏡とは自分を映す道具ではなかったか、と基本的な機能を疑ってしまう程だった。
しかし、姿が似ただけでは他人になり済ます事は難しい。そこから更に、完全とはいかないまでも不自然に思われない程度に似せた発声を探し、周囲とうまくやる為に姉の特に親しい友人についての情報も教わった。
ここで一つ衝撃的な事が起こった。優は計五人の写真を見せて名前や関係などを説明したのだが、なんとその半数以上と彼は一日前の外出で面識を持っていたのだ。優はその事を知っていたのだが、外出の様子を中継していた事は秘密なので、素知らぬ顔を貫き通した。
その後はすぐに黒服に出してもらった車に乗り込み――花咲川女子学院は車による通学を禁止しているので――学校から少し離れた路で降りた。そこに件の五人が丁度居合わせたのは偶然か、それとも黒服の思惑か、なんにせよ彼にとっては予期せぬ事態だった。幸い、その誰からも怪しまれる事は無かったが、それは裏を返せば彼女らの接し方が完全に優に対するものだという事で、躊躇いの無い身体の接触に顔を赤くする事態もあったりなかったり……。
(このまま何も無ければ、いいんだけど……)
テストがあるのは二、三、四限目。それまでは、ひたすら顔を伏せてやりすごす腹積もりだった。
「ゆ~う、しんどそうだけど、ほんとに平気?」
「うぇ……う、うん、大丈夫、だよ?」
そう考えていた矢先、遅れて教室に到着した沙綾が声を掛けてくる。もう何度も繰り返されたやりとりだが、皆がそれぞれ心配してくれているのだと考えれば、そう悪い気はしなかった。
「うーん、ちょっと声が変な感じするなぁ。喉も痛い?」
「ッ!? え、えー、うん、ちょっとだけ」
「そっか。一応これ置いとくから、食べれそうなら食べてね」
ほんとは香澄用なんだけどね、そう言って彼女はのど飴を置いて行った。思わず冷や汗が滲む展開だったが、無事誤魔化しきれた様である。ちなみに、彼の身長は優のものより六センチほど低い。そこが疑われていないのは、壁に手をついていたり座っていたりと、真っ直ぐ立った姿をまだ見せていないからであり、その辺りにも気を配る必要があった。
(にしても……スースーだ)
慣れない涼しさを纏う腿周りをモジモジとさせて、少年は一限のチャイムを聞いた。
ハーメルンに誤字報告機能というものがある事を初めて知りました。
報告してくれた方、ありがとうございます。
改行具合、どのように感じましたか?
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地の文間もっと開けた方がいい
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セリフ間もっと開けた方が
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上記二つとも
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特に問題ない